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今日ボクが見た風景

大東亜戦争 ビルマ独立と日本との関係

Category: 戦争  



終戦末期、インドは独立のため英国と戦ったが、ビルマは国家の存亡のため宗主国との争いを避け、こんなにつくした日本を裏切り英国側について攻撃を始めた。こんなことをする輩がいるからいまだ国が混迷していて治まる気配がない。
近頃は韓国が経済支援をしていて「韓流ブーム」だそうだ、かわいそうだがますます混迷しそうだ。
以下の高山正之氏の文章を読めば、「軍事政権ミャンマーVS民主主義のスチー」という構図がいかにもあやしい欧米の仕業ということが分かる。

インターネットは本当にすばらしい。マスコミの一方的な情報しか与えられなかった時代に比べればいまはいろいろな情報が手に入る。
あとはそれらを知った上でどちらが正しくて、誰が悪いのか、それを判断するのは自分自身ということだろう。
しかしそれを見つけるのは案外簡単かも、あやしい話というやつは洋の東西を問わず筋が通っていないからだ。


 九〇年代初めのミャンマーはなまじの貧しさではなかった。

 かつてアジア最大のハブ空港として栄華を誇ったミンガラドン空港は、そう言っては何だけれど差し押さえられた町工場みたいに暗く、わびしかった。  ヤンゴン市内へのアクセスだって小型トラックの乗り合いタクシーだけ。乗客は荷台の木製ベンチに腰掛け、スコールがやってくれば幌から漏れる雨水でびしょ濡れにもなった。

 この国は元英国植民地では異例の非英国的右側通行になる。というのもビルマ人は「英国」が大嫌いだからだ。  英国人はさまざまな手口でビルマ人のアイデンティティーを奪った。十九世紀末には国王以下の王族をインドの果てに島流しにして、国民の求心力を奪った。

 国王の娘、美貎のファヤ王女の消息をほぼ一世紀ぶりにヒンドスタン・タイムズ紙が報じた。王女は英植民地軍兵士の愛人にされて貧困の中で死に、その娘、つまり国王の孫娘ツツは「最貧困層に身を落とし、造花を売って生計を立てている」という。

 おとなしいビルマ市民がこの王家の悲劇を語るとき、本当に怒りで唇を震わせる。

 英国は国王を追放したとき、ついでに黄金の玉座も失敬した。戦後、国連を通じて返還を求めたが、戻ってきた玉座は穴だらけ。はめ込まれたルビー、ダイヤなどの宝石がすべて盗られていた。

 そういう過去があるからビルマは独立するとすぐに英国のにおいのするものはすべて排斥した。ヤンゴンの外語大も、英語を教科から外し、日本語を入れた。交通ルールもそのときに英国流の左側通行から右側通行に変えた。

 国父アウンサンの暗殺後、英国に渡ったきりの一人娘スー・チーが三十年もたって英国人の妻になって戻ってきたとき、ビルマ人は正直、戸惑った。彼女は英国人になりきっていたからだ。

 「政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。しかし、彼女は故意にそれを無視する。政府がたまりかねて規制すると『民主主義を弾圧した』と騒ぎ立てる」(山口洋一前ミャンマー大使)。骨の髄まで嫌みな英国人なのである。

 英国に次いでビルマの人々は中国を嫌う。中国人は植民地時代に入り込み、英国人のよき手先となってビルマ人を搾取した。英国人が引き揚げたあとも彼らは居座って経済実権を握り続けた。

 ネ・ウィンが鎖国政策をとったのも、ビルマ経済を停滞させて商売のうまみを消し、彼らが愛想を尽かして出ていくのを待つ、という意味があった。

 だから生活は貧しく不便だったが、国民は我慢した。それが自分の国を取り戻すためだと知っていたし、同じような状況のベトナムが華僑追放という強制手段を選んで、戦争(中越紛争)に巻き込まれたのよりは、ましな方法だと認識していたからだ。

 しかし、中国人はビルマ乗っ取りにもう一つ、手段を講じた。共産ゲリラの侵入だ。彼らは社会不安をあおりながら南下し、七〇年代にはヤンゴンのすぐ北のペグーにまで進出した。

 これを掃討したのが今の政権を担当するタンシュエである。

 中国人といえば、タイの華僑もしたたかだ。モン、カチンなど山岳民族をけしかけてビルマ人政府と対立させ、武器弾薬を売ってはチーク材を手に入れていた。「中国」というだけでビルマ人は顔をしかめたものである。

 ところが九七年に当時のD・エーブル計画経済相に会ったとき、側近から「中国の批判は避けてほしい」といわれた。
 スー・チー問題を口実に欧米がミャンマーに経済制裁を科し、日本が右にならえをしていたころである。この国の経済はそれでほぼ破綻しようとしていた。

 その窮状に援助の手を差し伸べたのがほかならない中国だった。
 “英国人スー・チー”に屈するのか、嫌いな中国の援助を受けるのか、究極の選択を強いられたビルマ人は結局、中国を選んだ。

 今、ヤンゴンの表玄関、イラワジ川にかかる鉄橋が中国の支援で建造された。
ネ・ウィンと国民が死ぬ思いで耐え、そして出ていってもらった中国人がそれを渡ってわんさと戻ってきた。王都マンダレーの街中には漢字の広告が大威張りで立ち並んだ。中国の経済植民地化にもがくミャンマーの姿である。

 だから、中国の批判をこっちが言えば、政府首脳は何とも答えられない。「その辺のところを察してほしい」というわけだ。
 そのミャンマーに、もっと苦しいはずのユーゴが三千万ドルもの経済援助を約束した。
 妙な話には裏があって「実は日本から巨額のODAを引き出している中国が背景にいて」(本紙バンコク特派員電)、ユーゴを迂回して援助しているという。中国政府は強い調子でこの説を否定するが、日本のカネが回り回ってミャンマーのクビを締め上げているのは間違いない。



真珠湾を見た男 世界はみんな腹黒い [2000年12月02日]

日本の敗戦後、ビルマに戻った彼は祖国がいつのまにか植民地から立派なビルマ人の国に立ち戻っているのを知った。それをやり遂げたのは戦時中、日本と協力したアウン・サンだった。

 ウ・ソーは複雑な思いだったといわれる。宗主国に盾突こうとして監獄につながれたのに、それを評価もされず、若い英雄が彼に取って代わっていたからだ。

 その彼に英国は一台のジープと何丁かの軽機銃を「彼が希望するまま引き渡した」という。
 そして翌日、旧英総督府に一台のジープが乗り付け、四人の兵士が二階の閣議室に乱入し、アウン・サンを軽機銃で撃ち殺した。

 英国は、ウ・ソーをアウン・サン暗殺の黒幕として処刑した。そしてアウン・サンの娘、スー・チーを英国に引き取り、育てた。いつの日か、英国に役立つカードになると期待して。 (抜粋)

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