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今日ボクが見た風景

「大東輿地図」誕生から150年朝鮮で記念切手を発売

Category: 韓国・朝鮮  

朝鮮で記念切手を発売

「大東輿地図」誕生から150年



今日ボクが見た風景


「大東輿地図」が作成されて150年。このほど朝鮮で記念切手が発行された(写真)。

「大東輿地図」は近代以前のもっとも正確な朝鮮地図として知られ、全国を南北に22に分けて東西を横に折り込むようになっている。

すべてをつなぐと20畳ほどの大きさになり、朝鮮半島全土が見渡せる。江戸時代のもっとも正確な日本地図として知られる「大日本沿海輿地全図」を作成した伊能忠敬は16年の歳月、ざっと3万5千キロメートル、歩数にして約4千万歩を歩いたという。伊能忠敬には「幕府御用」という看板があり、随行者の数も多かったが、金正浩の場合はほとんど一人である。

想像を絶する苦労があったに違いない。




( 朝鮮新報 2011-06-27 11:26:49 )


伊能忠敬に張り合おうというのは無理w


伊能忠敬を持ち出す意味が解からない
いや、解からないんじゃなくてこれが朝鮮人の記事の書き方だったな

>想像を絶する苦労があったに違いない。

絶対測量できませんね。
私有地に個人で入れるわけねえだろ。

伊能さんと張り合おうなどとは200年早い
っていうか、朝鮮に測量技術なんてあったの?
ウリナラファンタジーGPS(技術不足は・パクリで・勝負)?





政府や国王の後ろ盾もなしに勝手に私有地入れるわけないよなw


はい。
滞在費だけでも莫大な費用がかかります。



李氏朝鮮時代の朝鮮に
測量技術も機材も存在してません!





>大東輿地図
その地図には竹島は存在しませんけどw?



当然のことながら対馬もないなw


wikiだと
>研究では、半島全てを踏破するのは信じがたくそれ以前の地図を参考に補填・修正を加えて作成されたとしている。 ってなってるな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E8%BC%BF%E5%9C%B0%E5%9B%B3




30.12.07

1861年 - 金正浩「大東輿地圖」



Gerryの投稿の日本語訳です。原文はこちら↓(English)
1861 - Daedong Yeojido (大東輿地圖) - Ulleungdo 


下に挙げたのは、金正浩「大東輿地図」(1861)に収録された鬱陵島の木版印刷地図です。この地図で興味深いのは、于山島が描かれていないことです。同じ製作者の靑邱圖」(1834)の鬱陵島図 には描かれているのに、です。

1861 金正浩「大東輿地図」鬱陵島図 国会図書館版_1

次の地図は、上の金正浩「大東輿地図」(1861)の鬱陵島図を元に作成されたと見られるものですが、鬱陵島に関する情報と共に、于山島が書き加えられている事にお気づきでしょうか。金正浩が1861年の「大東輿地図」を1864年になって改定したとすれば、地図はその改訂版の写しになるのでしょう。
1861 金正浩「大東輿地図」鬱陵島図 国会図書館版_2

この地図の上部に書かれた文章は1834年の「靑邱圖」 にも書かれています。

英宗十一年 江原監司趙最壽啓言 盃(鬱)陵島地廣土沃有人居田他而其西又有于山島 亦廣闊云則所謂西字與此各之在東相佐

英宗十一年(1735)江原道監司の趙最壽は国王への報告の際に「鬱陵島は土地が広く肥沃で住居や畑があります。その西の方に于山島があり、これもまた広く開けています。」と語っているが、いわゆる「西」の字は、(于山島が)この地図で東に位置しているのとは異なっている。

上の地図はLee Sang-tae氏の著作、「Historical Evidence of Korean Sovereignty over DOKDO」からの引用です。于山と記された島の下に、ご本人が "Usando (Dokdo)"と書き加えてあります。つまり、彼はこの隣接島が"独島" (竹島/Liancourt Rocks)であると主張しているわけです。しかしながらこの地図は、于山島を一つの島からなる島として描いており、この事からも于山島が"独島" (Liancourt Rocks)ではないことが分かります。"独島" (Liancourt Rocks)は鬱陵島の南東92kmに位置する、主な2つの島からなる島だからです。一つの島ではないのです。これは韓国の学者が盲目的に証拠を無視し、"于山島"が"独島" (Liancourt Rocks)の古名であると主張する、いつものパターンなのです。しかしながら、この地図が示しているように、これも又、于山島が鬱陵島の隣接島に過ぎない事を示しているのです。

(訳者注:地図中の注の現代語訳はYabutarouさんによるものです。)




1861年 - 金正浩「大東輿地圖」
下に挙げたのは、金正浩「大東輿地図」(1861)に収録された鬱陵島の木版印刷地図です。この地図で興味深いのは、于山島が描かれていないことです。
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/12/1861.html




竹島のあたりについては、都合が悪いから隠してるwww

ああ、最近見つかったのでしたね。
竹島が書かれた大東輿地図。


【韓国】独島描かれた大東輿地図、国内で初めて発見[05/13]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1305278954/l50




独島(トクド、日本名・竹島)が描かれている大東輿地図が、国内で初めて発見された。

韓国学中央研究院・蔵書閣研究所は、「韓国学振興事業の一環として、全国の古文献を調査し
ていたところ、昨年11月、ソウル西大門区(ソデムング)の韓国研究院の資料室から、独島
が描かれている大東輿地図の筆写本を発見した」と11日、発表した。

この筆写本には、鬱陵島(ウルルンド)の右側に「于山(ウサン)」と書いてある島が記載さ
れている。于山は独島の旧名だ。海は青色、島は黄色に塗られている。

内外に伝わる大東輿地図の木版本と筆写本は計25点。独島が描かれた大東輿地図は、日本の
国会図書館に所蔵されている木版本が1つあるだけで、これまで国内で発見されたものはなか
った。木版本は1861年、金正浩(キム・ジョンホ)が直接木版に地図を刻んだもので、筆
写本はオリジナルの木版本に韓紙を載せ、引き写すやり方で製作された。

蔵書閣のオク・ヨンジョン研究所長は、「独島が描かれている大東輿地図の筆写本は、19世紀
の独島を眺める我々の見方を理解する上で重要な資料だ」と話した。国際文化大学院大学のイ・
サンテ碩座教授も、「日本が領有権を主張してきているが、今度の地図の発見で、そのような
主張は根拠がないことが確認された」と説明した。

地図の鬱陵島の上には、「英宗(ヨンジョン)11年、江原監事の趙最壽(チョ・チェス)が
鬱陵島を視察し、于山島が鬱陵島の東側にある」と書かれている。これについてイ教授は、
「大韓帝国が建国された1897年まで英祖(ヨンジョ)を英宗と呼んでいた。したがって、
この筆写本は、大東輿地図が初めて製作された1861年から1897年の間に筆写されたも
の」と解釈した。


東亜日報 2011/05/13
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=040000&biid=2011051381868

写真(韓国版記事から引用)
http://news.donga.com/IMAGE/2011/05/13/37189103.1.jpg 


独島と思ったら竹嶼だったでござる…の巻



願望と創造で作られる歴史に意味は在るのか・・・・

いつでも捏造するから、先人のせっかくの業績が無意味で信用できないものになる。
その責任は朝鮮自身にある。

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