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今日ボクが見た風景

在日韓国人への愛

Category: 在日・パチンコ  

反日ピアニストの崔善愛さんへ捧ぐ



 韓国(朝鮮)は日本によって有史以来初めて「独立」の地位を得た!
 
 歴史的にみて、韓国はまぎれもなく「中華帝国」の属国であった。
 そのことは韓国で出版された歴史関係の著書や「歴史辞典」に散見
 される。韓国人自身も属国であったことを認めていたわけだ。
 私は韓国人と「属国論」を議論するときは、この彼らにとっての
 「痛いところ」を指摘する。すると必ずと言っていいほど彼らは
 しどろもどろになり、反論に窮してしまう。そんな体たらくは見るに
 忍びがたいので、ついつい、追及をやめてしまうのだが、それでも次の
 一言を言わざるを得ない。
 「では、なぜ日清戦争後の下関条約第一条には、清国からの朝鮮独立
 がわざわざ明記されているのか。朝鮮が清国の属国でなかったならば、
 日清両国がこな条文を結ぶわけないではないか。それとも両国の国家指導者
 がまぬけだつたというのか」
 たいていはこの一言が決まり文句となり、(韓国の)属国否定論者は
 「あれとこれとはちがう」とか「それは清国と日本が勝手にやったことだ」
 とかの言い逃れに走るのが常である。

                韓国は日本がつくった 「黄文雄」



韓国では、四百年経っても秀吉は悪の張本人である。
 ところが韓国は中華人民共和国(中国)の侵略行為に対しては、あまり
 触れたがらない。1950年に起こった朝鮮動乱の時には、国連軍十六ケ国
 の支援を受けて韓国はわずか半年で北朝鮮を鴨緑江の近くまで追い詰めた。
 これで朝鮮半島は韓国路線で統一されるかに思われた。ところが中国軍が
 一挙に介入して三年間に及ぶ血みどろの戦争が続き、多くの犠牲者を出した。
 今から四十数年前の中国軍の韓国侵略に対しては抗議せず、四百年前の秀吉軍
 の出兵には、今も恨みを忘れない。これはどうしたことか。
 そしてもう一つ、韓国はベトナム戦争にも参加し、延べ三十一万人の軍隊を派遣
 した。ベトナムでは今も「韓国は米帝の手先となってベトナムを侵略した」
 と言っている。現在ベトナムは経済建設に多忙だが、一段落したら韓国に抗議を
 行い、謝罪を要求するといっている。そのとき韓国はどう答えるのか。
              
           「日韓2000年の真実」 名越二荒之助
              (日本図書館協会選定図書)



古代から日本は朝鮮人を救援・庇護・優遇してきた

  百済が滅びると、百済の人々は新羅の支配下に置かれることを嫌いました。
  いかに多くの人々が日本に亡命してきたことか、その数は数百とも数千とも
  言われます。
  当時の日本は亡命者に対して土地を与え、税金を免除して庇護しました。九州
  はもちろん、関東の武蔵野から北陸にいたるまで住みつきました。当時の日本
  には、百済人を異国人と見ない傾向さえあったのか、百済時代の地位に見合う
  地位を与えています。鬼室集斯は学識頭(文部大臣にあたる)に任じられ、
  その墓は滋賀県日高町に今も残っており、「鬼室神社」もあります。鬼室集斯
  は「佐平(首相にあたる)福信の巧により」と「日本書紀」に書かれていますから
  福信の子ではないでしょうか。医薬に秀でた「鬼室集信」の名も出ている所
  を見ると、集信は集斯の弟かも知れません。「日本書紀」には彼ら七百人を
  蒲生郷に移したとあります。今蒲生町の石塔寺には三十塔を取り囲むように石塔群
  がありますが、彼らはここに眠っているのです。

                「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
                (日本図書館協会選定図書)



植民地時代の朝鮮では農業経済が安定し工業生産力が拡充するなど、多くの
 発展があった。それは自生的なものではなく、日本の植民地開発による部分が
 大きい。たとえばGDPは1912年から37年までの平均で4・15%の成長
 だった。これは当時の先進国の成長率を上回っていた。それは植民地化の過程
 で日本が持ち込んだ貨幣制度、土地調査などの近代的な諸制度、そして港湾、
 鉄道、道路、電信、銀行などのインフラストラクチャーの拡大によるものだった。

ソウル大学経済学部 安秉直教授




我々は五千年の歴史を自慢し、歴史を大事にすると言う。しかし
  実際は、歴史を教えてくれる記念物、象徴物を惜しげもなく壊して
  いる。
  ソウルの歴史が六百年だと言いながら、その長い歴史の苔を教えて
  くれる建物はあまりない。五千年の歴史を訪れる外国の観光客は、
  半日もあればソウルの古跡をすべて見終わる。数百年前の史跡を
  訪れるまでもない。我々は口癖のように「日本の統治三十六年」
  を言うが、祖父母達の「恨」を蘇らせてくれる遺跡があまりに少ない。

                    「井戸の中の韓国人」洪思重



現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが
「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。台湾で日本時代に
行われた「許可制」による改名運動に比べたら、むしろ韓国人にとっては
「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。ましてや「日帝」は万民
平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、戸籍さえ許されなかった
人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。さらに、「皇民化」=近代
国民運動によって日本語やハングル文字を普及させただけでなく、李朝時
代以来、両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・
ハングル混じりの文章を体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進したと
いうのが、紛れもない史実だ。
 「生命を奪われた」というのも、実に史実に反している。近代化の産業
発達によって優生学的な社会改革が行われたことで、有史以来の飢餓と疫病
を克服することができ、植物依存の生態系までも変えることができた。その
ため、米の生産量が一千万石から二千万石以上に倍増し、韓国の人口も倍増
した。このことを、生命を奪ったとは言わないだろう。日本は優生学的に
も人口学的にも、韓人の生命の質を飛躍的に向上させたのだ。
 客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と
言うべきだろう。/韓人に少なくとも自国史について「正しい歴史認識」を
日本は求めなければならない。

           「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国 黄文雄




「私はよくよく我が子孫と朝鮮民族の将来を考えたあげくに、こうするのが当然
 だという堅い信念に到達したのである。日本人との差別がなくなること以外に
 朝鮮人は何を望むだろうか。したがって差別の除去のために、あらゆる努力を
 注ぐことが、最も重大にして緊急なこととなる。我々の在来の姓名は、支那を
 崇拝していた祖先の遺物である。今我々は日本帝国の臣民である。支那人と
 混同される姓名をもつよりも、日本人と混同される氏名をもつことが、最も
 自然だと信ずる」
       
             「創氏とわたし」

       韓国の英雄的文学者 李光洙(香山光郎と創氏改名)





   韓国は今や末路である。亡びざる国はなく、四千年の
   旧邦も今は断末魔に近づいている。一進会ならざるも
   哀々たる庶民は此上塗炭の苦しみにまみれたくなかろ
   う。むしろ、日本は速やかに併合して日本天皇陛下の
   政にて一千二百国民が蘇生する事を得れば、国は亡ん
   でも亡び甲斐がありと言わねばならない。」
               
           平理院裁判長 洪鐘宇
           「日韓2000年の真実」より
           日本図書館協会選定図書





  いったい世界の他の植民地の中で、これほどまでに本国が社会資本の整備や、
 教育、医療衛生をはじめとする社会制度を充実させるために大きな投資を行なっ
 た例があるものだろうか?イギリスも、フランスも、オランダ、スペイン、
 ポルトガル、ドイツ、イタリア、ベルギー、アメリカも、そのようなことは
 しなかった。
 韓国の王族は日本の皇族の一員であると遇された。日本はソウルと台湾の台北
 に帝国大学を創立したが、いったいイギリスかインドにオックスフォード大学
 やケンブリッジ大学をつくっただろうか?韓国人は日本陸海軍の将校として登用
 された。いったい、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国やアメリカが、インド
 人や、アルジェリア人やフィリピン人を本国の将官にしただろうか?  

    韓国で出版禁止となった本  「醜い韓国人」光文社 朴泰赫



 日本が韓国の警察制度の近代化に乗り出したのは、明治四十三年でし
た。警務総長には日本の憲兵司令官をあて、憲兵と警察を一元化しまし
た。
 一般に韓国民衆を弾圧するためと即断されがちですが、無差別に行な
われる韓国官憲の横暴や拷問を防ぎ、「義兵」などと称して行われてい
た山賊まがいのことや、親日派韓国人のテロ、襲撃を防ぐためには断固
たる措置が必要であったのです。
しかし、日本人は語学が出来ず、民情にも疎いので憲兵・警察の補助員
として韓国人を募集しました。当時、日本人憲兵一千七人、韓国人憲兵
補助員一千十二人、日本人巡査二千二百六十五人、韓国人巡査三千四百
二十八人で、いずれも韓国人の方が多かったのです。
 ところがこの補助員たちは、これまでの宿怨を日本の権力を借りて晴ら
す者が多く、悪弊を直すのに困りました。今村鞆著「歴史民族朝鮮漫談」
(昭和三年)には「朝鮮人は日本の両班取締りを感謝したが、下級補助員
(朝鮮人の補助憲兵、朝鮮人巡査、朝鮮人通訳)の横暴こそ、後の日本に
対する悪感情を生んだ。如何に横暴だったか、驚くべき事例を沢山知って
おり、一冊の本が出来る」と述べています。
               
         「日韓2000年の真実」名越ニ荒之助著 国際企画社
          日本図書館協会選定図書



 われわれの政府や全政派がわが国民の進歩と開発に、もしも一致して普段の努力を
重ねたのであったならば、十年前に設定された独立の基礎(大韓帝国の成立をさす)
は保全されたであろう。独立の価値に対する認識不足によって、われわれはまさに正
反対のところに立っている。神の恩寵[日本により独立され支援を受けていたこと]
を尊重しなかったばかりに、われわれは国民の教育と強化に捧げられるべき時間と
精力を、怠惰な快楽のなかで浪費してしまった。われわれは神の贈り物をはねつけた。
われわれの今日の不幸はわれわれ自身の罪である。
    *[ ]内は書き込み者の加筆
         1907年10月1日付け「大韓毎日申報」




「日本人」であることを唯一の「誇り」にした朝鮮人《朝鮮人》


    日韓併合当時、満州には150万の朝鮮人がいた。彼らは絶えず漢人から圧迫
 され、摂取され、農奴に近い生活を強いられていた。やがて朝鮮人狩りが起こる。
 朝鮮人を最も嫌っていたのは張作霖で「満州には朝鮮人を一人も入れさせない」と
 息巻いていたほどである。この朝鮮人迫害は漢人、韓人たちの満州資源争奪の争い
 を助長した。
 このような歴史背景下で、朝鮮人たちの唯一の救いは、当時世界五強のひとつであった
 大日本帝国の臣民となることだった。唯一、中国に対抗できる切り札であったため、
 朝鮮人たちはすすんで創氏改名を強く要求したのである。日本こそが朝鮮人にとって合邦
 国家の民族の誇りであり、中国人の跋扈に対抗できるただひとつの勢力だったのだ。

                「韓国は日本人がつくった」 黄文雄    徳間書店





    先述したように、19世紀から20世紀初頭にかけての韓国は農村から
 都市ソウルまで、あらゆる地域においてきわめて不衛生な生活環境であった。
 今のハングル世代は常に韓国の山紫水明を誇りにし、韓国人はどこへ行って
 も生水が飲める世界でも珍しく水のきれいな国だと自慢している。
 しかし、日帝時代以前の韓国を見た外国人は、赤裸々に当時の実情を記録して
 いる。例えば、ダレ神父の「朝鮮事情」には、韓国の「水はまずく」、水が
 原因でかかる早老病をはじめ様々な、「水土病」について書いている。
 そんな朝鮮に、慈恵医院の管制が発布されたのは1909年のことであった。
 本格的に近代医学医療制度が導入されたのは、朝鮮総督府時代からである。
 総督府が設立した大韓医院は、やがて京城帝大(現在のソウル大学)付属病院
 となり、朝鮮半島の近代医学、医療発展の中心的存在となった。
 各開港都市と国境都市は1910年から厳しい防疫、検疫を実旋しており、
 疫病の浸入防止に取り組んでいた。コレラ、天然痘、ペストなどの大流行は
 1918年~20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。  
 その後、地方の医療制度は清州、金州など順次各地で確立され、医師の養成
 と疫病の防止に全力が注がれた。さらに、150万円の下賜金から済生会が
 つくられ、李朝以来存続していた階級制度の廃止とともに、各道から市町村
 に至るまで医療設備が整備されていった。賎民も国民として、近代医療の恩恵
 を受けられるようになったのである。
             
      「韓国は日本人がつくった」  黄文雄 台湾国の評論家




   韓国の独立は、その戦略的地位に鑑み、日本の死命を制する大事であった。
 したがって、日本は韓国が名実ともに独立することを願っていたのである。
 しかしながら独立は悪政につぶされた韓国国民の能力を超えたものであった。
 韓国が中国またはロシアの手に落ちるのを防ぐため、日本は二度の(日清・日露)
 の戦争を経て韓国を保護下におくことに宣言した。この実験は失敗した。そこで、
 1910年に締結した併合条約によって、日本は廃墟の上に新しい韓国を建設する
 責任を担ったのである。  

                 永野錬太郎 「現代の日本」 1933年9月 




   伊藤博文公を呪い殺そうとしたが発覚して公に一笑された暗愚の韓国王 
 
 高宗は伊藤博文総監には頭が上がらず、どうにかして排除したく、僧侶を呼んで
 伊藤調伏(まじないによって呪い殺すこと)の祈祷をさせ、死期を占ったりしま
 した。また金升皎という儒学者を特別顧問として出入りさせていましたが明治39
 年7月、金が憲兵隊に逮捕されたとき「聖上日可斬島夷伊藤博文、長谷川好道」の
 密勅が見つかりました。島国の夷である伊藤総監と長谷川軍司令官を斬れ、という
 高宗の秘密指令なのです。それを知った伊藤は少しも騒がず、高宗に対して次のよ
 うに諌言しています。
 「念仏、祈祷、うらないなどは暗愚の君主がすることだ。山村の隠れ儒学者である
  金升皎などは、四書五経を読んで周代の治教を知っているだけではないか。世界
  の大勢を知らず時勢に対応する能力ない。こんなことをするなら、孔子の昔を求
  めて国政を議したほうがよかろう」

                「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
                (日本図書館協会選定図書)



大体が我々は大きな民族ではない。中国やローマ、ペルシャ、トルコが
作ったような、そんな大きな国を作ったことがない。また、未だかって
国際舞台で主役を演じたこともない。エジプトやバビロン、インドや
ギリシアのように世界文化史に誇れるものを何も残していない。ピラミッド
万里の長城のような偉大な遺物があるわけでもなく、世界に貢献した発明も
ない。人物はいるにはいるが、その人によって世界思潮の主流になったと
いえるようなものはない。それよりも、あるものといえば、圧迫であり
恥であり、分裂であり、失墜の歴史があるだけだ。公正な目で見る時はなおさら
そうである。それは実に耐えられない悲しみである。
               
              「意味からみた韓国史」 咸錫憲




苦難の歴史!韓国史の底に秘められて流れる基調は苦難だ。この地も、人も、大きな
事も、小さな事も、政治・芸術・思想もなにもかもがことごとく苦難を示すものだ。
これを聞いて驚かない人はいないだろう。だが、はずかしく、心痛む事実であること
はどうしようもない。/私は七年前から中学生に歴史を教えるようになったが、どうす
れば若い胸に栄光の祖国の歴史を抱かせるかと努力してみた。しかし無駄だった。
幼いころ聞いた乙支文徳・姜邯賛の名を大声で叫んでみた。だが、その声で埋めて
しまうには五千年の歴史の呻きはあまりに大きかった。みんながしているように生生字
・亀船・石窟・多宝塔、あるものを全部総動員して観兵式を行ってみようともした。
しかし、外観だけですましてしまうには朝鮮半島に打ち込まれた傷あとはあまりに
大きく、多かった。私は自分自身を偽ることなしには、はやりの「栄光の祖国の歴史」
を教えることができないのを悟った。
                  韓国民主化運動のリーダー  咸錫憲





  古代、百済=南朝鮮(韓国)を支配していた日本

 わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化
が日本に伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である
「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)ところが、日本の学者が
「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶
(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を主張すると、
韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。これは
明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く
見るのではありませんか、
という身の程を知らぬ質問をした。そしたらL教授は黙り込んで答えず、
横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。「日本書紀」
には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、
三国文化を運んでいったようになっている。しかし、韓国の中・高等学校
では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、
ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを
助長する結果をもたらせた。外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」
に接して戸惑うのも無理はない。

          高麗大学教授 金鉉球





     「歴史認識」を日本に迫る「歴史知らず」の朝鮮人(韓国人)
 
公平無私なる観察を下すときは、いくら日本の朝鮮統治に反対しても善政は
 善政に相違なく、如何に伊藤(博文)公を毛嫌いしても公の真意には感謝せ
 ざるを得ない、とはある評者の言であった。
 究意するに韓国を亡ぼしたのは日本でもなければ之を責めるにも当たらぬ。
 また当時の李完用始め自余の責任者でもなければ之を攻撃するの必要なし。
 詮ずるところ、その責任は二千万同胞にあるのである。
 思うに韓国自体が独立の要素を欠き、独力独行することが出来なかったた
 めであって、古今問わず韓国国民全体が無気無力為す事なかりしの致すと
 ころであって、まことに自ら招ける禍であると云わねばならぬ。
 日露戦後、日本は前例に鑑み(日清戦争後の処理を指す)韓国の保護啓発
 に努力したるも韓国の上下は少しも日本の誠意を理解せず陰謀を策し、詭謀
 を企て陰に陽に敵対行動を取ったので日本は終に止むを得ず最後の手段とし
 て日韓併合を断行するに至った。・・・今日あるは自業自得であると云わね
 ばならぬ。

                 統治時代の道知事 朴栄喆



 日本から「独立」をプレゼントされたとたんに独立運動の
  リーダーは右往左往して伝統である内輪の大喧嘩を始め連合軍が
  進駐して来る前に「独立国家」を樹立できなかった主体性なき奴隷の遺伝子

  1945年、敗戦直前の八月、日ソ不可侵条約を一方的に破棄した火事場泥棒
  ソ連が怒涛のごとく北朝鮮に侵入してきたとき、朝鮮総督府(日本の朝鮮統治機構)
  はこれまでと観念した。この期に及んでいくらジタバタしてももうだめである。
  かくなるうえはいさぎよく朝鮮人の手に統治権を引き渡すことだ。
  総督府の高官は宋鎮兎、呂運亭などの独立運動のリーダーたちと交渉して
  統帥権を与えるから独立政権を作れと要求した。
  しかし、李承晩、金九などの独立運動の最高指導者は圏外に逃亡中である。
  これらの人々を無視して独立政権を作れといわれても、これは無理。
  ではどうするべきか。国内にいた独立運動家はたちまち大喧嘩をはじめた。
  歴史の転換期に国内が混乱することはよくあることだが1954年の「開放」
  にさいしても朝鮮のリーダー間の抗争は致命傷になった。
  一般の民衆も「解放」をいかなる形で具体化すべきか知りようもない。
  統治機構は日本の総督府に握られたままであった。憲兵、警察。検察などの治安機構
  地方統治権、学校、交通から放送、新聞などの言論機関にいたるまで
  日本の総督府が掌握していた。
  民衆は総督府を接収しようとも思わなかった。朝鮮総督阿部信行大将や
  上月中将を射殺してその屍を逆さ吊りにもしなかった。
  これがその後の韓国を運命付けた。
  

               「韓国の悲劇」 小室直樹 光文社



われわれがまず明らかにしなければならないことは、この(日本からの)解放
が盗人のように不意に訪れたということだ。解放後の腹立たしいこと、醜いざま
は一つや二つではないが、その中でもほんとうに腹立たしいのは、この解放を
盗もうとするやつらが多いことだ。彼らは、自分達だけはこのことを早くから
わかっていたと宣伝する。それは彼らが盗人のようにやってきた解放を、さも
自分が送り込んだようにして盗もうとするためである。それは嘘だ。もし彼らが
あらかじめわかっていたなら、それほど先見の明があったなら、どうして八月十四日
までへりくだって服従していたのか。そのときひと言でも予告して民衆を慰め、勇気を
ひきしめさせていたなら、今になってことさら宣伝しなくても民衆は指導者としてお迎
えしただろう。そういうことはやめて素直になろう。君も僕もみな知らなかったのだ。
みんな眠っていたのだ。神社参拝をしろと言われれば腰が折れんばかりに拝み、姓を
改めろといわれると競い合って改め、時局公演といえばありったけの才能を傾け語り、
米英を罵倒し、転向しろといわれば実にアッサリ転向し、よく見られようと聖書も直し
教会も売り、信用が得られるとなると四つん這いになり、犬の鳴き声もしてみせた。
この国の志士、思想家、宗教家、教育者知識人、文人に、また海外流浪何十年と格好は
よいが、その実、互いに博士派、先生派、なになに派、なになに団と、ハワイや
サンフランシスコではアメリカ人の召使をしながら、勢力争いをし、重慶・南京では
とうもろごし粥をもらって食いながら地位争いをしていた人たちが、なにをあらかじめ
わかっていたというのか。思想はなんの思想で、政治はなんの政治運動をしたというのか。
この国が解放されるとあらかじめわかっていた人など一人もいないのだ。

     「意味から見た韓国史」 咸錫憲 教育家、民族運動家



朝鮮(韓国)の財政を支えつづけていた日本の補充金と公債

  朝鮮総督府時代の朝鮮半島経営については、今日よくいわれている
 ような「日帝36年」の植民地収奪というよりも、日本人の税金を注ぎ込むことによって、
 朝鮮半島の財政をずっと支えてきたというのが歴史的事実である。
 朝鮮総督府は、朝鮮人を圧迫したり、搾取したり、収奪したりというよりも、
 税金を注ぎ込み、近代国家として育てようと奮い立っていたのである。

    「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社



「感謝」という言葉を知らない朝鮮人《\韓国人》
韓国鉄鋼業は、日本からの技術導入の恩恵を、もっとも受けている。
浦項製鉄所を見学したとき、ぼくは、現在の日本との関係など、意地悪な質問
を、韓国側の案内役にぶつけてみたが、言を左右にして答えてくれなかった。
ぼくの友人T氏が、提携先の製鉄会社の社員である。かれの依頼で、
その会社の独身寮で講演を頼まれたときのショックは、いまだに忘れられない。
かれは、「うちの会社には、韓国が好きな人間は、一人もいないでしょう」と言った。
ぼくも見学してきたが、韓国の浦項製鉄は、日本の最新鋭工場と、同じレイアウトに
なっている。単一工場での出銑能力では、日本と同じだが、人件費などの相違から、
受注量がいまや日本をしのいでいる。だから、単一の工場では世界最大の生産量と
いうことになる。
この工場の建設にあたっての苦労話をさせたら、日本最大のこの製鉄会社の社員には、
いくらでも言い分はある。「確かに契約として、会社として、やったことでしょう。
だけど、それだけじやないんです。日本人は韓国に負い目を持っています。だから、
このプロジェクトを成功させなけりゃいけないという使命感をみな持っていました。
サラリーマンだって、生身の人間です。ほんの一言でいいんです。韓国語にも、
ありがとう--カムサ・ハムニダって、言葉があるでしょう。要は、気分の問題なんです。
日帝36年を持ち出されると、こっちとしては、なにも言えません。
うまく言えないけど、すべて終わったあとで、ぜんぶ自分たちがやったっていう
態度にでられると、こっちとしても我慢しなけりやいけないと判っていても、
割り切れない気持ちになるんです」友人を通して、このとき知り合った
製鉄会社の同僚は、こう言ったものだ。
この類の日本人の不満は、あちこちで聞かされた。これは、直接に聞いたもの
ではないが、日韓共同プロジェクトとして、ソウル市の地下鉄一号線の工事は、
日本の技術援助で完工した。だが、その開通式にあたっては、
日本の援助には一言も言及されなかったという。


 「いい加減にしろ韓国」 豊田有恒 平成6年 詳伝社






  「感謝」という言葉を知らない朝鮮人

『「日本にもこんな地下鉄があるか』。道案内の女子学生にこう聞かれてびっくりした。
ソウル駅から青涼里駅まで7.8キロ。1974年8月、陸英修大統領夫人が凶弾に
倒れた日に完成した地下鉄はソウルっ子の自慢のタネである。が、この地下鉄の
建設に日本の経済・技術協力があったことは韓国民には全然知らされていない。
「韓国の独力で完成した」という宣伝がゆきわたり、日本の協力については
「外国の援助もあり」とつけ加えられる程度である。これにはソウルに住む日本人は
一様に割り切れない思いでいる。後宮駐韓大使もこうした日本人の気持ちを代弁して
「ひとことでも日本の経済協力が関与していることをいうよう配慮」
(大韓商工会議所セミナーでの演説)して欲しいと遠慮がちに訴えたほどだった。

新日鉄の協力でできた浦項製鉄所にしても同じことだ。実際に功績のあった
日本人実業家たちには勲章が贈られ、この国の知識人たちのあいだでは日本の
協力があったことは知られてはいるが、一般民衆はほとんど知らない。
「あきらめてますよ」と日本企業のソウル駐在員たちはいう。どうせ、
かつて日本がこの国を支配した「三十六年」がある。なにをしたって
日本は陰の存在。表に出て、いいように思われることはない、と。

       「日本と韓国」 昭和50年 朝日新聞社刊



 総督府(日本の朝鮮統治機構)は朝鮮人の教育にはかなり力を入れ、
朝鮮に近代学校制度を創設普及 させということができよう。
ことに初等教育では着実に努力をつみ重ね、
「三面(村)一校」「一面一校」というように順次目標をあげながら、
寒村僻地にいたるまでくまなく普通学校(小学校)を設立した。
統治開始後32年たった1942年には、朝鮮人推定学齢児童数の56%が
就学するまでになった。日本内地が同じ水準に達したのは、明治政府が
発足して25年後のことである。これらの数字は、日本政府が朝鮮における
初等数育に対し、本国におけると同様の、もしくはそれに近い努力を傾注して
きたことを示すものといえよう。1943年には、朝鮮統治多年の懸案であった
初等教育の義務制が1946年から実施されることが決定した。総督府は戦時下の
資材不足をおかして、学校、学級の一大拡充に乗り出し、
1945年4月からは中等以上の学校に進学しないもののために、内地同様、青年学校も
新設したのである。

     「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 1989年 原書房



韓国人よ!君達こそ自国の歴史を反省すべきではないのか!

 韓国の場合、いくばくのお金を与えるといわれて、何の関係もないベトナム
 に軍隊を送ったあげく、無辜の良民を見分けることができず虐殺したのは
 わずか三十余年前のことだ。当時の韓国軍がいかに残酷だったことか。ベトナム
 では「タイハン」(韓国軍のこと」が来たといえば泣いていた赤ん坊もぴたりと
 泣きやんで、恐怖に震えたという話が伝わっている。また韓国兵は幼い子どもらに
 アメをやるといって呼びよせ、悪戯半分で撃ち殺したという。このように韓国軍の
 残虐さを記録した資料は計り知れないほどある。ベトナムの人々は韓国軍に抹殺さ
 れた村ごとに碑を建て、「タイハン」の残虐行為を忘れまいと誓っている。米軍は
 ベトコンがいそうな村に入って住民を殺す必要があるときは、きまって韓国軍を
 利用したという。こうして五年足らずのベトナム参戦中に韓国軍が虐殺した
 ベトナム人は三十万人を越すと推定されている。

  韓国で青少年有害図書として言論弾圧された本「親日派のための弁明」 金完燮



 韓国人(朝鮮人)よ! 歴史を大捏造しているのはどっちだ!

  正義人道の仮面を被り、摂取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、
 世界一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君。君は口を開けば
 人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に、(日本人が)人種差別撤廃文案を
 挿入しようとしたとき、これに反対し、削除したのはどこの国であり、黒人と
 東洋人を差別待遇して同じ席にもつかせず、アフリカ大陸で奴隷狩りをあたかも
 野獣狩りをするが如くしたのはどこの国のものであったか。・・・
 しかし、君等の悪運は最早尽きた。一億同胞なかんずく朝鮮半島の二千四百万
 は渾然一体となって大東亜の聖戦の勇士とならなことを誓っている。
           韓国の詩人 朱耀翰 (戦後韓国国会議員)

 「祖父の代から受け継いできた黄色人種の積憤をいまこそ晴らさなければ
 ならない。一度、決戦する以上、、帝国行路のがんである敵性国家を粉砕し
 新東亜建設に邁進しなければならない。」    
     申興雨 昭和十六年十二月十日 ソウルでの決戦報告大講演会

 「米英の圧迫と屈辱から東亜民族の解放を叫ぶ決戦を開始したのである。
 いまや東亜民族は圧迫と摂取を受けて骨しか残っていないが、今やその骨
 で断固として決起し、仇敵米英を打倒しなければならない。」
               張徳秀 普成専門学校教授

   「貧欲の牙城、白人帝国主義の張本人英米をいまこそ撃滅せずには、我等
 の子孫の発展を望むことはできない。」
                李成煥 朝鮮農民運動の指導者






李完用侯の心事と日韓和合


http://ameblo.jp/hinoeuma-v/entry-10868285251.html











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