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今日ボクが見た風景

朝鮮(韓国)への贈り物

Category: 反日  

       
「韓国独立運動の父」の血涙!!

 子孫は先祖を憎み、後進は先輩を怨み、我々民族の不幸の責任を己以外
 の誰かに転嫁しようとする。一体、なぜ我々にできず、その上に他人
 のみを非難するのか?我々が独立できないのは「ああ、我々のせいだ!」
 と己の胸を叩いて悔いることができず、「あいつらのせいだ!あいつらは
 殺されてしかるべきだ!」と叫ぶだけで、どうして座り続けているのか!
 己こそ殺されてしかるべきだと、どうして悟れないのか!

         韓国独立運動の父 安昌弘  上海臨時政府での演説より





韓国皇帝(日本の日清戦争の勝利の結果朝鮮は独立を得王国から帝国の地位を得る)
 はもちろん、当時の朝鮮人外交官、数少ない知識人や一般の土民まで日本に
 併合を哀願した当時の韓国人(朝鮮人)

           「韓日合邦を要求する声明書」

 「日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけ 
 ていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころ
 か、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われるこ
 とになったが、これは我々が自ら招いたことである。丁未条約を締結する
 ことになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。 
 伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご
 苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきて
 しまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた
 韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)
 それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつく
 って世界の一等国民として日本人とまったく同じ待遇をうけながら暮らして
 みよう」

         1909年 12月4日  一進会(百万の朝鮮人会員)


加藤清正に感謝状を贈った朝鮮王子たち!!

(朝鮮成敗で活躍した)加藤清正が北朝鮮の会寧にまで攻め上ったとき、
二人の朝鮮の王子を捕らえたが、礼を尽くして処遇した。
 翌文禄二年、講和談判が開かれるに及んで、秀吉の命令で、両王子を釜山
から首都・京城まで護衛(家臣・九鬼四郎兵衛)をつけて送り還した。両王子
は帰還するにあたって感謝状を清正に贈った。
 この書状は今も紀州徳川家に残っている。清正の娘が徳川頼宣の夫人となった
縁故から同家に伝えられたものである。それを要約すれば次の通りである。
 <壬辰元年七月二十四日に捕らえられてから礼遇され、厚い保護を受け、
 衣服糧食を与えられ、至れり尽くせりの待遇を受けた。このたび関白(秀吉公)
 殿下に上申して釜山から京城まで送り還された。その慈悲は仏のごとくである。
 もし一行のものがこのことを忘れ、後日、日本及び清正公に対し、僅かでも背く
 ようなことがあったら、人情を弁えぬ者であって、天地の神々もこれを知って
 いるであろう。>
 両王子は京城まで送り届けてくれた九鬼四郎兵衛にも感謝状を送り、その厚遇の
恩は永久に忘れない、と述べている。 
 このほか清正は両王子を一時、鍋島直茂に預けておいたことがある。そのため鍋島
氏の歓待を謝した書状が二通、鍋島家にも伝えられている。「神伝慈悲の道を貴官の中
に見る」という文言さえある。

         「日韓2000年の真実」名越二荒之助 編著
               (日本図書館協会選定図書)


百済(今の韓国の一部)に救援軍をさしのべた天智天皇の遺徳

 現在、韓国の国定歴史教科書には、新羅軍が唐軍と連合して百済を攻撃し、滅亡
し、滅亡させたことは特筆していますが、日本軍が(海を渡り)救援に出かけたこと
は触れていません。また、百済の亡命者が大量に日本に赴いた記述もなく、それら百済
の政治亡命者を日本が暖かく受け入れたことも触れていません。こうした日本の役割が
無視されていることは残念でなりません。
 さらに現在、靖国神社には大東亜戦争中、日本軍人として戦った朝鮮の戦死者二万一千余
が合祀されています。私は靖国神社に参拝した時、異民族でありながら日本のために戦死し
た人々の事を忘れたことはありません。だとすれば、白村江の戦いの時、負けたとはいえ
百済のために戦死した多くの日本兵を韓国側も「忠霊祠」に合祠したらどうでしょうか。
毎年繰り返される慰霊祭には、日本の神職や僧侶を招いて慰霊の行事を共済したら如何でしょうか。
 いま、扶余の郡庁前に階伯将軍の巨大な銅像が建ち、また、別の場所には当時の敵将だった
金庚信将軍の銅像も建っております。さらには仁川には朝鮮動乱の時、国連軍を指揮して上陸
作戦に成功したマッカーサー元帥の銅像もたっております。だとするならば、白村江に、百済
を救援しようとした天智天皇の銅像を建てたらどうでしょうか。 
 韓国が日本の立場を理解し、大らかな立場に立てば、日本も韓国を尊敬し、日韓の友好は更に
増すように思われてならないのです。

       「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 編著
       (日本図書館協会選定図書)



伊藤博文公の朝鮮保護政策を絶賛した世界

私の見るところをもってすれば、伊藤侯の統治は最大なる賞賛に値する
べきものであり、大変満足しております。韓国国民は今やようやく、彼を
もって自分達の友人であると知って、これを事実の上に現し始めました。
過去三年の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして統監政治
の最も熱心な支持者であることを告白せしめます。私は伊藤侯の必ず成功
すべきことを信じて疑わないものであり、また、すべての宣教師及びその他
の韓国における文明開発の義務を知る者は、等しく伊藤侯の統治を支持しな
ければならないと思います。

                   宣教師 ハリス博士 




  
 韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳
を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代
から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手をとられて
進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護
されつつあって、あらゆる面において、三年間に二倍の進歩を遂げた。

                   宣教師 ラッド博士




(大正デモクラシーの旗手、吉野作造の見た朝鮮半島)

異民族の統治は、「威圧」だけで成功するものでないことは固より言うを俟たない。
幸いにして朝鮮政府(朝鮮総督府、もちろん日本の統治機構)は、一方に於いて国家
の威厳を示して居りながら、他方に於いて土民に近代文明の恩沢に浴するの機会を与え
殊に昔の李朝時代に見なかったいろいろの生活上の便宜を供して居る。殖産興業もだん
だん盛んになって居る。交通機関も開けた。殊に道路はどんな田舎に行っても今や立派
に造られて居る。病院も設けられた。その上朝鮮総督府は朝鮮民族の精神的満足並びに
その開発を計る事を怠って居ない。社会公共の秩序は立派に維持されて居る。権利の保障
には土民と内地人(日本人)との区別を立てぬ。比較的公平なる裁判は土民を満足せしめ
て居るようだ。
某朝鮮人は予に、「自分の父祖の代までは、その蓄積せる財産に眼をつけられて故なくして
府の長官から捕縛され、その度毎に多額の身代金を取られたものだが、かくの如き不当の
侵害は今日は全くなくなった。これ全く日本の統治以来のことだ」と言った。
殊に現在の総監寺内伯は、正義の観念の極めて強烈な人で、道に合わないことは秋毫の微と
いえどもこれを仮借しない。しかも、この点について伯は決して土民と内地人とを別たない
といわれて居る。この点は朝鮮人は皆、伯を徳として居るようだ。
かく一方には国家の威力を示し、他方に於いては土民に物質上の満足と及びその発達の機会
を与えて居るのだから、朝鮮民族の同化は十分出来ないまでも、その統治の事業に於いては
決してまごつく訳はない筈である。

        民本主義の提唱者 吉野作造 (大正五年満州と朝鮮半島を視察)




伊藤博文公の保護政治に感謝していた当時の韓国人!!

 韓国人の安寧と幸福、その生活の向上を図るため、母国日本の財政負担は三年間
 に三千万円に達している。日本及び日本人を益することを少しもやらないで、
 韓国及び韓国人のために図りてあまりにも忠実である。飽くまで韓国の主権を
 尊重するため、中央の各部大臣や地方長官はすべて韓国人を任用し、日本人は
 その下働きになっているに過ぎない。利権は韓国人のみに与えて、日本人には
 荒蕪地開発の第一号を与えただけではないか。なおその上、韓国通の大陸浪人を
 追放するなど、日本及び日本人から孤立した政策を採ってきた伊藤総監の心事那辺
 にあるやを疑わしめるものがある。

                韓国発行 「邦字新聞」より




安重根は「反日独立運動の英雄」どころか「日露戦争」の勝利を絶賛するほどの
  「親日家」「親天皇派」だった!

 「日本の天皇の宣戦書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。
 そのような大義は青天白日の光線より勝っていたのであり、韓・清の人々の智恩を論
 ずることなく、みな心を同じくして、賛同し服従したのである。もう一つは、日露の
 開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、前日までの日本に対する仇敵の心
 情がたちまち消え、かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、これまた人情
 の順序であり、理に合うものであった。快なるかな、壮なるかな。数百年来、悪を行
 い続けてきた白人種の先鋒が、鼓を一打したたけで大破してしまったのである。日露
 戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。だからこのとき
 韓・清両国の有志は、はからずも同じように、自分たちが勝ったように喜んだ」

                   「東洋平和論」 安重根





伊藤博文公を暗殺した安重根を賞賛しなかった当時の韓国人

市川正明編「安重根と日韓関係史」という資料には、二万語に及ぶ(伊藤公の暗殺)
各国の反応が掲載されていますが、その中で外国(サンフランシスコ・ハワイ・ウラジ
オストック等)にある韓字新聞の報道ぶりも伝えています。前年の明治四十三年三月に
サンフランシスコ在住の張仁煥らが韓国政府の外交顧問だったスチーブンスを射殺した
時には、これら韓字新聞は連日にわたって暗殺事件の犯人を賞揚し、激越な論調をみせて
いました。
しかし、伊藤公暗殺については事実を報道しただけでした。/韓国の(今の)教科書のよ
うに「全世界に大韓男児の気性を見せ、日本の大陸侵攻を世界に警告した」ことにはなら
なかったのです。
青少年に愛国心を涵養するため、韓国がこのように記述したことはよく解ります。しかし
テロという手段の持つ反作用についても教えなければならなかったのではないでしょうか。
皮肉にも、伊藤総監暗殺によって日韓併合は一挙に早まってしまったのです。

                  「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
                   (日本図書館協会選定図書)




安重根の伊藤博文公の暗殺に驚愕し、謝罪・追悼の意を表した官民多くの韓国人!
     (安重根の収監されている監獄に面会する者一人もなし!)

 衝撃が走ったのは、韓国の王室ばかりではありません。十一月四日の国葬(日比谷)
には、韓国の勅使はじめ政府代表者らが多数参列しました。同じ日にソウルの奨忠壇
では、李完用首相の主催で、官民一万人が参列して追悼会がも催され、追悼会は全国
各地に及びました。
 一ヵ月後の十一月二十六日には漢城府民会、その翌日は大韓商務局総会、十二月十三日
には永道寺がそれぞれ主催して、追悼式が持たれました。当時、旅順監獄に繋がれていた
安重根の所に面会に行く者はなく、伊藤博文に対しては「東洋の英雄」「朝鮮の大活仏」等
の賛辞が続きました。
 そればかりではありません。朝鮮民族の罪科を謝罪するために、全国十三道に呼びかけ、
「渡日謝罪十三道人民代表臨時会議所」を設ける団体も現れました。また一方では、伊藤公
を閔帝廟のように、神として祀る運動やら銅像や頌徳碑を建立する運動も起こりました。

                「日韓2000年の真実」名越二荒之助 著
日本図書館協会選定図書




「伊藤公暗殺」に対する韓国(朝鮮)皇帝の論調

<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義
をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言してい
た。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の
平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害
を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。>

                十月二十七日   太皇帝(高宗)

<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。
その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。>
                十月二十八日   太皇帝(高宗)

  ※数千年シナ大陸を制覇した諸民族の属国となり続けた朝鮮は
   日清戦争の日本の勝利よりはじめて独立を得、王国から大韓帝国に
   国王から皇帝の地位を得る




 「伊藤公暗殺」に対してのイギリス人の論調

<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマルクの如く武断派ではなく、
平和的であったことはむしろ、グラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏
かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての
大政治家の特徴を抜粋して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の
明を有し/要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる
地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>
「伊藤公の性格」ブリンクリー主筆 イギリス紙「ジャパーン・メール」


   「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調

<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に
伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争
も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪
目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、
誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張り
の主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりで
なく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
   東清鉄道長官 ホルワット少将 「ハルピン・ウェストニツク紙」



「伊藤博文公暗殺」に対するドイツ人の論調

<韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえ
 ば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を
以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで
起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが
公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は、徹頭徹尾
腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本
統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、六十歳を超えた
高齢で統監という多難の職を引き受けたのである>

ドイツ人 エルウィン・ベルツ博士 「伊藤公の追懐 」





福沢諭吉翁、朝鮮人に三行半!!

 日本に亡命した金玉均は、福沢の支援を受けながらも刺客を避けるた
め、小笠原、北海道を転々とした。しかし、明治二十七年三月、騙され
て上海に誘い出され,そこで暗殺された。福沢は彼の最後を悲しみ、同年
四月に彼の位牌を作って自宅に安置し、供養したいからと真浄寺の往職に
頼み、法要の連絡を取っている。
 一方、金玉均の遺族を全ての朝鮮の同志が面倒を見ないのを知って、
福沢は「実に実に呆れ果てたり。事小なりと雖も斯かる腰抜けどもの
棲息にしては、亡国も固より其の処なり」と朝鮮の知人に手紙を送って
いる。

    名越二荒之助著 「日韓2000年の真実」
     日本図書館協会選定図書



朝鮮独立を潰し、朝鮮の近代化の芽をつぶした妖婦閔妃
   を「韓国の国母」と呼称する韓国の歴史大捏造

 李朝末期には高宗という国王(後に日清戦争の日本の勝利により
 朝鮮は史上初めて独立し皇帝の地位を得る)
 がいたのですが優柔不断で、名目上の存在に過ぎず、実際は
 国王の実父である大院君と王妃である閔妃とが主導権争いに
 終始していました。
 それと宗主国清国と結ぶ事大派と金玉均ら日本の近代化に学ぼう
 とする独立派との思惑も絡んで複雑多岐な権力闘争が続き、とても
 正確に全貌を言い尽くせるものではありません。
 宮廷内の蝸牛角上の争いは陰湿でした。 
 1882年閔妃が実権を握ると、まず閔妃一族の栄達を図るため
 国家有為の人物より大院君排除に必要な策士を網羅し、大院君が 
 命をかけて撤廃した両班の特権を復活させるため彼らを扇動し、儒者にへつらい
 大院君系の人々を根こそぎ死刑、流刑、追放し処世の改革を破壊
 しました。
 閔妃は聡明でしたが権謀術数に長じ、陰険にして残忍、妖婦としての
 逸話もたくさん残っています。
 独立党の金玉均らは閔妃を追放しない限り朝鮮の近代化はないと甲申
 事変を起こし、一時は政権を獲得しました。
 しかし、閔妃の画策で清の大軍を導入し、金玉均の革命は失敗に終わります。
 「閔妃を亡き者にしない限り朝鮮の開花も独立も実現しない」との機運は
 朝鮮内部はもちろん、朝鮮の独立を支援していた(福沢諭吉も金玉均を支援していた)
日本人の声となっていったのです。
    
    「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
     日本図書館協会選定図書




死人に鞭打つ儒教民族の心の狭量性

 閔妃が暗殺され意気あがる大院君は総理大臣金弘集に命じて閔妃派の閣僚
 を罷免しました。組閣を終わった金首相は閔妃のために速やかに国葬を発する
 ように言上します。しかし、大院君は「王妃は廃して庶人にするつもりだから国葬
 は行わない、と言明しました。庶人にするとは平民にするというわれで王妃から
 一挙に平民に格下げしたのです。それどころか閔妃の罪悪挙げて詔書を国王に出させ
 ました。
 日本は列強との修復を図るべく、井上馨を特命全権公使としてソウルに派遣しました。
 彼は大院君に対して
 「死ねばみな仏になる。過去を水に流して王妃の菩提を弔って民心の安定をはかること」
 を進めました。
 しかし、閔妃を復位させ「明成皇后」の称号を賜り、国葬を行ったのは
 明治三十年十月一日のことでした。


     「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
     日本図書館協会選定図書




「民族独立記念館」の「日本軍による市民処刑の写真」
      とされるものはゲリラの処刑写真である!

 日露戦争の開戦にあたって、「日韓議定書」が締結されました。この議定書は
 戦争に当って日本の邪魔をしないことを約束したもので、第五条は「本協約の
 趣旨に違反すべき協約を第三国との間に締結することを得ざる事」となってお
 りました。にもかかわらず(韓国王)高宗は、ロシアに密書を送っています。
 日本が敗れた場合の保障をとりつけようとしたのでしょうか。その他日本軍の
 電話を切断したり、鉄道爆破の事件を起こした背景に、皇帝の意志が働いてい
 たとされています。
 世界のどの軍隊もそうですが、日本軍も戦争遂行のために、これらのゲリラを
 発見したら厳重に処断しました。韓国、天安市に建てられた「民族独立記念館」
 に行けば、日本軍によって公開で銃殺されている韓国人(朝鮮人)たちの写真
 が大きく展示されています。この写真だけを見れば、日本軍はひどいと印象づけ
 られていますが、「戦時国際法」によりば、ゲリラの処刑は当然だったのです。
 更に高宗は日本が英米人に干渉できないことを利用してハルバート(米人)や
 ベッセル(英人)にこっそり金を渡して反日新聞を発刊させました。戦後の明治
 三十八年十一月には、ハルバートに密書を持たせてアメリカのセオドア・ルーズ
 ベルト大統領に、日本への干渉を依頼しました。大統領は「韓国のために日本とは
 戦えない」とにべもなく断りましたが、この玉璽入りの写真版が公開されると、例
 によって偽造と言って、
 その事実を否認しました。あの当時韓国には「親米主戦」というべき考えが強く、
 太平洋の彼方から韓国を助けに来ると無邪気にも信じていたのです。

 * 明治三十八年1月三日京釜鉄道爆破の首謀者の処刑写真を韓国の「民族独立記念館」
   では「日本が無実の市民を殺した」というキャプションをつけて展示している。
                   
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著  
               (日本図書館協会選定図書)




  国王の復活など考えもしなかった韓国人!
 
 韓国人は「国王」を奪ったと日本を非難攻撃する。2002年ワールドカップの
 中心人物である韓国サッカー協会会長などは、もし、現在の韓国に国王が残って
 いたら、日本に天皇があるように、韓国政治の安定になんらかの好影響があるだ
 ろう、大統領だけなのは悔しいかぎりだ、などと、歯ぎしりしている。韓国では
 最近、国王を懐かしがる声がいろいろ挙がっているようだ。
 韓国の国王に対する旧懐の情は、冷めるのが非常に早い。だいたい、それほど国王
 を愛していたにもかかわらず、「日帝三十六年」の間の韓国民衆、社会、思想運動
 は、もはや、李朝復辟を考えることはなかったではないか。それどころか、
 「三・一独立運動」後の朝鮮国王はすでに韓国人自らの手によって棄てられていた
 のだ。/
 抗日運動各派は社会主義や民主、民族運動と抗争に夢中になり、上海の臨時政府も
 大統領制となった。つまり、国王は反動的、革命の対象となったのだ。こうして
 戦後に分断国家となった韓国では、国王の存在さえ忘れられてしまった。
 それを世界的ブームだからといって国王復活を口にする。どうせ、すぐ飽きだろうが
 そのたびにいちいち日本を巻き込むことはない。
 もともと、韓国人は、先祖を敬うことを重視している割には、前代のことを忘れ去る。
 あるいは、消し去る傾向が強い。
 李朝では前代が後代によって否定されることが常であり、それを実現するために、
 政治的粛正と虐殺を繰り返す。この歴史が韓国人の民族性を形成してきたのである。
 このような前代否定の政治は、韓国建国後の李承晩から金大中政権、現在の李明博(り・あきひろ)
 に至るまで、 現在でも続いている。
                 「韓国は日本人がつくった」黄文雄 徳間書店




「私達が今までの接触に依って識ることのできた限りに於ては、此の
国民は、私が遭遇した国民の中では、一番傑出している。私には、ど
の不信者国民も、日本人より優れている者は無いと考えられる。日本
人は、総体的に、良い素質を有し、悪意がなく、交わってすこふる感
じがよい。彼等の名誉心は、特別に強烈で、彼等に取っては、名誉が
すべてである。日本人は大抵貧乏である。しかし、武士たると平民た
るとを問わず、貧乏を恥辱だと思っている者は、一人もいない。」
「住民の大部分は、読むことも書くこともできる。これは、祈りや神
のことを短時間に学ぶためのすこふる有利な点である。日本人は妻を
一人しか持っていない。窃盗は極めて稀である。
彼等は盗みの悪を、非常に憎んでいる。大変心の善い
国民で、交わり且つ学ふことを好む。」

            フランシスコ・デ・ザビエル
『聖フランシスコ・ザビエル全書簡3』より

「ヨーロッパの子供は青年になってもなお使者となることはできない。
日本の子供は十歳でも、それをはたす判断と思慮において、五十歳にも
見られる。」「われわれの子供は、その立居振舞に落着きがなく優雅を
重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞讃に値する。」
「われわれの子供は、大抵公開の演技の中でははにかむ。日本の子供は
恥ずかしがらず、のびのびしていて、愛嬌がある。そして演ずるところ
は実に堂々としている。」

           ルイス・フロイス
 『ヨーロッパ文化と日本文化』より




「このように腐敗、堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、
これは困難きわまりなかった。
公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が
二つしかなかった。
盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。
搾取と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、
どの職位も売買の対象となっていた。」

               『朝鮮紀行』(イザベラ・バード)




韓国の学生は幼い頃から10数年間、真実とはかけ離れた歴史を教え込まれ、
 根拠のない自負心を抱き日本に対してねじれた知識と感情をもつようになる。
 かくいう私も、今回韓日本史に関する著書を出すまで、学校で教えられた歴史
 を信じてきた一国民だった。(中略)
 今でも韓国人に憎まれ続ける伊藤博文だが、彼こそ教育事業に多大な関心を寄せた
 指導者だった。(中略)その結果、1940年代には(朝鮮半島)全国に1000
 を越える各種学校ができていた。(中略)
 しかし、多くの多くの文献から歴史的事実を学んだ私は、日本が明治維新以後、
 他のアジア諸国にはできなかった偉業を成し遂げ、日本のみならず、人類の歴史
 にも多大な貢献をした国であることを知っている。

       金完燮 「親日派のための弁明」の著者




大日本帝国臣民であることを世界に誇った朝鮮人(韓国人) 

この運動では日鮮人の精神的転換が絶対に必要な先決問題である。
真心と誠意をもって朝鮮人は帝国臣民たることを自覚、自認し、日本
人は朝鮮人を真の同胞国民として認めなければならない。内心に爆弾
と剣を抱いて日本国民でござると仮装、偽称し、同一同胞といい
ながら優越感を示すなら、これまた、渾然一体の日鮮一家は成立しな
い。朝鮮の民族性をあくまで尊重しつつも、朝鮮文化を拝崇しながらも
われわれは日本臣民たることができ、日本帝国の世界に対する使命に
貢献しながら大東亜の平和に尽力することができるのである。

                3・1運動の中心人物 崔麟



自らは脆弱へたれのくせに「弱い者いじめ」「虐殺」が大好きな朝鮮人(韓国人)

「路上で不運な犬が首に縄をつけて犬肉店に引っ張られていくとき、
子供の群れがガヤガヤ騒ぎながらそのあとについて行く。子供たちは
かわいそうな犬が首をしめられ、最後のあがきをするのが見たいという
期待に胸をふくらませている」

     ホーマー・ハルバート 「朝鮮亡滅」



朝鮮人であることを止めて日本人になることを奨励した朝鮮人インテリ層
  
完全な日本人になる以外に別の道が朝鮮人に開かれているとするならば、
  それは苦悩衰微への道である。
  要は小乗的で朝鮮的なものを掲棄清算することである。朝鮮語と朝鮮の衣服、
  朝鮮の家、形式的な祖先崇拝、朝鮮史、こんなものを完全に止揚して、改め
  て精神的に日本的な感情に染まらなければならないのである。
  朝鮮人的心情を完全に殺して、生まれ変わらなければならないのである。

        「朝鮮人の進むべき道」玄永燮(京城帝国大学卒 無政府主義者)
         注 京城帝国大学-現ソウル大学 日本によって創立される




「日本人」の威を借りて「悪行」の限りを尽くした朝鮮人(韓国人) 

昔から日本人には語学が無い。地理・世情に不案内で朝鮮語がわからないから、
どうしても朝鮮人の警官や憲兵補助員に頼ることになる。ところがこれらの連中
には不良が多く、住民を脅して私腹を肥やすやら、女に手を出すやらの悪辣ぶり
で、日本側はその取締りに忙しかったという。官憲の権威を嵩にすれば不可能な
ことはないのだ。事大主義はこの民族の特性である。日中戦争中でも中国語が堪
能な日本軍人はいないから、中隊単位で朝鮮人の通訳を雇うことになるのだが、
この通訳は中国人を生かすも殺すも自由自在に裁量できるから蓄財に励む悪者が
多く、日本軍が中国民衆に怨まれる大きな原因となった。通訳の中には、日本人
の名前の標札を持ち歩いて中国人の門に打ちつけて豪邸を占拠する者がいたし、
スパイだといって逮捕し、釈放するといって身代金を取ったりして聯隊高額所得
者は朝鮮人通訳だった例は多い。中には雇いもしないのに軍隊の後方をのこのこ
ついて歩く偽通訳もいた。便利だからと使用してみると、いつのまにか日本軍の
制服を貰って住みついてしまうのだった。

古野直也著 朝鮮軍司令部 1904/1945 国書刊行会




怠惰な原始農業を改革し、現在の韓国農業の基礎を築いた日本農民の大功績

  そもそも日本農民は朝鮮農民の粗放農業とは違い、集約農業に慣れていたので
  集約的、多角的経営によって定着し、農民は生活が向上している。
  日本農民が開拓した(朝鮮の)農地は、決して言われているような良田ではな
  かった。開墾地は元は大河の遊水地、交通不便にして少々塩害がある干拓地で
  あったものが少なくなかった。/日本の農業移民は朝鮮半島の美田、良田を強奪
  するよりも、朝鮮半島の農民が一顧だにしなかった不毛の地の開墾や僻地の干拓
  を行う者が多かった。
  農業移民の改良農法は、成績が上がれば、朝鮮小作人のモデルになり、改良品種
  の試作によって、新品種、新農法が次から次へと普及していった。さらに移民農民
  の養豚、養鶏、養蚕などの多角経営、農業施設、農業指導、勧業奨励などは、かって
  小作人からの収奪しか知らない李朝時代には見られない光景であった。当時の朝鮮人
  の気風としては、午前中に働いて、午後は寝て暮らす、明日は明日の風が吹くという
  のが一般的であったからだ。
  雨や雪の日の労働を忌み嫌い、冬季になると室内に蟄居して無為徒食する朝鮮農民に
  とって、日本農民が老若男女の差無く、家族ぐるみの農事に従事し、激冬にも室内作業
  その他の副業に励むことは驚異であった。/
  「土地の収奪・摂取」などと机上で論じられている戦後の論理とは違い、日本の農民
  が朝鮮半島の農業近代化だけでなく、朝鮮半島の近代市民社会の成熟に多大の貢献を
  してきた、その歴史的事実について、終戦後の(韓国の)学者たちはなぜ本格的研究
  をしないのであろうか。まことに遺憾である。

    「歪められた朝鮮総督府」黄文雄 光文社カッパブックス




大恩を大仇で返す朝鮮人(韓国人)の卑怯、卑劣な遺伝子

「だいたい韓国のマスコミは日本の対韓経済協力の成果について完全に
 黙殺している。韓国政府もダムや高速道路など日本の協力もあって完成
 したプロジェクトの完工式に日本大使を呼ぶことすらしなかったという。
 これでは一般の韓国人が日本は過去の清算をしようともしないという不満
 を持つのも当然だ」

     「日本企業はなぜ韓国が嫌いか」西岡力 拉致被害者救出に尽力




日本の過保護で世界一幸福だった二十世紀の朝鮮民族(北朝鮮人・韓国人)

「韓国併合」と言われるもの本質は、日本の朝鮮植民地化ではなく、日韓の合併。
戦後の朝鮮人はよく、日帝の植民地略奪を強調し、日本人も朝鮮では台湾以上に
過酷な統治が行われていたと考えがちだが、事実はまったく逆である。朝鮮では
台湾よりも地租が安く、産米も逆ざや制度が取られ、地下資源の経営も中央政府
からの補助で支えられ、歳出も中央による年平均15~20パーセントの補填で支えられていた。資本投資も台湾よ
り朝鮮の方が大きかった。そのため二十世紀初頭まで糞尿だらけで世界一不潔な都市
といわれていた現ソウルなど、美しい近代的な街に変貌し、半島の人口も倍増した。
普通の近代国家なら、国民が国防費を賄うのが義務であり、常識だが、朝鮮人からは一銭たりとも徴収し
ないという特別待遇だった。
 二十世紀の人類史において、当時の朝鮮人ほど、過保護を受けて幸福に暮らしてい
た民族はいない。
飢饉・疫病や戦乱・革命の被害も、自国民同士の朝鮮戦争を除いては、この国の人々の損害
は実に小さい。このように韓国は、日本に依存しながら成長した国家なのである。戦後の国
作りの成功、OECDの加盟の達成にしても、日米の資本と技術の移転に頼ったからこそだ。
「第二の国辱」と言われる97年末以来の金融危機も、IMFの管理下に入ること
で国際的地位を守っている。他力本願、ことに対日依存というのが、近代以降のこの国の体
質になっている。

黄文雄 台湾人評論家 「正論」六月号





  
どんな民族にも過去の栄光史があり、それを「誇り」としているが・・・

 今になって、朝鮮人や韓国人がチェチェ思想を強調し、いくら歴史の自立性を
 吹聴しても、せいぜい半島内でしか通用しない。韓国人が書いた朝鮮半島の歴史
 を読むと、いかにも半島には英雄ばかり存在したかの記述である。
 しかし、そんな偽史は世界では通用しない。実際、韓国人の中で世界史に登場し
 世界の政治、経済、文化、思想に強い影響を及ぼした大英雄は一人もいないのだ。/
 その一方、韓国人以上に文明開化が遅れた北方騎馬民族には、東アジアや世界史に
 影響を与え、歴史を創出した民族英雄たちがいる。ジンギスカンやヌネハチもその
 中のひとりである。数千年の歴史がある朝鮮半島からも、ひとりぐらい歴史を創る
 英雄が出てもいいようなものだ。世界とは言わないまでも、アジアに名を残す英雄
 が一人ぐらいほしかったものだ。/
 韓国人は「朝鮮半島は1000回侵略されたが、すべて撃退した」と自慢するが
 それが嘘であることは言うまでもない。それにそのようなことを口にすることこそ
 他律的でる。抵抗史観、他律史観を自白しているとしか思えない。
   
              「韓国は日本人がつくった」 黄文雄 台湾人評論家





古事記・日本書紀から500年も後に書かれた朝鮮神話(檀君神話)

  それでは、日本神話と檀君神話には、どのような近似性があるのでしょう。
  判りやすく表にしてみると(割愛)全体の構成があまりにも似ているのに
  驚きます。韓国のほうが歴史が古いから古事記・日本書紀の作者が、檀君
  神話を下敷きにしたのではないかと、早合点されるかも知れません。
  ところが古事記、日本書紀が書かれたのは西暦でいえば八世紀、檀君神話
  を記した「三国遺事」がまとめられたのは、十三世紀です。それでは三国
  遺事の作者である高麗の僧一念が日本の古事記・日本書紀を真似たのでしょうか。
  そんなことを言ったら、韓国、北朝鮮両国から猛反発を受けます。

               「日韓2000年の真実」 名越二荒之助編著
                日本図書館協会選定図書






李完用侯の心事と日韓和合







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