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今日ボクが見た風景

中国では「大屠殺」と言う、なぜか?

Category: ブログ  
中国人漢民族 食人習慣カニパリズム


 「虐殺派」の人々は中国の文化や習慣について全く知らない、と言っても間違い無い。
 例えば日本では「大虐殺」と言うが中国では「大屠殺」と言う、なぜか? これこそ、日本と中国との文化の違いを端的に物語っている。
 
 処刑一つにしてもその国の文化があるのだ。


 例えば世界広しと言えども「切腹」{すかさず「介錯」(断頭)するのは日本人だけである

日本では成るべく痛みが無い処刑方法を取り、身体的に苦痛を避ける手段を取りたがる。


 それでは中国人ではどうか?
 ここで「通州事件」昭和12(1937)年7月29日の事件について述べてみよう。

(通州事件の詳細はこちら)


 親日的な方針をとっていた黄東政府が南京のラジオ放送(ウソをつく事で有名だった)の謀略により、

突如として日本人を襲い260名もの日本人民間人を虐殺した通州事件を例にしてみる。


 通州にいた通州の日本人居留民に中国保安隊と暴民が襲いかかり、略奪、暴行のあげく、

婦人・子供を含む日本人2百余名が虐殺された事件である。


 事件は真夜中に起きた。
 中国の保安隊はまず日本の特務機関を襲い、応戦した細木中佐と甲斐少佐を銃殺し、

喊声をあげて日本人街になだれ込んだ。
 日本人住宅を襲い、略奪・暴行をほしいままにして、婦女子を含む260人の日本人を

城壁のところに連行し、そこで皆殺しにした。


 見るも無惨な殺し方であった。
 街の中央にある日本人旅館近水楼を襲った中国兵は、銃声を放って闖入(ちんにゅう)し、

数十人の日本人客や女中を惨殺した。


 ある者は耳や鼻を削がれ、乳房を削がれ、ある者は鉄線で数珠つなぎにされて池に投げ込まれた。


 中国人の言う「屠城」による「屠殺」そのままであった

(「日本人が虐殺された現代史<新人物往来社刊>参照)。



日本における屠畜、屠殺(とさつ)の歴史 [編集 ]

1867年(慶応3年)5月、外国人に牛肉を供給していた中川屋嘉兵衛が、江戸荏原郡 白金村に屠牛場を設立したが、これが日本における近代的屠場の最初であろうという。明治 以降、屠場を設立する者の数は増え、日露戦争の時には全国で約1500を算えた。しかしその設備の不完全、また衛生上、保安上改善を要する点が多く、1906年(明治39年)に屠場法 が制定された。

日本国内における牛馬の屠殺は、その歴史的な経緯から不浄な行いというイメージも付きまとい、そこには食用家畜を単なる消費という、他の肉食文化では日常の延長に存在した行為として位置づけられず、専ら被差別階級の人々が行ってきたことという解釈がなされることが多い。(ウィキペディアより)


 

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ついでに支那人の 「食人習慣」について述べよう。
 「有名な『三国志』の中で、曹操に敗れ、味方にはぐれた玄徳をかくまった若い主人が、新妻を殺して『狼の肉です、召し上がって下さい』と言って歓待し、玄徳は知らずにこれを食べたが、翌朝別れを告げ発つとき妻がいないことに気づき台所へ行くと妻の死体が横たわっていた。『ああ、これほどまでに我を大切にしてくれたか、ありがたい。』という話がある。このくだりは、三国志の中で最高の美談として中国人が愛読し、語り継いでいる。
 しかも、昔の中国の城は都市そのものだったから、強敵が攻めてきたときは、軍隊も市民もすべて籠城する。そして、戦争が長引き食糧が無くなると軍隊が市民を食べ始める。
 あの、孔子でさえ、人肉の醢(シシビシオ、ただの塩ずけでなく、干して麹を混ぜ上 等の酒に漬けて密封して100日で出来上がり)が好物だったことはあまりにも有名。
 とても、日本人の想像の及ぶ所ではない。(「体験的慰安婦の生態」全貌社 鈴木博雄著より)下段2枚の写真はあるHPでは「おつまみとして食べた」なんて解説している。
 この支那人(中国人)による食人習慣は文化大革命時の内容を書いた本にも当時の中国(支那)人の「食人」をどうやったか度々良く出てくる。
 いかにも、日本兵がやったように錯覚しそうな表現を用いているが以下は全て中国人によるものである。
 ついでにこういったニセモノ写真を用いようとする「虐殺派」の中心人物達の本、「南京大虐殺の現場へ」という「洞富雄、藤原彰、本多勝一」著がありそれら写真について述べている。
 本著221ページ掲載の呉氏が拾ったという写真7枚について述べると、「呉さんが断定した7点の写真は即「南京事件の証拠」とすることには大きな危険があると言わざるを得ない」と言ったのち、「南京事件の写真であるかどうか「不明」ということが南京事件の写真でないということにはならない、だから南京事件の写真だと言ってもさしつかえないとする論法もなくはないらしい」との事。
 つまり、「虐殺派」でさえも写真を証拠として用いることは余りにもずさんだが使ってもいいじゃない。
 と言いたいらしい。(笑)
 以前、インターネット上で否定論を展開していたNと言う人物が「洞富雄等の本を読む義務があなたにはある」と言ったので読んでみたが、よく「虐殺派」はこれらで「南京事件はあった」と言い切れるもんだ。(笑)
 いや、感心するね。
 たしかに、「南京大虐 殺」について全く知識のない者にとっては信じやすいと思うが、われわれ「研究者」にとって「バカにするな」と言いたくなるような資料ばかりである。
 先日「南京の真実」講談社が出版されたが、その本の中にも「20万の非戦闘員」(63ページ)と南京の人口を書いているし、虐殺数は「およそ5~6万とみています」(317ページ)と書いている。
 どこかのHPでは「南京では34万人が虐殺されている」とか主張しながら、一方では、「南京の真実」がその証明だ!なんて主張を行っている。
 はっきり言って矛盾している。
 「虐殺派」はとにかく矛盾していようが何だろうがとにかく「虐殺」はあったと証明出来そうなものは何でも宣伝し、検証は一切行わない。
 「無かった証拠」は無視し、黙殺する。
 「ビデオ (平成7年に発見された当時の南京城のドキュメント)」が良い証拠。
 以前、田中正明氏が一橋大学に招待されたとき藤原彰は討論会から逃げた。
 笠原十九司藤岡信勝教授との討論日にあえて討論を行う事を避けた。
 なぜか?実は以前田中先生と奴らの大ボスである洞富雄が直接討論した時に洞(「ほら」と読 む)がこてんぱんにやられたのを見ていたのでこれら「虐殺派」は絶対に「否定派」とは直接討論はやらない。
 しかも、全然論理的に証明はしない(そりや、そうだ。無かったモノをあったと言っている訳だから)。




戦前、憲兵学校で中国語を学び、天津特務機関に着任していた人の回想録に、

着任後の語学能力向上と、中国の文化生活風俗に慣れるための河北・山東省の

旅行をしたときのことが書いてある。

ある町で、中国の軍閥に捕まった強盗匪賊の処刑場面に出くわした。
捕まった匪賊が縄で縛られ、首を切り落とされ、

東部から鮮血が噴出したまでは何の感情もなく見ていたが、

次の瞬間に目にしたものは衝撃だった。

処刑を見ていた婦女子たちが、首が切り落とされると同時に、
手にした竹棒の先端につけたマントウを鮮血のほとぼしる首に近づけ、

マントウを血に浸し、嬉しそうに頬張るのであった。

衝撃を受け、傍らにいた中国人に訳を聞くと、河北地方では
人間の血をすすると、健康と美が維持されると考えられているとのこと。

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