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大震災が浮き彫りにしたモンゴル人の良心

Category: 世界  

大震災が浮き彫りにしたモンゴル人の良心

わだかまりのない友好国は、素早い支援の手を差し伸べた

2011.06.23(Thu)  荒井 幸康


現在、モンゴル国ウランバートルにあるモンゴル・日本人材開発センターでは、日本から派遣されたボランティア有志による「がんばれ日本!草原の国モンゴルからの応援メッセージ」展が開かれている。

日本に住むモンゴル人は約5000人

大震災からまもなく2か月、がれきが残る被災地の様子

いまだ瓦礫が広がる陸前高田市の被災地〔AFPBB News

 

ただ、単なる応援のメッセージだけを展示したものではなく、震災後の実情を紹介したものであるためか、6月6日から11日までの予定だったが延長が決まったという。日本語とモンゴル語で編まれたこの企画、好評のようである。

 モンゴルとの国交が結ばれて39年目、1991年の民主化以降、年々両国の関係は深まり、最初は夏のチャーター便で飛ぶか、中国かロシアを経由しないといけなかった国だったが週3便、ウランバートルと東京の間で定期便が運行されるまでになった。

 現在、日本に住むモンゴル国のモンゴル人の数約5000人、3月11日の大震災は、日本に住む多くの人々同様、モンゴル人にとっても大きな衝撃であった。

 以下は、東京にて大地震に遭遇し、それに対応した多くのモンゴル人たちの活動を見た筆者の記録である。

 震災から10日間ほどで筆者のフェイスブックに登録された人々は100人以上も増えた。ほとんどがモンゴルやロシアの関係の人々で、情報を求め、さらに必要とされる情報を場合によっては加工し(翻訳し)つつ流し合った結果つながった人々である。

フェイスブックやツイッターが広げた在日モンゴル人の輪

 こうしてできた「仲間」は、今もそのまま維持されている。相撲界やそれまで付き合いのあった多くの留学生だけでなく、様々な分野でモンゴル人が活躍するのを知ることもできた。

 震災直後、太平洋に面する地域に住むモンゴル人はもちろん、日本全土に住むモンゴル人の安否確認が飛び交い、筆者の元にもメールやメッセージがモンゴルから何通も届いた。在日本モンゴル大使館の対応は早く、震災2日目には安否確認用のサイトが立ち上がっていた。

 大使館の職員やモンゴル人留学生会のメンバーは、震災後3~4日は寝ずに連絡や手配を行ったようだ。疲労困憊したコメントがフェイスブック上で見えた

 3月14~15日ごろから続々と帰国できる人は帰国した。その際、震災地域からの帰国に関しては無料との通知がなされた。ただ、成田空港はモンゴルへ帰国しようとする人々で長蛇の列ができ、その日のうちに帰国できない人も多く出たようである。


 自分の娘や妻を帰国させようとして果たせず、ツイッター上で不満をぶちまける人の姿も見た(その後無事帰国したようである)。

外務大臣とツイッターで意見交換も

朝青龍がガーデニング巨匠に弟子入り?英フラワーショー参加へ

大相撲は今やモンゴル人力士抜きでは成り立たない。写真は元横綱・朝青龍〔AFPBB News




 

震災以前からモンゴルの外務大臣はツイッターを立ち上げていたが、この震災では情報拡散、収集の上で、それなりの機能を果たしたように見える。

 「飛行機が飛ぶこととなったようである」など曖昧なコメントが多くつぶやかれたため、次第にイライラのつのったコメントが見えるようになった。

 その一方で、日本在住のモンゴル人教授が直接ツイッターで外務大臣にメッセージを送り、外務大臣がそれに応答するといった場面もあり、現地と政府が直接つながる肯定的な面も見られた。

 震災後に続く余震は、地震に慣れないモンゴル人たちに不安を与えていた。直後は一部有志により、テレビ、ラジオで聞いたままを訳して流すなどしていたが、ツイッター上で地震情報が瞬時にモンゴル語に翻訳され流されるシステムがいつの間にかできており、できて以降はそれをフェイスブックなどにコピー&ペーストして流せるようになった。

 今も、地震情報は地震があるたびにツイッター上で流れている。

 首相や日本に関係のある議員たちもツイッターを立ち上げた。今後もどこかで何らかの問題があった時、現地に住む人々の意見をすばやく吸い上げる機能がうまく動きそうに見える。

ITが実現した素早い情報ネットワーク

 なお、ツイッターで流れてくる情報で重要と思えるものは自分のフェイスブックや5000人以上の友人登録があった人のページ、中国、ロシア、中央アジア関連の情報はそれを専門とする友人のページに貼り付けるなどして情報の拡散を図った。

 モンゴル語では震災情報が定期的に張り出されるページもでき、フェイスブックやツイッター上の情報を得ようと新しく登録する人も増えていった。

 外部サイトとして災害マニュアルを翻訳してくれたモンゴルの友人サイトなどへのリンクも張り、10日ほどでかなり充実した情報のネットワークが構築できたように思える。

 電気が通っておりインターネットが生きている状況が前提ではあるが、ずいぶん有機的につながったことを実感できた。



 台湾や韓国など支援の額が話題になったが、モンゴルからの支援も続々と届いている。

公務員が1~2日分の給与を日本に寄付

 モンゴル政府からは日本に対して100万ドルの寄付が寄せられたが、個人の寄付のほか、政府機関の職員などが、1日分の給料、あるいは2日分、ところによっては5日分の給料を寄付した結果である。

 この報道に対して、日本の公務員は? とのコメントもあちこちで見たが、何の反応もないようである。

 モンゴルの緊急援助隊は、3月16日に宮城県に入り、岩沼市、名取市、仙台空港などで17日から19日までの3日間捜索活動を行ったほか、モンゴル国政府から援助物資、市民からの援助として毛布、セーター、マフラー、帽子、手袋などの防寒用衣類合わせて11トントラック1台分が送られ、石巻、南三陸町、気仙沼市の被災地に配布された。

 日本政府の対応がまずくて送り先が決まらなかったため、独自にモンゴル国政府が宮城県の災害対策本部と連絡を取って、支援物資の受け入れ先を探し、自費で発送したとのこと。

 余談だが、1995年1月17日の阪神・淡路大震災の際にも、モンゴル政府は21日には援助を決め、22日、定期航空便がないため特別機を仕立てて関西空港にやって来た。

復興の邪魔にならないように、物資を届けてすぐ帰国

 物資と一緒に訪日したプレブドルジ副首相は、復興の邪魔になってはならないと、物資を渡すとそのままモンゴルへと帰ったとのこと。この辺のモンゴル人の行動力や潔さ、見習いたいものである。

 また、日本のNGOゆいまーるが支援するモンゴルの孤児院は、40人分の子ども手当の全額寄付、先生たちの給与の一部寄付、チャリティーコンサートの入場料の寄付、メディアでの寄付呼びかけなどを行い、被災地支援のために600万円を集めたことも特筆に価する。

 4月初旬にはモンゴルからゲル(移動式住居)も宮城県気仙沼市に5張届けられた。寒いうえにプライベートも守られない状況にある避難場所で、更衣所、授乳場所などで使われたとのこと。

 日本に住むモンゴル人留学生たちも行動を起こした。


 毎年4月から5月のゴールデンウイーク期間に、モンゴル人留学生会は「ハワリン・バヤル(春祭り)」という企画を催していたが、今年は震災後すぐに中止が決定された。

留学生たちが開いた質の高いチャリティーコンサート

 震災後、学生の多くは一度はモンゴルに戻ったものの、状況が落ち着いたのを見て、多くの人々が4月初旬には帰ってきた。

 4月29日、フェイスブック上では、「本当は今日からハワリン・バヤルがあったのに」との書き込みがずいぶん見られた。

 そのような中でチャリティーの話があったのか、にわか作りだが、5月14日には留学生会だけでなく、モンゴル人協会・日本と共催、さらに在日本モンゴル国大使館、MIATモンゴル航空の後援もついて「ビッド・ハムトダー~私たちは共にいます」という学生主体のチャリティーコンサートが催されることになった。

 本番までの時間が短かったためかもしれないが、荒削りでも、日本にはこれだけのモンゴルの才能がいるのかと思わせるほどの素晴らしいコンサートであった。

 このチャリティーコンサートで集められたお金は、被災地での炊き出しで使われるとされてきたが、フェイスブック上で、実際、石巻市で6月2日に炊き出しが行われたことが報告された。

被災地の人々をモンゴル旅行に招待

 さらに、MIATモンゴル航空も、モンゴル国大使館、モンゴル観光協会とともに、避難生活を続ける被災者の方をモンゴルに招くプロジェクトを展開している。

 宮城県名取市から4月20日から1週間、6人の方がモンゴルに招待され、ウランバートルやテレルジ、ホスタイン・ノローなどの自然公園を訪れた。

 さらに、気仙沼市からも5月23日から1週間、60代から70代の方6人が招待され、モンゴルを楽しんだ。

 その旅の様子の一部は、プロジェクトを提案したMIATモンゴル航空のMargad日本支店長のフェイスブック上で確認できる。


 以上が、著者が知る範囲での震災以降、日本で、あるいは日本に向けてモンゴルの人々が行った活動である。

日本に対してわだかまりのない数少ない友好国

 これですべてが把握できているわけではない。他の多くの場所でチャリティーイベントなど行われたようである。

 モンゴルはレアアースの問題でにわかに注目はされたものの、人口の面からも経済の面からも、それほど振り返られることのない国なのかもしれない

 しかし、数少ない「わだかまりのない」友好国として、日本にこれだけの目が向けられ手を差し伸べてくれたことは、忘れてはいけないことなのではないかと感じる。

 それと同時に、遊牧民として自分で判断し自分で行動することを基本としてきた彼らが震災によって発揮したその行動力にも、いま一度目を向けていただきたいものである。



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/12251

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