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今日ボクが見た風景

トキ(朱鷺、鴇、学名:Nipponia nippon )

Category: ブログ  

トキ


朱鷺、学名:Nipponia nippon )とは、コウノトリ目トキ科の

19世紀までは東アジアに広く分布しており珍しくない鳥であったが、20世紀前半には激減した。

2010年12月上旬の時点で中国・日本・韓国を合わせた個体数は1,814羽。

学名はNipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)であり、

しばしば「日本を象徴する鳥」などと呼ばれるが、日本の国鳥はキジである。

新潟県の「県の鳥」、佐渡市と輪島市の「市の鳥」である。


かつては日本の北海道南部から九州・沖縄まで、ロシア極東(アムール川・ウスリー川流域)、朝鮮半島、台湾、中国(北は吉林省、南は福建省、西は甘粛省まで)と東アジアの広い範囲にわたって生息しており、18世紀・19世紀前半まではごくありふれた鳥であった。日本では東北地方や日本海側に多く、太平洋側や九州ではあまり見られなかったようである。

しかし、いずれの国でも乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、朝鮮半島では1978年の板門店、ロシアでは1981年のウスリー川を最後に観察されておらず、日本でも2003年に最後の日本産トキ「キン」が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。

野生では中国(陝西省など)に997羽(2010年12月現在) が生息しているほか、日本の佐渡島において2008年秋から2011年春までに人工繁殖のトキ計60羽が放鳥されている。飼育下では中国に620羽(2010年12月現在)、日本に140羽(2011年3月14日現在)、韓国に6羽(2011年3月現在)がおり人工繁殖が進められている。

現在中国に生息している、またかつて日本に生息していたトキは留鳥(ただし、日本海側や北日本から、冬は太平洋側へと移動する漂鳥もいた)であるが、ロシアや中国北部、朝鮮半島など寒冷地に生息していたトキは渡りを行っていた。また、日本にいた個体も一部は渡りを行っていた可能性が指摘されている。

(中国の個体数は2009年末のもの)



学名「ニッポニア・ニッポン」 "Nipponia nippon " の属名と種小名は共にローマ字表記の「日本」に由来するが、最初からそのように命名されたわけではない。シーボルトが1828年にオランダへ送った標本により、テミンクが1835年 "Ibis nippon " と命名し、シュレーゲルも論文執筆の際にはそれを用いた。しかし1852年にライヒェンバッハが "Nipponia temmincki" と全く新しい学名を命名した。

現在の学名 "Nipponia nippon " は両者の属名と種小名を合成したもので、1871年にグレイによって初めて用いられた。1922年には日本鳥学会の『日本鳥類目録』で採用されたこともあり、現在ではこの学名が一般に用いられるようになった。



今日ボクが見た風景

テミンク、シュレーゲルの『日本動物誌』に描かれているトキ。下に薄く "IBIS NIPPON" と記されている。




トキは日本では古くから知られていた。奈良時代の文献には「ツキ」「ツク」などの名で現れており、『日本書紀』『万葉集』では漢字で「桃花鳥」と記されている。平安時代に入ると「鴾」や「鵇」の字が当てられるようになり、この頃は「タウ」「ツキ」と呼ばれていた。「トキ」という名前が出てくるのは江戸時代だが、「ツキ」「タウノトリ」などとも呼ばれていたようである。

トキの肉は古くから食用とされ、『本朝食鑑』(1695年)にも美味と記されている。しかし「味はうまいのだが腥(なまぐさ)い」とあり、決して日常的に食されていたのではなく、冷え症の薬や、産後の滋養としてのものであったとされる。「トキ汁」として、豆腐あるいはネギ・ゴボウ・サトイモと一緒に鍋で煮るなどされていたようである。しかし、生臭い上に、肉に含まれる色素が汁に溶出して赤くなり、また赤い脂が表面に浮くため、灯りのもとでは気味が悪くてとても食べられなかったため「闇夜汁」と呼ばれた。また、羽は須賀利御太刀(伊勢神宮の神宮式年遷宮のたびに調整する神宝の一つ。柄の装飾としてトキの羽を2枚使用)などの工芸品や、羽箒、楊弓の矢羽根、布団、カツオ漁の疑似餌などに用いられていた。

なお、トキは田畑を踏み荒らす害鳥であった。仏教の影響で肉食が禁じられ鳥獣類が保護されていた江戸時代においても、あまりにトキが多く困っていたため、お上にトキ駆除の申請を出した地域もあったほどである。

かつてトキは日本国内に広く分布したが、明治に入り、日本で肉食の習慣が広まり、また経済活動の活発化により軍民問わず羽毛の需要が急増したため、肉や羽根を取る目的で乱獲されるようになった。

1925年(大正14年)か1926年(大正15年)ごろには絶滅したとされていた。その後、昭和に入って1930年(昭和5年)から1932年(昭和7年)にかけて佐渡島で目撃例が報告され、1932年(昭和7年)5月には加茂村(→両津市、現佐渡市の和木集落で、翌1933年(昭和8年)には新穂村(現佐渡市の新穂山で営巣が確認されたことから、1934年(昭和9年)に天然記念物に指定された。当時はまだ佐渡島全域に生息しており、生息数は100羽前後と推定されていた。



終戦後は、1950年(昭和25年)を最後に隠岐に生息していたトキの消息は途絶え、佐渡での生息も24羽 と激減していたことから、1952年(昭和27年)3月に特別天然記念物に指定され、1954年(昭和29年)には佐渡で、1956年(昭和31年)とその翌年には石川県で禁猟区が設定された。しかし、禁猟区には指定されたものの生息地周辺での開発などは制限されなかった。また、民間の佐渡朱鷺愛護会や愛好家の手でも小規模な保護活動が行われるようになったが、1958年(昭和33年)には11羽(佐渡に6羽、能登に5羽)にまで減少した。1960年(昭和35年)、東京で開かれた第12回国際鳥類保護会議において国際保護鳥に指定され、会議を記念してトキをあしらった記念切手も発行された。1971年(昭和46年)には、能登半島で捕獲された『能里(ノリ)』が死亡し、佐渡島以外では絶滅した。トキの減少の一因として農薬(による身体の汚染・餌の減少)が取り上げられることが多いが、日本で化学農薬が使用されるようになったのは1950年(昭和25年)代以降であり、その頃にはすでに20羽ほどにまで個体数を減らしていた。

1965年(昭和40年)、幼鳥2羽(『カズ』と『フク』)を保護したことから人工飼育が試みられるが翌年、カズが死亡。解剖の結果、体内から有機水銀が大量に検出されたため、安全な餌を供給できる保護センターの建設が進められる。1967年(昭和42年)トキ保護センター開設。フクと、1967年(昭和42年)に保護された『ヒロ』『フミ』の計3羽がセンターに移された。翌1968年(昭和43年)『トキ子』(のちに『キン』と命名される)を保護。1970年(昭和45年)には能登の最後の1羽『能里(ノリ)』を保護し、トキ保護センターに移送する。キンがメス、能里がオスだったことや盛んに巣作りを行っていたことから、繁殖に期待が持たれたが、1971年(昭和46年)に能里が死亡。人工飼育下のトキはキン1羽となった。(フク、ヒロおよびフミは1968年(昭和43年)に死亡)

1968年(昭和43年)にNHKがトキの営巣地である黒滝山上空にヘリコプターを飛ばし空撮を行ったが、1969年(昭和44年)にトキが黒滝山の営巣地を放棄し人里近い両津市へ移動したのは、そのためだという指摘がある。番組の放送があるまで空撮があったことに気付いていた者はいなかったが、空撮は通年にわたって行われた(はずだ)と批判する声もある。しかし、番組の責任者によるとヘリコプターを飛ばしたのは一度だけで、それも営巣期を避け、空撮以外の取材も慎重に行ったという。

1981年(昭和56年)1月11日から1月23日にかけて、佐渡島に残された最後の野生のトキ5羽すべてが捕獲され、佐渡トキ保護センターにおいて、人工飼育下に移された。(センターで付けられた足輪の色から『アカ』『シロ』『ミドリ』『キイロ』『アオ』と命名される)その後、繁殖の試みが続けられたが全て失敗し、2003年(平成15年)10月10日朝、最後の日本産トキ(キン)の死亡が確認され、日本産のトキは全て死亡した。ただし、生物学的にはまったく同一種である中国産のトキを用いて人工繁殖を行っているため、日本におけるトキの扱いは「絶滅」ではなく「野生絶滅」のままである。中国産や日本産という呼称は、人間の都合によるものでしかなく、両者の差異は個体間程度のものにとどまる。また、昭和初期の佐渡島や韓国には、現在日本で繁殖・放鳥が進められている「中国産」トキと同じ、ミトコンドリアDNAのハプロタイプがタイプ2にあたる個体がいたことも判明しており、日本と大陸の間でも遺伝的交流があったとみられる。


1998年(平成10年)、中国の国家主席であった江沢民が中国産トキ(ただし、前述のように日本産とまったく同一種である)のつがいを日本に贈呈することを表明し、翌1999年(平成11年)1月30日に「友友」(ヨウヨウ、オス)と「洋洋」(ヤンヤン、メス)が日本に到着した。2羽は新潟県新穂村(現佐渡市の佐渡トキ保護センターで飼育されることとなり、人工繁殖が順調に進められている。将来的には日本における野生化を目ざしている。なお、この時点では日本産トキの「キン」が存命であったが、非常に高齢のため繁殖は不可能とみられていた。

日本に「譲渡」されたのは友友と洋洋が初めてで、2011年現在でもこの2羽のみである。友友と洋洋のほかに3羽が日本に送られているが、いずれも中国から借りているもので、その個体と日本の個体との間に生まれた子供は、半数を中国に返還することになっている。

1999年(平成11年)5月21日には、友友と洋洋の子(オス)が誕生し「優優」(ユウユウ)と名付けられた。これが日本初・佐渡トキ保護センター初の人工繁殖例である。優優の誕生は、日本中で大きな話題となった。

2000年(平成12年)には優優のペアリングの相手として、さらに中国から「美美」(メイメイ、メス)を借り受けた。「友友と洋洋」「優優と美美」、さらにその子孫のペアで人工繁殖が行われている。現在では1年に数十羽のヒナが健康に育っており、また2004年(平成16年)には自然繁殖にも成功した。2010年(平成22年)12月の飼育数は佐渡トキ保護センター・佐渡トキ野生復帰ステーションが合わせて137羽、多摩動物公園が9羽、いしかわ動物園が12羽となっている。

1999年(平成11年)・2000年(平成12年)生まれの3羽には、日本全国の小学生から募集した案の中から環境庁(現環境省)が命名した(優優、新新、愛愛)。2001年(平成13年)7月に、環境省は個体名称による管理を廃止することを決めたが、2001年生まれの個体にも名前を付けたいと新穂村から要望があり、環境省はこれを許可。新穂村の新穂小学校・行谷小学校の児童が出した案をもとに村が決定した(げんき、さくら、たろう、ひかる等)。ただし、2001年生まれの個体についても、2011年現在では環境省やトキ保護センターの文書等で名前が使われることはなくなっている。2002年(平成14年)以降に日本で生まれた個体はすべて番号のみで管理されており、放鳥トキには飼育下の番号のほかにもう一つ番号が付けられる。

将来的にはトキを日本に復活させることを目標としており、2007年(平成19年)6月末から「順化ケージ」での野生復帰訓練が始められ、2008年(平成20年)9月25日に放鳥を開始した。 なお、放鳥を1ヵ月後に控えた2008年(平成20年)8月22日には、取材に訪れたテレビ局の人間に驚いた1羽が壁に衝突し、その2週間後に死亡するという事故が起きている。

また、鳥インフルエンザなどの感染症が発生した場合に一度にすべてが死亡することを避けるため、環境省によりトキの分散飼育が計画され、これに対して新潟県長岡市、島根県出雲市、石川県が受け入れ先として立候補、それぞれトキ亜科の近隣種を導入して飼育・繁殖を行った。2007年(平成19年)12月に4羽(2つがい)が多摩動物公園に移送され非公開の下で分散飼育が開始された。2010年(平成22年)1月8日には、すでに繁殖経験のあるつがいの2羽と、これからつがいとなることの期待される2羽の合計4羽がいしかわ動物園に移送され、多摩動物公園に続いて国内2番目の分散飼育が始まった。いずれも飼育されているトキを一般客が直に観察することはできないが、いしかわ動物園では映像を見ることができる。

地元住民の多くはトキの野生復帰に肯定的であるが、反対派や「どちらとも言えない」としている住民も少なからずいる。理由として、高齢化が進む農村においては農作業に必要な除草剤・殺虫剤の使用が制限されること、稲が踏まれて荒らされることなどが挙げられており、これは反対派だけでなく賛成派からも懸念されている。

第1回放鳥
2008年(平成20年)9月25日、佐渡市小佐渡山地の西麓地域にて10羽を試験放鳥、1981年(昭和56年)の全鳥捕獲以来、実に27年ぶりに日本の空にトキが舞った。10羽にはそれぞれ個体識別番号(飼育下の個体番号とは別のもの)が付されており、翼のアニマルマーカー(羽の一部に色をつけたもの)や、脚のカラーリング、金属脚環などで個体を識別できるようになっている。うち6羽にはGPS発信器も付けられている。
No. 01, 03, 04, 06, 09, 11, 13 (行方不明: 09, 13, 死亡: 07, 10, 15)
第2回放鳥
2009年(平成21年)9月29日より、メスをやや多めにして 第2次放鳥が開始され、10月3日までに20羽が飛び立ったが、うち1羽は直後に捕獲され19羽となった。1羽ずつを小箱に入れて放鳥したためにパニックを起こし散り散りになった前年の反省を踏まえ、今回は放鳥場所に設置された仮設ケージで約1か月間に20羽を飼育し、放鳥時はケージを開放してトキが自然に出て行くのを待つ「ソフトリリース方式」が採られた(第2回以降はいずれもソフトリリース)。
No. 08, 18, 21, 23, 24, 25, 26, 27, 28, 31, 32, 33 (捕獲: 17, 行方不明: 22, 30, 死亡: 05, 16, 19, 20, 29)
第3回放鳥
第3次放鳥は2010年11月1日に開始され、13羽が6日までに飛び立った。(最後に1羽が残ったが、翼に怪我をしていた個体のため放鳥を取りやめ保護された) その年の3月10日に、第3次放鳥に向けて野生復帰ステーション順化ケージで訓練中だった10羽がテンに襲われ、9羽が死亡、1羽が怪我をしているのが確認された。その後、天敵対策の工事が7月30日に終了したため、8月4日から14羽を順化ケージに放し訓練を再開した。
No. 38, 45, 48, 49, 50, 52, 53, 55, 56, 58, 59, 60 (中止: 54, 死亡: 46)
第4回放鳥
2011年3月10日から開始され、18羽が13日までに飛び立った。これまでの3回はいずれも秋だったが、第4回では初めて春に実施され、2011年からは春と秋の年2回となる。
No. 61-64, 66-69, 71-74, 76-80 (死亡: 70)

2011年春までに放鳥された60羽のうち、個体識別番号No.15、46、70が死亡し、1年以上にわたって確認がとれていない7羽も「死亡」という扱いになっている。6か月以上確認がとれない個体は「行方不明」とされる。

放鳥後に数羽(特にメス)が佐渡島から離れ、新潟県の本州側や、長野、富山、石川、福井、山形、秋田、宮城、福島の各県にも飛来している。複数の個体が佐渡島を離れ生息していることについて、佐渡市長の髙野宏一郎は「佐渡島に野性のトキを復活させるという当初の目的から外れており、好ましいことではない」と不快感を表明している。

中国

かつては中国においてもトキは非常に広い範囲(北は吉林省、南は福建省、西は甘粛省まで)に生息していたが、20世紀前半に個体数が激減し、1964年甘粛省康県岸門口での目撃報告を最後に見られなくなったため、中国科学院動物研究所が「絶滅」の最終確認として生息数調査を行ったところ、1981年5月に陝西省洋県の姚家溝と金家河で野生のトキ7羽を発見した(秦嶺1号トキ個体群)。その後生息地の保護と並行して人工繁殖行った結果、中国のトキは2008年8月現在で1100羽 まで数を増やしている。最初の10年ほどは、毎年数羽が巣立っていたにもかかわらず個体数は横ばい程度であった。しかし1989年に北京動物園のトキ飼養繁殖センターが世界初の人工繁殖に成功し、その頃から野生トキの個体数も順調に増加している。北京動物園が確立したトキの人工繁殖技術は、中国国家発明賞の二等賞を受賞した。トキの繁殖地は洋県、西郷県、城固県の3県に跨り、行動範囲はさらに南鄭県、佛坪県、勉県、略陽県、石泉県、漢中市漢台区にも及ぶ。人工飼育の拠点としては北京動物園のほか、陝西トキ救護飼養センター(洋県)と陝西省珍希野生動物救護飼育研究センター(周至県)がある。

中国での保護活動が成功した背景として、開発の手があまり入っていなかったことや、1990年に37,549ヘクタールにわたる陝西省トキ自然保護区が制定されるなどの政府主体の強力な保護活動が行われ、早期に生息環境が整備されたことが挙げられる。洋県では化学肥料・農薬の使用や森林の伐採が禁じられ、また開発も大幅に制限されており、これにより洋県で年間2000万元(約3億円)の減収となっている。しかしトキの生息域内にはひどく貧しい地域が多く、電気も通っていない集落もあるような状態であったため、生息地の保護と同時に現地住民への援助・負担の軽減も幅広く行われ、また地元住民からトキ保護職員を採用するなどの制度も設けられている。このように、政府と住民が協力してトキを保護していく関係を形成することに成功したことも、中国におけるトキの個体数回復の大きな要因である。

2003年に陝西省人民政府は、当時は省級 であったトキ自然保護区を国家級自然保護区へ昇格させるよう中央政府国務院に申請し、2005年に「陝西漢中朱鷺国家級自然保護区」として国家級に昇格した。

中国は2003年から国鳥制定に向けて準備を行っており、タンチョウが人気1位、トキが2位となっている。





ロシア


ロシアではアムール川・ウスリー川流域やハンカ湖、イマン湖、シンカイ湖、ウラジオストク周辺などで見られたが、19世紀後半から個体数が減少しはじめ、1949年・ハバロフスク、1962年・ハンカ湖、1963年・ハサ湖の観察記録を最後に姿が見られなくなった。



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朝鮮半島

かつては朝鮮半島にも多数のトキが生息したとされ、20世紀初頭には数千羽を超える大群が観察されたこともある。また山階芳麿によると、1936年の時点ではソウルの動物園でも飼育されていたが、他の鳥と一緒にされ、来園者からもほとんど注目されていなかったという。捕獲記録は今泉吉貞による1937年・咸鏡南道咸興のものが最後で、その後は1965年(平安南道師川)、1966年(板門店)、1978年(板門店)と3例の観察記録があるのみ。朝鮮半島では絶滅したものと考えられている。

2008年8月25日、中国の胡錦濤国家主席が韓国にトキを1つがい寄贈することを表明し、同年10月中旬に空路で移送された。これに備えて慶尚南道昌寧郡に牛浦トキ復元センターが建設された。贈られたのは洋洲(オス)と竜亭(メス)で、2009年にはこのつがいの卵から4羽のひなが孵化したが、そのうち2羽は既に死亡している。2010年には3羽が孵化し、1羽が死亡した。2011年3月現在、韓国のトキは洋洲と竜亭、2009年生まれの 따루다미、2010年生まれの 포롱이다소미、計6羽となっている。人工繁殖が順調に進めば、2018年に近くの牛浦沼に放鳥する予定。



伝承や作品の中のトキ


秋田県大館市には以下のような話が伝わっている。

諸国を回っていた左甚五郎という男がおり、大館の地に神社を建てることになった。その途中、腹が減ったので地元の農民に握り飯を乞うたものの、「お前のような下手糞な大工にはやれねぇ」と断られてしまったため、怒って杉のくず材で鳥を模り、それに田畑を荒らさせた。その鳥がトキであるが、彼は怒りのために鼻を開けるのを忘れてしまい、そのため鳴き声が鼻声になってしまった。

秋田県では他にもダオ(トキのこと)を用いる慣用句が多数伝えられている。また新潟県に伝わる鳥追歌では、スズメサギと並んでトキが「一番憎き鳥」として挙げられている。

数は多くないが詩歌などに詠われることもあり、かつてはトキが一般的で人間の生活の近くにいた様子が伺える。鳥類学者で、俳人でもあった中西悟堂も、トキを題材とした短歌を詠んでいる。

近年のトキを題材にした作品として、小説では、芥川賞候補・三島賞候補となった阿部和重「ニッポニアニッポン」(2001年)や、篠田節子の「神鳥(イビス)」(1993年)がある。「ニッポニアニッポン」はトキの殺害を計画する少年を描いたもので、「神鳥(イビス)」は獰猛なトキが人間を襲い食らうホラー小説である(なお、実際のトキは決して攻撃的ではなく、人間を恐れすぐ逃げる)。音楽作品では吉松隆の管弦楽曲「朱鷺によせる哀歌」(1980年)や鈴木輝昭女声合唱ピアノのための組曲「朱鷺」(1995年)などが挙げられる。









皮肉なものだと思う

身近に居たときには「一番憎き鳥」

ならば彼らの消滅を喜べば良いではないか


何の根拠も無いままに害があるとされ

彼らの生活圏を犯し、その生存条件の悪化を無視した


人間の身勝手で始末されたり保護されたり


彼らはそんな人間をあざ笑うように

子孫を残すまいとしている


彼らにとって種族の絶滅と引き換えに

その存在の消滅をもってする最強の報復だ


Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)


更に皮肉なのはこの鳥の学名


日本は今、少子化に喘ぎ

毎日のように子供が殺され死んでゆく

世を儚み消えて逝く

まるで日本人(大和民族)の行く末を暗示している

そう感じてしまうのは私だけだろうか

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