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渡来人による大乱 = 縄文・弥生

Category: 日本国民の心得  
サミュエル・ハンチントン 『文明の衝突と21世紀の日本』

「文化と文明の観点からすると、日本は孤立した国家である。……他のすべての主要な文明には、複数の国が含まれる。日本が特異なのは、日本文明が日本という国と一致していることである」(P.45~46)

「日本は、なんらかの危機に見舞われた場合、日本に文化的なアイディンティティを感じると言う理由で、他の国が結集して支援してくれることを当てにできない。……日本は他の社会に家族を持たない文明である。……他の社会は、アメリカを含めて、日本にたいして家族的な義務を負っていないのである」P.48~49)

「政治学者のルシアン・パイによると、中国は『一つの国を装っている文明』である。日本の場合は、国すなわち文明である。しかし、大部分の文明は二つ以上の政治的な単位をかかえている。近代の世界では、ほとんどの文明に二つ以上の国家が含まれている」

 グロータース「日本では、日本国民は日本語を話し、伝統的な日本文化を有する日本民族に属する。この日本国民、日本語、日本文化、日本民族の四つの要素は、完全にその範囲が一致する」(ベルギー人神父)

   ※   ※   ※

*縄文の「棲み分け」による原始生活。

 *NHKスペシャル「『日本人はるかな旅』⑤そして、日本人が生まれた」(『日本人』プロジェクト編)

・九州北部地方 ……縄文系 10%、渡来系 90% 

・中国・近畿地方……縄文系 19%、渡来系 81% 

・関東地方   ……縄文系 28%、渡来系 72% 

・東北南部地方 ……縄文系 15%、渡来系 85% 

 全国的に、縄文人1に対して渡来人2~3といわれている。

 生粋の日本人といえるのは、縄文人だけである。渡来人は、当然の事ながら日本人ではない。

 日本の人口で、原日本人である縄文人よりも、非日本人である渡来人の方が圧倒的に多かった。

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 縄文前期の日本人口は約11万人で、後期では約161万人に急増したといわれている。

 1万2000年前から2300年前までの縄文人は、閉鎖的狭い土地で争いを起こさない様に山や森、平野や川、湖や海に棲み分けをし、必要な物資を交換して生活していた。

 島国の日本は、東アジア地域から孤立した閉鎖地帯として、逃げ出せないムラ社会だけに、限られた極わずかな収穫物を欲張らずにみんなで公平に分け合った。

 縄文文化とは、自然環境の変化に素直に順応する、穏やかな補完共生の農耕漁撈文化である。

 農耕漁労民族の相手が、太刀打ちできない地球の自然である為に、自分達が今やらねばならない努力は死ぬ気で果たした。やるだけの事をやった後は、人間の努力ではどうにもならない気候の変化は運命・宿命・定めとして諦めて従った。

 大陸国の欧米や中国・朝鮮は、無限に近い開放地帯として、堅固な城塞に守られた都市社会を形成していた。狩猟牧畜民である彼等は、好きな所に出かけ、自由に獲物を狩って食べるという弱肉強食文化を打ち立てた。支配者である指導者・強者・勝利者は、獲物を独占した。弱者である使用人や手下は、差別されておこぼれに預かって細々と生活していた。

 貧しい弱者は、多くの獲物を獲得すれば、支配者からのおこぼれが多少ふえる為に、残忍なほどに凶暴化して破壊を繰り返した。

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 日本・揚子江領域・東南アジアは、水分の多いモンスーン地帯にあって、働けば働くほど収穫量も増加するという豊潤な大地を有していた。そこに生活する人々は、米と魚介類を主食としていた。

 食糧生産に労働集約度が高ければ、増加した人口を養うことができた。農業生産性が高ければ、農作業用奴隷は要らないし、食糧略奪の戦争も少なかった。

 アルプス以北のヨーロッパ、砂漠地帯の中東、黄河流域の中国などの諸地域は、雨量が少なく乾燥して農産物の生産性が低いだけに、家畜と小麦を主食としていた。

 生活必需品や食料を確保する為に、耕作面積を拡大するべく周辺諸地域を侵略した。

 農地を略奪し、征服した先住民に一切の教育を与えず無学な単純労働者(農業従事者)としての農業奴隷(農奴)とした。

 生産性の低い土地では、労働集約ではなく資本(土地と資金)集約的社会となり、重労働を必要とする農業は最下等階級の仕事と軽蔑した。

 ゆえに、ヨーロッパ、中東、東アジアでは富を求める戦争は絶えず、人を人と認めない奴隷制の為に他人種他民族への差別や虐殺は必然であった。

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 大量の水(栄養素)と森林(緑)と太陽光(熱)を必要とする米は、一粒で百倍の収穫があった。

 小麦は、荒れた土地でも少量の水分で発芽し手間を掛ける必要がない分だけ、一粒で十倍しか収穫できなかった。

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 架空の天皇神話に生きる日本は、稲作による農業を国の本と定め、自然の一部として生きる運命共同体社会を形成した。人々は、神々の助けを得て、神々と共に泥に塗れ汗水たらして農産物を生産する重労働を美徳とした。

 労働集約型社会とは、全員参加がとの社会であり、階級・身分の拘束力は弱かった。

 現実に生きる合理主義の大陸は、家畜の様に地に這いつくばる過度な労働集約型農業社会を嫌悪し、狩猟などの娯楽を楽しめる牧歌な理想社会を人工に建設した。こうして、労働の少ない資本投資型農業が世界の主流となった。

 全てを独占する少数の支配者・上流階級と搾取される多数の被支配者・下層階級という、超える事の出来ない、排他的な二極化社会が大陸で生み出された。 

 大陸諸国は、例外なく、宗教的に「農耕を神の罰」と軽蔑していた。

 高レベルの教養を持った上流階級は、汚らしく泥に塗れた農作業を奴隷や下層階級に押し付け、収穫を搾取してゴージャスな生活を満喫していた。

 そのゴージャスな生活を維持する為に、広大な農地と大量の奴隷を確保する必要から侵略戦争を繰り返していた。同時に、洗練された高度な文明が世界各地にもたらされた。

 キケロ「汝は生きる為に食うべきで、食う為に生きるべきでない」

 キリスト教は、砂漠の遊牧民族ユダヤ人の民族宗教ユダヤ教から生まれた為に、「人はパンのみにて生くる者ににあらず」として非労働の信仰を優先した。 

 ユダヤ教は、絶対神から与えられた特権として「営利欲求」を肯定していた。異教徒に高額の利子で金を貸し、返済なくば相手の全ての財産を容赦なく奪った。

 ユダヤ人の富裕者は、異教徒の男女を奴隷として所有し、彼等に羊や山羊の管理と農作業の生産を命じ、利益を独占して使い切れない資産を蓄積した。

 ユダヤ人は、手に入れた資産では満足できず、さらに多くの資産を他人よりも先に増やす事に知恵を絞った。資産を増やして成功するのが、ユダヤ人の叡智である。

 佐藤唯行「ユダヤ教では、人間の営利欲求は神が創り出したよきものと考えたのです」(『雑学 日本人が知らない!ユダヤ人の秘密』P.138 PHP研究所)

 ゆえに、イエス・キリストは利益至上主義のユダヤ人金貸しを罵倒した。

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*弥生の大乱(146年~189年)。

 弥生に入るや、大陸や半島での動乱で逃亡した鉄器を持った弥生人(朝鮮系渡来人の祖)が、未開の日本に逃げ込んできた。

 西方系アジア人難民が大量に流れ込み、日本の人口は600万人以上に膨れ上がった。

 中国や朝鮮の東アジア人は、自然を破壊して、天然資源を食い潰し、残りの資源を奪い合う為に鉄を武器として使用した。

 生存競争に負けた敗者は、日本に逃げ込み環濠集落や高地性集落を作り、さらに戦いを続けた。

 最初。縄文人達は、命辛々逃げ来てか渡来人を温かく迎え入れた。渡来人らが始めた、弥生の大乱に巻き込まれて多数が殺された。

 非日本人は、勝者生存、弱者必滅の大陸的「強者の論理」から各地に100以上の小王国を造り、勝者となって全てを独占する為に殺し合いを始めた。

 世に伝わる、弥生の大乱である。

 彼らは、列島的対等関係を否定し、大陸的上下関係を確立する為に、殺戮を繰り返し、自然を破壊した。

 棲み分けて生きてきた縄文人は、戦争を是とする渡来系弥生文化を拒否し、沖縄(貝塚時代)と北海道(擦文文化、オホーツク文化)に逃げ込んだ。縄文人は、生活を維持する為に、日本海沿岸と東南アジア地域との海上交流を深めていった。

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 後漢帝国は、宗教結社による黄巾の乱(184年~)で衰退し、各地での農民の反乱が追い打ちとなって滅亡した。

 中国人は、人の後塵を拝するを嫌い、一人勝ちを志向する独善的民族性ゆえに、隙あらば国家を崩壊させる内戦を引き起こしていた。

 正統派儒教は、家臣が主君を殺害する下克上化した戦乱を静めようとはせず、むしろ徳のない皇帝や国王を殺す事は天の命によるものとして容認した。

 家族である親子や兄弟はもとより、親族や一族でも、隙あらば自分が皇帝になる為に相手を殺した。欲得による隠謀は絶えず、油断すれば寝首を掻かれ、すべてを失った。

 いつ終わるか分からない戦乱により、人口が激減した。

 中国は、労働不足を補う為に、蛮族と軽蔑していた周辺諸国を侵略し、獣物と差別していた非漢族を奴隷として強制連行した。そして、そこにあった富すべてを略奪した。中国人が去った跡地には、人も物もすべてを失った不毛の荒廃とした土地のみが残った。

 異民族の大量移住により、新たな紛争が悲惨な戦争を引き起こした。

 383~589年 五胡十六国魏晋南北朝の動乱時代である。トルコ系遊牧民族の鮮卑人が、中国を武力統一して隋帝国を建設した。

 周辺の弱小諸国は、人を人と思わない軍事帝国中国の戦乱に翻弄され続けた。

 中国領土の一部とされた朝鮮半島は、中国支配の衰退を機に独立を目差した。半島で、百済(古代朝鮮人)と新羅(中央アジアの騎馬民族の子孫)が誕生し。中国東北部・満州に成立した高句麗(非朝鮮人)は、南下して中国や朝鮮に領土を拡大する為に侵略戦争を繰り返していた。

 民族的に、高句麗は朝鮮の一部ではない。

 古代朝鮮は、中国の魏、蜀、呉三国同様に、「力が正義」という三国動乱時代に突入した。

 そして、弱肉強食の論理に従って殺し合いが延々と繰り返された。

 正統派儒教は、「天の命」によって。徳を持った者の大虐殺を正当行為として容認していた。儒教とは、けっして平和をもたらす学問ではなかった。

 中国の総人口 

 156年 後漢=漢族  (25~220年)   6,400万人 

 606年 隋 =非漢族 (581~618年)  5,400万人 

 706年 唐 =非漢族 (618~907年)  3,700万人 

   ・   ・   ・

 邪馬台国が誕生する弥生後期には、人口は約250万人に激減したといわれている。

 人口減により戦乱は下火となり、各部族王国は中国皇帝の臣下とり朝貢して国王の印を授かる事で平和を取り戻し、人口も回復した。

 188年 邪馬台国女王卑弥呼の宗教的権威の下で、各部族王国は「力の均衡」を保ち、紛争や係争は話し合いで解決し流血事態を回避していた。

 240年末 公平の象徴であった女王の死亡によって「力の均衡」は破られた。各部族王国の男王は、問題を簡潔に解決するべく大陸的解決方法である戦争を起こした。権力志向の強い野性的な男性による、新たな戦乱時代の始まりである。

 266年 各部族王国は、絶望的な殺し合いを食い止める為に、話し合いによる解決を模索した。

 13歳の少女壱与(イヨ)が新たな女王となって、列島の戦乱は収まった。男王らは、少女の前にかしずき、その命令に従った。

 農耕社会の列島は、権力欲の旺盛な男性が強くなると戦争が起き、賢い女性がまとめれば争いは収まり平和になった。

 民衆は、男王よりも女王に好意をよせ、女王を新たな指導者に選んだ。民衆が選んだのは、敵を皆殺しにし奴隷を作り富をもたらす優れた指導力よりも、か弱いが穏やかで親しみやすさを求めた。

 だが、女王は戦争を嫌ったわけではなく、戦う時は全軍を指揮して将軍達を引き連れ、勇猛果敢に敵陣に切り込み、兵士の前に立って敵を斬り殺した。そうして、大勝利を収めて凱旋した。

 第14代仲哀天皇の后・神功皇后による新羅討伐。

 列島は、大陸や半島の様な、身勝手な自己欲による戦争を続けるだけの広さを持っていなかった。

   ・   ・   ・ 

 中国ほど、宗教に関する内戦・反乱・暴動が多発した国・地域は地球上に存在しない。

 歴代王朝は、例外なく大虐殺で反体制的宗教勢力を抹殺してきた。

 そして、数多くの帝国や王国は不寛容な宗教戦争で滅亡した。権力者一族は、宗教への徹底弾圧を避け理解を示して妥協的共存政策とった為に、排他的な正統派儒教勢力の裏切りにあって惨殺された。

 満州族清王朝(1616年~1912年)後期だけでも、仏教系白蓮教の乱(1796年~1804年)では600万人以上が、プロテスタント系キリスト教徒中国人の反乱である太平天国の乱(1851年~64年)と仏教系秘密結社の反乱では人口4億3,000万人中1億6,000万人以上が、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)でのイスラム教(回教)の乱(1864年~1878年)では1,000万人以上が、虐殺された。

 独善的なキリスト教は、中国に浸透して正統派儒教の土台を侵食し、意図的に全中国を混乱させ戦乱を誘発した。

 その為に、キリスト教は仏教と並んで危険な革命宗教として大弾圧を受けた。

 チベットなどの民族悲願である分離独立運動も、中国人・漢族から大弾圧を受け、度重なる大虐殺の末に人口を減らして少数民族に転落した。静かな民族浄化として大量の漢族・中国人が移住し、地域の多数派となって全ての権限を独占して、少数民族を抹殺し非中国を消滅させようとしている。

 中国人は、歴史的使命として、非中国人の土地を中国化する為に情熱を傾けている。そして、裏切り者は、自分だけの利益・金儲けの為に自国の中国化に協力した。

 中国人男性は多数派として、非中国人男性を虐殺し、非中国人女性を強姦して自分の子供のみを生ませた。同じ様な政策を、イギリス貴族はアイルランドで初夜権として行った。

 これが、大陸における男系優位主義である。

 何時の時代でも、大陸世界は排他的な男系血筋によって統一に向かっていた。

 中国文明は、男系世界として、排他的血族関係を重視して、公平を憎み、対等な親交を深める事を嫌い、自己中心的に競争心を剥き出しにした。

 日本文明では、地域に同化しながらも民族性を失うことなく、公平を重視し、対等な関係での協調を保ちながら集団で助け合った。

 中国文明は個人中心社会であり、日本文明は集団重視社会であった。

 そして、日本の集団重視社会は、国際時代における近代的都市社会には相応しくないとして否定された。

 現代日本で、中国人は法律による規制がない事に目を付け、日本の豊かな土地や日本人の貴重な水源である山野を買い漁っている。

 貧困階層の中国人が、大挙して観光目的で日本を訪れ、その中から行方不明者が続出している。国際派を自認する友好的日本人は、日本社会に不法に入り込んだ中国人を秘かに面倒をみ、日本人の職場を奪っても地方での就労を支援している。

 日本では、欧米諸国同様に、不法入国者の増大と外国人による凶悪犯罪の急増が、社会問題化している。非暴力・無抵抗主義の良心的日本人は、人道を理由にして彼等を保護し、同胞が如何なる被害に遭い、たとえ殺されようとも彼等を弁護している。紳士的日本人は、たとえ身内・家族が、目の前で殺されようとも一切の暴力に反対している。

   ※   ※   ※ 

*大和勢力を中心とした統一国家への胎動。

 敵対関係にあった多くの古代氏族は、弥生時代から続く戦乱による混乱を鎮め、荒廃した民心を静めるべく、大陸的な怨念・憎悪を残す武力統一を避けた。

 白黒をはっきりさせるのではなく、曖昧にし、いい加減にして、情け容赦のない悲惨な情況を忌避して物事を収めたのである。

 島国独自の相互補完共生関係を理想として、「まごころ」「道徳」「良心」「生真面目」「穏やか」「平常心」などを象徴し、大陸的な絶対的権力や普遍的権威を持たない、身分や上下関係を曖昧にする村の長老型世襲的男系天皇制度を話し合いのうえで作り上げた。

 家族・身内になれば争いも減るとして、大家族主義から政略結婚を繰り返した。

 全員が納得の上で合意したがゆえに、「神聖にして、侵すべからざる」存在である。

 万世一系の男系天皇制度(直系長子相続)とは、中国や朝鮮の様な大虐殺をともなう内戦を防止する為の安全装置であった。それは、物事を白黒ハッキリさせる為に争うのではなく、争いを避ける為にわざと物事を曖昧にする、気弱で臆病な日本民族の叡智の結晶であった。

 天皇家・大王家は、大陸における、世界史の常識としての戦いに勝利して成立した征服王朝ではなく、ましてや大陸から渡ってきた征服一族でもなかった。

 島国における、紛争や対立を調整し、いがみ合いや憎しみをなだめ、中立の立場で話し合いによる解決を図る最終的な仲介機関であった。

 そのお陰で、日本には大陸的破壊型の大虐殺を伴った戦争は起きなかった。

 野心的な地方王朝は、大和王朝を否定して日本を支配するべく、天皇に反逆して中国型の統一戦争を起こした。筑紫王朝、出雲王朝、吉備王朝、葛城王朝、丹波王朝、近江王朝、難波王朝、河内王朝、越後王朝、東国王朝、東北王朝などの諸王朝。

 527年 磐井の乱。その他。

 第26代継体天皇(450~531年)は、単純明快な武力による大陸的統一ではなく、粘り強い冷静な話し合いによる島国的統合を図った。その証拠として、天皇は、城壁を持たない無防備な都の低い板塀に囲まれた御所に住んだ。それは、仮設住宅のように解体と組み立てが簡単にできる、古材や廃材の混じった木造住居でしかなかった。

 天皇・皇室が、神道による神憑り的な信頼や信用を失った時には最終的調停機関としての使命も失われ、日本は朝鮮同様に人間不信の中国化する。

 万世一系の男系天皇制度(直系長子相続)とは、現代流行の軽薄で劣悪な世俗的人気投票・無知蒙昧的世論調査では推し量れない、「血と死」を忌避する宗教的な深い意味がある。

 万世一系の男系天皇(直系長子相続)の最大の宗教的国事行為とは、残酷で独善的或いは金集めに血眼になっている利益誘導の醜悪な宗教の暴走を食い止め、妥協なき不毛な宗教対立を生む神学論争や、悲惨で破壊的な宗教紛争・宗教戦争を防止する事にあった。

 それが、民族中心神話から生まれた皇国ナショナリズムであった。

 神性を持たない無宗教の女系天皇では、こうした民族中心主義的重責は負えない。

 それが、125代・2700年という世界最古の歴史を持つ、血筋・血統・皇統を重視した万世一系の男系天皇(直系長子相続)の重みである。

 天照大神の「血」と「命」と「心」と「志」を続く万世一系の男系天皇家は、天皇を中心とした日本神話の中から生まれ、八百万の神々の持つ多種多様な価値観と共に存在して来た。

 万世一系の男系天皇(直系長子相続)は、血のつながった子孫として、祖先神・氏神である天照大神(伊勢神宮)以下の神々を祀った。

 故に、直系長子の天皇は「神の裔」として尊敬さ、神話から続く血脈が絶えない様に守られてきた。

 「神の裔」であるが故に、天皇制度が守られてきた理由である。

 日本の伝統や文化、そして日本人の道徳や良心、穢れや恥じらい、日本的なモノ全ての根源に、「神の裔」である万世一系の男系天皇(直系長子相続)が存在している。

 女系天皇には、皇室とは血のつながりがない家族である以上、祖先神・氏神である天皇神・天皇霊を祀る資格はない。

 女系天皇は、「神の裔」ではない。当然、日本的全てのモノの根源としての依り代とはなり得ない。

 現皇族と血のつながりのない女系天皇ができるのは、真摯に「祀る」のではなく、漠然と「拝む」だけである。

 よって、無宗教の女系天皇になれば古代から続く日本の八百万の神々は消滅する。

 反宗教無神論者である左翼・左派のマルクス主義者と普遍宗教のキリスト教徒は、日本から民族宗教的心・精神の根源の廃絶を望んでいる。

   ・   ・   ・

 皇室は、日本国家と共に生まれ、日本民族と共に歩んできた。

 天皇は、日本がよい国になり、日本人が幸福になる事を、ひたすら祈ってきた。

 それが、激務とされた、祭祀王・天皇の宗教的国事行為であった。

 第16代仁徳天皇「高き屋に 登りて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎわいにけり」

 大和大王・天皇は、各地を支配する数多くの敵対王家や有力豪族を一つの古代国家に統合する為に、かって敵地であった地域を国見し、在地の有力者との「人間的絆」「人間的和」を築く為に行幸を繰り返していた。

 新たに大和民族に編入させられた民は、天皇を拝する事で民族の一員になったことを自覚した。

 歴代天皇は、積極的に行幸を続ける事で、古代王国の安定を図った。

 万世一系(直系相続)の男系天皇制度とは、無益な戦争と無差別な大虐殺を起こさない為の、安全装置であった。 

   ・   ・   ・

 宮本武蔵「神仏を祟びて、神仏に頼らず」

 菅原道真「心だに誠の道にかないなば 祈らずとも神や守らん」

 西行法師「なにごとのおわしますか知らねども かたじけなさに涙こぼるる」(伊勢神宮で)

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