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なぜか。戦死をしたら靖国神社に祀(まつ)るというのは、法律などに規定があるわけではない。だが、それは戦死するかもしれない人々と、残された人々との黙契(もっけい)であるからだ。黙契であるからこそ、万が一にも戦死をしたら生き残った人々、すなわち大臣から一般庶民に至るまで、自分に感謝と慰霊の参拝をしてくれると信じて、命を的(まと)に戦うことができたのである。
また、自分の家族が戦死しても、大臣から一般の人々までが、参拝をしてくれることで、遺族も心を癒やされるという一面があった。そして何よりも大事なのは、国家が祭祀(さいし)を行うということなのだ。靖国神社に祀られている英霊は約250万柱。そのほとんどは男性である。統計があるわけではないが、そのまた多くが若者であり、独身者であった。彼らは結婚もしたかったであろうし、子孫も残したかったに違いない。しかし、国家のため、郷土のため、家族のため、それらの希望を断ち切って戦死せざるを得なかったのである。
子孫のいない英霊は、家庭において、親や兄弟が祭祀をする。しかし、親は亡くなり、兄弟もやがて亡くなっていく。その後は、甥(おい)や姪(めい)が祭祀を継続することになるのだろう。だが、その甥や姪もいずれは亡くなる。100年たったら、誰が祭祀をするのだろうか。子孫はいないのだ。国家しかない。だからこそ、子孫を残せなかった戦死者は、国家が半永久的に祭祀をしなければならないのだ。
国家、国民のために、自己のあらゆる可能性を放棄せざるを得なかった戦死者に対して、国家が何もしないのならば、今後、国家、国民のために命を捧(ささ)げようという人は出てこないであろう。戦犯とされた人が合祀(ごうし)されているとか、神道形式だとかというのは、些末(さまつ)な問題にすぎない。これからの日本の平和を守るためにも、閣僚、国民みながこぞって公式に感謝し慰霊する義務があるのである。
8月は全国各地で戦死者への慰霊祭が行われるが、戦死者は交通事故や災害の死者とは異なる。単なる慰霊だけではない。感謝の気持ちを併せ持たなければ、本当の慰霊にはならない。ことしこそ、国家は戦死者に対する黙契を果たそうではないか。(編集委員 大野敏明)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110805/trd11080507410002-n1.htm
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