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今日ボクが見た風景

白血病の発症3倍以上に 原爆投下日の入市被爆者

Category: 原爆  

白血病の発症3倍以上に 原爆投下日の入市被爆者
原爆投下後、家族を捜す目的などで2週間以内に爆心地付近に入った広島の「入市被爆者」の中で、投下当日の8月6日に入市した男性の白血病発症率が、通常よりも3倍以上高かったことが4日、分かった。鎌田七男・広島大名誉教授が、同日長崎市で開かれた「原子爆弾後障害研究会」で発表した。
鎌田名誉教授は「白血病発症への放射線の影響を否定できないことが分かった」としており、今後、放射線と別のがんとの関係を解明する鍵となりそうだ。
調査は、1970-90年の間に広島大原爆放射線医科学研究所などで診察を受けた、広島への入市被爆の白血病患者113人について、入市時期別に検討した。(共同通信 2006/06/04)

カナダで原爆劇を披露 現地「9条の会」主催
【バンクーバー(カナダ)26日共同】カナダのバンクーバーで25日、日本の憲法を守ろうと活動する在留邦人グループ「バンクーバー9条の会」の主催で、広島の原爆を描いた井上ひさしさんの戯曲「父と暮せば」の朗読劇が披露された。
当地で開催中の世界平和フォーラムのイベント。劇は原爆投下から3年後を舞台に、被爆死した父の亡霊と生き残った娘が対話するストーリーで、バンクーバーで活動する俳優の原真奈美さん(38)と金川弘敦さん(42)が、英語のせりふに「おとったん(お父さん)」「ピカ(原爆のこと)」などの日本語を交え朗読した。
当地在住の日系人のほか、カナダ人ら計約100人が聞き入った。(共同通信 2006/06/26)

証言CDネット公開 『被爆者の声』いつでも聞いて
東京都調布市の元長崎放送記者伊藤明彦さん(69)が4月に制作した被爆者の証言CD「ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない」を聞けるホームページ(HP)「被爆者の声」が完成した。インターネットが不得手の伊藤さんを助けたのが、CD制作を新聞で知った埼玉県所沢市のコピーライター古川義久さん(51)。協力の輪は、古川さんの母校、県立長崎東高の卒業生らの間にも広がり、HPは約1カ月間という短期間で出来上がった。
8枚組のCDには284人の被爆者の体験が収録され、650組が全国の資料館などに寄贈された。古川さんは4月に新聞記事を読み、「資料館に贈っても、死蔵されては意味がない」と感じ、「HPで、誰もが簡単に聞けるようにしよう」と提案。伊藤さんに代わって、古川さんがHP作成を請け負った。
週末に証言を音声ファイルのMP3に変換し、HP上に置いていった。さらに被爆の実体験をHP上でも聞きやすくしようと、思案の末、証言を文章化して目でも追えるように取り組み始めた。
ただ、日曜日に丸1日かけても文章化はCD1枚の4分の1以下。1人では困難と、母校の長崎東高校卒業生で、主に関東地方在住者が参加するメーリングリストで協力を呼びかけた。すぐに5人から手が挙がり、結局、同じ中学出身者と合わせて7人が協力。顔見知り程度や会ったことのない人ばかりが、ネットを通じて協力することに。
古川さんは「ネット時代らしい協力形態だった」と話す。一度も顔を合わせず、各自が分担して、週末や夜間に証言を文章化した。
古川さんは「長崎は他地域に比べて原爆に対する意識が高いから、協力してもらえたと思う。被爆者の証言はすごい迫力。多くの人が聞いて、原爆の悲惨さを知ってほしい」と話している。
HPのアドレスはhttp://www.geocities.jp/s20hibaku/(東京新聞 2006/07/08)

映画:原爆ではなく、人が人を傷つけたと訴えたかった

 米国の14歳が製作
◇NGO招き来日
広島、長崎への原爆投下と米国の秘密核開発「マンハッタン計画」をテーマにした短編ドキュメンタリー「ジニー(魔神)・イン・ア・ボトル アンリーシュド(解き放たれた)」(16分、日本題「魔法のランプのジニー」)を製作した米国の中学生、スティーブン・ソターさん(14)=シカゴ在住=が、国際交流NGO「ピースボート」の招きで14日、来日した。【大治朋子】

◇ドキュメンタリー・国連でも反響──広島、長崎、東京で上映

作品は昨年ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約再検討会議でも上映され、大反響を呼んだ。英国やスイスなどでも上映され、日本では22日、東京都内で開かれる東京平和映画祭で公開される。
ビデオ撮影が好きなソターさんは12歳だった04年夏、同級生のトレース・ゲイナーさん(14)とドキュメンタリーの製作を始めた。テーマは、教科書ではよく分からなかった「米国はなぜ原爆を開発し、日本に投下したのか」という疑問。約1年がかりでソターさんが撮影・編集し、ゲイナーさんがインタビューや音楽の作曲、演奏を手がけた。ソターさんは「原爆が人を傷つけたのではなく、人が人を傷つけたのだと訴えたかった」と話す。
作品は05年秋の「国際子供映画祭」の短編子供製作部門で最優秀賞などを受賞した。
インタビューで登場するのは最初の核反応実験で知られる物理学者、エンリコ・フェルミの元同僚のシカゴ大物理学者。さらに当時計画にかかわった科学者の夫人で、核戦争による世界の終末までの残り時間を示す「終末時計」(シカゴ大に設置)の製作で知られる芸術家など多岐にわたる。
17日に広島市、19日に長崎市で、それぞれ上映会や講演会などを開く予定。詳しくは「ピースボート」東京事務局(03・3363・7561)。(毎日新聞 2006/07/16)

原爆投下、米元大統領らに「有罪」
▽広島で「国際民衆法廷」
広島市中区の原爆資料館で開かれていた、原爆投下の違法性を問う「国際民衆法廷」は16日、原爆開発や投下に関与した米国のルーズベルト、トルーマン両元大統領や元軍人、科学者ら15人の「被告」を、国際法違反で「有罪」とする判決要旨を発表し、2日間の日程を終えた。米政府に対し、被爆者や遺族への謝罪と賠償を求める「勧告」も盛り込んだ。
約250人が傍聴。日韓の弁護士5人でつくる「検事団」が15日に朗読した起訴状に関して、近現代史研究者らが証言し、日本、米国、コスタリカの国際法学者3人で構成する「判事団」が合議した。
判事団は、毒ガスや細菌兵器の使用を禁じたジュネーブ議定書(1925年)や、「人道に対する罪」を規定した極東国際軍事裁判所条例(46年)を根拠に違法性を認定した。
代表して、米ラトガーズ大のレノックス・ハインズ教授(国際法)は「原爆投下は非戦闘員への大規模攻撃。被爆者は今も放射線被害に苦しんでおり、被告の罪は重い」と指摘した。
当時の政府首脳らと並んで被告と位置づけた米政府への「勧告」は5項目。被爆者への謝罪と賠償に加え、原爆投下が国際法違反であると認める▽核兵器を使用しない▽核兵器廃絶に努力する▽核兵器の違法性を米国民に教育する―ことを求めた。
判決に法的拘束力はないが、被爆者や研究者らでつくる実行委員会は、年内にも文書化し、米政府や国際司法裁判所などに送る。(石川昌義)(中国新聞 2006/07/17)

原爆集団訴訟 「黒い雨」など浴びた原告 68%に急性放射線障害
国に原爆症認定を求めた集団訴訟の原告のうち、爆心地付近で水や食料を口にしたり、放射性降下物を含む「黒い雨」を浴びたりした後、脱毛などの急性症状が出た人が68%に上ることが30日、共同通信社のアンケートで分かった。
直接被爆した人は87%で、爆心地から0.5-5キロだった。2キロ以上で被爆した45人のうち25人も黒い雨を浴びるなどした後、急性症状を起こしており、爆発による放射線だけでなく、残留放射線も含めた複合的な被ばくで急性症状が出るとする研究者などの指摘を裏付ける結果となった。
直接被爆でも距離や遮へい物などの条件で放射線量が少ないと原爆症は認定されず、残留放射線は考慮されないのが実情。爆心地から2キロが目安とされるが、国への意見では、判定が機械的とする不満がトップで、現行の認定制度の在り方があらためて問われそうだ。
7月上旬時点で提訴していた176人に調査票を郵送、100人から回答を得た。68人は広島、32人は長崎で被爆。6人は死亡した原告の代わりに遺族が答えた。死亡した6人を除く平均年齢は74.3歳。
爆心地近くに入り水や食料を摂取したのは61人、黒い雨を浴びたのは36人。どちらかを経験した73人で、脱毛など急性放射線障害とみられる症状が出たのは、幼少で覚えていない人などを除く68人全員。原爆投下後に爆心地付近に入った「入市被爆者」にも症状があり、全体では88人だった。
被爆直後から現在まで体調悪化に悩まされていると答えた原告は39%に上った。国の認定行政への不満は38%が「評価が機械的」と回答。「入市被爆者や遠距離被爆者の評価が厳しい」が23%で続き、「審査が不透明だ」は12%だった。
5月の大阪地裁判決は「放射性降下物による被ばくや(食料などによる)内部被ばくの可能性を念頭に置き、被爆前後の生活状況や健康状態を考慮するべきだ」と述べ、機械的に審査せず個別の判断が必要と示し、9人全員を認定した。
この判決に47%が「症状を個別に判断して認定した」点を評価。判決を受けて国が制度を変えることに「強く期待する」「やや期待する」との意見は89%に上った。
集団訴訟は14地裁で提訴され、31日に高知地裁にも提訴予定。8月4日に広島地裁で判決が予定されている。(中日新聞 2006/07/31)

原爆研究者のメモ発見 

旧日本海軍の核開発詳細に 米議会図書館に保管
京大の2人直筆 加速器製造果たせず

【ワシントン2日共同】太平洋戦争中に旧日本海軍から原爆開発を命じられた旧京都帝大(現京大)の荒勝文策研究室で研究に携わっていた科学者2人が、核反応をはじめとする基礎研究の実験記録などを克明に記載したメモ二冊がワシントンの米議会図書館で2日までに見つかった。戦中の核分裂研究の実態など未解明な点が多い日本の原爆開発史をひもとく上で貴重な史料となりそうだ。
終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)が接収、同図書館に移管された未整理の日本関係史料群に含まれていた。メモは原爆開発が本格化する以前の文書だが、開発に関与した第一線の科学者による直筆の一次史料は珍しい。
常石敬一神奈川大教授(生物・化学兵器)と共同通信の調査で、原爆関連史料のほかに、旧日本軍や南満州鉄道(満鉄)などの目録化されていない戦時中の日本側史料が1万点以上あることが判明。日本に存在しないものも多数あるとみられ、史料の保存が急務となりそうだ。
見つかったのは、旧海軍から原子核分裂の技術を用いた原爆開発を依頼された荒勝教授の下で、原子核反応の研究に使われるサイクロトロン(円形加速器)の製造を目指した清水栄氏(後の京大名誉教授)と、植村吉明氏(後の京大教授)が大学ノートに記したメモ。約220ページに上る清水氏のメモは「実験室覚書2」の表題がついており、サイクロトロンの製造を視野に1942年以降進められた高電圧加速器の開発過程が詳細に記されている。
約75ページの植村氏の「研究日誌」は41年以降の基礎研究内容を記載。ガンマ線をさまざまな金属に当てて核反応を調べる研究を行っていた記録や「昭和16年6月14日 Cyclotoron(原文ママ) 略 建設に決定」との記述があり、中型サイクロトロンの建設を41年夏に決定していたことが分かる。サイクロトロンは完成されないまま終わった。
清水氏は広島への原爆投下直後に現地入りした学術調査団の一員。54年のビキニ環礁での水爆実験では「第五福竜丸」から採取した灰を分析、水爆と突き止めた。

基礎研究の貴重な史料

日米の原爆開発に詳しい山崎正勝東工大教授(科学史)の話 ウランの核分裂など基礎研究の結果を記す史料としては貴重なもの。清水栄先生に生前「残っている唯一の史料」として1945年7月に海軍に提出された核分裂の実験データを見せてもらった。今回のメモにはサイクロトロンの電源装置の図が出てくるなど、サイクロトロン建造の準備段階が記されている。ただサイクロトロンを実際に使った形跡はなく、原爆開発そのものの内容を記した記述はない。原爆開発の前段階に当たる基礎研究の記録まで米側が接収していたことになり、日本の原爆開発を調査した占領軍の荒い仕事ぶりがうかがい知れる。(共同通信 2006/08/03)

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