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バチカンによる、日本と天皇・皇室のキリスト教化計画。1945年 ②

Category: 日本国民の心得  
11月 バチカンは、日本を改宗させる為の対日戦略書を作成し、民族の精神的支柱である天皇を改宗させる事を望んだ。

 11月3日 占領軍の絶対命令によって、日本国憲法が公布され、財閥解体・農地改革・教育改革・労働改革などの諸改革が実施された。

 戦勝国は、国際法を盾にして強権を持ち、日本の国家としての主権を剥奪し、教育や司法などの諸権利の極一部を残して大半を停止した。

 日本改革案は、延安にいた日本人共産主義者のプロレタリア民主化を目指す為の提言によるものであった。最終目的は、民主化の為に天皇制度を廃止する事であった。

 日本人共産主義者の多くが、ソ連の秘密警察NKVDから活動資金を得ていた工作員であった。

 共産主義信奉者ユダヤ人は、日本人共産主義者の告発をもとに、天皇と皇室を守ろうとした反共産主義者や民族主義者を公職から完全追放し、天皇と皇室の存続を求める言論を一切禁止した。

 左翼・左派は、公然と反共産主義的発言や皇室擁護の言論を「右翼」の一言で弾圧した。

 教育現場や報道機関に、共産主義を滲透させて左傾化させ、天皇制度廃止と民族主義撲滅に全力を傾けた。

 昭和天皇の生母・貞明皇后 は、直系天皇家を守る為に、政府が下した傍系宮家の廃止を受け入れた。

 11月28日 オーストラリアのノーマン・ギルロイ枢機卿は、天皇に拝謁し、五日後にはカトリック教会の復興と布教活動の進展について吉田首相らと会見した。

 12月3日 マッカーサーは、天皇が神道を批判し改宗を希望していると、ギルロイ枢機卿に打ち明けた。

 1947年 天皇を改宗させる為に、皇室周囲にキリスト教が深く浸透していた。

 5月7日 都新聞「天皇は改宗の途中にあらせられ、皇室の方々も関心をおもちだ」

 10月26日 片山首相の本音は、マルクス主義者として全ての君主制に反対し、天皇と皇室の権威を守る刑法の特定侮辱罪(不敬罪)を法律から削除した。

 天皇は、国家元首でありながら公的拒否権を認められず、政府・政党による政治利用されるだけの存在となった。

 皇室は、一般人同様に法律に拘束され、如何なる法的保護も剥奪され、開かれた皇室としてプライベートが制限された。

 左翼的な雑紙や新聞は、天皇の権威を貶めるべく、皇室のスキャンダルを存在しないにもかかわらず捏造した。ジョークといいながら、皇族を卑猥に馬鹿にし、愚劣に笑い話のネタにして金儲けしている。

 現代において、天皇と皇室に対する敬意は存在しない。生活苦のない、お気楽な生活を続けている穀潰しと見なしている。

 皇室の生活費を捏造してあげつらい、如何に世間離れした生活をしているかを、服装や邸宅や別荘や趣味や学術研究など公私に関係なく槍玉にあげている。

 天皇や皇族などの報道は、「国民主権」の大義の下に悪意で歪曲され、国民に皇室への愛着を捨て去り憎悪のみを掻き立てる様に洗脳操作が施されている。

 天皇には、戦前の様な、憲法で保証された「神聖不可侵」は存在しない。

   ・   ・   ・ 

 1948年 カトリックとプロテスタント両教会は、日本での布教活動を活発化させた。同時に、国内外で天皇の戦争責任を問う声が再燃し、天皇の退位を要求する声も広がった。

 バチカンは、戦争犯罪国家日本をキリスト教に改宗させ、「神の愛」で誰にでも好かれる平和な国家に生まれ変わらせる為に動き出していた。

 国際常識として、没個性の日本人は、権力に弱く、権威に盲従すると、信じられていた。

 日本人は、「御上の命令」に反抗することなく、唯唯諾諾と従う民族であると。

 3月 フロジャック神父は、バチカンを訪れ、、ピウス12世に謁見して天皇の伝言を伝達した。

 4月 アメリカのCIAとバチカンは、イタリアに共産党政権を誕生させない様に秘密工作を展開した。ピウス12世は、総選挙にあたってイタリア国民に、反共産主義のデ・ガスペリ政府と与党キリスト教民主党を支持する様に訴えた。戦犯として追われているナチス関係者やイタリア・ファシストの残党を集めて「インターマリウム」を組織し、CIAから活動資金を得て共産主義組織を攻撃した。アメリカのスペルマン枢機卿は、不法手段で巨万の財産を得たジョゼフ・ケネディやマフィアとの関係の深いユダヤ人の実業家ローゼンスティールらの協力を得て、米国政府に圧力をかけた。スペルマン枢機卿は、アメリカが押収したナチス・ドイツの隠し資産の一部を反共産主義陣営の政治家や教会に流して、社共連合政権を潰した。

 スペルマン「バチカンは、反共産主義をイタリアの世論にアピールする為に、アメリカの資金を必要としている」

 6月7日 ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿は、メルボルンのカトリック教会100年祭に出席した帰途に日本に立ち寄った。8日 上智大学で総勢700名の歓迎会が開かれた。土井大司教らキリスト教会関係者の他に、芦田均首相や森戸辰男文相や田中耕太郞ら前文相ら政府関係者もバチカンとの関係強化の為に出席した。

 芦田首相は、宮中改革の一環として、キリスト教徒を宮中の主要部署に配置した。田島道治宮内庁長官 に、三谷隆信 を侍従長に、安部能成 を学習院院長に、清水二郎を東宮職 に、皇太子らの教育係にヴァイニング夫人を。

 ラッセル・ブライアン「日本を訪問したスペルマン枢機卿は、9日天皇に謁見した。天皇とキリスト教との関係については、日本の宮内府とその他の有力筋では、現在天皇の近辺ではキリスト教の影響が次第に増大しているが、皇室の伝統からしても直ちに天皇がキリスト教に改宗される事はできないだろうと述べている。日本側の見解を総合すると、天皇は皇太子その他の皇子達がキリスト教の影響下におかれるのを熱心に望んでいるものとみられる」

 7月1日 ローマ教皇ピウス12世は、「如何なる国であろうとも、共産主義に積極的に支持を与えるカトリック信者達を破門する」との検邪聖省令を出した。バチカンは、カトリック至上主義のもと民主主義を多少犠牲にしても、反宗教無神論の共産主義を撲滅する為の方策をとる事とした。そして、日本のキリスト教化を早める様にスペルマン枢機卿を通じてマッカーサーを督促した。参謀部第2部(GⅡ)は、ニューディーラーらの牙城である民政局(GS)を骨抜きにする為に、右傾化を望む吉田茂ら保守や右翼を利用して陰謀をめぐらした。

 マッカーサーは、軍事的対共産主義政策から参謀部第2部に日本の舵取りを委ねた。日本の占領政策は、政治の思想・主義・信条から戦術戦略の軍事指導に移行した。

 11月23日 GHQとキリスト教会は、神道を破壊する為に、天皇が宮中で一子相伝で行ってきた皇室祭祀を廃止する為に圧力を加えた。そして、紀元節や新嘗祭 などの皇室祭祀に関係する祝祭日を、国民主権で歴史や伝統とは関係ない名称に変更させた。

 1949年1月23日 総選挙。参謀部第2部が支援する、吉田茂の民主自由党は定数466議席中264議席で絶対多数を確保した。民政局が支援する、民主党は69議席、社会党は48議席と議席を減らした。共産党は、GHQの対日政策に協力して35議席に大躍進し、都市労働者と教育者などの知的階層の間に支持者を拡大させていた。キリスト教会は、共産主義勢力の拡大に危機感を募らせ、速やかに日本をキリスト教化する為に多くの宣教師を来日させたが、「言葉の壁」に阻まれて思った様にほどの信者を獲得でき頭にいた。知的エリートは、フィリピンの様に外国語を公用語にして日本語使用を制限すれば、自ずとキリスト教の布教活動もはかどると提言した。

 エドウィン・ライシャワー「共産党の進出は、その反占領姿勢ゆえ日本国民の共感を呼んだのだ。インテリ層は簡単で闘争的な教義に弱い。総司令部の対日教育政策の誤りが、日本人に対して共産主義という『禁断の果実』の魅力を増大させた。なによりも、日本人は外界の情報に飢えていた。日本人は知的な渇きを癒す為に、共産主義宣伝の水を飲まざるを得なかったのである」

 4月 日本政府は、左右両派の反国家的組織を取り締まる為の団体等規正令を公布した。GHQとキリスト教会は、共産主義団体以上に、日本のキリスト教国化の障害となりそうな神道系宗教団体を消滅させる為に政治権力を利用した。

 4月4日 マッカーサーは、ポケット聖書連盟の日本人に聖書を携帯させる運動を支持し、配布は100万部ではなく1,000万部が好ましいと助言した。宣教師達は、全国の中学校でポケット聖書を配布し、少年少女を改宗する為の宗教指導を行い、日本古来の宗教行事を悪として禁止した。

 4月27日 トルーマンは、日本をキリスト教国化し、日本人に「原罪の思想」を植え付け、自立心・独立心を喪失させて精神的にも隷属化するという「ロイヤル文書」を承認した。

 数百人の宣教師が、占領軍と日本政府と日本キリスト教会の協力を得て、日本各地で布教活動を始めた。

 宗教教育の一環として、皇国史観などの神道的価値観は軍国主義の元凶であるとして廃絶し、かわってポケット聖書1,000万部を全国の中学生に配布した。

 「信教の自由」は、キリスト教のみに認められ、神道などの民族宗教には認められなかった。

 伝承的民族宗教の神々と日本民族の霊魂は否定され、そして日本の神々と日本人の魂を抹殺する事が「国際化」の美名のもとで行われた。

 だが、言葉の壁だ宣教師の教化活動を妨害した。

 国際派教育者は、国際基準であるキリスト教価値観を普及させる為に、教育現場では外国語のみを話し日本語の使用を禁止すべきであると提言した。つまり、日本人は国際人として、フィリピン人同様に民族語・日本語を捨てて外国語・英語のみを話すべきであると。

 占領軍は、中南米諸国の様に、日本から民族言語である日本語を排除しようとした。

 トーマス・A・ビッソン「今後は、戦争型の国際カルテルの中で、アメリカ資本が財閥のパートナーとなるか、あるいは大量の直接資本投下によって、日本の基幹産業を乗っ取ってしまうと言う事だ」

 5月25日 マッカーサーは、日本国民に対して「聖フランシスコ・ザビエル渡来400年記念祭」に関する声明を発表した。占領軍であるアメリカ軍は、日本をキリスト教動国化するという大統領命令に従って、公然と布教活動に全面協力した。アメリカのプロテスタント関係者は、日本のキリスト教国化がカトリック教会主導で行われている事に不満を募らせ、精力的に活動している陸軍省(トレーシー・ヴォヒーズ陸軍次官)とスペルマン枢機卿に非難が集中した。

 参謀部第2部は、国際情勢が共産主義陣営と自由主義陣営の対立に突入するや、日本をアジア地区での対共産主義軍事基地として永久使用する為に、官公庁の共産主義分子の追放を日本政府に求めた。

 6月 反天皇派日本人は、天皇制度廃止を含む共産主義的自主的憲法である『日本人民共和国憲法案』を作成した。

 天皇と皇室の財産は、国際連合国と共産主義信奉者ユダヤ人グループによって没収された。広大な不動産は新生日本国が管轄し、莫大な銀行の預貯金や金塊や有価証券などは日本復興の資金となり、食糧の代金となって国民を飢えから救った。日本の真の冨、財産は消失した。

 天皇の不動産は、国民から略奪する様に所有したのではなく、明治維新によって各大名が所有していた土地を受け継いだにすぎない。皇室の資産は、欧米の王侯貴族や上流階級の様に庶民を搾取して得たものではなかった。

 だが。マルクス主義者は、階級闘争史観を強引にあてはめる為に、天皇と皇室を悪辣な掠奪者と告発し、そして子供達を反天皇主義者にするべく正しい歴史教育を施した。

 マッカーサーのメソディスト教会会議への書簡「戦争と敗戦を経験した日本は、今やキリスト教にとってこれまで経験した事のないような大きな宣伝の機会を提供するものである。日本人は敗戦によってその信念の拠り所であった神話と伝説の浅薄さを悟った。そのため生じた日本人の精神的空白状態はキリスト教伝道にとって絶好の活動分野となるだろう」

 6月12日  明治神宮競技場で、「ザビエル渡来400年記念祭」の2週間に及ぶ大野外ミサが行われた。ローマ教皇ピウス12世の特使ノーマン・ギルロイ枢機卿や高位聖職者が、ミサに参加する為に来日した。高松宮と妃殿下が出席し、スペイン、ポルトガル、オランダの各国使節団が列席した。参観者は、数万人に及んだ。首相兼外相の吉田茂(キリスト教徒)は、出席を予定していたが、当日、急遽とり止めて代理を出席された。

 バチカンは、日本をキリスト教国にするべく多くの宣教師を派遣していた。天皇を改宗させれば日本は苦もなくキリスト教国化できると分析して、皇室周囲に熱狂なクリスチャンを配置した。

 皇后や皇太子ら皇族は、国際社会で通用す様な洗練された教養を身に付ける為に、彼等からキリスト教だけの宗教教育を受けていた。

 中村正直 「天皇がまずキリスト教の洗礼を受けて範を示すべきだ」

 8月14日 日本キリスト教平和教会は、数万人の群衆を集めて、皇居前広場 と日比谷公会堂で平和に関する集会を開催した。

 日本全国で数百万人が記念祭に熱狂して、各地で神道の八百万の神々を冒涜した。

 かって、ナチス・ドイツに協力したローマ教皇ピウス12世は、日本をキリスト教国化する為に特使ギルロイ枢機卿と数百人の宣教師を日本に派遣した。

 アメリカやイギリスなどの連合国は、バチカンと共にホロコーストを黙認していた。

 キリスト教会(スペルマン枢機卿)は、共産主義信奉者ユダヤ人と協力し、何が何でも日本をキリスト教で大改造しようとした。

 マッカーサー元帥は、日本のキリスト教国化に同意し、昭和天皇を改宗させる為のあらゆる便宜を図った。

 マッカーサー「これは歴史始まって以来の最初の、キリスト教的占領とならなければならない」

 だが、彼らは「神聖な使命」を達成する為に天皇制度の廃止に反対した。最終目的は、教皇の様にキリスト教徒非日本人を天皇に即位させ、日本の精神世界を支配する事であった。

 ウッダード「占領軍の内部及び外部で、カトリックとプロテスタントの双方が、個人的に、これらの高い地位にあった日本人に対して、その影響力を行使してキリスト教を広げようと努力した」

 絶対的権力を持つGHQから不動の権威を与えられていた日本人エリート知識人らは、日本人を国際社会で通用する様な「正しい人」に生まれ変わる為に、キリスト教価値観で新たな日本精神を創造しようと躍起になっていた。

 国際感覚を持つ都市部のインテリ層を中心に改宗者が急増し、20万人以上がキリスト教の洗礼を受け、祖先を敬うという氏神信仰を捨てた。そして、多くの由緒ある神社が朽ち果て、厳かな宗教行事や伝統的祭りが中止に追い込まれた。

 彼等は、国際感覚が優れていただけに外圧に弱く、他国の指示に従って自国の利益を捨てた。

 古い伝統に囚われた庶民階層、特に農村部ではでの改宗は進まなかった。キリスト教会は、占領軍の全面協力で多くの宣教師達を来日させ、改宗が進まない農村部に彼等を派遣して布教活動を強化した。

 農村部は、排他的民族意識が強く、外圧に屈することなく頑なに自分の殻に閉じこもっていた。

 共産主義者や社会主義者や知的リベラルは、天皇制度を廃止する為の方便として日本のキリスト教化を支持した。

 だが。脳天気な日本人には、絶対神でしか救ってもらえないという底知れない絶望感を持ち合わせていなかった為に、絶対神に背いたという人の「原罪」が理解できなかった。

 単純明解な思考を好む島国人にとって、大陸人のわけが分からない哲学的思考回路は複雑すぎて理解できなかった。

 ロベール・ギラン「神の掟のいまだない所には、罪はない」

 11月3日 如何なる交戦権をも放棄した、平和憲法である『日本国憲法』が公布された。

 帝国書院 の教科書「悲惨な戦争を二度と繰り返すまい、という国民の願いから生まれました」

 日本書籍 「日本が再び侵略戦争をしないようにする為に市民達の手で作られていたさまざまな憲法改正草案を参考にして」

 現実の国際社会を知る元枢密院議長の清水澄博士は、民族と国家の衰退に繋がるとして、子孫の将来を憂えて抗議する為に自決した。

 日本は、アメリカの復興基金から18億㌦(現在の価値で約12兆円相当)を借りて戦後復興の資金とした。

 両国間には、様々な密約があったと言われている。

 11月18日 GHQの民間情報教育局(CIE)宗教課長ウイリアム・K・バンズ・メモ「1949年6月23日から10月3日まで、最高司令官代理として、小官が出席した第4回ユネスコ総会に関して、10月24日18時30分から19時30分まで、マッカーサー将軍に報告していた折、会見の終り近くになって、将軍は突然話題を世界情勢から日本の宗教の問題に転換した。マッカーサー将軍は、日本人の大多数は、プライドが邪魔になってキリスト教に回心できないだろうから、少なくとも近々のうちに日本がキリスト教国になる事はなかろうとの見解を述べた」

 レイ・ムーア「1949年は、マッカーサーの日本における伝道運動が最高潮に達した年であった。しかし、潮が引き始めた時、その潮に押し流されなかった日本人はほんのわずかしかいなかったのは明らかである。日本のキリスト教国化だ少しでも前進させる方法は、ベテラン宣教師達が大胆にも最高司令官に申し上げた様に、長期にわたる努力によるしかあり得ない。1946年にマッカーサーがダグラス・ホートンに予言した『精神大革命』は、1949年になっても、起きそうもなかった」(編『神の兵ー日本をキリスト教国とするマッカーサーの試み』)

 コートニー・ホイットニー「クリスチャンとして彼は、多くの〝異教徒〟日本人を巧妙だが強力な圧力をかけてキリスト教徒に改宗させたいという、当然の誘惑に直面した。そのような改宗をさせるほど大きな機会は、またとなかった。かってない精神的荒廃が全ての日本人を包み込んでいた。苦しい時に全ての人がやる様に、日本人も精神的なよりどころを求めて宗教に目を向けた。しかもこの重大な時に当たって彼らの宗教も救いとはならなかったのである。1945年9月の日本は、宣教師の楽園であった」(『日本におけるマッカーサー』) 

 1950年 プロテスタントの宣教師1,165人とカトリックの宣教師1,833人が、日本をキリスト教国化にする為に全国で布教活動をしていた。

 4月16日 ロンドン・タイムズ「マッカーサーは、日本をキリスト教国化すると主張し続けてきたが、その信憑性は全くない。彼の努力は失敗した」

 6月27日 天皇は、GHQのシーボルト外交局長を通じて、極秘にワシントンの国務省 にメッセージを送った。

   ※   ※   ※

 1951年1月 来日した共和党保守派のJ・F・ダレス元上院議員は、講和条約の見返りとして日本に対して占領軍憲法の破棄と自衛軍設置を求めた。

 日本軍と戦ったマイケルバーガー中将やバーク大将ら共和党系将官の多くは、対共産主義の為に神風特攻や玉砕突撃を行なう強い日本軍の再建を求めた。

 ソ連は、日本をさらに弱体化させる為に、共産党や社会党などに反戦平和と反天皇と人権の市民団体運動を組織する様に指示し、活動資金を与えた。

 平和国家日本は、再生する為の憲法改正と自立する為の再軍備を拒否し、戦争しない為にアメリカの非保護国の方を選んだ。

 日本は、自国を自力で守る権利を放棄して、アメリカの属国を受け入れた。日本人が、如何にまとももらしいご託を並べて独立国を主張したところで、アメリカなくして国家の安全を保てなかった。

 その事実が、2010年11月の尖閣島での中国船衝突事件で露呈した。

 中国などアジアを重視してアメリカから離れる事を主張する日米安保反対派日本人の、無能無策ぶりが明らかとなり、日本は普通の国ではないと国際社会で嘲笑の的となった。

 左翼・左派などのマルクス主義者は、日本が中国軍に占領されて中国領になろうとも、日本人が中国人になって消滅しようとも、一切気にしない。マルクス主義者にとって重要なのは、祖先から受け継いだ日本国家の存続でも、子孫に引き渡す日本民族の未来でもなく、自分一人の主義主張のみである。

 反戦平和主義者は、非武装中立 論から自国防衛に必要な武装に反対し、非暴力・無抵抗主義を無条件で受け入れて「他国から愛される国」になるべきであると主張している。

 戦後日本は、商売の為に伝統的品性、品格、品位を捨て、民族的心の誇りを喪失した。

 3月 マッカーサーが解任され、キリスト教会による日本のキリスト教化は、「神の裔」を自認する天皇の神性の前に失敗した。

 4月16日 マッカーサーは、トルーマンに解任され、羽田から帰国した。20万人以上の日本人は、別れを惜しんで見送った。だが、天皇はGHQの要請を拒否して見送りに出なかった。

 天皇は、絶対権力者として振る舞うマッカーサーに媚びる事なく、国家元首としての名誉を守り、日本人としての自尊心を貫いた。

 11月 昭和天皇は、京都・奈良・滋賀・三重の巡幸途中で国立京都大学を訪問された際、左派系学生は行幸反対の騒動を起こした。大学や高校では、マルクス主義者の組織である日教組による共産主義史観による反天皇教育が行われ始めていた。こうして、国内の左翼・左派などのマルクス主義者による天皇制度打倒市民運動が激化し始めた。

 1952年 バチカンは、サンフランシスコ講和条約調印を受け、日本との国交を回復した。ピウス12世は、日本国民を改宗させるべく、復活祭に祝福のメッセージを送った。日本人は、現人神と信じていた天皇が人間宣言して以来、価値基準を失って一種の精神的虚脱状態に陥っていた。共産主義の様な強烈な思想や価値基準に馴染めない日本人は、各地で誕生した新興宗教に救いを求めた。キリスト教会は、不安定な精神状態にある現状を布教の好機と捉えて、多くの宣教師を日本に送り込んだ。

 1954年10月20日 吉田首相は、ローマで教皇ピウス12世を表敬訪問した。バチカンは、日本での布教活動に功績があったとして、サン・グレナリオ騎士団勲章を授与した。67年10月20日 吉田茂は死亡し、故人の希望で洗礼が施され洗礼名「トマス・ヨゼフ」の名が与えられた。23日に、内葬が東京カラドラル聖マリア大聖堂で行われた。

 1960年末 昭和天皇は、東京に着任し信任状を奉呈したイスラエル大使のモシェ・バルトゥールに対して、ユダヤ人への感謝の言葉を述べた。「日本民族はユダヤ民族に対して、感謝の念を忘れていません。かつて我が国は、ヤコブ・シフ氏に大変お世話になりました。我々はこの恩を決して忘れる事はないでしょう」

   ※   ※   ※

 1986年9月 アジア司教協議会連盟総会。白柳誠一大司教「私たち日本の司教は、日本人としても、日本の教会の一員としても、日本が第二次世界大戦中にもたらした悲劇について、神とアジア・太平洋地域の兄弟たちにゆるしを願うものであります。私たちは、この戦争にかかわったものとして、アジア・太平洋地域の2,000万を超える人々の死に責任を持っています。まさにこの世代の人々の生活や文化の上に今も痛々しい傷を残している……この真実を素直に認めて謝罪します」

 日本のキリスト教会は、天皇と日本の戦争責任を公式の場で認め、日本が行った全ての戦争犯罪に対して謝罪した。

 キリスト教会は、日本神話に基づく現人神・天皇の神性を侵略戦争を正当化する元凶であるとして否定している。

 マルクス主義者と共に、『古事記』や『日本書紀』に基づく日本民族の物語は、科学に証明できない偽史 であるとである否定している。そして、天皇とその一味の、日本を支配しようとする悪巧みを隠す為の陰険な謀略書であると証明した。

 人権派弁護士や反戦平和市民団体と共に、勤王の志士が祀られた靖国神社や護国神社などの各神社の祭典に政府や地方自治体が玉串料や献花を捧げる事は、平和憲法が定めた「政教分離の原則」と「信仰の自由」に違反するとして裁判を起こしている。

 キリスト教会とマルクス主義者は、日本の古来からの精神的支柱を破壊しようとしている。

 その日本破壊工作は、現在でも続けられている。

 1001年12月 日本のカトリックとプロテスタントの教会を代表する18名は、韓国を訪問して現地の教会の代表と共同で靖国参拝などを日本の右傾化として非難し、天皇の戦争責任を訴えた。

 日本国内のキリスト教会で、日本人神父よりも韓国人神父の活躍が増えている。

 新興宗教による霊感商法や性犯罪行為が急増して、社会問題化している。宗教家による犯罪が増えた為に、日本人の間で反宗教無神論が増えている。

   ・   ・   ・   

 キリスト教徒の教職員は、入学式や卒業式やスポーツ観戦などの全ての式典で、「日の丸」に向かい起立せず、「君が代」を斉唱しない事で処罰されるのは、思想・良心の自由を保証する憲法19条に違反すると訴えた。彼等は、国歌としての「君が代」と国旗としての「日の丸」を否定した。

 一部の学生と人権擁護団体や反戦平和市民団体は、日本が行った侵略戦争を命じた昭和天皇を告発する立場から、教職員達の「君が代」法廷闘争を支援した。

 東京地裁は、訴えを認め、「起立や伴奏を強制する都の指導は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」との判決を下した。式典で起立し斉唱を義務化する事は違憲であり、従わない事で処罰を受ける事は不当である」との判決を下した。

 原告は、「日の丸」と「君が代」は天皇を美化する国家神道につながるものであると事を認めた、「司法の良心」であると歓迎した。 

 

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