FC2ブログ

今日ボクが見た風景

中国大陸における、終わる事のない悲惨な生き地獄 ①

Category: 日本国民の心得  
歴史的に見て、日本の安定と発展は中国・朝鮮と友好関係を遮断し、国交を断絶していた時期のみであった。

 日本の平和は、中国・朝鮮からなる東アジア共同体を拒絶した事によって得られたものである。

 明治期までの日本人は、漢学に対する造詣が深かった為に、日本一国の平和を守るべく中国との国交を再開しても深入りはしなかった。

 朝鮮のみは、日本を侵略しようとする外敵に内通する信義なき国と見なし、日本の安全を守る為に併合して支配した。

 欧米文化至上主義の現代日本は、漢学の素養が絶無なだけに、架空に近い時代劇には興味があっても、事実に即した歴史を理解する能力は乏しい。

 日本人が好きなのは、時代劇であって、歴史劇ではない。

 その意味において、日本人は自国の国史(万世一系の男系天皇史)に愛着を持っていない。

 欧米偏愛主義者は、国史を文明なき未開人の歴史として毛嫌いしている。彼等は、自分を欧米人に擬え、欧米人の真似をする為に、欧米の歴史には異常なまでの興味を示している。

 高校の歴史では、国際人の育成を目的として世界史を必修とし、日本史は選択とされている。

 その日本史さえ、国際主義の嫌日的日本人によって歪曲され改竄されている。

 アジア主義 の反日的日本人は、日本を貶める為に歴史的事実を無視し、中国や朝鮮を虚構的に粉飾して美化している。

   ※   ※   ※

 トマス・ホッブス「(自然状態)絶えざる恐怖と、暴力による死の危険がある。そこでは人間の生活は孤独で貧しく、汚らしく、残忍で、しかも短い」「自分達全てを畏怖させるような共通の権力がないあいだは、人間は戦争と呼ばれる状態、各人の各人による戦争状態にある」『リヴァイアサン』

   ※   ※   ※

*、正統派儒教による人災地獄。

 曹操「我、人に背くとも、人、我に背かせじ」

   ・   ・   ・   

 東アジア世界を軍事力で支配した中国(中華)文明とは、正統派儒教で「人」を信仰(人間中心主義)して、人の幸福の為に自然を破壊し資源を略奪する事で富栄えた搾取型世界文明である。

 そこには、日本文明の神道的「神」信仰も相互補完の共生による森と共に生きる植林思想もない。

 中国の歴代王朝は、一君独裁体制のもとで、周辺諸国への侵略・膨張を続ける間は繁栄した。平和を望んで侵略・膨張を止めた時から衰退し、貧富の格差による内部の不満が爆発して滅亡した。

 中国は、他者を滅ぼし躍動し続けるかぎり安定した発展が維持できた。

 「静」的守備型の日本社会とは、正反対の「動」的攻撃型社会である。

 数千年に渡り自然を破壊してきた為に、毎年どこかで天災が起きて甚大な被害を出していた。

 排他的自己中心の民族性から、自分一人のみが生き残る事を最優先とした。貧しい被災者の救済を考えなかった為に、天災は人災となって数多くの犠牲者を出した。

 「何時の時代でも。被災者を救済して人気を博す者は、将来かならず反逆者となり謀叛や反乱を起こす危険があるとして、殺された」

   ・   ・   ・

 中国皇帝一人のみを守る正統派儒教は、貧しい者の救済を使命とする仏教やキリスト教そしてイスラム教などの宗教勢力を社会悪の権化として迫害した。特に、仏教は古くから貧しい人々の間に広まり、皇帝より仏を信じ仏に救いを求めるよう説いた事で反体制派宗教であるとされて大弾圧された。

 中国思想には、人を中心とする上下関係の「仁」「義」「礼」はあっても、貧しい者や身分低い者を分け隔てなく接するという「慈悲」と「平等」「公平」の公理はない。ましてや、他人を思いやる神仏中心の「情」「理」は皆無であった。

 つまり、「宗教は人を惑わして社会を混乱させ、神や仏は人を騙して社会を破壊する元凶である」と否定されたのである。

   ・   ・   ・

 極東アジアにおいては、自分一人に富と幸福をもたらす神は大事にされたが、利益をもたらさない神は無能な神として切り捨てた。自分だけではなく、他人に利益をもたらし幸福にし、社会全体を助け平安をもたらす神は有害な神として唾棄した。

 そして、「生命執着願望」という「生愛」信仰から、他人を殺し、どんな汚い事をしても自分だけは生き残ろうとした。

 彼らには、他人に迷惑をかけても自責の念はない。

 そこには、人としての「良心」は存在しない。

 日本の神と極東アジアの神は、正反対の異質な神である。

 だが、現代日本の神は極東アジアの神と同質といってもいいような神となりつつある。

   ・   ・   ・

 中国は、長年の自然破壊によって洪水、旱魃 、害虫、疫病が頻発し、いつ終息するともわからない内戦で耕作地は荒廃して、労働力不足から食糧生産が減少し、毎年数百万人が餓死していた。

 異民族の侵略者はもちろん同じ中国民族の征服者であっても、勝利者は占領地で反乱の芽を摘む為に無慈悲な大虐殺と略奪を当然の権利として行った。大虐殺と略奪を平然と行う冷酷な支配者には恐怖し、生きる為には仕方がないと諦めて無条件に従った。

 「面子」を重んずる中国人は、他人と平等に扱われるの事を侮辱と判断し、他人以上の待遇を得られなければ内戦を引き起こした。

 大陸国中国の3000年の歴史とは、こうした天災と戦乱による悲惨な怨念史である。

 一度も異民族に侵略された事も無く、異民族の大虐殺も略奪も受けた事のない、島国日本では理解出来ない事である。

 当然、両者には相互理解などできるわけがないし、共通の歴史観などは幻想である。

   ※   ※   ※

 1920年 安徽派と直隷派との安直戦争。11省連盟と8省連盟との直皖戦争(20年7月政変)。

 1922年 直隷派と奉天派との第一次奉直戦争。

 1924年 第二次奉直戦争。

 各軍閥は、欧米列国の財政支援を受けながらも、戦費調達の為に大地主や資本家らと結託して農民や労働者に数年先までの重税を課した。そして、上海や香港さらには東南アジアでの、アヘンの密売と女性や子供の人身売買で暴利を得ていた。

 軍閥戦争や匪賊・盗賊の横行で、社会秩序は崩壊していた。

 中国人は、生きる為にあらん限りの知恵を絞り、他人と助け合いあい・分け合うのではなく、他人を蹴落として如何により多くの物を奪うかをうかがった。彼等は、その為に『三国志』や『孫子』など多くの書籍を謀略の手引きとして読み、盗賊団の『水滸伝』を最も愛読した。

 1926年 国民党は、ソ連から大量の武器弾薬をアメリカのユダヤ金融資本から莫大な軍資金を得て北伐を開始した。

 西安攻城戦では、一般人を含む10万人以上を餓死させた。入城後は、3っ日間、強奪、殺人、強姦の自由を与えた。中国人兵士は、城内で好き放題に振る舞った。その犠牲者は、数十万人に達した。

 中国共産党は、各地でイギリスと日本に対する暴動を起こし、多くの外人を殺害した。

 参謀本部の松井石根 第二部長は、日本人居留民保護の為に、イギリス軍との共同歩調を希望した。幣原喜重郎 外相は、非暴力・無抵抗主義から、日本人居留民の安全確保は中国当局に任せて、内政不干渉政策のもと、イギリス軍との共同歩調に反対した。

 イギリスは、日本がイギリス人居留民を人身御供にして、中国市場での経済的利潤を独占しようとしていると分析した。

 アメリカ国務省 は、政治的な日本との友好よりも、経済的な中国よりの政策を採用した。

キリスト教会も、中国での布教活動に力を入れた。  

   ・   ・   ・

 ロジュ・マルタン・デュガール「世界の運命を暴力によって蹂躙させないたった一つの方法は、自分自身、あらゆる暴力を肯定しない事にある」(『チボー家の人々』)

 古代ローマ人「恐怖は、私の心から、あらゆる思慮分別を追い払ってしまう」

 1927年1月 幣原喜重郎外相は、議会で、中国の主権及び領土保全を尊重するとの外交方針を説明した。日本政府は、4億人の市場を持つ中国との友好を第一義とした。

 3月24日 第一次南京事件。非暴力・無抵抗に徹した日本人居留民と日本軍兵士は、中国暴徒の襲撃にあって、多くの被害者を出した。 

 外務省記録「死者。日本人1人。イギリス人2人。アメリカ人1人。イタリア人1人。フランス人1人。デンマーク人1人」

 アメリカとイギリスは、自国民保護の為に報復攻撃を加えて、中国人多数を見境なく殺害した。

 日本政府は、非暴力・無抵抗主義から、中国政府に話し合いで居留民保護を約束させた。日本軍は、外務省の「外交の大権」を尊重して現地部隊に独断専行を厳しく禁じた。

 ラマルチーヌ「如何なる犠牲においても 平和を」

 中国共産党が組織した排日運動は、上海や漢口や広州など各都市でも発生した。中国人暴徒は、抵抗しない日本人居留民を襲撃し、暴行を加え、略奪し、強姦し、殺害した。日本への挑発的暴動は、中国全土に拡大していった。

 日本政府は、内政不干渉の方針から幾人被害を受けようとも、冷静な行動を取るとして軍事行動を控え、中国政府の約束に期待した。

 アレクサンドロス大王「運のなさを悔やむ方を選びたい」

 キケロ「最も正しい戦争よりも、最も不正なる平和をとらん」

 中国政府は、日本との約束を守る気はなかったし、誠意ある行動もとる気もなかった。それどころか、抗日運動を煽り、そして支援していた。

 日本軍部は、日本人居留民の被害が拡大しても、見殺しにする様に動こうとしない政党政府に不満を抱き、大陸での日本人保護の為に暴走を開始した。

 田中義一 は、首相になり、外相を兼務して、中国人の日本人排斥運動から日本人居留民を保護する為に、山東出兵を命じた。これが、悪名高い「田中メモランダム」である。

 国際社会は、日本の弁明を無視し、日本を侵略戦争を行う犯罪国家として非難した。

 中国共産党は、ソ連の指示で日本への挑発行為を激化させていた。日本人共産主義者も、この策略に協力していた。

 毛沢東「権力は、銃口から生まれる」

   ・   ・   ・

 華中で大洪水。被災者900万人以上。餓死及び病死300万~600万人。

 災害が発生するや、その後、かならず餓死や病死が続出した。

 中国にはコレラ、赤痢、腸チフス、パラチフス、結核、マラリアなどの致死的伝染性病原菌が数多く存在し、災害が起きるやインフルエンザや風邪などのウイルス性感染症とともに感染地域を拡大させて多数の犠牲者を出した。

 伝統的略奪型社会ゆえに、日本の様な病的な衛生観念はなく、強者の支配者には弱者の被災者を助ける気はさらさらなかった。

 災害が発生するや、中国は細菌兵器を使用した如く地獄の様な惨憺たる惨状になった。

 侵略した日本軍は、抗日中国軍への攻撃よりも、猛威を振るう風土病への防疫対策を急いだ。

   ・   ・   ・

 1928年 華北八省で大旱魃。被災者3,000万人。

 1929年 華中水害で、被災者8,000万人。数千万人が上海や広州など華南と山東省へ流出し、毎年数十万人が中国を捨てて満州へ移住した。

 1929~30年 西北大飢饉。河北省水害。陜西省干害。被災者3,000万人以上。餓死者900~1,000万人。陜西省だけで、100万人以上の婦女子を含む200万人以上が流民となり、70万人以上の女性や子供が中国人人身売買業者によって奴隷(性の奴隷)として売られた。

 父権を絶対視する正統派儒教は、女性や子供の人権を一切認めず単に男・夫。父親の道具としか認識されていなかった。中国では、人身売買はアヘンの密売と同じく普通におこなわれていた、重要な産業であった。

 中国には、歴史的事実よして、人道は存在しない。

 日本政府は、23年の関東大震災のおりに、清朝最後の皇帝溥儀と北洋軍閥の段祺瑞北京政府から受けた支援を恩義として忘れず、「人道」の見地から二つの調査団を派遣した。たとえ、現在の国家や政府が反日的侮日的であっても、民衆には罪はないと割り切り、無償で被災民の救済に乗り出した。

 戦前の日本人は、「敵に塩を送る」事を武士道的美徳とし、「罪を憎んで、人を憎まず」の天皇神話を信仰していた。

 キリスト教諸団体は、大災害や戦争を布教の好機として救済活動に乗り出していた。宣教師らは、被災地で人が命を失うのは唯一絶対神の「愛」を信じない事に対する神の審判であると糾弾し、被災民達に貧困や困窮から抜け出すには伝統的民俗宗教や土着的自然宗教 を捨て普遍的教義を信仰する事だと諭した。キリスト教会は、天皇制度国家日本の救済活動には侵略意図ありとして反天皇的宣伝をおこなった。

 日本は、隣国として、被災民を助ける為に優秀な医師や看護婦達を被災地に派遣した。

 中国人の指導者は、被災した同胞が幾ら餓死しようともコレラやペストで病死しようとも気にはしなかった。

 戦後、この疫病は日本軍の細菌兵器による犯罪と認定された。

   ・   ・   ・

 中国人は、相手の下心を深読みして、決して本心から感謝しない。

 白人の慈善行為は、身勝手な自己満足にすぎないと軽蔑していた。世界の支配者を自認する恵まれた白人が、道楽的に被災民に義援金や食糧などの救援物資を恵んで、勝手に溜飲を下げているだけであると。ゆえに、表面的に感謝し、彼等の下心を燻る様な心にないおべっかを並べ立て、取れるだけの物を奪い取ればよいと。

 キリスト教会の救済行為は、信仰を広げようとする賤しい布教行為と嘲笑っていた。ゆえに、神の愛に目覚めた振りをし、関係のない原罪を悔い改めた振りをし、改宗する振りをして、得られるだけの支援物資をかすめ取った。

 では、日本の支援行為は、………

 東アジア人の極一部は、恩義に心から素直に感謝し、恩義を返そうとする。

 だが、大半の者はその逆である。

 恩義を受けて口で綺麗事をいって感謝するが、心の中では「お人好し」を嘲笑い、受けた恩義を返そうという気はない。

 春秋戦国時代 。越王句践は、隣国の呉を滅ぼす為に、軍師范蠡の献策を採用して凶作と偽って食糧支援を求めた。呉王夫差 は、大国の君主として人徳を見せるべく、越の国民を救済する為に無償で食糧を送った。呉の重臣である伍子胥 は、越は呉を滅ぼそうとする油断できない敵であると諌言した為に、主君の不興を買って自決を命じられた。夫差は、国の将来を憂えた伍子胥の屍体を長江に捨てる様に命じた。越は、呉王の恩に感謝して収穫した稲を献上した。呉は、その米を蒔いたが実る事がなく凶作に見舞われた。原因は、越が稲を煮て返したからであった。そして、大国呉は小国越によって滅ぼされた。分別・道理が理解できない君主を持った国は、大国といえどもいとも簡単に滅びた。

 「呉越同舟」という逸話の真意は、仇敵同士でも話し合えば和解できるという美談ではなく、馬鹿正直に相手を信ずると身の破滅につながるという戒めである。

 日本人の能力では、中国の逸話の真実が理解できない。その無能さは、漢籍 の読解力のない現代日本で最悪なほどに目立ち、その理解力のなさはさらに悪化し、大人としての分別や道理のなさもさらに進んで幼稚化している。 

   ・   ・   ・

 1930年7月 中原大戦。蒋介石軍60万人以上対反蒋介石軍70万人以上。中立、張学良軍20万人以上。

 各軍は、強制連行した数十万人の苦力(クーリー)、数多くの従軍慰安婦(性の奴隷)、日常品は勿論武器やアヘンなどを扱ういかがわしい商人を多数抱えて行軍していた。彼等は、イナゴの様に食糧等を暴力的に現地で調達していた。気の荒い盗賊の様な兵士は、駐屯地周囲の地元民から強奪し、抵抗すれば容赦なく虐殺した。

 戦場となった地元民は、強盗の様な軍閥軍兵士を兵匪と毛嫌いしたが、それ以上に見境なく虐殺する乞食の様な中国共産党員を共匪 と恐れた。

 上海や香港の秘密結社は、不法行為で暴利を得る為に、内戦を拡大させるべく両陣営を煽り立てた。

 中国は、法秩序を失い、約2,000万人の匪賊などが横行する無法地帯となっていた。

 中国社会は、「勝って生き残る」か「負けて死ぬ」かの二者択一の実力主義社会、能力至上主義社会である。

 「生きる事」を選んだ中国人は、金銭を第一とし、損得勘定で行動する為に貧しく弱い被災者を救済する気はなかった。

 人望があった汪兆銘 ら穏健派は、飢餓と疫病に苦しむ民衆を救済するべく北京で反蒋介石の国民政府を組織するが、理論のみで軍事力を持たない為に参加者は少なかった。

 武力を持たない者の正論は、負け犬の遠吠えとして誰からも支持されず、逆に社会を混乱させるだけの有害無益な存在であった。非暴力・無抵抗や人道などは、犬の糞ほどの価値もなかった。それを真に受けるのは、無能な日本人だけであった。

 中華民国最大の内戦である中原大戦は、買収された張学良軍が味方した蒋介石軍の大勝利で終結した。

 戦死者は、蒋介石軍9万人以上、反蒋介石軍30万人以上であった。戦災による庶民の被害者数は、両軍の戦死者の合計以上といわれている。

 勝利者は、戦闘終了後兵士に対し褒美として、3日間支配地で略奪、強姦、殺人、放火の自由を与えた。

 軍資金や物資な乏しい中国では、味方であっても負傷者の治療はせず、敵兵への治療はなおさらしなかった。

 敗走兵は匪賊として集団となって村や町を襲撃し、略奪して戦闘力を軍閥に売り込んだ。集団に入れなかった敗残兵は、盗賊と見なされて民衆に猟奇的に惨殺された。

 「弱い者」は生きる資格がない社会であり、他人の助けが得られない以上は「個」人として強く生き抜くしかない社会である、ゆえに、他人をけっして信用しないのが当たり前の社会であり、他人をむやみに信用するのは無能な馬鹿の証拠とされた。

 捕虜収容所は全くなく、食糧や医薬品は貴重品の為に、捕虜は死ぬまで苦力として酷使するか、あるい味方の兵士として採用してかっての戦友を殺させるか、その場で猟奇的手段で惨殺した。

 敵を殺して生きるか、敵に殺されるか、その二者しか選択はなかった。

 日本の軍事力は、中国の総軍事力に比べてはるかに弱小であり、その装備も中国軍に劣っていた。日本軍の装備は、国際的な軍縮要請を受けた国会での軍事費削減攻勢にあって、日露戦争からそれほど近代化されていなかった。

  ・   ・   ・

 1930年、河南大戦。死者は12万人に達し、負傷者は1万9,500人以上、省外へ逃亡した戦争難民118万5,000人以上。軍に拉致され、軍役を強いられた者は129万7,700人以上。

 1912年の中華民国建国から33年までの22年間だけで、内戦は700回を超えた。

 7年間の国民党内戦で、死傷者は3,000万人以上といわれる。

   ・   ・   ・

 共産党は、華中・華南に15のソビエト地区を作り地主階級の土地を没収して貧農に分配する事で人民の支持を得た。

 紅軍兵士が無教養の貧民出身や犯罪者や流民の為に、略奪や殺人などの暴虐が目立った為に「赤匪軍」と恐れられた。

 1931年11月 江西省 の瑞金に、一党独裁体制の中華ソヴィエト共和国臨時政府が樹立された。

 死の恐怖政治を行い、反共産主義者18万6,000人以上を虐殺し、210万人以上の住民を追放した。共産主義政権の多くは、「人民の名」において反対派を大粛清し、反共産主義者や民族主義者や宗教関係者を大虐殺した。

 人民の敵とされた者から没収した資産は、特権を利用した共産党幹部が大半を横領し、ごくわずか金が「絶対平等」の原則として兵士らに均等に配られた。

 共産党幹部による横領は、日常茶飯事的に行われていた。

 貧しい兵士は、凶暴化して、共産主義の大義を振り回して地元民から金品や食糧を暴力的に奪った。

 匪賊・兵匪・官匪の中で、貧しい共匪がもっとも恐れられた。無力な人民は、生きる為に、容赦なく奪いさる赤匪に逆らうことなく従った。

 共産党政権は、各地で発生している数百万人の被災民を救済するより、国民党支配地を混乱させ暴動を誘発させる為に敵陣営へと追いやった。中国の戦術は、食い詰めた貧しい人民を暴徒化して敵軍にけしかける事を、常套手段としていた。

 それゆえに、中国では天災は人災により戦災へと発展した。

 そこには、「情において忍びない」という日本的やさしさ(弱さ)は存在しない。

 だが、人民からの支持を得けられず敗走(長征)した経験を生かして、人民の支持を得る為に闘争方針を変更した。

    ・  ・   ・

 

関連記事

Comments

« »

07 2020
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
NASA Visible Earth
Web page translation
Flag Counter
free counters
xxx
全記事表示リンク