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リーダーの資質が皆無の首相と日本の政治家

Category: 政治  

リーダーの資質が皆無の首相と日本の政治家

国家として危機に強い最高指揮官をどう育てたらいいか

2011.06.13(Mon)  織田 邦男

東日本大震災は日本に対し、2つの大きな国家的課題を突きつけている。1つは原発を含めた災害に強い国作りであり、もう1つは危機に強い国家の指導者をどう育てるかである。

 100年歴史を遡れば「坂の上の雲」を目指し、明治維新を成し遂げ、日清、日露戦争の国難を切り抜け、近代日本を創った指導者が綺羅星のごとく現れた。大久保利通、伊藤博文、松方正義、黒田清隆、山縣有朋、大隈重信などはその代表である。

実戦の修羅場で鍛えられた明治の指導者たち

大隈重信(ウィキペディア



 これら首相経験者はいずれも幕末から戊辰戦争などの修羅場をくぐり、実戦で鍛えられて指導者としての知恵と胆力を自身で体得した。

 たった1世紀が経過しただけだが、同じ国なのかと首を傾げてしまう。今の指導者を明治の元勲と比較すること自体が無謀であるが、あまりにもお粗末である。

 危機は生の人間像を暴露する。今回の災害を通じ、日本の選良には、自衛隊の初級幹部教育で受ける指揮官心得の基礎知識も有していないことが露になった。

 思いつき、その場凌ぎ、責任逃れに終始し、怒鳴りまくるのがリーダーシップだと勘違いしている総理大臣、指揮官の自覚なく、自分の決心事項にもかかわらず統合幕僚長に責任を押し付けようとする防衛大臣。

 黙々と働く消防官を指揮権限がないのにもかかわらず、その背後から「処罰するぞ」と言うような経済産業大臣等々、数え上げればきりがない。

 防衛大臣の一件については、一般読者のために指揮命令関係を少し丁寧に説明しておこう。福島第一原発が水素爆発を起こした後、原発に対しヘリを使い上空から放水を実施することが必要になった。

 その時、大臣は記者会見で次のように言ったのだ。「総理大臣と私の考えを慮って、統合幕僚長が決心した」と。これは無知によるものなのか意図的な責任逃れかのいずれかである。

 自衛隊法第9条2項には、統合幕僚長は「最高の専門的助言者として防衛大臣を補佐する」とある。また3項には「部隊等に対する防衛大臣の命令を執行する」とある。


つまり指揮官は防衛大臣である。統合幕僚長は専門的助言者であり、大臣の命令を執行する執行官にすぎない。決心し、命令を下し、責任をとる指揮官は防衛大臣なのである。

責任転嫁の防衛大臣発言は本末転倒

「来日する米国防長官に地位協定見直しを提起したい」、北沢防衛相

防衛大臣は統合幕僚長の部下だった? この人にシビリアンコントロールを言う資格なし。北沢俊美防衛大臣〔AFPBB News

 民主党内でシビリアンコントロールを一貫して主張してきた防衛大臣が記者会見で、ヘリによる放水を「統幕長の決心」としたのは責任転嫁もはなはだしい。こういう指揮官が軍を動かしていること自体、はなはだ心もとない。

 大震災、津波、原発の三重苦とはいえ、司令塔たる官邸の右往左往振り、リーダーシップ欠如には目を覆うばかりであった。

 指揮官としての教育訓練も実戦経験も有しておらず、官僚機構の使い方も不慣れなため、未曾有の危機に際し茫然自失し、ただ慌てふためいていたとしか思えない。

 挙句の果ては、内閣参与を15人も作り、21もの本部や会議が乱立、責任と権限は不明確なまま指揮系統は混乱した。官僚たちは官邸で誰に報告すればいいか戸惑うばかりだと嘆息した。

 自衛隊を含め関係省庁の熟達した行政処理能力、情報収集能力などを活用できない指導者に国家の総力を束ねることはとうてい期待できない。

日本の安全保障を全く考えていない政権

 安全保障会議も開かず、我が国周辺の情勢分析や脅威の評価をすることもなく、自衛隊の半数規模を動員するなど狂気の沙汰といっていい。

 諸外国から見たら、さぞかし不気味な国に見えたに違いない。軍の半数の動員を、しかも予備役の招集までを、安全保障会議を開かずに首相の思いつきで決めるのだから。

 阪神淡路大震災の時も社会党出身の村山富市総理大臣は、初動では同様に躓いた。「なにぶん初めてのことじゃから」と自分の無能さを暴露した。

 だが、その後は小里貞利震災担当大臣を任命し、すべての権限を集中させ、復興に必要な法律も16本成立させた。村山総理でさえ発災後40日間に10本の法律を成立させた。



 これに対し、今回は40日間に復興関連法案を1本も成立させていないばかりか法案の提出すらしていない。 

トラック1台の手配まで指示したい首相

菅首相は「8月いっぱいくらいにめど」 国民新党の亀井代表

リーダーシップの「リ」の字も知らない日本の首相〔AFPBB News

 緊急を要する被災者救援の最中にあって、危機管理と政局を同レベルで捉え、なすべきことをなさず、まずは政権維持、そして支持率浮揚の魂胆が見え見えの浅ましいパフォーマンスには反吐が出る思いだったのは筆者だけではあるまい。

 震災直後、「勝手に動くな」が官邸から発信された行動原則だったという。首相は陣頭指揮にこだわり、政治主導の名のもと、すべての活動を官邸で一元運用しようとした。

 原発、被災民、インフラのすべての対応を細部まで官邸が取り仕切るとして、トラック1台の出動にまで官邸から細かい指示を出し続けた。官邸に上がっていないものには「聞いていない」といって怒鳴りまくったという。この結果、現場では自衛隊や関係省庁は立ち往生し、混乱の極みだったという。

 被災者救援という待ったなしの活動には、現場の裁量で独自に判断し、自主的に行動することが欠かせない。官邸の一元運用はこういったダイナミックなオペレーションを阻害し、結果的に被災民に食事や燃料が行きわたらないという事態を惹起させた。

 そもそも官邸にはすべてを仕切る能力はない。スタッフは不十分だし、通信インフラも現場を仕切るようには整備されていない。

指揮官とは大方針を明示する人のことを指す

 現場活動の一元運用を本気で考えたのであれば、オペレーションを知らない全くの素人である。最高指揮官としての総理のなすべきことは現場に容喙(ようかい)することではないのだ。

 危機管理においては、指揮官は上位になればなるほど、大方針を明示するだけで、隷下の指揮官に権限と責任を与え、行動の自由を与えることが大切である。何より部下の能力を信頼することが重要なのである。

 現場部隊の行動の自由を制限してしまうような詳細な命令は決して発出してはならない。明確な目標と任務だけ与え、手段と要領は現場に任せるというのは自衛隊の初級幹部教育で教わる指揮官の「イロハ」である。

 旧軍の高級将校のマニュアル、「統帥綱領」には次のように書かれている。



「高級指揮官の発する命令は、部下兵団の大なるに従い、各兵団共通の目的と共同動作に必要なる準縄を明示することを主とし、各兵団に独断専行の余地を与えて、遺憾なくその全能力を発揮せしむるを要す」

現場の窮状を理解できるのは現場だけ

 「独断専行」というと「関東軍の独走」を思い出す人もいるだろうが、災害救援と戦闘行動とは違う。

 官邸は大方針を示すだけでよく、自衛隊を含む各省庁は大方針を具現化するため、間髪を入れず大いに独断専行することが望まれる。現場の窮状を理解できるのは現場であり、現場の判断が最も重要なのである。

 官邸が留意すべきは縦割りによる重複を避け、全体の活動の整合性を図ることである。今回の震災対応では、陸海空自衛隊を1人の指揮官に指揮させる統合部隊を初めて編成したが、これこそ政治のやるべきことなのだ。

 ドイツ陸軍の野戦規則にも次のような記述されている。

 「指揮官は、明らかに実行可能な目的である自分の意図を伝え、必要な戦力とリソースを与えなければならない」「指揮官が細部の命令を出せるのは、同じ目的に行使される手段を一致させなければならない場合や、政治的または軍事的制約が求められる場合だけである」

日本の首相がやっているのは下士官の働き

 指揮官は上位になればなるほど大所高所に立って判断することが増えるものだ。自ら仕切ろうとする指揮官は細部に埋没し、全般を見失って失敗を犯す。現場部隊の一挙手一投足に対し、事細かく指示するのは軍隊でいう下士官の仕事なのである。

 軍隊では「鬼軍曹が国をほろぼす」と言う言葉がある。高級指揮官が下士官のような視野の狭い発想で軍隊を動かすと国を誤るという箴言である。最高指揮官が軍曹になっては困るのは日本国民である。

 感情に任せて怒鳴りまくるのも指揮官としては失格である。どんな状況にあっても指揮官たるもの、決して「慌てふためい」たり「狼狽」してはならない。

感情が高ぶる状況にあってもこれを内に隠す、つまり表面に出さないことが指揮官には求められる。


 リーダー必読の書「孫子」にもこう書かれている。「主は怒りをもって師を起こすべからず。将は憤りをもって戦いを致すべからず」。

リーダーなら「孫子」ぐらいは読んだらいかが?

福島原発「前日からの顕著な悪化なし」、IAEA専門家

上空から見た福島第一原発〔AFPBB News

 カッーとして決行した場合、ろくなことはない。取り返しのつかない失敗をしでかすことが多いという戒めだが、最高指揮官になる前に、「孫子」くらいは読んでもらいたいものだ。

 某週刊誌にもその軍曹ぶりが揶揄される始末である。「稀有の大災害に際し、菅首相は極めて多忙だ。官邸で怒鳴り、東京電力に乗り込んで怒鳴り、帰ってきて怒鳴っている。問題は、首相がところ構わず怒鳴るだけでは、事態が何も好転しないことだ」と。

 これでは、誰も近づきたがらないだろう。「裸の王様」になると何より良質の情報が入ってこなくなる。「情報が上がってこない」と嘆くのは指揮官自身に責任があることを自覚しなければならない。

 福島第一原発1号機への海水注入に関する「言った」「言わない」のドタバタ劇も、危機管理における最高指揮官の指揮に関する問題点を象徴的に映し出している。

 当初の発表では12日18時00分、菅首相が1号機への海水注入について再臨界の可能性も含めた検討を原子力安全・保安院及び東京電力に指示したという。

海水の注水でお粗末な水かけ論

 19時04分、東電は海水注入を開始したが、19時25分、官邸の指示により(?)一時中止され、19時40分、保安院から検討結果が官邸に報告され、19時55分、菅首相は注入を指示。20時20分、海水注入が再開されたと発表されていた。

 この55分間の中断が菅首相の指示によるものであり、事態を悪化させたのではないかという疑惑が持ち上がった。

 官邸は原子力安全委員会の班目委員長が「再臨界の危険性があると指摘したから」と責任転嫁したが、委員長は怒り心頭で明確に否定。これを受け官邸は「再臨界の可能性はゼロではない」と委員長発言を修正した。

 その後、首相が「指示した」「指示していない」など、国会でも水掛け論議があった。結果的には現場の判断で海水注入は継続されていたという。これがドタバタ劇の顛末である。


そもそも「海水注入」といった技術的、かつ細部の事柄を最高指揮官がいちいち指示を出さなければいけないのかという問題点がある。

首相が指示すべきは手段ではなく方策

 原発事故の対応原則は「止める、冷やす、閉じ込める」である。「止める、冷やす」は「閉じ込める」、つまり放射能汚染を防止するための方策であり、「海水注入」は「冷やす」ための1つの手段にすぎない。

 危機管理のオペレーションでは、目標を示した後、細部のやり方は現場に、そして「餅は餅屋に任せる」ことが必須である。特に一刻の猶予も許されない原発事故のようは対応ではなおさらである。

 官邸が指示すべきは「あらゆる手段を尽くして冷やし、閉じ込めよ。廃炉も躊躇するな」と目標を命じることだけであり、目標達成の手段は現場に任せなければならない。さもなければ、緊急事態に間髪を入れずに対応することはできない。

 3月11日、政府は原子力災害対策特別措置法に則って原子力緊急事態宣言を布告した。この時点から電気事業者は内閣総理大臣の指揮下に入った。

 だが、東電を指揮下に入れ指揮監督の責任を負うようになったからといって総理大臣が、東電に対し事細かく指示しなければならないわけではない。事実それは時間を浪費するばかりで緊急事態には機を失し、事態を悪化させるだけである。

敵機にロックオンした瞬間、首相に判断を仰ぐようなもの

 敵機を追い詰め、一瞬の機会をとらえてミサイルを撃とうとする時に官邸に報告して、射撃許可をもらうようなものである。

 現場の裁量で判断、実行すべきことまで官邸に報告させ、官邸の許可を得なければ現場が動けないようであれば、それはもう危機管理組織とは言えない。

 「再臨界」の可能性について検討する必要があったという関係者もいるがそれは明らかにおかしい。「海水注入」に関しては、事前に研究し尽くされ、現場では不測事態の緊急手順となっていたはずである。

 当然、シビアアクシデントの緊急対処訓練でも演練されていたはずである。そんな一手順を改めて官邸に説明し、お墨付きをもらわなければ実施てきないとしたら、そもそも緊急事態には対処できない指揮組織だったということだ。



仮にもし検討がこれまでなされておらず、今回事故が起こったから、「再臨界」可能性について改めて検討する必要が生じたということであれば、それは怠慢を通り越し、もともと東電には原発を運用する資格はなかったということだ。

政治家におもねる良識のかけらもないマスコミ

【写真特集】東日本大震災から2か月

保身しか考えない政治家にとって被災者は二の次どころか実は全く関心がない〔AFPBB News

 さすがの東電もそこまで能天気な組織だとは思わない。官邸の右往左往を尻目に、吉田所長の独断専行で実施していたのを見ても分かる。

 このドタバタ劇について、面白おかしく「言った、言わない」を取り上げるマスコミは多い。だが、官邸の緊急事態における指揮のあり方、指示の適否、そして問題点について指摘するマスコミはほとんどいなかった。

 これは緊急事態における最高指揮官の指揮に関わる問題認識が日本社会で共有されていないことを意味している。

 このほかにも、今回の原発事故対応を子細に見てみると、明らかに官邸との調整に費やしたと思われる不作為の時間が随所にある。

 ここまで原発事故を悪化させたのも、この不作為の時間、時間の浪費が大きく影響していると考えられる。官邸への報告、そして官邸からの指示待ち、そして実行、これは平時の官僚組織そのものである。これでは危機管理は決して成功しない。

国民一流、政治は三流

 今回の大震災で冷静さを失わず、悲しみをこらえて秩序を保つ国民に対し、外国メディアのこぞって絶賛した。

 他方、うろたえて機能不全に陥った官邸の有り様見下し「国民一流、政治は三流」と揶揄された。自然災害と原発事故だからまだしも、これが他国による日本への侵略事態であれば、必ずや日本は惨めな敗北を帰していたであろう。

 今の日本において危機管理はもちろん戦史や戦略さえ教える大学は少ない。明治の元勲のような実戦経験はおろか、全く危機管理の知見を持たない人が国家のリーダーになる。

 そのたびごとに「なにしろ初めてのことじゃから」で犠牲になるのは国民である。今回の大震災が日本に突きつけている課題、危機に強い指導者をどう育てるかは喫緊の課題である。尊い犠牲者に報いるためにもこの難問を国家として真剣に考えていかねばなるまい。


中長期的には諸外国のように大学で危機管理の講座を設置し、危機管理の専門家を養成することも必要であろう。また総理大臣はじめ、大臣就任に際して、危機管理の基礎、指揮官心得などを自衛隊幹部学校などで受講されてはどうか。

内閣不信任案でまたもや言った、言わない・・・

 あるいは首相の側近として自衛隊の優秀な現役将官を勤務させ、豊臣秀吉における黒田官兵衛、武田信玄の山本勘助役を演じさせるのも一案だろう。

 マスコミも国家の指導者育成に責任があることを自覚してもらわなければ困る。

 今回の大震災、原発対応に対し、日々の官邸の対応について批判やコメントは数多いが、最高指揮官としての指揮監督、あるいは指示の適否、指揮系統の在り方など、危機管理の観点から本質的な問題点を指摘したマスコミはほとんどなかった。

 災害復興がいよいよ本格的に始まると言う時、内閣不信任決議案対応で、またぞろ「言った、言わない」のドタバタ劇があった。これは政局の話だから、危機管理の指揮官を論じる本稿ではとやかく論じることは控えたい。

 だが、身内から「心なし、誠なし、信なし」と囁かれる人物が名将だった歴史はない。政治の世界では、それでリーダーは務まるかもしれない。だが身体を張り、命を張って闘わなければならない危機管理の世界では決して指揮官は務まらないことを選良には理解してもらわなければならない。

心なし、誠なし、信なしの人物は名将たり得ない

 「統帥綱領」には「将帥」について次のように述べられている。

 「軍隊の士気の消長は指揮官の威徳にかかる。いやしくも将に将たるものは高邁なる品性、公明なる資質および無限の包容力をそなえ、堅確なる意志、卓越せる識見および非凡なる洞察力により、衆望帰向の中枢、全軍仰慕の中心たらざるべからず」

 理想と現実との乖離はあまりにも大きい。だが嘆いたところで、次なる危機は待ってくれない。危機に強い最高指揮官を国家として今後どう育てていくか。

 突きつけられた重い課題に日本は真剣に向き合わなくてはならない。総理就任後、2カ月経って「六法全書を調べてみたら、私が最高指揮官だった」などという指揮官を二度と出してはならないのだ。


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