FC2ブログ

今日ボクが見た風景

市民国家オランダ王国

Category: 日本国民の心得  

*オランダ王国

 イベリア半島の改宗ユダヤ人やユダヤ教徒ユダヤ人らは、宗教弾圧を逃れ、スペインの植民地であったネーデルランドに移住した。ユダヤ教徒ユダヤ人は、アムステルダムを「北のエルサレム」としてヨーロッパにおける新たな拠点として、寛大なユダヤ政策をとるドイツ諸州やポーランド王国に移住して行った。だが、地元の反ユダヤ的ギルド組織とキリスト教会は反発して、領主に反ユダヤ政策を要求した。東欧諸王国では、改宗を拒否するユダヤ人へのポグロムが多発して社会問題化した。

 スペイン国王フェリペ2世は、カルヴァン派が支配するネーデルランドにカトリックへの信仰を強要し、異端審問を強行した。農村部の中小貴族は、乞食党を結成して、プロテスタントの信仰を守る為に起ち上がった。スペインは、カトリックの信仰を回復する為に恐怖政治を行って反対派を弾圧した。都市の商工業者は、自由を求めてヨーロッパ各地に亡命した。

 1568年 オレンジ公ウィリアムは、スペインからの独立運動を展開した。

 1576年 スペイン軍は、独立運動に手を焼き撤退を約束した。

 南部10州は、スペイン軍の封鎖で衰退したアントワープ市を再建する為に、親スペイン派としてアラス同盟を結成した。

 1579年 北部7州は、スペインからの完全な独立を勝ち取る為に、アムステルダム市でユトレヒト同盟を結成した。そして、アラス同盟とネーデルランドの支配権をめぐって激しく戦った。

 1581年 ユトレヒト同盟は、イギリス王国の支援を受け、ネーデルランド連邦共和国を名乗って独立を宣言した。オランダ共和国の成立である。スペインは、独立を認めず軍事介入を続けた。

 1588年 オランダ共和国は、スペインの無敵艦隊がイギリス海軍によって海の藻屑と消えるや、大船団を建造して海上交易の主導権を得て海洋帝国を築いた。弱体化したポルトガルの植民地を奪取して自国の領土とし、アジアの各地を武力で占領して原住民を虐殺して富を略奪した。

 1602年 連合東インド会社を設立し、東南アジア諸島部(インドネシア)の一角を植民地とした。蘭印(オランダ領インド)の誕生である。植民地支配を強化して、原住民が餓死しようとも農作物を略奪し、抵抗すれば虐殺した。ジャワの島西部のバンテン王国やスマトラ島北部のアチェー王国などのイスラム諸王国は、ヨーロッパとの莫大な利益をもたらす香辛料交易を優先して、領地外のイスラム教徒や他の島の原住民を見殺しにした。現地の支配者は、身分の低い貧しい同胞の命よりも、自分が手にする黄金に目が眩んだのである。

 国際法学者のグロティウスは、国家間の戦争に一定のルールを設ける為の「戦争と平和の法」を発表した。そして、ヨーロッパが世界を植民地化する為に、キリスト教徒白人に都合の良い「先占」の原則を打ち立てた。発見された土地が、欧州の何れかの国が植民地化していなければ、異教徒原住民が住み国家をもって実効支配していても無主の地と定めた。彼等の崇高な理屈は、キリスト教徒白人社会にのみに適応させ、異教徒非白人は除外した。つまり、キリスト教徒白人のみが「信頼できる善き人間である」と。

 1609年 オランダとスペインは、休戦協定に調印した。

 オランダの金融業者は、神聖ローマ帝国の庇護と財政支援を受け、世界金融を支配する為に公立銀行であるアムステルダム銀行を設立した。アムステルダム銀行は、イギリスやフランスとの競争に先んずるべく、世界の商品市場を支配する為に各地に金融網を張り巡らした。ドイツのユダヤ人高利貸しと提携する事で、日本やアメリカなどに交易販路を広げた。

ドイツのフランクフルト・ゲットーには、ロスチャイルド家、カーン家、シフ家、バルーク家など後年世界金融市場を支配するユダヤ人が住んでいた。

 1618(~48)年 ドイツで、プロテスタント連合とカトリック連盟による30年戦争が勃発した。デンマークは、領土拡大を目的としてプロテスタント派に協力した。イギリスとオランダは、国際交易での優位を得る為にデンマークに財政支援を行った。スウェーデンは、北欧・バルト海を支配する為に、フランスの援助でプロテスタント連合に味方した。スペインは、カトリック連盟を支援した。フランスは、1632年にスペインに宣戦布告した。1648(~53)年 フランスでフロンドの反乱が起きた。スペインは、フランス国内の紛争に干渉していた。

 1619年 ヨーロッパ各地で迫害を受けていたユダヤ教徒ユダヤ人の多くが、「信仰の自由」を求めてアムステルダムに移り住んだ。

 1623年 アンボイナ虐殺事件で、イギリス人をインドネシアから日本にかけての水域から追放した。弱体化したイギリスは、やむなくインドにアジアの拠点を置いた。

 1634年 オランダは、海洋帝国として、世界の外洋船の3分の2である3万5,000隻以上の船を保有していた。

 1637年 チューリップ・バブルが起きる。

*恐怖のオランダ領インド(インドネシア)

 インドネシアには、300以上の部族と部族言語の存在していた。イスラム教や仏教の他に数多くも民族宗教が存在していたが、宗教間対立はなく、お互いの信仰を尊重しながら平和に共存していた。

 1700年 スペイン継承戦争が起きるや、オランダはイギリスやオーストリアと連合してフランスと対抗した。

 スウェーデンとロシアが、バルト海の支配権をめぐって北方戦争(~21年)を起こす。

 1740(~48)年 オーストリア継承戦争。フランスとプロイセンは、内政干渉して、オーストリアを攻撃した。

 1755年 東ジャワのイスラム教国マタラム王国の王位継承問題の内紛を利用して占領し、植民地とした。国家・民族を内部分裂させ、叛乱・内乱を煽って弱体化させてから占領する。それが世界常識である。

 国家は外敵に内通する者によって容易く崩壊し、民族は裏切り者によっていとも簡単に死滅した。故に、どの国家・政府・体制でも内通者や裏切り者を反逆罪で処刑し、内戦や暴動を防ぐ為に裏切り行為を煽動する言説を禁止して厳罰で臨んだ。

 オランダの人口は、1490年頃は70万人であったが1940年には200万人を超えていた。多くの若者は、野望を抱き軍人や冒険家や貿易商となって海外に船出した。彼等は、口ではキリスト教の理念を広めると言いながら、本心では大金を得てゴージャスな生活を送る為に国を出たのである。

 1756(~63)年 オーストリアで7年戦争が起きる。

 ヨーロッパの戦争は、アジアの植民地にも飛び火した。

 1772年 第一回のポーランド分割。

 1773(~75)年 ロシアで大農民反乱が起きる。

 1825~30年 ジャワ島の原住民は、独立を勝ち取る為に「非暴力・無抵抗」を止めて叛乱を起こした。オランダ軍と植民地軍(原住民協力者や混血児ら)は、反乱軍を殲滅し、見せしめに100万人以上の原住民を大虐殺した。白人キリスト教徒から見れば、非キリスト教徒で非白人は人間ではなく、奴隷以下の薄汚い家畜に過ぎなかった。ゆえに、白人は、人間以下の獣である非白人を惨殺しても、何ら罪悪感を抱く事はなかった。

 インドネシアの大小諸島には、300以上の部族が独自の言語を持って生活していった。

 オランダは、原住民が団結して反抗する事を恐れ、島と島の行き来を制限し、部族を分断する為に交流できないように言語を統一せず、読み書きなどの基礎教育さえも一切禁止した。

 植民地で原住民に教育を与える事は反抗・叛乱の原因となるとして禁止するのが、世界常識である。同化させることなく異化のまま人種差別するのが、西欧的近代化であった。

 改宗原住民や混血児などから優秀な人材を選抜して上流階級とし、オランダ語の使用と特権を認めて優遇した。虐げられ極貧生活に追い込まれていた原住民の憎悪を、支配者であるオランダ人ではなく、同胞を裏切った彼等に向かう様に仕向けた。現地のキリスト教会も、原住民間の憎悪を煽るように、協力者原住民を改宗させて優遇した。

 中国系移民(華人)や華僑らは、優れた処世術から、利益を得る為に支配者・白人に取り入った。東南アジア経済を支配したのは、ユダヤ人やアラビア人やインド人などの商人ではなく、中国人商人であった。

 中国人商人は、独自の中華思想から原住民を差別し、オランダの力を利用して暴利を貪っていた。

 本国と総督府政庁は、不況に伴う財政難を救う為に、強制栽培制度で価格の安い食糧生産を制限し、輸出できる商品価値の高い作物の栽培を強要した。食糧が欠乏して多くの原住民が餓死したが、オランダは原住民の死を無視して価格の高い輸出用作物の栽培を強制した。地元で消費されるだけの食糧は、国際市場では商品価値がなかった。

 ドゥマック地方の人口は33万6,000人が12万人に減少し、グロボガン地方では8万9,500人が9,000人に減った。それ以外の地域でも、数百万人が飢餓に追い込まれ、数十万人が餓死した。

 オランダは、財政が好転した事を機に、キリスト教会や市民からの批判が強いとのこじつけ的理由で、1860年頃から食糧生産量の増産を許可した。

 だが、白人は、人種差別から有色人種を人とは見なさず、抵抗しない従順な家畜として見下し、当然の事ながら基本的人権も認めてはいなかった。絶対神から与えられた権利として、有色人種の命を無価値なゴミの様に扱った。よって、大量に原住民が餓死しようとも、白人に被害が出なければ救済処置をとらなかった。キリスト教会は、救いのない絶望の中で信者を増やした。

 大陸においては、飼い主の命令を聞かず牙をむいて反抗し、躾けられない犬は無能で価値のないダメな犬として殺した。生かしておいても野犬となり、狂犬となって人を襲う恐れがあるからである。だが、命令を従順に聞く犬を賢い犬として誉め称え、栄養のある餌を与え、暖かい犬小屋と雄犬であれば雌犬をあてがい、大事に飼い慣らした。犬同士も、強弱で独自の上下社会を構成した。表面的には友情があるように見えても、それは架空の事であった。

 奴隷は、「絶対服従」として「非暴力・無抵抗」を受け入れるか、さもなくば自由な人として「死」ぬかであった。

 キリスト教徒白人の植民地支配は、最初に穏和で愛想の良い商人が訪れて利益・金をもたらした。次に、温厚で優しそうな宣教師や修道士らがやって来て、「神の愛」による信仰と従順に従う「非暴力・無抵抗」を説いた。最後に、無慈悲で狂暴な軍隊を送り込んで「絶対服従」を誓わせてから、全て奪って行った。略奪された土地に残るのは、裏切り者の改宗原住民や混血児と盲従する奴隷原住民だけであった。

 生き残った極僅かな異教徒非白人は、白人支配に協力する裏切り者の改宗原住民や混血児らの攻撃から逃れる為に、人里離れた不毛な奥地で原始的な生活をしながら民族中心宗教を守った。

 植民地であった国々は、欧米諸国から独立しても、歴史や宗教や文化や言語など民族主義につながる全てを破壊された為に、「絆」を失い、極貧国となって内戦による殺戮が絶えない。

 普遍宗教は、全ての民族宗教を地上から消滅させるという「神聖な使命」のもとで、「聖戦」として異教徒への弾圧と迫害の手を弛めなかった。

  

    ※    ※    ※    ※    

関連記事

Comments

« »

08 2020
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
NASA Visible Earth
Web page translation
Flag Counter
free counters
xxx
全記事表示リンク