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中国、旧満州開拓団の慰霊碑撤去 慰霊碑襲撃の5人に反日団体が報奨金12万円

Category: 中国  

中国、旧満州開拓団の慰霊碑撤去

2011.8.6

【北京=矢板明夫】中国黒竜江省方正県が7月末に同県の中日友好園林の中に建てた日本の旧満蒙開拓団員の慰霊碑が、5日夜から6日未明にかけて撤去されたことがわかった。中国当局と国内の反日団体などからの強い圧力が原因とみられる。香港紙、文匯報(電子版)など複数の中国メディアが明らかにした。

 方正県は旧満蒙開拓団の拠点だったため、終戦時の混乱や病気と飢えで少なくとも数千人が死亡した。県内には開拓団員の遺骨を埋蔵する「日本人公墓」がある。同県は今年7月、中国外務省の承認を得て、日本人公墓のそばに約70万元(約850万円)をかけて、同県で死亡した開拓団員約250人の氏名が刻まれた慰霊碑を建設した。

 中日友好が目的とうたわれたが、日本からの投資誘致をスムーズに運ぶ狙いもあったと指摘されている。

 しかし、インターネットなどで「侵略者を慰霊する必要はない」といった強い反発が寄せられた。河北省、湖南省などの反日団体のメンバーら5人が3日、慰霊碑に赤いペンキをかけて上で、ハンマーなどで一部を壊した。


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旧満州開拓団員の氏名を刻んだ慰霊の石碑=中国黒竜江省方正県(共同)




この5人の行為がネット上で「抗日英雄」と絶賛されたことを受け、全国から慰霊碑を壊そうとする人が続々と方正県に集まったという。同県は警察を慰霊碑の周辺に配置すると同時に、同県のホームページで、同碑を処分するとの方針を示した。

 6日付の中国共産党機関紙、人民日報傘下の環球時報は「満蒙開拓団のために石碑を建てることは中国社会の基本的な価値観に反する」として、方正県に対し慰霊碑の撤去と謝罪を求める社説を掲載した。反日団体のメンバーの1人は、中国メディアに対し「撤去で終わりではない。関係者に責任を取ってもらいたい」と語っている。




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旧満州開拓団員が眠る「日本人公墓」と、氏名を刻んだ慰霊の石碑(奥)=中国黒竜江省方正県(共同





中国、ネットで「売国奴」 日本の旧満州開拓団員の名刻んだ石碑に批判

中国黒竜江省方正県が、日本の旧満州開拓団員の氏名を刻んだ慰霊の石碑を建てたことに対し、中国メディアやインターネット上で「売国奴」などとの批判が相次いでいる。

 方正県によると、石碑は中国外務省の承認を得て、7月に開拓団員の眠る共同の墓「日本人公墓」のそばに建立。長野や埼玉、山口など各県出身の死亡者約250人の氏名が刻まれた。

 短文投稿サイト、ツイッターの中国版「微博(ウェイボ)」で「小日本(日本人の蔑称)の記念碑をつくるなんて国の恥」などと取り上げられたことで騒ぎが拡大。中国メディアも「開拓団も侵略者の一部」「中国人が石碑を建てるのは誤り」と、専門家の言葉を引用し非難した。

 中国側関係者は「中国の若者には誤解があるようだ。中日友好の真心が理解されず残念」と話した。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110803/chn11080311390002-n1.htm



満州開拓団石碑の撤去要求 中国紙が社説で

中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は6日、黒竜江省方正県で日本の旧満州開拓団員の氏名を刻んだ石碑にペンキがかけられた事件を受け、石碑を建てた同県政府に謝罪と碑の撤去を求める社説を掲載した。

 中国国内では石碑にペンキをかけた5人を英雄視する報道が多く、環球時報も5人を「壮士」と指摘した。

 方正県政府は石碑に批判が集まる中、中国メディアを通じて「中華民族の人道主義の心を感じ、歴史の教訓をくみ取ってもらうため」と建立目的を説明。しかし、同紙は「日本の侵略が中国社会にもたらした暗い影は消えていない」などと強調し、石碑建立が「中国社会の基本的な価値観」に抵触したとしている。(共同)


http://sankei.jp.msn.com/world/news/110806/chn11080617190000-n1.htm




旧満州開拓団の慰霊碑襲撃の5人に反日団体が報奨金12万円

黒龍江省ハルビン(哈爾浜)市方正県に7月末に建立された旧満州開拓団(満蒙開拓団)の慰霊碑にペンキがかけられるなどした事件で、実行した5人の青年に4日、反日団体の会長から1人当たり2000元(約2万4000円)の報奨金が支給された。5人は「全国のネットユーザーの支持に感謝する。碑が撤去されなければ、また壊しに行く」と話している。5日付の北京市、京華時報などが報じた。

 京華時報によると、5人はそれぞれ河北、江西、湖南などの出身。黒龍江省方正県の旧満州開拓団の慰霊碑建立に抗議するため、電話などで連絡を取り合って一緒に慰霊碑を壊しに行くことを決めたという。3日にハルビンで合流し、ペンキや金づちなどの工具を購入し、方正県に赴いた。

 5人は慰霊碑に赤ペンキをかけたり傷つけたりして、現地で警察に連行された。事情聴取を受けて同日夜には釈放され、翌4日夕方列車で北京駅に到着した。北京駅ではネットユーザー仲間ら約20人の出迎えを受け、「全国のネットユーザー仲間の支持に感謝します」と頭を下げた。

 その後北京市内で簡単な記者会見が開かれた。尖閣諸島(中国名・釣魚島)の中国領有を主張する「中国民間保釣(釣魚島防衛)連合会」の会長で、“中国の民間の対日損害賠償請求の第一人者”である童増氏からそれぞれ2000元(約2万4000円)が報奨金として支給された。

 5人は今回の行動のために職場で休暇をとって来ており、北京でしばらく休んだら、普段通り出勤するという。「もし方正県が碑を撤去しなければ、また壊しに行く」と話している。(編集担当:阪本佳代)


http://news.livedoor.com/article/detail/5763148/?utm_source=m_news&utm_medium=rd





満州回顧録 ――――――――――――――― by gosakuさん

☆ 満州開拓団の惨.... ―――――――――――――― 2003/08/15


食事を終えて、遠く西の地平線に沈もうとしている巨大な朱色の夕日を眺めて
いるとき、あの夕日の彼方で突然起きた一年前の惨劇を、陽に焼けたシワだら
けの顔を涙でクシャクシャにしながら語っていた開拓団生き残りの老人が思い
出されます。

「満州移民はゼッタイに侵略などではない!!・・・そんなことを言ったら、
 、、現地で無残に死んでいった妻子たちがうかばれない........。
 ....犬死になってしまうじゃないか....」

たしかに一時期は、辺境の居留民や開拓団も「優越民族」としての生活を国境
に近い町や村で享受したことでしょう。それも関東軍の威力を背景にしてのこ
とで、関東軍の敗走が始まり、見捨てられて放り出された居留民、開拓団は、
それぞれの判断で日本軍の保護を求め、最悪の道程をさ迷い歩かなければなら
なくなったのです。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ソ連軍が急追してくる。さらに現地人たちが匪賊のように襲ってくる。
軍の根こそぎ動員によって屈強の者がいないと分かると、それまで親しんでき
た満人の友さえも加わり、暴徒となって日本人難民に波状攻撃をかけてくる。

屈強の男無く武器も無い開拓団は、それでも、レンガや鍋、釜を割っては投げ
つけ応戦する。十五、六歳の少年達までが斬り込み隊となって戦い、最後には
全員が自決した。

この老人のグループは、祖国日本は降伏したに違いないとの考えに至る。その
ことがいっそう絶望的な気分を蔓延させ、誰もが無慈悲になり、疲労困憊した
者や負傷者を置き去りにするようになっていく。

取り残された場合には、やがてソ連軍の攻撃や現地の暴民によって皆殺しにさ
れることを知って、逃れようと皆は必死の思いで歩き続ける。

何度も何度も暴民や武装匪賊の襲撃に遭遇し、すべてを奪われ乞食以下となっ
た日本人の行列に、中国人が「子供を売ってくれ、女の子は500円、男の子
は300円でどうだ」と声をかけてくる。それは執拗そのものだったという。

そして、最も悲惨だったのは子供たちだ。多くの子供が力尽きて野垂れ死して
いった。こうして疲れ果て、絶望した開拓団の集団自決が、8月20日を過ぎ
た頃から始まる。

守ってくれるべき軍隊もなく、包囲されて脱出の望みを絶たれた人々にとって
は、最後に残された選択肢は死だけとなる。人は忍耐の限度を越えると、生き
ていることも苦痛になるのでしょう。

8月25日午前4時過ぎ、満州東部のある開拓団では、夜明けの空を震わせて
自決の銃声が響き渡る。一足お先に・・・・と、子を両手に抱え、または胸に
抱きして、涙で顔をグシャグシャにしながら引き金が引かれていく。

妻を、子を、親を、知人を。

火葬場と決められた馬小屋は、絶え間なく銃声が続き屍が折り重なってゆく。
読経が低く流れるなか、泣き叫ぶ子を抱き抱えた母親も、目を血走らせて銃声
の中へと消えていく。

27日には、この場所に集結していた別の三組の開拓団千数百人が、ソ連軍の
包囲攻撃を受けてほとんど全滅した。

ソ連軍の攻撃は徹頭徹尾苛烈で、弾雨のなかで青酸カリ自決をする人、ちっぽ
けな武器ともいえないようなものを手に突撃して果てる人、砲弾にやられ木っ
端微塵になって散る人。どうにかして生き延びることはできないものかと空し
くも願いつつ、曠野の土くれと化していった。

8月15日に日本は無条件降伏しているのに、ソ連軍は何故無抵抗な民間人を
殺戮しなければならなかったのだ!
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

「満州開拓史」によると、全滅、あるいは自決した者一万一千五百名。帰国ま
での病没と行方不明者を合わせると、開拓団の人々の死亡は七万八千五百名で
全開拓団の三人に一人が死んでいます。

国から捨て去られた満州での開拓団の悲劇は、残留孤児、残留婦人問題として
今だに続いています。

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