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かの民が「まるきりデタラメ」と笑う歴史

Category: 韓国・朝鮮  

竹島はいうまでもなく、鬱陵島(ウルルン島)も日本の領土である!

 もともと、日本と韓国(朝鮮)の領土争いは竹島よりはるかに韓国側に位置する
 鬱陵島を巡って行われてきました。韓国は李朝初期より明治維新に至る四百五十年
 間、鬱陵島を空島とする政策をとっていたため、鬱陵島より遠くにある竹島へ朝鮮人
 がたどり着くことは困難でした。日本側は慶長年間以前から多くの漁民が竹島を経由
 し鬱陵島まで進出し、漁業を営んでいました。元和四年(1618)には米子の大谷
 甚吉、村川市兵衛が正式に江戸幕府の許可を得て、あわび、アシカの漁猟、せき木、
 桐等の木材伐採を行っています。
  元禄年間になると朝鮮人も鬱陵島へ渡航し始めたため、元禄六年、(1693)
 日本側は鬱陵島で朝鮮人安龍福らを捕らえて、宗対馬守を通じ朝鮮政府に引渡しま
 した。対馬守は、鬱陵島に対する朝鮮漁民の侵入を禁じる旨を伝え、朝鮮側は安龍福
 らを処罰することを日本側に伝えています。

         「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著より
          日本図書館協会選定図書





日本人の生命・財産が韓国側の海賊的な行為によって不当に蹂躙されておる。
 あるいはまた竹島という日本の領土の一角が不法に侵略をされておる。
 国敗れたりといえども、この地球上の一弱小国であるところの韓国から、
 日本がこんな屈辱を受けても手も足も出ない。まことに醜態ではないかという
 声は、私はけだし、一般の世論、国論としては当然のことであろうと思い
 ます。
 あえて、経済的な報復措置と申しますか、少なくとも対抗措置は当然とる権利
 をわれわれはもっておるのであります。/(六十万もいる韓国人・朝鮮人に対して
 生活保護を与えていることに対して)しかも事あるごとに、動乱を好む不良韓国人
 に対しての強制送還、ないしはこれらに対するところの何らかの措置というものを
 当然今日の段階においてもはや、考えるべく、そして行うべき段階ではなかろうか。

     第十六回国会衆議院外務委員会議事録第三二号  自由党 佐々木盛雄

  
   李ラインによって日本漁民が拿捕殺害されたことについての「日本社会党」
  国会議員の国会質問

   「これは公海における日本の操業が向こうの武力、私はあえて武力と言
   いますが、武力によって脅威を受けおる。しかも急迫した事態である。
   日米行政協定二四条には「日本区域における急迫した脅威が生じた場合
   には日本国政府、および合衆国政府は日本区域防衛のために必要な共同
   措置を執り」云々とあるのであります。私は国権がまさに侵され日本の
   数十万の死活問題であり、大きな脅威である切迫した事態に、なぜこれ
   が適用されないのか、これをお聞きしたいと思います」

     1953年9月15日 社会党 赤路友蔵 第十六回国会衆議院水産委員会



日本に併合していただく前は死せる墓場だった朝鮮半島

 「どこまでいっても禿山と赤土ばかりで、草も全て撚料のために
 刈り取られている」、
「山地が痩せていて、昨年も沢山の餓死者が出た」、
「ここは退屈極まりない土地で、山は禿山、植生は殆ど見られない」
「朝鮮人たちは土地が痩せていると不満を訴えている。樹木は殆ど
 皆無で、燃料には藁と草が使われる」

      「朝鮮旅行記」ペ・エム・ジェロトケヴィイチ 1885年


あらゆる民族の奴隷を続けた千年属国


モンゴル人が建てた元朝は、高麗を支配下において、あれこれと干渉してきた。
司令官を駐屯させて、王家の世子(世継ぎの王子)を人質として、
元に差し出させた。この世子がのちの忠烈王である。忠烈王の帰国にあたって
元の世祖フビライは娘と結婚させた。つまり、高麗王は、元の大汗(皇帝)の婿と
なったわけである。以後、歴代の王は、元の支配のもとに、有名無実となり、
その後の王は、モンゴル名を名乗ることとなった。忠宣王はイジリブカ、
忠肅王はアラトトシリ、忠惠王はプダシリというふうに、改名させられてしまった。
また、モンゴル風に、弁髪を強いられ、衣服も蒙古風にさせられたという。
こういう強制は、のちの清朝の時にも行なわれている。
韓半島の歴代王朝が、臣属している中国そのものが、異民族に蹂躙されてしまう。
そうなると、これまで、中国の王朝の意を迎えるため、
すぺてに中国式に徹底してやってきたことが、無に帰してしまうのである。
朝鮮民族は、パニックに陥ってしまう。胡服弁髪を強制されることになり、
中国に義理立てしてきた価値観が、モンゴルになり、満州になり、
そして日本になりという、これまで、朝鮮民族が蔑視してきた民族の
ものに、切り換えられてしまう歴史である。創氏改名は、
日本人の専売特許ではなかった。歴史上、
何度も、そういう目に遭ってきた民族なのである。

  「韓国へ、怒りと悲しみ」 豊田有恒 1996年 文藝春秋社



フランスの国際法学者フォーシーユは、日本軍を賛えて次のように語っている。

「日中戦争で日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り、
日本軍人であることに誇りを持っていた。中国兵は卑怯にして残虐極まりない
軍隊で、例えば中国軍の捕虜になると、四肢を斬り分けられ、
生きながらに火炙(あぶ)りにされたり、磔(はりつけ)にされたりしたのである。
更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている。
即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、或は男根を切り落し、
胸部を切り開いて石を詰め込み、首は両耳を穿って紐や針金を通し、
さながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々、
それが中国軍の戦争様式であり、日本軍には絶対に見ることのできない支那の
戦争文化である」と。



朝鮮人(韓国人)は、科学技術の分野においてほとんど進歩のあとを見せていないが、
産業の知識においては、なおさら遅れている。この国では、数世紀もの間、
有用な技術は全く進歩していない。

この国は山岳や峡谷が多いのに道路をつける技術はほとんど知られていないのである。

           「朝鮮事情」 シャルル・ダレ 1874年 



とくに私(ガザリー・シャフェ外相)が惜しいと思うのは、
 日本くらいアジアのために尽くした国はないのに、
 それを日本の政治家が否定することだ、責任感をもった政治家だったら
、次のように言うだろう。
「その頃、アジア諸国はほとんど欧米の植民地になっていて、独立国は
 ないに等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
 それに対して、ゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために
 弾圧するのは当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって彼らか
 らどんなひどい仕打ちを受けたか忘れたのか?日本軍が進撃した時に
 はあんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のことは棚に上げて責任を
 すべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ主義が、
 欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないか。」

 昭和63年(1988年)9月 マレーシア ガザリー・シャフェ外相 
 謝罪する日本の政治家に対しての演説



 「恥を知る」を知っていた大日本帝国に教育を受けた韓国人(朝鮮人)!!

 1965年11月から12月半ばにかけて、私は解放後の韓国を初めて
 訪れた。当時新聞社にいた私は、日韓条約が成立するときの韓国の表情
 を取材するよう命じられていたのである。/ソウルに着いたら、日本の
 植民地支配について、多くの韓国人から糾弾の言葉を投げつけられるだ
 ろう、と私は飛行機の中で覚悟していた。だが40日間の出張期間、そ
 うしたことは一度もなかった。むしろ、温容をもつて親切に韓国の現状
 を説明してくださった方が、あとで大変な反日家だと聞かされて、驚いた
 りもしたものだ。あの方達は現在、直面している困難が日本の植民地支配
 によるものだ、といった類のことは絶対口にしなかった。「それを言えば
 自分達は今なお日帝の影響下にあると認めるではないか。そんなことは絶対
 できぬ。我々は昨日の韓国人ではないのだ」それがあの方たちの強烈な意気地
 であった。/あれから30年近い年月が流れ、事態は逆になった。いまや韓国
 から私の目や耳に入ってくるものは「自分達は日本にこんなにもやられた」
 「韓国はこれほどまで日本に痛めつけられた」という話ばかりである。
 「残虐な日本に翻弄された韓国」というイメージを、苦渋の色もなく得々と
 描きまくる光景。これはかって私を感動させた独立韓国とは、あまりに違って
 おり、私はただ唖然と眺めているばかりである。

            田中明 1992年「韓国政治を透視する」より



 剣道、武士、忍者まで韓国が祖と世界にうそぶく理由は社会の隅々まで 
   日本化してしまいにっにもさっちもいかなくなった韓国の開き直りだった!

  韓国史で最も多忙だったこの十六年間は、日本社会の影響を集中的に受けた時代
 でもある。海一つ隔てた日本社会は常に模倣答案のようなもので、韓国人は猛烈
 にそれを書き写した。
 韓牛増産を目標に牛肉を輸入し、その利益を国内畜産業者に分けるというアイデア
 は、四年前の日本の牛増産策をそっくりまねたものであり、坪当たり八十万ウォン
 もするアパートの分譲価も日本のアパートの値段や不動産政策をそっくりまねたもので
 ある。それだけではない。テレビ番組、化粧品の種類や包装、ラーメン、ヤクルト
 地下商店街、正露丸、ゴキブリとり、ホテルとサウナ、流水プール、高校生の暴力
 新聞の編集とコラム等々。
 既に韓国化したものも真新しいものも、ほとんどが日本を媒介にしたものである。
 新開発の商品の品名や形に首をひねる必要はない。あまたの法令集の文章や専門
 用語に感嘆する必要もない。棒のように突っ立っていた歌手がある日突然激しい
 ゼスチャーとともに歌い始めたからといって驚くこともない。理由は簡単である。
 日本のそれをまねているのだ。
 癒着の範囲は人間に限らない。社会全体が、目に見えるものも、見えないものも日本の
 模倣で蔓延しているのだ。
 その結果、日本の絆から解放された韓国は、逆説的なことに日本の模倣社会に
 なってしまった。
      
金時福「韓日関係の新たな転換期」 韓国日報 1981年8月14付



 日本人以上に大東亜戦争に狂喜乱舞して積極的に戦争に参加協力した
  韓国人(朝鮮人)に日本の首相の靖国参拝阻止を主張する権利がどこにあるのか

 
 「別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、
 このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない」

 パリ・マッチ特派員アルフレッド・スムラー著「日本は誤解されている」日本教文社・
   昭和六十三年・119ページ



 独力で「漢河の奇跡」を成し遂げたのであれば威張るがよい!
隣国日本におんぶでだっこで経済成長した世界一幸福な民族朝鮮人!

日本との国交再開と同時に、日本の中小企業が馬山とソウル九老洞の輸出
工業団地にどっと移入し、工場を建設し生産活動を始め、雇用が増大すると
共に、各種輸出商品の生産技術や生産管理技術を見習うことができた。今は
漁船の乗り手がいなくなり、衰退してしまったが、一時は韓国の遠洋漁船
九百余隻が世界五大洋に出漁していたものであった。これができたのは、日本
の商社が中古漁船を延払いで提供してくれたからである。六十年代、韓国の企業
が技術者の訓練を要求すれば日本の企業は喜んで訓練させてくれたものだった。
米国の技術よりも、日本の技術のほうが韓国人には習いやすかった。日本の協力
がなかったならば韓国の経済成長はもっと遅くなっていたであろう。

                 金潤根将軍 「5.16と海兵隊」より



世界の五大国の臣民になれたことをおおいに誇った千年属国民族朝鮮人(韓国人) 

太古の昔、内地(日本)と朝鮮とが全く一つの家だったから、お互い
言葉も同じだったし、(中略)全然同じものだったのです。その後、朝
鮮が内地から離れていったために月日が経つにつれて何もかもがこんな
に違ってきたのです。食べ物も、言葉も、着物も名前のつけ方も。これ
は私たちがあまりに支那を崇拝した関係もあるのですが、とにかく悔し
くてならないのは、その名前のつけ方まで支那のまねをしてきたという
ことです。略(日本名に創氏改名することは)ただ、太古に帰るのみで
なくて、今日の内地の一切の風習に向かって、自発的に勇敢に帰還する
ことによって、進んで祖国に栄光あらしめ、ひいては我らの子孫を万代
の易に置くことができる。ならば、創氏改名するに何のためらいがある
だろうか。

    金文輯「半島風習のその祖国への合理的発展的帰還を論すの言」



 
  日本の思いやり統治で「この世の楽園」を謳歌した朝鮮土人たち

  今の韓国人(朝鮮人)は韓国は昔から栄えていたみたいな
 顔をしていますが
 昔の韓国(朝鮮)は全く箸にも棒にもかからない国で、産業はゼロ、通貨
 すらなく、政治は乱れきっていたわけです。だから日本がそこに
 つぎ込んだカネは大変なものでした。統治中に、朝鮮人の個人
 から日本は税金を取ったことがありますか。ないでしょう。すべて
 持ち出しです。だから、あんなことはもう頼まれたって嫌だという
 わけです。
    
     渡部昇一上智大学名誉教授 「封印の昭和史」 徳間書店



韓国兵がベトナム民間人三十万人を大虐殺したベトナム人大虐殺事件

強いものにへつらい武器持たぬ弱者を苛め抜くその卑劣極まりない民族性
韓国の独立記念館に陳列している日本人の残虐行為は自分たちがやったことである


 韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる.

-住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する.
-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす.
-子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む.
-女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す.
-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる.
韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた.
                      (ハンギョレ新聞)

※韓国(南朝鮮人)軍のベトナム民間人三十万人大虐殺事件
  外貨が欲しかった南朝鮮(韓国)は政治的目的ではなく日銭稼ぎ
  外貨稼ぎ目的でアメリカにくっついて行き、ベトナムの
  各村の女子ども老人をまるごと虐殺しぬいた事件。
  特にベトナム女性を強姦、慰安婦にして一万人の私生児
  をベトナムに遺棄して未だにベトナムに謝罪も補償もしていない。
ベトナムでは今でも泣いている子どもをあやすに
  「タイハン(韓国兵)がくるよ」と言って恐怖で泣き止ませるという。
  ベトナム人はアメリカ人より朝鮮人を憎み嫌っている。



恐怖の宗主国シナを成敗する日本軍の強さに驚嘆、感激、協力した朝鮮人《韓国人》

   ところが、昭和十二年七月七日の盧溝橋事件に端を発したシナ事変において
 日本軍が中国軍を打ち破り、連戦連勝するようになると、朝鮮民衆の対日感情
 はにわかに好転し始めたのです。二千年前の漢時代から朝鮮を圧迫、支配して
 きた中国軍をいとも簡単に打ち破る日本軍の強さに朝鮮人は驚き、そして、その
 驚きが尊敬に、尊敬は熱烈な愛国(日本への協力)へと変わっていったのです。
 目に見える劇的な変化は、出征軍人の歓送迎でした。
 シナ事変勃発後、七月十二日から多くの兵士が入営出兵を見たのですが、初めの
 うちはその友人知人が日本人、朝鮮人一緒になってこれを送別するという様子で
 したが、北支(満州)へ出動する日本軍の部隊が続々と朝鮮半島を縦断して北上
 するに及び、見ず知らずの人々も町内、村内または一地方挙げて駅まで出てきて
 これを送別するようになったのです。誰誘うとはなしに、駅という駅は国旗の波
 と万歳の声で溢れるようになりました。もともと個人的には親切な人が多い朝鮮
 民族ですから、駅での心のこもった湯茶接待、慰問品の受け渡しばかりではなく、
 出征兵士との間に涙と笑いの交歓が続きました。特に京城駅(現ソウル駅)には
 昭和十二年九月中だけでも実に四十三万余人、一日平均一万四千三百人が詰め掛け
 日本の兵士たちをいたく感動させたといいます。/
 興味深いことは、朝鮮の民衆ばかりではなく、それまで日本に対して冷ややかだっ
 た朝鮮の民族主義者までが手のひらを返したように積極的に愛国運動を始めたこと
 への日本側の戸惑いが、そのパンフレットの端々ににじみ出ていることです。

           「日韓2000年の真実」名越二荒之助 国際企画
           (日本図書館協会選定図書)



日本の敗戦直後、連合軍に相手にもされなかった韓国人 (朝鮮人)
  (再び、下ろされた太極旗。 光復節は独立記念日でもなんでもない!)

 連合軍は八月十六日、総督府に機密命令を発し、しばらく総督府に朝鮮統治
 を続けることと、日本の朝鮮統治機構を保全し、これを連合軍に引き渡すよう
 に命じたのです。敗戦国日本にとって連合軍の命令は絶対です。八月十八日
 総督府はやむを得ず、朝鮮建国準備委員会に与えた行政権を取り戻しました。
 一旦は建国準備委員会の手に渡った統治機構も放送局も新聞社もすべて摂収して
 しまったのです。太極旗は下ろされました。
 朝鮮側は激怒しましたが、なすすべがありません。行政権を委譲されたとはいえ
 実際に朝鮮全土の治安を維持していたのは日本軍と総督府の警察であったからです。
 そこで呂運亭は全土に「建国準備委員会」を発足させ、、百四十五の支部を基盤に
 ソウルに一千人余りの代議員を集めて「朝鮮人民共和国」の樹立を宣言しましたが
 朝鮮半島の命運に決定権をもつ米ソ両国に否認、無視されてしまいます。

           「日韓2000年の真実」名越二荒之助
            日本図書館協会選定図書


事大主義の悲劇!

  (連合軍に媚を売り、歓迎しに行ったら連合軍に殺傷された韓国人!)

 ホッジ中将率いる米軍が九月八日に仁川に着くと、「朝鮮人民共和国」の
 代表が迎えに出ましたが、全く相手にされませんでした。総督府から市民
 外出を禁止する指示があったのに、五百人ほどの朝鮮人が、太極旗や赤旗
 を掲げ、花束や贈り物をもってアメリカ軍に近寄ろうとしたところ、警備
 していたアメリカの警察部隊が発砲、死者五人を含む、多くの重傷者が出
 ました。しかし、ホツジ中将は警官の措置は正しかったと言って、誉めた
 のです。「アメリカこそ朝鮮を日本支配から解放してくれる救世主だ」と
 思い込んだ朝鮮の人々が哀れでなりません。

           「日韓2000年の真実」名越二荒之助
           (日本図書館協会選定図書)



 「強制連行」など起こりようがない!!

 ひと頃、朝鮮人労働者「強制連行」の問題が頻りに取りざたされたが、
 この問題に対する一般の認識には多くの誤解が含まれている。/
 その第一は、終戦時約二百万を超えた朝鮮人労働者の大部分は本人の
 自主的な意志によって渡航してきたもので、「強制的」に「連行」され
 たものではない、ということである。所謂「強制連行」は、大東亜戦争
 勃発に伴う労働力不足を補完するため、戦争中の昭和十七年に、それまで
 自由募集であった朝鮮人労働者を「官斡旋」即ち、朝鮮総督府が募集する
 ことにし、間に立った朝鮮人ブローカーが強引な徴用を行ったことを指して
 言う場合が多いようだが、その実態は甚だ不明である。
 そもそも日韓併合以降、貧しい韓国から豊かな日本へ移住しようとする
 朝鮮人は引きも切らぬ有り様だったのであり、朝鮮総督府や日本政府は法律
 の網の目を潜ってでも日本で働こうとする朝鮮人の密航者には、終始、頭を
 痛めていた。法律を犯してでも日本に入国しようとする朝鮮人が一杯いたと
 いうのに、何で「強制連行」の必要があるのだろうか。その必要はなかったし
 むしろ日本側は迷惑していた。

              「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
               (日本図書館協会選定図書)


 韓国が日本の隠岐の重要文化財である仏像を盗み国宝にしている理由

韓国では、骨董屋を覗くと首のない仏像が売られていることが多い。
李朝の斥仏政策のもとで、仏像の首が切り落とされたからである。
それに今日でも韓国では、平地に仏教の寺がない。寺をたずねようとしたら、
山を奥深く分け入ってゆかねばならない。

李朝では代を重ねるごとに、儒教による仏教に対する締めつけが、いっそう
強められるようになった。儒教という怪物が時とともに大きく成長してゆき、
儒教唯一絶対主義といわれる体制が固まっていった。仏教は目の敵とされた。
李朝三代目の国王となった太宗(在位1400年~18年)の治世になると、
仏教にさらに苛酷な弾圧が加えられた。高麗朝が倒れたときには、
全国に1万以上も寺があったというのに、寺の数を242にまで減らし、
寺が所有していた土地や、奴婢(ノビ)と呼ばれた奴隷を没収した。

その後も、仏教へのパンチが次々と繰り出された。仏教は弱体し続け
、ついに崩壊した。四代目の国王の世宗(在位1418年~50年)は、全宗派を
禅教2宗に統合して、それぞれわずか18寺院だけを残して、他の寺を廃した。
世宗はハングルを創製した名君であったのに、仏教には好意をいだいていなかった。

    「醜い韓国人」 朴泰赫 1993 光文社


 「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。
第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が
成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は
驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、
竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、
勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場から
オランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を
えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた」

  インドネシアの中学3年用の歴史教科書

 ※インドネシアは四百年オランダの植民地となり搾取、虐待の限りを受け
  インドネシア人はオランダ人から家畜以下の仕打ちを受け続けていた。
  大東亜戦争日本軍に一気にオランダを一網打尽。日本はインドネシアの
  独立の基礎を作った。日本敗戦後、再びオランダはインドネシアを
  植民地にすべく侵略しようとしたが日本軍の圧倒的強さに目の前にした
  日本軍に軍事教練された奮い立ったインドネシア人
  を二度と植民地にする事はできなかった。



第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、
 むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと
 言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に
 含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、
 西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、
 過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。

  アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
  1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」より 
なお、氏は日本のカルト新興宗教創価学会の名誉会長
  である成太作こと池田大作にその高名を悪用された経緯がある。



「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、
抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例
をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの
歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」

  ビルマ外相 ウー・ヌー 1943年8月1日独立時の演説より




「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、
1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者は
アトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」

  初代ビルマ首相バーモウ 『ビルマの夜明け』


「我々韓国人はいったい、いつまで日本にごり押しを続けるつもりなのか?
我々が無能だったからやられたんじゃないか。そうだよ。我々にも責任
はあるんじゃないか。」
「もう従軍慰安婦がどうのこうのいう時代じゃあないだろう?それを口実にして
無知なお婆さんたちがどっと日本のテレビに出て来て、涙を振り絞って泣くもの
だから、恥ずかしくって死にそうだよ。」
「わたしの知り合いに西洋人の子がいるんだけど、彼が言うには『あなたたちコリ
アンはまったく、すごい!』んだって。それで何が、て聞いたら、世界中が日本の
ことをすばらしい、と思っているのに、日本を馬鹿にしている国民は韓国人だけ、
だって。過去は過去でしょ。日本がそれほど強くて実力のある国なのに、わたした
ちがこの国の気分を害する必要があるのかしら?やはり現実感覚がなくちゃ、資本
主義の国では暮らしていけないんじゃないかしら。」
「我々韓国は絶対日本に二十年は遅れている。見ればわかるよ。韓国が日本を
追い越すだって!永遠にそんなことはありえないと思うよ。」

日本の地に渡ってきて暮らしたり、しばらく滞在したさまざまな階層の韓国人が日本
体験談を思いのままに語った真実の言葉だ。/わたしの体験では彼らの言葉はほとん
ど事実に符合し、もっとも、客観的に公正に日本を評価しているといえる。
わたしが一般の韓国人の言葉をここに引用したのは、それがあまりに真実を映したも
のだからだ。ところがただ一つ「日本に二十年遅れている」というが、わたしの考え
では約百五十年くらい遅れているとみるのが正解だ。それは経済、技術よりも素質と
道徳水準のレベルを指している。

     金文学 「韓国民に告ぐ!」より



強い者には阿諛迎合し武器持たぬ弱い者は虐殺しぬく世界一の卑劣極まりない悪逆民族朝鮮人!

 韓国の場合、いくばくのお金を与えるといわれて、何の関係もないベトナム
 に軍隊を送ったあげく、無辜の良民を見分けることができず虐殺したのは
 わずか三十余年前のことだ。当時の韓国軍がいかに残酷だったことか。ベトナム
 では「タイハン」(韓国軍のこと」が来たといえば泣いていた赤ん坊もぴたりと
 泣きやんで、恐怖に震えたという話が伝わっている。また韓国兵は幼い子どもらに
 アメをやるといって呼びよせ、悪戯半分で撃ち殺したという。このように韓国軍の
 残虐さを記録した資料は計り知れないほどある。ベトナムの人々は韓国軍に抹殺さ
 れた村ごとに碑を建て、「タイハン」の残虐行為を忘れまいと誓っている。米軍は
 ベトコンがいそうな村に入って住民を殺す必要があるときは、きまって韓国軍を
 利用したという。こうして五年足らずのベトナム参戦中に韓国軍が虐殺した
 ベトナム人は三十万人を越すと推定されている。

  韓国で青少年有害図書として言論弾圧された本「親日派のための弁明」 金完燮




伊藤博文公が韓国の自堕落官僚たちに与えた名訓示!
 
 「日清戦争後間もなく、ロシアが手を韓国にのばすや、韓国はそれを
 とがめぬばかりか、韓国独立のために謀る日本を嫌厭した。韓国は自国
 の独立の為には、不利なことは判りながらロシアに追従したではないか。
 日清の役から日露の役に至る十年間、韓国は奮って、独立の要素を滋養
 しなければならなかった時期であったにもかかわらず、これを顧みず、
 或いは右に傾き、或いは左に傾いて、その為ついに、日本が韓国のために
 ロシアと戦わねばならなくした。故に今日、日本が韓国の外交権を掌中に
 収めたのは、当然のことである。
 何故ならば、これを依然として、韓国人の手中に収めて置くとするならば
 韓国は何時までも、列強の競争場となり、日本のために極めて危険だから
 である。
 然るに韓国人は、今日にいたっても尚、外交権を回復するだけの実力を養う
 努力をしようとせず、しきりに、他国の援助によって、これを日本から取り
 去ろうとしているようである。けれども、どんな国にせよ、他国のために自国
 の財力と国民の生命を供するものではない。およそ、国家は、自ら独立する
 要素なくて、単に、他国に寄りかかっているだけで、立っていけるものでは
 ない。今日のままで進むとすれば、韓国を亡ぼすものは、他国ではなく、韓国
 自身ではなかろうか。
 故に諸君は反転表裏なく、専心一意、韓国のために謀らなければならない。
 日本は諸君を助けて、韓国を独立させるよう尽力しつつある。然るに韓国人は
 日露戦争のような大激戦を目撃しながら、尚、覚醒しないのは何事であろうか。
 そうだ。韓国を亡ぼすのは日本人ではなくて、内外の形成を察せず、無謀軽挙
 を事とする韓国人である。
 自分は韓国の改革に絶望した事もしばしばである。然しながら、韓国の形勢に
 顧みて、忍耐して従来の方針を改めないる国は自ら立たなくてはならない。
 今日のように進むならば、韓国はもはや、自滅の外ない。」



 赤貧、堕落、腐敗づけの怠け者民族

 韓国の政治的命脈は気息奄奄であつた。「何時滅亡するか」といふ状態
だつた。政治は腐敗し、堕落は横行し、巨費を投じて官を買ふ徒は
財を奪ふなど「人々を苦しめた」。十三の長官などは、三 年その職に
居れば子孫は三代の後まで寝転んで我が世の春を謳歌できた。
かういふのが実情だから、富めば役人に奪はれるため、人々は働
いて富を得ようとする者はいない。人民は怠け者となる。唯、その日
暮らしの衣食さえ足りればいい。とした。土地があつても耕さない。
鉱山があつても採掘もしない。漁民も働かない。山林は乱伐にまかせ
た。国をあげてその日暮らしである。かうして国運は日に日に衰える
一方だつた。 

        「北清戦観戦記」 坪谷善四郎


日本による善政統治前は暗黒の差別社会、奴隷社会であった韓国(朝鮮)


「又個人的随意契約により若しくは父母に売られて奴隷となるもありて、
世襲奴隷と一時的奴隷とはその間厳重なる差違を存し、
世襲奴隷の子女は常に奴隷となり、
主人の承諾を得るにあらざれば絶対的にその自由を回贖するを得ざるも、
一時的奴隷の子女は多くの場合において解放せられ、
その奴隷自身も犯罪により奴隷と為りたるものを除くの外は、
主人の意に反すとも一定の金額を納めて自由の身となることを得るなり。

世襲奴隷は常に全く主人の専有物と見なされ、
主人は之を売買し、貸与し、贈与しその他すべて随意に之を処分することを得。」

                      シャルル・ダレ



他人依存、怠惰、自堕落な遺伝子を引継ぐ南《韓国》、北朝鮮人

  将来性がなく、中国人以上に散々な民族である。一千年前に眠ったその場所に留まり続け
ている。いっそう良くないのは、その眠りから覚めようとしない事だ。
 朝鮮人は独立が嫌なのだ。できれば色んな人に依存して責任回避をしたいのだ。彼らの
望むことは、何の心配もなく平和に暮らす事だけであり、「独立」と言う言葉は、彼らに取っては
恐怖を意味し、不信や無法と同じである。 仕事、悲しみ、喜びは分け合うが、収入は独り占め
にし様とする。自分の判断で動かざる得なくなると、慌てふためき、結局、一番愚かな行動を
取ってしまう。 
 日本人は楽しく働いて、その結果について自負心を持つ。所が朝鮮人は、生存の余地が
なくなると言う状態に陥らない限り働かない。

      「悲劇の朝鮮」    スウェーデンの記者・アーソン・グレブスト 


朝鮮(韓国)への贈り物






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