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今日ボクが見た風景

インドネシアの華人

Category: 中国  

インドネシアの華人問題を取り上げて見たいと思います。

「我々インドネシア華人には、30年周期で不幸がやってくる」 - とは、親しいインドネシア華人がよく漏らす言葉です。聞く度に、なんとも物悲しくなる台詞です。

では、インドネシアでの「30年周期」とは、一体どのような過去だったのでしょうか。以下に、「周期」に関係なく、インドネシアにおける華僑・華人に関わる暴動・虐殺がらみの重要トピックを羅列します。歴史の認識から、インドネシアの華僑・華人問題を簡単に紐解いて見ましょう。

① 1740年10月 「紅河事件」
オランダ人による、バタビア(ジャカルタ)で起こった華僑・華人虐殺事件。
1730年代の後半にバタビア周辺の製糖業が衰退すると共に、本国から多数の広東人が来航したこともあって、多数の華僑・華人がバタビアの市外に住みついた。オランダ東インドネシア会社は治安の悪化をおそれ、1740年に彼らの一部をセイロン島に移そうとした。ところが華僑・華人の間で、沖合いに出たところで海に投げ込まれるという噂が立った。同年10月に入ると華僑・華人住民が市外に集まり、市の防衛施設を攻撃するようになった。このため市内のオランダ人などヨーロッパ系住民はパニックに陥り、同年9、10日に市内に住む華僑・華人のほとんどを虐殺した。犠牲者の血で川が赤く染まったとして、華僑・華人はこれを「紅渓惨案」と呼んでいる。

② 1942年9月 「9月20日事件」
日本軍がスマトラ島で華僑や抗日組織に対して行った大量逮捕事件。華僑とインドネシア人約2000人が逮捕され、545人がシアンタール収容所に拘禁された。華僑抗日協会の創設者で主席でもあった陳吉梅をはじめ、幹部十数名は1944年3月に銃殺された。

③ 1959-60年 「インドネシア政府による華僑・華人の農村居住禁止令」
13万6000人が中国へ帰国を余儀なくされた。

④ 1965年9月 「9月30日事件」
スカルノ政権崩壊のきっかけとなった、スハルト陸軍戦略予備軍司令官(当時)によるクーデター阻止と、その後の“赤狩り”。
このクーデターに関与したとされるインドネシア共産党に対し、徹底的な弾圧が行われ、同党は壊滅。その間、共産党員や大陸系華人など、50-100万人の人々が大量虐殺の犠牲になったほか、数多くの大陸系華人が中国への帰国を余儀なくされた。教育・文化面でも、インドネシア政府は、「華僑学校における民族教育、語学教育の禁止」、「華字誌の発行停止」、さらに「中国政府と取り決めた二重国籍協定の適用停止」など、インドネシア国籍を持たない華人に対する差別待遇措置をとった。

⑤ 1967年10月 「インドネシアと中国の外交関係が完全凍結」

⑥ 1973年8月5日~8日 「バンドゥンにおける反華僑・華人暴動」
イスラム教育の盛んな西ジャワ州バンドゥンにおいて起こった、インドネシア人と華僑・華人との対立から生まれた暴動。

⑦ 1974年1月 「1月15日事件」
1月14日に田中角栄首相がインドネシアを公式訪問した際に起こった「反日・反政府暴動」が、その後排華運動にもつながった。

⑧ 1998年5月 「ジャカルタ大暴動」
1997年7月に始まったアジア通貨経済危機に重なり、スハルト政権と華人政商に対する市民の怒りが爆発し、

ジャカルタの各所で華人経営の商店やスーパーマーケットなどが略奪・放火され、

さらに多数の華人女性が暴行されるという事件が発生した。

とりわけコタ地区やグロドック地区などのチャイナタウンは、この5月暴動において、

放火・略奪などの大きな被害を受けた。

5000以上の華人商店と住宅が襲撃を受け、1200人余が死亡し、数十万人が国外へ非難したと言われる。


これら以外にも、小さな反華僑・華人暴動は多く起きています。

ここでは、代表的なものだけ取り上げました。なお、説明文の一部は「華僑・華人事典」(弘文堂)から引用しています。

こうして見ていくと、インドネシア華人に関わる『30年周期で起こる悲劇の歴史』というのは、

『30年周期で起こる大暴動と理不尽な虐殺』と言うことがわかります。


①の「紅河事件」は、今から265年も前の話なので「30年周期」からは除外されるのでしょうが、

「ジャカルタから華僑が1人もいなくなった」と言われる大虐殺事件です。

想像するだけで、背筋が寒くなります。

一方で、「30年周期」で言えば、④「9月30日事件」から⑧「ジャカルタ大暴動」が、

ほぼ30年ということになります。このために友人は、

「両親から“2030年前後にもう一度、反華人大暴動が有り得る”とこと有る毎に言われている」と言います。

何ら根拠は無いのでしょう。わゆる、トラウマです。

何とも悲しい限りですが、これがインドネシア華人の根底にあるメンタリティーと理解するしかありません。

祖先が中国を追いやられ、インドネシアに移民 ⇒ 歴史に翻弄され、移民先の国で迫害を受ける ⇒ 中国へ戻りたいが、受け入れを拒否される場合もあった ⇒ 仕方なくインドネシアにとどまり、やるせない思いの中経済活動に精を出すことで社会的地位を確保する ⇒ 金持ち批判の中で、必ず標的になるのは華人 ⇒ インドネシアで生まれ育った第3世代華人にとっては、何とも理解できない差別観念と「30年周期」への恐れ…。

インドネシア華人について論じる場合、

彼らと彼らの両親世代に根深く在るこのメンタリティーを理解しない限り、

彼らの生活にせよ経済にせよ何ら真相には近づけないと言い切ってよいでしょう。



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