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「東京裁判は誤りであった」ダグラス・マッカーサー

Category: 歴史  

朝鮮戦争 により日本の立場を理解し翻意し米国の正義を貫いた第一級の資料マッカーサー 証言

 1950年(昭和25年)共産党員弾劾のマッカーシー旋風が吹き荒れ、ルーズベルトもルーズベルトの側近も弾劾された。

ダグラス・マッカーサー
アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)1950年10月15日の発言
 当時裁判の最高責任者
マッカーサー 元帥が、昭和二十五(1950)年10月15日ウエーキ島におけるトルーマンとの会談で「東京裁判は誤りであった」と発言。戦犯処刑は昭和23(1948)年12月24日。処刑後わずか2年後である。

ダグラス・マッカーサー
 (アメリカ 、日本占領連合軍最高司令官・元帥)(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会において、聖書に誓い、証言)
戦犯処刑は昭和23(1948)年12月24日。処刑後わずか3年後である。わずか3年で東京裁判での、東條英機の宣誓供述に呼応し、認めているのだ


米国 議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答
 
質問者 ヒッケンルーパー上院議員
 五番目の質問です。赤化支那(中共:共産
中国 )に対し海と空とから封鎖してしまへといふ貴官(マッカーサー の事)の提案は、アメリカ、が太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。

 答弁 
マッカーサー 将軍
 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口(四千万)で、あとの半分(四千万)が工業生産に従事してゐました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けてゐる時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。
 これほど巨大な労働力を持ってゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い羊毛が無い石油の産出が無い
すずが無いゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。(注・その原料の無い日本が、真珠湾より先に宗主国のABCD包囲網で供給を断ち切られた。日本を亡国と化すために先に仕掛けたのは連合 国だ)
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、日本では一千万から一千二百万の失業者が発生(注・マッカサーは婉曲表現で失業者が発生と発言しているにすぎない。四人家族だとすると総数は四千万人から四千八百万人となる。工業生産従事者とその家族全員の四から五千万人が路頭に迷うことになる。国民の半分が路頭に迷うことになれば、失業などではない、まさしく亡国だ。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、失業などではなく、確実に日本は亡国なのだ。子孫と称する日本語も英語も分からぬれいの鳥瞰視点欠落した輩は、失業者対策のために起こした戦争と翻訳した。語るに落ちている。現代日本でも原料の供給を断ち切られたら、亡国は常識)し、亡国と化すであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れていました。したがって彼らが戦争を始めた目的は、大部分が護国のため(亡国防衛のため、安全確保のため)(by security)だったのです。

 ・・・
米海軍がフィリピン と沖縄を奪う頃には、海上封鎖も可能となった。そのために、日本陸軍を維持する供給は、次第に届かなくなった。封鎖したとたん、日本の敗北は決定的となった(包囲し封鎖米国 軍人は原爆投下に猛反対した)


 
・・・過去100年においてアメリカ が犯した最大の外交的過ちは、シナ大陸において共産主義者の勢力がのさばるに任せてしまったことである共産主義に対してのルーズベルトの無知を、非難している)

 

 この証言はニューヨーク・タイムズに全文掲載された。反日、侮日には下記を掲げればよい。

 

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
これらの供給が断ち切られたら、一千万人から一千二百万人の失業者が発生し、亡国と化すであらうことを、彼ら(日本政府・軍部)は恐れていました。


Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、大部分が護国のためだったのです。

 

大東亜戦争紐解く鍵、五種の文の一つだ。

 1928年から45年までの18年間の日本の戦争は「侵略戦争」だったとして「東京裁判」を開廷し、日本を断罪した正に張本人であるマッカーサー 元帥 が、その後、わずか2年後、そして3年後、自身の考えを180度転換、日本の戦争は「護国戦争」だったと言っているのです。つまり、資源が無い日本では籠城したら、資源が無いから負け。勝つために、自衛護国のためには、東亜の宗主国を倒し、東亜を独立させ、独立国東亜から資源を確保しながら戦う戦法しかない。侵略しなければ侵略される時代に、誰もが同じ戦法を取るだろうと、マッカーサー 元帥 が聖書に誓い、発言したのだ。

 朝鮮戦争東條英機宣誓供述書記載の、赤化防御を朝鮮戦争痛切に体験)でマッカーサー 元帥が、膠着状態打破のため「満州爆撃作戦」を立案することにより、島国日本にとって、朝鮮半島とその延長線上にある満州はまさに「国家の生命線」であり、ここが日本と敵対する国家・勢力によって支配されると言う事は、島国日本への資源供給を絶たれ、取りも直さず国家存亡の危機に直面する緊急事態であるという事を学んだのです。事実中国 (元)はこのルートで二度日本を攻めてきた。「満州爆撃作戦」は「侵略戦争」と決め付けた日本軍の作戦と同一であることに気づき、日本軍の護国のために誇りを持って玉砕する心根を、瞬時に理解出来たのです。「侵略戦争」だったらあのような壮絶な戦いは不可能だ。至誠一途な心根も、まさしく「自衛護国戦争」だったからだと。

 
東京裁判(1946.5~1948.11.)は誤りだったと。勝者が正義の時代に、戦犯処刑わずか2~3年後に前言を翻したことは非常に重要だ。マッカーサー 元帥と米国 は、世界征服をたくらむコミンテルンの悪の野望と、コミンテルンに操られたルーズベルトの陰謀に、日米国民が乗せられたことに気付き、アメリカの歴史に汚点を残すのを避け、大東亜戦争 開戦の詔勅 を認め、東條英機の宣誓供述に呼応し、まさしく豹変し、これも認め、真実を貫いたのだ。
 自虐教育の原点である東京裁判はマッカサーも認めたように誤りだったのだ。自虐教育・自虐報道はもうやめよう。

 1951年4月11日、更迭。1951年4月16日離日。4月19日引退。退任に際しての演説を行った。最後に、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die, they just fade away.)」の言葉を残す。

 1964年4月5日に老衰による肝臓・腎臓の機能不全でワシントンD.C.のウォルターリード陸軍病院で死去。84歳だった。偉人として国葬が執り行われ、日本代表として
吉田茂 が出席。

参考文献 『東京裁判 日本の弁明』小堀桂一郎、講談社学術文庫

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