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今日ボクが見た風景

ユダヤ人を完全排除した、閉鎖空間・江戸。1641年

Category: 日本国民の心得  

 1643年には、ポーランド人宣教師ヴォイチェフ・メンチンスキが、日本で処刑された事が本国に伝えられた。ポーランドなどのキリスト教諸国で、異教徒の野蛮人による野蛮行為が知れ渡るや、邪教国日本への憎悪が渦巻き、異教徒撲滅の聖戦が取り沙汰された。

 キリスト教徒白人の、異教徒で非白人の日本人にくしは底が深く、両者が解り合う事は絶望的であった。いくら誠意を持って話し合おうとしても、価値観が天(キリスト教的)と地(神道的)ほどに隔たっている以上、当時の情勢からすれば不可能であった。

 日本に密入国した外国人宣教師や修道士は、長崎からオランダ船で国外に追放した。これ以降、前例主義の日本は入国すれば処刑すると宣言しながら、オランダの協力を得て極秘のうちに国外に強制退去させた。例、1708年 イタリア人宣教師シドッチ。

 気弱な日本人にとって、如何なる罪状であっても、人を殺す事は寝覚めが良いものではなかった。ゆえに、キリシタンが嘘でもいいから「棄教」するといえば許した。

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 徳川幕府は、朝廷の力を削ぐ為に皇族の数を減らし、有栖川、伏見、閑院、桂の四家のみを皇位継承権を持つ親王家と認め、それ以外は名目だけの宮家とした。天皇を皇居内に監禁して自由を奪い、皇室や公家の過分な私有財産を没収し、最低限の捨て扶持のみをあてがって飼い殺し状態に置いた。

 天皇・皇族・公家は、格式だけは高いが、一般民衆よりも極貧生活を強いられていた。食べて生きる為に、伝統的文化芸能や作法や儀礼を独占し、趣味人として興味を持つ町衆に稽古料をとって教えた。それが、日本独自の家元制の始まりである。

 町衆は、天皇や公家等のあまりの貧しさを目の当たりにするや、義侠心からたまりかねて、幕府の監視に見付からない様に、こっそりと食べ物や日常の品を差し入れていた。

 天皇の即位式や節分・節句などの四季の祭事や禁中の能狂言・雅楽などを公開する為に、京で町触れを行って告知した。京や大坂などの近畿の庶民で、拝見したいと思った者は切手札を入手して観覧した。天皇・皇室は、御所に入る者の身分や階級で差別せず、全てを公平・平等に大御宝・百姓として受け入れた。観覧できなかった者は、尊王の心から、天皇が祀られている各地の神社に多額の寄付金を寄進した。

 皇室に対する、庶民の信頼と尊敬によって「一君万民」という雰囲気か醸し出された。こうして、「国體」が強化された。庶民は、天皇をカルト的な神としてではなく、権力者・独裁者としてでもなく、ただただ神の裔として畏敬の念で安心して眺めていた。

 天皇・皇室と庶民の間には、対立を伴う様な身分や階級は存在せず、神聖不可侵の冒し穢してはならない、象徴としての聖域・神域があるのみであった。

 神話に生きてきた昔の日本人は、八百万の神々の御心を鏡として分別を持ち、八百万の神々の御心で自分自身を律して生きていた。それが、日本人の宗教観であり信仰心であった。

 地方のムラでは、豊作と家内安全と無病息災を祈って、伊勢神宮の御師が売り歩く護符や神宮暦を購入した。そして、ムラの神社に御利益のありそうな天皇を神とし、そして鎮守様として祀った。

 神社には、教祖も、教典・聖典も、戒律・律法も、布教もない。あるのは、「神の子孫」である男系天皇(直系長子相続)を御祭神とした拝殿のみである。

 神社は、氏子が自分らの氏神・祖先神を祀る特殊な宗教施設である。

 全ての神社は、「神の命と血」を引く男系天皇を御祭神として祀っているが、参拝者に「ああせい、こうせい」とお説教をたれてはいないし、信者となって信仰すれば特別に救ってやるとも云ってはいない。

 神社の神格は、天皇霊の「大御心」「御稜威」を受け継ぐ男系天皇を中心とした日本神話の中にある。

 天孫降臨神話を否定した神社は、日本の神社ではなく、神を持たない単なる建造物である。

 神社に「神の裔」である男系天皇を祀るから、庶民は、ただただ「ありがたく」「かたじけなさ」の純真無垢な「まごころ」で神社に参拝するのである。それが、日本の神道的信仰心、大和心である。

 町衆やムラ人には、臣民という意識はなかったが、雅ではあったが極貧に耐え、艶やかであったが慎ましやかに、ひっそりと厳かに生活する皇室に愛情ともいえる愛着を持っていた。

 万世一系の男系天皇制度(直系長子相続)は、特権を有した専制君主制ではなかった。

 庶民は、中国的皇帝を認めなかったし、朝鮮的国王であれば見捨てていた。庶民は、基礎的漢学の素養や、短歌や俳句を創作する文学的才能や、歴史書や神話物語の読解能力があった為に、正しい天皇像を持ち天皇との精神的絆『皇道』を感じていた。

 日本には、欧州はもちろん朝鮮や中国の様な、下層階級から搾取してゴージャスな生活を満喫する特権を有した上流階級は存在しなかった。

 新井白石「天子の号令、四海の内に行はるるは、ひとり年号の一事のみこそおはしますなれ」(『折たく柴之記』)  

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 1661年 イギリス国王チャールズ2世は、インドの富(アヘン・綿花などの原料品)を独占する為に、インド市場に進出した民間会社に独自の軍隊を持たせ、ムガル帝国の内政に干渉して宣戦布告と和平協定締結の特権を付与した。

 ムガル帝国は、イギリスとの利益同盟を結んだ有力な藩王(マハーラージャ)らの離叛で統治能力を失っていた。各地で、藩王らによる内戦や暴動が頻発し、社会は混乱して、秩序と治安は崩壊した。ムガル帝国には、彼等を討伐して秩序を回復する能力はもうなかった。

 キリスト教会は、秩序が崩壊し、無政府化したインド国内で信者を増やしていった。

 1673年 イギリスは日本との通商復活を要求したが、幕府はオランダの反英的書簡を信じて拒否した。

 イギリスは、小国日本よりも大きな富を持つ大国インドを支配する戦略に変更し、危険が多く利益の薄い日本への商船派遣を中止した。

 神の絶対真理を信仰するキリスト教徒らには、生きる為の日本的な「嘘も方便」という自己欺瞞的曖昧さは通用せず、「命の尊厳」よりも「神への信仰」を優先した。それは、八百万の神々でも防ぎ様もなく多発する天災に、人として生きている限り一生苦しみ続ける過酷な日本の風土に比べて、絶対神の恩寵で災害が少なく人力で改造可能な穏やかな自然に生きる西洋の風土との違いから来る。

 欧州の広大な大地は、日本の起伏の激しく天災の絶えない苛酷な狭い土地とは違って、重労働の要らないなだらかでのどかな牧歌的田園地帯であった。

 日本では、神に必死に祈ったところで天災がやむ事はなかったし、別の天災が発生して人々を苦しめた。神に祈っても仕方がないのは分かっていても、祈らずにはいられなかった。それが、日本人のいい加減な信仰心である。

 欧州では、神に祈れば、奇跡が起こって災害は遠ざかり平穏な生活がもどった。ゆえに、絶対神への揺るぎない信仰心が生まれた。

 大らかで陽気な気質の欧米人と比べて、せせこましく陰気な日本人の気質は、この過酷な自然環境による。

 ゆえに、日本人は理解されず、世界から嫌われる。

 百姓・町人は、飢饉や天災が起きるとたびに、京の御所周囲を巡ってお祈りをした。

 周期的にお伊勢参りが流行、百姓・町人は一生に一度は伊勢神宮まで旅をした。平均的に、毎年約50万人が参宮したと云われている。それ以外の神社仏閣への参詣も盛んに行われていた。  

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 マルクス(ユダヤ人)「ちょうど法王の背後にイエズス会がいるように、全ての専制君主の背後にはユダヤ人がいるという事を我々は知っている。イエズス会の軍隊が全ての自由な思想を殺したように、もし、何であれ、諸国や人々の冨が、人類の宝を盗んだユダヤ人のものでなかったなら、ユダヤ人のものになるまで圧政の企みは成功の機会を持ち続け、戦争は資本家が止めるまで奨励された。イエスがエルサレムの神殿から高利貸しを追い出したのは疑いもなく1856年前のことである。専制君主と独裁者の後ろにいるのは現代の高利貸しのようだ。その大多数はユダヤ人である。ユダヤ人が世界の生命を脅かすほど強くなった」

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 イエズス会は、日本での布教活動の失敗を教訓として、中国での布教活動の方針を変更した。

 中国の伝統文化を尊重し、正統派儒教や道教でいう天帝・上帝をキリスト教の絶対神と同格とし、孔子や老子などの個人崇拝と祖先の祭祀などの宗教的儀礼(典礼)を認めた。

 清王朝も、柔軟に対応するイエズス会の布教活動を黙認した為に、中国社会で確実に信者を増やした。

 正統派儒教は、自分と祖先の関係を重視し、子孫への関心を軽視した。つまり、自分の幸福のみを追求する「個」の思想である。

 中国大陸は、正統派儒教の価値観により戦乱と略奪が絶えなかい、生き地獄と化していた。

 フランチェスコ会やドミニコ会などの後発各派は、信者を増やして地盤を固めているイエズス会の布教活動を妨害する為に、布教の為に中国の民族宗教に妥協して伝統的典礼を容認した事は教義に違反するとして、ローマ教皇に訴えた。

 1704年 教皇クレメンス11世は、たとえ布教の為とはいえ異教徒の民族的儀礼を容認する事は信仰に反すると裁定して、イエズス会の布教活動を禁止した。

 キリスト教は、異教を絶対に許さず、異教徒を全員殲滅する事を「神聖な使命」としていた。

 康煕帝は、民族宗教の伝統的典礼を容認しない不寛容さに激怒して、イエズス会以外の布教活動を禁止し、イエズス会以外の宣教師を中国から追放した。

 キリスト教会の根底を揺るがす典礼問題は、内部告発から起きた。

 1724年 福建省でのドミニコ会宣教師による事件が起きた為に、雍正帝はキリスト教布教禁止令を出し、多くの白人をマカオに追放した。

 だが、中国は広く、地方の官憲は腐敗・堕落していた。宣教師等は、彼等に金を渡して密入国し、正統派儒教に見放された貧困層を中心に布教活動を続けた。

 これ以降、大陸への浸透は加速し、身分低い下層階級を中心にして多くの中国人が改宗して、中国は隠れキリシタン王国となった。

 1764年 イギリスは、より強力な権限を持った新たな東インド会社(大半の株をユダヤ人銀行家が所有)を設立した。

 特権階級は、香港やインドなどの非白人植民地を政府の命令を受けない直轄地として経営して、国家・国民に関係なく冨を吸い上げて莫大な利益を独占した。彼等は、帝国支配を地球上に拡大するべく、中央銀行の融資を受けてロンドンに英王立国際問題研究所(RIIA)を新設した。

 欧州諸国も、私的銀行から融資を受けて半官半民の貿易会社を設立して植民地拡大と植民地経営を一任し、地元民が暴動や内戦を起こせば強力な軍隊を派遣して、容赦ない虐殺で鎮圧した。

 イギリス政府は、オーストラリアを流刑植民地として利用した。オーストラリアに移住したキリスト教徒白人には善良な庶民もいたが、大半が兇悪な犯罪人や強欲な一旗組であった。

 熱烈なキリスト教徒は、宗教的人種差別主義である白豪主義を打ち立て、オーストラリアの原住民アボリジニーらを人間と見なさず、カンガルーなどの野生動物の同類として動物狩りのように虐殺した。原住民の女性は、単に猛り狂う性欲の解消の対象として強姦し、強姦してから非人間として殺害した。

 暴力を嫌う原住民は、抵抗せず、ひたすら逃げ隠れしてい生き延びようとした。その結果、30万人以上いた原住民は100年後に6万人前後に激減し、タスマニア島では全島民が死滅した。

 ポルトガルやオランダなどの他のキリスト教国も、植民地で似たような政策を行った。

 一神教にとって、非白人の多神教徒は滅ぼすべき悪魔であり、人として同情する価値のない血に飢えた獰猛な獣にすぎなかったのである。

 キリスト教会は、世界がキリスト教に改宗すれば戦争はなくなり、「神の王国」が実現すれば平和が訪れると確信していた。

 オランダは、自国に都合の悪い事以外を、書簡として江戸幕府に提出した。  

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 1789年 フランス革命。

 1793年 共和国政府は、王党派が支配するフランス西部ヴァンデ県で、意図的にインフレと食糧難を引き起こして住民を追い込んだ。農民等は、生きる為に反乱を起こし、カトリック王党軍に参加した。共和政府は、反革命分子の皆殺しを命じた。共和国軍は、農民の叛乱を鎮圧し、捕虜にした女や子供達をロワール川に沈めて処刑した。虐殺された人数は、30万人以上といわれている。

 共和国政府内部での穏健派と急進派の権力闘争で敗れた者は、革命裁判で有罪となり、ギロチン刑で首を切断された。

 フランス革命の「自由・平等・友愛」という理想は、大虐殺による恐怖支配によって地に落ちた。

 ヨーロッパの「自由と平等」は、革命で戦って奪い取り、大量の血を流す殺し合いで受け継がれたものであった。けっして、日本の様な曖昧な形で、平和な暮らしの中から生まれたものではなかった。

 1804年 ナポレオンは、カトリック教の権威を復活させる事で皇帝に即位し、戦火をヨーロッパ全体に拡大した。その結果、ナポレオン皇帝の個人的野望の為に、400万人以上が戦火で死亡した。

 1820年 アメリカのキリスト教会は、ハワイ王国をキリスト教化する為に宣教師を派遣した。アメリカ政府は、ハワイを自国領にする為に、ハワイ先住民から土地を奪ってプランテーション農場を拡大した。カメハメハ王朝の若き王子や王女が、相次いで謎の死を遂げた。、

 1824年 イギリスは、仏教国家ビルマを植民地化する為に軍隊を派遣した。

 1830年 全インドを支配下に置いた東インド会社は、中国とのアヘン密売取引を拡大させる為に、英国東インド会社(BEIC)に改編された。ベンガル地方などでは、食糧生産を中止させられ、アヘン栽培を強要された為に飢餓が発生し、住民の半数以上が餓死した。

 イギリスは、非白人の犠牲には無関心であった。「分割して統治せよ」の大原則に従って、友好的なマハーラージャを利用して、反英運動の押さえ込み、インドの民族主義を弾圧した。インド支配を続ける為に、独立を認めるまでに約1,700万人を虐殺したといわれている。

 キリスト教会は、生まれる前から決まっていた定めであるとして犠牲者を葬り、生き残った者には神に愛される者として生まれ変わるようにと洗礼を施した。だが、インドのキリスト教化は失敗した。

 1840年 アヘン戦争。イギリスは、利益を得る為にアヘン戦争を起して、中国・清を分割し植民地化する為に無理難題を押し付けた。

 キリスト教徒白人は、宗教的人種差別から異教徒中国人を薄汚い「犬」と扱った。

 欧州は、白人優位の宗教的選民思想に基づく階級意識を、普遍的価値観として押し付けた。

 中国・清(総人口約4億1,000万人)は、腐敗し堕落していた為に、奴隷的境遇を受け入れて人種差別的絶対価値観を打破する様な気迫は乏しかった。極一部の非白人のみが民族主義に目覚め、民族解放に為に武器をとって蜂起し、暴力を持って抵抗運動を始めた。そこには、非暴力無抵抗は存在しない。それを唱える者は、独立した人間としての権利を放棄した奴隷だか、悪巧みを企む犯罪者のみであった。

 ただし、インドで非暴力無抵抗主義を唱えたガンジーのみは、世界的に偉大な指導者であった。だが、残念な事に自国民に暗殺された。

 権利や自由は、戦争で勝ち取る。それが、世界常識であった。

 アヘン王サッスーンは、バクダッド出身のイラク系ユダヤ人商人で、イギリスに渡ってロスチャイルドとの関係を深め、英国東インド会社の交易事業を引き継いだ。香港や上海の秘密結社と共謀し、インド産アヘンと中国人奴隷を主力商品として資産を増やした。

 1865年に、サッスーンは、ロスチャイルドとの協同出資で、香港ドル紙幣発券銀行の一つとして香港上海銀行を設立した。香港上海銀行は、中国で得られた莫大な収益をロンドン・シティーに送金した。

 イギリスに帰化してイギリス王からサーの称号を得て「白いユダヤ人」となり、イギリス政府からアヘンを中国に提供し中国人に供給する権利を保証された。

 英国東インド会社とアメリカのデラノ家やアスター家などの商人の多くは、中国のアヘン貿易と中国人労働者(クーリー)の人身売買(ブタ貿易)で巨万の富を得た。1860年頃、数十名の日本人女性が「拉致」され、中国人の人身売買業者によって、東南アジア経由でアメリカの中国人が経営する遊郭に売られていたといわれている。

 アメリカは、異教徒非白人を嫌悪して、人ではなく獣と見なし、人権を認めず奴隷として扱った。

 キリスト教会は、日本、朝鮮、中国を生まれ変わらせる為に、布教活動を「神聖な使命」とした。ゆえに、現人神・天皇を絶対に滅ぼすべき敵として、憎悪を駆り立てた。

 アメリカの太平洋問題調査会(IPR)は、既存のアヘン貿易を守る為に新たに中国交易に参入する者を規制し、日本を新たなるアヘン市場に開拓すべく医薬品と偽って密輸する計画を立てた。日本に開国を要請する使節団派遣計画は、こうして進められた。

 マークー・リー・ラファエル「ユダヤ商人は、奴隷貿易において大きな役割を果たした。事実として、ユダヤ商人が勢力を振るう場は多かった」(『ドキュメンタリー 米国におけるユダヤ人とユダヤ教』)  

  ・   ・   ・

 1851(~64)年 中国で、プロテスタント系キリスト教徒は「絶対神への信仰」を守る為に太平天国の乱(信徒300万人以上)を起こした。2,000万人以上と言われる匪賊が、各地を荒らし回り、虐殺や略奪を行い、女や子供を強制連行して奴隷として売りさばいた。動乱と凶悪犯罪の横行で、社会秩序は崩壊し、約1億人の犠牲者が出た。

 清朝は、腐敗堕落していた為に反乱軍や暴徒を鎮圧する軍事力はなかった。中国では宗教がらみの暴動や内戦が絶えなかった為に、歴代王朝は「救世主信仰」を広める仏教やキリスト教やイスラム教などの宗教勢力を弾圧した。ただし、他者を排除する現世利欲のみの自己満足的宗教は奨励された。

 中国では、自分一人に大金を授けて幸福にさせない神は贋物として破壊した。希望や夢は、一人で楽しむものであって、他人とは分かち合う事はなかった。

 この頃の中国は、深刻な自然破壊が進んでいた為に、各地で甚大な自然災害が起き、大きなもので数千万人、小さくても数百万人が犠牲となっていた。中国の正統派儒教的支配階層は、身分低い貧民が塗炭の苦しみに喘ぎ、幾千万人が悶え苦しんで死のうが餓死しようが痛痒を感じる事がなかった。それが、上下関係の厳しい排他的身分支配を正当化する正統派儒教である。それは、日本の異端派儒教とは正反対であった。朝鮮の儒教は、中国と同じ正統派儒教であった。

 中国の属国として、中国を真似ていた儒教国家朝鮮もまた、官吏によるワイロが横行し、社会が堕落し腐敗していた。宮廷は、絶え間ない権力闘争と朋党の争いに明け暮れ、分別のない激情での流血事件が絶えなかった。庶民は、世界に類をみない厳しい身分制度で縛られ、世にも恐ろしい刑罰に震え上がっていた。朝鮮は、法を無視した人治政治の悪政によって地獄の様な状態にあって、姓名を持たない身分低い庶民の暮らしは悲惨を極めていた。朝鮮は、完全な鎖国政策を取り、中国人以外の入国を武力で排除していた。

 1857年 英国東インド会社は、インドを植民地にする為に排英運動を利用して、わざと大反乱を誘発させた。セポイの反乱である。

 1858年 イギリスは、自国民保護の自衛行為として軍隊を派遣して反乱を鎮圧し、全インドをビクトリア女王の名の下に直轄統治した。1526年以来の世界帝国であるムガル帝国は、味方の裏切りでいとも簡単に滅亡した。

 国家は、身内を平気で敵に売る裏切り者の為に、内部から崩壊した。

 イギリス政府は、インドを完全支配し、アヘン取引の莫大な利益を国家で独占する為に英国東インド会社を解散させた。インドにおける祖国奪還の反英蜂起には、軍隊を派遣し、インド人内通者(藩王・マハーラージャ)の協力を得て独立派の民族主義者を大弾圧した。

 植民地支配に反対する民族主義者は、イギリス支配に協力する同胞に裏切られて虐殺された。

 キリスト教に改宗した裏切り者達は、イギリスに協力して支配階級となり、同胞から搾取して富を蓄えた。裏切り者には、国への愛着はなく、国を守ろうという気もなかった。あるのは、自分一人の幸福のみであった。

 1877年 ヴィクトリア女王は、非インド人でありながら、インド皇帝を兼ねると宣言してインド帝国を樹立した。イギリスは、インド人を永久に奴隷とした。

 西欧キリスト教文明による、インド・ヒンドゥー文明の支配である。イギリスは、民族主義が反英で一つにまとまる事を恐れ、民族主義者を徹底的に弾圧した。

 「分割して統治する」の原則に従って、多民族からなるインド社会の分裂を誘い、各地で民族や宗教や身分による差別的憎悪を植え付けて対立から暴動へと煽った。植民地支配を円滑にする為に、厳しい取り締まりの恐怖と待遇改善の安堵を交互に繰り返した。

 欧米諸国は、植民地において、無抵抗で従順な者や気力なく無関心な者には生きる資格を与えたが、抵抗する者や邪魔な者は生きる資格がないとして虐殺した。後年、インドにおいて「非暴力・無抵抗運動」が起きた。

 華僑は、その中でも如才なく振る舞い、欧州列強の信用を得て支配者の仲間としての特権を得て財を成した。

 1886年 ビルマ王国は、敵に内通する愛国心なき裏切り者の為に敗北して占領された。1752年頃から続いてきたコンバウン朝(アラウンパヤー朝)は滅亡し、ビルマはインド領の一部となって地図上から消滅した。

 ビルマは、イギリス人の過酷な植民地支配によって悲惨な生活に追い込まれた。ビルマ人は、救いのない絶望の中で生きる事を強要された。

 イギリスは、ビルマ人の憎悪がイギリス人ではなくインド人に向かう様に仕向けた。

 キリスト教会は、各地に教会を建て、絶望に打ちひしがれたビルマ人に布教活動をおこなった。

 異教徒の王族は、殺害されるか下級庶民か奴隷身分に落とされた。異教徒王女らは、淫靡に陵辱されてからインド人の身分低き下級官吏に二束三文で売られた。

 ビルマ王族は奴隷として売り飛ばされ、ビルマ王家は消滅した。

 ビルマ王家をイギリスに売った裏切り者のビルマ人は、民族宗教を捨ててキリスト教に改宗し、イギリスから特権を与えられて支配階級となった。

 イギリスは、改宗ビルマ人を国際人として認め、植民地ビルマの管理を任せた。

 支配階級の改宗ビルマ人は、富を得る為に下層階級のビルマ人から暴力を振るって搾取し、特権を守る為に独立派ビルマ人を弾圧し惨殺した。

 普遍宗教であるキリスト教会は、各地で土着の民族宗教を廃棄し、少数民族の神や仏を抹殺した。

 だが、多くのビルマ人は、強制された普遍宗教を拒否し、民族宗教である上座部仏教を命をかけて守り抜いた。

 近代の植民地政策は、同化ではなく異化であった。非白人は奴隷とされ、民族文化は破棄され、支配者の言語を使用する事を禁止された。ただし、支配者の家庭で働く者には支配者言語の使用が義務付けられた。世界史の事実として、異民族に対する同化政策が成功した例はなかった。日本の朝鮮支配も当然の事ながら、失敗した。

 原住民であるキリスト教徒国際主義者は、同胞の民族主義者を犯罪者として処刑した。民族主義者は、民族中心宗教を守る為に、「暴力を持って抵抗」し、そして改宗者同胞によって殺された。

 独立戦争とは、普遍宗教と民族中心宗教よる宗教対立でもあった。

 ジョルジュ・ソレル(フランス人)「知的レベルの低い大衆は、説明を必要としない非合理な神話を信用しやすい」

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 江戸後期。国交のないフランスのナポレオン皇帝の評伝やアヘン戦争の顛末やビルマ王家の悲惨な末路も、書籍となって市販されたという。

 当時の日本は、イギリスに次ぐ出版部数を誇っていた。それを読んでいたのは、欧米諸国の様なエリート上流階級でもなく、中国・朝鮮のようなインテリ特権階層でもなく、名も無き下級武士や身分低き一般庶民であった。

 幕府は、キリスト教国家の残虐な植民地戦争を知っていたし、国際的資本家による利益を独占する為の無慈悲な搾取や簒奪の手口を知っていた。

 勤皇派が、欧米列強の侵略、植民地政策を直接的脅威と感じ、無力な幕府を打倒すべきだと決断したのは1861(万延2)年3月の「対馬事件」による。老中安藤信行は、その「非暴力の無抵抗」な弱腰外交ゆえに、翌62年2月に襲撃されて負傷した。坂下門外の変である。

 勤皇の志士は、日本がキリスト教国の植民地になり、白人の奴隷にされるという危機感から立ち上がった。日本の自主独立を守る為に、天皇を中心とした中央集権国家に改造しようとしたのである。

 来日したグラバーらユダヤ人武器商人の人数は少数であり、当時の日本人は人種や民族ではなく国籍で分けていた為にユダヤ人としてではなくアメリカ人あるいはイギリス人と見ていた。

 日本人には、古代より○○系アメリカ人、××系イギリス人などと人をその出身で区別し選別して差別する発想はなかったのである。

 民族中心宗教を信仰する身分の低い庶民(世界的に識字率の高い庶民)には、キリスト教やイスラム教の様な「絶対善」と「絶対悪」といった普遍宗教的偏見はなかった。非日本人を、単に外人さん・異人さんと「人」として興味をそそられる愛すべき面白い相手にすぎなず、世界常識の優生学にもとずく人種差別する相手でも、殺したいほどの憎むべき商売敵でもなかった。まして、正統派儒教の中国や朝鮮の様な攻撃的中華思想(偏狭的自己中心の排他的民族主義)がない為に、他国人や他民族や他宗教に対する憎悪から来る暴動や虐殺はなかった。

 日本の歴史には、外国人や宗教に対する迫害や弾圧は少なかった。

 ただし、天皇を殺害し、日本を破壊しようとした敵意丸出しのキリスト教徒は処刑した。それが、世に悪名高いキリシタン弾圧である。

 1866年 外国人を嫌い開国に反対していた第121代孝明天皇が逝去した。突然の死であった為に、討幕派による暗殺との噂が流れた。

 古代からの天皇家の歴史は、皇位をめぐる陰謀が渦巻き、全員とは言わないが早死や怪死が数多くあった。そこには、キリスト教が嫌悪するような「天皇は神」という信仰はなく、単なる「錦の御旗」という象徴でしかなかった。つまり、正統性を証明する「玉」という道具であった。

 大日本帝国憲法は、神の裔・天皇を「日本のカナメ」であるとして神聖不可侵と成文化した。

 吉田松陰(松陰神社)「一法師(ザビエル)は遣わされ、なほよく人の国は傾く」

 下級武士の松陰は、同じ下級武士の西郷隆盛(南州神社)同様に、靖国神社の祭神・高杉晋作や久坂玄瑞(下級武士)らに日本を守る為に朝鮮征伐を説いた。

 自分の国は自分の命を犠牲にしても守ろうとして戦って死んだ勤王の志士は、神の裔である天皇を守ったとして、その魂を神として靖国神社に祀られた。

 靖国神社は魂を神として祀る神聖な場所であって、屍体を仏として葬った墓場ではない。あるいは、偉大なる聖人の屍体を安置するキリスト教の大寺院ともことなる。

 国家と民族を裏切る者は、勤王の志士の「志」を否定し、外圧を利用して靖国神社を廃止せよと主張している。

   ・   ・   ・

 反天皇反日派日本人は、中国や韓国などのアジア諸国からの外圧・内政干渉を利用して、勤皇の志士が眠る靖国神社を滅ぼそうとしている。

 彼らは、言葉巧みに本心を隠している。その説得力能力もたかい為に、信念も志もない日本人は彼らの話術に引き込まれ、彼らの主張に洗脳されて同調している。それが、国民世論、民意とされている。

 彼らの狙いは、天皇・皇室の消去である。

 つまり、自分の信念を通す為に日本を破壊し、地上から消滅させようとしている。

 決して、日本を住みやすい、平和な国にしようとしているわけではない。

   

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