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今日ボクが見た風景

戦後はじめて唱えられた「日中友好」

Category: 政治  
「日中友好」という言葉のルーツについてです。

「日中友好」という言葉を最初に使ったのは大東亜戦争で戦犯として中国で処刑された人たちでした。

大東亜戦争終了後の戦犯裁判は東京裁判が有名です。

しかし、中国やアジア各国では戦後に大小の報復裁判がいたるところで行われ、
日本人が次々と投獄・処刑されてゆきました。

中国は表向きは報復はしない、としながらも実は報復裁判をしていました。

もちろん、これらの裁判は中国の恣意的なものであり、
でっちあげの証言や証拠を元に日本人を報復感情を以って処刑するのが目的でした。

しかし、中国人全員がこれをよし、とはしていませんでした。

吉田保男憲兵曹長という中国で戦犯として処刑された方がいらっしゃいます。

吉田さんは無実の罪で収監されました。

中国語が堪能で、人柄がすばらしく、看守である中国人とすぐうちとけたそうです。

吉田さんはある日看守の中国人から尋ねられます。

「なぜ貴兄は捕まる前に逃げなかったのですか?」

それに対し吉田さんは、「自分は悪いことはしていないので逃げる必要は無かったのだ。
それに上官や友人を捨てて逃げるのは卑怯者だから・・・」と答えた。

これを聞いた看守は涙を流し、「俺に金か力があったらなぁ・・・」
と吉田さんを逃がしてあげられない自分を悔しがり、吉田さんが逆に看守を慰めるといったことがありました。

また別の看守からは、「貴兄は立派な方だから逃がしてあげたい。
自分が夜間立哨のときにカギを開けますので、準備してください」と泣きながら言われた。

しかし吉田さんは逃げなかった。もし自分が逃げたら、この看守がどんな目に遭うか容易に想像できたから。

吉田さんは言います。

「シナ人は実にかわいい民族です。このことだけでも僕はシナ人を憎まず、冤罪を恨むこともできません」

その後まもなく刑は実行され、吉田さんはわずか28歳の短い生涯を終えられました。

このようなエピソードはたくさんありました。

そして戦犯として処刑された日本人の遺書を読むと、驚くべきことが描かれています。

中国に対する恨みよりも、今後の日中の友好を願って亡くなっているからです。

「私は無実の罪にて死刑となるも将来日本民族は感情により事を処すことなく、
中国の報復手段に徳を以って応え立国の大本とせられたし。

(中略)

東亜の和平、中日親善について将来必ず一致するを信じて従容として死に就く。」
(海軍大尉 兼石績 享年41歳)


また、悪名高いでっちあげ被害者である百人斬りの向井・野田陸軍少佐でさえも同じでした。

罪状は一切否定しながらも、

「我が死を以って中国抗戦8年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、
東洋平和のもとともなれば捨石となり幸いです」
(向井敏明陸軍少佐)

「我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります」 (野田毅陸軍少佐)

と遺書に書いてあります。

この遺書を持ち帰った方の証言によると、かれらは死刑囚として刑が執行される瞬間、
一様にこう叫んだと言います。


「天皇陛下万歳! 中華民国万歳! 日中友好万歳!」


これが戦後はじめて唱えられた「日中友好」です。

「日中友好」は、かれらの魂によって築かれたこころの叫びだったのです。




ねずきちの ひとりごとより
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