FC2ブログ

今日ボクが見た風景

元朝日新聞「天声人語」執筆者 栗田亘 コラムニスト

Category: 報道  

2011年07月13日

菅首相の続投は是か非か

 このところ、親しい仲間(50代から70代までの男女数人)が集まると大議論になる。菅首相続投の是非である。
 7月12日掲載の朝日新聞世論調査によれば、菅内閣の支持率は15%。鳩山内閣末期の17%をも下回った。NHKの調査でも16%。これから出てくる他社の数字も似たり寄ったりに違いない。
 これまでなら、私たち仲間の意見は、議論の余地なく、世論調査の数字にほぼ沿っていた。ところが、菅内閣に限っては、仲間うちで、首相の続投支持と続投反対がほぼ半々なのだ。

 続投支持派は、「再生可能エネルギー特別措置法案」に代表される菅首相の「脱原発」政策に共感する。原発をすぐに廃止するか、段階的に廃止するかはさておき、これからの日本は脱原発をめざさねばならない。しかし、政権が交代すれば、つぎの内閣は間違いなく「脱原発」から離れるだろう。となれば、いろいろあっても、ここのところは菅政権を断固支持するべきだ、という。

 7月5日の朝日新聞夕刊に、作家の池澤夏樹さんが「終わりと始まり」と題するエッセイを寄稿した(7月中は購読無料の「朝日新聞デジタル」で検索できる)。
 エッセイには〈政争でなく政策を ぎりぎりまで居座ればいい〉との見出しが添えられている。

菅首相の脱原発への姿勢は…

菅首相の脱原発への姿勢は一貫している、と池澤さんは説く。初当選した翌々年の1982年に、衆院委員会で再生可能エネルギーの普及を訴えた。今回も浜岡原発の停止を中部電力に申し入れ、政府のエネルギー計画を白紙とした。「発送電分離」に言及し、G8サミットでは1000万戸の家にソーラー・パネルを置くという構想を発表した。そのどれにも池澤さんは賛成だ。
 そして〈あまり勘ぐりたくないと思いながら〉、一連の「政局の混乱」は〈要するに、電力政策の転換への抵抗が理由なのではないかと考える。主体は産業界、経済産業省、自民党、ならびに民主党の一部であるのだろう〉と書く。

 〈彼には失策も多々あるだろう〉と認めつつも、〈今、菅首相には罵詈雑言に耐えて電力政策の転換の基礎を作ってほしい。策謀が必要ならそれも使い、とんでもない人事も実行し、ぎりぎりまで居座り、改革を一歩進めてほしい〉〈なぜならば、福島の惨状を見れば明らかなとおり、原発に未来はないからだ。ドイツとスイスとイタリアに次いで、原子力からの賢明な撤退を選ぼう〉と結ぶ。
 仲間の続投支持派の意見は、この池澤さんの文章にほぼ尽きていると言っていい。

一貫している?

私たちの仲間は、続投反対派も「脱原発」という点、「原発に未来はない」と考える点では、続投支持派と一致している。
 正直にいえばフクシマまでは、そこまで真剣に脱原発を思わなかった。けれどもフクシマ以後も原発推進を唱える人の主張には賛成しかねるのである。
 しかし、菅首相の続投には反対する――なぜなら、池澤さんのいうように「菅首相の脱原発への姿勢は一貫している」とは、どうも思えないからである。

 たとえば「ストレス・テスト」だ。
 玄海原発の再稼働をめぐって、海江田経産相は現地の首長らと会談し、安全を保障した。経産相によれば、閣僚懇談会の席で菅首相もその方向を是認していた、という。
 ところが周知のごとく、そのあと菅首相はストレス・テストを持ち出した。閣内は蜂の巣を突いたようになり、7月11日になってようやく、政府の統一見解である、と発表された。
 しかし、時期や方法はなお、まったく定まっていない。

 続投反対派は、こんな状態では菅政策の実現はとうてい覚束ないだろう、と危ぶむ。〈彼には失策も多々あるだろう〉とは池澤さんの言葉だが、未曽有の事態のこのときに「多々ある」では首相失格だと断じる。
 確かに菅首相は「脱原発」をめざしているように見える。けれども、打ち出す政策はどれも「思いつき」の印象が強すぎる。
 それより何より、目的がいいからと言って、担当閣僚を説得もしないで我一人突っ走る姿勢はそれでよろしいのか。
 よろしいはずはない。なぜなら、それはファシズムに通じるからだ。ヒトラーだって、自分の理想に忠実だった。理想は、ファシズムによって実現へと近づいたではないか。目的が手段を正当化するのでは、民主主義の政治とはとうてい相容れない。――これが続投反対派の主張の大筋だ。

菅首相に代わる誰が…


 では聞くが、菅首相に替わる誰が「脱原発」をめざすのか。誰と、すぐに思い浮かぶ候補者などいないだろう。であれば、菅首相にできる限り続投させて、脱原発政策の基盤を築かせるべきではあるまいか。続投支持派は、そんなふうに切り返す。
 では聞くが、〈タヌキたちキツネの指示を聞き流し〉(7月7日の「朝日川柳」)のような統率力の乏しい内閣の責任者が、「脱原発」の礎を本当につくれるのか。回り道でも、せめて閣内を説得してから施策を掲げるのがスジだろう。続投反対派は、そんなふうに反発する。
 集まるたびに議論は果てしなく、結論は出ない。その中で一致するのは、菅首相の「雑草魂」のすさまじさである。1年交代で首相の座に就いた安倍、福田、麻生、鳩山といった二世、三世たちには及びもつかない粘り腰である。

 しかし、民主主義国家としては彼の振る舞いは……と、また議論が始まる。そもそも民主主義って何だ? と1人が言う。

 ノーベル文学賞を受けた大江健三郎さんは「戦後民主主義者に、国民的栄誉は似合わない」と文化勲章授与を断った。文化勲章は国家が与えるもの、という認識だろう。
 この場合、民主主義の「主義」とは、共産主義、社会主義などと同じ「イズム」であろうか。

民主主義?民主制?

 作詞家の故・阿久悠さんは、昭和20年代の若かりし日を回想して〈民主主義とは一体いかなるものか、ぼくらは全くわからないままに、実に自分の都合のいいように使っていた。「民主主義やで」と、一言発すると、大人が恐れ入ってくれるのである。「そうか、民主主義か、しゃあないなあ」と大人が納得するのである〉と書いている。これより少し前、日本人は「民主主義」を「軍国主義」の代わりに連合国軍最高司令官・マッカーサー元帥から与えられた。民主主義的な手続きなど踏まないで。

 そんな話を仲間の一人が披露したあと「英語でいえば社会主義はソーシャリズム、共産主義はコミュニズム。イズムとは主義、説、考え方だ。しかるに民主主義はデモクラシーだ。イズムとはいわない。デモクラシーを民主主義と訳すのは間違っているのではないか」と問題提起した。
 おそらくは稚拙な議論だろうが、私たちはまじめである。

 「主義」は明治初期、英語のプリンシプル(原理、原則)の訳語として登場した。ところが明治の半ば、インディビジュアリズム(個人主義)などイズムの訳語にも「主義」が当てはめられるようになった。
 デモクラシーは、最初はカタカナで表記されていた。やがて「政治の原理」と解釈され「民主主義」という訳語が誕生する。大正初年、政治学者の吉野作造は「民本主義」という訳語をあてて「民主主義」を説いた。天皇制のもと、民主は恐れ多いとはばかったらしい。

 チャーチルは民主主義を指して「政体としては未熟だが、試してきたほかの制度より、まだまし」と言った。
 そう、民主主義とは「政体」である。イズムではない。
 とすれば、民主主義よりも「民主制」の方が訳語としては適切なのではないか。少なくとも、この仲間にあっては、そっちの方が理解しやすい。

 民主制とは、まだるこしいものだ。効果は、すぐには現れない。ずっと現れないことだって珍しくない。でも「試してきたほかの制度より、まだましなのではないか。とすれば、菅首相の振る舞いは……」と、議論は(当然)酒も入っているから、なおなお続くのである。

http://allatanys.jp/B001/UGC020005220110712COK00858.html
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

『亜空間通信』617号(2003/06/20)
【日本メディアの米追随「不掲載」認めた朝日書評の一部を評価し関連減点あり2点】

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
 
 3日前(2003/06/17)の日曜日、これなら私が興味を持つだろうと思った友人が、朝日新聞書評欄、『金で買えるアメリカ民主主義』という訳題の本の書評の切り抜きを届けてくれた。
 
 その書評子は、「特ダネの一つは、大統領選でブッシュは実は落選していたという衝撃的なもの」、などと大袈裟に書いている。すでに広く知られていることだから、それほど「衝撃的」とも、「特ダネ」とも思えないが、それはまあ、どうでも良い。ここで紹介したくなったのは、この書評の冒頭の部分が面白かったからである。

 原著者の「グレッグ・パラスト」に関しては、以下に紹介記事のURLのみを記す。
 
全言語のページからgreg palastを検索しました。
約28,000件中1 - 100件目 ・検索にかかった時間0.30秒
http://www.gregpalast.com/

 書評は以下のように始まる。
 
「著者パラストは、アメリカの政官財界に嫌われ、アメリカのメディアから敬遠されているアメリカ人記者である。やむなく彼は、イギリスのガーディアン、オブザーバー両紙とBBCテレビを数々の特ダネを発表する場としてきた。

 その調査報道は当然、米メディアにはほとんど転載されない。米メディアを大きなよりどころとしている日本のメディアにも当然、ほとんど載らない」

 はいっ、まさに、その通り、「米メディアを大きなよりどころとしている日本のメディアにも当然、ほとんど載らない」、これは見事な正解なのだが、その「日本のメディア」の「自他ともに認める」代表格の朝日新聞の紙面に、こう書かれていたので、私は、あえて、「うむっと、膝を打った」のである。「不掲載」批判の「不敬罪」かな。よく書いた。良い度胸である。書評欄担当者の朝日新聞記者は、特に気にしなかったのか。内心忸怩たるものはなかったのか。しかし、ともかくまずは、興味津々、誰が、こう書いたのか。見ると、[評者]栗田亘(コラムニスト)とある。

 私は、こげな名前は、まるで知らない。栗田亘を電網検索すると、以下が出てきた。

栗田亘[クリタワタル]
1940年東京生まれの東京育ち。65年朝日新聞社に入り、岐阜、札幌、東京などで勤務。主として社会部畑の取材を担当した。86年、社会問題や世相、教育のあり方などの社説を執筆する論説委員となる。95年から2001年までの5年8カ月、朝日新聞朝刊1面の「天声人語」を担当。2000本のコラムを書いた。

 うんにゃ、何と、朝日新聞の「身内」ではないか。「天声人語」は、確かに「コラム」だから、2000本も書けば、世間では「コラムニスト」と呼ばれるであろう。ただし、このところ、阿修羅戦争掲示板では、「天声人語」の評判は、芳しくない。むしろ、悪臭紛々なのである。

以下、件名と所在と投稿者名のみを列挙する。詳しくはリンクを叩いて、直接訪問されたい。

1)・・・・・・・・・・
この天声人語はなんともピンボケな記事だ。
http://www.asyura.com/0306/war35/msg/542.html
投稿者 クエスチョン 日時 2003 年 6 月 10 日 07:40:27:WmYnAkBebEg4M

2)・・・・・・・・・・
↑朝日は特に酷い思考停止暗記エリートの巣窟なり。昨日投稿、わが亜空間通信611号参照されたし。Re: 天声人語ピンボケ
http://www.asyura.com/0306/war35/msg/544.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 6 月 10 日 10:00:45:

3)・・・・・・・・・・
米国はイラクで何をしたのか【東京新聞、こちら特報部 を読んだ後、この朝日新聞の天声人語を読むと、とてもマヌケな感じがする。】
http://www.asyura.com/0306/war35/msg/686.html
投稿者 クエスチョン 日時 2003 年 6 月 14 日 11:52:09:WmYnAkBebEg4M

てなことだから、朝日新聞の論説委員での「天声人語」を担当していたのなら、もしかすると、「ピンボケ」で「マヌケ」の典型の感じかもしれない。自前の著書でもあれば、一応の判断ができる。だから、「栗田亘著」で検索したら、以下が出てきた。

漢文を学ぶ〈1〉小さな学問の書
栗田 亘 (Author) Paperback Bunko (2002/12) 童話屋

 おいおい、こりゃ、子供相手の本じゃないか。 「天声人語」は、教科書に載ったり、受験の出題の材料になったりするから、教育ママが、子供に買い与えるのかもしれないが、これじゃ、著者の中身の判断材料にはならない。

「栗田 亘」の検索では、以下のasahi.com、つまりは朝日新聞の自己宣伝も出てきた。
   
http://www.asahi.com/edu/nie/nono/itimen/tenjin.html
名物コラム――天声人語

 明治37年(1904年)に初めて登場した朝刊1面のコラム。「名文」としての評価が高いが、日々、その時代のありさまを鮮明に映し出していて、よく読まれている。大学入試の題材として採用されることも多い。執筆者は原則として一人。当初は西村天囚、内藤湖南、鳥居素川、長谷川如是閑、大山郁夫、永井釈瓢斎ら日本の代表的言論人が筆をとり、戦後は嘉治隆一、荒垣秀雄、入江徳郎、疋田桂一郎、深代惇郎、辰濃和男、白井健策、栗田亘が担当している。
〈執筆者からひとこと〉
 世紀末。さまざまなできごとが続きます。10年、20年前には想像しにくかった、社会の激しい変化です。こうした変容をどう受けとめ、考えたらいいのでしょうか。毎日のコラムで、わずかながらでもお手伝いができたら、と願っています。(栗田 亘)
 [中略]
 
そこで、その他の「「戦後」の天声人語」担当者の「著」を検索すると、『天声人語』、つまり、自分が書いた分の単行本が、ほとんどで、「文章読本」とか日誌の類の「肩書き」で売れそうな本が、いくつかあるが、独自の取材とか調査報道に分類できるものは、ほとんどない。調べた私の方が、気落ちするほどで、皆無に近い。

 一番驚いたのは、
 
 入江徳郎著『神々の翼 大東亞戦争南方航空撃滅戦記』(鱒書房、1943年)
  
 であった。おい、おい、下手糞漫画の小林よしのりじゃあるまいし、軍国主義礼賛丸出しじゃないか。
 
 一風変わっているのは、クリスチャンとかの白井健策の本である。
 
 白井健策著「讃美歌への招待-音楽随想」(日本基督教団出版局、1999)
「天声人語」の執筆者でもあったクリスチャン・コラムニストによる、讃美歌随想集。読みやすい。

 無惨なのは、リクルート・スキー場「接待」事件の故人の当事者の「繰り言」である。

疋田桂一郎著『書かれたらそれまでよ日誌』 (講談社『Views』1997年1月号の間違い記事に対する空しい抗議の記録 取寄せ不可 )

 それでも、少しは記者らしい「ルポ」風の題名のがあった。

辰濃和男著『太古へ ~ニュージーランドそしてブータン』(朝日新聞社 、1996年)

 ところが、この本の電網上での紹介者は「ブータン」オタクらしくて、以下のように記していた。


 朝日新聞のコラム「天声人語」を書いていた筆者が書き下ろすエコ・ツーリズムの本です。ブータンについては巻頭の22ページ分。青いケシを見たいというブータンの小旅行の話です。初版だったからなのか、単なる誤植が目に付きます。巻末の問い合わせ先に「ブータ王国名誉領事館」となっているなど、ひどい間違い。ブータン人ガイドの名前が「カルマ・ドジル君」なのだそうですが、さすがにそれは「ドルジ」では? 最後に、奥付のISBNコードの先頭の4が抜けていたりします。

 ああ、こりゃ、普通の世間では、売り物にはならんぜ、朝日新聞出版局の諸君!
 
 こりゃあ、もう、何ちゅうんかね、国名を間違えても、「不敬罪」にはならんからと言って、相手は小国と、嘗めとるんじゃなかろうな。ああ、こりゃ、不味いぜ!
  
 てなことで、最初は書評の一部を見て、採点は10点を予定していたのだが、足を引っ張る同僚、先輩が多すぎたので、8点減点、2点のみとする。こうことだから、朝日新聞は今時、シャロンとアメリカの神様、ホロコーストを、後生大事に守って、柏手(かしわで)まで打って、拝んで、イラクやパレスチナの惨状も無視して、今の今、大きな紙面で大袈裟に宣伝してしまったりするのである。これからは、ちゃんと、自力で調べ直しなさい。

 以上。
関連記事

Comments

« »

07 2020
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
NASA Visible Earth
Web page translation
Flag Counter
free counters
xxx
全記事表示リンク