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今日ボクが見た風景

悠仁親王殿下 ひつぎを継承する御存在

Category: 日出処ノ天子  
「皇祖等騰極之次第」
について調べていたら,以下のページに行き当たって非常に感銘を受けたので紹介いたします.


以下
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悠仁親王のご生誕を言祝ぐ
飯嶋七生(自由主義史観研究会会員)



はじめに   

平成十八年九月六日、皇室に四十一年ぶりとなる親王が誕生された。皇位継承順位第三位、すなわち、次の次の御代の帝となられる皇子である。              
周知の通り、今春、皇室典範が、古来の伝統とは異なる方向に推し進められ、皇統は危機に直面していた。そんな時期に、秋篠宮妃殿下のご懐妊の報が伝えられたのは、皇祖皇宗が見るに見かねて、皇子を地上に遣わされたのではないか。同様の思いを、多くの人々が抱いたことであろう。
まさに「神風」であり、今さらながら、伝統のもつ不可思議な力を認めないわけにはゆかない。

しかし、一部報道機関においては、悠仁親王を紹介するに「現在の皇室典範の規定においては(皇位継承順位第三位)」と前置きをするのが、常のようである。これによって、近い将来の皇室典範改正次第では、必ずしも、悠仁親王が即位するとは限らない、と刷り込もうとしている。 
もはや、天佑神助に驚嘆している時期は過ぎ、積極的に父系継承の理を主張していかなければならない。


悠仁親王の御名と御印
                
秋篠宮同妃両殿下のご決意は、コウノトリの御歌のエピソードとともに、知らぬ者はいない。だが、親王に託されたのは、一宮家の存続ではなく、皇統護持であるというのが、その御名と御印に明白である。
御名に関しては、多くの識者が、「悠久」「悠遠」な皇室の歴史を彷彿とさせる、相応しい命名であるとコメントしているので、あえて触れなくともよいだろう。
だが管見の限り、御印に込められた意味を正しく報じている記事を、私は知らない。

親王の御印は「高野槇(コウヤマキ)」。これは、日本列島の限られた地域にしか植生しない、一科一属一種、つまり、日本以外のどこにも存在しない特異な木である。 直立して育ち、その樹高が三十メートル以上にもなる属性から、父宮が「大きくまっすぐ育ってほしい」との願いを込められたものと、一般には報道された。
 
しかし、少しでも考古学を勉強したことのある者なら、高野槇の木は、古墳時代、「王墓」の棺(割竹型木棺)に使われたものと、すぐに気がついたはずである。

文献史料上では、スサノヲ命がみずからの体毛から樹木を生じさせ、ヒノキは神殿に、スギ・クスノキは船に、マキは棺材に使うように命じた、とある(『日本書紀』神代上第八段)               
実際、高野槇は水に強く、腐食しにくいという特徴から、石棺が登場するまでの古墳時代前期には、近畿地方を中心に多くの出土例がある。

ちなみに、海を隔てた朝鮮半島の王墓からも日本から輸出された高野槇や楠木製の木棺が発掘されており、貴人を葬る棺には、日本の高野槇が珍重され、希求されていた。


棺と日嗣の関係性
                
さて、現代の知識をもってすれば、死者を埋葬する棺というと、なにやら不吉にも思えよう。事実、明治神宮の植林に際しては、高野槇は「不浄」の木であるとして排除された。だが、わが国の曙光において、高野槇は決して不浄とは考えられていなかった。

古代には、亡くなった王の亡骸を埋葬した墳墓の頂上で、壮麗な王位継承儀礼が行われていた。

葬儀とは、前王の霊威を新たな後継者たる王に継承させる神聖な祭儀空間であったのだ。そうであるからこそ、「棺」は、やまとことばでは「ひつぎ(=日嗣・日継)」とよませるのである

日嗣皇子とは、太子=皇位継承者である
                  
「日嗣」とは、「日神=天照大神」の子孫が「日」の霊(ヒ)位を継いでいくことであり、皇位の継承、また継承者=「(皇)太子」を主に指す。

文献史料を渉猟すれば、天皇は「天津日継(あまつひつぎ)を知らす」(『古事記』応神段)存在であり、また、皇位そのものについては「日位(ひつきのくらい)」(『日本書紀』皇極四年)と呼ばれていた。
皇位継承者を指す用例としては、「太子」の語を「ヒツギノミコ」と訓じ、「(天皇の)継嗣」(『日本書紀』武烈六年九月条)も、同様に「ヒツギ」と読ませている

さらに具体的な例を挙げよう。
『日本書紀』持統二年条、先年崩御した天武天皇の葬儀において「皇祖等騰極之次第」(直訳すれば、皇室の祖先が代々即位してきた歴史)が読み上げられ、これを「日嗣」と云う、と解説されているのだ。

つまり、亡き先王の葬送儀礼とは、決して不浄なものではなく、高天原以来の皇位継承の歴史を朗々と語り、新たな「継嗣」に「日位(ひつきのくらい)」を継がせる舞台装置なのである。
日嗣は「火嗣ぎ」にも通じる(厳密には、古代の日と火は別音別語)。皇室と並んで古い歴史を持つ出雲大社の「出雲国造」家では、現在も葬送儀礼として「火嗣式」をおこなっている。

先代が亡くなると、ただちに神火相続の儀を執り行い「出雲国造」の祖霊を新たなる後継者が引き継ぐのである。

第八十二代出雲国造、千家尊統氏は、「『火嗣式』とは、歴代の天皇が、それぞれ御自身の御名をもつ独立の人格でありながら、御代々の天子がいつも高天原から降臨された、天孫ホノニニギ尊それ自体に他ならない」のと同様に、出雲国造の祖霊(天穂日命)を継承しているのだと述べられた。

なお、古代に限らず、今上天皇=継宮明仁親王がご生誕になった当時には「日嗣の御子は生れましぬ・・・」という歌が作られており、半世紀前の日本国民には、このような煩わしい説明は不要だったかもしれない


叡慮の在処
                
以上のことから、悠仁親王は、高野槇を御印に持たれた時点で、いや、秋篠宮両殿下がお誕生を決意されたときから「日嗣皇子=太子」としての運命を背負われている。    

御印の選定にあたっては、天皇皇后両陛下ともご相談されたと仄聞するが、それは、両陛下も悠仁親王を日嗣皇子として遇されたということに他ならない。        
いまだ陛下のご真意は那辺に在哉と、取り沙汰するむきもあるが、この一事をもってして、叡慮はすでに明らかである。むろん、悠仁親王殿下おひとりのご誕生で、皇統が安泰となったわけではない。 

近く、皇室典範の改正は必要であるが、高野槇の御印に込められた歴史的な意味を正しく読み解き、その方向に沿って検討を進めて頂きたいと、心より願うものである。

http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi122.html

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