今日ボクが見た風景

スポンサーサイト

Category: スポンサー広告  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

驚くべきは日本人を食い物にして平気という道徳観念

Category: 日本国民の心得  
正論 2005年 11月号

引揚民間人を襲った 朝 鮮 保 安 隊 の略奪・暴行・殺戮の嵐
(一部抜粋)
「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、
 今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
 辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
 そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、
 ついで 朝 鮮 人 の 保 安 隊 に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、
 虐殺されている光景であった。
         (中略)
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する
 ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。
 娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
 みなソ連兵を 朝 鮮 人 が案内したのだった。
 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
 一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
 城津での惨状は言語に絶した。(中略) 朝 鮮 人 の 男女が数十人の団体でおしかけ、
 干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
 あげくは婦人の“提供”を要求されたという」
     博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた

関連動画
終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ01
http://jp.youtube.com/watch?v=bDjPZXw0yHg

終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ02
http://jp.youtube.com/watch?v=aXPoy_5OFxY&feature=related






日米韓】朝鮮半島から引き揚げた日本人少女の苦難描いた小説が米国の学校教材に 韓国系米国人ら反対 [02/16]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1171622427/

 1945年夏。朝鮮半島北部の羅南から、母と姉の3人で釜山への過酷な逃避行が続く。病人が
行き倒れ、日本人女性が朝鮮人に暴行目的で連れ去られるのをあちこちで目撃した。

【米韓】韓人教師の努力実る・・・171の学校で”ヨーコの話”撤去決定。「ごみ処理で積まれた本を見て万感の思い」★2[05/27]  
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1180267628/
 


【日韓】「あれでも穏便に書いたのです」 … 「韓国人が日本の少女強姦」で物議の米教材『ヨーコの話』の著者[02/03]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1170457031/
作者は、小説に登場する韓国人の日本人女性強姦シーンについて、「当時に見たままを文章で
書いていたら、読者たちは恐怖でぞっとしただろう」と主張して、「幼い読者のためにやんわりと表
現しようとしたつもりだが、それでも韓国読者を怒らせた点は謝罪する」と述べた。









レイプじゃないけど意外と知られていないのが、サハリンの残留婦人。
終戦と同時に朝鮮人の乱暴が始まり、十代から二十代の
日本女性が無理矢理嫁にされて、10人からの子供を
産まされている。
子供がいるために日本へは帰れない。
それを左翼婆は、日本人が朝鮮人を差別していた事で
戦後に鬱憤が爆発してそういった行動に出たと説明してた。
おい!不満があったら何しても許されるのかよ。

事実を知れ

「在日と結婚し北に行った日本人妻」はほとんどが好きこのんで在日と結婚
したのでは無いよ。朝鮮進駐軍と名乗って在日が暴れ回っていた頃に結婚し
てる人がほとんど。なぜか? 在日が日本人女性を当時多く強姦してたから。
妊娠してしまい、親との縁を切られた人も結構いた。そういう人たちを奴ら
が嫁(事実上の奴隷)にしたんだよ。朝鮮人が日本人女性を嫁にする=征服、
という価値観が彼らにあったんだよ。
という書きこがあった。

自分はこの話しを信じる。なぜなら樺太に残留した日本人女性を支援する活動
をしているという女性が、NHKのラジオで同じようなことを話ていたからだ。

樺太に残留した日本人女性を支援する活動をしているという女性が、NHKのラジ
オで話ていた。 樺太に残留した日本女性は、ほとんどが終戦後レイプや脅迫によ
って朝鮮人の妻にさせられた女性です。脅迫というのは、自分と結婚しないと、ソ
連当局に密告して家族全員を収容所送りにしてやる、というような脅しだったらしい。
終戦から2年後ぐらい後に日本の船が日本人を迎えに行ったときは、すでに妊娠
していたため帰るのをあきらめたという。

「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年」新井 佐和子 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794207980/ii-22/249-3887511-5097148







 如何なる名乗りであらうと、朝鮮人は大暴れしました はっきり申しますが、高齢の
邦人女性が朝鮮人と結婚したのは全て強姦されたものと思って先づ間違ひ無く、だ
から誰もなれそめなどに触れません

 最も大々的に行はれた犯罪行為は、空襲で焼け野が原になった空地の不法占拠
です 余りにも頻發するので、わざわざ刑法改正して「不動産侵奪罪」を新設したくら
いです 現在駅前一等地で朝鮮人が営業してるパチンコ屋、焼肉屋は斯る來歴のも
のです


終戦後の第三國人どもは本當に酷かった 軍の兵器を盗んで來たらしく、三八式歩兵銃や
南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人
まで、経済犯、實力犯を中心にあらゆる悪事を重ねてゐた 

土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、殊には、
空襲や疎開で一時的に空いてゐる土地が片端から強奪された 今、朝鮮人が駅前の一等地
でパチンコ屋や焼肉屋を営業してゐるのは、皆、あの時奪った罹災者の土地だ 

彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩して
いた。通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、
白昼の路上で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。







金素雲も嘆く在日朝鮮人の横暴

日本人はなぜ朝鮮人が嫌いか、差別されるには朝鮮人の方にもそれなりの原因
がある、という筆者の論は決して間違っていないと思ふ。例えばあの有名な朝鮮
人詩人の金素雲氏は、その自伝の中で次のように書いている。

日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいというのが、その当時
(昭和の初期―筆者注)同胞の間では常識化していた風習だった。

「お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!」――こちらにはこ
んな腹があったが、引っかけられた日本人の側では恨み骨髄にならざるを得な
かった。家賃をもらうどころか5,6ヵ月分の家賃に当たる金を<立退料>という
名目で払わなければならなかった。こんなとき、その仲介の役割を果たすのが、
いうなれば叔父の職分だった。(同胞が集団居住する町には、こんなブローカー
が必ず何人かいた)

1,2年ただで住んでは<立退料>をせしめて家を空けてやることもあったが、時
には引っ越した次の日に大家から立退料を取ってまた引っ越していく、そんな場
合もあった。 その立退料の半分ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの
懐に入ってくる。もちろんこれは4,50年前の昔話ではあるが、こんなやり口が
その後長い間い年月を通じて、大多数の日本人の生活感情の底に<チョーセン
ジン>を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも事実である。
                  
               中村 粲   文武新論 平成5年7月10日






田岡一雄山口組組長の回顧録「山口組三代目 田岡一雄自伝」より転載

一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。途中で四、五歳の女
の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。この世のものとは思えぬ女の狂気
じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。少女の母親は木立の中で数人の男
に犯されていた。飛行服の男たちだった・・・
                 (中略)
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲
食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のど
ん底に叩き込まれた。こういった不良分子(朝鮮人)は旧陸海軍の飛行服を好
んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを
首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯
を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげたかれらの略奪、暴行には目にあまる
ものがあった。警官が駆けつけてきても手も足も出ない。「俺たちは戦勝国民
だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げ
られ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。

「田岡組長が神戸の静かな住宅街を歩いていると、小さな子供が一人で歩いてきた。
不審に思ってその子供に問いかけるとこどもは向こうの方を指差した。
そこには、その子供の若い母親が三人の朝鮮人に強姦 されていた。
田岡組長が助に行くとその朝鮮人が向かって来たが、
二人の眼球をえぐると一人は腰を抜かして逃げていった。
しかし、その若い母親は気が狂っていた。上品な顔立ちの美しい女性だった」

山口組三代目 飯干晃一 著 より





直江津駅リンチ殺人事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E6%B4%A5%E9%A7%85%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

・直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)

信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って乗り込もうとした
ところ、ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、デッキにぶらさがって直江津駅
まで行った。彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、
仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄ったが、日本人乗客が
「窓から乗り込むという方法はない」と反駁したので、「朝鮮人に向かって生意気だ!
ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫んで、その乗客をホームへ引きずり出して、パイプや
スコップで滅多打ちにして殺害した。
朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに終わって
しまった。
なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、急遽設けられたのが
「鉄道公安官」制度である。
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/crime.html




※鳩山一郎首相(鳩山由紀夫民主党代表の祖父)を袋叩きにした朝鮮進駐軍


 其最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に
對する集團暴行・傷害事件がある <その、集団>

 翁が軽井澤の静養先から帰京しやうとして信越本線の汽車に乗って居
たら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鐵道員を突き
飛ばし押入って來て、俺達は戦勝國民だ、おまへら被支配者の敗戦國民
が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、此車両は朝鮮進駐軍が接収
するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな! と追ひ立
てた <軽井沢、鉄道、この>

 其で鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座ってゐるのにそりゃお
かしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、忽ち大勢飛び掛かって袋
叩きにし、鳩山翁を半殺しにした 幸にして重体にも重傷にも至らなか
ったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった
痛々しい顔で帰京した <それ、たちまち>

 年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、如何に
不出來な孫にせよ 孫共は此を知らんのだらう <いかに、これ>

 直後に總理大臣に成る程の大物でも如斯 況や庶民に於てをや 土地
も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 闇、賭博、傷害、強盗事件が
多く、殊には、空襲や疎開で一時的に空いてゐる土地が片端から強奪さ
れた 今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業してゐる
のは、皆、あの時奪った罹災者の土地だ

三国人の不法行為
http://1st.geocities.jp/koreapeacenow2001/didi/sangokuzin.htm







「中坊公平・私の事件簿」(中坊公平2000.11.22)の中に、一つ在日の犯罪が載っている。

借金を返済しない在日韓国人を法律的に追いつめたところ、中坊弁護士が暴行を受けたのである。
後頭部を打ち付けられて怪我した中坊氏。

「お前こんなことしていいと思ってるのか。こっちは頭に傷を負って出血してるんやぞ。」
すると、彼の連れてきた暴力団風の男は予想もしない行動に出ました。私の目の前で「お前、俺をやったな」と
言いながら、自分で自分のカッターシャツを両の手で力任せに引き裂き、ばーんとボタンを弾き飛ばしたのです。
そして、「俺かてお前にこうしてやられてるやないか」と言う。

その後、警察に行くと在日側の弁護士に暴行で訴えられた。幸いにも証拠と証人があり、冤罪が証明されたの
ですが、街宣車が家まで来て「民族差別を許すな!」。
これじゃあ、弁護士もいやになるだろう。


http://www.youtube.com/watch?v=J53DISMjHuc





崔洋一が日本映画を駄目にした
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1226631913/328
 このごろレイプ事件がよく報道されている。
 それを読みながら、かつての在日朝鮮人活動家たちによる、
隠された<日本女性レイプ事件>を思い出す。
 古い資料だが『マルコポーロ』1993年9月号に、梁石日、崔洋一、鄭義信の鼎談が掲載されていた。

 崔「一時流行ったんだな。左翼の日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」
 鄭「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね」
 梁「男の風上にもおけんなあ」
 崔「梁さん、唇、震えてますよ(笑)」

 映画監督の崔洋一は笑っているが、笑い事ではないのである。
 朝鮮問題に関わる政治運動をしている日本人女性たちが、在日朝鮮人活動家に警戒心を無くし、
朝鮮人と二人きりになった時にレイプされるという事件が、少なくなかったのである。
 そして、彼女たちは「反体制意識」を持っていたがゆえに、警察に通報することもなく、泣き寝入りした。
周囲の日本人からは、運動団体内でフリーセックスが流行っていると思われていたが、実態は朝鮮人左翼による
日本女性のレイプであった。
 「我々は人権を重んじる」と自ら主張していた在日朝鮮人の活動家たちが、何故そんなことをするのか。
また、日本の女性たちは、左翼活動家とはいえ在日朝鮮人男性が訪ねてくると、なぜ警戒心を無くして
部屋に上げてしまったのか。
 今はどうなのか知らないが、昔はそういう時代であったのである



李珍宇事件を思い出すな

連続強姦殺人鬼なのに
俺は未成年の朝鮮人だから無罪だ!と叫んで
それに日本の進歩的な連中が応援したと言う狂気もいい所だ。
面白半分に強姦されて殺された少女や女性が哀れでならないし
これが無罪になってたら、朝鮮人は日本人女性を強姦殺人しても罪にならないって
悪しき前例を作る所だった











『置き去り―サハリン残留日本女性たちの六十年』  吉武 輝子(著) 海竜社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759308792/250-6225082-6668210

 敗戦より60年目の夏を迎え、国家から見棄てられたため集団自決したり残留孤児になったりした<満州開拓移民>の悲劇を思い出す人も少なくないだろう。しかし、同様の悲劇が、北方のサハリン(樺太)でもおきていたことを知る人は多くなかった。吉武輝子さんのこの新著は、その北辺の戦争悲劇に、<聞き書>という方法をもって正面から取り組んだ労作である。
 アイヌ民族やギリヤークなど自然民族の民住地だったサハリンは、19世紀にロシアが植民地とし、20世紀初頭、日露戦争にによって日本が南半分を領有してからは40万の日本人が暮らしていた。その中には、太平洋戦争期に入って強制連行されたりした朝鮮人4万人あまりも含まれていた。
 そして1945年の8月、ソ連の参戦=サハリン侵攻によって、在住の日本人・朝鮮人は地獄を体験、死者はおよそ
1万人にのぼった。15日の日本降伏の後にも、ソ連軍による空爆や潜水艦による引揚船攻撃は続き、多大の死者
が出ているのは、戦争の現場とはこのようなものなのだろうと察しられて、本当に慄然とさせれる。
 そしてそういう最初の悲劇の大波が引いたあとも、もっとも弱い立場にある若い日本女性の上には、新たな苦しみの波が襲ったのだった。すなわち、日本敗戦により戦勝民族となった朝鮮人の中には、日本国家への反感憎悪を近くにいる日本女性に向けて噴出させた人もいないわけではなかったからである。
 この状況において、若い日本の女性たちはどうしたか。彼女たちの多くは、生きるために朝鮮人男性の妻となり、子供を生み、その家族愛に惹かされて、サハリンに留まり生きざるを得なかったのだた。そして吉武さんは、今は70、80代に達した彼女たちに親しく接して、その事実と心情とを克明に記録さtれた。消滅寸前の人間体験と心情とが、辛うじて歴史化されたことを喜びたい。
(略




【東亜】 戦後、大陸からの引き揚げ中に「強姦被害」に遭った日本人女性たち ~堕胎施設の元看護師が語る隠された悲劇 [08/14]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1282309113/

引き揚げ 葬られた胎児 65年目の「遺言」3
戦後、大陸から最多の人が引き揚げてきた博多。女性たちの隠された悲劇がそこにあった。

万葉集にも詠まれた福岡県筑紫野市の二日市温泉。福祉施設の裏手に、穏やかな顔つきの
水子地蔵がひっそりと建てられている。赤ちゃんを胸元でしっかりと抱いている。1946年3月
から1年半の間、ここに、大陸からの引き揚げ中に強姦被害に遭った女性たちの堕胎施設が
開設されていた。国公認の「二日市保養所」。木造2階の建物とドーム屋根の温泉があった。

「母親の感情が出てしまうから、絶対にオギャーという泣き声を聞かせたらいけない。医師か
らそう言われ、私も首を絞めました」当時20歳の元看護師、村石正子さん(84)は約3ヵ月、
看護師10人の1人として連日のように手術に立ち会った。

終戦後の大陸では、直前に宣戦した旧ソ連軍の兵士らの暴行が女性たちを恐怖に陥れていた。

「マダム・ダワイ!」(女、出てこい!)。市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」のメンバー
山本千恵子さん(73)は9歳の時、今の北朝鮮東部でサーベルを持ったソ連兵が毎晩のように
怒鳴り声を上げ、若い女性たちが床下に隠れていたことを覚えている。「当時、辱めを受ける
のは死に値するようなことだった。引き揚げ船から海に身投げした人もいたと後に聞きました」


二日市保養所の開設は、今のソウルにあった旧京城帝大の医師らでつくる「在外同胞援護
会救療部」が旧厚生省に働きかけた。引き揚げ船内で「不幸なる御婦人方へ」と題し、利用
を促すチラシが配られた。地元紙には旧厚生省と連名の広告も掲載された。



村石さんは日本赤十字社の旧京城救護看護婦養成所で終戦を迎え、種子島の母方の実家
に身を寄せていた。そこへ呼び出し状が届いた。約15キロ北西の博多港に引き揚げ船が着く
たび、女性たちがトラックの荷台に乗せられてきた。

「男に見せかけるためか髪を短く刈り、やせて汚れていました」。村石さんたちは「お帰りな
さい」と手をとり、温泉で背中を流してあげた。女性たちはほとんど何も話さなかった。


器具で胎児を出す手術は、医薬品不足で麻酔なしだった。「頭のほうから両手を握ると、指が
折れると思うほど強く握りしめられました」。「ちくしょう!」と叫んだ女性もいた。妊娠5ヵ月以上
なら陣痛を促し、出てきた胎児の命を絶った。

子どもの首を自ら絞めたのは、昼休みで食事に行こうとしていたときのことだ。苦しそうに
「看護婦さん」と呼ぶ声が聞こえた。赤ちゃんの頭が出そうだった。医師は休憩中でいない。
とっさに首に手をかけた。子どもの髪の毛は赤く、鼻が高かった。かけつけた医師は、いつも
のようにメスを子の頭に突き刺した。

「望まれない子どもであっても命は命。ただ、当時は、女の人たちに無事に故郷に帰って
もらうことに意識が集中していました。胎児たちは5、6本あった桜の木の根元に埋葬された。
「考える集い」が1998年につくった冊子に掲載された保養所の元医師の証言によると、施設が
閉鎖された47年秋までに400~500人が手術を受けたという。

村石さんは結婚後、看護師を続けながら3人の娘を育てた。50年間、保養所のことは家族を
含め誰にも話さなかった。しかし96年ごろ、跡地に水子地蔵が建てられていると元同僚から
聞き、97年春の供養祭で初めて体験を明かした。2人の医師は亡くなり、今では唯一とも
いえる語り部だ。

9月18日には九州大学で開かれるシンポジウムで証言する。大勢の学生らの前で話すのは
初めてのことだ。痛ましい記憶を話すのはつらい。「けど、あの女性たちは自分の傷を誰にも
言えなかった。それを思うと、私が話さなきゃいけない」と感じている。「戦争は女こどもが一番
つらい目に遭うんです」
●引き揚げ
厚生労働省の記録などによると、終戦時、軍人・軍属・民聞人を合わせて660万人以上の
日本人が海外にいた。各地の引き揚げ者は博多が1947年、佐世保が50年までに各139万人、
舞鶴は58年までに66万人など。

二至村菁(にしむら・せい)・トロント大学アジア研究所客員研究員によると、舞鶴でも旧国立
舞鶴病院で堕胎手術が行われた。引き揚げ体験を語り継ぐ「引揚を記念する舞鶴・全国友の
会」の藤村正巳・事務局長は「隠れた悲劇」と話す。

(2010年8月14日土曜日 朝日新聞 朝刊 30面 より記者が書き起こし)


敗戦直後の日本女性強姦についてはソ連兵が悪名高いが、実際には
朝鮮人によるものがダントツで多い。

「水子の譜(うた)」上坪 隆
----- ドキュメント引揚孤児と女たち -----
http://www.ebookjapan.jp/shop/book.asp?sku=60009096&genreid=10010

二日市保養所の資料は、六月十日の報告書
183 ページ "地域別と加害者"
これは、2ヶ月分だけの記録
加害者の6割が朝鮮人だと示しています。

尚、記録に残っているのは堕胎手術を受けた女性だけで、
前途に絶望して帰国船から日本を一目見ただけで身投げ
をした女性もたくさんいました。







和夫一家殺害事件 敗戦直後の朝鮮の状況
(前略)
日帝時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。ところが、和夫一家殺害事件のように、韓国人は自分たちの間違いを、日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し、事件を矮小化、隠蔽しようと躍起になっている。
(略)
当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには、朝鮮人の小作人たちから、法の規定以上の小作料を取り立てる、怪しからぬ人々もいたが、ふだんから人情味の厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一とし、村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。

 自分たちの生活が困らなかったので、総督府の法令にしたがって、やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。

 貧しい小作人が食料がないと泣きつけば、喜んで食べるものを分けてやったし、村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん、自ら慟哭して、悲しみを分かちあうこともあった。このように、和夫は人間への温かい愛情をもった、真の人間だった。

また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたが、その数は、一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。

 和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。
しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした一九四五年八月十五日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。
(略)
彼がわが子のように育て、東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に、彼の家で教育を受け、育ち、成人した青年たちが、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は、次のように証言している。

和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを、子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ、失せちまえ。

和夫:(怒ったような声で)私が、お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち、みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり、お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは、私もふだんから待ち望んできたことだ。
 踊りでも踊りたい気分の日に、なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。
 朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け、育ててきた結果は、つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。
お前たちが望むなら、帰ってやるわ。

A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら、おれたちはどうやって食っていくんだ?)

B:死ね、チョッパリ、シッパルノマ。

 間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。
 このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まったところに引きずっていった。

 そしてなんと十三人がかりで、ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を、強姦しはじめた。
(金ソンス君は、この期に及んで自分が止めに入ったら、自分も殺されただろうと言った)。

 強姦に耐えられなかった彼女は、行為の途中で死亡し、Dは、ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出して、まき散らした。

 和夫には、一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは、放課後、家に帰ってきて、両親の身に起こった惨状を見、気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に、近隣住民たちは眠れなかったそうだ。

 その後、孤児になったヒミコは、食べ物を乞おうと、その付近をさまよったが、朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず、知らないふりをした。

 結局、彼女は九日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時、ヒミコは小学校六年生の幼子だった。和夫の財産は、勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り、この事件は村人たちの沈黙の中、しだいに忘れられて行った。

書籍「親日派のための弁明」 金完燮 より

全文http://housai.iza.ne.jp/blog/entry/259737/






66 :日本@名無史さん[sage]:2010/11/19(金) 01:32:48
古今東西、やっても問題なかったら、みんな強姦したいんだよ
強姦犯人は死刑とかチンポ切れとか言ってる偽善者も
やれる状況なら喜々として、フル勃起、目玉ひんむいて、射精するぜ
強姦の快感は一度あじわったら、普通のセックスがつまらなく感じるってよ by再犯者




72 :日本@名無史さん:2010/11/20(土) 00:42:35
娘は年頃になる高床式住居の1階に寝て、村の若い男がかわるがわる種付けに来る。
そのころは荻野式とかなかったけれど、女は子宮でその時を知るから、
どの男の子供か分かる。
そうやって、生殖力の強い男子の直系が増えていって、今の時代の人口爆発のもととなった。



83 :日本@名無史さん[sage]:2010/11/26(金) 01:37:15
別に朝鮮人が特別ってわけじゃなくて
誰でも姦れる状況なら喜々として姦るでしょう
ここで鮮人の悪口書いてる連中もな
おいらも若い女を押さえ付けて強姦したいよ



85 :日本@名無史さん[sage]:2010/11/27(土) 02:14:05
>>83
正しい意見
混乱時で捕まらないなら、ほとんどの男は大喜びして強姦するもの
俺の意見をバカというヤカラも、喜々として姦る
間違いない







日本女性が満洲や朝鮮半島で多数強姦されてた事実が有りながら
「男なら強姦大好き、だからお互い様」なんて発想は日本人じゃ出来んだろ


>>83みたいに「強姦は男の本能!」なんて言って凶悪犯罪を陳腐化、

相対化しようとするのは連中の手法そのもの





118 :日本@名無史さん[sage]:2010/12/13(月) 14:21:25
この看護婦、鬼かよ。
強姦された上に孕んだからって、罪のない赤子を殺すことないだろう
キリスト教国なら孤児院建てて、育てるのに、メス赤子の頭に刺すとは
日本人がどれだけ野蛮で冷酷か証明してる。

731部隊が罪のない中国人を丸太と称して人体実験したのも真実だと思う






なるほど通州事件の日本人被害者の写真を
731の支那人犠牲者アルと捏造した例の話をしろというフリだね



>>118
お前が養育費を負担して育てるのか?
強姦朝鮮人のアイノコが成長して日本人の女性を蹂躙して回るのが見たいのか?
こういう前後関係を考えずに脊髄反応する在日とそのシンパの糞レスには
ほとほと吐き気がする






「レイプで逮捕された在日の一覧表」
http://koreanscrime.zymichost.com/





「渡日韓国人一代」 金鍾在 述 玉城素 編 1978年 図書出版社
(著者の金鍾在は1916年渡日、戦後東京韓国学園初代校長をつとめた。)


戦後、一時に職を失った在日朝鮮人同胞は、生計を支えるために
いろいろな仕事にたずさわったが、そのうち数多かったものに酒の密造がある。
朝鮮の伝統的な手法による濁酒(マッカリ)の製造もあれば
旧日本軍隊の隠匿物資の工業用・航空用メチルアルコールを加工してアイデアル・ウィスキーと名づけて販売する者もあった。
そのメチル酒を飲んで生命を失ったり失明したりする騒ぎが頻発したため、日本治安当局も米進駐軍の力を借りて一斉検挙に乗り出した。
手入れを受けた各地の朝鮮人集落は、たちまち蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
警察に挙げられたり起訴されたりする者も続出した。
三国人の覚せい剤密造は警察の力により日本では壊滅したが
彼らが莫大な利益を手にする手段を手放すわけがなく
韓国を製造拠点として日本へ密輸を始め、我が国は再び覚せい剤に汚染されることになるが


驚くべきは日本人を食い物にして平気という韓国人の道徳観念である。





現在においても なにも変わっていない。
関連記事

« »

05 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
NASA Visible Earth
Web page translation
Flag Counter
free counters
xxx
全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。