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大学非常勤講師ってこの程度の人間でいいんだw ヤバイね日本の教育

Category: 日本の病原  
大学非常勤講師ってこの程度の人間でいいんだw ヤバイね日本の教育 2011-11-17 22:05:02NEW !
テーマ:教育







http://ameblo.jp/silegrainnemeurt/entry-10974199685.html

高史明(たかふみあき): 1980年03月25日生まれ、31歳。

埼玉県出身。 現在は埼玉県を拠点に、大学非常勤講師として活動中。

神奈川大学/東京学芸大学に所属。

社会心理学無宿。



偏見とか特性推論とか自伝的記憶の研究。

趣味:読書、園芸、バイク、オカリナ

興味:生態学尊敬する人:S.J.Gould,Carl Sagan 好きなミュージシャン:

YUI,いきものがかり,BUMP OFCHICKEN,宗次郎






死ぬまでに成し遂げたいコトは何ですか?


死ぬまでに成し遂げたいこと。
難しい質問ですね。たとえば研究の性質上、ここまでやれば死んでもいい、というような目標は設定できないです。また有名になって何々賞を取る、というようなことにも興味が持てません。となると僕は死ぬまでに何を成し遂げたいのだろう。

非現実的な話としては、僕は社会的な問題以外には、生態学とか海洋学とか古生物学とかに興味があるわけです。ただ自分の中の優先事項としてそれらに深く関わることができないわけですが。それらに没頭できるぐらい、今やっている仕事が成果を上げればいい。僕が社会的問題なんかに気を揉まないですむ世界にできればいい。

現実的な話としては、定職が欲しいです。死ぬまでに得られるか不安です。





「偏見」をなくす、あるいは減らす方法を教えて下さい。
できれば、一般の人でも活用できるようなものが知りたいです。



最も日常的で効果が実証されているのは、マイノリティの友達を作ることです。
これは「接触理論」と呼ばれています。

まず自分の偏見を低減したいときには、「直接接触」です。名前の通り、マイノリティと直接のお友達を作ること。
最初はネガティブな態度を持っている場合には、友達を作るというのは難しいかもしれません。
でも、えいやっと飛び込んでみましょう。
大抵の人間関係は最初に思っていたほど不安と苦痛に満ちたものではないし、
友達との関係が、その友達を含む集団全体への偏見を低減することに役立つでしょう。

またもし自分ではなく家族や友達の持つ偏見を低減したいときは、
自分自身がマイノリティと良好な関係を築き、そこでした楽しい経験や自分の感情を話してあげるといいでしょう。このような、間にだれかを介した接触は「拡張接触」と呼ばれ、近年注目されています。
この拡張接触のメリットは、マイノリティとの接触に不安を抱き、自ら接触したいとは思わないような人でも、
友達がマイノリティと友達になることは阻みにくいことです。

またこれらの接触は現実のものに限定されません。
創作物を視聴したり、あるいは単に良好な接触を想像するだけでも、偏見は低減します。
自分の場合にも他人にそう促す場合にも、有効な方略だと思います。

この他には、インターネットの利用が偏見を強めることが分かっています。
具体的にどのサービスが関与しているかはまだあたりをつけているだけですが、直感でお分かりかと思います。
そうしたものを遠ざけることも偏見をこれ以上強めないことに役に立つでしょう。



http://theinterviews.jp/fumiakitaka




偏見 ってこんな事でしょうか?



一色正春氏は昨年の沖縄尖閣沖での中国漁船衝突事件の真相を明かすと称して「sengoku38」名でビデオを公開し、依願退職することになった人物で、皆さんも記憶に新しいのではないかと。



この人物についてのみ詳しいプロフィールを書いているのは、この記事が隠された事実を明らかにするぞ、っていう姑息な印象操作のつもりなんでしょう。

でも尖閣ビデオ、特に目新しい事実はなくてただ水しぶきが飛んでたのに愛国者が興奮しちゃっただけなんですけど。真実を伝えるというか、まあ、ちょっと人と違う種類の正義感が明後日の方向に空回りする人物でね。



とか

 元仙台市長の梅原克彦氏は、Wikipedia(2011/4/24取得)によれば、チャイナタウン構想にチャイナリスクなどを理由に反対。チャイナリスク。

在任中にタクシーチケットを大量に不正に使い込んで処分を受け、任期限りで引退したそうです。
とまあ、プロフィールを見ただけで食あたりしそうな面子が連れ立って被災地に行ったわけですよ。


とか




そして産経。震災以来たびたび大きなデマの震源地になり、

もはや報道機関としての体をなしていません。

またもや信頼性0どころか

マイナスのソースの情報を裏づけも取らずに

右から右へと垂れ流す誤用メディア
っぷりを

披露して下さいました。今度は何をやってくださるのでしょうか。



とか






高尚に差別偏見を批判する人がコレwww



そんな あなたの 処方箋


自分の偏見を低減したいときには、「直接接触」ですyo

友達を含む集団全体への偏見を低減することに役立つでしょうyo

創作物を視聴したり、あるいは単に良好な接触を想像するだけでも、

偏見は低減しますyo
産経新聞  愛国者  食あたりしそうな面子 

遠ざけることも偏見をこれ以上強めないことに役に立つでしょうyo





それと もっともらしい事言って 言葉で商売したいんなら

よく 調べもせず 他人様に対し 偏見で レッテル張りして ホルホルすんの止めなさい


皆さんこんにちは どう見ても真性な人の私です
http://ameblo.jp/silegrainnemeurt/entry-10974199685.html







http://twitter.com/#!/Fumiaki_Taka
天才社会心理学者 高史明


在日でないが名前が在日みたいなので苛められた経験があり在日擁護


歪んだ人間性が研究にも現れている









心理学の世界では、こんな人が学者なんですな。



心理学者の中では際立った業績を持つ偉い学者ですwww


心理系専攻した時点で終わっている




大学院って、文部科学省のおフレで定員満たさなけりゃならないから、
行く所無い馬鹿でも入れる。
結果、ますます低知能化してるんだよ。







一般的には常識とされている普遍的なテーマ
http://ameblo.jp/hinoeuma-v/entry-10908440512.html
どうせ この程度のくだらない論を 人様にぶつけて 「俺って頭イイ~!」とか

勘違いしてる奴の類 なんだろうな この小物w










安易な「差別語」認定は麻薬である
しかも大麻のように気持ちを落ち着かせ感覚を鋭くさせる働きをするのではなく、バッド・トリップした場合はアルコールや幻覚剤のように作用する、タチの悪い麻薬だ。

ある種の人々が、ある言葉を文脈とは無関係に語彙レベルで「差別(用)語」と認定したがるのは何のためか。その多く(ほとんど100%?)は、他人の発話した文の中にその語が含まれているか否かのみによって、その文が差別表現であるかどうかを判断し、含まれている場合は発話者を差別者として非難し、糾弾し、自らを正義の高見に置くためである。これはおそらく、ものすごい快感をもたらすのだろう。いったん中毒になると、正常な判断力は失われ、なかなか常用をやめることができなくなる。

「アルコールや幻覚剤のように」というのは比喩でもなんでもなく、「差別語」に対する固定観念と先入観と偏見によって、文字通り存在しないものが彼らの眼前に現れるのである。まるでアシッド食って鏡を見たらゴリラと肩組んでたとか、腕が痒くて掻いたら肉がポロポロと削げ落ちて緑色の骨だけになっちゃった!とか、そのレベルの幻覚を彼らは見ている。

たとえば社会心理学者の高史明 (東京学芸大・神奈川大/非常勤講師)は、ツイッター上でのATOK標準辞書の「言葉狩り」問題に関する私との論争 (高本人によれば、あくまでも私への「おちょくり」)において、私に対し開口一番こう言い放った。

ちょうせん→チョンが変換できるべきならねとうよ→ネトウヨも変換できるべきっていうのが間違った相対化とはこれまたドデカイ天然さんだなぁ
http://twitter.com/Fumiaki_Taka/status/38945965989830656
最初に小倉秀夫との会話として始まり、途中から高史明にスイッチしたこの議論の記録はここ にまとまっているが、もちろん私が「ちょうせんと打ってチョン」と変換すべきなどと主張している箇所はない。

その件に関連して私が言及したのは、「何を差別語とするかについてコンセンサスができていないなら、ジャストシステムが自主的に判断するのは当然」で、それに異を唱えるのは「無責任な外野の立場」という小倉秀夫の発言に対して

仮に「ちょうせん」と打って「チョン」と変換されてもあなたはその「自主的な判断」を尊重しますか?
http://twitter.com/kdxn/status/38792199944679424
と問い、「それは機能的におかしい 」という小倉の当然の返答を経て、


「ちょうせん」と打って「チョン」と変換されるのが「機能的におかしい」のなら、

日常語彙が変換されないのも「機能的におかしい」
http://twitter.com/kdxn/status/38792703126802432

と私が答えている部分である。これが、高史明には「ちょうせん→チョンが変換できるべき」と言っているように見えたらしい。しかし、私がそのような発言をしていないことを指摘すると、彼はこう言ったのだ。


あ、ごめんなさい他の人と間違えましたw誤認されたくなかったら元通り小倉先生のところにお帰り下さいw
http://twitter.com/Fumiaki_Taka/status/38946974799495168
ところが、「他の人」など存在しないのである。この議論の最中に小倉秀夫に対して「ATOKは標準辞書にチョンを収録すべきだ」などというムチャクチャな主張をした人はいない(いたら小倉センセーが黙っているわけがない)。つまり高史明には、私と対話を初めてわずか15分の間に存在しないものが二つも見えたのである。



彼のバッド・トリップはその後もつづく。



「ネトウヨが変換できたらおかしい理由は何ですかネトウヨさん?」

「あなたの政治指向なんか知らないけど差別語に強い執着のある人だというのはよく分かった」

「(白痴という言葉は)歴史の古さはともかく大人は恥ずかしくて使えないという意味ではスラング」



彼は私の「政治指向なんか知らない」状態であるにも関わらず、このForces of Oppression の作者である私が「ネトウヨ」に見え(!)、本屋に並ぶドストエフスキーの小説の表紙にでっかく印刷されている「白痴」がスラングに見え、ATOK標準辞書から「工夫」「小人」「白痴」「下賤」といった特定の語彙が排除されていることに異を唱える者(ここでは私、問題提起の発端は別の人)が「差別語に強い執着のある人」に見えてしまう(このメタ視点の欠如については稿を改める)。

何よりも、自分で相手を「ネトウヨ」呼ばわりした直後に、ネトウヨという言葉を「大人は恥ずかしくて使えないという意味ではスラング」と定義してしまうのだから、これでは高自身が「俺は子供だ」と言っているのと同じである。

つまり、存在しないものは山のように見える一方、自分自身(発言者としての立ち位置、あるいは論理を構築する理性)は完全に見失っているのだ。

高史明の現在の研究テーマは「偏見・ステレオタイプ」「攻撃性と自尊心・自己愛 」だそうだが、

他人様の偏見や攻撃性、自尊心を研究するよりも、自らの頭をカポッと開けてその中身を研究したほうがよほど早いのではないか?インターネット上の「議論」で安易に何かを「差別語」認定し、それをもって他者の発言の何かを批判している人たちの多くは、同様の状態に陥る。それは彼らが、誰もが共有できる客観的な概念としての「差別語」が存在すると思いこんでいるからなのだが、これには実は根拠がないのだ。

「差別(用)語」というのはあくまでマスメディアなり何なりが自主的に語彙を集めてガイドラインをつくり運用しているものにすぎず、収録語彙はまちまちである。小倉秀夫の使う「床屋」という言葉だって、かつて放送では「差別語」、あるいはそれと同等の扱いをされていた(呼び名はいろいろある)。

だから当然、ジャストシステムがATOK標準辞書から排除した語彙の中に、他では「差別語」とされていないものが含まれているだろうし、逆に標準辞書に収録た語彙に放送コードその他で「差別語」のように扱われていたものも多数ある。つまりそれらを包括した、一般的な意味でのカギカッコなしの差別語などというものそれ自体が、「存在しえない」のだ。

言語学的な立場からすれば「差別(用)語」などというものが存在しないことなどはすでに常識なのだが、彼らはそのことすら知らない。民族や職業、あるいは身体的特徴など、特定のカテゴリーを貶めるための侮蔑語(その多くはスラング/卑語)は「差別語」にかなり近いが、「工夫」「小人」「白痴」「下賤」がそういった語に該当しないことは明らかだ(そこから説明しなければならないのは、本当に文字通りの意味で相手が子供の場合だけであろう)。

つまり、「言葉狩りをやめよ」という主張は、換言すれば「その言葉は《差別語》ではない」という主張と同義であり、「差別語」というカテゴライズそのものに異議を唱えるものなのだから、それに対して「差別語を使いたい人」だとか「差別語を収録しないとどんな不便があるのか」などとあたかも共有された概念としての「差別語」の存在を前提として反論することには意味がない。それは単純な論点先取であり不当仮定にほかならない。

にもかかわらず、上記のまとめリンクにおいて小倉秀夫も高史明も「差別語」という言葉を一切再定義することなく、一切の疑いを持つこともなく、ひたすら自明のものとして使用していることに注目したい。

これが「安易な差別語認定」に耽溺する者の特徴である。

そういう状態だから論理で反論できなくなるのは当然で、いきおい「ネトウヨ」だの「酔っぱらい」だの「えらそう」だの「失礼」だの「おちょくっているだけ」だのと、対論者の属性や態度に負のスティグマを刻印し、自分の優位性を強調することだけに汲々としてしまう。

高史明が何度も何度も「俺はおちょくってただけなのだ」などと悲痛な叫び声をあげるまでもなく、そんなものが「論争」として成立しないのは当然だろう。

「◯◯は差別語だ」という強固な思い込みは、その論点そのものを見えなくしてしまう、

あるいは「なかったことにしてしまう」のである。

その上で、彼らはただひたすら対論者をデモナイズすることを繰り返す。

いったいなぜ、そのような振る舞いになるのか。



「それが快感だから」以外に合理的な理由は思い当たらない。




http://kdxn.tumblr.com/post/3468134623






やっぱ こんなのw

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