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今日ボクが見た風景

周辺諸国からの侵略に怯える気弱な弱小民族

Category: 日本国民の心得  

混血の雑種民族・日本民族日本人の誕生


弱者は、女性的に集団主義で仲間と寄り添って馴れ合った。強者は、男性的に個人主義で他者を組み伏せ従えて自主独立した。

 日本は、女性神を最高神とする、個性の薄い女性的社会であった。東アジアは、女性蔑視が常識とされる、男尊女卑の個性の強い男性社会であった。

 島国日本は、地球の中でも有数の自然災害が多発する、逃げ場のない絶体絶命の地域に存在する。理不尽な自然の猛威には人間の非力で抵抗したが、同時に、抗いきれない自然の営みには逆らう事を諦めて崇めた。

 摩訶不思議な自然を、純粋無垢な偉大な神々として素直に受け入れた。穢れなきがゆえに、侵し、穢すべからざる貴き八百万の神々として敬い、人智を越えた存在として信仰の対象とした。

 それが、つかみ所のない移ろいやすい「曖昧」さと、全てに「ありがたい」と感謝して前向きに受け入れる、日本独自の「あるがまま」という信仰心である。

 逃げ出せない宿命ゆえに、何時いかなる時も、自暴自棄的に絶望する事なく、自然の恵みを期待して、自然のに逆らう事なく助けを得て共に生きる道を選んだ。

 同じ村に住み死ぬ仲であるゆえに、いがみ合い、ねたみ合い、そねみ合い、村の「和」を乱して迷惑をかける行為を自己判断で自粛した。

 逃げ出せない世界では、そこで生きるしかない運命である以上、自分の無力さを自覚して「諦め」、自分を信じて逆境を「あるがまま」に受け入れ「諦め」て前に進む、という相反する積極的「諦め」精神が生まれた。それが、「生」を意識して「死」を覚悟する「諦め」と「諦めない」の多様な日本精神・大和魂である。

 閉鎖空間である島国には、貴重で儲かる資源らしい資源がない為に、身の回りにある変哲もない物を有効に利用するしかなかった。

 列島に「無い」からといって、大陸人の様に周辺諸国・地域を攻めて必要な物を略奪してくる活力は、ひ弱な日本人にはなかった。貧しく生きづらいからといって、半島人の様に祖国・故郷を捨てて自由に移住する行動力もなかった。

 貴重な人材も物資も無い為に、仕事が無くくすぶっている人や使い物にならなくなった物でさえ、「もったいない」と再生し再利用した。そこに、息の長い、日本独自の創意工夫が生まれた。

 お互いが不完全で、非力で、か弱い存在である事を認め合う所から始まる。

 他人を従えるとか、他人を蹴落とすとか、他人を屈服させるとか、ありとあらゆる全てのモノを自分一人の所有物にしようという、競争原理による欲得の支配欲を越えたところに存在する。

 自分に足りない所、いたらない所を、お互いが助け合い補い合うという、弱者の(女性的)「補完共生」社会であった。

 それは、日本にしかない、「お人好し」で脆弱な「隣保扶助」社会である。

 ゆえに、世間の為人の為そして自分の為の集団主義社会となる。

 日本民族日本人は、逃げ出せない閉鎖的な狭い世界でありながらも、宇宙的な広がりを持つ無限の空間を「心」で感じとりながら寄り添って生きて来た。それが、尽きる事のない情緒的な情感、痩せ我慢による「もののあわれ」である。

 日本庭園や茶室に象徴される、虚栄心の塊である人間的な装飾を削除した粗末で貧そうな日本文化である。豪華絢爛を愛する東アジア人には、貧弱で見窄らしく狭苦しい「わび・さび」の日本文化は理解できない。

 神道的な日本人は、人でも動物でもその体内から血が流れる事を恐れ、少量の血さえも見る事を嫌った。祖先神信仰の日本人は、血に恐怖感を抱いていた。





渡来系(無国籍)非日本人と帰化系(日本国籍)日本人の死闘


日本列島は、絶えず、朝鮮半島と中国大陸からの軍事侵略の脅威に晒されていた。

 島国日本は、海に囲まれ、海によって守られていたと信ずる者には、歴史が理解できない。

 日本を攻めて来る敵国がないという平和愛好家には、国防・安全保障を語る資格はない。

 日本には敵国がないと信ずる反戦平和主義者は、日本国家が消滅し、日本民族が死滅する事を願う、反天皇派マルクス主義者である。

 渡来人とは、日本への愛国心も、天皇への忠誠心も、地域への郷土愛もない者の事である。

 渡来人は、日本人になる事を嫌い、日本を朝鮮人の住みやすい日本にしようとした。

 帰化人とは、日本への愛国心を持ち、天皇に忠誠を誓い、地域への郷土愛を抱く者の事である。

 帰化人は、日本を日本人だけの日本にする為に自己犠牲的に戦った。

 日本人は、温情的に相手の気持ちや立場を推察し、自分の誤りはすぐに認めて謝罪し、不利を承知で自分から一歩下がって譲歩した。日本人は、内向的に、自分を責めて、反省する。論理的に逃げ道を塞ぎ、白黒はっきりさせる為に容赦なくがなりたてる朝鮮人に恐怖し、近付くのを恐れて敬遠した。

 中国人や朝鮮人の東アジア人は、冷徹的に相手の気持ちや立場を無視し、自分の明らかなる非は絶対に認めず、利益を確保する為に二三歩前に出て相手を威圧して譲歩を勝ち取った。東アジア人は、外向的に原因の責任を相手にゴリ押して反省は絶対にしない。逃げ道を開いて、白黒をはっきりさせず曖昧に処理しようとする日本人を憎悪し、殺したいほどに苛立った。

 両者は、水(日本的)と油(東アジア的)の様に正反対の気質を持ち、幾ら話し合ってもわかり合える事は絶対にない。 





渡来人による第32代崇峻天皇暗殺


663年 日本は、滅亡した百済王族の依頼で、敵国新羅討伐の為に朝鮮に派兵した。

 天皇家(大王家)は、百済王家とは親族的付き合いをした関係で、軍事支援要請されれば、如何なる犠牲を払ってもそれに応ずるのが人としての義務があった。日本の朝鮮出兵は、朝鮮内の親日派からの派兵要請がほとんどである。

 唐の軍事支援を受けて百済を滅ぼした新羅にとって、百済王家再興を目差す日本は侵略国であった。





渡来人と反天皇派日本人による、天皇支配に対する分離独立戦争


非日本人勢力による、天皇支配に対する分離独立戦争 700年~800年代 新羅水軍と朝鮮人海賊による、日本侵略と日本人拉致事件が相次いだ。労働不足の中国は、人身売買の盛んな国家であった。 歴代天皇は、国家の経済発展と教養の国際化よりも、国家の安寧と民族の安全を最優先して、日本討伐を計画する仮想敵国の新羅と唐との国交を断絶した。 820年 新羅系渡来人と反天皇派日本人の天皇と日本に対する叛乱。天皇の軍隊に敗れた彼らが、同和問題の原因となっている部落民の祖先である。 部落民は、自分の不運の原因は天皇と日本にあるとして、天皇と日本を滅ぼしたいほどに憎悪していた。 1019年 国交のない高麗は、満州族・刀伊に化けて北九州を侵略して、多くの日本人を殺害した。1,000人以上の日本人が朝鮮に拉致され、大半が労働不足の中国で労働奴隷や慰安婦として売られた。天皇と朝廷は、高麗からの平和的国交回復要請を、信用するに足る相手ではないとして申し込み拒絶し、侵略には断固として戦う意思を見せつつ警戒した。 天皇と藤原氏は、日本の文化的発展に寄与したとして、尊敬と愛着を持たれるが、庶民をしいてげる搾取の権化として憎まれる事は少ない。もし憎む者がいるとすれば、彼らの多くは朝鮮系日本人である




平和への話し合いを拒否し、全滅覚悟の戦争を選んだ猪サムライ 


1274年と1281年 元寇。日本侵略は、高麗国王による要請によって開始された。鎌倉幕府は、非力と分かっていても、祖国・日本を守る為に絶望的な戦いを続けた。昔の日本人は、天皇と国土と民族を守る為ならば、たとえ我が身が八つ裂きにされようとも武器をとって侵略者と戦った。

 鎌倉幕府は、滅んでも武士の鑑と称賛され、「神国と神風」を信ずる民族主義者日本人の「愛国心」の手本とされた。

 サムライは、中国と朝鮮を敵国として警戒し、国土と領民を夷敵から守る為に防衛力を強化した。

 国際主義者が嫌悪する、「忠君愛国」の民族主義や国粋主義はここから生まれた




無謀な戦争を避ける為に、平和な話し合いを受け入れた武士 


1419年 李氏朝鮮軍は、敵国日本を侵略して、対馬を武力占領した。日本侵略の目的は、倭寇討伐としていたが、倭寇は日本人ではなく朝鮮人や中国人であった。

 足利幕府は、無益な戦争を避ける為に、自国領対馬を朝鮮領に編入する事を認めた。戦う事を恐れて、領土を失い、領民を捨てた。

 日本人倭寇は、元寇で虐殺された日本人漁民の復讐であった。日本人漁民は、絶えず、朝鮮からの侵略に怯えていた。そして、生まれ育った対馬が武力で朝鮮に奪われた。

 足利幕府は、味方してくれるサムライが少ない中で惨めに滅び、武士が学ぶべき所は少ないとされた。

 日本の歴史上、唯一、平和の為に領土と領民を朝鮮に売り渡した政権として、天皇中心の民族主義者から見捨てられた時代である。




日本の国使を不法に監禁した、反日国家李氏朝鮮


奈良時代から日本の宗教界・霊界を支配してきたのは、八百万の神々を祀る神道ではなく、古代インドで誕生した仏教であった。

 「緑と水と光」の穏やかな循環(エコ)型の自然を愛する日本人は、訳の分からない「仁」や「義」や「礼」を説く堅苦しく権威高い中国の聖人君主よりも、人の悲しみや苦しみや切なさを知り「慈悲」を穏和に語る御釈迦様を愛した。

 心ある日本人は、威厳を持って上から見下す正統派儒教の中国・朝鮮よりも、同じ目線に降りてくる仏教のインドに愛着を持っていた。

 昔の日本人は、人の心を持たない権威や権力を敬遠し、従う振りをして脊を向けた。

 東アジアの中国文明人は、理路整然として君主や賢人の理屈が理解できない野蛮人と、日本文明人を「倭」と軽蔑して差別した。

 神社神道は、国教ではない。日本は八百万の神々による神道国家ではなく、宗教的権威をもった僧侶が支配する仏教国家であった。つまり、日本の国教は仏教であった。

 天皇は、皇室神道を祭祀するが、神社神道とは関係がなかった。当然、国家神道などは存在せず、天皇とは無縁であった。

 退位した天皇の多くは出家して仏門に入り法皇となったが、神社の鳥居を潜って神官になった元天皇や皇族はいなかった。欲得に満ちたおぞましい政治や陰謀渦巻く皇室の現実に辟易した天皇は、自由になるべく現実逃避的に隠遁し、日本古来の伝統文化や民俗芸能や神代からの慣習に一生を捧げた上皇ぐらいである。故に、万世一系の男系天皇(直系長子相続)は日本文化・日本文化・日本芸能の最高の守護者であり、日本人が日本人らしく生きる事の最良の理解者であった。

 それ故に、江戸時代には数百万人が年始などの重要な祭事ごとに御所の回りを、誰に強制される事なく自由意志で巡り、賽銭を投げ入れお参りした。

 日本人は、苦しい時に神を信じる反面、幸福感に満ち足りている時は神を拝まない。何時いかなる時も、神への信仰を大事にする欧米人とは正反対である。

   ※   ※   ※

 仏教界は、皇室を支配し拘束する為に、天皇を仏(釈迦)を超えた神にする事を認めなかった。ましてや、鎮護国家の加持祈祷を独占る寺院は、天皇を日本を守護する神であるとする事に反対した。有力な寺院は、歴代の天皇と皇后の霊魂を位牌に封じ込めて、供養する事を名目として奥の院に封印した。俗世の公家や武家などの権力者も、天皇を無力化して幽閉する為に、神聖不可侵の「私心なき神」とする事には反対していた。彼らにとって、天皇とは便利の良い道具としての人であり、特別な神ではなかった。

 何時の時代の権力者も、助言を求めたのは中国の権謀術数を説く軍学書を読み、アジア的国際感覚を鍛えた中国出身の帰化人高僧であった。参考になる朝鮮の書籍は皆無であり、朝鮮人渡来人には忠誠心の欠片がなかった為に聞く所だ少なかった。それ以上に、町外れの神社で1000年を一日として祭儀を執り行っている、民族的神話中心主義の神主に聞く事はなかった。

 人が生き神様・仏様とされて信仰の対象になったのは、天皇ではなく、新興宗教の怪しげな教祖や、怪しげな呪術を操って人を騙す祈祷師や、霊験を持って病気を治すと嘘っぽい話を吹聴して大金を得る人々である。それは、現代においても同様で、「道徳」や「良心」に無縁で、金儲けやセックスといった人間の強欲を隠さない新興宗教の教祖は、信者から例外なく神や救世主と崇められている。日本には、そうした怪しげな神が多く蔓延り、天皇の神性を汚し権威を失墜させようとしている。




「徳川家康は、日本人を列島内に閉じ込め、公共心・公徳心による滅私奉公を日本の価値基準として強制した」


江戸時代、1630年2月~1867年10月。

 日本には、国内外での戦争はなく、国内を大混乱に追い込む様な内紛も暴動も起きなかった。

 日本は、東アジア世界はおろか地球上でも希有な平和な時代を迎えていた。

 日本の身分制度とは、職業別の集団の事である。固定された身分ではなく、緩やかに、流動性を持った身分であった。

 島国日本には、世界的な神聖不可侵の階級制度は存在しなかった。よって、マルクス主義価値観による階級闘争も存在しなかった。





「鎖国した日本は、財政不足と人材不足に悩んでいた」


江戸時代の日本には、マルクスが言う様な階級闘争は存在しない。

 当然、ゴージャスな環境で利益を独占するブルジョワ=資本家も、劣悪環境で差別され搾取されるプロレタリア=労働者もいなかった。





下級武士から老中などの要職に就いた成り上がり者


成り上がり者は、絶えず、上司から嫌がらせを受け、同僚からいじめ抜かれた。

 日本社会は、妬みや嫉みが渦巻く陰湿さゆえに、イジメや嫌がらせがつきない陰鬱な社会である。

 取り柄のない無能な者ほど、人に言えないほどの努力をし頑張った成り上がりの失敗を願い、成功しない様に妨害し足を引っ張った。

 失敗すれば、責任を全て被せて、地位や名誉や財産や、その命まで奪った。





庶民から功績を挙げ恩恵で武士になった俄サムライ


家系にこだわる先祖代々のサムライから、切腹作法を知らない偽物サムライと馬鹿にされた。不作法な事をして失態を晒すと、軽蔑の眼で陰口をたたかれ、冷ややかに嘲笑された。

 最低な人間ほど、功績を挙げた能力者を軽蔑して差別し、仲間はずれにしていびり尽くした。





御家人株を買い幕臣の養子となって出世した庶民


大金を稼いで裕福な生活をしていた庶民は、サムライとなる事で極貧生活を強いられた。

 主君の勘気に触れたり、領民から訴えられたら、弁護してくれるサムライも無く、責めを全て押し付けられて切腹させられた。

 サムライの世界は、百姓や町人ほど恵まれた世界ではなかった。

 退屈でつまらないお城務めが、来る日も来る日も続く窮屈なだけであった。

 サムライは、200年以上俸禄が上がらない低賃金労働者に過ぎず、特権などは存在しなかった。

 支配階級と言われても、裕福な上流階級とほめようにも、その実態は悲惨であった。





サムライは、自己裁定で切腹・自決・自刀するという、厳格な自己責任を負わされていた


切腹・自決は、絶望的な自殺や破滅的な自爆などの様な責任回避的な逃避行の「死」とは根本的に違う、前向きに世の為・人の為・家族の為を希求する自己犠牲的な「死」である。 

 武士には、自由が無く、臨戦態勢下で領外に出る事が出来なかった。許可なく藩外に出れば脱藩とみなされ、不忠者・犯罪者として「上意」により斬り殺され、家族全員が同罪として重い処罰を受けた。

 サムライは、建前として、藩祖の定めた家訓や祖先が残した祖法を墨守し、その決まり事から外れる事を自己責任で戒めた。如何に威張っていても、幕府から命じられて大名行列や天下普請などで藩財政は逼迫していた。財政難を補う為に、豪商や豪農から多額の借金をして彼らに弱味を握られていた。本音は、明日の藩の行方や自分の身の振り方に思い煩っていた。金に困ったサムライは、諸藩の財政改革を見習い、独自の地場産業を育て、他では真似できない品物を作って藩外に売り込んでいた。

 ゆえに、武士は粗末な屋敷で家具の少ない極貧生活を耐え忍んでいた。

 サムライは、名誉を重んじ、体面を保った。辱められ体面を傷つけられたら、死を持って名誉を回復する為に決闘に及んだ。死を恐れ、名誉を捨て、敵に背中を見せて逃げれば、武士の風上にも置けない「腰抜け」と侮蔑された。武士の恥とされた者は、武士仲間から除け者にされ、いびり尽くされて武士社会から追放された。それが、閉鎖的な武士社会である。

 サムライには、明日の命どころか、今日の命さえ保証がなかった。主君の不興をかって上意を言い渡されるか、底意地の悪い領民の恨みをかって濡れ衣の直訴をされ、いつ何時、死に見舞われるか分からない崖っぷちの生活を強いられていた。

 役職に就いている武士は、突然の不幸で切腹や家禄没収などの処分を受ける事を恐れ、15歳で元服したわが子に家督を譲って隠居した。隠居した者には、一切の責任がない為に、無責任な庶民と一緒に気楽な生活を楽しんだ。

 日本には、異端派儒教が蔓延り、中国や朝鮮の様な正統派儒教は根付かなかった。というより、明日を信じて進歩発展する事を禁ずる、非人間的で四角四面の堅苦しい正統派儒教を敬遠した。つまり、日本は完全な儒教社会ではなかったのである。




責任を放棄して好き勝手を行う大名は、座敷牢に押し込められて隠居させられるか、殺害された


守るべきは、分別なき主君ではなく、そこに生活する家臣達が寄り添っている家・藩であった。

 だが、中国や朝鮮の様に主君を殺害した逆臣が新たな領主になる事はなかった。

 サムライは、東アジアの様な下克上を嫌い、切腹を覚悟し藩・御家を守る為に、分別を以て身を律して行動した。




「百姓は、約束を守らない誠意なきサムライを、『命を犠牲』にしても絶対に許さなかった」


サムライに盾突き訴えた百姓は、罪人として処刑されたが、村人からは氏神(祖先神)として神社に祀られた。毎年。処刑日には、村人は彼を偲んで祭りを行った。領主やサムライは、腫れ物に触る様に禁止をせず、事なかれ主義で見て見ぬ振りをしてやり過ごした。

 百姓に訴えられたサムライは、主君や上司の身代わりとなって切腹を強いられ、犯罪者の様に、仏として寺院の墓地に葬られた。切腹日には、切腹を命じた主家に咎められない様に、内々でヒッソリと法事を行った。サムライとは、威張り、威勢を張っても、自由のない損な身分であった。

 百姓や町人は、地元の寺院から通行手形を手に入れ、各地の祭り見物をしながら湯治に出かけた。仕事が一段落すると、名所旧跡を巡り、四季折々の物見遊山の行楽を楽しんでいた。

 日本ほど、庶民が主体となって庶民が自由に楽しむ祭りの多い国も珍しい。

 庶民は、昨日を懐かしく想い、明日を信じて期待し、今日・今・その時を楽しく遊び一生懸命に働いて生きた。泣いても笑っても一日は一日として、笑って躍って歌って陽気に過ごす事を生き甲斐とした。

 日本独自の文化とは、平安時代の公家による雅な王朝文化(藤原文化)と、江戸時代の名も無き町人や百姓による匠の庶民文化からなっている。その中心にあったのが、天皇中心神話(日本神話)の現人神=氏神信仰の神社神道であった。

 体面を気にする武士の日々は、日本式仏教と日本派儒教による耐乏生活様式や逆境精神修行であって、余暇を楽しむ文化生活ではない。武士は、特有のサムライ文化を生み出すだけの、精神的金銭的そして生活的なゆとりはなかった。

 日本には、世界文化の常識としての、上流階級による特有の排他的文化・教養・生活様式は馴染まなかった。





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