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「虐殺」を世界で初めて報じた英字紙記者ティンパーリー

Category: 歴史  
「虐殺」を世界で初めて報じた英字紙記者ティンパーリーは、国民党の宣伝工作員だった!

北村稔氏(立命館大学教授)
櫻井よしこ(ジャーナリスト)


ティンパーリーの正体を突止める

櫻井: 北村さんの『「南京事件」の探究』を拝見しましたが、これは一言で言うと、いわゆる「大虐殺」が「あった」とする論拠をことごとく洗い直して再検証されたわけですね。当然のことですが、従来とは全く違っていて目から鱗が落ちる思いでした。数々の新発見があり、「南京大虐殺の虚構」を証明する「決定版」といえると感じました。

ちょうど1年前に本誌(2001年2月号)が南京事件の特集を組んだ時、アンケートに応えたことがあります。南京で日本軍が虐殺(不法殺害)した中国人の数は何人ぐらいかという問いには、「1万人前後」ではないかとか指摘しました。でも、この本を1年前に読んでいたら、日本軍が虐殺したとされる中国人はもっと少なかったと判断したと思います。

北村: 櫻井さんはジャーナリストですから、南京事件を世界で最初に知らしめた英国紙「マンチェスター・ガーディアン」の中国特派員であったティンパーリーにはとりわけ関心を持たれたんじゃないですか。本書の中でも、重要なキーパーソンとして登場してきます。

櫻井: 彼は、『WHAT WAR MEANS : The Japanese Terror in China』(邦訳『外国人の見た日本軍の暴行――実録・南京大虐殺』評伝社)を、南京陥落の翌年の1938年(昭和13年)の7月に刊行しています。

ところが、中立的立場の欧米人ジャーナリストを装いながら、実は国民党中央宣伝部顧問でもあった。そしてその出版にあたって、国民党からの偽情報の提供や資金援助が行われていた事実を初めて北村さんがつきとめています。これは、ゾルゲがドイツ人ジャーナリストとして尾崎秀実などに食い込みながら、実はソ連のスパイであったのと同じ立場だったともいえます。ティンパーリーも表向きは英字紙のジャーナリストとして、松本重治氏(同盟通信社上海支社長)とも親交関係を培っていたわけですが、そうした政治的背景を持っている人が書いた『外国人の見た日本軍の暴行』という本が果して歴史的価値のある内容であったかどうかは、仰るとおり十分な検証が必要だと思います。

北村: 虐殺派の洞富雄氏が編纂している『日中戦争―南京大残虐事件資料集』第2巻……英文資料編(青木書店)の「資料解題」では、ティンパーリーの本については、「日本軍が南京を占領したさいに犯した残虐行為にかんする記録をいちはやくまとめて、世界の世論に訴えたものである。おそらく当時、欧米の知識人社会を震撼させた書物であった」と肯定的に記されています。

しかし、彼の本の原著が、英国の左翼出版社として、すでに定評のあるゴランツ書店から出されていた「レフトブッククラブ」(左翼書籍倶楽部)のシリーズの一冊として刊行されていた事実には何故か触れていない。もちろん、彼が国民党の宣伝工作に関与したというデータも紹介されていません。しかも、その英語版が出版されるや時を同じくして中国語版も刊行されています。南京陥落後一年足らずで英国と中国とで同時刊行されたという、あまりの手回しの良さは、背後に国民党国際宣伝処と国民政府軍事委員会政治部との連携があったためです。

櫻井: そのティンパーリーにしても、まだ冷静な筆致もあったというのに、日本語訳では「超訳」というのか、意図的ともいえる誤訳があるとも指摘されていますね。

北村: 洞さんたち虐殺派の編訳した資料編に収録されているティンパーリーの本の翻訳では、「処刑」とあるのを「虐殺」と訳しています。他にも“observe”を全て「目撃」と訳していますが、これもおかしい。“observe”は本来、「観察」とでも訳すべきです。そうでないと、収録されている欧米人の証言は、すべて「自分の目で見た『目撃証言』」と誤解されかねません。

例えば、南京陥落後の現地状況を客観的に報告したとされる「南京安全区档案」は、匿名の中国人協力者の書面報告を英文に翻訳したものが相当数を占めています。それらをすべて「目撃されたもの」とするのは行き過ぎです。ティンパーリーも自ら目撃したという言葉には、“observe”ではなく“witness”を使用しています。

蒋介石に委任されて日中戦争開始前から上海で外信の検閲に従事していた曾虚白という人物がいますが、彼の自伝『曾虚白自伝』の中にも、具体的な形でティンパーリーの名前が出てきます。

「ティンパーリーは都合のよいことに、我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に上海の『抗戦委員会』に参加していた3人の重要人物のうちの1人であった」

「そういうわけで彼が(南京から)上海に到着すると、我々は直ちに彼と連絡をとった。そして彼に香港から飛行機で漢口に来てもらい、直接に会って全てを相談した。我々は秘密裏に長時間の協議を行い、国際宣伝処の初期の海外宣伝網計画を決定した。我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔をだすべきではなく、我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として2冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した」

「このあとティンパーリーはそのとおりにやり……2つの書物は売れ行きのよい書物となり宣伝の目的を達した」

櫻井: 日本を徹底的に悪者に仕立てあげていくストーリーがこうしてつくられていった。驚くべき事実が上の記述から明らかになったと言えます。

北村: つまり、ティンパーリーの本だけではなくて、南京虐殺に関して第三者による重要な史料と思われていた金陵大学教授のルイス・スマイス博士の『スマイス報告(南京地区における戦争被害)』もまた、必ずしも中立的な立場からの著作ではなくて、国民党の戦時外交の宣伝戦略のために資金的援助を受けて執筆されていたということです。

櫻井: ティンパーリーが左翼的なジャーナリストであり、国民党の宣伝部顧問であった事実は、鈴木明氏の『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)などでも指摘はされていましたが、著作の背景に国民党からの具体的な金銭援助まであった事実を明らかにしたのは北村さんのスクープと言っていい。それにしても、そういう一貫した中国側の宣伝工作は驚愕すべきものです。

北村: 中国というか漢民族は政治闘争に際しての宣伝工作の才能に長けています。辛亥革命の時にも、清朝の中国侵入時に発生した住民殺害事件を誇大に宣伝し、反満州人感情を煽っています。歴史的に異民族との闘争を何度も経験し、また国内でも同様な闘争を繰り返していますから、こうした煽動工作はお手の物なんです。

誤報が歴史事実に転化

櫻井: ティンパーリー同様に、「レフトブッククラブ」から『ウィガン波止場への道』を出したこともあるジョージ・オーウェルは「重要なのは偽造が行われるということではなくて、その事実を知っても左翼の知識人は一般になんらの反応も示さないという点である……大目に見のがした嘘が新聞から歴史書へ流れ込むという予想に心を痛める人間はほとんどいない」と「ペンの自己規制」というエッセイで、左翼流の資料操作の欺瞞ぶりを告発したことがあります。

ティンパーリーの背景を知っていてもそれを見のがしてきた洞さん以下の日本の研究者の姿勢には心底、疑問と憤りを感じます。ちなみに、オーウェルはその後、ゴランツや「レフトブッククラブ」の容共的、親ソ的な姿勢を嫌い離れていきました。

ところで、1982年の「某教科書の記述で中国への侵略が進出に変えられている」との誤報によって、中国や韓国からの無用の反発を招き、教科書検定に「近隣諸国条項」が作られることになってしまいました。そのために、もっともらしい出典を明記すれば、南京虐殺の犠牲者の数もフリーパスとなり「中国側は30万人としている」といった記述が教科書に堂々と掲載されるようになり、それが今日の南京虐殺論争の火付け役にもなっています。「大目に見のがした嘘が新聞から歴史書へ流れ込む」とオーウェルは告発しましたが、日本では教科書にまで流れ込んでいます。あってはならない事態が起き、確実に大きな影響を及ぼしています。

北村: 元来、中国側は南京事件について、国民党時代の話なので積極的にとりあげていたとは言いがたい。抗日戦争は共産党だけがやったというのがそれまでの「正史」だったからです。南京での中国人被害に話が及べば、国民党がそれなりに奮戦したと誤解されかねないという思いがあったのでしょう。櫻井さんがおっしゃるように、誤報事件以降は日本叩きのカードとして「使える」と考えるようになったのかもしれません。

意図的な情報操作以外にも、誤報が歴史事実に転化する実例があります。

例えば、ティンパーリー同様、国民党の国際宣伝処に勤務していたセオドア・ホワイトというアメリカのジャーナリストが『歴史の探求』(サイマル出版会)という自叙伝で回想している例です。彼は、宣伝目的で作られた写真や誤記された数字が一人歩きして「事実」として定着してしまったことを紹介しています。

先ず、当時の重慶に逃避していた国民党政府は「アメリカの言論界に対し嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだとアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい。それは必要なことだと考えられていた」と堂々と述べていたというのです。

そして、その実例として、ホワイト自身が元の中国語の記事を少し脚色し、蔡黄華という架空の女性が日本軍兵士数人を殺して逃走し、反日ゲリラの首領となったという記事を作りあげた。すると、ほとんどの米人記者がこの記事にとびつき、この女性の写真を要求してくるので、国民党宣伝部が腰に二挺拳銃を下げた中国人女性の写真を用意したりしたという。その後、彼女は蒋介石夫人(宋美齢)に次ぐヒロインとしてアメリカで著名になっていったといいます。もちろん虚構のヒロインですが……。

他にも、難民の苦悩を強調するために、国際救済委員会が14ヵ月の間に難民に2500万食を配った事実を報道する時に、たまたま間違えて難民の数が2500万人にのぼると書いてしまった。そのために、その数字は新聞や雑誌に掲載され、学術的数値ともなってしまい、すでに歴史の一部となったと回顧しています。彼は一貫して中国贔屓で日本嫌いだったようで、1980年代になって「日本からの危険」という論文を発表して話題を呼びましたが、過去に中国との深いつながりを持つジャーナリストでもあったわけです。

櫻井: 慰安婦問題でも国の命令で自分が強制連行したと語る一日本人の「創作」を鵜呑みにした報道があって、それが「事実」として定着してしまった例があります。日本政府も強制連行に直接関与した事実の有無については「これからの調査を待たなければ分からない」としつつも、「従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が関与していたことは否定できない」と述べ、このことと強制連行が同義語であるかのようにコメントしてしまいました。そのために、真相が歪められて伝えられるようになったのです。

北村: 慰安婦報道の虚実に関しては、櫻井さんの書かれた「密約外交の代償――慰安婦問題はなぜこじれたか」(「文藝春秋」97年4月号)を拝見しましたが、政府はその場凌ぎの対応でしたね。

櫻井: 中国との戦争は、時局、時局で、単なる現状追認のままなし崩しに拡大していきましたが、永田町の論理も政局が大事で、その場凌ぎです。慰安婦問題でも、“強制連行があった事実を何とか日本が認めれば、韓国側も好意的に対応してくれて後はおさまるだろう”という希望的観測で、政府は“政治的妥協”で半ば容認してしまいました。

それが将来どんなマイナスとなってはね返ってくるかを考える能力に欠けているのです。

つまり、国家としての戦略的思考がまったくない。その点、中国は今も昔もそうした戦略に長けていたわけです。

北村: 国民党の戦時対外宣伝の基本方針は、日本軍の残虐性をことさら喧伝しアメリカの干渉を誘発しようとするものでした。個々の戦闘では日本には勝てないけれども、首都を重慶に移動して一歩一歩と後退し、やがておこるであろう国際情勢の変化を待つという持久戦の計画を蒋介石は明確に持っていた。そしてその成果は真珠湾攻撃となってあらわれます。蒋介石は、これにより勝利を確信しました。

国民党にはアメリカ留学派の幹部が多く人的な結びつきが米中間ではあった。セオドア・ホワイトもハーバード大学を卒業してから中国研究のために中国にやってきて、いつの間にか国民党のスポークスマンのような存在になったのです。

櫻井: その先兵でもあったティンパーリーにしても、巧妙というのか狡賢いというのか、先の本の序文でも、見聞した日本軍の暴行記事をガーディアン紙に打電しようとしたら、上海の日本側電報検閲員に「内容が誇張に過ぎる」として発電を差し止められたので、本を書くことによって世界に公表しようとしたと記しています。

しかし、根拠のない30万という死傷者の数を明記した記事を打電しようとしたら、非常識だとして日本側が差し止めたのは当然の措置ともいえます。むしろ、「差し止め」させる状況を意図的につくり、そのうえで「差し止め」の事実を誇大に宣伝することで、自分の捏造記事に逆の信憑性を持たせることに成功したのです。そして日本側の弾圧をくぐりぬけ、良心的ジャーナリストとして真相を発表し、告発しようとして本を書いたと自画自賛したわけです。そういった国民党とティンパーリーの手法は、ある意味では敵ながら舌をまくしかありません。どの国もそうした国家としての戦略性を持ち、宣伝活動に真剣に取り組んでいたのですから。

ロバート・スティネット氏が『真珠湾の真実』(文藝春秋)で明らかにしたマッカラムの戦争挑発計画にしても、アメリカ側が緻密な戦略的思考に基づいて日本に開戦への道を選択することを余儀なくさせていった事実を証明しています。日本側の情報戦略の欠如は反省すべき点ですが、過去の失敗から学ばないまま、今も同じ失敗を繰り返しているのは残念です。

巧妙なトリックの数々

北村: 現実に、英米軍とタリバンとのアフガニスタンでの戦争にしても、民間施設への誤爆があった、なかったといった真偽定かならざる情報が交錯しています。戦争報道に関しては、何が真実で何が宣伝なのかということを見極めるには、慎重で客観的な調査が必要です。

ただ、「火のない所に煙は立たない」とも言います。そうした「針小棒大」とはいえ、日本軍の残虐さを伝える虚報が受け入れられた背景は何なのかという自省も日本側には必要です。闇雲に単なる民間人を虐殺したということはなかったのでしょうが、便衣兵など逃亡兵や捕虜扱いにすべき兵士をどう扱っていいのか、混乱の果てに処刑してしまったという事実は否定出来ません。

櫻井: 日本の場合、当時も今も長期的な戦略思考や対外宣伝力が欠如しているわけですが、偕行社の『南京戦史』を見ても、捕虜をどうするかという方針すら満足に確立していないまま戦争をしていたことがよくわかります。ある参謀長は積極的に捕虜を取るべしと言い、別の師団長は捕虜を取るなと言い、適宜処置せよと言ったりもする。兵站も間に合わないほど予定より早く南京が陥落したために、日本軍は自分たちの食料も満足に確保できないまま大量の捕虜を抱えてしまった。そのために、運のいい中国人兵士は捕虜収容所に入れられたりもしましたが、処刑された兵士もかなりいました。

しかし、それでさえ、東京裁判の判決のように「日本軍が占領してから最初の6週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であった」とか、中国の言う「日本侵略軍は南京を占領してから、公然と南京人民に対して6週間にわたる血腥い大虐殺を行った。……日本軍の南京での大虐殺中に、殺害された中国人民は合わせて30万以上に達した」(『小学課本・歴史』)という、いわゆる“massacre”的な虐殺とは全く違います。つまり、ドイツのユダヤ人虐殺と南京事件とは全く次元が異なるわけです。この事実はきちんと何度でも日本は主張する必要があります。

北村: ティンパーリーの本でさえ、そんな形での組織的な虐殺があったとは実は書いていません。そもそも、“massacre”という言葉をティンパーリーは使っていません。この本の中で紹介されている欧米人の報告にしても、略奪や強姦は偶発的なものであったとみなしています。つまり、当時にあっては、国民党にしても、その依頼を受けたティンパーリーでさえ、日本軍が組織的な大虐殺をしていると伝えたのではなく、軍律厳しいはずの日本軍が南京で無秩序な行動をしていると批判しているだけなのです。

また、これも誤訳、虚報と関連しますが、ティンパーリーの本には、根拠なしのまま、「中国中央部の戦闘だけで中国軍の死傷者は少なくとも30万人を数え、ほぼ同数の民間人の死傷者が発生した」と出てきます。この元となった電文は日本側の検閲で差し止められたわけですが、その電文がロイター通信などを経て回り回って、中国の新聞「漢口大公報」に転載される段階になると、「英国記者ティンパーリー氏の報告によれば、敵軍が南京上海戦で殺戮した平民は少なくとも30万人に達した」となるんです。つまり、「中国中央部」という広い地域が「南京上海」に限定され、「死傷者」が「殺戮」になっていく。

櫻井: ティンパーリーの数字にしても、当時の蒋介石・国民党の一方的な主張を書いただけのようですが、恐るべき相乗効果です。巧妙なトリックというしかありません。でも、その記事が『英文中国年鑑』(1939年版)という歴史書に収録されて、「定説」化していくわけですね。

北村: そうです。彼の本の悪影響はまだあります。東京裁判に先だつ中国での裁判では、ティンパーリーの本の中で「殺人競争」として報じられた、向井、野田少尉のいわゆる百人斬りの記事(東京日日新聞の記事を、東京の英字紙であるジャパン・アドバタイザーが転載)が戦争犯罪の証拠とされます。向井、野田の二人はこの記事が証拠となってC級戦犯として死刑になります。

しかし、この記事にしても、鈴木明氏が『「南京大虐殺」のまぼろし』(文春文庫)で指摘していたように日本の報道はいささか大袈裟なものであったが、あくまでも戦闘中に中国軍兵士をどれだけ殺したかという武勇伝だったわけです。

ところが、ジャパン・アドバタイザーでは、そうしたニュアンスが減殺されてしまい、あたかも戦闘以外で民間の中国人を殺害していったという記事になってしまった。さらにティンパーリーが、この記事に「殺人競争」(Murder Race)というタイトルを付けて自分の本に収録したのです。


情報戦略にナイーブな日本人

櫻井: 先程も指摘したように、情報が持つ力の怖さを日本人は十分に認識してこなかった歴史があります。日露戦争にしても、アメリカ側の仲介があって半ば勝利を収めたものの、ポーツマス交渉の段階で、ロシア側の巧みな情報操作によって、いつの間にか日本側は賠償金を欲しがる強欲な国家と見做されるようになってしまいました。交渉の内容をリークしないという約束をロシア側は破るし、ロシア側に都合よく脚色された情報を与えつつ、欧米の記者をキャビアやお酒で接待漬けにして懐柔していく。

日本側は、日露双方が合意に達するまでは交渉の中味は記者にはもらさないとの約束を律義に守り続け、なんの情報発信もしませんでした。そのために、それまで応援してくれていたアメリカ世論もロシア贔屓になっていったのです。武力戦争には辛うじて勝ちましたが、その後の情報戦で日本は完全に敗北しているのです。

東京裁判にしても、中国での戦争裁判にしても、日本人は裁判で提出される検事側の資料というのは、根拠のある信憑性の高いものばかりというイメージを持っています。ところが、仰るとおり、誤訳・改竄された資料も多々あったわけです。どうも、そのあたりの感覚が日本人はナイーブすぎる。もっとも、日本人は「あなたはナイーブですね」と言われると、褒められたと思って喜ぶ人がいますけど(笑)。

北村: 要するに「バカ」という意味ですけどね(笑)。

櫻井: 世間知らずというか、物事を知らない御しやすい民族だと思われてしまっているのでしょう。

北村: 私は戦後生まれで世代的には全共闘世代ですから、戦前の日本は酷いことをしたという意識を持って育ちました。中国や韓国には申し訳ないことをしたのであって、下手に釈明することも不可能であるという罪悪感を持っています。それを払拭するためにはどうすればいいのか。中国は近隣諸国なのですから、仲良く付き合っていく必要があるのは言うまでもありません。この本も、別に中国と喧嘩したくて書いたわけじゃありません。

あくまでも、感情論で日本人は大虐殺をしたと対日批判をしても、日本の若い世代も徐々に反発を覚えるようになりますよ、そうならないためには、中国が日頃主張するように「実事求是」(事実に基づいて真理を検証する)の立場から、この「南京事件」を探究していくべきだと考えたわけです。もう少し落ちついて話をしましょう、と言いたいだけです。

東京裁判にしても、普通の裁判なら「疑わしきは罰せず」でしょう。南京事件に関しての検事側の証拠は今まで見たようにかなり矛盾の多いものばかりですから、本来なら裁判を整合的に構成するのが困難だったはずです。反証も幾らでもあった。日本軍は、南京占領後に自治委員会を作って、占領を止め、戦況が落ち着くにつれて食糧の配給も始めていった。

櫻井: 日本軍は南京占領後、間もなく住民登録も行なって秩序回復に努めています。そういう所で、民間人を対象にして何週間もの虐殺が続くとは到底考えられません。国民党の資金援助で作成されたティンパーリーやスマイスの報告でも、そうした「虐殺」があったとまでは書かれていない以上、これからの議論は仰るとおり「実事求是」が大事ですね。

北村: 例えば、中国における南京事件の裁判で決定的証拠として採用されたものに、『陥都血涙録』という資料があります。これは国民党の士官であった郭岐の回想録です。彼は南京陥落後3ヵ月市内に留まり虐殺を目撃したというのです。

ところが、日本兵が僧侶の性器を切り落としたといった類の俄には信じ難い話が多い。宦官の伝統がある中国人ならば、残虐な行為の象徴としてそういうエピソードが出てくるでしょうが、日本人がそういうことをするものなのか。また、そういう行為を日本兵がしたとされる時に、何故か流暢な中国語で会話をしています。不思議です(笑)。

他にも南京の外港である下関の放火なども日本軍によるものだと決めつけていますが、これは明らかに中国軍が南京撤退に際して火を付けたものです。また、本書の中では、そうした虐殺が行われていたという南京にいたはずの彼が、のんびりと碁を打ったりして平々凡々と過ごしているといった矛盾するような記述も出てくる。安全区にいたのかもしれませんが、周辺で3ヵ月間も虐殺が行われている時に、そういう生活ができるものか疑問というしかない。

櫻井: 当初、「飢えと寒さに迫られて」死にそうになっている部下の兵士がいると書いている所を、後年の版では「日本軍の絶え間なく続く、血なまぐさい風と血の雨の降る大虐殺の中を、彼らは生命の危険を冒して」死にそうになっていると脚色しているわけですね。

北村: その反面、新しい住居で古書を買い込み、日がな一日読書に耽っているといった平和そのものの記述は、改訂版では削除されているんです(笑)。

ナショナリズムと「感情の記憶」

櫻井: 実は、私は在日韓国人の金両基さんと、慰安婦問題などで論争をしたことがあります(『日韓歴史論争海峡は越えられるか』中央公論新社)。議論はいささか平行線を辿りましたが、それなりに冷静な議論を展開できたと自負しています。

勿論、日韓にしても、日中にしても、戦争のことが話題になると日本は「加害者」の立場になります。しかし、やっていないことをやったと非難され続け、冷静で合理的な反論や討論もしない
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