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日本の機密公電を収録した『南京大虐殺史料集』刊行

Category: 戦争  

【中国】「南京で最低30万人殺害」 日本の機密公電を収録した『南京大虐殺史料集』刊行[07/08]

「特別情報:信頼できる目撃者による直接の推算と信頼できる人物の手紙によると、日本軍が犯した行為と
暴力はアッティラ王と匈奴(きょうど)を連想させる。(編注:5世紀に東欧一帯を征服したアッティラ王は匈奴の
子孫とされるフン族の王)少なくとも30万人の民間人が殺りくされ、多くは極度に残酷で血なまぐさい方式で
殺害された。戦闘が終わって数週間がたった地域でも、略奪や児童強姦(ごうかん)など民間に対する残酷な
行為が続いている」

 1937年に日本軍による南京大虐殺が起きた直後の38年1月、日本の広田弘毅外相が在米日本大使館に
宛てて送った機密公電の一節だ。

 また、虐殺の事実を隠すため、日本軍が南京駐在の西側外交官を呼び、飲食や公演などの接待を
行ったとの記録も含まれている。この公電は、今月6月に最終巻が発行された中国の『南京大虐殺史料集』に
収録されている。

■日本軍部の組織的指示
 7日付中国青年報など中国メディアによると、史料集は江蘇省社会科学院歴史研究所が過去10年間、
全世界から集めた南京大虐殺に関する莫大(ばくだい)な一次資料の集大成で、全78巻(本体72巻、付録6巻)、
合計4000万字から成る。

 今回の史料集は、史記(50万字)の80倍、資治通鑑(300万字)の13倍に当たり、中国の歴史書としては
異例の規模だ。資料集には南京大虐殺が日本軍部の組織的な指示によって行われたことを示すさまざまな
史料が含まれているという。

■水たまりに遺体の山
 当時の日本軍による残酷行為を報じたイタリア、旧ソ連のメディアの報道も初めて発掘され、軍上部による
虐殺例があったという当時の日本軍将校、兵士の日記や証言も大量に収録された。ある兵士は「杭州から
南京に至る道の周囲の水たまりには遺体が山のように積み上げられていた」という記録を残した。
同研究所は、1946年から48年にかけ行われた戦犯裁判当時の検察の公訴記録、弁護人の反論を記した
弁論記録なども収録し、事件に対する客観的な判断を可能にしたと説明した。

http://file.chosunonline.com//article/2011/07/08/174212400915316540.jpg

 史料集の編さんに向け、中国は2000年代初めからチームを構成し、世界各国で調査を進めた。

 調査チームは、米国立公文書記録管理局、米議会図書館、スタンフォード大フーバー研究所、日本の
外交史料館、防衛省戦史研究室のほか、英国、ドイツ、デンマーク、イタリア、ロシアの外交文書保管施設も
くまなく調べた。

■日本側、資料の撮影拒否
 収録された資料は、中国語だけでなく、英語、日本語、ドイツ語、デンマーク語、イタリア語、ロシア語など
多彩だ。資料の考証、編集に投入された専門家は100人に達するという。江蘇省社会科学院歴史研究所の
王衛星研究員は「日本で資料を調査した際、日本側は写真撮影やコピーを禁止し、全部書き写すのに
手が腫れ上がるほどだった」と話した。中国は2年後をめどに、史料集の重要内容をまとめ、一般人も
容易に読むことができる『南京大虐殺全史』を刊行する計画だ。

 編さんチームは、今回の史料集完成により、日本の右翼勢力がこれ以上南京大虐殺を否定したり、
歪曲(わいきょく)したりするのは難しいとみている。日本の学界は、南京大虐殺を事実として認めている
ものの、当時の死者数が最大でも20万人を超えないとみており、学者によっては2万-4万人と推定している。

 史料集の編さんを担当した張憲文・南京大教授は「今回の史料集発刊で、多くの歴史的事実がはっきりした。
正しい教育で中日両国の若い世代が友好的な関係を構築する上で役立つことを期待している」と述べた。

 中国社会科学院世界史研究室の湯重男教授は「史料集完成は今の世代の功績だが、その利益は千秋に
わたり残るだろう」と評した。

http://file.chosunonline.com//article/2011/07/08/552843076074117727.jpg

▲朝鮮日報(2011/07/08 09:36:31)
http://www.chosunonline.com/news/20110708000024
http://www.chosunonline.com/news/20110708000025


http://file.chosunonline.com//article/2011/07/08/174212400915316540.jpg

1937年に中国・南京で日本軍が中国人の遺体を眺めている。江蘇省社会科学院
歴史研究所が10年にわたる資料収集の末、今月6日に発刊した『南京大虐殺史料集』
には、「杭州から南京に至る道の周囲の水たまりには遺体が山のように積み上げられて
いた」という日本軍兵士の証言が収録されている。/写真=中国ポータルサイト・
百度(バイドゥ)より


「特別情報:信頼できる目撃者による直接の推算と信頼できる人物の手紙によると、日本軍が犯した行為と
暴力はアッティラ王と匈奴(きょうど)を連想させる。(編注:5世紀に東欧一帯を征服したアッティラ王は匈奴の
子孫とされるフン族の王)少なくとも30万人の民間人が殺りくされ、多くは極度に残酷で血なまぐさい方式で
殺害された。戦闘が終わって数週間がたった地域でも、略奪や児童強姦(ごうかん)など民間に対する残酷な
行為が続いている」

限りなく怪しいな
こんな文面で日本の外相が大使館に公電送るか?




ま、資料自体を中国人は簡単に捏造するからな。
日本の学者が、「資料」の紙質とインクの成分を分析して当時のものと確認しない限りは、

中国側の資料は無意味。




日本新聞史上最大、南京大虐殺40万人!by産経新聞

スレタイにも入れましたが、日本新聞史上最大人数だそうです(w


蒋介石秘録12 日中全面戦争 第一章 全面戦争に突入 その12 南京大虐殺の悲劇
P69-70 全世界を震え上がらせた蛮行より

>こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ。
>犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。

蒋介石秘録12 日中全面戦争 著者サンケイ新聞社 発行所サンケイ出版 
昭和51年6月11日~7月31日まで2年間に渡り『産経新聞に連載された分』を収録




蒋介石秘録産経新聞掲載文

全世界を震え上がらせた蛮行
 日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、
長江(揚子江)岸に整列させ、これに機銃掃射を浴びせてみな殺しにした。
 虐殺の対象は軍隊だけでなく、一般の婦女子にも及んだ。金陵女子大学内に
設置された国際難民委員会の婦女収容所にいた七千余人の婦人が大型トラックで
運び出され、暴行のあと、殺害された。
 日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬りを競い合ったというニュースが、
日本の新聞に大きく報道された。
 虐殺の手段もますます残酷になった。下半身を地中に埋め、軍用犬に
襲いかからせる‘犬食の刑’、鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる
‘鯉釣り’、鉄製のベッドに縛りつけ、ベッドごと炭火の中に放りこむ
‘豚焼き’―など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行された。
こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ。
犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。
注 
文中『・・・・・』の部分は蒋介石の自述、
▼・・・・・・▼の部分は日本側資料による補足説明

蒋介石の日記の部分以外は、サンケイ新聞の古屋奎二記者が執筆




サンケイ新聞が台北に設置した「蒋介石秘録執筆室」の陣容
室長 古屋奎二
室員 岩野弘
    香川東洋男
    下室進
    住田良能
    間山公麿(写真部)

住田良能  2004年6月産経新聞社長に就任
        新しい歴史教科書をつくる会の黒幕




「正論」昭和56年12月号
蒋経国(中華民国総統、蒋介石の長男)と鹿内信隆(サンケイ新聞社長)との対談
鹿内
私はそういうことの一助にもと思いまして、サンケイ新聞で「蒋介石秘録」という
ものを二年半にわたって連載したのです。その蒋介石秘録の単行本は全十五冊に
なったのですが、これを日本の若い人々、将来の人たちのために、中華民国の
ご恩を忘れないように残しておきたいと考え、秘録を中心にして、箱根に中正堂を
つくりました。いま閣下がいわれたように、日本の若い人にそのことを残したい
と思ってやったことなんです。





いっぱい死んでるのはその通りなんだが、
戦死なのか、国民党が身内を殺したのか、日本軍が殺したのか、
合法的な捕虜の処刑なのか、非合法な捕虜の処刑なのか、
安全区内に逃げ込んだゲリラ掃討なのか、無辜の市民の虐殺なのか、
等々の部分をすっとばして合計何人っていう数字に意味があるとは思えないが。

証拠として出版されてるラーベ日記とかウィルソンの手紙とかスマイス報告を読むと、
少なくとも中国が行ってることが嘘なのはすぐ分かる。
そっから、統計の数字とか実際に南京にいた人の書いたものを順につないでいくと、
どう考えてもそんな十万単位の虐殺があったなんて結論は出てこない。



南京事件で、朝日新聞に電突された方。
再度、その模様を掲載してください

内容は、こんな様な感じだったと思います。

・南京事件当時の報道:南京は平和が戻り、物売りが行き交い、子供が遊んでいる。
・戦後の報道:当時南京で大虐殺が行われていた。
*これについて、「子供が遊んでいる隣で、大虐殺が行われていたんですか。」と、朝日に疑問を呈したら、朝日は逆切れしたという話。

私も疑問があります、当時朝日新聞は140数人(日本人記者は300人以上)の記者を送り込んだはず。
その歴史の生き証人は、どこへいかれたんでしょう。
南京なんて、塀に囲まれた狭い市域です。
そこらじゅうに新聞記者がおり、写真を撮ったはずです。
その写真はどこへいったんでしょう。戦後、軍の不許可の写真を、誇らしげに発表している新聞社もありました。
どうして、南京大虐殺の証拠写真だけが、アサヒグラフの写真を、ぼかしたり、トリミングしたりして、これが南京大虐殺の証拠、だなんて出てくるのでしょう。





南京大虐殺は捏造じゃない。南京大虐殺は起こらなかった説の方が捏造だぞ
今日でも日本の右翼派が南京大虐殺を否定してるなんてサイテイ!
その惨殺の20万犠牲者を忘れるな!


南京事件FAQ
ttp://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage
南京事件関係図書目録
ttp://www.manekineko.ne.jp/s32311/nankingbooks.html
思考錯誤掲示板
ttp://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=tre;id=sikousakugo
南京事件資料館
ttp://nagoya.cool.ne.jp/whitecray/index.html
南京事件資料集
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/
南京事件 小さな資料集
ttp://www.geocities.jp/yu77799/
南京事件の真実
ttp://www.nextftp.com/tarari/index.htm
南京大虐殺 論点と検証
ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/aandv/
南京事件研究ノート
ttp://d.hatena.ne.jp/bluefox014/
「南京事件」143枚の写真&読める判決「百人斬り」
ttp://www.geocities.jp/pipopipo555jp/index.html
事実.com
ttp://jijitu.gaou.net/
対抗言論のページ
ttp://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/
Watanabe's Page
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/index.html
「南京大虐殺」をなかったことにしたい人々が必死で目をそむけるリンク
ttp://ch08016.kitaguni.tv/e124889.html
国に萌えすぎる人々
ttp://page.freett.com/tekkin1989/kunimoe/newpage1.html
萌え理論ブログ
ttp://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20071228/p2


【反日に反撃】南京の真実 第7戦【祝!完成試写会】
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1201363209/

『南京の真実』 3部作 (映画公式HP)
http://www.nankinnoshinjitsu.com/

【共同編集】南京ペディア - 映画「南京の真実」まとめサイト(非公式)
http://jpn.nanjingpedia.com/wiki/

南京ペディア - 映画「南京の真実」まとめサイト(非公式) リンク
http://jpn.nanjingpedia.com/wiki/?%40%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF

南京の真実・賛同者リンク
http://jpn.nanjingpedia.com/wiki/?%E8%B3%9B%E5%90%8C%E8%80%85


南京大虐殺は事実ですよ。

終戦時、無条件降伏に憤り、自決したエリート軍人、親泊朝省(おやどまり・ちょうせい)の遺書より

「また外征軍、特に支那に於て昭和十二、十三年頃の暴状は遺憾乍ら世界各国環視の下に日本軍の不信を示したといえる。
即ち無辜の民衆に対する殺戮、同民族支那人に対する蔑視感、強姦、掠奪等の結果は、畏れ多き事ながら或る高貴な方をして皇軍をして蝗軍と呼ばしめ奉るに至ったのである。」

これは東京軍事裁判の前、まだ「南京大虐殺」という歴史用語もなく、中国が「中華民国」といわれていた時代の、皇国思想に染まった人物による記述です。

それから、ウヨマスコミが事実抹消の捏造をして大騒ぎするから、中国がさらに新館を建てたりして、さらに目立つようになるんですよ。
20年以上前は、南京大虐殺も慰安婦もこれほど話題にならなかった。




たとえば、当時のタイム誌には毎号日本軍のことが出ている
南京での35000人殺戮(20000人の捕虜処刑)は翌月に世界に知れ渡っているよ

http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,758912,00.html?promoid=googlep

読めば分かるが、タイムはNYTの記事をもとに書いている。
ちなみに教えておいてやると、1月9日付の記事な。
その記者が南京の記事を発信したのは12月19日以来3週間ぶり。
その2つの記事を読んで、まだ「タイムが書いてるから世界が認知した」
って素直に思えるんなら、好きにしてくれ。
NYTのウェブアーカイブで検索すれば簡単に見つかる。


35000人殺戮がどうやって30万人になるんだ?


歴史家の間では南京攻略戦前後3週で15万人くらいが定説
南京市内の掃討と捕虜虐殺だけなら合計で5~6万人。

保守的な研究者でもそのくらいは認めている。



30万人というのは中国が言っているだけで根拠は不明。
上海からの農村部までふくめればもっと死んでいてもおかしくはない。

広島原爆の死者、当日しんだのは57000人だろう。その後も入れて90000人程度。
被爆者の死亡は30万人。



なお、中華民国の蒋介石は回顧録で40万と書いている。
中国共産党は当時はカヤの外だから何も知らないはず。



歴史の捏造・歪曲大国中国の工作戦略にはもう騙されない。


●南京大虐殺は「蒋介石の虚構」だ。国民党による「戦時宣伝」から「南京大虐殺」
という虚構が生み出され、 一人歩きを続けた。 「毛沢東は、国民党の戦時宣伝だった
ことを知っていたから、1976年に死ぬまで 『南京大虐殺』という言葉を 一度も口にしなかった。」 
中国がこれを外交カード として使うようになったのは、鄧小平が実権を握った80年代からだ。
 1979年3月に発行された中国の中学用の歴史教科書のどこにも南京大虐殺の記述はない。
教科書に初めて記述が登場するのは1981年。 日本でも東京裁判終了後、20年あまりの間 南京大虐殺
が報じられることはなかった。それは「南京攻略戦の周辺現場にいた人々が
新聞社の中核にいたため」だという。「南京大虐殺」が再び注目を集めたのは 1971年
(昭和46年)に本多勝一が朝日新聞に連載した 「中国の旅」がきっかけだった。 
南京大虐殺があったとする日本人ジャーナリストや学者が中国側に証言や史料を求めた。
こうした特異で歪な日本人の要求で、中国側は外交カードになると考え、虚構を事実とする 準備を進めていった。
社会党の土井たか子や田辺書記長らが わざわざ南京大虐殺記念館を作ったらどうですかと、
記念館の建設を進めて、さらに  お目出度いことに日本の労働組合と組んで 資金を提供した
というから、アホ揃いの売国奴 政治家がいたものだ。ソ連の消滅とともに、これまでの
社会主義を頑固に主張していた日本の社会党も消滅した。その後を相続した社民党は 
これらをどう釈明するのか。


1日千人ずつ殺して三百日かかる。
がんばって1日1万人ずつ殺しても三十日かかる。
その間、南京市民はならんで殺されるのを待ってたのか?
八百屋も肉屋も床屋も営業をやめて、殺される順番待ってたのか?
そんなアホな!ふつう逃げるだろう。収容所が有るわけでもなし。
南京市には外国の新聞記者もいたのに、なんで記事がない?
それに、そもそも25万人の南京市民を30万人殺すのは不可能。


張献忠は嗜虐癖が異常に強く、残酷な殺戮を好んだ。
彭孫貽の『平寇志』によれば、崇禎八年(1635年)には安徽省の鳳陽県で街に火を放ち数万人を殺戮し、
同じ年に安徽省和州を攻撃した際も虐殺を行った。
特に「屠蜀」もしくは「屠川」といって四川在住者を次々と無差別に殺戮し、四川人はほぼ全滅に近くなった。
清朝の史料を信用すれば、順治三年(1646年)に張献忠が成都から落ちのびる時に自暴自棄となり空前の殺戮を行い、
40万人を数えた成都の人口はわずか20戸にまで減り全滅同様になった。
「天府之国」と称された四川省は徹底的に破壊され、300万人ほどの人口が8万人となった。
(中略)
こうした虐殺は誇張であり、全滅したはずの四川省で張献忠の死後も10年以上清朝に対する抵抗運動が続いていることから、
清朝が四川で行った殺戮をすべて張献忠に帰したという見方もある。
魯迅は『晨涼漫記』で、張献忠は皇帝になりたかったがなれないと分かったので、
せっかく手にした宝を他人に奪われるのなら壊してしまえとばかりに虐殺を行ったと評している一方で、
四川の人々が清軍がやってくるまで、何故、抵抗もせず大人しく殺されていったのかとも皮肉っている。
『酒池肉林-中国の贅沢三昧-』(講談社現代新書、井波律子著)では魯迅のコメントを踏まえた上で、
人々が清の支配を受け入れるために張献忠殺戮伝説を誇張させていったのではないかと推察している。

以上、wikipedia「張献忠」からの引用
南京もこれと似たり寄ったりだと思われ





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