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今日ボクが見た風景

先人は共産を凶産と喝破した最初の人類①

Category: 日本国民の心得  
先人は共産を凶産と喝破した最初の人類。先人が戦後の復興と隆盛を成し、東大文系一つまみとマスコミ(スパイと丸暗記屋)が破壊した。戦後の日本は考えない人文系(洗脳が簡単)と考える人理系に分断され、理系が戦後日本を復興し隆盛をなしたが、文系が史学とは無縁の善悪論にすり替え破壊し尽くしたと言える。

 負けると解かったアジア侵略戦争をし、天皇のロボットと洗脳された皇民化国民は、戦陣訓の訓えで皆玉砕や集団自決した。先人は極悪軍人とそのロボットと、真実史観は学校で洗脳された。資源なき小国の職業が戦争の軍人が、負ければ破滅の戦争をいとも簡単に始めるものだろうか、戦陣訓の訓え如きで人間がいとも簡単に自裁するものだろうか、先人はかくも愚かだったのか、そしてその同じ先人が奇跡の戦後復興を成し遂げられるものだろうか。サミット開始(1975年)から、有色人種日本だけが、なぜただ一カ国着席しているのか。現実界の道理と教育(言葉と文字)の乖離が、長い間私には疑問だった。

 極悪軍人と単なるロボット先人に、奇跡の戦後復興を成し遂げることなど不可能。特攻も玉砕も本人に逃亡の意思があれば、皆回避できた。しかし回避は家族の滅亡、国の亡国である。葛藤の果て。自己犠牲で家族子孫を生かす高みに皆、達していたと、遺書は語っている。住民の自裁は、住民もその時はと覚悟を決めていて、そこまで追い詰められた。日本国ではなく日本城と考えれば、解かりやすい。当時は戦国時代、ましてや戦争なのに、非難の声のみが溢れている。他にどんな解決策があったのかも答えずの先人非難は間違い。ピラミッド建設は虐待事業ではなく、雇用促進救済事業であった。先人の戦争は少なくとも、ナショナリズムなどという狭小なものでないことは確かだ。最適者生存、乖離を埋める鍵は、この辺にありそうだ。

 東大文系教授加藤陽子は「日清戦争以後、日本という国はほぼ十年ごとに戦争をしてきた国・愚かな戦争・日本軍の場合兵士に強いた労苦・日本兵は想像を絶する装備を背負っていた・海没による死者が多かった」等々歴史学(なぜどうしての起因検証)とは無縁の、善悪道徳学悲惨だ論尽くしである。先に殺さなければ殺される戦国の御世に人殺しが悪とは、なんと脳天気な?正体はルーピーかスパイと、自白している。

 戦争は、始まれば先に殺さなければ殺される両者の悲惨な殺し合いで、同士討ちもある。悲惨だ話を語り継ぐのは歴史ではなく、怨念を子孫に遺し、敵討ち奨励話となるだけで、日本憎め教育の、ロシア凶産中国韓半島罪日と同じ。意図有りのNHKや加藤陽子や3H(半藤秦保阪)らは、これみよがしに極悪軍人と吊るし上げて終始するが、敵味方の悲惨だ論や加害者被害者や極悪論は平行線で、何でも有りの戦時下のことを、平和時の尺度での善悪判断は、歴史学からの完全な逸脱なので、除外。本多勝一・左高信・小田実らはスパイ。ナショナリズムで煽り、金儲けが目的のナショナリズム史観(石原慎太郎、正論、アベスル、西村慎吾、中山成彬、櫻井よしこ上坂冬子、渡部昇一、田母神、ゴーマニズム小林よしのり、WILL、平沼赳夫、立ち枯れ党、つくる会藤岡信勝、西尾幹二日本会議等)も歴史学からの逸脱なので、除外。

 現実界には、原因無き結果など無い、すべて原因あっての結果である。現実界の歴史は、より食いつまみ食い創作物ではない。5W1H、事実か否かと検証し、事実のみを積み上げ考証する、理系と同じ空論皆無の実証学だ。歴史は善悪や道徳学(日本)でもない、愛国学(日本・ロシア・凶産中国・韓半島・罪日)でも無い、実証学だ。記憶能力のみが勝れたエリート高校生修業中と、ペーパードライバーかスパイの、つまみ食い東大教授ではなく、現実界普通の人が普通に、日本をどうするか、時代時代の為政者となって、ゼロから考えてみよう。プロは中途から検証で、アマはゼロからの検証である。ゆえに、大転換発見発明はアマとなる。

年表が語る歴史

タイと日本以外は全て食民治が日本開国当時の世界

1511年マレーシアは、ポルトガル、次いでオランダが進出し、1819年イギリスが食民治経営に着手、後にイギリス領マレーとなる。

1521年フィリピンは、マゼランが来航しスペインの食民治。1899年米西戦争の結果、スペイン領からアメリカ領。

1691年モンゴルは、中国清の支配下。

1770年オーストラリアはクックが上陸し、イギリス領を宣言。

1777年インドネシアは、オランダが食民治支配。

1824年ビルマ(ミャンマー)は、1824年からの3度のビルマ戦争の結果、1886年英領インドの一部となる。

1840年ハワイは、米英仏などの列強の干渉から逃れるため、ハワイ王カメハメハ3世は、立憲君主国として国際的地位を主張した。しかし、国際社会に認められるために多くの米国人を官僚に起用したため、1898年米国に占領された。

1858年インドは、イギリスの直轄地。

1863年カンボジアは、シャム(タイ)やベトナムの圧迫で衰え、フランス領インドシナに編入。

1887年ベトナムは、1804年中国の封冊(ほうさく)を得て、カンボジア・ラオスを併合したが、19世紀半ばよりフランスに侵略され、清仏戦争後、清の宗主権放棄でフランス領インドシナに編入された。

タイ(シャム)は、19―20世紀始め、イギリスフランスに東西から侵略され、国土の一部を失ったが、イギリスとフランスの緩衝地帯として内政干渉されながらも、独立を維持した。

中国と韓半島と日本

1392年韓半島高麗34世で滅ぶ。部下の李成桂が高麗国王を倒し国号を朝鮮とした。以後宗主国明、清の属国となり、身分制度(凶産化)で愚民にした。軍隊を持つと自分が裏切ったように狙われるので、持たず、軍隊も清に依存した。朝鮮は暗黒の時代となった。

1851年1月中国太平天国とその乱。土地私有を認めず、1853年南京占領、天京と改め首都とし、太平天国を国名とした。清軍と米人ウォード(1862年戦死)、翌年から指揮英人ゴードン常勝軍(外人部隊の義勇軍)の活躍で、1864年に天京落城し滅亡。

1853年7月日本はぺりー来航で以後開国した。

1854年日米和親条約。アメリカ船の下田函館寄航、薪水食料購入など。

1854年10月日英和親条約

1855年2月日露和親条約

1856年1月日蘭和親条約

1858年5月中国愛琿(あいぐん)条約。ロシアと清朝の条約。清がイギリスフランスとの紛争や太平天国の乱に苦しんでいるのに付け込み、ネルチンスク条約(1689年アルグン川・外興安嶺を両国国境とした)を無視。黒竜江左岸をロシア領、ウスリー川以東の沿海州を共同管理地とし、黒竜江、松花江、ウスリー川の航行権を認めさせ領土を拡張した。ロシア征服南下。

1858年7月日米修好通商条約。領事裁判権を与え、関税自主権がなく、居留地を設ける、最恵国条款を認めることなどを内容とした、不平等条約。同年英仏蘭露とも同様の条約を結ぶ。安政五カ国条約。

1860年中国アロー戦争(第二次アヘン戦争)。英仏連合軍北京入場、北京条約締結。イギリスへの九竜割譲、天津開港等の条約。食民治主義の、中国食民治化加速。

1860年中国北京条約。アロー戦争の結果、英仏露との条約。ロシアは英仏仲介の代償として。ウスリー川以東の共同管理地沿海州を領土とした。王朝末期に弱体化した清朝はロシアの進出を抑えきれず、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約2つの不平等条約によって、満州地域の黒竜江以北及びウスリー川以東のいわゆる外満州地域(現在のウラジオストクを含む)は、ロシアに征服されることとなった。ロシアはウラジオストク(ロシア語の意味“東方を征服せよ”)を建設、極東侵略の拠点とした。ロシア征服さらに南下。

1861年日本2月3日~7月25日まで6ヶ月間ロシア艦隊は日本の対馬を占領した。当時ロシアの南下占領政策を警戒した英国は、軍艦を対馬に派遣してロシア軍を対馬から排除。

1862年日本倒幕の志士高杉晋作藩命で視察。上海の検分記録「中国人はほとんどが外国人の召使のようだ。英仏の人が街を歩けば、中国人の人は傍らによって道を譲る。上海は中国の領土だが、英仏の植民地ともいえる」と記されている。唯物の欧米を診た唯心高杉晋作は、以後尊王攘夷論の急先鋒となる。

1863年日本幕末の薩英戦争(英対薩摩)

1864年日本馬関戦争(英米仏蘭対長州藩)

1867年日本大政奉還。明治維新。適者成人の戦国時代対所のため、軍民一丸適者生存軍と化した。「それでも日本人は『戦争』を選んだ」の、能動ではなく、最適者生存のため已むに已まれずの選択である。

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