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【陸自、一時間後には出動準備完了!】

Category: 日本国民の心得  

陸自、一時間後には出動準備完了!


「花うさぎの世界は腹黒い」より転載します。
自衛隊の活躍には世界中から称賛の声が澎湃として巻き起こりました。流石のサヨクも今回の震災の前には自衛隊を批難すら出来ません。日教組に洗脳された國家國民も、悪い夢から覚めた如く自衛隊の真の姿に驚いたでしょう。

乍併、民主党にはゲバ棒を振り回したアキ菅や市民運動家が蜷局を巻いています。安保闘争にうつつを抜かした世代には、自衛隊の雄姿が鬱陶しい限りでしょうね。売国作家や反日策動家も今回はまるで音沙汰なしですが油断は出来ません。

全ては是からの我々の姿勢が明日の日本を決めるのです。 

【陸自、一時間後には出動準備完了!】
『陸・海・空自衛隊は災害派遣要請を待たず被災地に出動していた!』  

 今回の東日本大震災は何かにつけて阪神淡路大震災と比較されることが多いですが、こと「自衛隊の災害派遣」については、今回は遥かに早く、菅内閣にしては上出来と思ってきました。2万5万、10万と思いつきでころころ変わる派遣規模に「ふざけるな!」という思いでしたが、発売中のWILL6月号の山際澄夫氏の寄稿をみて納得しました。

 いまは正式な出動要請がなくても、「自主派遣」という形で、自衛隊が独自に災害地に向けて派遣できる仕組みが出来ていたのですね。既に発売から20日ちかく経過してしまいましたが、現場で詳しく取材した山際澄夫氏のレポートをみて、感激したので、その部分を抜粋して以下で紹介致します。まるで映画にでもしたいようなレポートです。
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海上自衛隊災害派遣活動写真(ホームページから)

 本号は阿比留瑠比氏の「菅総理、あなたの存在が『不安材料』だ」がトップ記事を飾っていて、以下、次の二つの特集が組まれて、読み応えがあります。

WILL6月号は定価780円で好評発売中です
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【疾風の如く 十万自衛隊出動す!】ジャーナリスト 山際澄夫

 (前略)自衛隊の総力を挙げた取り組みで、特筆に値するのが初動の早さだった。大袈裟でなく、陸も海も空も自衛隊はすべて、災害派遣要請を待たずに被災地に向けて出動していたのである。

 大地震からしばらくして、海上自衛隊の横須賀基地にも津波が襲った。横須賀地方総監の高嶋博視海将は、総監室から港の海面がニメートル近く上昇しているのを見て、「これは大変なことになった」と事態の重大さを直観したという。

 自衛艦隊司令官の倉本憲一海将はその時には、すでに「動ける船は全て出せ」と命令し、修理に入っていたヘリコプター搭載型護衛艦「ひゅうが」、海外派遣訓練に参加のため進行中であった輸送艦「おおすみ」も動員された。阪神淡路の深刻な反省から改められた、いわゆる「自主派遣」である。

 正式の出動要請の前に、すべての艦艇が現地に向けて出港した。その結果、十二日未明には二十隻あまりが東北沖海域に入っていたのである。護衡艦「たかなみ」も、ただちに食糧や毛布など、支援物資を積めるだけ積み込んで出港した。

 ちょうどこの日は海上自衛隊の昇任試験日にあたっていて、多くの乗員が艦を降りていたが、帰りを待っていては出港が遅れるからと結局、六十人あまりを積み残して宮城県の金華山沖に急行した。目標の現場海域についたのは午前四時ごろ。「たかなみ」の米丸祥一艦長は、偵察に出したヘリコプターから送られてくる映像を見て、息を呑んだ。

「全滅だ」。

 海岸線はさまざまな浮遊物でとても近づける状況ではなかったが、それでも夜明けをまってボートを降ろして果敢に進み、捜索した。そして、ビルの屋上などに避難していた人を次々に救出していった。救出されたなかには、屋根に上って助けを待っていた石巻市のみづほ第二幼稚園の園児ら十一人の姿もあった。園児らは雪が降った屋根のうえで、クリスマスの衣装などを着て寒さに耐えていたのである。
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陸上自衛隊の捜索活動写真(ホームページから)

 園児らは「たかなみ」に収容されるとほっとしたのか、差し出されたどんぶり飯をぺろっとたいらげたうえに、さらにおにぎりをほおばったという。艦に収容した被災者のなかには、逃げる途中に子供二人を津波にさらわれた女性もいて、米丸艦長は「どう声をかけていいか分からなかった」という。

 救出が一段落すると休む間もなく、「たかなみ」は石巻市内などの避難所数カ所にヘリコプターやボートで食料を運んだ。ヘリコプターでは海岸沿いで孤立していた石巻市立病院の患者の移送にもあたった。結局、「たかなみ」はその場に三日間いて百人以上を救助、遺体も十遺体収容、後続部隊の到着を待ってさらに北を目指した。

「今やらないでいつやる」
「出動するのにためらいはまったくなかった。今やらないでいつやるという思いだった」

 陸上自衛隊のトップ、火箱(ひばこ)芳文陸上幕僚長は、こう振り返る。「大臣の指針を受け、陸上自衛隊として総力を挙げてやらねばと思い、集中できるだけの部隊を集めて、ともかく被災地に向かう準備をさせた」

 陸上自衛隊の出動も異常に早かった。その証拠が、新聞に掲載された一枚の写真である。津波に直撃された多賀城駐屯地(宮城県)で、ズラリと並んだ冠水した車両には「災害派遣」の幕が表示されていた。津波に襲われたときには即応部隊が招集され、出動準備はほぼ終わっていたのである。

 地震があったのが午後二時四十六分、宮城県に津波が押し寄せたのが三時五十分ごろである。つまり、地震一時間後には出動準備をすべて終えていたということだ。

大地震発生から津波まで一時間。その間に陸自の多賀城駐屯地では災害派遣に備えて出動準備が完了していた。凄いスピードだった。その後に津波が来て車両が水に浸かったことを物語る写真。

 その頃、高速道路上にも被災地に向かう陸上自衛隊の車両が続いた。早朝に発生した阪神淡路大震災で、自衛隊のヘリコプターが被災状況をはじめて視察したのは午後三時だったことを思えば、そのすごさが分かる。まさに、「疾風の如く」出動していったのである。

 その結果、孤立しているとテレビで報じられ続けていた牡鹿半島へも、丸一日後には隊員が到達していた。陸上自衛隊は道なきところに道をつくり、進軍していったのである。初動の段階で陸上自衛隊は孤立している人や地域の発見に全力を挙げ、瓦礫を撤去して道をつけ、橋が落ちたところには仮設の橋を取りつけていった。開いた道の総延長は、何と二百六十キロに達している。

 今、宮城でも福島でも壊滅的な被害を受けた海岸線を車で走ってみると、瓦礫のなかで曲がりなりにも物資輸送などの車が走れるようになっているのに驚かされるが、それは初動段階で自衛隊が道をつけてくれたおかげなのである。

 だが、自衛隊にとってもこの道を開く作業は決して生易しいことではなかった。重機が少なかったからである。それでも、突き進んで道をつくっていった。車両が通れる道をつくらなければ、生存者の救出も物資の供給も空や海からやるしかなくなり、その分、犠牲者が増えるからだ。

 自衛隊は今回、はじめて招集した即応予備自衛官を含め、十万人態勢で臨んだ。そのうち七万人が陸上自衛隊だが、後方支援を入れれば「十万人どころじゃない」というのが陸自幹部の実感だという。もちろん、被災した多賀城駐屯地の隊員も出動していった。

 これ以上ない“総力戦”だったのである。 (後略、WILL6月号P201-P204から抜粋)
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航空自衛隊の物資輸送写真(ホームページから)
http://www.youtube.com/watch?v=QoCZxp48XYo&feature=player_embedded
自衛官に感謝のしるしを

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