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今日ボクが見た風景

自分流 平和の『虹』

Category: 原爆  

自分流 平和の『虹』
反戦 無言の訴えに『原爆の図』

1月28日、東京・新宿駅の西口地下広場で、反核、反戦平和を訴えた画家故丸木位里、俊夫妻の「原爆の図」が静かに掲げられた。2003年から毎週土曜、手製のポスターで反戦・平和を無言で訴えてきた人たちの活動に、夫妻の作品を所蔵する美術館が賛同。原画を撮影したフィルムを貸し出し、それをパネルに仕上げた。「絵の力はすごい。反応がこれまでとは違う」。新たな“同志”を得て、無言のアピールは4年目に入った。 (川崎支局・飯田克志)

「個人として反戦の思いを伝えよう」と、東京都世田谷区の主婦大木晴子さん(56)が知人と初めて西口広場に立ったのは、イラク戦争直前。01年の米中枢同時テロ以来、戦争のうねりが日本に押し寄せていると感じたからだった。
それから3年。インターネット、平和集会などで知り合った人たちが、思い思いのメッセージをこめたポスターやプラカードをつくり、土曜午後6時から西口広場に1時間たたずんできた。常連は十数人だが、新たに加わる人もいる。
昨年10月、大木さんは仲間と埼玉県東松山市の「原爆の図 丸木美術館」を訪れた。原爆投下直後の広島での体験をもとに、丸木夫妻が描いた全15作からなる「原爆の図」を見て、反戦への思いを新たにした大木さんたちは、作品を西口広場で掲げたいと美術館に打診した。
美術館側も「多くの人に知ってもらう機会になる」と、個人としては初めて原画のフィルム提供に応じた。パネルにする作品は、被爆の悲惨な情景の空に虹がかかる「虹」を選んだ。「希望を感じられる」(大木さん)という理由からだ。
丸3年を迎えた1月28日、人であふれるいつもの週末の西口広場で、大木さんらは「虹」と、美術館から借りた「水」「火」を掲げた。足早に通り過ぎながら「原爆の図」に視線を“止める”人。話しかけてくる人も…。「『原爆の図』が意思表示に加わることで会話も生まれる。自分流に平和への思いをつないでいきたい」。大木さんたちは立ち続ける。(東京新聞 2006/02/22)

広島・長崎の原爆被爆者 検査了承の45%が甲状腺疾患
広島・長崎の原爆被爆者約4000人のうち、45%が甲状腺の疾患を発症し、被ばく線量が高いほど、被爆時に年齢が若いほど、発症する率が高いことが放射線影響研究所(広島市・長崎市)の大規模調査で分かった。研究チームが1日、米医師会雑誌に発表した。
調査期間は2000―03年で、被爆から55年以上たっても放射線の影響が深刻なことが示された。発表した放影研長崎研究所の今泉美彩研究員は「今後も被爆者の健康状態を注意深く見ていく必要がある」と話している。
調査対象は期間中に定期健診に訪れた被爆者のうち、甲状腺の検査を了承した4091人。過去に甲状腺の病気になったことがあったり、新たに超音波検査や細胞検査で病気が判明したりした人は約45%の1833人に上った。
内訳は甲状腺がんが2%、良性腫瘍(しゅよう)が5%、液体がたまる嚢胞(のうほう)が8%だった。ほかに慢性甲状腺炎が28%あった。
甲状腺への被ばく線量がはっきり分かっている約3200人を分析したところ、慢性甲状腺炎と甲状腺機能低下症、甲状腺機能こう進症を除き、線量が高いほど発症が増える関係があった。また、発症率は被爆時に20歳以下で高く、若いほど急速に高くなった。
この結果を統計的な手法で分析すると、甲状腺がんの37%、良性腫瘍の31%、嚢胞の25%が被爆による分だと考えられるという。(長崎新聞 2006/03/02)

死の灰の影響、米が極秘調査…死産胎児の骨入手?
1950年代、米政府が、核実験の死の灰による日本人への影響を極秘に調査していたことが明らかになった。本紙記者が、米エネルギー省核実験公文書館で、機密指定を解除された当時の文書を入手した。
文書は、米原子力委員会のダドリー博士から、政府の計画にかかわっていた米ロチェスター大のスコット博士にあてられたもので、53年12月9日の日付がある。日本の漁船員がビキニ環礁での水爆実験の犠牲となった第五福竜丸事件の約3か月前にあたる。
調査の目的は、当時すでに50回を超えていた核実験で生じる死の灰の成分で、長く骨に蓄積する「ストロンチウム90」を測定するため。本来の目的は隠ぺいされ、表向きは「(自然界に存在する)ラジウムの分析」とされていた。
この極秘調査の存在は、1995年に放射能人体実験に関する米大統領諮問委員会の調査で初めて明るみに出た。過去の欧米の報道では、インドや豪州も調査対象になったことがわかっているが、今回入手した文書には、冒頭から「日本での(試料)入手に関心がある」と明記され、当時、広島・長崎の原爆による影響を調べていた「原爆傷害調査委員会(ABCC)」と在日米大使館の協力に言及するなど、日本に調査の重点を置いたことを示唆している。
日本が対象となったのは、ABCCの存在が隠れみのになるだけでなく、太平洋の核実験場に比較的近い地理関係にあることが重視されたとみられる。
文書は、死産した胎児だけでなく、死亡した乳幼児も対象に、日本からは「6~8体を分析に使う」としており、日本から死の灰が蓄積しやすい胎児や乳幼児の骨を入手する極秘任務に着手していたことがうかがえる。(読売新聞 2006/03/08)

原爆ドーム、2045年まで現状のまま保存 広島市方針
被爆60年を超え、れんがや鉄骨などの劣化が心配されている世界遺産「原爆ドーム」(広島市中区)の中長期的な保存方法を検討していた広島市は10日、被爆100年の2045年までは屋根をかけたり、建物を移転したりせず、現状のまま保存する方針を発表した。核廃絶を目指す世界のシンボルであり、最小限の補修をしながら被爆した当時のままの姿で現地に残すことにした。
被爆者や有識者、市民団体メンバーらでつくる市の「平和記念施設あり方懇談会」(座長・舟橋喜恵広島大名誉教授)が04年7月から今年1月まで議論した内容をもとに市が決定した。建物の傷み具合がひどければ、被爆80年の25年までに再検討する。
市によると、懇談会では屋根で覆う案や、原寸大のレプリカを現地に置き、実物は博物館などで保存する意見も出た。しかし、折れ曲がった鉄骨や崩れたれんがなど被爆の痕跡を現地でできるだけ多くの人に見てもらうため、いずれも採用しなかったという。
一方で、劣化を防止するため酸性雨や大気汚染の調査を実施し、修復の専門家を世界中から募るコンペも検討する。また、周期が比較的短いとされる安芸灘を震源とした地震に備え、震度6弱に耐える工事も早急に実施する。
また、いたずらなどから守るため立ち入り禁止としてきたドームの周辺には仮設の通路を設置し、期間限定で開放することも計画していく。(朝日新聞 2006/04/10)

被爆後の復興 鮮明に 長崎、広島を撮影、収集223枚
米人遺族が寄贈 放影研へ

第2次世界大戦後に原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所=放影研)の研究者として日本に滞在した米国人生物物理学者、ポール・ヘンショー博士=1992年に90歳で死去=が、被爆後の広島や長崎で撮影・収集した写真223枚が保存され、放影研(広島市・長崎市)に寄贈されていたことが24日、分かった。
放影研は8月5、6日に広島、同8、9日に長崎で行う施設の一般公開「オープンハウス」で展示する予定。
長男の動物生理学者、ロバート・ヘンショー博士(71)=ニューヨーク州オルバニー在住=が昨年寄贈した。写真はほとんどがカラーで、45?47年に撮影されたとみられるものが中心。広島市の原爆ドーム周辺に建物が建ち復興への動きが感じられる風景や、長崎で被爆した医師の故永井隆博士が家族と一緒に写った写真などが含まれている。
ロバート博士によると、ポール博士は原爆開発を進めたマンハッタン計画に42年から参加、放射線が細胞に与える影響の研究をしていた。46年に来日、広島や長崎で原爆被害を調査した。被爆地の惨状を知り、晩年は戦争の悲惨さを伝える活動を続けた。
ロバート博士は「戦争は2度と繰り返してはいけないという父の遺言をあらためて伝えるため寄贈した」と説明している。
放影研の大久保利晃理事長は「当時としては貴重なカラーであり、写真を見て広島、長崎の街の様子を知ってほしい」と話している。

<原爆傷害調査委員会> 原爆の放射線が人体に与える長期的な影響の医学的調査を主な目的として、米国学士院・学術会議により創設された研究機関。47年から広島、長崎を拠点に調査を開始。寿命調査、成人健康調査、遺伝学的調査などを行った。75年に日米共同運営の放射線影響研究所(放影研)に改組され、広島と長崎に研究所がある。(西日本新聞 2006/05/24)

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