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今日ボクが見た風景

日本の赤化を防いだ天皇と草の根保守

Category: 日出処ノ天子  

日本の赤化を防いだ天皇と草の根保守

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戦後、アジアでは共産勢力が猛威をふるった。
共産勢力と非共産勢力の戦争も絶えなかった。
中国における国共内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、インドネシアの9.30事件(共産クーデタ)、これらはそれぞれ何十~何百万人もの犠牲者を出した。
これら以外にもタイ、マラヤ半島、フィリピン等では共産ゲリラとの内戦が続いた。

しかし、我が日本では内戦も革命も起きなかった。
なぜか?
それには色んな要因がある。
が、その中で私がもっとも大きかったと思うのは、天皇の存在である。
そして次が、それを支える保守的な農民と都市部の中間層。
これが日本の赤化を防いだ。

戦後、GHQは日本の民主化を推進するために日本共産党を利用した。
そして、労働組合の設立を積極的に支援した。
その結果、終戦翌年の1946年には国鉄労組が50万名、全逓信労組が40万名、民間の労組は合計70万名に達した。
同年9月には全官公労が結成され、11月には260万人に膨れ上がった。
そして、この多くが共産党とその指導下にあった産別会議の影響下におかれた。

知識人も同様である。
当時の大学は、教授会も学生自治会もほぼ100%共産党系主導だった。
読売のドン・渡辺恒夫も、その盟友・氏家齊一郎(元日テレ会長)もバリバリの共産党東大細胞だった。
朝日新聞を中心とするメディアも左派が主流で、論壇や文壇、民芸や前進座などの演劇界も共産党系。

もう労組と知識人と文化人の主流が共産党系で、メディアもその一翼を担っていた。
そして、世の中は戦争による荒廃から立ち直っておらず、失業者は1950年6月には43万人を記録するなど社会不安が高まっていた。
こういう状況下で共産党は武力闘争を選択し、レッド・パージで職場を追われた若い労働者、尖鋭な学生党員、在日朝鮮人党員などで編成された中核自衛隊を山村や農村に送り込んだ。
いわゆる山村工作隊や農村工作隊だが、その任務は、ゲリラ戦の根拠地を建設することだった。
中核自衛隊は1952年初め頃には約8千名と言われた。

ところが、山村や農村に送り込まれた若き共産党員たちが直面したのは、農民たちによる集団的吊るし上げだった。
自分たちを歓迎してくれると信じていた貧しい農民たちが、農村解放闘争に同調するどころか共産党の活動に敵対する。
若き共産党員たちは、党中央から聞かされていた話と現実のギャップに耐え切れず、その多くが挫折し、武力闘争から脱落していった。

私は農村出身だけに、この状況がよく解る。
農民の多くは、農地改革で小作農から自作農に変化し、食うに困る状況にはなかった。
そして、都市部の知識人や労働者・学生を席巻していた左翼思想とも無縁だった。
つまり、農民の多くは極めて保守的であり、天皇に対する尊崇と反共意識は戦前と変わっていなかったのだ。
私が幼いころは、天皇・皇后両陛下のお写真を座敷に掲げていた家庭も珍しくなかったくらいである。



私は、昨日の読売新聞を読んで、私たちの運動(共産主義革命)が、この日本という国においていかに非現実的なものであったかを痛感した。
1959年4月10日。
皇太子さまと美智子さま(現天皇・皇后両陛下)のご成婚に日本中が沸いた。
民間から迎えた初めてのお妃(きさき)。
皇居の神域にメディアが入ったのも、パレードが行われたのも、例のないことだった。

沿道で約60万人が祝福し、テレビ中継で1500万人が見つめた(テレビ普及率23.6%)
午後2時半。
ご夫妻となったお二人が馬車に揺られて皇居・二重橋前に姿を見せると、広場を埋めた18万人から地鳴りのような大歓声が沸き起こった。
万歳の連呼、「ミッチー」の呼び声。
熱狂は一気に最高潮に達していた。(参照:07/16 読売新聞)



皇居・二重橋前広場に18万人、パレードの沿道に60万人、そしてテレビ中継で1500万人。
通常ではありえない人の数と熱気が皇太子さまと美智子さまのご成婚を熱狂的に祝福したのだ。
私は当時7歳だから小学校2年生だった。
私の家のテレビの前も、押しかけた数十人の人たちで埋まり、皆が羨望と敬愛の入り交じった眼差しで画面に見入っていたことを覚えている。
とにかく美智子さまは美しくて気品に溢れていたという記憶がある。

ところで、この翌年の1960年6月に、左翼運動史上空前の盛り上がりを見せた60年安保闘争が起きた。
6月15日の、あの樺美智子さんが死亡した国会前でのデモ活動に参加した人は約13万人(警視庁発表)。
この日のゼネストには、全国で580万人が参加したと言われる。

日本左翼の歴史上、今も語り継がれる60年安保の6.15闘争。
この闘争でも国会前は13万人、全国でも580万人に過ぎなかったのだ。
皇太子さまと美智子さまのご成婚を熱狂的に祝福した国民の数と比べれば、天皇制に反対する人たちの数がいかに少ないかが分かる。
それでも都心部に13万人のデモ隊、全国で580万人がストに参加、というのは左翼にとっては空前絶後だった。

私は、読売の記事を読んですごく納得した。
この国で、結局、左翼が一度も政治的主流派になれなかったのは、左翼のカルト的理想主義より皇室を尊崇する国民の方が圧倒的に多いからだと。
そして、その国民のほとんどは名もなき市井の民である。
山村工作隊や農村工作隊が農民に吊るし上げられたことと併せて、私はこの国の「草の根保守」の根強さを痛感する。


やはり我が日本は、天皇なくしては成り立たない。





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