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海外在住邦人から見た日本株「復活」の条件

Category: 日本国民の心得  

海外在住邦人から見た日本株「復活」の条件

2011年06月08日

震災以来思うこと
 3月11日の東日本大震災はロンドンに住んでいる筆者にいまだ衝撃を与えているようで、あれからそろそろ3ヶ月を経ようとしているにもかかわらず、どこか物事に100%集中しきれない気がします。

 筆者は海外に現在住んでいるとはいえ、生まれてから社会に出てしばらく経つまではずっと日本に住んでいましたから、こちらに来てからも日本のことは深く気にかけていますし、「世界経済」を相手にしている商売をしてますので、その中で大きなプレゼンスをもつ日本は重要な分析・投資の対象です。そうした投資と直接関係なさそうなニュースもMSNをはじめとするインターネットのポータルサイトなんかでよく見ますし、世界で一番好きな野球チームもサッカーチームも日本にありますから、デーゲームの際は早起きしてインターネットを通じてテレビで生中継見たりもしています。日本にたまーに帰った際に食べられるよう、美味しいお店の情報もフォローが欠かせません。

 ただ、こちらで生活をしている以上、日本を離れてからの時間が過ぎれば過ぎるほど、日本の方が外国でこちらの方が自分の国にどうしてもなっていきます。生活の基盤がある以上、その地における「常識」に合わせないと生きにくいからです。そうして日本で当たり前に思っていたことが当たり前ではなくなっていきます。日本の新聞も、日本のテレビも、見ようと思えばいつでも見れるのですが、もはやスポーツ中継以外はほとんど見なくなってしまいました。「日本の空気」を感じることはほぼ出来なくなっていると思っています。

 しかしながら、震災の時はさすがに日本のテレビ・新聞の報道を久しぶりにかなり見ました。そうしていないと自分の一部、それもかなりの部分がなくなってしまうような気がしたからです。なぜかはよく分かりません。日本を離れてから自分の日本人としてのアイデンティティがだんだん薄れていくことに対する恐怖みたいなものが、震災をきっかけに出てきたのかもしれません。ただ、それでも「空気」まで感じるのはムリです。停電や節電、原発事故の影響、復興の現状等、日本の報道を見ても、日本の知人と話をしても、いったいどうなっているのか、正直よく分かりません。

 逆に、逆にその空気にどっぷりとつかっていない分、冷静に見えている部分もあるのではないかとも思います。思えば、こちらに住むようになってから、あるいは筆者は社会に出てから最初は普通の「日本の会社」で働き、その後日本にある「外資系の会社」に移りましたが、その際に「日本の会社の常識」も当たり前ではなくなるという経験をしていますので、その頃からかなり時間をかけて日本を客観的に見るという作業をしているような気もします。今回の震災に際しては、かなり集中して日本について考えました。そうした経験を踏まえて、今、筆者が考える、「日本経済の行く末」について少々披露したいと思います。

日本の良いところと悪いところ-「略奪・暴動がおきない」vs「原発事故対応が酷すぎる」
 さて、今回の震災に関して日本人自身も含めて世界中の意見が一致するのは、「略奪・暴動がおきない日本人の高潔さ」と「政府・東電の原発事故対応の酷さ」についてでしょう。おそらく、ほとんどの人は何でこの二つが両立してしまうのかが理解できないと思います。筆者にとってはこれはなにも新しいことではありません。日本の会社における「一般社員や課長クラスの優秀さ」vs「経営陣の無能さ」や、旧日本軍における「末端兵卒あるいは下級仕官の優秀さ」vs「幹部の戦略性のなさ」に通ずる、非常に古くからのテーマです。

 どうして日本という国がこのような構造になっているのかについては、様々な人々が様々な研究をしていますが、確実なことは、この構造を維持したままだと、何事においてもある程度のレベルにまでは達することができても、それ以上にはけっして進めないということです。つまり同じゲームをやっている限りは、ある程度上位にはいけるかもしれないけれども、トップを維持するようなことは決してできず、時間が経つにつれゲームを不利な方向に変えられたり、下からの追い上げに敗れたり、そうしたことが発生しやすい状況になりやすいという特性が日本人にはどうもあるということだと思います。

 ただ、日本人がすごいと思うのは、ゲームが変わったら変わったで、しばらくするとそのゲームに慣れ、また上へ上へと動き出す可能性があることです。というわけで、この構造自体が絶対的に悪いものかというと、必ずしもそうでもないと思います。というわけで日本が長い間かけてつくってきたこうした文化を根本から「変えなければいけない」という議論には筆者は反対です。

日本が進んでしまっている道 - 「正社員」の信じがたい優遇ぶり
 しかしながら現状を見ると、どうもこの手の議論がグチャグチャになっているように見えます。例えば、海外から見ると日本の「正社員vs派遣社員」というのが不思議に思えてならないのですが、日本の正社員はどうしてあそこまで優遇されなければならないのでしょう?雇用は安定している上、給与も上位で、しかも出世のチャンスも大きいというのは、どう考えても特権だけしかありません。「普通の感覚」で言えば、世の中には「安定」を第一に求める人も多いので、そういう方々のためには、雇用の安定と引き換えに、給料は低めで出世のチャンスもほとんどない、という形態を用意すべきでしょう。筆者の理解では日本に「サラリーマン」という雇用体系ができた時の理念は、まさしくそんな感じだったはずです。それがおかしくなり、差別待遇のような「派遣社員」ができてしまいました。実際、正社員の派遣社員に対する差別は、制度的なもののみに止まらず、感情的にもできてしまっています。その結果、「一般社員や課長クラスは優秀」という日本の良いところがなくなりつつあるような気がしてなりません。

 日本の資本主義はヨーロッパの修正版と筆者は理解しています。ヨーロッパの場合は産業革命当初は資本家と労働者の階級格差が非常に激しく、しょっちゅう暴動が起きていたわけですが、日本の場合も対立はあったもののそこまでは激しくなく、とくに江戸時代からの初等教育のベースがあったこともあって、比較的フラットな社会ができたのだと思っています。結果的に労働者の質が日本の場合はヨーロッパに比べると非常に高くなり、それが日本が世界の中である程度の地位を確保できた大きな理由だと思います。

  しかしながら、このまま派遣社員に対する差別感情が増えていけば、日本の良さは失われます。労働者の質も下がってしまうでしょう。次回日本に不幸にも大きな震災が来る時には、今回のようには世界から感嘆されることもなくなってしまうかもしれません。ヨーロッパはいまだに階級社会ですが、ミドル・クラスの人々が感情的に労働者階級の人々を公に差別するということは今ではまずありえません。そんなことすれば大問題になります。ですから、逆に労働者階級の人々もミドル・クラスの人々を感情的に嫉妬することも少ないです。ですが、ヨーロッパの普通の労働者の質はいまだにはっきりいって高くありません。このことから察するに、人の質というのは早々簡単には向上しないような気がします。従って、日本もいったん労働者の質を落としてしまうと、もう復活させるのはかなり難しくなってしまうのではないかと思います。これは避けたいです。

 そして、それによって幹部たる人々の戦略性が高まるかというと、逆に特権に守られた本当は「安定」が好きな人々が幹部にまでなってしまうので、かえって悪化している有様です。多くの日本企業は「生え抜き」を幹部にしたがるので、中途半端な「エリートっぽい人」しか経営陣に入れません。あれは一刻も早く抜本的に改善した方がよいと思います。

 また、ヨーロッパではミドル・クラスであろうと、ちょっと会社の業績が悪くなれば簡単にクビになりますから、労働者であろうとなんであろうと、全員が「明日はわが身」です。差別などしている場合ではありません。そういう文化の中で磨かれた有能かつ出世意欲の強い人々が経営陣に入ります。こういう人々は「ホンモノのエリート」であることが多いです。日本の今のシステムでは、経営陣にはニセモノ・エリートが大半の状態ですから、ホンモノ・エリートが大半の外国企業と戦って勝てる可能性は非常に低くなってしまっているのです。

科学技術がここまで軽視されていいのか
 雇用制度を根本的に立て直すのは日本の緊急課題だと思います。目的は労働者の質の維持とエリート養成です。

 話は若干それますが、今回の原発対応の酷さの中でふと気付いたのは、彼らの「科学軽視」の姿勢です。日本の社会の構造上、政府や東電が「大本営発表」的な行動を取る可能性が非常に高いことは、ある程度想像していましたので筆者はその後の推移を見ても驚くことはありません(若干のイヤミが入ってますが)。しかしながら、それにしてもあそこまで「科学的根拠」をないがしろにしてよいものかどうか、そこは見ていてなんというかドキドキします。

 政府・東電からは、時々「大本営」ではない「本音」が漏れてきます。例えば4月中旬に首相が語ったとされる「原発20km以内には20年戻れない」等がそうですし、繰り返し発表される「直ちに影響は無い」もそうですが、その本音が伝わってしまったのを否定する時に、どうして科学的根拠を示そうという姿勢がまったくないことが許されると思ってるのかが不思議でたまりません。放射線量の影響はネットで検索すればすぐに専門家並みの知識が得られます。日本の国民のかなりの割合は今回の事故の「当事者」ですから、本当に多くの人々が既にこの専門家並みの知識を備えていると思います。にもかかわらず、その姿勢を貫くというのは、日本の先人が築いてきた「科学技術をベースにした国づくり」を根本から否定しているような気がして、筆者にはかなり違和感があります。しかも「調べればすぐに分かる」というのも軽視しており、これは国民に「勉強するな」といっているようで、国民の教育上非常によくないと思いますし、その程度のことすら報道に載せられないメディアの存在価値を疑います。

 「科学技術」は人類の発展の基礎の基礎ですから、ここをないがしろにする文明は絶対に発展できません。今、この光景を見ている子供たちが社会の根幹を担う頃、果たして日本は大丈夫なのか、楽観はできなくなってしまいます。

守られたひ弱なエリート
 そもそもなぜここまで科学的根拠を無視した議論をし、しかも「調べればすぐわかる」ようなことまで堂々と隠すのか、これはどうも「正社員を優遇しまくり、派遣社員を差別するような」歪んだ感情に通ずるようなものがあるような気がしてありません。つまり、「ニセモノ・エリート」である意思決定者が、「隠したとしても自分で勝手に調べて分かる程度の人々」を「自身と同程度のエリート(正社員)」として優遇し、それ以外の自分で調べようともしない人を「差別の対象(派遣社員)」として扱うようなメンタリティーです。

 もしそうだとすれば、ニセモノ・エリートの質がどうしようもなく落ちているからだと思います。筆者は日本人の基本的な素養の高さからすれば、他の先進国で普通に行われているような「分かりやすい説明」さえあれば、ほとんどの人は問題の本質を理解し、自ら判断を下すことが可能だと思います。しかしながら、ニセモノ・エリートはそのようなたいして難しくもないことでも、自分たちの仲間だけで理解を独占し、他に情報を与えないことで差別化しようとします。

 同じようなことは日本の会社等の組織でも日常的に行われています。このやり方の問題は、枚挙に暇がありません。何か問題が発生しても自分の仲間内だけで隠しがちになり、それを解決することよりも隠し続けることが目的化します。解決するにしても自分たちの利益が優先する上、そもそも少ない知恵だけで解決しようとするためうまく策が出てこず、結局さらに大きな問題に発展してしまう…という図式になりがちです。

 日本の場合、「仲間内」である「ニセモノ・エリート」の質が低いため、広く議論すればすぐに解決しそうな比較的簡単なことでも、自分たちだけでなんとかしなければならないと勝手に判断し、失敗する例が多いような気がします。

「鍛えられたエリート」が必要
 日本のエリートがホンモノ・エリートであれば、少人数のエリートがリーダーシップをとらなければ解決できない課題と、広く議論をして解決すべき課題の切り分けがもっとうまくできるはずです。そして広く議論をして仮に結論がでなかくても、ホンモノ・エリートが下す決定には、多くの人が信頼しついていくものです。

 日本には本物のエリートはほとんどいません。その理由はエリート教育が根本的に間違っているからだと筆者は思っています。そもそもエリートというのは「これまでになかったような未知の状況に立った際、状況判断をし、何をすべきか決定する」ために存在します。これができるようになるためには、とにかく何度も、自ら考え、リスクをとり、行動してみるという作業を繰り返す必要がありますが、日本のほとんどのエリートは、失敗をしないことを第一とされ、前例を踏襲するのに長け、さらに仲間内の暗黙のルールを絶対的に守ることが要求されます。

 つまり日本のエリートには「失敗から学ぶ」というチャンスが欠けており、しかも「新しいことにチャレンジする」こともあまりできません。組織を「発展」させることよりも「維持」、百歩譲っても「同じ方向で進捗」することくらいしか求められていませんので、いざ何か未知なことが起きても対応できないのです。しかも日本全体が変な方向に動いていますので、組織全体の質が下がりつつあります。その中で「前例を踏襲」していれば、衰退しか道はないのです。

「世界の中のエリート」を目指すしかない – 英語は不可欠なツール
 とはいいながらも、少なくとも現時点では、日本人の素養は世界の中で極めて高い部類に入ります。筆者なりに日本が進むべき道を考えると、そのベースを維持しつつ、ひとのりひとりが「世界」におけるエリートとして行動するというのがあるべき方向だと思います。そうすることによってはじめて、本物のエリートが養成され、一段と競争力を高めることが可能になると思います。

 筆者は、日本が持つ様々な分野における高い「質」を世界に広めていくということを、国策にするべきだと思います。日本では「日本の製品はオーバースペックなので、高級すぎて売れない」などと悲観する声も多く聞かれますが、筆者はけっしてそうは思いません。「質が高すぎて困る」なんていうことは絶対にないのです(「機能が多すぎて困る」というのはいまだにあるとは思いますが、それはまた別問題です)。

 日本に住んでいると当たり前に思っている「納期を守る」、「交通機関のダイヤが正確」、「対応が迅速」なんていう極々基本的なことが、先進国であってもほとんどの国では日本と比べればはるかに劣ります。衣料品の縫製、金属加工の質、化学製品の質なんかも、次元が違います。そういうものを「世界中で当たり前」のものにできるのは、おそらく世界で日本だけです。

 日本はこれまでも「輸出」という形でこうした「質の高い日本製品」のシェアを高めてきましたが、日本が豊かになって国内のコストが高くなった今、より生産性の高い仕事しか国内には残せなくなっています。これから先は、海外のコストの安い人々をうまく使っていくしか道はないでしょう。そのためには日本全体が「海外支社を統括する本社」のようになる必要があります。

 その際必要なのは、「管理職」としてのスキルと「英語」です。海外の人々は多くの場合、自分たちとはまったく異なるバックグラウンドをもっているため様々な「常識」が通じません。そういう中で、質の向上を図ることは大変ですが、成功を重なるにしたがって日本経済の質はさらに向上するはずです。様々な人々が「管理職」として試行錯誤を行い、失敗と成功を繰り返すことにより、その中から徐々に本物のエリートが出てくるでしょう。

 以上のように考えると、今後日本経済の質をさらに一段と向上させるためには、(1)現在おかしくなっている雇用環境を根本的に変える、(2)科学技術を重視の姿勢に戻す、(3)英語教育を飛躍的に拡充することが不可欠だと思います。そして、これらの結果、本物のエリートが育ち、彼/彼女らがリーダーシップをとれるようになれば、日本経済はこれまでになかったような新しいステージに立てるようになれるでしょう。

 道は長いです。が、筆者は日本人は必ずできると信じています。

グローバル債券ファンドマネージャー 鈴木 英寿
提供:株式会社イマジネーション


http://money.jp.msn.com/investor/stock/columns/c
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