FC2ブログ

今日ボクが見た風景

神武天皇 天業恢弘東幸の詔

Category: 日出処ノ天子  

神武天皇 天業恢弘東幸の詔


肇国の理想を述べた神勅を離れ,初代人皇 神武天皇がその理想実現のために東に行幸する際に述べた,「天業恢弘東幸の詔」を勉強した.

天業とは高天原を地上に実現する事業.恢弘とはそれを広めること.東幸とは東に行幸する.という意味だそうだ.


高天原の天上の義をこの地上に実現しよう・・・すなわち,我が国の國體の本義がここに定まったという.

これを神道では「惟神の道」という.


★天業恢弘東幸の詔は神武歴前7年(神武即位前7年)




神武天皇東征之圖



天業恢弘東幸の詔 (神武天皇即位前紀甲寅)



昔,わが天神(あまつかみ),高皇産霊尊・大日孁尊(おおひるめむちのみこと),この豊葦原瑞穂国を挙(のたまひあ)げて,わが天祖(あまつみおや),彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)に授けたまへり.ここにおいて火瓊瓊杵尊,天關(あまのいはくら)を闢(ひきひら)き雲路を披(おしわ)け,仙蹕(みさきはらひ)駈(お)ひて戻止(いた)ります.

是の時に,運(よ), 鴻荒(あらき)に属(あ)ひ,時,草昧(くらき)に鍾(あた)れり.故,蒙(くら)くして,正(ただしきみち)を養ひて,此の西の偏(ほとり)を治(しら)す.

皇祖皇考(みおや),乃神乃聖(かみひじり)にして,慶(よろこび)を積み暉(ひかり)を重ねて,多(さわ)に年所(とし)を歴(へ)たり.天祖の降跡(あまくだ)りましてより以逮(このかた),今に一百七十九万二千四百七十余歳(ももあまりななそあまりここのよろずとせふたちとせよももななそとせあまり).


而るを,遼邈(とほくはるか)なる地(くに),猶未だ王澤(みうつくしび)に霑(うるほ)はず.遂に邑(むら)に君有り,村(ふれ)に長(ひとごのかみ)有りて,各自(おのおの)彊(さかひ)を分ちて,用て相凌(あいしの)ぎ躒(きしろ)はしむ.


抑又(はたまた),鹽土老翁(しをつちのをぢ)に聞きき.曰ひしく,「東(ひむがしのかた)に美(うま)き地(くに)有り.青山四周(よもにめぐ)れり.其の中に亦,天磐船(あめのいわふね)に乗りて飛び降る者有り」といひき.

余(われ)謂(おも)ふに,彼(そ)の地は,必ず以て天業(あまつひつぎ)を恢(ひらき)弘(の)べて,天下に光宅(みちを)るに足りぬべし.蓋し六合(くに)の中心(もなか)か.

厥の飛び降るといふ者は,是れ饒速日歟(にぎはやひ)と謂ふか. 何ぞ就(ゆ)きて都つくらざらむ.




  • 高皇産霊尊・・・天地初発の時,高天原に成りませる神で神祇官八神の一
  • 大日孁尊・・・天照大神の御名
  • 天關(あまのいはくら)・・・高天原における天祖の御座所(みくらどころ)
  • 仙蹕(みさきはらひ)・・・神仙の通るときの先払い.転じて天子の御通行をいう.行幸.
  • 駈(お)ふ・・・促す.走らせる.
  • 戻止(いた)る・・・戻は来または至に同じ.来止.
  • 鴻荒・・・太古の意.はなはだ暗い意.
  • 草昧・・・世の開き始めにて未だ冥昧の時をいう
  • 皇祖皇考(みおや)・・・皇考は父をいう
  • 乃神乃聖(かみひじり)・・・通じないところなく,くらべるところないほど立派である意.
  • 積慶重暉・・・仁徳の政を布き光輝を耀かす.善事を重ね,恩沢が行き渡る.
  • 王澤・・・皇室の恩沢をいう
  • 邑,村・・・邑は大きなムラ(町).村は小さなムラ.
  • 凌(しの)ぎ躒(きしろ)はしむ・・・相争う.躒のキシロフ動きを繰り返す意.
  • 抑又(はたまた)・・・接続詞.さてさて.
  • 鹽土老翁・・・地理海路に通じる神.シホは潮.ツは助詞ノ.チはイカヅチ・オロチなどのチ.
  • 天業恢弘・・・皇祖の理想を実現すべき大事業を盛んにする
  • 光宅・・・光は広く大いなる意.宅は居.天下に降臨する.
  • 六合(くに)・・・東西南北上下の六方.天地四方の義.
  • 饒速日(にぎはやひ)・・・大和に先住する高天原人


※神武天皇が橿原の宮で即位される7年前.この時はまだ九州の日向地方にいたようだ.

この詔は,「これから大和地方へ行くぞ」と述べた詔である.


※前半では,この豊葦原瑞穂国がニニギノミコトに授けられたこと.天孫降臨したこと.しかしその時は世の中が未開で愚かだったことが述べられている.しかし,「ただしきみちを養ひて」というように,1つ1つを教えながら示す,つまり徳を持ってこの地を統治したと書かれている.

※とはいったものの,遠くの土地では,「みうつくしび(=水たまりに水が低いところから満たされるよう)にうるおはず」というように皇威が及んでいないと書かれている.それぞれの支配者が相争っていたようだ.


※後半では,海路をよく知っている鹽土老翁が,「東に良い土地があり,そこでは高天原の人が天磐船というものに乗ってやってきた」と言った,ということが書かれている.

※神武天皇はこれを聞いて,こここそが高天原の理想を実現(=天業恢弘)する地にふさわしい,東西南北上下の中心だと言い,ここに都を作ろうではないか,と東幸を決意したと書いてある.

関連記事

Comments

« »

09 2020
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
NASA Visible Earth
Web page translation
Flag Counter
free counters
xxx
全記事表示リンク