FC2ブログ

今日ボクが見た風景

菅首相が退陣しても短命政権は続く

Category: 政治  

菅首相が退陣しても短命政権は続く


頭を取り替えて生き延びる官僚機構という「軟体動物」


2011.06.09(Thu)  池田 信夫

菅直人首相が、6月8日で就任から1周年を迎えた。まもなく退陣が決まっているとはいうものの、安倍晋三首相(366日)を超えて、小泉内閣以降では最長記録になりそうだ・・・などと笑っている場合ではない。

 菅首相は新憲法で29人目と、世界最多のイタリア(38人目)にかなり迫ってきた。イタリアの首相が短命になる原因は、比例代表で小党分立が続くからだと言われてきたが、日本では二大政党にして政権を安定させようとした小選挙区制の導入後に逆に短命になり、ここ15年で11人である。小泉内閣を除くと、平均1年にも満たない。

 なぜここまでひどいことになったのか、いくつかの仮説で考えてみよう。

仮説1──「政治家の質が落ちた」

 かつての吉田茂や田中角栄などに(毀誉褒貶はあっても)大宰相の風格があったのに比べると、最近の政治家のスケールが小さいことは事実だ。

 高度成長期の自民党には、軍事的には日米同盟、経済的には財界という基盤があり、財政も豊かだったので、それを地方に再分配する利権を有力な派閥が握ることによる求心力があった。それが90年代以降、分配する利権がなくなって派閥の求心力が落ちたことが1つの原因だろう。

 その中で唯一、長期政権を維持した小泉純一郎氏は、最近ではまれに見る大宰相である。小泉政権が5年半も続いたのは、派閥システムに依存しないで世論に訴えて改革を進めたためだが、実際には彼は老練な派閥政治家の面も持っていた。

 経済政策の要に竹中平蔵氏という官僚機構に依存しないで政策立案できる人材を据え、経世会を徹底的に排除して「体制内改革」を実現した。それを支えたのは、霞が関に詳しい飯島勲秘書官による名人芸とも言うべき人事だった。

 小泉氏のおかげで、賞味期限の過ぎていた自民党は10年生きながらえたが、小泉改革は首相の「個人商店」的な性格に依存していた。このような「天才」によってしか政権が維持できないというのは、制度として欠陥があると言わざるを得ない。問題は政治家の資質ではなく、仕組みなのだ。


仮説2──「議会制度に欠陥がある」

 日本の参議院は権限が強く、しかも衆議院と選挙の時期がずれているために「ねじれ」が起こりやすい。これは自民党の長期政権の時代には問題にならなかったが、1990年代以降、ねじれが日常化したことが政権の不安定化する1つの原因だろう。

 現在の複雑な議会制度は、戦前の議会が「統帥権の独立」を主張する軍部によって空洞化したことを教訓として、特定の集団が暴走しないように多重に歯止めがかけてあるが、それが効率的な意思決定を阻んでいる。

 ただ大統領制の国では、ねじれは当たり前の現象で、日本はねじれを解決する妥協のシステムがまだ成熟していないという見方もできる。

 原理的には、与党の党首が首相になる議院内閣制の方が安定するはずだが、大統領は弾劾などの手続きが必要なので、議院内閣制の方が首をすげ替えやすいことが首相ポストの軽さの原因になっている。

 これを解決するために、首相を公選制にする改革が何度も検討された。首相公選は実質的には大統領制度と同じなので、天皇制との整合性が問題になるほか、議会との二元代表制になると、かえってねじれが日常化するおそれもある。だが、この点は首相と衆議院を同時に選挙するなどの方法で解決可能だ。

 このように議会制度や首相の選出方法に問題があることは明らかだが、参議院改革(あるいは廃止)も首相公選も、憲法を改正しないと実現できないというハードルは非常に高い。

 しかし政治がここまで劣化したら、憲法改正も長期の課題として議論した方がいいのではないか。


仮説3──「内閣に求心力がない」

 もう1つの問題は官僚機構である。日本の政治は、よく官僚内閣制だと言われる。建前では首相が「国務大臣」を任命し、閣僚は内閣の一員として意思決定をするのだが、実際には各省庁の利益代表となり、内閣は各省庁の合議機関になっている。

 民主党政権は、事務次官会議を廃止したり政務三役に権限を集中して「政治主導」を実現しようとしたが、官僚は政務三役に情報を上げず、首相官邸に権限を集中する「国家戦略局」も形骸化してしまった。

 この欠陥は、明治憲法以来のものだ。明治憲法では名目上の最高権力者は天皇だったが、立憲君主制によってその権力は制限されたため「権力の空白」ができた。

 内閣は天皇を補佐するという建前で弱い権限しかなく、首相には国務大臣を罷免する権限さえなかったので、大臣が1人でも辞任すると内閣は総辞職するしかなかった。このため最終的な意思決定を誰が行うのか分からないまま、戦争の泥沼に突っ込んでいったのである。

 この規定は新憲法では改められ、首相の権限は強まったが、官僚内閣制の伝統は変わらなかった。首相は単なる内閣の長であり、各省を指揮監督する権限はなく、内閣が法案も提出できなかった。

 これは橋本龍太郎内閣で改められたが、政策は各省が発議して各省折衝で調整し、閣議はそれを事後承認するだけという実態は変わっていない。

 このような中枢機能を欠いた「軟体動物」的な組織は、日本の企業にもよく見られる。取締役が各事業本部長で、役員会は各部局の調整の場になっていることが多い。社長になるのは調整型の「人格者」で、敵は少ないが実行力がなく、問題が起こると社長の首をすげ替えて「みそぎ」にする。

 これは明治以来のことではなく、江戸時代には主君押込という慣行があった。藩主と家臣が対立した時、家臣が団結して藩主を隠居させたり幽閉したりするクーデターである(笠谷和比古『主君「押込」の構造』)。

 その1つの原因は、主君が乱脈な政治を行って財政を悪化させたというような場合だが、藩主が急進的な改革を行った場合も押し込められた。

 よくも悪くも日本社会には絶対権力が育ちにくく、「つかさつかさ」にまかせる調整型の指導者しか出てこない。

 その根本原因は、日本は歴史上、外敵に侵略されたことがなく、国家としてのまとまりが必要とされなかったためだろう。

 もちろん平和はよいことなのだが、このために危機管理能力が弱く、大きな改革ができない。この欠陥が数千年の歴史による根深いものだとすれば、おそらく菅氏の次の首相もそう長くないだろう。







関連記事

Comments

« »

07 2020
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
NASA Visible Earth
Web page translation
Flag Counter
free counters
xxx
全記事表示リンク