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ユダヤ人による日本のキリスト教国再計画。1873年

Category: 日本国民の心得  

*仏教勢力による、神道の無力化計画。

 国学者及び神社側は、永年続いた外来宗教・仏教の精神支配を排除する為に、王政復古の大号令で下級武士階級が樹立した明治新政府に圧力をかけて神祇省を創設した。

 1868年に「神仏分離令」を発布させ、多額のお布施を強要する葬式仏教に不満を持っていた貧しい庶民を扇動し、全国で廃仏毀釈を起こした。

 庶民は、利益優先で金儲けに狂奔する強欲な寺院を襲撃し、仏像や仏具や仏典などを破壊した。

 欧米の美術商は、奪い去られた仏像や仏画などの美術品を安く買い叩いて国外に持ち出した。キリスト教徒商人にとって、仏像は信仰の対象ではなく、単なる金儲けの為の美術品に過ぎなかった。

 仏教界は、国際感覚のある政治家や軍人や高級官僚そして在野の上級武士階級を総動員し、1906年に「神社合祀令」を発令させた。小作人出身の伊藤博文(東荷神社)や足軽出身の山県有朋ら下級武士出身の政府高官や上級将校らは、仏教界に協力した。

 庶民の困惑を無視して、国家権力で全国にあった由緒ある神社約20万社の内10万社以上を潰した。そして、神社の神域である自然を破壊した。

 2600年以上守って来た民族の神々が息づく神域を国家財産として接収し、永年入山禁止としてきた山野を破壊し、神が宿るとされた御神木を伐採し、神が降臨する巨石・巨岩を砕き、「神殺し」を断行した。

 神が住むとされた神聖な山嶺は、神を信じない無神論者の登山家によって切り開かれ、ゴミは捨てられて汚され、自然は無惨に踏み荒らされた。

 神聖とされた農耕地は、都市の投資家の単なる金儲けの道具にされ、貧しくとも何とか生活できていた農村は借金苦で荒廃した。

 明治になるや、貧困化した農民の一部が、重税に苦しめられる日本に絶望して、自由を求めて人種差別の激しいアメリカに移住した。

 移住する勇気のなかった農民は、抵当は言っている田畑を都市の投資家にとられ、幼い娘や妻を都市の遊郭に遊女として売り、高利貸しから借りた借金の返済にあてた。

 都市の男達は、金を払って農村から売られてきた生娘を好んで買った。

 都市の慈善家は、農村の救済を声高に訴えるが、自分の手を汚す様な現実的行動は取らなかった。

 農村優位にあった日本は、国際化に伴って欧米社会同様に都市優位となった。

 日本の近代化は、都市型資本主義による「神殺し」で推進された。

 軍部は、農村部の都市部への不満を利用して政治力をつけ、農村型ファシズム体制の確立へと暴走した。

 国際社会から非難を受ける日本の農村型軍国主義は、閉鎖的農村部を地盤として成立した。

 その被害を蒙ったのが、開放的都市部であった。

 反天皇反軍部反日派日本人は、マルクス主義を受け入れて、都市部を中心に勢力を拡大し、都市労働者を味方に引き入れて天皇制度破壊の暴力的プロレタリア革命を目差した。

 日本人マルクス主義者は、反日朝鮮人テロリストやソ連・共産主義勢力と協力して天皇暗殺計画を練り、日本人の目の前で実行した。

 現代(人口約1億2,000万人)では、約8万1,000社の神社に激減し、名も無き小さな社は敬虔な氏子(神の血を引く子孫)を失い、無宗教反神論の日本人リベラリストから忘れられて朽ち果てようとしている。

 政治力を強めた仏教界は、近代国家の条件とされた「政教分離」の原則を大義として、民族中心主義的神社神道の政治力を無力化し、天皇親政を全面に出して責任を宮中に負わせ、無宗教で単にお辞儀をするだけの「国家神道」を新設して巧みにその陰に隠れた。

 国家神道とは、布教を行わない宗教性の薄い頭を下げるだけの「儀式行為」であって、他国を宗教侵略し、日本人以外の外国人を改宗させて信仰を強要する宗教ではない。

   ・   ・   ・  

 世界の常識として、「政教分離」とは表向きに過ぎず、如何なる政府でもその正統性はその国の神によって承認されている。

 宗教儀式を経ない国家元首は、存在しない。

 神の承認を否定するのは、共産主義体制のみである。

 政治と宗教を完全に分離するのは、反宗教無神論の国際的マルクス主義者である。

 ゆえに、国際的マルクス主義者は、科学的人工の一党独裁体制革命を唱え、日本を完全破壊するべく天皇制度と民族主義を攻撃した。

   ・   ・   ・  

*日本を普遍的な「神の国」に改造する為に、再上陸して来たキリスト教会。

 1871年 明治政府は、日本人全員に「苗字」を持たせる事に、「姓」を廃止して「苗字」に一本化する事を決定した。

 1873年 欧米列強は、キリスト教会の要請を受けて、「信教の自由」の原則を大義としてキリスト教禁止令の廃止を日本政府に迫った。

 弱小国日本は、列強の協力で国を近代化する為に外圧に屈した。

 キリスト教会は、日本人が御上の権威・御威光に弱い事につけ込む為に、全国での布教活動を開始する前に多くの政治家や上級軍人や高級官僚を改宗させた。

 ちなみに、「信教の自由」とは、普遍宗教に認められた権利であり、民族中心宗教には認められていない権利であった。事実、「信仰の自由」の名目で多くの民族宗教が消滅させられている。

 国家・民族を改宗させる為には、将来ある子供を効果的に洗脳する事であった。

 そこで、子供をキリスト教に馴染ませる為に、民族宗教的生活習慣を排除するべく近代的教育運動を推し進めた。

 普遍宗教の排他的絶対教義で、民族中心神話的神事を非文明的行為として軽蔑し、神代から受け継いだ現人神・天皇を野蛮な因襲として否定した。

 キリスト教価値観で日本を近代化させ、天皇をキリスト教に改宗させ、最終的には非日本人を天皇に即位させることである。つまり、「分割して統治する」というインド方式による日本支配計画であった。

 つまり、ローマ教皇の様に、「公」としての血筋や血統重視ではなく「個」としての能力・才能・実力重視に変更する事であった。

 だが、日本民族のキリスト教化は現人神・天皇の神性によって、またしても失敗に終わった。

 対して、歴史的に根強い反天皇反日本感情を持つ朝鮮では、日本に対抗する為に改宗者が続出した。

 欧米列強は、意味不明の天皇を中心とした独自の民族的価値観にこだわる日本を認めず、国際社会で孤立化させる政策を共同で採用した。

 反日派朝鮮人と日本人キリスト教徒は、天皇の神性を悪魔的邪悪として憎悪し、日本民族の「心」「魂」「命」の拠り所である神社への礼儀としての敬意を「信仰の自由」を理由にして拒絶した。その最たるものが、靖国神社参拝拒否である。

 普遍宗教を信仰するキリスト教徒は、2600年間、日本民族日本人(愛国心と忠誠心を持った日本国籍者)が大事に受け継いできた民族中心宗教としての「情緒」(心情・情感・感情)に、理解を示す事なく不寛容にも土足で踏みにじったのである。自分の事しか考えない彼らは、日本国籍を嫌い、日本人が持っていた「相手に敬意を払う」という伝統的素養を愚の骨頂であるとして捨てた。

 「個」強靭的精神を信奉する彼等は、情緒的なひ弱な日本人を嫌った。

 プロテスタンティズムのアメリカ系キリスト教会も、250年以上の永きに渡りキリスト教を排除している背教者日本人の人格を否定した。天皇信奉者日本人を、強制的に改宗させ、民族中心主義の日本精神を捨て、国際的普遍主義のキリスシタン精神を根付かせる為の強攻策を求めた。

 神道的日本人は、欧米列強のキリスト教的植民地化を憂えて天皇を中心とした神懸かり的軍国主義国家を目指すべく、殖産興業と富国強兵の両政策を採用して、武力を背景にして周辺地域を国家防衛の為に勢力下に組み込んだ。

 反日派朝鮮人とキリスト教徒日本人は、激しく抵抗し、天皇暗殺というテロ行為に走った。

 精神的に国家を防衛する為に、1890年に教育勅語を渙発して天皇を現人神として崇拝する臣民倫理を基礎にした、神道的国家意識を国民に押し付けた。

キリスト教徒日本人は、地上に「神の王国」を建設する為にローマ教皇とキリスト教会に絶対服従を誓い、天皇と国家への忠誠を拒否し、皇室を転覆し「神ながらの道」を破壊する為に陰謀に加担した。不寛容な彼等は、神社そのものを認めない。

キリスト教会は、天皇に無知を自覚させて土下座させる為に、国體破壊と神道解体を神聖な使命としていた。

 歴史的事実として、異教国家日本は滅ぼされ、現人神・天皇と天皇を守ろうとした臣民日本人は「聖なる火」で焼き殺される運命にあった。

 日本を「絶対神の天罰」で焦土とする強い意志は、太平洋戦争で現実化された。

 だが、天皇を戦犯で処刑する事も、皇室を改宗させるという最終目的も失敗した。

   ・   ・   ・ 

 多神教の日本人は、海外を旅行すると、その土地の宗教と民衆の信仰を尊重し、礼儀として異国の宗教施設に額ずみ頭を垂れて敬意を払った。

 キリスト教会は、異教徒の神に敬意を払う事は信仰に反するとして、信者に日本の神を否定し神社に参拝しない様に説いた。

 信心深い者は、如何なる神にも敬意を払って頭を下げ、わけもなくありがたがる日本人を軽薄者であると軽蔑した。

 キリスト教徒日本人は、原罪を背負った罪深き異教徒日本人を、「絶対神の愛」で悔い改めさせ、「絶対神の御心」を受け入れて生まれ変わる事が、唯一の救いであると確信してていた。

 日本人を改宗させるという「神聖な使命」の為に、天皇を「絶対神への生け贄」に差し出そうとしたのである。

 そして、意味不明な日本語や野蛮な日本文化を捨て、欧州の優雅な国際言語や絶対神から与えられた神聖な文化を身に付け、高度な教養を身に付けた国際人として生まれ変わるべきだと主張した。

 彼等は、マルクス主義者同様に、民族主義と民族宗教を日本から消滅させるべく精力的に活動した。

   ・   ・   ・  

*昭和天皇は、日本の将来を見越してバチカンとの友好関係を築こうとしていた。

 ローマ教皇庁は、世界中に情報網を張り巡らしていて、膨大な情報がバチカンに集められていた。

 1921年 摂政宮裕仁皇太子は、欧州歴訪し、教皇のキリスト教徒に対する影響力を痛感して、バチカンのあるローマを訪れた。

 1922年6月9日 裕仁皇太子は、ピウス11世の即位を祝って、大正天皇との連名で書簡を送った。

 1939年6月7日 昭和天皇は、教皇ピウス12世の即位を祝う書簡を送った。

 日本は、ピウス12世が反共産主義を表明する事に共感を寄せ、国内の天皇打倒を主張する共産主義者を弾圧した。

 バチカンは、キリスト教を反宗教無神論の共産主義の破壊から教会を救う為に、ナチス・ドイツ同様に日本との協調関係を求めていた。

 1941年12月 昭和天皇は、対米英戦が決定されるや、東條首相に対して講和工作の為にバチカンへの公使派遣を要望した。東條首相は、戦争回避を切望していた天皇の気持ちを知るだけに、臣下の義務として終戦工作を意図とした使節派遣に同意した。

 バチカンは、日本が戦争終結の手段を模索している事を知っていた。

 1942年3月 バチカンは、中立の立場から、日本からの外交使節団を受け入れる事をワシントンに知らせ、理解を求めた。

 ルーズベルトは、バチカンの決定に不快であるとの書簡を送り、教皇庁駐在アメリカ大使に中止させるように説得する事を命じた。

 アメリカ・カトリック教会も、異教徒・昭和天皇の使節団を受け入れる事は、中立の立場を損ねるとして反対した。

 ニューヨーク大司教スペルマンは、ルーズベルトの私的助言者として、ワシントンとバチカンの間を頻繁に往復した。さらに、チャーチルはもとよりナチス・ドイツのリッベントロップ外相とも会見した。

 1945年6月 昭和天皇は、東京大空襲の惨状を視察し、戦争の継続は国家の破滅、民族の死滅をもたらすとして、戦争終結の研究を始める事を希望した。

 日本は、バチカンが中立にこだわって講和交渉の橋渡しを渋っていると判断し、信用できない相手ではあるがソ連を仲介役に利用する事を決めた。

 その頃。バチカンを舞台に、アメリカの情報機関OSSとバチカン駐在日本公使館が水面下で、終戦交渉の糸口を見出す為の接触を始めていた。

 日本政府としては、ホワイトハウスか国務省関係者ならば信用したであろうが、相手が謀略機関であるOSSではにわかに信用できなかった。

 そして、バチカン・ルートによる和平工作に不満を持ったのがソ連であった。スターリンは、日本の一部を領土として確保する前に、戦争が終結する事には反対であった。

 バチカンも、ソ連の対日参戦を知らされていた為に、昭和天皇が望んでやまなかった和平への仲介を取るとの意思表示を避けていた。

 ルーズベルトは、自国の被害を最小限にとどめる為にソ連の参戦を希望し、領土の割譲というスターリンの希望を受け入れていた。


 

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