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今日ボクが見た風景

これでいいのか若者諸君よ怒れ

Category: 日本国民の心得  

日本財団会長・笹川陽平 これでいいのか若者諸君よ怒れ


2011.7.13 03:25

6月9日付本紙に掲載された拙稿、「これでいいのか、政治家諸君」に対し各地の市町村長をはじめ多くの読者から感想をいただいた。共感、賛意を表明する内容が大半で、政治の現状に対する危機感の広がり、不満の高さをあらためて実感する。


今日ボクが見た風景

≪後継者がいない異常事態≫

 日本は戦後65年間、憲法や安全保障、教育など国の根幹を成す重要問題に正面から立ち向かうのを避けてきた。政治を軽く見る風潮が続き、有権者もメディアも国のリーダーとなる政治家の育成に関心を示してこなかった。気付いてみれば、首相が退陣を表明しながら後継者が見当たらない異常事態に陥っている。

 政治は聞き心地のよい公約をばらまくポピュリズムに走り、結果、国債発行残高は900兆円近くまで膨れ上がり、国の財政は破綻寸前にある。義務感が希薄になる半面、権利意識が膨張し無責任な風潮が助長された。教育における過度の平等主義は個人の個性を殺す弊害すら生んでいる。

 こうした社会を作ってきた世代の1人として率直に自己批判し、事態の改善に少しでも貢献する責任を痛感する。しかし次代を担うのは若者であり、いつの時代も若者が社会を変えてきた。若者諸君が立ち上がらない限り世の中は変わらない。

 その若者について近年、「内向き」や「無気力」を指摘し、茶髪やピアス姿に顔をしかめる向きも少なくない。しかし、私はそうは思わない。若者が生み出すアニメやファッションに世界の市場が注目し、世界の第一線で若きアスリートが多数、活躍している。今の若者は才能豊かであり、やる気も十分ある。


 ≪停滞した社会に風穴を≫

 日本財団は4月中旬から3泊4日の日程で約100人の学生ボランティアを被災地にほぼ毎週末、派遣している。6月、一行の宿泊先となった宮城県大郷町のB&G海洋センターで行われたミーティング。個人の資格で参加した首都圏の消防署長は、学生たちの熱い議論を聴きながら、「世間は若いもんはダメと言うが、周りの大人が見ていないだけじゃないか。今の政治に比べれば、学生たちが作る未来の方がずっと明るい。日本は復興する」と感想を漏らした。同感である。

 それにつけても、若者から政治の貧困に抗議する声が上がらないのは、どういうことか-。国難ともいえる東日本大震災も、復興する底力はこの国に十分ある。にもかかわらず政治が求心力を欠き、持てる力を発揮できないところに問題がある。日本が低迷している間も世界は激しく動いている。このまま政治の低迷が続けば、この国は国際社会に取り残され沈没しかねない。停滞した社会に風穴を開けるのは君たち若者なのだ。

 チュニジアのジャスミン革命に端を発した中東の民主化運動「アラブの春」では、若者がツイッターやフェイスブックで情報を共有して改革の輪を広げた。英国や韓国では学費値上げや就職難に対する学生の抗議行動が熱気を帯び、財政危機のギリシャやスペインでは、若者の政府批判が激しさを増している。反安保闘争に与(くみ)するわけではないが、日本でも1960~70年代には、学生運動の熱気が社会を動かす起爆剤となった。

 今の若者諸君にも改革のノロシを上げてもらいたいと思う。無関心であってはならない。社会を変えていくのは、若者の権利であり義務でもある。バラマキ政治ひとつをとっても、負の財産を背負う君たちが「ノー」と叫ぶことが何よりのインパクトを持つ。

 混迷する政局の中で時間だけがいたずらに浪費され、青写真すら見えてこない大震災の復興も、過疎と高齢化が進む被災地の先頭に若者が立つことで初めて明るい将来が見えてくる。


 ≪疾風に立ち向かう勁草に≫

 政治家は有権者に自らの信念を語り掛けるのが本来の姿である。安全保障抜きに国家は存在し得ないし、必要なら国民に負担を求めるのも政治である。本質的な問題を避けてきた結果、社会は緊張感を失い、政治も極端に劣化した。

 それを断ち切るのは若者諸君の役目でもある。政治に期待しても何も変わらない、という考えは誤りである。あらゆる問題が諸君の双肩にかかる時代が目前に迫っている。無関心では済まないのだ。

 若者諸君、声を上げ行動しようではないか。若者に社会参加の機会を与えてこなかった大人社会を変え、震災復興をも政争の具にする内向きの政治を終息させなければならない。

 政治が3流で済む時代は終わった。これ以上、国際社会の中で後れをとることも許されない。「疾風に勁草(けいそう)を知る」という言葉がある。東日本大震災をはじめこの国が直面する多くの難題(疾風)に立ち向かう勁草になれるのは、君たち若者なのだ。政治の現況に対する国民の不満と不安は極みに達している。外国から失笑を買うような政治には終止符を打たなければならない。今こそ若者諸君が先頭に立つときである。

(ささかわ ようへい)


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110713/plc11071303260003-n1.htm





これでいいのか、政治家諸君


≪自身の明日を優先するな≫

 見るに堪えない政治の低迷と混乱が続き、国民の憤りと怒りは今や頂点に達している。国会議員諸君、皆さんは国家国民のために身を捧(ささ)げるという高邁(こうまい)な理想を持って政治の世界に入ったのではなかったか。然(しか)るに今や、その志どころか、党利党略さえも忘れ、議員として存在することだけが目的となっているのではないか。

 政治が劣化した原因としては、小選挙区制度の欠陥のほか、国民・マスコミを含め社会全体が政治家を育てる努力を怠ってきたこの国の政治風土もある。しかし、それ以前に、政治家になって何をするかより、政治家になること自体が自己目的化した結果、政治家として国家国民に貢献する志より、権力の上にあぐらをかき、「自身の明日」を優先する独善的態度ばかりが目立つようになった。

 わが国は今、東日本大震災で戦後最大の国難の真っただ中にいる。未曽有の被害の中で日本人の忍耐強さや礼儀正しさは今回も各国の称賛の的になっている。三宅島の噴火で全島民約3800人が避難した2000年、訪問先のイスラエルでペレス大統領から「どうして日本人はあのように整然と静かに行動できるのか」と問われたことがある。日本人の特性はいささかも変わっていないのだ。


≪「国民に甘えている」≫

 被災地を訪れてみれば、内向き志向が指摘された若者たちが復旧事業やボランティア活動の先頭に立っている。復興に向けた義援金や支援金に寄せる国民の熱意も高い。その先頭に立つべき政治だけがいつまでも停滞した異常事態がこれ以上、続いていいのか-。これでは被災者は救われないし、国民も同様である。


 「もう帰るんですか」。短時間の視察で切り上げようとした菅直人首相に被災者が発した怒りの一言は象徴的であった。同じことは、すべての政治家にも当てはまる。延べ数百人の政治家が被災地を慰問し、「頑張ってください」と言いながら、大震災から3カ月経過した現在も復興計画の青写真すら示されていない。

 黙々と働く自衛隊や警察、消防に対する被災者の尊敬と感謝の念は強く、復興の足掛かりとなるNPO(非営利法人)やボランティア活動に対する評価も高い。それに対し政治家への怨嗟(えんさ)の声は今や被災地だけでなく国民すべてに満ちている。彼我の差が政治に対する国民の失望感にあるとしたら、政治家諸君は万死に値する。

 米主要紙は「震災後の日本の混乱は政治指導力の欠如が原因」と書き、「下らない政府の下で国民はよく頑張っている」「(混乱は)政治が作り出した大震災」と皮肉った仏紙や中国紙もある。日本政治に詳しいジェラルド・カーティス米コロンビア大教授も東京での講演で「日本は社会がしっかりしているから政治が貧困なままでいられる」「日本の政治家は国民に甘えている」と指摘した。

 こうまで言われてなお、政治家諸君は黙っているのか。首相の退任時期をめぐり前首相が現首相を「ペテン師」と非難する政治の姿は語るに落ちたの観ありだ。「国民不在」「単なる永田町のいす取りゲーム」と揶揄(やゆ)されて済む段階は過ぎた。今、被災地には、首相や閣僚より現場の先頭に立つ首長の方がよほどたくましく信頼できるといった声に溢(あふ)れている。真摯(しんし)に耳を傾けるべきである。


≪大死一番の覚悟を持て≫

 尾崎行雄や犬養毅とともに議会政治に名を残す斎藤隆夫は昭和15年、日中戦争を批判した帝国議会での“反軍演説”で、2年余に3度も内閣が辞職した不安定な政局を前に「こういうことで、どうしてこの国難に当たることができるのか」「身をもって国に尽くすところの熱力が足らない」と政府を批判、衆議院議員を除名された。時代背景は違うが、政党政治の低迷を前に政治家の責任が厳しく問われた点で現在と共通する。

 このまま国会が停滞し復興が遅れれば、経済はさらに落ち込み復興財源の確保さえ難しくなる。財政はさらに悪化し外交や安全保障にも悪影響が出よう。政党によって考えが違うのは当然である。しかし震災復興は、外交や安全保障と同様、国の存続にも関わる最重要テーマである。党派を超えて取り組むのが当然である。

 震災発生後、多くの国から手厚い支援とともに日本の復興を信じる力強いメッセージが寄せられている。日本はこれまでも関東大震災や焦土と化した敗戦、阪神淡路大震災などあらゆる国難を乗り越えてきた。この国には十分な底力があり、今回も必ず復興する。

 しかし、それには政治の再生が欠かせない。「政治家や政治のレベルは国民のレベルを超えない」との格言があるが、このままでは「国民は一流、政治は三流」の汚名を着ることにもなりかねない。日本には恥の文化がある。国家国民のため命を投げ出す覚悟のない政治家は大死一番、潔く議員バッジを外してほしい。こうした潔さが政治家の覚悟につながる。国家国民のためそうした気骨ある政治家の出現を期待してやまない。


http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110609/stt11060903270003-n1.htm

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