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脳卒中と心臓病で高死亡率 被ばく量多い被爆者で

Category: 原爆  

脳卒中と心臓病で高死亡率 被ばく量多い被爆者で
広島、長崎の被爆者のうち、原爆による放射線の被ばく線量が多い人ほど脳卒中や心臓病による死亡率が高いことが、放射線影響研究所(放影研、広島市・長崎市)の調査で分かり、23日付の英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルに発表した。
がん治療で数十グレイの高線量を浴びると、脳卒中や心臓病などの循環器疾患の発症リスクが高くなることは知られている。今回の調査で、被爆者が浴びた数グレイ以下のレベルでもリスクが高くなる可能性が示された。
放影研は被ばく線量が推定可能な被爆者約8万6600人のうち、1950~2003年に脳卒中で死亡した約9600人分と、心臓病で死亡した約8400人分のデータを統計学的に分析。
被ばく線量が0.5~2グレイの中程度でも、線量が増えるほど両疾病による死亡率が高くなり、1グレイでは、0グレイのときより脳卒中で9%、心臓病で14%上回っていた。
1グレイは、広島の爆心地から1.1キロ、長崎の爆心地から1.25キロ地点での推定線量。
この傾向は、喫煙や飲酒、糖尿病などのリスク要因を考慮しても大きく変化せず、がんの放射線治療などによる後遺症とも考えにくいという。
児玉和紀主席研究員は「現時点では別の原因も考えられるが、臨床検査を重ね、放射線が脳卒中などに与える影響のメカニズムを解明したい」と話している。(共同通信 2010/01/23)

「黒い雨」範囲3倍か 広島市と県、1844人の体験分析
広島に原爆が投下された直後の「黒い雨」の降雨地域が、これまで国が示していた範囲の約3倍に及ぶ可能性があることが25日、広島市と広島県の調査で分かった。市は、黒い雨の「大雨地域」を対象とする被爆者援護法の健康診断特例区域の指定拡大に向け、国への要望に役立てる。
調査は2008年6~11月、被爆者、黒い雨の体験者を中心とする市内と周辺の3万6614人を対象に実施。調査用紙に記入、返送してもらった。有効回答2万7147人のうち、黒い雨の降雨時間や場所を記した1844人のデータを分析してきた。
その結果をみると、黒い雨は原爆投下直後の午前8時台から広島市西部で降り始め、同10時台には最も広範囲に及んだ。体験者の分布エリアは、最北が旧都谷村(北広島町)▽最西は旧砂谷村(佐伯区湯来町)や旧廿日市町(廿日市市)▽最東は旧三田村(安佐北区白木町)-となった。
1945年の調査に基づく「大雨地域」に比べて6倍程度、「小雨地域」を含めても約3倍の広さである。さらに降雨量についても新たな可能性が浮上。爆心地から北西約20キロにあり、一部が小雨地域とされている旧水内村(湯来町)で、4時間以上降ったとの回答を得た。
健康被害では、黒い雨の体験者で「下痢や脱毛などがあった」と回答した人は大雨地域で16%、同地域外で10%。被爆や黒い雨を体験していない人の水準(3%)を上回った。
調査結果は、市原子爆弾被爆実態調査研究会(市、県、研究者で構成)が、25日の会合で報告した。座長を務める広島大原爆放射線医科学研究所の神谷研二所長は「これまでにない大規模な調査であり、実態解明に役立つ」と説明。3月末までに最終報告書をまとめる。(東海右佐衛門直柄)(中国新聞 2010/01/26)

「黒い雨」援護地域外からセシウム137初検出 広島
原爆投下後、広島郊外に降った「黒い雨」がもたらしたとみられる放射性元素・セシウム137を、広島大などの研究グループが国の援護対象になっている地域外の土から初めて検出した。雨が降った地域では、2週間で最大50ミリグレイの外部被曝(ひばく)が起きた可能性があるという。3月3日から広島大で開かれる研究会で発表される。
国は、原爆投下後の1945年末までに地元気象台が実施した調査をもとに定めた「大雨地域」を援護対象としてきた。広島市は援護対象の地域拡大を求め続けており、今回の検出は広島市の主張を裏付けるものと言える。
セシウム137は、人工的な核分裂によってしか生じない。ただ戦後、米ソ両国などが繰り返した核実験で、セシウム137などが世界中に大量にばらまかれ、広島でも原爆によるものとの判別が困難だった。広島大の星正治教授(放射線生物・物理学)らは、原爆投下の45年当時は畑や更地で、核実験が盛んになる50年までに建物で覆われ、実験の影響を受けていないと考えられる場所を爆心地から10キロ圏内の大雨・小雨地域で7カ所選定。昨年以降、床下の土壌を採取した。
金沢大低レベル放射能実験施設の山本政儀(まさよし)教授による放射性元素の測定で、爆心地の北8~9キロの旧安(やす)村(現・広島市安佐南区)の2カ所でセシウム137を検出した。いずれも国が援護対象とする大雨地域から1キロ前後離れた場所だった。大雨地域内の旧伴(とも)村の1カ所でも検出した。
今中哲二・京大原子炉実験所助教(原子力工学)は3カ所のセシウム沈着量や過去の測定データから、「雨が降った全域で降り始めから2週間程度の間に10~50ミリグレイの外部被曝があった」と推定した。人が自然界で受ける線量は年約1ミリグレイとされる。ただ、雨で汚染された飲食物を食べるといった内部被曝の影響は不明という。
国は市が求める援護地域の拡大について「科学的根拠がない」と消極的だが、広島市は今回の研究成果を踏まえ、改めて国に要望していく方針。(加戸靖史)(朝日新聞 2010/02/27)

キャメロン監督:原爆テーマの次作…原作に誤り構想揺れる
米ハリウッド映画「アバター」のジェームズ・キャメロン監督が次回作に予定している、広島への原爆投下をテーマにした映画構想が揺れている。映画の原作の一部に誤りが見つかり、原作者が内容の訂正を表明しているからだ。米国の退役軍人らからは批判の声が上がり、被爆者の間にも困惑が広がっている。
原作は「アバター」で科学アドバイザーを務めた米作家チャールズ・ペレグリーノさんの「ザ・ラスト・トレイン・フロム・ヒロシマ」。漫画「はだしのゲン」の作者で広島で被爆した中沢啓治さん(70)のほか、1月に亡くなった二重被爆者の山口彊さんや広島・平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとされる佐々木禎子さんらも登場する。
問題の発端となったのは、広島への原爆投下の際、米軍の写真撮影機に搭乗したという元米兵(08年死亡)の証言。原作は、これを基に、出撃前に科学者が死亡する放射線事故があったことなどが描かれた。だが、投下任務に当たった米軍部隊の名簿や搭乗員リストにこの元米兵の名前はなく、証言が虚偽だった疑いが浮上した。
原爆投下機エノラ・ゲイの航空士だったセオドア・カークさんは、退役軍人グループのウェブサイトで「完全にでっち上げの話だ」と非難。ペレグリーノさんは元米兵の話が誤りだったことを認め、改訂作業を始めた。
さらに、ペレグリーノさんは毎日新聞の取材に対し、中沢さんの連絡先が分からなかったため、複数の漫画作品や自伝、記事などから実体験と思われる部分を抜き取って作中に用いたことも認めた。
「引用の連絡はなかった」としている中沢さんは、作品に架空の人物が登場する場面があることなどから「キャメロン監督がどういう構想を描いているのか聞いてみたい」と話している。【松本博子、ロサンゼルス吉富裕倫】(毎日新聞 2010/02/27)

原爆投下は「真のホロコースト」 イラン議長が長崎訪問報告
【テヘラン共同】イランのラリジャニ国会議長は28日、日本訪問中に長崎市の原爆資料館を見学した感想についてイラン国会で演説し、第2次大戦中のナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)になぞらえ「原爆投下こそが米国が引き起こした真のホロコーストだ」と述べた。イランのメディアが報じた。
27日の長崎初訪問についてラリジャニ氏は「日本にとって最も悲しい出来事の一端を知る機会だった」とした。その上で「広島に原爆を投下して核兵器の影響の大きさを知りながら、長崎にも落とした」と米国を批判。ホロコーストよりも、米国の核兵器使用を問題にするべきだと指摘した。
イランの核開発をめぐっては国際原子力機関(IAEA)が核弾頭開発疑惑を指摘しているが、同国は発電目的だと説明している。(共同通信 2010/02/28)

ジェームズ・キャメロン監督:原爆「映画化、意思変わらず」 原作が販売中止
◇「誤りわずか」 事実関係に疑義、原作が販売中止
広島への原爆投下などを取り上げた米作家の新刊書に事実関係の疑義が生じ、販売が中止された問題で、同書を原作とする映画の製作を表明していた映画監督、ジェームズ・キャメロン氏が、映画化の意思に変更はないとする考えを関係者に伝えていたことが分かった。同書の日本国内での著作権代理店「アウルズ・エージェンシー」(東京都)などに3日に届いた文書で「映画化の優先権を保持する」と明らかにした。
この新刊書は、チャールズ・ペレグリーノ氏の「ザ・ラスト・トレイン・フロム・ヒロシマ(広島からの最終列車)」で、1月に出版された。キャメロン氏は文書で、自身が監督したヒット作「アバター」で科学アドバイザーを務めたペレグリーノ氏について「被爆者へのインタビュー取材における努力は議論を差し挟む余地はない」と評価し「具体的な製作予定は確定していないが、その意思になんら変わるところはない」と記している。
この新刊書は、広島への原爆投下の際、米軍の写真撮影機に搭乗していたという元米兵(08年死亡)の証言が虚偽ではないかと指摘され、登場人物の存在にも疑問が投げかけられたことから、出版社が今月、販売を中止した。キャメロン氏は「わずかな誤りのために、本が抹消されるのは遺憾だ」と批判した。【臺宏士】(毎日新聞 2010/03/10)

被爆の実相、証言で訴え=原爆展が開幕-NY国連本部
【ニューヨーク時事】広島、長崎の被爆の実相とその悲惨さへの国際理解を深めるため、ニューヨークの国連本部ロビーで3日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が主催する原爆展が始まった。核拡散防止条約(NPT)再検討会議の開幕に合わせたもので、6月末までの開催期間中、通訳を使って約20人の被爆者が交代で体験を語るほか、約50枚の写真パネルや遺品を展示して平和の尊さを訴える。
14歳の時に広島駅で被爆した平末豊さん(79)は「悔いて人生を終わりたくない。年齢を考えればここに来るのはこれが最後。1人でも多く話を聞いてもらえたらいい」と抱負を語った。
米国人ジョン・スタインバックさん(63)は、平末さんらの体験談に聞き入り、「平和への情熱がよく分かった。軍縮に携わる人々が集まる国連での証言は大変重要だ」と感想を述べた。
被団協による国連での原爆展は2005年に続き2回目。あいさつした秋葉忠利広島市長は「記憶を鮮明にしておくことが大切」と意義を強調。田上富久長崎市長も「できるだけの想像力を持って写真一枚一枚を見てほしい」と来場者に呼び掛けた。(時事通信 2010/05/04)

NYの学校で被爆映画上映 核廃絶「話し合いを」
【ニューヨーク共同】原爆投下後の長崎で、自らも被爆しながら被爆者の治療に当たった医師秋月辰一郎さん(2005年死去)の姿を描いたアニメ映画「NAGASAKI・1945~アンゼラスの鐘~」が4日、ニューヨークのセント・ルークス校で上映され、日米の生徒ら約60人が原爆被害や核兵器をテーマに議論した。
同校の招きで、「東京高校生平和ゼミナール連絡会」のメンバーや被爆者が訪問。
ロイド・フェン君(14)は「悲しくて何度も泣きそうになった。核をなくすには時間がかかるが、よく話し合うべきだ」と感想を話した。「核をなくすとテロリストの攻撃にどう対応すればいいのか」との意見も出た。
有原誠治監督は「映画を通じ平和について語り合う姿を見て、深く感動した」と語った。(共同通信 2010/05/05)

被爆少女描いた作家が平和訴え 「サダコの思い」世界に届け
【ニューヨーク共同】広島で被爆し、12歳で亡くなった佐々木禎子さんの折り鶴が展示されている米中枢同時テロ追悼施設。核拡散防止条約(NPT)再検討会議が始まった3日、兄雅弘さん(68)らを招いて開かれたセレモニーに被爆少女「サダコ」の話を世界に広めたカナダ出身の作家、エレノア・コアさん(88)の姿があった。「サダコの平和を願う心が世界に伝わってほしい」。折り鶴に思いを託している。
被爆10年後に突然白血病を発症し、生きたいと願いながら千羽鶴を折り続けた禎子さん。コアさんが1977年に出版した「サダコと千羽鶴」は米国やカナダの小学校で副読本として読まれ、サダコは世界で最も知られた被爆者とも言われる。
子どものころから日本に興味を持っていたコアさんは、戦後間もなく新聞記者として日本を訪れ、広島の惨状を見た。「すべてが破壊されていた」と大きなショックを受けた。
60年代に再び来日し、広島市の平和記念公園で禎子さんをモデルに建てられた「原爆の子の像」が目に入った。「この少女はいったい誰だろう」と興味を持ったことが著作のきっかけになった。(共同通信 2010/05/07)

NPT再検討会議:ノーモア・ヒバクシャ、私は忘却を恐れる 81歳、非核の叫び
【ニューヨーク加藤小夜、錦織祐一】ニューヨークの国連本部で開催中の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、各国政府代表が非政府組織(NGO)の意見を聞く会合が7日(日本時間8日)あった。核廃絶へ向けて、秋葉忠利・広島市長が「未来の世代のために力を注いでほしい」と演説。田上富久・長崎市長が「『核兵器のない世界』だけが、国際社会の永続的安全を保障する」と呼び掛けた。長崎原爆被災者協議会の谷口稜曄(すみてる)会長(81)が被爆者を代表して演説した。
被爆者代表で演説した谷口さんは、原爆の熱線を浴び真っ赤に焼けただれた自身の背中の写真を手に「人間が人間として生きていくため、地球上に一発も核兵器を残してはならない」「私は忘却を恐れます。忘却は新しい原爆の肯定に流れてしまう」と各国代表ら約400人に語りかけた。
16歳の時、郵便局員として郵便を集配中に爆心地から1.8キロの近距離で被爆。数千度の熱線に背中一面を焼かれた。1946年1月に米軍が撮影した治療中の写真を谷口さんが掲げ、スクリーンにも映し出されると会場は静まり返った。
「身動き1つできず、腹ばいのまま痛みと苦しみの中で『殺してくれ』と叫んだ。誰一人、私が『生きられる』と予想する人はいませんでした」。入院治療は4年間にも及んだが現在に至るまで完治はせず、右目の眼底出血など原因不明の症状に次々と襲われる。本人も「これが最後の渡米」と覚悟を決める。
最後に「私は見せ物ではありません。でも、私の姿を見てしまったあなたたちはどうか目をそらさないでもう一度見てほしい」とかすれる声を絞り出すように呼び掛け「核兵器は絶滅の兵器。ノーモア・ヒバクシャ」と訴えると、各国政府代表らは立ち上がって拍手を谷口さんに送り続けた。
証言を会場で聴いたロシアの政府代表の1人は「私たちは、第二次大戦の戦勝国としての見方しか持っていなかった。深く感銘を受けた」。再検討会議のカバクテュラン議長(フィリピン)は「(原爆投下を)2度と起こしてはいけないという強いメッセージを表現した」とたたえた。
演説を終えた谷口さんは「やるべきことはやった。しかしこれが終わりじゃない。話を聞いた人たちが(核廃絶を)実行につなげてもらわないと」と期待を込めて語った。(毎日新聞 2010/05/08)

広島被爆2世、11万9331人確認 親の被曝線量分析
広島県在住の被爆者を親に持ち、1946~73年に生まれた「被爆2世」が、少なくとも11万9331人いることが、鎌田七男(かまだ・ななお)・広島大名誉教授(内科学)のグループの研究でわかった。それぞれの親の被爆状況や被曝(ひばく)線量も分析した。被爆2世については、全体の人数すら把握されておらず、不明な点が多い。研究は、遺伝的影響を解明する足がかりとして注目される。
6日、長崎市であった「原子爆弾後障害研究会」で発表された。同グループは広島県と広島市が73~74年、県内在住で被爆者健康手帳を持つ約17万人を対象に実施した家族状況調査(記入式、回収率約80%)を精査。広島大原爆放射線医科学研究所が持つ、全国の被爆者約29万人の被曝線量などのデータと照らし合わせた。
その結果、被爆した父親を持つ子が6万6108人、被爆した母親を持つ子は7万5479人いることがわかった。両親とも被爆していた子は2万2256人だった。調査に答えなかった人の子や74年以降の出生も考慮すると、県内在住被爆者の子は13万人程度いたと推定できるという。
グループはさらに、判明した被爆2世の親の被爆状況や被曝線量を解析した。線量が0.5グレイ以上(おおむね爆心地から1.5キロ以内に相当)の親は6229人で、0.5グレイ未満の親は3万1874人だった。ほかに2万917人の親が2キロ以内で直接被爆したが線量は不明だった。原爆投下から3日以内に広島に入った「入市被爆者」の親は、4万1937人いた。
広島、長崎の被爆者を親に持つ被爆2世は全国で30万人以上いるとされるが、国は実態調査をしておらず、親の被曝線量と子の健康状態の関連も究明されていない。
鎌田さんは「原爆被害の全貌(ぜんぼう)を明らかにするうえで、広島の被爆者にどれほど子がいるのか突き止めたかった。被曝線量も含めて一定の数字が出せたことは、今後の2世研究の基礎になると思う」と話している。(加戸靖史)(朝日新聞 2010/06/07)

広島原爆:「黒い雨、より広域で」 日露専門家グループ、被曝との関係を報告
日露の放射線や気象の専門家グループが、広島への原爆投下後に降った「黒い雨」と放射線被曝(ばく)の関係など最新の研究成果を報告書にまとめた。「黒い雨」は降雨域や浴びた人への精神的な影響など不明な点が多く、被爆65年を機に「解明は科学者の責務」として作成した。グループの協力によるこの報告書を添え、広島市は7月、年4回の無料健康診断などの対象となる被爆者援護法に基づく「健康診断特例区域」の拡大を国に求める方針。【矢追健介】

◇広島市、特例区域拡大要請へ

グループは「広島“黒い雨”放射能研究会」で、広島大原爆放射線医科学研究所の星正治教授と京大原子炉実験所の今中哲二助教を世話人にする約20人。国内のほか、旧ソ連セミパラチンスク核実験場(カザフスタン)周辺の被曝実態を研究する露の学者も加わり、08年2月から知見の集積を進めてきた。
報告書は137ページ。グループは、黒い雨に含まれていたとみられる放射性物質「セシウム137」を、特例区域外にある民家床下の土壌から検出。被曝線量は最大で、爆心地から約2.1キロでの直接被爆と同じレベルと推計した。原爆投下後に立ち上ったきのこ雲の高さが、従来より4キロ高い約16キロだった可能性も指摘した。
国は北西方向に長さ29キロ、幅15キロを黒い雨降雨地域と定める。このうち長さ19キロ、幅11キロの楕円(だえん)が被爆者援護法に基づく指定地域(大雨地域)で、健康診断などの対象となっている。研究グループは、08年から広島市が実施した被爆者調査の黒い雨に関する回答約1800人分の解析も担当。黒い雨の体験地は現在の降雨域より広く40キロ程度の円になることが分かり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱える人がいることも判明した。
星教授は「被爆体験をした人が生きている限り、新しい知見を集め続けることが科学者の責任と考えている」と話している。(毎日新聞 2010/06/15)

反核イベント:「ホピの精神、被爆地へ」 先住民の子孫が舞踊披露??つくば /茨城
核兵器開発に伴うウラン採掘で被ばくした米先住民の「平和への願い」を日本の被爆者に伝えようと、広島と長崎の原爆忌に合わせて両地を訪ねる舞踊家のデリック・デービスさん(43)らが3日、広島訪問に先立ち、つくば市のノバホールで反核イベントに参加し、先住民の舞踊「フープダンス」を披露した。訪日を企画した広島の被爆者、村上啓子さん(73)=牛久市=も、別の先住民の演奏に合わせ、広島の被爆が風化する現状を危惧(きぐ)する詩を朗読。米国による65年前の原爆投下と、今も続くウラン採掘被ばくの痛みを共有し合い、核廃絶を訴えた。 2人は4?9日に両地を訪問、デービスさんはその後も約1週間かけ、国内各地でパフォーマンスを披露する。つくばのイベントは、県内で戦争体験を語り継ぐ女性の会が主催、自費で来日したデービスさんらの交通費を支援しようと、有料で開き、2回の公演で約400人が訪れた。
イベントで村上さんは、6月に現地で鉱山労働者の夫をがんで失った先住民女性(81)と会った経験を語り、政府による被ばく認定の審査が厳しいことや補償が十分に進まない実態に「不条理を感じた」と振り返った。
デービスさんは「すべては輪になってつながっている」ことなど示す5本の輪(フープ)を使い、踊りを披露。村上さんの知人で、2人を仲介した米国在住のミュージシャン、小塩賢さん(44)らの演奏に合わせ、輪で球体や鳥の翼などを形づくるなどして先住民の精神性を表現した。
デービスさんは76年の国連総会で核開発中止を呼びかけたホピ族の母を持つ。公演後、デービスさんは「自分の踊りを通じ、痛みを癒やすホピの精神性を両被爆地に伝えたい」と語った。【高橋慶浩】(毎日新聞 2010/08/04)

原爆題材に「誹謗中傷」 米作家が中止の経緯説明
広島への原爆投下を取り上げた本を書き、その後出版中止になった米国の作家チャールズ・ペレグリーノさんが9日、長崎市で共同通信などのインタビューに応じ「原爆というテーマを快く思わない人たちがおり、誹謗(ひぼう)中傷が相次いだ」と出版中止の経緯を説明した。
ペレグリーノさんは1月、「ザ・ラスト・トレイン・フロム・ヒロシマ(広島からの最終列車)」を出版。本に登場する米兵がうその証言をしていたなどの理由からその後出版中止になった。
ペレグリーノさんは「訂正の意思を示した後からも退役軍人らからの反発が強く、出版社が尻込みして改訂ができなかった」と話した。批判の中には「原爆の放射線は地上に影響を及ぼさなかった」と事実に反するものもあったという。(共同通信 2010/08/09)

米国人作家も平和祈念式典参列 キャメロン監督に促され
米国人作家のチャールズ・ペレグリーノ氏が9日、長崎の平和祈念式典に参列した。原爆投下をめぐる著作「ザ・ラスト・トレイン・フロム・ヒロシマ」を1月に出版したが、虚偽証言が含まれていたため出版停止になった。「大きなミスを犯した」と釈明したうえで「新たに聞いた被爆者の話を加え、書き直した」と再出版への意欲を示した。
4~11日の日程で来日し、6日の広島、9日の長崎の両式典に参加したという。「予想以上にインパクトがあった。世界中の人が見に来るべきだ」と感想を述べた。
著作は映画「アバター」が人気を博したジェームズ・キャメロン監督が映画化の権利を持っている。監督と訪問する計画があったが、1人でもよいから行くよう監督に促されたと明かし、「監督は映画化する気持ちに変わりはないと思う」と語った。(朝日新聞 2010/08/09)

映画:J・キャメロン映画化権取得の小説原作者が来日 「はだしのゲン」作者に取材、謝罪も
◇キャメロン監督「中沢さんアドバイザーに」
広島・長崎の原爆を描き、ハリウッドのジェームズ・キャメロン監督が映画化権を取得した書籍「ザ・ラスト・トレイン・フロム・ヒロシマ」の作者、チャールズ・ペレグリーノさん(57)が8日、広島市の漫画家、中沢啓治さん(71)を訪ねた。
作品は、被爆者や米軍関係者への取材に基づき、今年1月に米国で出版された。しかし、原爆投下に関与したとされる元米兵の証言が虚偽だと指摘され、販売中止に追い込まれた。毎日新聞も、同書が、漫画「はだしのゲン」や自伝など中沢さんの著作に書かれたストーリーを無断で使用しているうえ、中沢さんが創作した部分も事実として記載していると報道。その後、中沢さんに謝罪の手紙が届いた。
ペレグリーノさんは8日、中沢さんに改めて謝罪したうえで、広島での被爆体験を取材した。また、映画化計画が継続していることを明かし、「キャメロン監督は中沢さんに映画のアドバイザーになってほしいと考えている」と伝えた。ペレグリーノさんはキャメロン監督の映画「タイタニック」「アバター」などで科学アドバイザーを務めた。「ザ・ラスト……」の映画では、被爆地で何が起きたかを事実に即して克明に描く方針で、広島・長崎の原爆の日や被爆者・遺族を追加取材するため、4日から1週間の予定で来日したという。同書は改訂し、日本など複数の国で出版する予定だが、米国での再出版の見通しは立っていないとしている。
ペレグリーノさんは、米国民に被爆の実相が伝わっていないと指摘し、「長崎原爆を知らない人がいる。『ヒロシマで放射能汚染はなかった』と公言する人まで現れた。東西冷戦も遠い昔となり、核兵器への関心が薄れている」と危機感を語った。中沢さんは「真実から遠ざかっていくのは怖い。原爆がどんなものかを次の世代に知らせるのが漫画家や作家、映画監督の役割だ」と応じた。
ペレグリーノさんは9日、長崎市で会見し、同書改訂版(2訂版)が完成したと発表した。中沢さんらへの取材結果を盛り込んだ3訂版も予定しているという。【松本博子】(毎日新聞 2010/08/10)

米原爆本:出版中止原爆小説、取材し直し改訂版 映画化計画も継続 長崎市で作者会見
内容に誤りがあるとして米国で出版中止になった、原爆投下が題材の小説「ザ・ラスト・トレイン・フロム・ヒロシマ」の作者、チャールズ・ペレグリーノ氏(57)が9日、長崎市で会見し「改訂版を書き上げた」と発表した。同作はジェームズ・キャメロン監督が映画化を計画し、ペレグリーノ氏は「監督はまだ計画を放棄していない」と話した。
作品は、ペレグリーノ氏が二重被爆者の故・山口彊(つとむ)さんや米軍関係者ら約100人に取材して書いた。しかし、広島原爆で観測機の搭乗員だったと称した元米兵の証言が虚偽と指摘され、出版中止に追い込まれた。また、漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんに無断で作品から引用したことも指摘された。
ペレグリーノ氏は「徹底的に取材し直した。中沢さんには謝罪して了解を得た」と釈明した。米国での出版予定が立たず、外国語版が先行する見込みという。同氏は「米国では原爆の放射線で人は死なない、と言う人さえいた。批判された時は、山口さんの『被爆者のことを伝えてほしい』という言葉を心の支えにした」と語った。【扇沢秀明】(毎日新聞 2010/08/10)

広島・長崎への原爆投下、59%が「良い決断」 米世論調査
【ワシントン=弟子丸幸子】米世論調査会社ラスムセンが日本への原爆投下から65年を機に、8~9日に実施した米国民の意識調査で、広島・長崎への原爆投下について59%が「良い決断」とし、16%が「悪い決断」と回答する結果が出た。日本への謝罪の是非を巡っては59%が「謝罪は必要ない」と答えた。その一方で「謝罪すべきだ」との意見が20%あった。
原爆投下を「良い決断」と肯定する意見は男性に多く、77%に達した。女性は43%だった。68%の人々が「原爆によって多数の米国民の命が救われた」との認識を示した。調査は18歳以上の1000人を対象に実施した。今秋に訪日するオバマ大統領の広島訪問が焦点となるなか、世論の受け止め方が重要な判断材料の1つになる。(日本経済新聞 2010/08/12)

原爆投下:「次は新潟」65年前の8月13日、市内から人が消えた
にぎやかだった新潟の市街地に人影はなく、音も消えた。「ガラーンとして、猫の子一匹いないという言葉通り。不気味だった」。緑茶販売会社「浅川園」の会長、浅川晟一(せいいち)さん(104)=新潟市中央区=は、65年前の新潟・古町の情景をはっきりと記憶している。終戦2日前の1945年8月13日。大和百貨店は営業を中止し、ウインドーには郊外への疎開を急ぐよう市民に命じる役所の張り紙が掲示されていた。



当時の新潟市は今の中央区と東区の一部が市域で、人口は約17万人。大陸と結ぶ物資輸送の拠点港として、軍事上も重要な都市だった。しかし8月に入っても、なぜか米軍のB29爆撃機による大規模な空襲はなかった。同じように無傷だった広島市には6日、長崎市には9日に原子爆弾が投下され、一瞬で壊滅した。「次は新潟が新型爆弾にやられる」。市民に恐怖が広がった。
県は緊急に対応を協議し、当時の畠田昌福知事は10日付で市民に「徹底的人員疎開」を命じる布告を出した。「(広島市は)極メテ僅少(きんしょう)ノ爆弾ヲ以テ最大ノ被害ヲ受ケタ」「酸鼻ノ極トモ謂(い)フベキ状態」「新潟市ニ対スル爆撃ニ、近ク使用セラレル公算極メテ大キイ」。その文面からも当時の緊迫感が伝わってくる。
知事布告は11日に町内会を通じて市民に知らされる予定だったが、うわさは10日のうちに広まり、その日の夜から疎開が始まった。郊外へ通じる道は、荷物を山積みした大八車やリヤカーを引いて逃げる市民であふれた。郊外に知り合いがいない市民には集団住宅が用意され、13日までに中心部はもぬけの殻となった。



当時、兵器に使うアルミの製造工場に徴用され、工員の通勤定期券を買う係だった浅川さんは、疎開が許されず、出雲崎に家族を送り出し、古町の自宅に残った。軍需品や生活必需品の生産・配給、交通運輸、通信、電気供給などの重要業務に従事する者は残留を命じられたからだ。
「どんな新型爆弾なのか、想像もできないだけに怖かった。だが自分には職務があり、逃げるわけにはいかなかった」。誰もが国のために尽くすことを第一に考えなければならない時代だった。
浅川さんは、今の県庁近くにあった工場と、古町にあった交通公社の間を自転車で行き来するのが日課だった。15日朝、交通公社に出向くと、「正午から玉音放送というのがある」と女子職員から耳打ちされた。無人の街に響くラジオの音は聞き取りにくかったが、日本が戦争に負けたと知った。「正直、ホッとした。これで爆弾を落とされることはない」。恐怖から解放され、市民も疎開先から少しずつ戻ってきた。



実際に米軍が一時、新潟を原爆投下目標にしていたことがわかったのは、戦後のことだ。当時、市民が「次は新潟」と恐怖を直感したのも無理はなかった。
浅川さんはのちに広島、長崎を訪れ、資料館で原爆被害の悲惨さを知った。もし最初の原爆投下目標が新潟だったら、多くの市民が疎開をする間もなく犠牲になったはずだ。「新潟が免れたのは紙一重だった」と思うと同時に、被爆地の痛みも人ごととは思えない。
「軍人が日本を支配し、戦争を起こすような時代には戻してはいけない」。次の世代に託したい浅川さんの思いだ。【小川直樹】

<原爆投下目標> 米軍は45年7月25日までに広島、小倉、新潟、長崎を原爆投下目標に定めたが、8月2日の作戦命令で新潟を外した。新潟市が98年に「新潟歴史双書2 戦場としての新潟」を編集した際、執筆者たちは米国の公文書などを調べ、「新潟は工業集中地区と居住地とが離れ、原爆攻撃に適さない」「(爆撃機が出撃する)テニアン基地から遠い」などの判断があったと推定した。(毎日新聞 2010/08/13)

原爆小頭症の患者リスト「提供したのは私」 実名で告白
母親の胎内で被爆し、心身に障害を持って生まれた「原爆小頭症」をめぐり、1965年、極秘とされていた患者リストを匿名で支援者に提供した女性が28日、提供の事実を実名で証言した。女性は当時、米国が広島と長崎に設置した原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所)に勤務していた。患者リストが明るみに出たことで、同年に患者と家族の会「きのこ会」が結成され、国が患者を援護対象とすることにつながった。
証言したのは山内幹子さん(79)=広島市中区。この日、きのこ会結成に尽力し、9月に急逝した元中国放送記者の秋信利彦さんをしのぶ会が同市であり、その席上、秋信さん側に匿名でリストを提供したことを明かした。山内さんは2007年、朝日新聞の取材に、リスト提供を明かしていたが、実名での証言は初めて。
原爆と小頭症の関係を証明する論文は、広島、長崎への原爆投下の数年後に出され、ABCCがひそかに臨床研究を続けていたが、患者が誰であるかは秘匿されていた。きのこ会の関係者によると、患者は国の支援もないまま孤立していたが、リスト入手によって会が結成でき、会の働きかけによって国は患者を「近距離早期胎内被爆症候群」と認定、援護対象となった。
山内さんによると、患者のカルテは6ケタの番号で管理され、いくつもの資料室に分けて保管されていた。当時、山内さんは、唯一各部屋に出入りすることができる立場にいたという。山内さんは「私自身、女学生のときに被爆し(被爆者の研究はするが治療をしない)ABCCに勤める矛盾に苦しんでいた。理不尽さに我慢できませんでした」と打ち明けた。
「きのこ会」会長で、小頭症の兄(64)の世話を続ける長岡義夫さん(61)は「良心に突き動かされた、苦渋の行動だったと思う。それがなければ患者と家族は孤立したままだった。感謝します」と話した。(武田肇)(朝日新聞 2010/12/03)



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