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今日ボクが見た風景

蒙古襲来

Category: 歴史  



●1274年(文永の役)

紀元1274年 900艘の船に分乗した元軍の3万人(元軍2万人、高麗軍1万人)が10月3日に朝鮮­半島の合浦の(ガッポ)を出発し、途中、すでに5日に対馬、14日に壱岐を襲った。
両島とも守備の武士が奮戦したが衆寡適すべくもなく一蹴された。
対馬、壱岐では、老人、男は皆殺しにされ、女は集められて手の平に杭で穴を開けられて­縄を通され数珠つなぎにされ船縁に吊るされ、連行され、子供は高麗軍に連れ去られ、忠­烈王に献上された。
対馬、壱岐での元軍の残虐さは凄まじく、島民は全滅。
「ムゴイ」という言葉はこの時できたということである。

●悪名高き朝鮮の軍人:洪茶丘と金方慶について

対馬や壱岐・平戸能古、鷹島辺の住民をことごとく捕囚連行し、
数百名をフビライ・ハーンや高麗王と王妃に献上し、残った全ての人々は大都(現在の北­京)の奴隷市で
売買した朝鮮の軍人で、蒙古の部将。

●1281年(弘安の役)

元軍・高麗軍は、五月二十九日に出港し、瞬く間に壱岐対馬を呑み込んだ。
彼らは悪虐の限りを尽くした後、博多への侵攻を開始した。
元軍は各地で日本側の反撃に遭い上陸に失敗し、士気の低下と兵の疲れがひどかったため­蒙古武将は一時退却を主張したが、高麗(朝鮮人)洪茶丘があくまでも日本侵略を主張し­たため議論は平行線をたどり、
八月二十三日、江南軍が合流した直後に暴風雨が発生し、元軍は暴風雨によって海底に沈­んだ。

●その後の日本では

元寇の時、蒙古・高麗軍が日本を襲ったことを、「蒙古高句麗の鬼が来る」といって怖れ­たことから、転じて恐ろしいものの代表として子供の躾けなどで、「むくりこくり、鬼が­来る」とおどす風習などとなり全国に広がった。モッコの子守唄(青森県 木造町)のように「泣けば山がらモッコくるね、泣がねでねんねしな」などと、昔の蒙古­襲来の怖さを子守唄にしたものなど、上記の残虐行為への恐怖を証明する民間伝承は全国­に存在する。

※また元寇への復讐の意味合いから倭寇の活動が活発化したきっかけとも言う。
※今の日本の教育は間違っており、自虐教育によって将来、日本を背負う子供達の教育水­準を明らかに、低下させています。自虐史観払拭、自分たちの父祖を堂々と誇るべきです­。

※政治家(民主・公明・社民・自民)は反省を、、、メディアや各教育機関(日教組など­)は自ら自己批判し、総括すべきと存じます。


同意




残虐性と姑息さは昔から彼らの専売特許


精神性や民族性・・・昔から全く別物だ


因みにこの史実もあちらは改ざんしてますがw





「レイプオブ南京」とか云う

「史実を無視したノンフィクション」映画(笑)に

登場する日本兵が行う蛮行こそが

彼らだから成し得る蛮行なのだ

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