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今日ボクが見た風景

日本人=消えた10支族の話

Category: ブログ  


今日ボクが見た風景



日本では日ユ同祖論は、ただのロマンとして語られ
知名度も低く、とんでも話として、嘲笑されることすらあるが

本国イスラエルと世界のユダヤ社会では
長期に渡り、詳細な調査活動が世界的に進められていてかなり有名な話になっている。

そして、現時点においては、消えた10支族が行った先は
日本しか考えられないという意見が圧倒的な多数を占めている

最近、イスラエルが日本に異様なほど好意を寄せているのはこの為であり
日本の文化風習(特に神道)が、ユダヤのそれに異様な程似ていること
世界の先進国の中で、ユダヤ人差別がない国は日本だけであることから
アメリカがあまり当てにならず
アメリカに見切りをつけ始めたユダヤ人達が
次の足場になる国家として日本を選んだのではないかと言われている。


消えた10支族の行方探しはユダヤ人にとって、
イスラエル建国と並ぶ重要な事業だから、
彼等は今も必死になって情報収集を行なっている。

でも、世界のユダヤ社会の指導的な立場の人たちのほとんどが
それは日本でほぼ間違いなく、日本以外はあり得ないと結論を出している為
事実上の確定事実に近くなっている。
この結果、イスラエルの大学の日本語学科は、現在、一番人気であり
行きたい外国の調査でも日本の人気が飛びぬけて高くなっている。

日本人が一笑に付している、日本人=消えた10支族の話を
世界中のユダヤ人が大マジメで議論し、裏づけ調査の活動に駆け回っている。
(実際、現駐日イスラエル大使が講演で大真面目にこの話を断定的に話した
為、聞いていた日本人がビックリしたという逸話も生じている)
だから、この話は日本人が考えているような与太話では決してないし
外国では、意外なほど、メジャーな話題だったりする。

また、海外の著名人で日本をベタ誉めにしている人のほとんどが
ユダヤ人であることも、日本ではほとんど知られていない。
ただ、これを、ユダヤ人が日本人を褒め称えていると捉えるのは正確ではない。
正確に言えば、日本人を同民族と考え、ユダヤ人としての日本を褒め称えている
というのが正しい。これくらいだから、ユダヤ人は日本人と中国・朝鮮人の違いについても
意外なほどよく知っている。

尚、ユダヤ=朝鮮同祖論を言ったユダヤ人の話が、誤まって伝わっているが
実は、くだんのユダヤ人が言ったのは、消えた10支族は日本人であり
日本に行く過程で、朝鮮も通過しただろうから、朝鮮人の一部にも消えた10支族
の末裔が紛れている可能性があると主張したに過ぎず、
決して、ユダヤ=朝鮮同祖論を主張していたわけではない。
しかし、当の朝鮮人自身がユダヤ=朝鮮同祖論を誇りに思い歓迎した為
間違った情報として流布してしまった。というのが真相である。

*ところで、世界の日本に対する風当たりが強い中で、海外の日本礼賛者の
著者の多くは、ユダヤ人だといわれている。有名な『ジャパン・アズ・ナン
バーワン』の著者エズラ・ヴォーゲル、『それでも日本は成長する』の著者
ハーマン・カーン、『第五世代電算機』の著者エドワード・ファウンゲンバ
ウムなどなどは皆、ユダヤ人である。世界中集めても、たった1350万人
しかいないユダヤ人が、なぜ日本礼賛の本を書き続けるのか? 理由はどう
であれ、日本はユダヤ人のおかげで随分助かっているだろう。もしこれがな
ければ、日本に対する世界世論はもっと厳しいものになっていたにちがいな
い。今の日本人にとって、ユダヤ人は唯一の味方ともいえる存在である。

*このように、シオニズム活動(ユダヤ人のための祖国復帰運動)に見られ
るような強烈な選民意識、自民族に対する誇り高い意識を持ったユダヤ人が 、
アジアの果ての国日本に愛国心を延長したような感情を抱く有り様は、
一般人には全く異様に見えよう。


古代ユダヤ人は日本をエデンの園と考えていた?

中国神話では、東の海の果てに巨大な桑が2本生えており、これを扶桑と呼んでいる。
われわれが見る太陽は、この扶桑を伝って、天空に昇っていく。いわば扶桑は太陽の
象徴でもある。一方、雷は雷雨であり、晴天をもたらす太陽とは対極にある。いわば雷
にとって、扶桑、すなわち桑は大敵なのである。ゆえに、桑畑だけには、落雷できない
ということらしい。

ご存知のとおり、日本の異名は「扶桑」である。
つまり、中国神話において巨大な桑が2本生えている東の海の果ての国とは、
日本なのである。
トケイヤー氏によれば、古代からシルクロードの絹貿易を独占していたのは
ユダヤ人であった。ユダヤ系日本人秦氏は、機織の機=ハタであるといわれるように、
古来、養蚕業を生業としてきた殖産豪族である。秦氏が建て、三本柱鳥居がある
木島坐天照御魂神社は、一般に、蚕の社と呼ばれており京都の「太秦」にある。
桑や蚕とユダヤとは切っても切れない関係にあるのだ(桑の異字体で、又は十と書く)。

ユダヤ思想において、2本の木と言われてすぐに思い出すのは、「生命の木」と
「善悪の知識の木」である。ユダヤ教神秘思想カバラでは、奥義を「生命の樹」として
表現し、その象徴図形には、ジグザグの雷光が描かれることもある。

この2本の桑の木は、エデンの園の中央にあった「生命の木」と「善悪の知識の木」を
表しているのだろう。

つまり、この神話は、古代ユダヤ人が、日本をエデンの園と考えていたということを
象徴しているのではないか。



ロスチャイルドの当主は、昨年から日本のホテルに宿泊することが
多くなっているが、六本木の防衛庁跡地に建設中の超高層マンションに入居する
ことが決定しているらしい。

ロスチャイルド家の令嬢シャーロットはザルツブルグ音楽学校、英国王立
音楽院を卒業後、透明な声を生かし、オラトリオなどで活躍してきた。数年
来日本を訪問するうち、日本歌曲に魅かれて録音した。

【今、日本が失いかけている「感性」へのいつくしみが、歌の中にみずみずしく
生きている】と、畑中良輔氏も絶賛している。

1.遠くへ行きたい、2.宵待草、3.水色のワルツ、4.赤とんぼ、5.かんぴょう、
6.この道、7.かやの木山の、8.出船、9.待ちぼうけ、10.ちんちん千鳥、
11.早春賦、12.たあんき ぽーんき、13.野薔薇、14.花、15.さくら横ちょう、
16.たんぽぽ、17.初恋、18.九十九里浜、19.夏の思い出、20.芭蕉布、
21.浜辺の歌、22.椰子の実





<遺伝子>ユダヤとアラブの先祖は同じ 国際研究グループ

イスラエルとアラブとの対立が続いているが、遺伝子上はユダヤ人は
アラブ人と「兄弟」とも言える近い関係にあることが欧米とイスラエルの
国際研究グループの調査で判明し、9日付の米科学アカデミー誌に発表される。

 米ニューヨーク大医学校やイスラエルのテルアビブ大などのグループは、
7地域のユダヤ人を含む世界29地域の男性1371人を対象に、
男性の性染色体であるY染色体の塩基配列を調べた。

 調査の結果、ユダヤ人はパレスチナ、シリア、レバノンなど中東のアラブ人
と祖先が共通で、塩基配列に同じ特徴を持っていた。ユダヤ人とアラブ人は、
中東以外の非ユダヤ人とは塩基配列の違いが大きく、遺伝子上は離れた関係に
あった。ユダヤ人は地域ごとの塩基配列の違いが少なく、
他民族との混血があまりなかったことも分かった。

 研究グループは「ユダヤ人とアラブ人はみな、古代ヘブライ民族の始祖
アブラハムの子供たちであり、いずれも4000年以上にわたって
中東の遺伝的な特徴を保っている」と分析している。


古代中国文明を築いた人たちは、
日本の縄文人やマオリ族のような
姿をしていたのではないか、という
議論が中国歴史家の間でさえ行われています。

現在、YAP+を持つ人たちの居住区は
チベット、ブータン、雲南と四川の先住民、
東南アジア北部高地のシーサンパンナ地域、
広西チワン族自治区、浙江省と台湾にわずかに
のこる山岳先住民、沖縄、奄美、日本、アイヌ。
そして南太平洋と南北アメリカの先住民。

北方モンゴロイドの最後の膨張で
ヒマラヤから日本につながるYAP+ベルトが
断ち切られたのではないかということが議論されています。
チベットなどのYAP+と日本のYAP+、
南太平洋やアメリカの先住民のYAP+の間には差異があり、
それが北方モンゴロイドの膨張により、分断させられた
時期を表しているのではないかと疑われています。

現在、中原~南中国~北ベトナムの古人骨のYAP+調査が
中国の大学により行われています。

YAP+が見つかるのは、平野で3割、山間部で5割だから
全体で日本特有のYAP+をもつのはおそらく3割~4割か?


YAP+は、アフリカ人にも存在する。
同じ突然変移が起こる確率というのは、皆無といってよいほど少ない。
よって、ひとつの突然変移は、その子孫に受け継がれるわけだ。


それから、中央アジア経由でなく、南アジアから東南アジアを経て日本
にきている理由は、このYAPが非常に起源が古く、その当時の人の移動
はもっぱらアフリカから、アラビア半島、南アジア、東南アジアを経由
するコースしか考えられないからだ。
M174の経路をみればわかるように、東南アジアから日本に入り、そこか
ら、アジア内陸部に向かっていることもわかる。

日本人のYAP+は、基本的に、Dだ。で、これが多いのは、日本以外では、
チベットと、頻度は少ないが、スマトラ島の人達に多い。


チベットの情報がまったくないのが不思議だよな。
チベット人は、氷河時代のころから、ヒマラヤ近辺にいたかなり古い
民族で、周囲が他に囲まれて、残ったというのが実状のようだな。
さて、D,Eは、どちらも、同じ系統で、3ページめにあるように、Bから
分岐した系統だ。かなり根っ子に位置する。で、D,Eが双方ともにYAP+
であるが、それ以外の系統では、YAP+は、ないから、D,Eの共通祖先の
段階で、YAP+の突然変異が起こったわけだ。Eは、アフリカに多く、また、
ヨーロッパにも一部いる。
ということは、基本的に、D,Eの祖先は、アフリカにいたことになる。
問題は、チベットと日本とどっちが早いか、という話だな。
状況としては、日本のほうが古い可能性が高い。
よって、アフリカから、アラビア、東南アジアを経て、日本、そから、
西にむかってチベットへ、という経路を通っていることになるんだよ。
YAP+が別の系統で発生することはありえないから、共通祖先は、アフリカ
ということになる。


今日ボクが見た風景


↑これでいう、ht とかいうのの分類はD1,D2,D3に対応するようだね。
で、D1,D3には、以降の突然変異がないが、D2には、その後、多数
の変異がある、ってことは、起源としては、D2がもっとも古いことになる。
で、そうとすると、D2が古いんだから、それがたくさんいるところが、
古いわけで、それは、日本だ、ということだね。
このことから、D1のチベットや、D3の多い南部中央アジアと比べると、
日本のD2のほうが起源が古く、その結果として、日本からアジアに
ひろがったと考えるのが遺伝学的な考え方だよ。
で、このDのルートは、東南アジア回りってことになるね。


YAP+の話題からすると、日本人の中で、YAP+のタイプ、つまり、ハプログループ
が、D2なのは、おもに、琉球、アイヌ系ってことになる。つまり、日本人の
中では、先住民系になるわけだ。アイヌ系があれほど北にすんでいながら、
南方的要素が強いっていうのが面白いよね。

つまり、日本人の旧石器時代人は、考古学的にもいわれているように、
南方系なわけだ。旧石器時代人骨とされるものは、どれも東南アジアなど
のネグリトなどに近い系統だ。縄文人の平均身長が150センチ(男性)ちょい
なのも、こういう系統に近いからってことになるだろう。ただし、北方系
は大きいけど。
中国では、こういう南方系の要素の人々がどんどんおいやられて、周辺に
しか存在しないが、日本では、まだまだかなり多い。

現在のサハラ以南に住む人たちは、人類の系統樹の中の特別な、三つ
のもののひとつで特徴づけられる。遺伝学者によって、これら古い
時代の分岐は、YAPと呼ばれている。

YAPは、北西アフリカで起こって、サハラ以南の人々の三つの古代の
分岐の中ではもっとも頻繁に見受けられる。これは、Aluの挿入として
しられる突然変異によって特徴づけられる。これは、300塩基のDNAの
断片で、非常だが、細胞分裂時に、人間のゲノムの領域に挿入される。

時代とともに、この系統はふたつのグループに分岐した。
ひとつは概ねアフリカと、地中海沿岸にあって、
これは、M96というマーカーで定義され、それは、
ハプロタイプ E と呼ばれる。もう一方は、Dで、これはM174の突然変異
で定義され、アジアにある。

ハプログループDは、おそらくアフリカを出発した、
最初の大きな民族移動で、海岸氏族とされた(ハプログループC)
といっしょに移動したようだ。
海岸沿いの豊富な資源を有利に活かして、この大胆な冒険者たち
は、アフリカから南アラビア半島、インド、スリランカ、そして、
東南アジアへと海岸ぞいをおい続けた。
もっとも、そうではなくて、彼らはあとから海岸氏族の足跡をおい
かけて旅を続けたのかもしれない。この祖先の子孫の一部は周囲か
ら隔絶された中で、この古代のルートに沿っていまでも生きている。
とくに、東南アジアと、アンダマン諸島であるが、しかしインドには
いない。
この子孫はさらに後のふたつの民族移動を匂わせている。
それは、東アジアの海岸を北にむかったものたちで、それは日本に
到達した。そしてさらに最近の移動では、ここ数千年の間に、
モンゴルからチベットに入った子孫がいたということだ。

以下、この文章の感想ね。
ざくっと、アンダマン諸島あたりに痕跡があるから、東南アジア経路
であることは確定的なんだよな。アンダマン諸島の人々はかなり古い
民族であり、その場にずっと数万年前から住んでいた人々がいまでも
住んでいるところで、そのあたりは、他の遺伝子や、考古学的にも、
立証されている。
むしろ、モンゴルにからチベットに入ったのは、日本からモンゴルへ
むかったものたちの子孫ってことになるな。ようは、北方アジア人が
古代日本人の子孫の一部であり、日本人が北方アジア人から来た人達
の子孫ってのは、だいぶ後の話になるわけだ(弥生時代とかね)。

アイヌの系統と、日本列島北方の人達は、たしかに、アメリカ大陸に移住
した人々と非常に近い関係にあることは事実なんだが、そのアメリカ大陸
の人々の多くも、Y染色体ではCとかが多くて、これはアフリカから東南
アジア経由、日本列島(およびシベリア)からアメリカに入るってことだ。
もちろん、アメリカ大陸にいった人の中には、mtDNAのXとか、ヨーロッパ
系と関連する系統もいるが、日本人の中では、Xは発見されていない。
で、20世紀末ごろの日本人の研究者の文献の中には、縄文人骨のmtDNA
が、ヨーロッパ型だったとかいう話があるが、その当時はハプログループ
の定義もあいまいだし、全長配列での解析はしてない。
前にも書いたように、それで大間違いしたのが、中国山東半島の白人
系って話だったけど、全長配列解析したら、結局mtDNAのM型の亜種で、
東南アジアから北上した人達だったことが判明したりしている。
研究の日付が20世紀中で、著者が国立遺伝学研究所とかの系統だと、
宝来先生とか斉藤先生のもふくめて、ちょっといまではまったく通用しない内容になっている。

ヨーロッパ人の中にも、たしかに中央アジア系がいて、その中には、
東にいたって日本や中国までいたった人々と共通祖先だったこともあり、
それもはっきりわかっているが、(こと氷河時代末までの2万年前ごろ
までの話だと)日本列島は、北から南まで、どっぷり東南アジア系の
人々であるといえる。で、その一部がアメリカ大陸までわたったわけだ。

なお、もう少し加えると、こういう初期にアフリカから出た人々の子孫
は、2万年前ごろまで、形質的にはかなり古い特徴をもっている。
いわゆる北方系ののっぺり顔なんていなくて、髪の毛もたぶんちじれて
いて、肌もかなり黒い。このあたりは、日本の旧石器時代の人骨の特徴
でもあるし、さらには中国での旧石器時代の人骨の特徴でもある。
世界的にみて、現代人の地域ごとのいろいろな顔の特徴、肌の色などは、
ここ1万年か1万5先年ぐらいで形成されたもので、ヨーロッパ人も、
この時代、現代のヨーロッパ人と同じ顔をしていたとは思えない。

クロマニョン人一般も、骨だけからはアフリカ人と区別が付かないという。
だから、ドイツ発見のグリマルディ人が黒人の祖先とかいわれて
いるわけだ。まあ、北方東洋人ののっぺり顔が世界ではもっとも先鋭
的な顔であることも事実だわな。
あと、アフリカの黒人も黒くなったのは、ここ1万年かそこらだ。
もっと古い民族であるブッシュマンはかなり色が薄い。

日本にやってきた東南アジア系
(もちろん、アフリカ、アラビア、インドを経てってことだが)の子孫が、
断続的にきっちりと、アフリカ、アラビア、インド、スリランカ、
東南アジアに分布している。それと、関連する人々が、
オーストラリアまで移住していることもある。
逆に、アルタイ方面にその当時いたのは、それこそ、アメリカ大陸まで
移住していったmtDNAのハプログループXの人々だが、この系統は、日本
列島にも入って来てない。

数万年前の人々の移動が現在まで痕跡が残っているっていうのは不思議
に思うかもしれないが、現実には、いろいろな分析法によって、くっき
りと遺伝子密度の勾配が見えるんだよ。

とくに、日本にアフリカ、アラビア、インドを経てやってきた東南アジア系の人々の系統が
アンダマン諸島とかと関係があるとなると、
考古学的にも孤立した人々の話で、かなり信憑性が出てくる。
遺伝子勾配も、数珠状につらなるアフリカからの流れも、ひとつひとつ
はそれだけだと、根拠はうすいんだが、相互に相補的に証拠としてでて
くるので、よほどのすごい発見がないかぎり、崩れない結論だ。



日本に水田技術を伝えた人たちの移動ルートは
稲のDNA追跡から、判明している。

江蘇、浙江、福建→日本西南部→朝鮮半島の順。

稲と共にどれだけの人が渡ってきたのかはまだ不明。


日本への陸稲 8千年前に伝来
日本への水稲 3千年前に伝来

日本列島に「東南アジア方面から」「旧石器人」がやってきたのは、
「3万年以上」前のこと。
この人々が、基本的に縄文時代の日本人のベースとなっている。だから、
アイヌや、琉球の系統にこの「原日本人」の系統が多いってことだ。

日本列島から、中国北部やアメリカ大陸に向けて人口の拡散がおこって
いて、その時期は、2万年前から1万5千年前。これは日本列島とその
近隣(朝鮮半島も含む)からの「拡散」であって、日本列島への流入ではない。

3)弥生時代の始まりとともに、あきらかに大陸から日本列島に稲作文化を
ともなった大陸人の移動があったが、これは、紀元前1000年ごろである。
朝鮮半島経由か、中国南方からかはわからないが、系統は中国南方の系統だとされる。

年代をしっかり整理してくれよ。3万年前、2万年前。そして3千年前だ。

シュメール学の権威であるS・N・クレーマーによれば、
「ついこの間まで、プレアデス星団を指すシュメール語ムル・ムルと、この星々を
表す日本語「スバル」との間に、何か歴史的な、あるいは文化的なつながりを想定
するなど、だれにも夢想だにできないことだった。それが優れたオリエント学者
ロイ・ミラーが、権威あるアメリカ・オリエント学会の会長講演をもとに加筆し
“スバルの跡をたどれば、本当にシュメールの昔にまで行き着く”ことを論証した
のである」という内容の論文だった。

「スバル」=古事記、日本書紀、では「すまる、統る」とも記す。ちなみに
沖縄方言でムルブシ(星)八重山方言でムルカ星と言う。「スバル」星は「東」
の方角を指す道標。天皇(スメラミコト)も東に輝く「スバル」のミコトでは?





福岡県珍敷塚古墳壁画 6世紀後半(西暦550年以降)黄泉の国と、黄泉の国へ
向かうための船








エジプトのピラミッドの壁画、死後の世界へ旅立つ太陽の船とホルス神。



ホルス神はエジプト神話のオシリスとイシスの子。ホルスはギリシア語。
ハヤブサの頭をした男、あるいは女神イシスの膝に乗った幼児。これはキリスト教
の聖母子像の原型とされる。

両者が全く関係ないというほうが無理がある。珍敷塚壁画を描いた人々は、
どうしてエジプトの太陽の船とホルス神の構図を知っていたのか


YAP変異(挿入)はアフリカと中東と日本だけみたいね。
日本人男性の42~43%が保有。問題は多形が何時生じたかだね。
日本のYAP+変異は中東・アフリカと相似なのかな?

「YAPハプロタイプの5種類すべてと27種類のコンビネーションハプロタイプのうち21種類は、
アフリカの人類集団で観察され、他の地理 的な場所に由来する集団に比べて、
より大きなハプロタイプの多様性をもっていた。
5種類のハプロタイプの特定の組合せ(サブセット)のみがアフリカ以外の集団では観察された。
今回観察された地球規模でのY染色体DNA変異のパターンは、
現代人の複数回に渡る脱アフリカと地域拡散の仮説を支持するものである。」

新しい出エジプト集団の多形が古い変異を持つ集団の分布に上書きしていったと考えれば、
日本人の持つYAP+は初期の「出エジプト」集団に起源を持つということになる…?

ヨセフは、エジプトの祭司ポティ・フェラの娘アセナテと結婚してエフライムとマナセが生まれた。(創41:50) 
(*当時のエジプトにはまだアレクサンダー遠征によるギリシャ人の血が入っていない) 


イスラエルの調査機関アミシャブのラビ・エリヤフ・アビハイル氏は、日本人のDNAを調査すると公言した。

DNA鑑定こそ、ユダヤ人の同胞を捜す決定的方法であり、この方法をアミシャブも重要視している。 

しかし、日本への古代ユダヤ流入に関する日本人のDNAを調査は、現在、個人情報保護法により中断されているもようである←これが一番謎である

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