FC2ブログ

今日ボクが見た風景

世界は日本に関してどのように記述していたか

Category: 世界  

【海外の反応】当時、世界は日本に関してどのように記述していたか

当時の日本は世界各国の教科書にどのように記述されていたのか・・・。

西洋ではいうまでもなくマルコ・ポーロの、「ジパング」という未知の島国の記述から始まったわけであるが、16世紀半ばにポルトガル宣教師がはじめて実際に日本をみるまでは、西洋人の日本についての知識はほぼ無かった。

またそれら宣教師たちの報告の中にはおかしな記述もされている。

イタリアのイエズス会巡察便ヴァリニャーノなどの記述がそれで、1593年(文禄2年)の報告書では、

日本で見聞するものはすべてヨーロッパとは逆である。衣食住の様式から言語、教育、育児、儀礼に至るまで、ヨーロッパと同じものは皆無であり、そのためヨーロッパ人にとって理解できるものは何一つない

と極論している。

さらに1563年(永禄6年)から1597年(慶長2年)まで34年にわたって日本に居住し、キリスト教布教につとめたルイス・フロイスでさえ、その著書では日本とヨーロッパとの間にはあまりにも大きな差異があることを詳細に記している。

ヨーロッパの子どもはまず読むことを教わり、次に書くことを習うが、日本の子どもはその逆である

ヨーロッパのキリスト教は来世の栄光と霊魂の不滅を信ずるが、仏教ではそれらを否定している

ヨーロッパ人は書物から技術と知識を学びとるが、日本人は一生ただ文字の意味を理解するにとどまる


などと述べている。


ヨーロッパ人は東アジアの他の国、特に中国に関しては古くからその世界認識のうえに本質的な役割を果たしてきたが、日本については当時ほとんど何も知らなかったとさえいえる。


こういう話がある。

あなたのご主人はどこか遠い国にいらしたそうですが、それはどこですか?

とたずねられたヨーロッパ人のある国のマダムは、

えーと、ジャワだったか、ジャパンだったか、それともジュピター(木星)だったかしら

と答えたそうである。
このマダムにとってはJというイニシャルをもつ場所は何かはるかに遠い、到達しがたい土地のような連想を伴ったのであろう。ジャパンもまたそうしたイメージと結びつく図なのであった。

イギリスの外交官エンデミオン・ウィルキンソンの記すところでは、エンサイクロペディア・ブリタニカの初版(1770年、明和7年)の「日本」の項目には、

日本島、東経130~144度、北緯30~40度にある島

とだけ記されているという(当時のドイツ教科書ではもっと詳しく日本のことについて記述しているが)


19世紀も終わり近くになって西洋はようやく日本を「再発見」した。
しかし当時西洋は日本よりはるかに強大であり、日本を急いで理解すべき何らの重要な理由もなかった。
したがってせいぜいエキゾチシズムに立脚する幻想の国として認識するにとどまっていた。
ところがその東洋の一小国が清国との戦いに勝ち、また強国ロシアを撃破したとき、西洋は日本への認識を改めはじめたのである。

とはいえ1978年、EC(現EU)の外交官ウィルキンソンが調査した西欧諸国の高校生の意識調査では、過半数の生徒が

日本は中国の一部である

と回答したという。
フランスの大学生たちからは

日本はトルコの隣国

にあるとか、またかなりのジャーナリストたちからは

日本は南半球の熱帯圏にある

と、わりと最近まで信じられていたのであるから驚きだ。


関連記事

Comments

« »

07 2020
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
NASA Visible Earth
Web page translation
Flag Counter
free counters
xxx
全記事表示リンク