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今日ボクが見た風景

中国大陸における、終わる事のない悲惨な生き地獄 ②

Category: 日本国民の心得  
1931年 揚子江、准河及び大運河流域の16省で大水害。被災者8,000万人以上で、数百万人の難民が南京や上海に流入した。

 各革命政府及び軍閥の兵士は盗賊(兵匪)と同じで、貧しい無力な農民から女や食糧を奪い、抵抗すれば容赦なく殺しそして家を焼いた。

 三光作戦とは、屠城作戦や清野作戦と同様に、中国民族の伝統的正攻法である。中国大地は、血に塗られた地獄の様な土地であった。

 歴史的事実として、中国人は中国人を猟奇的に惨殺していた。

 何時の時代でも、中国の武官や軍人は戦場で残虐行為を行った為に、文官・知識人から人殺し集団として嫌われ、社会的身分・地位は低かった。

 支配者は、武官の反乱を恐れていた。

 極東アジアでは、文官は武官より身分が高く、文官は戦場へ出ない為に武官よりはるかに残忍である。役人は、一般庶民を知恵なき獣人としてあしらい、そして重税を課して全てを奪った。ゆえに、民衆は位の低い役人でも「官匪」として恐れた。

 中国の何れの政府も腐敗し、ワイロと横領が横行していた。貪官汚吏の横暴によって、人民は救い様のない地獄の生活を強いられ、悲惨の極地に断たされていた。

 中国人には自力による自浄能力はなかく、外的な衝撃のみが現状を改善する唯一の望みであった。

 同年9月 満州事変。日本軍は、中国兵士捕虜を信用して武装を取り上げて故郷へ帰したが、帰らない者や帰れない者は特種工人として強制連行し地域復興の為に鉄道や橋などの建設現場で、低賃金を払って使役した。

 戦後、この行為はジュネーブ条約(俘虜条約)違反の戦争犯罪とされ、多くの日本兵が戦犯として処分された。 

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 1932年 華北で大水害。水害の被害は、15省。旱魃の被害は、10省。蝗(イナゴ)害の被害は、10省。華中で冷害と旱魃。被災者は、合計で6,000万人以上。

 蒋介石は、被災地救済をよそに、共産軍討伐の為に100万人以上の兵士を強制動員し、巨額の戦費を調達する為に被災者からも厳しく税を徴収した。そして、被災者への救済にあてるべき物資を、戦争の勝利を優先して戦場へと送った。

 文官は武官より特権を持つだけに不正腐敗しやすく、塗炭の苦しみに喘ぐ農民から奪えるものは何でも奪った。

 国際的救済物資があったとしても、政府、軍、党の特権階級、中間部、下部組織の順に搾取されて、救済すべき被災者に行き渡る事はなかった。

 湖北省 の内戦では、35万人以上が殺され、350万人以上が家を失って流民化した。

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 1935年 黄河と揚子江で大洪水。14省で水害、11省で旱魃。被災者は数千万人。数百万人の女性や子供が、中国人人身売買業者の手で上海や香港などに売られた。

 戦後、日本軍の慰安婦狩りによる被害と認定された。

 1937年 華北で豪雨。

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 1937年6月 日本の衆議院。社会大衆党 書記長麻生久「北支経済工作に関して農民大衆の福祉を招来する如き方策を講ずる事が、この目的達成のため緊要である」

 近衛文麿首相「今後は、支那民衆の心を把握する事でなければ東洋平和の確立、ひいては日支両国の提携はできない。支那は農業国であるから支那農民と結び、農業の発展に我が国が手伝う事は極めて必要だ」

 当時の日本人は、現代の日本人以上に中国の実態を熟知していた為に、日本が中国の災禍から如何にして逃れるべきかを絶えず熟慮していた。

 松岡洋右 は、国際連盟総会で中国の本質を訴え、日本の自衛行為の正当性を主張した。

 だが、国際社会は日本の自衛権行使という説明を犯罪行為の隠蔽として却下した。

 欧米列強は、日本の如何なる行為も認めず、一方的に侵略行為として制裁を強化した。

 こうして、日本は破滅へと追い詰められていった。

 国際社会は、中国の全ての事を知っていた。なぜなら、抗日中国を各国政府と国際資本が全面支援していたからである。

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 1939年 朝鮮と西日本の旱魃により、米の収穫が激減した。

 華北は、それ以上の凶作となり、大量の飢餓民を出していた。

 日本軍は、華北の食糧不足を解消する為に、各地の地主・商人・政府役人・軍人など特権階級に食糧の買い占めを禁止した。従わない者に対しては軍事力を行使した為に、反日感情が高まり、日本人に憎しから親日派は激減した。

 彼等は、冷静に、事実を基に話して理解してくれる相手ではなかった。

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 国民政府は、日本以上の国家総動員法を公布し、ナチス・ドイツ並みのファシズム型総力戦体制を確立した。

 国際社会へは議会制民主主義の理念の下で個人の権利を保証すると宣伝しながら、その実体は、民主主義否定の三民主義 と儒教ナショナリズムで、個人の自由を認めず、言論・集会の自由を圧殺し、反国民党言論を容赦なく弾圧した。

 都市の論理で農村部を徹底的に搾取した為に、大規模な飢饉が発生して多くの餓死者を出してが、政府は身分賤しい農民を無慈悲に切り捨てた。

 農民は生きる為に中小地主らと各地で反乱を起こしたが、政府は大部隊を派遣して鎮圧し女子供に関係なく大虐殺を行った。ただし、生きる為に奴隷として隷属を誓い、金銭の為に平気で家族や仲間を売り渡す者は助けた。

 中国社会は、金とコネで全てが決まる、腐敗した人治社会である。

 人民は、腐敗した重慶政府を見限り、政争を繰り返し粛清を行っても清廉な中国共産党を支持し始めてた。

 藍衣社などの謀略機関は、蒋介石や旧華北財閥の政学派や浙江財閥や高級軍人らの手足となり、政敵を暗殺して財産を没収した。中国の平和を求め日中提携を主張する親日派を漢奸として暗殺し、日本との戦争に消極的な者を売国奴として家族や人民の前で苦しませながら惨殺した。中国人は、同胞がいたぶられながら殺されるのを見物して喜んでいた。

 世界には、抗日戦勝利の為に、農民を保護し農業生産の向上に務めていると宣伝した。

 連合国は、中国を同盟国と絶賛し、抗日戦線を支持した。

 佐藤亮一「『徹底的に復讐する』『口惜しかったら何故負けた』というしかない」(獄中記『北京収容所』)

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 1942年

河南省 で、大干ばつと蝗害が発生して大飢饉が発生した。農村は、匪賊や強盗が横行して無政府状態となっていた。

 支那派遣軍は、300万人以上の餓死者を出し、500百万人以上の飢餓難民が省外に流失する事に危機感を抱いた。日本軍は、占領地の飢餓民に軍糧を放出して救済し、食糧を保障し餓死者を出さなかった。

 飢餓難民が、食糧の乏しい解放区延安に移動して、貧弱な共産党政府に救済を求める事はありえなかった。

 重慶の国民党政府が、日本軍支配地の飢餓難民を救済する事はありえなかった。事実、政府高官や党幹部らは、暴利を得る為に,豊作で値崩れを起こしている四川省周辺の食糧を買い込んでいた。その為、食糧が豊富であるはずのな四川省は品薄となって、多くの貧民が餓死した。中国の権力者は、貧民を虫ケラの様にあしらい、貧民が死のうが、どうしようが関心はなかったのである。

 数百万人の飢餓難民が、黄河を下って1億人の飢餓民を抱える北京や天津へ移動すれば、華北が食糧不足で大混乱に陥る事は火を見るよりも明らかであった。

 華北で、数千万人に膨れ上がった飢餓難民が、満州に大移動したら、満州帝国は崩壊する恐れがあった。

 数百万人の飢餓難民が、豊かな揚子江流域に移動すれば、通過する地域は混乱し、住民を巻き込み、難民は雪だるま式に膨れ上がって南京や上海へと流れ込む意外になかった。

 何れの方向に移動しても、混乱は避けられず、全員を救済する事はできなかった。

 難民が、暴徒や匪賊となって食糧を暴力的に漁れば、日本軍占領地と親日派政府の領域の治安が崩壊して収拾できなくなる事は明らかであった。

 日本軍は、河南省の崩壊を食い止める為にも、数百万人の難民を省外に流失させない様に、省内での救済に全力をあげた。必要とされる食糧や医薬品などの軍需物資を、優先的に運び込んだ。その為に必要以上に軍事予算は膨らみ、海軍と壮絶な予算獲得交渉をおこなった。

 戦費不足に苦しむ東條内閣は、さらなる窮地に立たされた。

 抗日派中国人や反日派朝鮮人や反天皇派日本人は、この好機を見逃さず、各地で破壊工作や物資の略奪を行っていた。

 東條英機は、中国情勢を安定させる為に、極秘で中国共産党との関係改善に動いた。南京の汪兆銘は、協定違反であるとして激しく抗議した。

 だが、現地軍は中国共産党支配地の農民の協力を得て食糧等を購入していた。

 中国共産党は、ソ連と良好な関係にある日本軍との直接対決を避ける為に、日本軍と農民の関係を黙認した。

 延安の日本人共産主義者は、日本軍から脱走してきた日本人兵士を反天皇の革命闘士に洗脳して、破壊工作をさせる為に日本軍の後方に送り込んだ。反天皇の日本人は、反日派朝鮮人と協力して暗躍していた。彼等は、日本で暴力的共産主義革命を起こし、天皇制ファシズムや農村型軍国主義を打倒する事に情熱を抱いていた。戦後は、日本を破壊する為に帰国して活動を続け、反天皇感情を国民世論とするべく天皇の戦争責任を広めた。

 クリストファー・ソーン「中国では日本軍の手による一般大衆の直接被害は、1941年以降は37~39年に比べて少なくなったが、農作物と家畜の生産が1939年以降国民党支配地域で減少した。そして河南省では1942年の春、夏の収穫の深刻な減少ののち、農村に飢饉が広がった ─ あるアメリカ人の報告によれば、『政府や軍の農民に対する苛酷な圧制のため事態はいっそう悪化した。国民政府下の小都市でも、しばしば身の毛もよだつような情況が見られた。あるイギリスの現地機関員が1943年6月、広東省から次の様な報告をよせいている。餓死者の数は着実に増えている……通報者の目撃したところからすると、ある地域では一日平均すくなくとも100人にのぼるだろうという事である。彼は城外の村への短い道中の間に、放置されたままの死体を8体見たといっていた。×××××……』」

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 中国人は、恩義を感じないし、感謝もしない。

 儒教の徳目である避諱(ひき)は、真相を巧妙に隠蔽し、真実を永遠に闇の中に葬り、責任を相手に擦り付け為に嘘八百並べ立てる事を正当化している。

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 1942年 秋。

 華北は、戦争ではなく大旱魃が原因で農産物は凶作となった。更に、蝗(イナゴ)害の発生で深刻な食糧不足となり、農村部で多くの餓死者を出した。本格な冬が到来すると、栄養失調の上に厳しい寒気で凍死者が続出して、犠牲者の数はさらに増大する恐れが予想された。

 飢えと寒さの苦しみを知る当時の日本人にとって、看過できない恐怖であった。

 日本軍部にとっても、華北の崩壊を放置しては、中国戦線の破綻は火を見るよりも明らかである。その影響は、対米戦争にも深刻な影響を及ぼす恐れさえあった。

 河南省の被害は、国民政府が種もみまで根刮ぎ抗日戦用に強奪した為に甚大な数に上った。国民党軍は、被災者への救済を放棄し、地元民を衰弱しているにもかかわらず軍用工事に強制連行した。中国共産党は、人民を味方に引き入れるべく、被災民の救済に力を入れた。人民は、国民党への怨嗟の声をあげ、中国共産党を支持した。こうして、華北に解放区が拡大していった。

 農村からの都市への食糧供給が滞った為に、北京や天津などの都会でも餓死者が出始めた。

 農産物の価格は高騰し、43年5月には、1年前に比べて5倍以上に跳ね上がった。物資の供給も低迷し、諸物価も高騰した。貧困層はさらに困窮の度を深め、飢えた市民によって都市を中心に治安は悪化した。

 日本は、通貨価格の安定を大目標として、華北金融を聯銀券で一本化すると共に、物価の安定による物資供給の増加と食糧の増産に全力をあげた。

 日本軍部は、戦争継続の為に、政府に対して食糧などの戦略物資の増産増強を強要した。

 華北の大飢饉は、華中での食糧需給にも悪影響を出し始めた。

 日本軍は、物資輸入を増加させると共に、南方占領地に対して米、麦、塩、砂糖、食用油、錦糸布、石炭などの増産を強制した。その為にも、奥地の物産を揚子江下流地域に安定供給させる為に買付物価低価統制の見直しが求められた。

 日本陸軍は、南方穀倉地帯から被災地に食糧を輸送する為に、鉄道や道路の確保する為に延期していた打通作戦(一号作戦)を発動した。

 労働者不足に悩む現地軍は、犯罪行為と知りながら、大陸縦断の大輸送網の建設する為に各地で人狩り作戦・労工狩り作戦を強行した。これは、国際法違反と認定され、戦後に同作戦に従事した日本人は戦犯としれ処分された。

 東條内閣は、窮余の一策である「強制連行して奴隷的な重労働を強要する」という犯罪行為を誤魔化す為に、「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。この件は戦争犯罪として裁かれ、東條英機はA級戦犯として処刑された。

 日本軍は、非難され、抗議され、軽蔑され、感謝されず悪態をつかれようとも、「志」の赴くままに毅然として戦争を続けた。

 最大の難所が、ビルマからタイに抜ける泰緬鉄道である。軍部は、食糧等の陸上輸送網の要である泰緬鉄道を、如何なる犠牲を出そうとも開通させる為に暴力的に突貫工事を行った。華北の飢餓民約1億人を救済する為に、数万人の連合国兵士捕虜や地元民が犠牲になろうとも、非人道的に無視した。連合軍は、日本軍の意図を破壊する為に、抗日中国軍や東南アジアの対日武装組織の協力を得て陸上交通網を攻撃した。

 国際司法機関は、日本軍の泰緬鉄道建設は、如何なる理由があろうとも戦争犯罪であると裁定した。国際軍事法廷 は、泰緬鉄道建設に従事した日本人を戦争犯罪で有罪とした。そして、多くの日本人元兵士や親日派朝鮮人軍属が正規な弁護を受けられずに、BC級戦犯として処刑された。

 戦前の日本には、自己弁護も、自己主張も、一切許されていない。

 片岡正雄曹長「国敗れ つみ人となり 死ぬる身は 世界平和の杭となるなり」

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 河南と広東だけで、600万人以上が餓死したといわれ、ペスト、チフス、コレラなどの疫病などでの病死やその他の犠牲者を入れると、1,400万人以上の人々が被害にあったという。

 戦後。国際法廷は、疫病の発生は日本軍の生物兵器による残虐な犯行と認定し、生物兵器に関係した日本軍将校や技術者を有罪とした。

 オーストラリアなどは、日本軍の生物・化学兵器に対抗する事を名目として、ユダヤ人国際資本の財政支援とユダヤ人研究者の協力で生物・化学兵器の研究・開発に全力をあげていた。

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 『中国自然災害史』は、1912~49年の間で、大洪水は65回、被災人口は延べ3億人、死者430万人と報告している。当時の総人口は、分かっている範囲で約4億人とされている。

 1930~32年の3年間だけで1,000万人以上が餓死し、それ以降も毎年100万人単位の餓死者を出していた。被災者の多くは、幾らか安定していた、日本軍支配下の満州に移住した。

 戦後。それらの中国人は、日本軍に強制連行され、奴隷的重労働を強制されて死亡したと言われている。そして、満州にいた日本人官吏や日本軍人の多くが戦争犯罪者として有罪とされた。

 ソ連は、60万人以上(一説に100万人)の日本人を戦犯としてシベリアに連行し、奴隷的重労働を強制して6万人以上を死亡させた。国際赤十字は、その事実を知っていながら見殺しにした。日本の左翼・左派などのマルクス主義者は、反天皇の革命闘士に洗脳する為に必要な行為として歓迎した。

 37年までの8年間で、大きな自然災害が7回発生し、全人口の約4分の3が何らかなの被害を受けた。

 戦後。被害は、侵略戦争を行った日本軍の悪逆なる犯行であると認定された。

   ・   ・   ・  

 中国大陸は、古代から天災というより人災による生き地獄であった。

 紀元前206年から1936年までの2141年間における天災の総数は、5,150回以上あったと言われている。

 その原因は、自然破壊により人口過剰と食糧不足が社会秩序を崩壊させるからである。その被害は時代と共に拡大し、犠牲者数は増大した。

 中国人など東アジア人は、日本人と違って、自然環境を大事に守ろうという観念を持ていない。東アジアの自然は、何時の時代でも、中国人によって回復可能になるまで破壊し尽くされていた。

   ・   ・   ・  

 中国4000年の虐殺の歴史は、皇帝の権力に逆らう反逆者を絶対に許さない正統派儒教によって生み出された。

 民族的一貫性がない為に、正統派儒教は新しい皇帝に天命を失くした悪徳皇帝とその一味全員の大虐殺を承認した。そして、中国人でなくても中国の皇帝とした。中国皇帝の3分の2以上が、中国人ではない。

 敗者は悪人として容赦なく殺され、同胞を裏切り味方になった者は善人と賞賛され利用できる便利屋として助けられた。

 万世一系の男系天皇を戴く日本の歴史とは違い、中心を持たない中国の歴史は数千万人を虐殺した、世界一の「血塗られた虐殺の歴史」である。

 正統派儒教の道徳や仁・義・礼には、普遍的な人権も人道も無く、人間的な平等も公平も無く、社会的な自由も民主も無かった。

 道教の老子は、それゆえに儒教の孔子を嫌った。

 又、東アジア世界では、身分や出身に関係なく救われるという、インドから渡来した大乗仏教は根付かなかった。

 日本の神道は、土俗宗教の中に道教と大乗仏教の思想を取り入れて成立した。

 日本派儒教は、排他的な絶対性を追求する正統派儒教からみれば異端であった。

 古代から日本は、人を人とも思わない中国や朝鮮と関係を絶つ事に悪戦苦闘していた。

 ゆえに不寛容な絶対真理を信奉する中国人は、曖昧にして多種多様な価値観を同等に共有する日本人以上に、権力者の偏狂的プロパガンダを無条件に受け入れた。

 日本人は外圧に弱かったが、中国人ら東アジア人は洗脳されやすかった。

 中国社会は、人治社会として、法治社会の日本と違って実力者・権力者の鶴の一声で全てが決定した。正統派儒教は、その為の教養であった。

 呉佩孚「中国はシステムが存在しない国家だ。無政府状態と反逆がはびこっている。指導者を裏切る事など全く朝飯前だ。これが今日の中国全土に広がる混沌の根本的な原因である。下っ端共は指導者を裏切って取って代る事ばかり考えている。だから、無秩序が際限なく拡大し続けるのだ」

   ※   ※   ※

 東アジア人は、人間不信ゆえに「お人好し」の日本人の様に心から感謝はしないし謝罪もしない。

 むしら、救済する相手の心の裏を読む。キリスト教会は、異教徒を改宗させ、改宗者を離さない為である、と。

 白人ボランティアは、貧しい者を助けるという自己満足の為であり、有色人種に対しては人種の優越感の為である、と。

 特に、中国ア人は、謀略を教養の第一として人の心を読む事に優れていた。

 では、日本人はなぜ中国人を助けたのか。

 中国人は、日本人は、歴史的に中国人の無限に近い底力を「恐れている」と分析した。

 ゆえに、日本人に感謝をしない。

 それ以上に、反日運動を激化させて日本人により多くの恐怖心を与えようとしたのである。恐怖の為に暴行・強姦はおろか殺人を行い、威嚇の為に暴動を起こして放火や略奪の行った。

 日本軍は、内戦を終結させ、農民救済を第一とし、台湾・朝鮮・満州同様の国土開発により前近代化的な農村の自給自足生活を近代化すべくインフラ建設に全力を挙げ、神道的な農法と植林を反発を恐れず排他的保守的中国人農民に強制した。

 この強制が、中国人の反日感情を激昂させた。

 極東アジアでは、被災者に情をかけるのは弱者か詐欺師であり、強者は被災者を嘲笑いながら「恵んでやり」そして軽蔑しながら下働きさせるものである。

 ギネスブックは、「人類史上最大の大量殺人」として、1949~65年における中国共産党政権下での6,376万4,000人の虐殺を記録している。

 フランスの『共産主義黒書』は、7,200万人。

 ニューヨーク・タイムズは、6,500万人。

 ワシントン・ポストは、8,000万人。

 香港の『争鳴』は、中国共産党内部資料として7,894万8,000人。

 曹長青「我々中国人は虚言の世界で生きている。習慣的な嘘は我々中国人の生命方式であり、唯一の言語だ。このような虚言の世界では、虚言の感覚すら失われて嘘が『真実』として受け止められ、歴史さえも勝手に操作され、現実も創り上げられてしまう。中共は虚言の機械であり、億万の中国人の心をダメにした」

    ・   ・   ・

 中国史とは、中国人同士の大虐殺の歴史である。

 中国人の逞しさとは、そうした惨殺の中を生き抜いてきたからである。

 古代の気の弱い日本人は、「他人を騙し殺して生きる」という熾烈な実力至上主義の競争社会を嫌って、大陸を逃げ出したのである。

 くよくよ考えてすぐ諦める淡泊な日本人は、何事にも挫けず前向きに強引に生きる中国人の旺盛なバイタリティーにはかなわない。

 日本人は、すぐ罪を認めて謝罪し、誤解を解く為に低姿勢となって弁解し、わずかな恩義に感謝する。そして、馬鹿正直に恩義を返そうとする。

 中国人は、謝罪しないし、弁解しないし、当然の事ながら感謝もしない。当然、恩義など屁とも思わない。

   ※   ※   ※  

『読売新聞』(2010年7月16日)「中国10年後 嫁不足2,400万人 伝統的な男尊女卑の考え方が依然根強い上、『一人っ子政策』のため、出産前に性別を鑑定し女子なら堕胎するという違法行為が横行していることが男女比不均衡の原因だ。男性の結婚難を背景に、女性を誘拐して売り飛ばすなどの犯罪行為が増えており、浙江省では、既婚女性の省外出身者20万人中3万6,000人が誘拐の被害者とわかったという」

 儒教は、女性を人と認めていない。

 よって、中国を含む東アジア社会では女性は男の私的奴隷とされ、品物として売ろうと、気分で殺害しようとも、非人道的行為として罪に囚われる事がない。

 「女性は決して守られない」というのが、儒教価値観の東アジア世界の常識である。

 女性が強い様に見えても、それは見せ掛けにすぎない。

 神代から受け継がれた日本の常識は、古代から続く東アジアの常識とは正反対である。

 だが、現代日本は、東アジア共同体構想から東アジアの常識を日本に移植しようとしている。

 現代日本は、親中国派日本人によって急速に中国化しようとしている。移民推進派は、少子化による労働不足問題を解消する為に、彼等を大量に日本に移住させるべきだと主張している。

 日本は、観光立国構想から、中産階級に属する中国人の入国制限を緩和した。一部の治安関係者は、中国人犯罪者による兇悪犯罪が増加すると警告した。

 有識者は、日本の国際化の為には多少の犯罪はやむを得ない「必要悪」と説明した。

 中国は、世界一、犯罪が多い地帯である。ゆえに、そこに生きる中国人は世界一「個」性が強い民族である。

 現代中国の直面する、真の恐怖とは。20~30年後、世界最悪の「少子高齢化社会」となり、賃金の高騰と労働条件の改善によって経済は低迷して崩壊するという事である。

 だが、現代のみを見て生きるおおらかな中国人にとって、自分が味わう事のない将来の惨事には関心がなかった。

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