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今日ボクが見た風景

民主主義国家アメリカ合衆国

Category: 日本国民の心得  
1898年 マッキンリー大統領(任1897~1901年)は、キューバ人の独立運動を利用し、1898年にアメリカ戦艦メイン号が原因不明の撃沈(乗務員266名死亡)をスペインの仕業として、「リメンバー・メイン号」を合言葉にスペインと戦争を始めた。スペインは、戦争を回避する為に譲歩して事件の調査を歓迎していたが、アメリカは一切の妥協を拒否した。世にいう、米西戦争である。戦争に勝利したアメリカは、プラット修正という条項でキューバを保護国化し、フィリピン、グアム、プエルトリコを領有とし、極東・太平洋方面に進出した。さらに、パン=アメリカン主義で中南米諸国に影響力を強め、支配強化の為にカリブ海政策で軍事的・経済的な干渉を行った。

 スペイン領フィリピンでは、反スペインの民族主義者に独立を約束して味方に付けたが、戦争に勝利するや約束を反古にした。謀略を駆使して、独立派数万人を虐殺し、農地を破壊して20万人以上を餓死もしくは病死に追い込んだ。

 「捕虜は要らない。弾丸は、捕虜に食わせる米よりも安い」

 民族主義を破壊する為の同化政策として、キリスト教を国教とし、英語を公用語とした。民族を裏切った改宗フィリピン人は、上流階級として宗教的人種差別に協力して異教徒フィリピン人を支配し、農園領主として貧困階級フィリピン人から搾取を続けた。

 キリスト教会は、貧困階層のフィリピン人に困窮に絶える事は信仰の証しであるとして、アメリカ支配を享受するように洗脳した。

 アメリカは、フィリピンを国際化する為に、改宗フィリピン人命じて民族主義派テロリストを弾圧して、数十万人の革命派活動家と協力者を極悪な犯罪者として処刑した。

 フィリピンは、民族中心的宗教や文化を守ろうとする民族主義者にとっては生き地獄であった。

 独立派残党は、日本に支援を要請した。

 日本政府はアメリカに敵対する行為であるとして拒否したが、日本軍部は秘かにアジア各地の民族派に武器弾薬を送って独立運動を支援した。

 キューバは、スペインからの独立を宣言するが、アメリカ軍の占領下に置かれた。アメリカの保護国として、軍事同盟や互恵通商条約などの対米従属の屈辱的条約を押し付けられた。

 アメリカは、中南米への影響力を強める為に独立した新生国家を併合するか保護国とした。

 フレデリック・J・ターナー「空き地がある。空き地は後退し、アメリカ人の定住地が西に広がる。これがアメリカの発展という事だ。……拡張はアメリカ人に共通する気質である」

 1899年 ヘイ国務長官は、自国の植民地の門戸開放を拒否しながら、平等の原則から日本や欧州諸国に対して中国の門戸開放を要求した。

 第二次ボーア戦争。イギリス軍は、オランダ系ボーア人の農民兵のゲリラ戦に苦戦を強いられ、多くの犠牲者と財政的損害をだして勝利した。プライドを傷つけられたイギリス人は、捕虜を強制収容所に収容したが、人種差別による非人道的なあつかいでボーア人約2万5,000人と先住民約2万4,000人を死亡させた。

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 義和団(拳匪)の乱(1900~01年)。義和団は、仏教系の反体制的白蓮教の流れを汲む武芸的秘密結社であり、「正義と平和の拳」を信仰して中国を侵略者の外国勢力から守ろうとして女子供に関係なく虐殺を繰り返した。中国人は、自分に都合の好い神や仏を信用するが、都合の悪い神や仏は信用しなかった。ましてや、キリスト教が唱える絶対真理としての創造紳などは愚の骨頂に過ぎず、弱者や貧者に愛の手を差し伸べるなどは馬鹿な事に過ぎなかった。中国人は、宇宙規模の普遍的真理に於ける神や仏に信じない民族である。

 清王朝は、飢餓や洪水で悲惨な状況にある自国民の救済をよそに、義和団を容認し正規軍に編入して日本や欧米諸国に宣戦布告した。正統派儒教を信奉する中国人は、歴史ある神聖な郷土を邪悪な異教徒から守るべく、3人の司教と31人の司祭と45人の宣教師を含む外国人250人(子供50人)や中国人キリスト教徒3万2,000人(~25万人。一説には100万人)を中国風に虐殺した。8カ国からなる多国籍部隊は、北京に孤立化した諸外国の居留民団を保護する為に義和団と政府軍を攻撃した。日本以外の諸外国軍は、武装しか中国兵はもとより武器を持たない一般の中国人も見境なく虐殺した。宣教師も加わった外国人は、中国人の財産を略奪し、町を焼き、女性を強姦した。諸外国軍は、正義の戦いとして中国人5,000人~2万5,000人を殺し、北京の大部分が破壊し、天津の3分の1を瓦礫とし、通州を完全に破壊した。日本を含む諸外国は、清朝に対して自国民保護の名目で北京郊外に自国軍を駐留する事を認めさせた。全アジアの覇王を任ずる清朝は、日清戦争に対する復讐戦に備えて、帝政ドイツから軍事顧問団を招聘しその指導の下で最強の新建陸軍を創設したが、義和団と共に消滅した。中国の近代の為に、数万人の優秀な中国人青年を日本に留学させて西洋文化を学ばせた。裏の外交として、日本への再度の懲罰戦と台湾及ぶ沖縄の奪還と朝鮮の宗主権の回復を目的として帝政ロシアと秘密同盟を結んだ。中華思想の中国は、一度たりとも日本を対等の国家と認めた事はなかった。

 ロシア帝国は、アジアへの領土拡大する為の軍事基地を建設する目的で、1899年の三国干渉で日本から清国に返還された遼東半島を25年間の期限で租借権を得た。満州をロシア領に編入する布石として、南満州鉄道の敷設権を獲得した。歴史的事実として、帝政ロシアは一度手に入れた土地は決して手放す事はなかった。帝政ロシアは、さらに朝鮮半島を手に入れるべく反日派に接近した。

 高宗ら反日派朝鮮人は、敵国日本を滅ぼす為にロシア帝国の日本侵攻に協力した。一部は、各地で反日義兵闘争を繰り返していた。キリスト教会は、反天皇の立場から、反日派朝鮮人を改宗させて行った。

 日本は、ロシア帝国の勢力拡大を自国の安全を脅かすと警戒し、中国から独立させた朝鮮を味方に引き入れるべく親日派を支援した。近代的天皇制度国家日本は、前面で世界最大の軍事大国ロシア帝国の軍事的外圧に晒され、内部で反天皇派日本人の天皇暗殺などの策動に戦々恐々とし、後方で反日派の朝鮮人や中国人の謀略に脅かされていた。小国日本は、絶望的境遇で、援軍を送ってくれる同盟国を持たず、無謀にも一国でロシアの大軍を迎え撃とうとしていた。

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 1900年1月1日 ワシントン・ポスト紙「海外の領土は、我が国のものである。領土拡張政策反対論は、カササギの声と同様に無意味である」

 アメリカは、対アジア戦略から日本を最大の競争相手と認識した。

 ワシントンで、全国市民連合(NCF)が組織された。E・H・ハリマンやJ・P・モルガンなどの実業家が、建国の精神で国家の発展に貢献する事を目的として労働組合の指導者らを加えて結成した組織しである。

 1901年に、コネチカット州法に基づき、インターナショナル・バンキング・コーポレーション(IBC)を設立した。重役に、鉄鋼業のH・C・フリック、鉱山業のI・ギッゲンハイム、鉄道業のE・H・ハリマンらが参加した。この州法銀行は、州経済の発展の為にアジア貿易及び鉄道建設投資の促進を目的としていた。

 マッキンリー大統領は、中米地域で独占的に運河する事に反対するイギリスと交渉し、アメリカが単独で運河建設し運河地帯にアメリカ軍が駐屯する事を認めさせた。

 マッキンリー大統領は、暗殺された。

 1902年 ロシア帝国の共産主義革命家(大半がユダヤ人)は、ロシア国内の反ユダヤ主義(アンティ・セミニズム)に反発して日本と天皇を支援した。多民族国家であるロシア帝国は、伝統的な南下政策で新たな領土獲得の為に、南のオスマン・トルコ帝国と東の中国・朝鮮・日本に軍隊を派遣していた。帝国主義による対外戦争は、国家財政を圧迫していた。国内では、ツァーリズムとキリスト教支配に反発する異教徒の暴動と、スラブ人やウクライナ人らによるポグロムに反発するユダヤ人共産主義者の革命運動で、治安は悪化していた。

 1月 アメリカ議会下院は、ニカラグア運河建設法案を可決した。パナマ派は、ニカラグアのモモトンボ火山の噴火を天恵として、火山国のニカラグアは運河建設に適さずパナマが最適であるとの世論を形成した。

 新たに大統領になったセオドア・ルーズベルトは、パナマ運河建設案を支持してニカラグア案を退けた。

 ニカラグアのセラヤ大統領は、自国内に運河を通す為に、アメリカとの提携を諦めて、ドイツとの横断鉄道建設に合意し、日本に運河建設を持ちかけた。

 3月 教皇レオ十三世は、共産主義者によるテロが横行する現状から、暴力革命の危険を訴える教皇書簡を発表した。「世界中の利益になるという餌をちらつかせてまず人々を引き付け、それから仲間に引きずり込む。約束と脅迫を使い分けて意のままに政府を篭絡する」

 1903年 アメリカは、フランスが失敗したパナマ運河建設に乗り出し、コロンビア政府とヘイ=エラン条約を締結した。セオドア・ルーズベルト大統領は、同条約で、「運河を建設し、それを支配する事」を認めさせた。コロンビア議会は同条件は屈辱的あるとして批准を拒否し、コロンビア国民は大国アメリカの横暴に反発した。

 パナマ人独立派は、コロンビアとアメリカの関係が険悪となった事を利用して、コロンビアから独立する為にアメリカに支援を要請した。

 新パナマ運河会社のフランス人フィリップ・ビュノー・ヴァリラは、ルーズベルト大統領とヘイ国務長官に、運河建設の為にパナマ独立への支援を要請した。ルーズベルトは、アメリカ大陸の影響力を強化するというモンロー主義政策から、パナマが独立を宣言したら支援の為に48時間以内に軍艦と部隊を派遣すると約束した。

 11月3日 パナマ独立派は、コロン市庁舎前での独立を宣言し、パナマに駐屯していたコロンビア守備隊を監禁した。

 アメリカは、ただちにパナマ共和国を承認し、コロンビアの反撃に備える為に軍艦9隻と部隊を派遣した。コロンビアは、アメリカの砲艦外交に屈して独立を認めた。

 ビューノ=ヴァリラは、パナマの特命全権大使としてワシントンに赴き、ヘイ国務長官と運河建設に関する条約を締結した。ビューノ=ヴァリラは、条約の詳しい内容を本国に知らせず、政府の承認を得ず独断で調印した。

 アメリカは、パナマ運河の建設権、運河地帯の所有権、運河の永久使用・占有・支配の諸権利を手に入れた。そして、パナマをキューバやドミニカに次いで保護国とした。

 パナマ政府は、アメリカの裏切りに激怒したが、戦争をしてまで名誉を守る国力がなかった為にパナマ運河条約を受け入れた。

 ドイツは、海運業を充実する為に建艦計画を発表し、イギリスの海上覇権を脅かした。

 1904(~05)年 日露戦争。日本は、僅かな兵力でロシア軍と朝鮮の義兵軍と戦い、苦戦の連続であったが、夥しい犠牲を払って何とか辛勝した。日本は、自国の安全を確保する為に朝鮮問題を解決する必要があった。

 ルーズベルトは、日本の太平洋地域での影響力増加に危機感を抱き、パナマ運河の建設を急がせた。運河は、1914年に完成した。

 アメリカの海軍長官の諮問機関である海軍将官会議は、「1年2艦政策を基本とした戦艦48隻を基幹とする艦艇を1920年までに完成させる」という建艦計画を、海軍長官に提出した。日露戦争後。海軍関係者は、日本海軍脅威論の主張し、西海岸防衛の為に大西洋艦隊の半数を大平洋に常駐させるべくであると警告した。

 ルーズベルトは、パナマ運河が完成する前に艦隊を分割するのは危険であるとして、海軍修正案を退けた。

 日本海軍は、アメリカを仮想敵国とし、アメリカ海軍に対抗する為の八・八艦隊構想を基に建造計画を進めた。

 1907年 アメリカで金融恐慌が起き、多くの銀行が倒産した。

 ハーグ陸戦法規(陸上戦闘に関する法と慣習)は、軍服を着用ずあるいは軍服を脱ぎ捨てて一般人に紛れ込んでいる敵兵(便衣隊)や、指揮官のいない戦闘集団の戦闘員を戦争捕虜とは認めず、発見しだい処刑する事を認めた。

 戦時国際法上で是認された戦争では、民間人に紛れてテロやゲリラやスパイを行う者は正規兵とはせず、単なる犯罪者として処分する事を合法とした。

 軍服を着ているか、民間服でも軍隊記章ををつけてる者は、戦時捕虜として人道的に扱う事が義務付けられた。

 戦争のルールでは、民間人に化けている敵兵を裁判なく処刑する事を認められている。

 アメリカは、09年にかけて、戦艦16隻からなる艦隊の世界就航を明らかにした。目的は、平和の為ではなく、日本への威嚇であった。

 タフト大統領(任1909~13年)は、内政面では革新主義的政策を行い、対外的にはドル外交を行い経済力を通じて中南米諸国に圧力を加えた。09年 海兵隊は、ニカラグアを占領して親米政府を樹立した。

 タフト政権は、満州市場への経済進出をはかる為に、日本に門戸開放の実現を強要した。日米関係は、前政権から移民問題等の難問で険悪化していた。アメリカは、アジアにおける日本の影響を排除もしくは縮小する為の、対日強硬策を打ち始めた。

 日本と天皇は、民族的生活圏を死守する為に、味方からの援軍もなく、単独で悪戦苦闘していた。苦境に立つ日本の脇腹に毒付きの短剣を突き付けていたのが、反日派朝鮮であった。朝鮮は、古代から反日として、日本の敵であった。

 1909年 アメリカの人種理論家ホーマー・リーは、将来、非キリスト教国日本は必ずアメリカを攻撃するとの論文を発表した。リーは、正規の職業軍人ではなかったが、狂信的反日家として、その戦略的軍事思想は現役の軍上層部からの絶大なる支持を得ていた。

 アメリカ軍は、日本を仮想敵国と認定し、アジアにおけるアメリカの権益と植民地フィリピンを日本軍の侵略から防衛する為に、対日戦の研究に力を入れた。

 中国の革命家孫文も、彼に中国軍の大尉の肩書きを与え、対日戦略で助言を与えていた。

 10月 アメリカは、パナマ運河防衛政策から運河地帯に海兵隊を駐留させた。2年後。太平洋側からの攻撃から運河を防衛する為に、エクアドル政府からガラパゴス諸島を1,500万ドルで99年間租借する協定を結んだ。ガラパゴス諸島に、対日戦開戦と共に空軍基地を建設して運河防衛の任に当たった。

 1911年 カーネギーは、人種差別組織であるアメリカ育種家協会の「人種の欠陥遺伝資源を撲滅する最適な実用手段」という研究に資金を提供した。ロックフェラー財団も、北欧系白人種を守り劣等な血統を撲滅する為に、優生学に巨額の資金を提供した。

 メキシコで革命が起き、ポルフィリオ・ディアス独裁政権がアメリカの支援を受けたフランシスコ・マデロによって打倒された。

 アメリカのタフト大統領は、パナマ運河の安全とメキシコ石油の確保を目的としてマデロ政権を支援した。

 メキシコ国民は、テキサスやカリフォルニアなど北部を奪われた恨みから反米的であった。

 反米派は親米政権のマデロを激しく非難し、一部の過激派は武力闘争として各地で暴動を起こしていた。南部の農民は、農地の再配分を要求して蜂起した。

 マデロは、反対派の暴動や農民の叛乱を鎮圧するために軍隊を派遣した。

 アメリカは、アメリカ資本を保護と国境周辺の治安を維持する為にマデロ支持を放棄し、より親米的な軍人による政権をつくる為にクーデター画策した。

 旧ディアス派の軍人は国内の混乱に乗じて武装蜂起して、政府軍との間で激しい市街戦を行った。

 1913年 メキシコの内戦により、マデロ大統領とピノ・スアーレル副大統領が暗殺された。議会は、ビクトリアーノ・ウエルタを大統領に任命して事態の収拾を図った。

 日本代理公使堀口九萬一は、助けを求めてきたマデロ大統領夫人とその家族約20名を公使館に保護し、追ってきたクーデター派兵士を公使館侵入を食い止め、彼等を守った。ベルギー人のスチナ公使夫人は、公使館員を指図して避難者の面倒を見た。堀口は、ソウル勤務中に閔妃暗殺に加担し、逮捕収監されていた。

 中南米諸国は、内戦が収束する事を願ってウエルタ政権を承認した。アメリカのウィルソン大統領は、民主主義的な総選挙で選ばれた政府ではないとの原則論から承認する事を拒否した。

 ウエルタ大統領は、アメリカの支援を得られず、不安定な政権運営を余儀なくされた。国際的信用を強化して政権の安定を図る為に、承認した諸外国の外交団と積極的に会談を繰り返した。特に、亡きマデロ大統領夫人とその家族を大使館で保護してくれた日本の堀口九萬一代理公使に、感謝と変わらぬ友情を表明した。

 堀口の後任として赴任した安達峰一郎公使に対して、ウエルタ大統領は国家を上げて歓待し、日本との友好を強調した。ウエルタ大統領は、アメリカの干渉を抑制する為に親日ポーズを殊更に強調した。

 コリマ州知事「小さな日本がロシアに勝ちたるが如く、我メキシコも日本に習いこれを友としてアメリカに打ち勝つべし」

 アメリカは、日本とメキシコの関係が深くなる事に警戒した。

 メキシコ在住のイギリス・フランス・ドイツの外交団は、メキシコの混乱に付け込みメキシコ利権を分け合う為の分割案を協議し、日本にも極秘で参加を求めた。

 安達公使は、欧米列強がメキシコ問題解決の為に共同歩調を執りつつある事に懸念を抱き、イギリス・ドイツ・フランスの駐在日本大使に各国政府の調査を依頼した。各国駐在大使からは、本国政府はアメリカとの関係を重視してメキシコ問題解決に深入りする意志がなく、メキシコの駐在公使による独断専行との回答が寄せられた。

 年末。イギリス・ドイツ・フランスは、アメリカと協調し、メキシコの政情不安を理由にして軍艦を派遣した。太平洋側に、アメリカ8隻、ドイツ1隻。メキシコ湾側に、アメリカ11隻、イギリス・フランス・ドイツ各1隻。

 日本も、邦人移民の保護を理由にして一等巡洋艦出雲を派遣した。

 ニューヨークタイムズは、日本の軍艦の派遣は自国の利益を中南米地域に拡張する意図があると警鐘を鳴らした。

 1914年1月 日本の軍艦がメキシコに到着するや、メキシコは友邦国日本が訪問してくれたとして熱烈に歓迎した。

 三井物産は、メキシコの石油開発権を獲得する為に、武器弾薬などを売り込む極秘の商談を進めていた。

 アメリカは、メキシコ油田の国有化を阻止すると共に、イギリスと共同で日本やドイツ帝国などの介入を排除しようとしていた。

 アメリカのネルソン・オショーネッシー駐メキシコ大使は、日本がウエルタ政権に財政援助と武器供与し国政に干渉していると報告した。

 イギリスの駐メキシコ公使カルデン卿は、メキシコでの権益を拡大する為に、日本がアメリカの頭を飛び越えて独断でウエルタ政権に財政援助を行おうとしているとの情報を流した。

 ニューヨークタイムズは、日本の中南米への勢力拡大で有り、モンロー主義への挑戦であると、反日世論を煽った。知識層も、日本の脅威論を声高に訴えた。西海岸では、激しい排日運動が起きていた。

 ウエルタ大統領は、日本とアメリカの対立を利用して、アメリカのメキシコ政策を変更させようとしていた。 

 アメリカのランシング国務長官は、日墨軍事同盟説が流布するや、日本に対して両国関係を考慮してメキシコでの行動を慎重に行う様に警告した。

 アメリカ政府内の報告書「森電三少佐の行った財政監査は、カルデン公使に要請されて日本がメキシコ政府の一部公債に応ずる準備の為であり、この真相を叩けば必ずやカルデン卿に結び付く」

 アメリカのウィルソン大統領は、タンピコ湾でアメリカ海兵隊が拘留された事を口実に、大西洋艦隊にベラクルコ占領を命じた。アメリカ人20名とメキシコ人200名が犠牲となった。アメリカの真の狙いは、メキシコの石油利権を支配する為に、イギリス系メキシコ・イーグル石油会社から資金援助を受けているウエルタ政権を打倒する事であった。

 イギリスは、欧州戦争の為にウエルタ政権への支援を止めた。ウィルソン大統領は、ウエルタ大統領を追放し、カランサ将軍を大統領にしてその政権を承認した。スタンダード石油は、政権維持の為に資金と武器の支援を行い、政府首脳や軍隊幹部に裏資金を与えた。

 カランサ大統領は、国内経済を守る為に、石油という国民の資産が外国資本に略奪されているとして、反米宣伝を行い愛国心に訴える民族主義運動を始めた。

 メキシコの真の狙いは、アメリカやイギリスの石油資本に支配された油田を国有化する事であった。メキシコ政府は親日政策を推進させ、メキシコ海軍も日本海軍との交流を深めて軍人使節団を派遣した。

 8月15日 大西洋と太平洋をつなぐパナマ運河が、10年の歳月と多くの犠牲者を出して開通した。アメリカ海軍は、艦隊を二分して、大平洋と大西洋に配置した。太平洋艦隊は、日本との戦争を想定して増強された。

 スタンダード石油は、石油利権を守るべく、1916年頃から、反カランサ派やパンチョ・ピラら革命派に資金援助を行った。アメリカ軍は、圧力をかける為に軍隊を派遣したが、失敗に終わった。

 アメリカは、1917年4月、欧州戦争に参戦した。アメリカとイギリスは、メキシコ問題を一時棚上げにした。

 セオドア・ルーズベルト「我、ついにアメリカ大陸を掌中にせり!」

 1920年 メキシコのカランサ大統領は、反対派によって暗殺された。

 新たなカルデナス政権は、外国人石油所有権の国有化を断行した。アメリカとイギリスの石油メジャーは、経済性差として、30年代後半までメキシコの石油をボイコットした。

 ナチス・ドイツは、メキシコの石油や中南米の鉱物資源を獲得する為に、反米派民族主義者に接近した。

 アメリカとナチス・ドイツは、中南米大陸の覇権をめぐって熾烈な抗争を始めた。

   ・   ・   ・

 アメリカの総人口は、1910年に9,197万人を越えた。1821年から1920年までの移民数は3,366万人で、1905年から1914年まででは1,012万人に達していた。ユダヤ人口は、東欧からの移民が急増して1880年の25万人から1924年には420万人に激増した。移民の多くは、仕事を求めて、工業の発達が目覚ましい北部東海岸諸州や五大湖周辺諸州の大都市に居住し、西部の新天地に向かう者は少数であった。ロシア帝国のユダヤ人は522万人で、1881年から1914年までに200万人以上が国外に移住し、内156万人がアメリカに渡った。

 アメリカの人口比は、アメリカに移民して三世代以上経ったアメリカ生まれの旧移民・生粋のアメリカ白人が53.8%で、外国生まれの移民一世の家族は新移民・外国系アメリカ人とされ35.2%で、アフリカ系アメリカ人である黒人は10.7%で、その他が中国系か中南米出身のラテン系であった。中国系移民は、新たな労働奴隷として大量に輸入された。移民の初期は、イギリスやアイルランドや北欧などの諸国であった。次に移民してきたのは、イタリアを中心とした南欧諸国であったが彼等の多くは独身男性で出稼ぎ労働者として定住することなく、金を貯めるやその多くが帰国した。アメリカの人口を爆発的に増加させたのは、ポーランド、バルト三国、ロシアと言った東欧諸国から来た家族連れの永住者であった。彼等の多くが、農村部ではなく都市部に集中して新たな労働者階級を形成したが、低賃金で働く新たな労働者集団の出現でアメリカ経済は急速に発展した。だが、旧来の都市下層階層を構成していた生粋のアメリカ白人労働者は、低賃金で働く新移民・外国系アメリカ人に仕事を奪われるとの危機感を持ち、彼等との対立を深めしばしば死傷者を出すほどの暴動事件に発展した。

 ニューヨークの人口は、1890年には144万人であったのが374万人の新移民を受け入れて、1910年には477万人に膨れあがった。生粋のアメリカ白人は20%以下で、外国系アメリカ人は79%で、黒人は2%弱で、アジア系やそのたが1%であった。移民は、ドイツやロシアやポーランドなどの出身国で区別される為に、国家を持たないユダヤ人は移民として数えられていなかった。ユダヤ人を証明するものは、宗教としてのユダヤ教を信仰しているかであり、よって改宗ユダヤ人は本人の希望がなければ自動的に非ユダヤ人に数えられた。

 ニューヨークにおけるユダヤ人の人口は、1890年に20万人であったのが1910年には125万人となり、1880年には人口の33%であったのが1920年には45%に上昇した。世界最大のユダヤ人を抱えるニューヨークは、ユダヤ人の都市として「ジューヨーク」と揶揄された。全米のユダヤ人の半数が、ニューヨークと周囲の都市に住み付いた。彼等は、アメリカという新天地を得て、自由主義を受け入れて中産階級化し、宗教的は欧州的な古典的伝統派を捨て改革派ユダヤ教を信奉した。世俗化したユダヤ人は、行商や専門職人や熟練労働者から企業家や商店主や専門職業家として成功し、大商人、投資銀行家などの資産家としてユダヤ人である事をキーワードに排他的閉鎖的運命共同体を形成し、全米の金融・資源・生産・運輸そして情報を支配し各種市場を独占するメジャーに成長した。

 差別的階層社会のアメリカでは、成功したごく一部の北方人種の白人集団は上流階層を形成して、治安の守られた繁華街に大邸宅を構え湯水の様に金を浪費して贅を尽くした生活を送っていた。貧困に喘ぐ下層階層は、治安と衛生の悪い人口密集地のスラム(黒人地区)や同じ出身者が住む排他的居住区(イタリア人地区、チャイナタウン、ユダヤ人地区)に寄りそうにして生活していた。極一部の白人特権階層は、富の分配の不平等や人種・民族差別に不満を持つブルーカラーの下層階層の反逆に備えて、経営基盤の弱い中小企業経営者やホワイトカラーの中産階層を味方に取り込む為に、努力し成功すれば普通の金持ちとなり見栄えのいい社会的地位が得られるという見せ掛けの「アメリカン・ドリーム」を見せた。それは、社会的保証がない為に一瞬で消えてしまうはかない幻影であった。単純な単細胞的人間ほど、目の前の大金が得られるという夢物語の様なアメリカン・ドリームを信じた。

 フレデリック・マーティン「我々は、金持ちである。我々が、アメリカを所有している。いかにしてアメリカを獲得したかは、神のみぞ知る。出来る事なら、我々はアメリカを所有し続けたい。我々の金、我々の政治的コネ、我々が買収した上院議員、我々が抱えている金に飢えた下院議員、我々が持っている演説上手な扇動家達を総動員して、我々の利益を脅かすどんな立法、政治綱領、大統領選挙戦も潰したいものだ」

 ジェイコブ・A・リース「報告書を読む事は、人間の悲惨という主題に関する変奏曲を次から次へと聞く様なもの、再三再四、悲惨、混雑、不潔、飢餓、栄養不良、不安、欠乏といった同じ言葉が単調に現れてくる」(『他の半分はいかに住むか』 1890年)

 アメリカ経済は、J・P・モルガンとロックフェラーの二大金融資本に支配されれていた。

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