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立憲君主国家イギリス王国

Category: 日本国民の心得  
イギリスには、イギリス人はいても、イギリス民族はいない。

 そして、イギリス国王はいても、イギリス人の王はいない。

 そこが、日本とは全く違うところである。

 この事実を理解した上で伝統文化を否定する現代の国際派日本人は、イギリスの国王・王室に倣って天皇・皇室を開放的に大改造しようとしている。

*イギリス王国 

 5世紀頃、ユトランド半島を中心に住んでいたゲルマン民族のアングル族、サクソン族、ジュート族が、イングランドに侵入して本当のイギリス人である先住のケルト人を蛮族として攻撃した。

 抵抗する者は殺し、抵抗しない者は奴隷の身分に落としてヨーロッパ世界に売り捌いた。

 生き残ったケルト人は、北方に逃亡し、祖国を取り返す為に抵抗を続けた。

 大陸の侵入者は、ケルト人を追放して征服した土地に20以上の城塞国家を建国して、お互いに殺し合いを続けた。

 実力ある者のみが、暴力で、真のイングランド王になれた。

 6世紀末までに7王国に統合されたが、内戦は終結するどころか、さらに戦いは続いた。

 狩猟民族が持っていた弱肉強食の原理による、イギリス史の始まりである。

 9~11世紀 スカンディナヴィア半島を原住地とするバイキングであるノール人、デーン人、ズウェード人の3部族が、東部イングランドや北西フランスに侵入して、殺戮と略奪を繰り返し、捕らえた人々を奴隷としてイスラム世界に売った。そこは、理性が通用しない、暴力至上主義の世界であった。

 北欧は、冬の時間が長く、日照時間が短かった。土地は狭く、痩せ衰えて、食って生きていくのに必要な農産物を生産できなかった。苛酷な環境に生きる者は、豊かな国や平和な土地を侵略し、殺戮し、略奪しなければ、生存できなかった。

 金でも女でも欲しいと思うモノは、他人がどう思おうと、他人がどうなろうと、奪い取った。それが、彼等の「個性」であった。

 ヨーロッパでは、乱暴者や無法者による「略奪婚」が横行していた。女を奪ってきて、愛を獲得するのが、男らしさの証明とされた。対して、日本はコソコソと他人の目を気にしながら女性の家に忍ぶ込む、「通い婚」が行われていた。

 征服者は、イギリスのイングランド王国やフランスのノルマンディー公国など多くの国を建国した。北の蛮族は、地元の封建貴族と政略結婚を繰り返し、上流階級の一員となってゴージャスな生活に酔いしれた。

 ヨーロッパ社会では、北欧系白人が最も優秀とされ、地中海・南欧系白人は怠け者と差別され、ロシア・東欧系白人はアジア人に近い無教養と馬鹿にされた。

 キリスト教会は、狂暴な蛮族を飼いならし、僕として利用する為に改宗に努めた。

 粗暴な蛮族は、勇敢な戦士であったが、宣教師の言葉巧みな話術に魅了されて民族神話の信仰を捨てた。

 キリスト教会は、民族宗教の撲滅に全力を挙げ、教区を北欧まで押し広げた。

 アドルヴァル「破壊的な打撃のもとに、死滅しなかった城、村、町はない」

 某修道士「ヴァイキングは、行く先々にある全てを奪い去り、何人もこれに立ち向かう事は出来なかった」

*イギリス王家

 886年 ウェセックス王アルフレッドは、バイキングのデーン人と軍事同盟を結び、デーン人の援軍を受けてイングランド南部を武力で統一した。

 1016年 デーン人のデンマーク王子クヌートは、イングランド王国を征服してイングランド王に即位し、同時にノルウェー王も兼ねた。デーン朝である。

 1042年 アングロ・サクソン王族は、外国勢力であるデーン朝を倒して王国を再興した。ノルウェー王は、イングランド王位継承権を主張して侵略を繰り返して、殺戮と略奪の限りを尽くし、捕らえたイギリス人を奴隷として売った。ウェセックス伯ハロルドは、ノルウェー軍を撃退して祖国を守った。暴力を持って抵抗しない者には、生きる権利がなかった。

 1066年 フランスのノルマンディー公ウィリアムは、ハロルドのアングロ=サクソン歩兵軍を撃破し、ウィリアム1世として即位した。ノルマン朝に逆らう北部のアングロ・サクソン貴族を滅ぼして、全イングランドを統一した。暴力を持って抵抗する者は、容赦なく虐殺した。

 12世紀 フランスのアンジェー伯が、イギリス王位をめぐる骨肉の内戦に乗じてイングランドを征服し、ヘンリー2世として即位した。ヘンリー2世は、アキテーヌ侯の娘と結婚して西フランスを領有した。イギリス国王は、「女系」を理由にしてフランス王国の王位継承権を手に入れた。

 欧州王家の継承権は、男系でも、女系でも、いずれにも存在する。よって、王位継承権の正統性を認めさせる為に、男系・女系に関係なく王家の血筋を手に入れる必要があった。

 キリスト教会は、神に認められた王家の血筋を有する者に対してのみ国王への即位を祝福し、正統な血筋を持たない者を国王とは認めなかった。宗教的権威の承認を得ない国王は、王ではなかった。それが、後の「王権神授説」である。その思想は、現代にも受け継がれている。唯一、反宗教無神論の共産主義諸国では完全否定されている。

 1339(~1453)年 イギリス国王エドワード3世は、「女系」によるフランス王位継承権を主張して、北フランスを侵略した。百年戦争の勃発である。

 商人は、ヨーロッパ有数の毛織物業地帯フランドルを支配する為に、両国に戦争させる様に軍資金を提供した。

 1347(~48)年 フランスで黒死病が蔓延した。だが、両国は、自国民の救済の為に戦争を止めようとはしなかった。

 両軍の傭兵(契約兵士)部隊は、戦場で、略奪と虐殺を繰り返していた。特に、城外に住む農民などの領民は農奴とみなされ、城塞都市の住民とは別扱いされて見捨てられた。国王軍は、裕福な市民が生活する城塞都市を守っても、それ以外の武力を持って戦わない貧しい市町村を敵の蹂躙に任せた。

 欧州の発想は、ギリシャ当時と変わらず、契約市民中心の都市国家(ポリス)的発想のままであった。そこが、城塞を持たない家族中心のムラ的発想の日本とおおいに違う点である。

 1415年 イギリス国王ヘンリ5世は、フランスの内乱に乗じてノルマンディーを侵略した。ブルゴーニュ派は、主導権を手に入れる為にヘンリ5世にフランス王位継承権を与えた。

 1422年 ヘンリ5世の子ヘンリ6世は、イギリス・フランス両国の国王として即位した。これを不服として叛乱を起こしたのが、貧しい家の出身であるオルレアンの乙女ジャンヌ・ダルクである。

 ジャンヌは、侵略者であるイギリス軍に対して暴力を振るい、抵抗して、王位継承権を剥奪されていたヴァロワ家のシャルルを即位させた。シャルル7世である。

 1431年 ジャンヌは、イギリス軍の捕虜となり、神聖な身分にこだわるフランス貴族に見放されて、宗教裁判で魔女とされて生きたまま焼き殺された。ジャンヌは、フランスの身分や人種に対する差別によって見殺しにされた。

 ヨーロッパ世界には、幾つもの差別が存在し、人々はその差別に縛られていた。

 1453年 フランス人は、イギリス人のフランス国王と戦って勝利し、カレー地方以外のイギリス軍を国外に追い出した。

 戦争を反対する平和主義者は、大陸の世界史では生き残れなかった。同時に、愛国心のない裏切り者も生き残れなかった。それが、世界の常識である。

 1455(~85)年 薔薇戦争。百年戦争が終了してまもなく、イギリス王国で王位をめぐる内戦が起きた。フランス王国は、百年戦争の影響で疲弊してイギリス王家の内紛に介入しなかった。

 エドワード3世の曾孫ヨーク公は、現王家のランカスター家に対して王位継承権を主張して叛乱を起こした。

 1461年 リチャードの子エドワードが、国王軍を破り、新たな国王としてエドワード4世として即位した。

 1470年 ランカスター家は、ヘンリ6世を復位させて王位を奪還しようとするが失敗した。

 1483年 エドワード4世が逝去するや、内乱が再発した。ランカスター家の一族であるリッチモンド伯ヘンリー・テューダーは、翌83年に国王軍を破って、国王エドワード5世を敗死させた。1485年にヘンリ7世として即位し、テューダー朝を開いた。翌年に、両家の和解を兼ねて、ヨーク家のエリザベスと結婚した。  

 ヨーロッパ世界は、能力至上主義として、国民の衆望を集め、軍事力と財政力のある者が国王となった。

 日本の様に、能力や実力に関係なく、血筋至上主義による万世一系の男系天皇制という発想はなかった。

 権力も富も、人間社会の栄耀栄華は能力ある者が実力で勝ち取るものとされた。その為に、欧州世界は中国世界同様に戦争が絶えず、平和は殺し合いの間の一時的な息抜きに過ぎなかった。

*イギリスとユダヤ人  

 イギリスのキリスト教徒は、ヨーロッパの貧困に喘ぐキリスト教徒同様に、高利貸しで暴利を得て安定した生活を送っているユダヤ人への憎悪から、ユダヤ人商人を襲い略奪と虐殺を行っていた。

 世界文学として有名なチョーサーの『カンタベリー物語』でも、ユダヤ教の儀式殺人や暴利を貪るユダヤ人高利貸しの事が書き記されている。

 1290年 エドワード1世は、1275年のユダヤ人法令で禁止した高利貸しでキリスト教徒を没落させて不当な利益を得ているとして、国内のユダヤ人を追放した。ただし、ユダヤ教を捨てた改宗ユダヤ人は追放の対象から除外して、卑しむべき最下級役人の宮廷ユダヤ人として財政管理を命じた。イギリスは、差別意識の強い騎士道を重んずるジェントルマンの国柄である。

 1500年代 追放されていたユダヤ人商人は、イギリス国王ヘンリー8世の庇護のもと、スペインやポルトガルから逃げてきた改宗ユダヤ人(隠れユダヤ教徒・マラーノ)らと協力してアントワープに銀行を設立した。1521年に銀行の代理人をロンドンに常駐させ、反ユダヤ意識の強い国民から隠れて王国との特殊な関係を築き、貧困化するキリスト教徒の惨状を無視して王家に対してのみ財政援助を行った。

 中南米からの金塊をスペインやポルトガルに独占された為に、イギリスは財政難に苦しんでいた。輸出できる様な有力な国内産業を持たなかった為に、フランスなどからの輸入超過で国家財政にゆとりはなかった。イギリス王家は、その財政不足を補う為にユダや人商人を利用しようとした。

 ヘンリー8世は、スペイン国王(カルロス1世)兼神聖ローマ皇帝カール5世の伯母キャサリンと結婚したが、嫡子を得られない事を理由にして離婚した。

 キャサリンの娘であるメアリ1世は、スペイン王国カルロス1世の王子フェリペ(後のフェリペ2世)と結婚し、宗教弾圧を行った。神聖ローマ皇帝フェルディナント1世は、フェリペの実弟である。

 イギリス(イングランド)女王エリザベス1世は、1588年にカトリック教王国スペインの無敵艦隊を撃破し、敵国商船への海賊行為を公認して国家発展に必要な資本を蓄積した。

 イギリスは、数多くの海賊船に勅許状を与えて保護する代わりに、莫大な手数料を得た。そして、帆船の性能向上の為に造船業の発展に力を入れた。高性能の帆船による大船団を所有する為に、大量の森林を伐採して、材木資源は枯渇した。

 1600年頃 イギリス王国は、ヨーロッパの小国として植民地を持たないどころか、王族や有力貴族間の内紛を抱えていて統一はされても不安定であった。だが、人口は、1450年頃は350万人であったが1850年には1,600万人に膨れ上がり、国内に溢れた若者は他のヨーロッパ諸国の若者の様に財産と地位と名誉を得る事を憧れた。プライドだけ高いが金のない貧乏なイギリス人貴族は、巨万の富を得る為に武力で植民地を広げ、植民地で容赦のない搾取を暴力的に行った。

 1600年 海運国家オランダに対抗してアジア貿易に進出するべく、勅許を発して悪名高い東インド会社(EIC)の設立を認めた。西欧諸国は、勇敢なバイキングの子孫として、海外に軍隊を派遣して侵略戦争を行い、各地で殺戮と略奪の限りを尽くした。

 1603年 女王エリザベス1世が未婚のまま没した為に、テューダー朝の血統が絶えて消滅した。

 仇敵であったスコットランド王ジェームズ6世が、イギリス国王ジェームズ1世として即位してステュアート朝が始まった。イングランドは、スコットランドと「同君連合」を結び、非イギリス人でもイギリス国王になれると定めた。

 大陸においっては、女王の即位はその王朝の滅亡した。そして、女系は、外国人にでも国王になれる道を保証した。

*ピューリタン革命  

 1620年 ピューリタン(清教徒)のピルグリム=ファーザーズは、本国での宗教対立を嫌ってメイフラワー号で北アメリカに渡った。インディアンは、新たな住民達を友人として受け入れ、彼等が安心して生活できる様に入植地の開墾に協力した。

 ピューリタンは、イングランド教会の教義からカトリック色を完全排除した、改革を求める長老教会主義の戦闘的カルヴァン派のことである。彼等の本質は、宗教的選民主義による差別主義者であった。

 カルヴァンは、『予定説』で、人が救済されるのは予め神によって予定されており人の意志が介入できる事ではなく、人は自分の救済についてはただひたすら自分が救済される側にあると信仰するだけだと唱えた。

 カルヴァン派は、福音主義のもと絶対神の恩寵によって選ばれた存在である事を信じ、ユダヤ教徒同様に聖書の戒律に従い禁欲に徹し、魂の救済は神の意志によるものであり教会や教皇が絶対神と人の間に介在する事を否定した。そして、人種差別から、ユダヤ人やアラブ人やアフリカ人やアジア人を人とは認めず、救済の対象外にある獣と差別した。

 北アメリカに上陸する移民者は年々増加して、入植者の多くは下層階級や犯罪者など本国では生活ができない貧困層に属する人々であった。彼等は、金になるのならどんな犯罪行為でも平然と行い、インディアンを奴隷としてヨーロッパに売り飛ばした。さらにインディアンの土地を奪う為に、戦争を起こさせるように嫌がらせをして追い込んだ。

 ヨーロッパの迫害を逃れたユダヤ教徒は、ユダヤ教徒ユダヤ人の排斥をしない北米大陸に移住し、助け合いの伝統的精神で共同体を形成した。イギリスやオランダやフランスの各植民地も、利益追求の為にユダヤ商人の経済活動を黙認した。

 ユダヤ商人は、世界的情報網を駆使して富をえ、財政難に苦しむ各国政府や領主達に多額の融資を行って自由を奪った。

 環境に不慣れな入植者は度々困窮したが、そのつどインディアンに助けられた。だが、生活が安定しインディアンの支援を必要としなくなるや、キリスト教伝道師を中心とした入植者は入植地の安全を大義としてインディアンを豊かな地域から不毛の土地へと強制移住させた。

 植民地は、北米の資源を独占する為に他国の植民地と戦い、その戦いに生活が苦しくなったインディアンを騙して利用した。頭のカワハギは、白人がインディアンに強要した行為であった。

 神の統一原理「愛」で、民族中心宗教を持ったインディアン(5,000万人~1億5,000万人)を虐殺し、神の規範に従いそこにキリスト教国家を建国した。

 フロンティアという集団的無差別虐殺が行われ、インディアンは抗議や抵抗もむなしく荒涼たる不毛地帯に追い遣られた。そして、議会はインディアン強制移住法を制定した。

 他人を無視した「個」の欲に素直に生きる者は、宗教否定の無神論者ゆえに信仰を持たず、むしろ中世キリスト教を都合の良い道具として利用し、異教徒インディアンを大虐殺する事によって成功した。

 排他的選民思想の中世キリスト教会は、非キリスト教非白人を大虐殺し奴隷とする為の先兵であった。

 これを、人類の発展の為の「必要悪」という。

 その犠牲は、文明の進歩の為の「必要な犠牲」という。

*主権を持つ国民による国王の処刑  

 1629年 チャールズ1世は、キリスト教会の宗教的権威で正当性を保証された王権神授説を唱え、神の御名によって承認された王権により専制政治を行った。命令に従わない議会を解散して、反対派を反逆罪で逮捕し、無実の罪をデッチ上げる為に残忍な拷問にかけ、不満分子を徹底的に弾圧した。国民は、国王の政治的権威に臣下として従った。

 1639年 スコットランドで、カルヴァン派による叛乱が起きた。チャールズ1世は、新たに国民に戦費を課税するべく議会を召集した。だが、議会が課税の承認を拒否して国王を非難した為に、最高主権者として議会を強制的に解散した。

 1642年 チャールズ1世は、反対派議員を逮捕しようとしたが失敗して北部に逃げ、叛徒討伐軍を起こして南下し、各地で議会軍を撃破しながらロンドンを目差して進軍した。

 独立派のクロムウェルは、1642年に議会軍を率いてネイズビーの戦いで王党軍を破り、1649年に国王チャールズ1世の首をはねて殺害し、共和制を打ち立てた。議会を一元化する為に特権的貴族院(上院)を廃して庶民院(下院)のみとし、権力闘争の末に議会内の穏健な長老派や急進な平等派などの反対派を排除した。クロムウェルの独裁体制によって利権を失った反対派市民は、対クロムウェルとして王党派と秘かに同盟を結んだ。

 1651年 イギリスを国際的交易立国にする為に航海法を施行し、海運と交易を独占しているオランダを攻撃して、第一次イギリス・オランダ戦争を起こした。

 オランダは、敗北した。時勢を読むに優れたユダヤ人商人は、勝利したイギリスには将来性があると分析して、イギリスに移住する事を希望した。衰退しても自国に踏みとどまり再興する為に奮闘する国民にとって、難破しそうな船から逃げ出すネズミの様な無国籍ユダヤ人は、嫌悪するだけの存在であった。

 だが、ユダヤ人が、古代から生き抜いてきたのは、国籍を気にせず、公益を無視し、国家・国民に関係なく、柔軟性豊かに「個」の利益のみを最優先して行動したからである。

 ロンドンの非ユダヤ人商人や改宗ユダヤ人商人らは、国家への忠誠心を持たず、国益を害しても罪悪感を持たない、不気味な競争相手の入国に猛反対した。彼等は、キリスト教会と協力して宗教的反ユダヤ主義を国中に広め、異教徒ユダヤ人への迫害を助長した。

 1653年 クロムウェルは、数々の功績によって議会から終身の護国卿の称号を得て、軍事的独裁体制を敷いた。  

 イギリス軍は、極端なピューリタニズムで、カトリック教徒の多いアイルランドやスコットランドを征服し、抵抗する者を虐殺して、財産を戦利品として略奪した。多くのカトリック教徒アイルランド人は、イギリスの宗教弾圧を逃れる為に北米へ移住した。

 イギリスは、スペインとポルトガルが新大陸からの金塊を独占した為に、国内に保有している金が不足した。クロムウェルと共和国政府は、ユダヤ人金融家の協力で金不足を補うべく、1656年にユダヤ人への寛容政策でユダヤ人商人の帰還を許し居住と金融業などの商業活動の権利を与えた。

 一部のピューリタンは、ユダヤ教的厳しい戒律中心の生活に憧れ、最後の審判後のキリストの再臨と千年王国の到来を信じていた。

 エドワード・ニコラス「我々は、むしろ神が名誉を与えているユダヤ人を尊敬すべきなのである」(『尊敬すべき民族ユダヤ人ならびにイスラエルの全息子達の為の弁護』1648年)

 オランダを中心に活躍していたユダヤ人商人達は、ロンドンに移り住むや共和国の御用商人として軍資金や政治資金を調達して、共和国軍の勝利と共に利益を得て巨万の財を得た。

 ユダヤ人商人は、安定した地盤を築く為に、議会にも王党派にも利息を設けて資金を融資した。両派は、ユダヤ民族の両天秤商法を嫌悪したが、資金不足の現状ゆえにユダヤ人高利貸しから多額の資金を借りた。    

 1658年 クロムウェルが死亡し、その息子が独裁体制を世襲としだが、自由を求める中産階級の支持を失った。

 1660年 王党派は、議会の長老派と協力して独立派を排除して、フランスに亡命していた前国王の王子を呼び戻し、チャールズ2世として即位させた。スチュアート朝の復活である。クロムウェル派や反王党派らは、王政復興後も各地で武装蜂起するが鎮圧された為に、地下に潜りテロや暗殺を行い社会不安を煽った。

*産業革命  

 1661年 チャールズ2世は、インドの富(アヘン・綿花などの原料品)を独占する為に東インド会社に独自の軍隊を持たせ、ムガル帝国の内政に干渉して宣戦布告と和平協定締結の外交特権を付与した。ムガル帝国は、イギリスとの利益同盟を結んだ有力な藩王(マハーラージャ)らの離叛で統治能力を失った。各地で内戦や反乱が頻発して、社会は急速に悪化し、秩序と治安は崩壊した。

 ムガル帝国は、イギリスに味方する裏切り者の為に内部から滅亡して行った。

 1689年 『権利章典』を制定して、王権に対して議会の優位を確立した。この後、イギリス王は「君臨すれども統治せず」の原則に従った。

 1694年 オレンジ公ウィリアム(ウィリアム3世)は、ユダヤ人銀行家達(フランクフルトとヴェネチアの高利貸し)の資金援助を受けて大英帝国の中央銀行としてイングランド銀行を創設した。フランクフルト出身のロスチャイルド家が、イングランド銀行の銀行業務を請け負った。国際金融市場の中心は、ユダヤ人金融資本家が支配するロンドン・シティーと定められた。

 民間銀行の中央銀行は、ウィンザー王朝と政府の要請に従って、各税収を担保に財政資金や膨大な戦費を賄う為に必要なだけの紙幣を印刷し、数%の利息を得る事を条件として融資した。

 後年、イングランド銀行が全世界の金価格を支配し、刻々変動する金相場を金地金業者5社と精錬業者一社が日々決定していた。

 イギリスの非ユダヤ人王侯貴族の大半は、封建領主として地位や名誉はあっても乏しい収入で生活が苦しかった為に、自分の息子とユダヤ人銀行家の娘を結婚させて莫大な持参金でゴージャスな生活を支えていた。

 同様の中央銀行としてバンク・ド・フランスやドイツ帝国銀行などが、国際的ユダヤ人金融資本と各国政府との契約で創設された。

 各国の裕福な王侯貴族は、国際的ユダヤ人財閥との関係を強化して利益を得る為に姻戚関係を結んだ。資本を貯め込んだユダヤ人資本家は、産業を支配し、その財力で爵位を得て貴族の一員となった。ユダヤ人に協力する王侯貴族は財政支援を受けてゴージャスな生活を満喫したが、反ユダヤ主義を掲げる王侯貴族は没落した。資本を独占したユダヤ人財閥は、最下層の低賃金労働者階級の憎悪をかわす為に、わざと反ユダヤ主義を煽った。市民の反ユダヤ主義的攻撃は、経営者のユダヤ人資本家ではなく、身近にいる力の弱いユダヤ人の商店主や中小企業主であった。ユダヤ人財閥は、直接攻撃される事はなかった為に、非力なユダヤ人中産階級を犠牲とした。

 ユダヤ人は、宗教的には男系を正統としていたが、経済的には女系相続を採用し、娘が嫁いだ先の家財産を管理した。ユダヤ人は、こうして莫大な財産を手に入れていった。

 キリスト教会と貧困階層の民衆による、母系家族制のユダヤ人への迫害は、母方をユダヤ人とするヨーロッパの上流階級に深刻な影響を及ぼした。

 産業革命(1700年代)が起きるや、弱肉強食の市場原理による略奪的自由貿易体制が確立され、地球上の富を少数の資本家が独占するという近代的資本主義が誕生した。

 『資本論』「アメリカで金銀の産地を発見する事、原住民を撲滅し、奴隷化し、鉱山へ埋葬して今う事、東インドの征服と略奪を開始した事、アフリカは商業的黒人狩猟場と転化した事、これらの事が資本主義的生産の時代の真っ赤な曙を象徴している」

 1707年 オランダ総督ウィレムは、イギリス王女メアリと結婚してウィリアム3世を名乗り、同君連合としてイギリスの共同統治の王となる。両国は、同じ国際的海運国家として幾度となく戦争をした敵国同士であった。

 イギリス王家は女系国王となり、王統はオランダ人の血筋に乗っ取られた。

 だが、オランダ系となったステュアート朝も1714年にアン女王の死で消滅した。

 イギリスは、敵国フランス王国の侵略に備える為に、ドイツ人のハノーヴァー選帝侯を新たなイギリス国王に迎えてジョージ1世として即位させた。ジョージ1世は、生涯、英語が話せなかったと言われている。

 イギリス王室は、ドイツ系となり、イギリス国王の体内にはドイツ人の血が流れている。

 ドイツの別の貴族はフランス王家と政略結婚をしていたし、フランス王国の王子ルイ(後のルイ16世)はイギリスに対抗するべくオーストリア帝国の皇女マリ・アントワネットと結婚した。スペイン王国の王女がウィーンに嫁いで来るや、オーストラリアで反ユダヤ思想が強くなった。ヨーロッパの王族達は、政略結婚を繰り返す事で姻戚関係を強めていた。

 女系女王が即位する時、例外なくその王朝は跡継ぎを失って滅んだ。繁栄と滅亡が、女系王朝の宿命である。

 世界史・人類史・大陸史の常識からいえば、女性とは人権がない世継ぎを生むだけの「借り腹」に過ぎない。つまり、女性とは男の所有物にすぎなかったのである。

 1789年 フランス革命勃発。ルイ16世は1792年に、マリ・アントワメットは1793年に、フランス人による人民裁判で有罪となりギロチンで処刑された。

『旧約聖書』箴言「美しい女の、慎みのないのは、金の輪がブタの鼻にあるようなもの」(第11章)

『新約聖書』コリント前書「男は女の為に作られたのではなく、女が男の為に作られたのである」(第8章)

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