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あの<辻元清美氏>民主党に入党 次期衆院選は公認候補に

Category: 政治  
<辻元清美氏>民主党に入党 次期衆院選は公認候補に

<辻元清美氏>民主党に入党 次期衆院選は公認候補に
社民党を離党した辻元清美前首相補佐官(51)が民主党に入党し次期衆院選で同党公認で立候補する見通しとなったことが7日、関係者の話でわかった。党大阪府連は10日に常任幹事会を開き、辻元氏の入党を了承し衆院大阪10区支部長への就任を内定。その後、党本部が正式決定する予定。

辻元氏は鳩山内閣で社民党から副国土交通相に就いたが、社民党の連立離脱で昨年5月に辞任し同8月に同党を離党した。辻元氏はその後に衆院会派「民主党・無所属クラブ」入りしたものの、当面は民主党入りはせず無所属での活動を行ってきた。東日本大震災直後の今年3月からはボランティア担当の首相補佐官に就任。今月の菅内閣の退陣に伴い補佐官を辞任した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110907-00000051-mai-pol






自民から民主逆に民主から自民に入党、しかもその政権で重要閣僚に
登用された議員は幾らでも居るが総てバカ間抜けなのかね?
無論、民主にも多いが自民党のベテランと言われる議員さんの履歴を調
査されたい、幾らでも居るよ離党・新党・他党・復党の連中が、
特に、人気が高いと言われる自民政調会長の石波なんぞは宮沢内閣崩壊
時30余名と離党しあろうことか当時小沢率いる新生党さらには新進党の
軍門に下った。
その後、自民党が息を吹き返すと政策理念が違うと再度復党今に至っている
がその彼の何処に理念・真理・道義が有るのか?
なにも辻元を弁護擁護し支持する積りはないが政治家は似た様なもの、てめえ
の保身保持に懸命なのだよ。



国会議員の身分を自覚せずに個人の性嗜好を優先


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2007年週刊新潮によりアダルトショップ主催の女性イベントでバイブレーター
(大人のおもちゃ)にサインをしていたことが報じられた。

この席で、辻元代議士はどんな話をしたのか、といえば、一時間以上も関西弁で話し続けたそうだ。
「週刊新潮来てへんやろな」 と前置きした上で、

「小泉さんってマッチョやで。単なるマッチョ男」
「私の政策の柱はピースでフェアでフェミ」
「私の事件、メディアによる2次被害、3次被害みたいなのを今もやられてるからね」
「国会議員って言うのは、国民の生命と財産を守るといわれてるけど、私はそんなつもりでなってへん。
私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の国会議員や」

(省略)

20年ほど前に流行ったラディカルな雰囲気の中、 辻元代議士は、
会場で展示販売されていたセックスグッズの中から、
自分の推奨するバイブレーターを選び、楽屋でサインしたのである。
この件について、翌日、別のイベント会場にいた辻元代議士に伺うと、
本紙記者の名刺を目にした瞬間、顔面が蒼白になり
「こっ、こっ、国会の事務所を通してください」の一言だけだった。
(酒たまねぎやホームページ) より 





★当サイトでは個人的な性嗜好について取り上げる気は全くないが、
国会議員としての立場での言動についてあまりに常軌を逸していたのであえて記載した。

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ピースボートの設立者。過激派・日本赤軍と深い関わり合いを持つ



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上、募集ポスター。下が現在の船(過去には北朝鮮国旗を堂々と船体にペイントしていた )

ピースボート (wikipedia)の設立者で元代表
ピースボートは国家とは別の「地球市民」としての草の根の繋がりを作ることを標榜して
1983年設立されたNGOなのだが、実態は…




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・日本赤軍(共産主義者同盟の分派)が国際的に作った支援組織「ADEF(反戦民主戦線)」の表側の組織


・「日本の常任理事国入りを邪魔する反日デモ」
「中国での反日デモは日本人が過去を反省しないのが原因だから日本が悪いデモ」などを行う


・「反戦」などを掲げているが支那の虐殺行為
(チベット、ウイグル族、ベトナム他多数)や北朝鮮の政治犯収容施設には黙殺


・酷い航海内容。若者の乱交パーティ、違法薬物使用など





詳細→http://ameblo.jp/nyaonnyaon/entry-10071349960.html    
http://ebi.2ch.net/sisou/kako/971/971863776.html
◆海賊対策で海上自衛隊派遣に反対していた辻元◆
資金集めのツアー中に海賊に襲われたピースボートがギリシャ海軍に保護される
ピースボートを海賊が追尾 アデン湾
2010.5.7 http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/100507/mds1005070102000-n1.htm





このピースボートに関連して辻元のパートナーで元 日本赤軍 のメンバー 北川明
が営利法人『株式会社ピース・イン・ツアー』 を設立。
実態は極左活動と売国資金確保の為
『株式会社ピース・イン・ツアー』と協力しNGOとしてピースボートを利用。

この 北川明 という人物は
「辻元清美の内縁の夫」
「元日本赤軍」
「第三出版社長」 という3つの肩書きを持つ人物。

日本赤軍   (wikipedia)
(※『赤軍』というのは「武力で革命できる」と考えているテロリスト組織。
あさま山荘事件 で警察と銃撃戦をしたのも赤軍のゲリラ。
よど号ハイジャック事件 で北朝鮮に亡命した実行犯達も赤軍派。
“赤” というのは“共産主義”の意。広義には“ソ連”や“中国”を意味する。

【関連】学生運動の正体 ・千葉景子の正体 ・日教組の正体



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写真左下が「北川明」
右上が「重信房子」



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辻元清美の内縁の夫である北川明は、 昭和50年、スウェーデンから強制送還され、
旅券法違反で逮捕された 日本赤軍のヨーロッパ担当兵。
西ドイツの日本人商社員誘拐・身代金奪取作戦に参加予定だったのが未遂に終わり、
公安調査庁がずっと動向を調査してきた要注意危険人物。
辻元の選挙区は大阪10区(高槻・島本)、氏の地盤の高槻市はあの 赤軍の重信房子が潜伏、
逮捕された場所であり、周辺に日本赤軍の関係者・支援者が多い土地である。

重信房子支援者が勤務していた高槻市の光愛病院の創設者は、
日本赤軍の前身である共産主義同盟(ブンド)赤軍派の元メンバー。
光愛病院は、日本赤軍支援グループの拠点、巣窟だった。
辻元の選対本部には、元過激派のメンバーが現在でも多数所属
(辻本は早大在学中に極左団体と関係していた)

余談であるが 辻元は学生時代、金に困ると新宿紀伊国屋書店で豪華本を何度となく万引きし、
古書店に売りさばいていた。

また早稲田時代、夏目漱石の著作権が切れているのを逆手にとって岩波の全集あたりを底本にして
「ザ・漱石」なる粗悪本を印刷し大量に売りさばいていた。
出版社としての信義にもとる卑劣な行為と言わざるを得ない。
また 辻元の内縁の夫、北川が経営する「第三書館」という出版社は、マリファナや殺人、
テロに関する詳しい書籍など、著しく極左的・反体制的・反社会的な著作を多数出版。
辻元の著作5点も「第三書館」から刊行。
また、 辻元が主催していた頃の「ピースボート」船上では当局の目が届かないのをいい事に参加者間
(漫画家の石●啓や京大出身の某助教授ら)で公然とマリファナが吸引されていた。
「ピースボート」は日本赤軍が国際的に作ろうとしている支援組織「ADEF(反戦民主戦線)」の表側の組織 。
北川は日本赤軍が移動する際、ピースボートに紛れ込んでいた。
ソース



http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1418.html
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「関東大震災~『朝鮮人虐殺』の真実~(工藤美代子著)」

Category: 在日・パチンコ  
「関東大震災~『朝鮮人虐殺』の真実~(工藤美代子著)」を読みました。



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ご存知の方も多いでしょうが、雑誌「SAPIO」で1年余りに渡って、連載されていたものを加筆してまとめたものです。連載を目にしたときは「おっ!興味のあったテーマ」と強く惹かれながらも、以前にも言いましたように、雑誌「SAPIO」は毎号買ってはいるものの、読む暇がなく、まともに読まないで放置してしまう号も多いため、この連載は「時間ができたときにまとめて読もう」とずっと思っているうちに本著の発刊となりました(笑)。




さて、僕の昔からの関東大震災の大雑把な知識とは、

「大正時代に首都圏で大地震があり、昼時で台所作業をしている最中であったため各所で火災が起こり、大震災へと繋がり膨大な死者を出した」

です。

そして、学校で習ったのか、NHKなどの偏向歴史番組でたまたま得た知識なのかわかりませんが、

「朝鮮人が虐殺された」

という知識も何となく持っていました。




以前は、大部分の普通の日本人もそうであると思いますが、数十年も前の出来事なんて「へぇ、そんなことがあったんだ」で済ますものだと思います。僕もそうでしたが、特に10数年前からの中国や韓国での反日騒ぎを目にして、「一体、この人たちは何でそんな昔のことを今も根に持っているんだ!?」と理解不能でした。

ただ、最近は身近に中国人&韓国人留学生が増えたこともあり、数年前の中国の「反日デモ」をきっかけとして、近代史書を読み漁り、黄文雄著の「日中戦争 真実の歴史~今こそ中国人に突きつける~」を読んだことが大きな転換点になったことはこれまでに何度も述べたとおりです。

馬鹿みたいに近代史の本を読みましたが、「関東大震災」をテーマにした本は手にする機会がありませんでした。ただ、先の敗戦時の混乱に乗じた在日朝鮮人の暴挙を知ることによって、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」という知識は、「どうせ震災の混乱に乗じて、朝鮮人が暴挙の限りを尽くしたことへの報復だろう」という健全な認識に変わることは容易でした。




以前、身近にいた韓国人留学生(女性)で、極めて「キムチ・パワーの強い韓国人」(負けん気が強く、とにかく日本にだけは負けないというスピリットの持ち主)がいました。

例えば、こんなやりとりがありました。

ある寒い冬の帰り道、僕が「韓国の冬の気温はどのくらいなの?」と訊くと、「マイナス○℃くらい」というので、「へぇ、韓国の方が日本よりも寒いんだね」と何げなく返すと、「韓国にはオンドル(床暖房)があるから日本の方が寒い!!」とムキになってきました(苦笑)。

そんな韓国人とある時、たまたま(?)歴史や竹島の話になったのです。

そこで、僕は徹底的に論破してやったのです(コツは相手よりも熱くならないで論理的にねじ伏せることと相手が弱気になったらたまにフォローを入れてあげることでしょうか)。

すると、その娘はそれまでのキムチ・パワー全開から明らかに表情を変えて、「実は・・・」と切り出してきた。

そして、次に出てきた言葉が、「実は・・・私のお祖母さんは関東大震災が起きるまで、東京の青山に住んでいた」でした。

その娘の表情からして、明らかにキムチ・パワーが消えて、「私のお祖母さんは日本に住んでいたんですよ」と親近感を得ようという発言にも思えましたが、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」に話が及ぶ可能性もあります。

上述したような「どうせ、朝鮮人が暴挙の限りを尽くしたことへの」云々という適当な反論をすることはできましたが、知識武装は不十分だったので、僕は「マズい!」と身構えました(笑)。

ところが、その娘の次に出てきた言葉が、「凄いと思いません?」でした。

「へ?」と思わず呆気に取られると、「関東大震災が起きて、家が焼けて住む家がなくなったから朝鮮半島に帰ったんです。もし、その時、朝鮮半島に帰らなかったら、お祖父さんとも出会えなくて、そうしたら、私は生まれなかったんですよ。凄いと思いませんか?」と言って、「虐殺」の「ぎゃ」の字も出なかったので拍子抜けしてしまいました(笑)。




さて、前置きが長くなりましたが、本書に戻りましょう。

まず、最初に一言だけ言っておきます。




アベコベ史観よ、さようなら!!




はい、GHQ占領下の日本人洗脳政策(いわゆる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」)、そして、戦後の日教組教育による自虐史観の浸透によって、史実がすべてアベコベに転換されて、すべて戦前の日本が悪いという史観が刷り込まれてきました。

「中国」が日本に対して一方的に仕掛けてきた「シナ事変(『日中戦争』)」が何故か「日本の中国侵略」とされたり、西洋諸国に侵略され植民地化された東南アジア諸国を日本が西洋の植民地支配から解放する「大東亜戦争」が何故か「日本のアジア侵略」の「太平洋戦争」とされたり、長年の満州問題の結果である満州事変が、日本の「侵略戦争」の発端とされたり・・・。




まあ、手っ取り早く、「関東大震災(1923年)時の朝鮮人虐殺」の実態をいきなりまとめたいと思います。




時代背景から言うと、1917年にロシア革命(共産主義革命)が起き、それに触発されるように1919年に朝鮮半島で「3.1独立運動」が起きます。ちなみにこれは35年の日韓併合時代の最大の独立運動で、今の韓国の憲法の前文でも記されるほど重要な運動とされています(その後は大規模な運動はなかったのですが・・・)。

その後、関東大震災が起きるまでの数年間、上海に拠点を置いた朝鮮人の独立運動過激派(全朝鮮人のごく一部ですが)が日本で多くの犯罪やテロ活動、テロ未遂を繰り返します。

まあ、今でいうところのアルカイダですよ。

共産主義者(社会主義者)と朝鮮原理主義者(独立運動過激派)がお互い利用し合うように協調していったのです。

そんなわけで関東大震災が起きる前から、日本人の間で朝鮮過激派に対する警戒心が強まっていったのです。

そして、1923年9月1日、首都圏で大地震が起き、混乱に乗じて、

既に日本国内に集結していた朝鮮人過激派があらゆるテロ活動を実行に移したのです。

先に、「昼時で台所作業をしている最中であったため各所で火災」と書きました。もちろん、そうした要因もあったでしょうが、

朝鮮人過激派が首都圏を放火して回ったことも大きな要因なのです。

そして、それだけでなく震災の混乱に乗じて、朝鮮人テロリストが殺人、強姦、掠奪、爆弾の投下(!)といった悪事の限りを尽くしたため、それに対して、首都圏の各地住民が、自ら自警団を結成し、朝鮮人過激派に対抗するために自衛活動を実施し、抵抗し、「朝鮮人虐殺」と呼ばれる朝鮮人テロリスト殺害に繋がったのです。

もちろん、筆者も繰り返し強調していますが、それによって、無辜の朝鮮人も巻き添えにあった件もあったでしょうが、アルカイダの自爆テロがあったが故に駐イラク米軍が時に無辜のイラク人を誤って殺害したのと同じようなものと考えるべきでしょう。まあ、厳密に言えば、イラクの米軍の場合は自らが勝手に始めた戦争だからアメリカの自業自得ですが、朝鮮人過激派のテロ活動によって、無辜の朝鮮人が殺されてしまったことは朝鮮人の自業自得ともいえる悲劇でしょう。




さて、先に「既に日本国内に集結していた朝鮮人過激派があらゆるテロ活動を実行に移した」と書きました。

何故、当時、彼らは日本国内に集結していたのでしょうか?

実は、この年の11月に皇太子(昭和天皇)のご成婚儀式が行われることが決まっていて、皇太子(昭和天皇)を暗殺するために朝鮮人テロリストが集結していたのです。

ところが、思ってもみないときに大地震が起き、首都圏が大混乱に陥ったため、それに乗じて、テロ活動を開始したのです。




ところが、現在の「『正しい』歴史認識」においては、「朝鮮人が暴動を起こしているという流言蜚語(デマ)が流されたため、それに躍らされた日本人がかねてから差別していた無辜の朝鮮人を大量虐殺した」とされてしまっています。

ただ、本書を読んで驚いたことは、「流言蜚語(デマ)」説の発端は当時の日本政府も絡んでいたということです。




運悪く、震災数日前、時の加藤友三郎首相が急死したため、急遽、山本権兵衛に首相の大命が下りつつも組閣ができていない時期に大地震が起きたため、震災時は政治の空白期間でした。

震災が起き、急いで内務大臣に就任したのが後藤新平である。

「台湾近代化の父」とも言われる、この後藤新平が実は「流言蜚語」説の創設者と言っても過言ではないから驚きです。

後藤は何を考えていたのか?

震災直後は、朝鮮人暴動に対する自衛のため各地住民が自ら自警団を結成して自衛に当たりましたが、警察&軍隊の体制が整いつつありました。そして、朝鮮人暴動に対し、血眼になっている住民が時に無辜の朝鮮人を殺害することも稀にあったため、それによって、皇太子(昭和天皇)暗殺を企む朝鮮人過激派を刺激したくなかったということです。

そして、後藤は内務相の権限により、徐々に復興しつつあったメディアを使って情報操作までしているから驚きです。

そこで、「朝鮮人暴動は『流言蜚語』に過ぎないから、自警団は武装解除せよ。後は警察と軍隊に任せよ」「朝鮮人は皆善良だ」といった報道が飛び交います。「ボランティアで街の復旧のために汗を流す朝鮮人」という美談まで報じられます。

もちろん、言うまでもありませんが、街の復旧のために給料を貰っていた日本人は一人もいません(笑)。

おまけに現在では、そうした朝鮮人は「強制労働」させられたと非難する輩がいるんですから馬鹿らしいとしか言いようがありません。

また、無辜の朝鮮人が朝鮮人テロリストと間違えられて危害を加えられないように、日本政府が徹底的に保護し、各地の施設に誘導されて、食糧や衣服なども配給されています。

馬鹿らしいことに、そうした朝鮮人は「強制連行」されたと非難する輩が今ではいます・・・。

言うまでもありませんが、被災した大半の日本人には食糧や衣服や住居も思うようになりませんでした。

ちなみに首都圏近郊に1万人弱の朝鮮人が住んでいましたが、日本政府がこのように保護した朝鮮人は6800人です。「残りは虐殺したのか?」と言う輩もいそうですが、保護施設に入らない朝鮮人もいましたし、当然のことながら震災によって亡くなった朝鮮人も多数いたでしょう。朝鮮人だけが不死身じゃないからです(笑)。


本書には当時の報道記事、政府公文書(イギリス政府のものもあり)など様々な文献(虐殺説を流布させた文献も含む)を紹介しつつ、被災者の死体写真に勝手なキャプションが付けられて「関東大震災の朝鮮人虐殺」の証拠とされていることへの簡単な論破も記されています。

それにしても「南京大虐殺」神話の写真もそうですけど、こうした古典的なプロパガンダはいつになっても続きますね。

例えば、2002年に発行された「関東大震災と朝鮮人虐殺(山岸秀著・早稲田出版)」という本でも展開されています。

まあ、死体の写真なんて見たこともないウブな人は、死体写真を見せられると衝撃を受けて、勝手な説明を受けるだけで真に受けてしまうんでしょうか。最近のアフガニスタンでのテロによる死者の写真に「南京大虐殺で日本軍に殺害された中国の民間人」なんてキャプションをつけても真に受けてしまいそうです(笑)。




あと、1924年、在京英国大使館が本国に送った文書も興味深いです。そこには「横浜の英国総領事が郵送で受け取った『朝鮮独立運動の朝鮮人』発行の小冊子とチラシをここに送付します。(略)不幸な出来事はこの小冊子の筆者によって著しく誇張されており(略)」として、送付された朝鮮人がばら撒いた反日プロパガンダのアジビラからもちょっと抜粋してみたいと思います。




「原野で道に迷った羊が獰猛な野獣の餌食になったように、自由を失った人間は抑圧するものの犠牲になった。日本では大震災のさなかに、多数の罪なき朝鮮人が何の挑発行為や大義もなしに血に飢えた日本人によって虐殺された。日本人が犯した恐るべき残虐行為の証拠は、以前は入手できなかった。日本政府が生き残り朝鮮人による調査を一切禁じたからだ。(略)

1923年9月1日、日本政府は一般大衆のほか、兵士、警察本部、自警団に向けて無線で特別命令を出し、『朝鮮人の老若男女を街角で見かけるか、家の中、あるいはどこかに隠れているのを見つけたら、いつでも殺害せよ』と指示した。無線で命令が出されるや、悪魔のような殺し屋が、銃、刀、火かき棒、斧、棍棒など利用できるあらゆる武器を手に、四方に散らばり街頭や家々、森、川船、丘陵地帯などで朝鮮人狩りをした(略:以後、中国式・朝鮮式の残虐な殺戮描写が続く)」




呆れてものが言えない・・・。中国人と朝鮮人の発想は驚くほど似ている。中国のプロパガンダの最高傑作「南京大虐殺」も似たような描写です。

そして、更に始末に終えないのは、日本人左翼や現在の中国人&朝鮮人はこうした宣伝も史実として真に受けてしまうことです(苦笑)。




おそらく今後も朝日新聞(テレビ朝日)や毎日新聞(TBS)やNHKといった左翼大メディア様は「関東大震災と朝鮮人虐殺」という虚構の神話を宣伝し続けるのでしょうが、震災時の毎日新聞はどのように報じていたのでしょうか。

毎日新聞の前身である「東京日日新聞」(当時、倒壊を逃れた数少ないメディア)の9月3日の報道を見てみます(基本的に原文まま)。




【不逞鮮人 各所に放火 帝都に戒厳令を布く】

「(略)一方猛火は依然として止まず意外の方面より火の手あがるの点につき疑問の節あり(略)、当市内鮮人、主義者等の放火及び宣伝等頻々としてあり(略)、現行犯として検挙したがいずれも不逞鮮人である」

※不逞(てい)鮮人・・・(一部の)悪質な朝鮮人。




【鮮人 いたる所めったぎりを働く 二百名抜刀して集合 警官隊と衝突す】

「今回の凶変を見たる不平鮮人の一味は避難せる至る所の空家等にあたるを幸ひ放火しておることが判り、各所では二日朝来警戒を厳にせる折から、午後に至り市外淀橋のガスタンクに放火せんとする一団あるを見つけ辛うじて追い散らしてその12を逮捕したが、この他、放火の現場を見つけ取り押さえ、又は追い散らしたもの数しれず(略)、二百名の鮮人が抜刀して目黒競馬場に集合せんとして警官隊と衝突し双方数十名の負傷者を出したとの飛報警視庁に達し(略)、軍隊側の応援を求めた(略)」




昨今、完全に朝鮮人に支配されている観のある毎日新聞(TBS)は当時のこうした自分たちの報道をどう捉えるのだろうか。それらを必死に覆い隠して、朝鮮人テロリストの暴動という流言蜚語に躍らされた「馬鹿で残忍な」日本人が「善良な」朝鮮人を手当たり次第に虐殺したとでっち上げ続ける気であろうか。




当時の警察の内部文書(各地への緊急電)にも次のようなものがある。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注ぎて放火する者あり。(略)朝鮮人の行動に対しては厳密なる取締りを加えられたし」




そうした朝鮮人テロリストから家族を、地域社会を守ろうとして自発的に各地域で結成されたのが自警団です。

反日左翼の虚言作家、大江健三郎は後に「ウルトラナショナリズムの異様な突出」と酷評していますが、当時、事態の沈静化を計ろうとした後藤新平内務相の前の内務大臣である水野錬太郎は後に次のように書き綴っています。




「この自警団なるものは官の命令によるにあらず、人の勧めによるにあらずして期せずして全市区に同時に起こったので、これこそ真の市民自治自衛の精神の結果であると思う。しかも自警団員の多くは各自震災の厄を受け、疲労困憊せるにもかかわらず、自己並びに隣人の安全に期するために犠牲的精神をもって起こったものである。

もちろん、自警団員中には時に軌道を逸し、不穏な行為をなし、非違の行動を敢てしたものもあった。(略)彼らは只徒らに殺傷せんがために殺傷したるにあらず、当時の実情に徴すれば、自己並びに自己の夫人を援護するにはこれによる他なしとの心より出でたものもあろう」




また、大曲駒村(おおまがりくそん)という俳人も以下のように記しています。




「今回の震災ほど官民一致して事に当たったのを、余はかつて目撃したことはない。これは帰するところ、人力をもって天災にあたるという覚悟から来たものに他ならないのである」




大正期は「坂の上の雲」である日露戦争に勝利した後、左翼思想が蔓延した時期です。ロシア革命の思想も入ってきて、「大正デモクラシー」というリベラルな空気に溢れたのです。

言ってみれば、「坂の上の雲」として経済大国に成り上がった後、バブル崩壊によって迎えた平成期に近いものがあるでしょう。

そんな中、地域の住民が一体となって、自己犠牲の精神によって自発的に自衛に当たったことは個人的には素晴らしいと思います。

ちなみに井伏鱒二(作家)も自伝長編の中で、「女子供は別として、仮にも男は、それぞれ自警団の仲間入りをしなくてはいけないのである。暴漢騒ぎで誰しも気が立っていた」と記しています。

また、当時64歳の内村鑑三(「代表的日本人」の著者、キリスト教思想家)も息子で医学博士の内村祐之と一緒に夜警に当たっているほどです。

今のニホン人にそんな義侠心や公心や団結力が残っているのか、地域社会でそんなことができるかのかどうか不安がありますね。




さて、本書とは関係がないですけど、GHQ占領下、吉田茂首相(当時)がマッカーサーに送った書簡があります。




「朝鮮人移住者の問題に関しては、早急に解決を図らなければなりません。彼らは、総数100万に近く、その約半数は不法入国であります。これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。(略)

朝鮮人の中に犯罪分子が大きな割合を占めております。彼らの多くは共産主義者並びにそのシンパで、最も悪辣な種類の政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります」




さすがの卓見です。

こうした吉田茂の願いが聞き入られなかったがために、戦後日本の問題点が今に至っても続いているのです。

何故、日本の左翼と朝鮮人が密接な関係にあるのかわかると思います。


あと、念のために言っておきますが、僕は何も民族差別をここで主張しようとしているのではありません。

その手の軽薄な排他的ナショナリズムは毛嫌いしています。

そのため、在日朝鮮人が日本国民としてのアイデンティティーを持って、日本国家及び天皇への忠誠を誓うなら、彼らが日本に帰化するということにも全く反対していません。

ただ、現在の在日朝鮮人はどうでしょうか。

母国へ帰るわけでもなく、日本に帰化するのでもなく、ただ「在日特権」を謳歌し、日本の左翼と結託して反日左翼運動を煽動し、遂には政権与党となった民主党と連携して、更なる「在日特権」を得ようし、民族の「恨(ハン)」を晴らさんがべく、日本を弱体化し、いずれ日本をかつての朝鮮のように亡国へと導こうとさせているようにしか思えません。

それ故に、僕は仮に善良であっても、どうも今のように「在日特権」を謳歌する在日朝鮮人には不快感を持つのです。無論、それらと同類のニホン人に対してもです。




さて、最後に本書から抜粋します。




「日本人にとっても、貧しくとも真剣に汗を流して働いていた在日朝鮮人(注:当時は日本国民)にとっても、この大震災は不幸な出来事であった。

再三述べるが、無辜の朝鮮人が命からがらの目に遭わざる得なかった例が少なくないことは承知している。生死を境とした恐怖心をはらむような状況が各自警団側にはあったのだ。それは既述のように『鮮人襲来』が真実だったためである。やや過剰と言われても、町内と家族の身の安全を最優先に考えて怪しき振る舞いの朝鮮人を難詰し、相手が反抗したり逃げ出したりすれば暴力沙汰になっても、これを押さえ込むのは自衛上、やむを得ない処置だ。

そうでなければ、組織的な主義主張をもって、日本を大混乱に陥れようとするテロリストたちに組み伏せられ、町内の破滅は国家の破滅へと進んだに違いない。

一方で末世の地獄とも思える大震災、大火災の打撃を受けていた市民と自警団にも心理的な混乱は起こっていただろう。

だが、それももとを質せば、社会主義者と抗日民族主義者が共闘し、上層部からの指令を受け、天災に乗じ思いを遂げようとした輩がいたからだということを忘れてはならない。被害者は日本国民と大部分の無関係な朝鮮人生活者だったのだ」



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植民地が独立した時に賠償金を支払った宗主国は存在しない

Category: 歴史  


武力で侵略したわけではない。世界が認める形(アメリカが仲介でポーツマス条約)で

そして、朝鮮もそれを望んで(李完用・一進会)日本は朝鮮を併合した。



当時は日本だった半島で、日本国民だった朝鮮人を日本の法律に従って扱っただけ、何も違法ではないし、人道的に非難もされていない。だから本来は韓国に謝罪する義務も金銭を支払う責任も無い



日本はナチスと違って民族抹殺などしていないし、逆に近代化して人口を大幅に増やしたほどだ。ホロコーストとは全く違うのに無理矢理同一視して「だから我々朝鮮人は酷い目にあったに違いない」と、根拠も証拠も無いのに決め付けている。何かといえば「ドイツを見習え」と声高に叫ぶが、韓国が国定教科書で教えている酷い行為を大日本帝国が行っていなかったことは明らかになっているし、逆に日本は半島に投資して生活を豊かにしてやったほどだ。これだけでも日本が半島に対して賠償金を出す理由はない。



西洋諸国で、植民地が独立した時に賠償金を支払った宗主国は存在しない


敗戦国のドイツすら植民地には何も支払っていない。それどころか、オランダなどはインドネシアの独立の時に60億$を請求し、オランダ人がインドネシアに所有してきた農場などの土地財産は保全すること、スマトラ油田を開発するのにかかった費用は弁済することなどをインドネシアに要求してきた。その他の西洋諸国も同様で、独立した植民地には何もしないか独立費の要求などをしている。独立させた上に賠償金まで支払っている日本は、本当に例外中の例外だと認識しなければならない。 「こんなことは自分たちで独立を勝ち取った東南アジアの人達には分かりすぎるほど分かっている。だから彼らは日本に対して今さら何も求めないし、反日行為はしない。でも自分たちでは何もせずに独立させて貰っただけの韓国は、そんな常識すら理解できずに「とにかく日本は金を払え」としか考えられない」






台湾と朝鮮は、1945年までは「日本」だった。
しかし、台湾に大日本帝国の責任はない。
何故か?
台湾は清から日本に割譲された土地であり、大日本帝国に参画した責任がないからだ。
しかし、朝鮮は1910年の併合条約で朝鮮王朝、朝鮮政府の意思に基づいて大日本帝国に参画した。

また台湾人は、参政権&被参政権を得ることも、日本軍の士官になる事も出来なかった。


ところが、朝鮮人は、日本に暮らしさえすれば参政権&被参政権を得ることができた。
その為、2回も代議士になった朴春琴(paku chungumu) や帝国議会の貴族院にいた朴泳孝(paku yonhyo)を初め、 戦争末期には、何と7人の朝鮮人が帝国議会の議席を得ていたのだ。
もちろん、参政権だけではない。

朝鮮人は、志願制が導入される以前から、士官学校に入学して、日本軍の士官になる事も許されていた。 朝鮮人将校で有名な人は、1980から85年まで駐日大使を務めた崔慶禄(che・gyonroku)がいる。 彼は、士官学校に合格したにも関わらず、戦場に行くことを望み、日本軍に志願した。 そして、第20師団参謀長・ono takeoに見込まれると、ニューギニア戦線で活躍し、少尉にまで昇格した。 さらに有名な朝鮮人将校といえば、洪思翊(hon sakui)がいる。 彼は日本陸軍の中将にまで上り詰めていたのだ。


この通り、韓国は被害者ではなく日本の戦争に加担した加害者だった。 ところが、韓国は「朝鮮は植民地だった」と嘘をつき、責任逃れを続けている。
ドイツに併合されていたオーストリアは、加害者であることを認め、謝罪した。 しかもオーストリアは1938年から僅か6年の併合期間であり、ドイツの軍事侵攻による併合なのだ! 日韓併合のような、正式な手続きを踏んだものではない。


ところが、日本に正式な手続きを経て併合されていた韓国は、一度も謝罪していない。
1ウォンも賠償していない。  韓国は、歴史捏造によって、被害者を演じる卑怯者である。








ち・な・みに、中国に対する韓国の謝罪・賠償要求ですが・・・


1992年の中韓国交樹立時、朝鮮戦争で中国人民解放軍が朝鮮半島を蹂躙したことに対して、中国政府が謝罪をするという情報が韓国外務省筋から流され、韓国マスコミが大騒ぎをしました。
しかし駐韓中国大使・張庭延はテレビで「そんなことはあるはずがないし、これからも絶対に遺憾の意を表明する必要はない」と一喝し、それ以来、韓国マスコミは、謝罪に関して一切報道しなくなりました。



中国は1950年の朝鮮戦争で韓国のほぼ全土を焼け野原にし、韓国軍約42万人、民間人106万余人を死に至らしめたあげく、南北分断を固定化させ、1千万人の離散家族が生じさせたという韓国近代の最大の悲劇をおこしている。


日本政府に対しては、韓国の政権が変わるたびに居丈高に朝鮮統治に対して謝罪要求をする一方、中国に対してのこの及び 腰は一体なんなのでしょうか。この明白な二重基準の根底に潜むのが韓国の特異な歴史観であります。この点を知らずに「日本が心から謝らないから、いつまでも許してくれないのだ」などと考えているようでは、日韓のすれ違いがこれから先も続くだけでしょう。




>>今もその「すれ違い」が続いてますね。150万人近くの韓国人民を殺した中国の朝鮮戦争の行いより、近代化させ、寿命や人口まで延のばした日本の朝鮮統治のほうが許せないんでしょうか?
>>韓国の特異な歴史観・・・「小中華思想 」おかしな「儒教精神」ですね。中国が親で、半島が兄、日本が弟 というやつです。日本人には到底理解できません。日本政府には中国政府の外交姿勢を少しは見習ってほしいです。このまま謝り続けますか?







中国は半島とのつき合いが長いので扱い方をよくわかってますね。
言うことキチンと言わないとどんどん付け上がる
ガツンと言えば以外と弱腰に・・・

日本外交は少しは中国の「したたかさ」を学んで欲しい。







※ナチスドイツと大日本帝国の罪科は異なる。
※ここで言いたいのは、韓国人は「被害者」の資格が無いという事。
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【映画】『アジアの純真』の日本公開決定。主演の韓英恵、在日として差別された過去を振り返る。

Category: 在日・パチンコ  

過激な内容から賛否両論を巻き起こし、
日本公開が危ぶまれていた映画『アジアの純真』の日本公開が決定。
完成披露試写会が7日、なかのZERO視聴覚ホールで開催され、主演の韓英恵、片嶋一貴監督、らが出席した。



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本作は、チマチョゴリを着た双子の姉をチンピラに殺されてしまった孤独で勝ち気な在日朝鮮人の少女と、
その姉に助けられたことがあるにも関わらず、殺害現場で見て見ぬふりをしてしまった気弱な日本人男子高校生 の2人が、旧日本軍の製造したマスタードガスを盗み出して無差別テロを繰り返す復讐劇。
その過激な内容から都内の映画館や、地方映画祭などが上映を拒否。今年の2月に開催された第40回ロッテルダム国際映画祭で上映されるや、賛否両論を巻き起こしたこともネットを中心に大きな話題となった。

主演を務める韓は、韓国人を父に、そして日本人を母に持つこともあって、幼少期にはつらい思いをすることも
多かったようで、「相手にはそんなに深い意味はなかったとは思うんですけど、グサッとくることもありました」
と振り返る。そして、「(日朝首脳会談があった)2002年、小学6年生だったときも、『拉致られろ』と言われたり、
キム・ジョンイルというあだ名を付けられたりして。わたしはその子たちに悪いことをしていないのに、何で
いけないんだろうと思ったこともありました」と述懐。

さらに「差別されたからといって、日本人が嫌いだとは思わない。日本人の中には、在日が嫌いという人もいますけども、文化やスポーツを通じて人と人とを結びつけることだってできますし、それがわたしの仕事だと思います」とこれからの決意を語った。

韓英恵
http://s.cinematoday.jp/res/N0/03/51/N0035117_l.jpg
http://www.cinematoday.jp/page/N0035117




>旧日本軍の製造したマスタードガスを盗み出して無差別テロを繰り返す復讐劇




こんなクソみたいな映画に出ておいて人と人とが結びつくわけなかろう






>さらに「差別されたからといって、日本人が嫌いだとは思わない。

日本人の中には、在日が嫌いという人もいますけども、
>文化やスポーツを通じて人と人とを結びつけることだってできますし、

それがわたしの仕事だと思います」と
>これからの決意を語った。

とか言っといてこんな映画に出るんかい






朝鮮人・在日の連中が、

日本人を虐殺したがっているということが如実に分かる映画



在日朝鮮人の危険性を教えてくれる良い映画だよw







>わたしはその子たちに悪いことをしていないのに、
>何でいけないんだろうと思ったこともありました」と述懐。

植民地時代にとか強制連行とか
今の日本人は、何もしてないのに過去の歴史とか持ち出して
日本人に言いたい放題、ヤリタイ放題してるのが朝鮮人なんだけどね
日本人拉致も在日は、強制連行で数百万人拉致して騒ぐなと言ってしさ

自分たちだけ何かすれば「差別」されたとか言ってる事が
日本人差別なんだよ








また、お涙頂戴か
分かったから、上でも下でも帰れ
日本に居っても反日ばっかり、お前の祖国は日本じゃない、はよ帰れ。







井戸に自殺女性の遺体がいっぱい入っていた。でも生きるためにその水を飲んでいただぞ
--中野市・三井寛さん
 <敗戦直前の1945年8月13日。三井寛さん(77)=中野市在住=ら黒台(こくだい)
信濃村開拓団は避難の途中、満州(現中国東北部)の鶏寧(けいねい)で、侵攻してきたソ連軍に降伏した。
三井さんの父ら成年男性は連行され、すぐに銃殺された。女性と子供は収容所に入った。その晩、
将来を悲観した女性たちは、避難中にいったん思いとどまった「集団自決」を再び試みる>

 便所の戸を外して、収容所になっていた建物の講堂の真ん中に積み上げてさ、火をたくんさ。不完全燃焼
させて一酸化炭素つくって「ガス自殺する」って言うんだ。誰かの思い付きで実行されたみたいだけど、
自殺しようとする本人は大真面目。でも、火を消す人も出てきた。お袋なんて「戸を開けろ、戸を開けろ」と。
到底、死にっこなかった。

 <毎晩のように収容所にソ連兵が女性を暴行しにきた。苦痛から、井戸への飛び込み自殺が相次ぐ>
 ある晩、若いソ連兵が、10代半ばから20代前半ごろの若い女性数人を便所に無理やり、連れていってた。

 「殺される」「ギャー」と、電気がない真っ暗な中から女性の抵抗の声がよく聞こえてきた。俺(当時10歳)
は何をやってるかも分からなかったけど、子供心ながら「地獄だな」と思ったよ。

 翌日、収容所の井戸の中に女性の6、7人の遺体が見つかった。恐らく暴行された女性じゃないか。
別の日には井戸から「助けて」と叫び声が聞こえて行ったら、井戸の中で女性が立っている。

 「いっぱい飛び込みすぎて、中に沈めません」って……。それくらい遺体が入っていた。でも収容所に
居る間は、その井戸の水飲んでいただぞ。生きるためには、飲まずにはいられなかったんだ。

 ソ連兵が収容所に来ると、俺ら子供は天井裏に逃げてたんだけど、銃口を天井に向けて撃つんだ。
威嚇のために。「わー」って叫んで、慌てて降りたよ。

 <耐え難い屈辱から、女性たちは結束して立ち向かう>
 女性たちは窓や扉に畳を押しつけて、収容所に入ってこられないようにしてた。
それでもソ連兵は、丸太を突いて入ってきた。最終手段は、灰を投げつけて目つぶしだ。
そこまでされると、あきらめて帰っていったな。

 <敗戦後の9月上旬、今度はソ連軍将校がやってきた。女性たちが兵士の暴行を訴えると、
将校は了解し、関与した兵士を厳格に処罰する>
 ソ連の将校が「何か困ったことないか」と聞いてきたから、皆はわんわん文句を言った。
暴行の話をしたら「分かりました」とうなずいた。その晩、いつものようにやってきたソ連兵6、7人が、
待ち伏せした憲兵らしき兵隊に全員、連れて行かれた。

 翌日の昼前、将校が「この者が昨日来た兵だ、よく見ておけ」と兵士を収容所近くの緑地地帯に連れて行き、
銃声が聞こえてきた。
 それから、全然(暴行に)こなくなったな。安心したけど、俺は「ソ連って怖いなあ」ってぞくっとしたね。
自分の兵隊でも簡単に殺しちゃうんだから……。(父が銃殺されたように)捕虜を殺すのもわけないよな。
【満蒙(まんもう)開拓団企画取材班】

ソース:ヤフーニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110901-00000109-mailo-l20 依頼がありました
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1313935377/93

村石さんは日本赤十字社の旧京城救護看護婦養成所で終戦を迎え、種子島の母方の実家
に身を寄せていた。そこへ呼び出し状が届いた。約15キロ北西の博多港に引き揚げ船が着く
たび、女性たちがトラックの荷台に乗せられてきた。

「男に見せかけるためか髪を短く刈り、やせて汚れていました」。村石さんたちは「お帰りな
さい」と手をとり、温泉で背中を流してあげた。女性たちはほとんど何も話さなかった。


器具で胎児を出す手術は、医薬品不足で麻酔なしだった。「頭のほうから両手を握ると、指が
折れると思うほど強く握りしめられました」。「ちくしょう!」と叫んだ女性もいた。妊娠5ヵ月以上
なら陣痛を促し、出てきた胎児の命を絶った。

子どもの首を自ら絞めたのは、昼休みで食事に行こうとしていたときのことだ。苦しそうに
「看護婦さん」と呼ぶ声が聞こえた。赤ちゃんの頭が出そうだった。医師は休憩中でいない。
とっさに首に手をかけた。子どもの髪の毛は赤く、鼻が高かった。かけつけた医師は、いつも
のようにメスを子の頭に突き刺した。

「望まれない子どもであっても命は命。ただ、当時は、女の人たちに無事に故郷に帰って
もらうことに意識が集中していました。胎児たちは5、6本あった桜の木の根元に埋葬された。
「考える集い」が1998年につくった冊子に掲載された保養所の元医師の証言によると、施設が
閉鎖された47年秋までに400~500人が手術を受けたという。






村石さんは結婚後、看護師を続けながら3人の娘を育てた。50年間、保養所のことは家族を
含め誰にも話さなかった。しかし96年ごろ、跡地に水子地蔵が建てられていると元同僚から
聞き、97年春の供養祭で初めて体験を明かした。2人の医師は亡くなり、今では唯一とも
いえる語り部だ。

9月18日には九州大学で開かれるシンポジウムで証言する。大勢の学生らの前で話すのは
初めてのことだ。痛ましい記憶を話すのはつらい。「けど、あの女性たちは自分の傷を誰にも
言えなかった。それを思うと、私が話さなきゃいけない」と感じている。「戦争は女こどもが一番
つらい目に遭うんです」


●引き揚げ
厚生労働省の記録などによると、終戦時、軍人・軍属・民聞人を合わせて660万人以上の
日本人が海外にいた。各地の引き揚げ者は博多が1947年、佐世保が50年までに各139万人、
舞鶴は58年までに66万人など。

二至村菁(にしむら・せい)・トロント大学アジア研究所客員研究員によると、舞鶴でも旧国立
舞鶴病院で堕胎手術が行われた。引き揚げ体験を語り継ぐ「引揚を記念する舞鶴・全国友の
会」の藤村正巳・事務局長は「隠れた悲劇」と話す。
(2010年8月14日土曜日 朝日新聞 朝刊 30面 より記者が書き起こし)










これを ノンフィクション映画として 日本がロシアに発信したら

ロシア国民の感情は親日と反日のどちらに傾くと思う?




在日は頭悪すぎ





敗戦直後の日本女性強姦についてはソ連兵が悪名高いが、実際には
朝鮮人によるものがダントツで多い。

「水子の譜(うた)」上坪 隆
----- ドキュメント引揚孤児と女たち -----
http://www.ebookjapan.jp/shop/book.asp?sku=60009096&genreid=10010
二日市保養所の資料は、六月十日の報告書
183 ページ "地域別と加害者"
これは、2ヶ月分だけの記録
加害者の6割が朝鮮人だと示しています。

尚、記録に残っているのは堕胎手術を受けた女性だけで、
前途に絶望して帰国船から日本を一目見ただけで身投げ
をした女性もたくさんいました。








正論 2005年 11月号

引揚民間人を襲った 朝 鮮 保 安 隊 の略奪・暴行・殺戮の嵐
(一部抜粋)
「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、
 今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
 辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
 そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、
 ついで 朝 鮮 人 の 保 安 隊 に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、
 虐殺されている光景であった。
         (中略)
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する
 ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。
 娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
 みなソ連兵を 朝 鮮 人 が案内したのだった。
 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
 一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
 城津での惨状は言語に絶した。(中略) 朝 鮮 人 の 男女が数十人の団体でおしかけ、
 干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
 あげくは婦人の“提供”を要求されたという」
     博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた

関連動画
終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ01
http://jp.youtube.com/watch?v=bDjPZXw0yHg
終戦から62年 日韓それぞれの引揚げ02
http://jp.youtube.com/watch?v=aXPoy_5OFxY&feature=related



レイプじゃないけど意外と知られていないのが、サハリンの残留婦人。
終戦と同時に朝鮮人の乱暴が始まり、十代から二十代の
日本女性が無理矢理嫁にされて、10人からの子供を
産まされている。
子供がいるために日本へは帰れない。
それを左翼婆は、日本人が朝鮮人を差別していた事で
戦後に鬱憤が爆発してそういった行動に出たと説明してた。
おい!不満があったら何しても許されるのかよ。

事実を知れ

「在日と結婚し北に行った日本人妻」はほとんどが好きこのんで在日と結婚
したのでは無いよ。朝鮮進駐軍と名乗って在日が暴れ回っていた頃に結婚し
てる人がほとんど。なぜか? 在日が日本人女性を当時多く強姦してたから。
妊娠してしまい、親との縁を切られた人も結構いた。そういう人たちを奴ら
が嫁(事実上の奴隷)にしたんだよ。朝鮮人が日本人女性を嫁にする=征服、
という価値観が彼らにあったんだよ。
という書きこがあった。

自分はこの話しを信じる。なぜなら樺太に残留した日本人女性を支援する活動
をしているという女性が、NHKのラジオで同じようなことを話ていたからだ。

樺太に残留した日本人女性を支援する活動をしているという女性が、NHKのラジ
オで話ていた。 樺太に残留した日本女性は、ほとんどが終戦後レイプや脅迫によ
って朝鮮人の妻にさせられた女性です。脅迫というのは、自分と結婚しないと、ソ
連当局に密告して家族全員を収容所送りにしてやる、というような脅しだったらしい。
終戦から2年後ぐらい後に日本の船が日本人を迎えに行ったときは、すでに妊娠
していたため帰るのをあきらめたという。

「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか―帰還運動にかけたある夫婦の四十年」新井 佐和子 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794207980/ii-22/249-3887511-5097148


如何なる名乗りであらうと、朝鮮人は大暴れしました はっきり申しますが、高齢の
邦人女性が朝鮮人と結婚したのは全て強姦されたものと思って先づ間違ひ無く、だ
から誰もなれそめなどに触れません

 最も大々的に行はれた犯罪行為は、空襲で焼け野が原になった空地の不法占拠
です 余りにも頻發するので、わざわざ刑法改正して「不動産侵奪罪」を新設したくら
いです 現在駅前一等地で朝鮮人が営業してるパチンコ屋、焼肉屋は斯る來歴のも
のです


終戦後の第三國人どもは本當に酷かった 軍の兵器を盗んで來たらしく、三八式歩兵銃や
南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人
まで、経済犯、實力犯を中心にあらゆる悪事を重ねてゐた 

土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、殊には、
空襲や疎開で一時的に空いてゐる土地が片端から強奪された 今、朝鮮人が駅前の一等地
でパチンコ屋や焼肉屋を営業してゐるのは、皆、あの時奪った罹災者の土地だ 

彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩して
いた。通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、
白昼の路上で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。










東北の朝鮮高校時代の連続強盗を得意げに自叙伝に書いちゃった在日アカヒ社員。

『朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ』
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1281353398/
「日曜日は仙台の繁華街で日本人狩り」
2~3人で仙台市内に繰り出し、2年生は
お目付役として1年生にアイツをやれとか
目配せしたり ・・・
日曜日に1年生が寮内にいたら先輩に
なぜ街に出て日本人を狩らないのか聞かれる
端から見てても気の毒なほど日本人を
ボコボコにしてるヤツもいるし
まわしケリ一発で決めるヤツもいる
相手が前かがみに倒れると、殺してしまったかと、
さすがにビビるそうだ

先輩から命令されてやっていることが多いので、
2~3人とカツアゲしても 、目標額に達しないと焦ってくる
なかには給料袋のまま、数十万円もカツアゲしてくる勇者もいる
「おまえそれはひどいんじゃないか?」
「チョッパリにはなにしてもかまわねえ」
警察に捕まった朝高生も、呼び出された先生も、
我々朝鮮人を強制連行した日本政府が悪いんだと、話を政治問題に振り向けると、
バカな仙台の警察官達は、黙りこくってしまい、お目こぼしされる

 『朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ』 金漢一 著  光文社 2005年4月刊
金 漢一
1964年、福島県出身の在日2世。両親は慶尚道出身。
小中高の12年間を福島県郡山市と宮城県仙台市の朝鮮学校寮生として過ごす。
1987年、英文朝日入社。2002年、日韓ワールドカップの取材をきっかけに、

国籍を「朝鮮」から「韓国」に変更した。
現在、英字紙「ヘラルド朝日」のスタッフライター(主にスポーツ担当)




金素雲も嘆く在日朝鮮人の横暴

日本人はなぜ朝鮮人が嫌いか、差別されるには朝鮮人の方にもそれなりの原因
がある、という筆者の論は決して間違っていないと思ふ。例えばあの有名な朝鮮
人詩人の金素雲氏は、その自伝の中で次のように書いている。

日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいというのが、その当時
(昭和の初期―筆者注)同胞の間では常識化していた風習だった。

「お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!」――こちらにはこ
んな腹があったが、引っかけられた日本人の側では恨み骨髄にならざるを得な
かった。家賃をもらうどころか5,6ヵ月分の家賃に当たる金を<立退料>という
名目で払わなければならなかった。こんなとき、その仲介の役割を果たすのが、
いうなれば叔父の職分だった。(同胞が集団居住する町には、こんなブローカー
が必ず何人かいた)

1,2年ただで住んでは<立退料>をせしめて家を空けてやることもあったが、時
には引っ越した次の日に大家から立退料を取ってまた引っ越していく、そんな場
合もあった。 その立退料の半分ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの
懐に入ってくる。もちろんこれは4,50年前の昔話ではあるが、こんなやり口が
その後長い間い年月を通じて、大多数の日本人の生活感情の底に<チョーセン
ジン>を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも事実である。
                  
               中村 粲   文武新論 平成5年7月10日





田岡一雄山口組組長の回顧録「山口組三代目 田岡一雄自伝」より転載

一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。途中で四、五歳の女
の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。この世のものとは思えぬ女の狂気
じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。少女の母親は木立の中で数人の男
に犯されていた。飛行服の男たちだった・・・
                 (中略)
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲
食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のど
ん底に叩き込まれた。こういった不良分子(朝鮮人)は旧陸海軍の飛行服を好
んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを
首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯
を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげたかれらの略奪、暴行には目にあまる
ものがあった。警官が駆けつけてきても手も足も出ない。「俺たちは戦勝国民
だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げ
られ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。

「田岡組長が神戸の静かな住宅街を歩いていると、小さな子供が一人で歩いてきた。
不審に思ってその子供に問いかけるとこどもは向こうの方を指差した。
そこには、その子供の若い母親が三人の朝鮮人に強姦 されていた。
田岡組長が助に行くとその朝鮮人が向かって来たが、
二人の眼球をえぐると一人は腰を抜かして逃げていった。
しかし、その若い母親は気が狂っていた。上品な顔立ちの美しい女性だった」

山口組三代目 飯干晃一 著 より







直江津駅リンチ殺人事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E6%B4%A5%E9%A7%85%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
・直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)

信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って乗り込もうとした
ところ、ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、デッキにぶらさがって直江津駅
まで行った。彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、
仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄ったが、日本人乗客が
「窓から乗り込むという方法はない」と反駁したので、「朝鮮人に向かって生意気だ!
ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫んで、その乗客をホームへ引きずり出して、パイプや
スコップで滅多打ちにして殺害した。
朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに終わって
しまった。
なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、急遽設けられたのが
「鉄道公安官」制度である。
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/crime.html



※鳩山一郎首相(鳩山由紀夫民主党代表の祖父)を袋叩きにした朝鮮進駐軍


 其最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に
對する集團暴行・傷害事件がある <その、集団>

 翁が軽井澤の静養先から帰京しやうとして信越本線の汽車に乗って居
たら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鐵道員を突き
飛ばし押入って來て、俺達は戦勝國民だ、おまへら被支配者の敗戦國民
が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、此車両は朝鮮進駐軍が接収
するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな! と追ひ立
てた <軽井沢、鉄道、この>

 其で鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座ってゐるのにそりゃお
かしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、忽ち大勢飛び掛かって袋
叩きにし、鳩山翁を半殺しにした 幸にして重体にも重傷にも至らなか
ったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった
痛々しい顔で帰京した <それ、たちまち>

 年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、如何に
不出來な孫にせよ 孫共は此を知らんのだらう <いかに、これ>

 直後に總理大臣に成る程の大物でも如斯 況や庶民に於てをや 土地
も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 闇、賭博、傷害、強盗事件が
多く、殊には、空襲や疎開で一時的に空いてゐる土地が片端から強奪さ
れた 今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業してゐる
のは、皆、あの時奪った罹災者の土地だ

三国人の不法行為
http://1st.geocities.jp/koreapeacenow2001/didi/sangokuzin.htm



「中坊公平・私の事件簿」(中坊公平2000.11.22)の中に、一つ在日の犯罪が載っている。

借金を返済しない在日韓国人を法律的に追いつめたところ、中坊弁護士が暴行を受けたのである。
後頭部を打ち付けられて怪我した中坊氏。

「お前こんなことしていいと思ってるのか。こっちは頭に傷を負って出血してるんやぞ。」
すると、彼の連れてきた暴力団風の男は予想もしない行動に出ました。私の目の前で「お前、俺をやったな」と
言いながら、自分で自分のカッターシャツを両の手で力任せに引き裂き、ばーんとボタンを弾き飛ばしたのです。
そして、「俺かてお前にこうしてやられてるやないか」と言う。

その後、警察に行くと在日側の弁護士に暴行で訴えられた。幸いにも証拠と証人があり、冤罪が証明されたの
ですが、街宣車が家まで来て「民族差別を許すな!」。
これじゃあ、弁護士もいやになるだろう。


http://www.youtube.com/watch?v=J53DISMjHuc




『置き去り―サハリン残留日本女性たちの六十年』  吉武 輝子(著) 海竜社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759308792/250-6225082-6668210
 敗戦より60年目の夏を迎え、国家から見棄てられたため集団自決したり残留孤児になったりした<満州開拓移民>の悲劇を思い出す人も少なくないだろう。しかし、同様の悲劇が、北方のサハリン(樺太)でもおきていたことを知る人は多くなかった。吉武輝子さんのこの新著は、その北辺の戦争悲劇に、<聞き書>という方法をもって正面から取り組んだ労作である。
 アイヌ民族やギリヤークなど自然民族の民住地だったサハリンは、19世紀にロシアが植民地とし、20世紀初頭、日露戦争にによって日本が南半分を領有してからは40万の日本人が暮らしていた。その中には、太平洋戦争期に入って強制連行されたりした朝鮮人4万人あまりも含まれていた。
 そして1945年の8月、ソ連の参戦=サハリン侵攻によって、在住の日本人・朝鮮人は地獄を体験、死者はおよそ1万人にのぼった。15日の日本降伏の後にも、ソ連軍による空爆や潜水艦による引揚船攻撃は続き、多大の死者が出ているのは、戦争の現場とはこのようなものなのだろうと察しられて、本当に慄然とさせれる。
 そしてそういう最初の悲劇の大波が引いたあとも、もっとも弱い立場にある若い日本女性の上には、新たな苦しみの波が襲ったのだった。すなわち、日本敗戦により戦勝民族となった朝鮮人の中には、日本国家への反感憎悪を近くにいる日本女性に向けて噴出させた人もいないわけではなかったからである。
 この状況において、若い日本の女性たちはどうしたか。彼女たちの多くは、生きるために朝鮮人男性の妻となり、子供を生み、その家族愛に惹かされて、サハリンに留まり生きざるを得なかったのだた。そして吉武さんは、今は70、80代に達した彼女たちに親しく接して、その事実と心情とを克明に記録さtれた。消滅寸前の人間体験と心情とが、辛うじて歴史化されたことを喜びたい。 (略






【統一教会】 日本人妻団体「拉致・監禁の恐怖で故郷に帰れない」日韓両政府に解決促す~記者会見前に日帝糺弾[06/24]
http://live28.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1277368178/
http://imgnews.jknews.co.kr/outnews/2010/06/24/NISI20100624_0003069321.jpg
「日本の統一教会員拉致監禁による韓国人権被害者対策委員会(対策委)」は24日、韓国男性と
結婚して家庭を持った日本妻らが拉致・監禁が恐ろしくて故郷を訪問さえ出来ずにいるとし、日本
政府の事態解決と韓国政府の協力を促した。

対策委はこの日午後、忠南天安市並川面アウネ体育館で大韓民国に居住する日本人妻500人
余りが参加して記者会見を行い、去る1966年統一教会の拉致が初めて発生してからの拉致監禁
被害に対して訴えた。

ハラ・サユリ忠南大田拉致監禁被害者会支部長は菅直人日本総理に送る要請文を通じて「子供
が母方のお祖父さん、お祖母さんが見たいといっても拉致監禁が子供らまで被害を与えるか心配
で日本に行けずにいる」として「拉致監禁事件は単純な家族問題、宗教問題ではなく憲法に保障
された個人の人権を弾圧する問題」と明らかにした。

日本で統一教会信者を対象にした拉致・監禁事態による被害者は去る1966年初めて拉致事件
が発生して以来、今まで4300人余りに達するという。この日の集会ではタナカ・ユキミさん(仮名)
の拉致被害事例が発表された。

この日の行事に先立ち日本人妻500人余りは日本伝統衣装のキモノと韓国伝統衣装の韓服を着
て天安市並川面の柳寛順(ユ・グヮンスン)烈士追悼閣に参拝して日帝強制支配期に対する謝罪
と日本慰安婦問題に対する日本の責任と解決を促す行事を行った。

キムラ・ジュンコ大田忠南委員長は「大田忠南(テジョンチュンナム)地域にも拉致監禁被害者が
約30人いて今でもその時の恐怖と後遺症から韓国生活が困難になった方々も多く、韓国政府の
協力をお願いする」として「経過報告に先立ち、韓日合併100周年になる年をむかえて日本強制
占領期間に対して日本人として代わりに謝ります」と明らかにした。

ソース:財経日報(韓国語) 日本人統一教夫人団体"拉致・監禁恐怖で故郷行けない"
http://news.jknews.co.kr/article/news/20100624/5670430.htm




吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)

朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。

私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。
その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、
最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、
常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。
--中略--
さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 
上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する
予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。

敬具 吉田 茂
(田中宏「在日外国人」より)





【東亜】 戦後、大陸からの引き揚げ中に「強姦被害」に遭った日本人女性たち

~堕胎施設の元看護師が語る隠された悲劇 [08/14]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1282309113/ 引き揚げ 葬られた胎児 65年目の「遺言」3
戦後、大陸から最多の人が引き揚げてきた博多。女性たちの隠された悲劇がそこにあった。

万葉集にも詠まれた福岡県筑紫野市の二日市温泉。福祉施設の裏手に、穏やかな顔つきの
水子地蔵がひっそりと建てられている。赤ちゃんを胸元でしっかりと抱いている。1946年3月
から1年半の間、ここに、大陸からの引き揚げ中に強姦被害に遭った女性たちの堕胎施設が
開設されていた。国公認の「二日市保養所」。木造2階の建物とドーム屋根の温泉があった。

「母親の感情が出てしまうから、絶対にオギャーという泣き声を聞かせたらいけない。医師か
らそう言われ、私も首を絞めました」当時20歳の元看護師、村石正子さん(84)は約3ヵ月、
看護師10人の1人として連日のように手術に立ち会った。

終戦後の大陸では、直前に宣戦した旧ソ連軍の兵士らの暴行が女性たちを恐怖に陥れていた。

「マダム・ダワイ!」(女、出てこい!)。市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」のメンバー
山本千恵子さん(73)は9歳の時、今の北朝鮮東部でサーベルを持ったソ連兵が毎晩のように
怒鳴り声を上げ、若い女性たちが床下に隠れていたことを覚えている。「当時、辱めを受ける
のは死に値するようなことだった。引き揚げ船から海に身投げした人もいたと後に聞きました」


二日市保養所の開設は、今のソウルにあった旧京城帝大の医師らでつくる「在外同胞援護
会救療部」が旧厚生省に働きかけた。引き揚げ船内で「不幸なる御婦人方へ」と題し、利用
を促すチラシが配られた。地元紙には旧厚生省と連名の広告も掲載された。











崔洋一が日本映画を駄目にした
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1226631913/328  
このごろレイプ事件がよく報道されている。
 それを読みながら、かつての在日朝鮮人活動家たちによる、
隠された<日本女性レイプ事件>を思い出す。
 古い資料だが『マルコポーロ』1993年9月号に、梁石日、崔洋一、鄭義信の鼎談が掲載されていた。

 崔「一時流行ったんだな。左翼の日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」
 鄭「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね」
 梁「男の風上にもおけんなあ」
 崔「梁さん、唇、震えてますよ(笑)」

 映画監督の崔洋一は笑っているが、笑い事ではないのである。
 朝鮮問題に関わる政治運動をしている日本人女性たちが、在日朝鮮人活動家に警戒心を無くし、
朝鮮人と二人きりになった時にレイプされるという事件が、少なくなかったのである。
 そして、彼女たちは「反体制意識」を持っていたがゆえに、警察に通報することもなく、泣き寝入りした。
周囲の日本人からは、運動団体内でフリーセックスが流行っていると思われていたが、実態は朝鮮人左翼による日本女性のレイプであった。
 「我々は人権を重んじる」と自ら主張していた在日朝鮮人の活動家たちが、何故そんなことをするのか。
また、日本の女性たちは、左翼活動家とはいえ在日朝鮮人男性が訪ねてくると、なぜ警戒心を無くして
部屋に上げてしまったのか。
 今はどうなのか知らないが、昔はそういう時代であったのである



李珍宇事件を思い出すな

連続強姦殺人鬼なのに
俺は未成年の朝鮮人だから無罪だ!と叫んで
それに日本の進歩的な連中が応援したと言う狂気もいい所だ。
面白半分に強姦されて殺された少女や女性が哀れでならないし
これが無罪になってたら、朝鮮人は日本人女性を強姦殺人しても罪にならないって
悪しき前例を作る所だった







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やっぱり ちゃんとした歴史認識が 我が国の教育には不可欠だって

在日が騒ぐたび 思うんだ





何かを悪者にして いい人や 可哀相な人になるんじゃなくて

自分や家族や民族の誇りになるべく 誰もに認められる生き方を

そろそろ 学んだらどうだろう



人のせいにばかりして生きるのは楽だけど

それじゃ 人として 何も成長しないし

惨めなだけだと 思うんだ








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韓国のベトナムに対する謝罪(?)は・・・

Category: 韓国・朝鮮  
韓国のベトナムに対する謝罪(?)は・・・






ベトナム戦争で韓国軍がベトナム人女性を強姦して生まれた混血子供が3万5千人以上存在している、

その子供は酷く差別され、社会問題化している。




私の村は地獄になった
償いは必要ないあれは戦争だった
ああ, 震撼の韓国軍!
韓国軍の慰安婦問題
うちの父のベトナムエピソード




ベトナム戦 24周年にして見た、私たちの恥部, ベトナム戦犯調査委のおぞましい記録

(ベトナム戦でベトコンの陣地を捜索・破壊するという作戦上の名分が大量虐殺を正当化した.)

戦争はこんな所でも起きたのだろうか. 丸いひさしの尾根、そして緑の野原, その上に白く降り注ぐ陽差し, 椰子の樹とマンゴ―とパパイヤ, バナナの樹…. 窓の外に流れる風景には、見える限り熱帯の和やかさだけが広がっている. 太陽が灼けつく裏山には、腰を地につけるように田畑を耕すベトナム女性たちの編み笠だけがちらほらと島のように動いている. 真昼の太陽に熱せられて飴のように曲がってしまいそうな道には、腰をまっすぐに伸ばして自転車を走らせる女学生たちの真っ白いアオザイの裾が、重い風の中を雲のように飛び交う. 果して、わたしたちはあのとき、このような女性たちにまで銃口を向けたのだろうか. 理性はなく、狂気だけが残った人間が行った殺戮の現場, その痛みの肌に触れに来た‘ナムチュティン’(南朝鮮)の心情を知ってか知らずか、バスはセンターラインもないアスファルト道を果てしなく走った.


生き残った老僧の証言


"1969年 10月14日, ベトナム南部パンラン地域で、韓国軍人らがリンソン(Linh Son)寺の僧侶に向かって銃器を振り回す事件が発生した. サイゴンの報告によれば、韓国軍一名がリンソン寺でベトナム女性に戯れようとして住持僧に追出されると、これに激怒, 同僚を誘って銃器を乱射したことが明らかになった. は、この事件で71歳の住持僧, 69歳の老僧, 41歳の女僧, 15歳の修行僧 等 4人が死亡した事実をベトナム政府が公式に認めたと報道した.(<人民軍>紙 1969. 10. 24)"




(当時 リンソン寺で唯一生き残ったプフ僧侶.)




筆者は2年前, ベトナム政治局から出された‘戦争犯罪調査報告から- 南ベトナムでの南朝鮮軍隊の罪悪’という資料の一部をようやく手に入れることができた. 私はこの資料をまだ検証していない、ベトナム側の一方的な報告書, しかし、いつかは解くべき宿題として机の引出しの中にしまってあった. それを、‘父の世代に行なわれた誤ちだけど’ 韓国とベトナム間のお互いが殺し合わねばならなかった‘痛い歴史の決着をつけるための’小さな努力の一環として、ベトナムを訪問した韓国市民団体‘私と私たち(ナ ワ ウリ)’一行に初めてこの資料を公開した. ‘私と私たち’は、昨年にも日本の市民団体が企画したピースボート(Peace Boat)に乗り込み、韓国軍のベトナム民間人虐殺現場を見て回って、証言を収録したことがある. “日本人の助けを借りて韓国人の問題を省みるという事実が切なかった”という彼らは、これからは‘韓国人の力で’ぶつかってみようという意志を結集して、また再び長い旅程に出たのである. 筆者は初めて寄着時から同行することにした.

ベトナム南部海岸に位置したパンランは、観光ガイドブックにも出てこない小さな町だ. 最大の盛り場であることが明らかなバス停留場にはタクシーが1台も見えず, 歩いて探したホテルにも、ありふれた冷蔵庫もなかった. ただ ‘ヌクマム(ベトナムの漁醤)の町’という名声らしく、生臭い塩気が大気をぎっしり埋めているだけだった. 私たち一行は、遠くのリンソン寺を探し出した. しかし、資料中に出ているリンソン寺は戦争中に消えてなくなっていた. 蒸し鍋のような暑さとひどく揺れるバスに苦しめられながら8時間も走ってきたのに、全てが無駄に終るのではないだろうかという焦燥感を感じながらも, 一方ではなぜかはわからないが安堵の溜息が流れ出た.

翌朝, 私たち一行をパンランまで案内したベトナム人学生から急な知らせがきた. 元来、ホーチミンからパンランへと入る町角に立っていたリンソン寺は戦争中に爆破されて, パンランからナチャンへ行く道に同じ名前の寺がまた建てられたということだ. わたしたちはすぐさまそちらへ走った. そして、そこで当時唯一の生存者のプフ(78)僧侶と現場目撃者のウンウェンティ ユエンハン(45)に会うことができた. ここまで来る間、終始筆者を押さえ付けてきた不安が, 認めたくなかった話が目の前に現実となって現れた.


子供も妊婦も容赦なく…



(忘れたい戦争'. 韓国軍に殺されたベトナム人の数は、公式統計だけでも 4万1450名だ.)


“軍人たちがまず僧侶に向かって銃を射ちました. 続いて、助けてくれと逃げる女性や菩薩様にも銃を射ちました. そして、屍体を皆燃やしました.”ユエンハンの証言だ. 当時やっと15歳になったばかりの彼は恐ろしさで真っ青になり、叫び声もあげられずに息を潜めていたと告白する. リンソン寺には、五人の僧侶が住んでいた. その時、プフ僧侶は住持僧より先に村におりて行き、喪家で読経を行っていた. 証言の大部分はユエンハンを通じてなされ, その寺で唯一の生存者のプフ僧侶は口数が少ない. 当時の話をしながらも、人々はその時の虐殺の主人公の後裔に配慮してくれた. 冷たいお茶を持ってきて, 果物の皮をむいて薦めてくれ, パパイヤを食べて汚れた口をすすぎなさいと、水まで汲んできてくれた時には、涙が溢れ出た.

プフ僧侶が村に帰ってきた時、寺は既に修羅場と化していた. プフ僧侶は火にくべられていた五人の僧侶の死体を近隣の小屋へと移した. 死体奪取に対する不安からあった. このことが伝えられると, パンラン地域全域の学校が休学を決議して, 学生達と仏教徒たちが一斉に蜂起した. “ベトナム政府は良民虐殺を即刻中断しなさい!” “人殺しはベトナムを出て行け”等等、凄まじい叫び声がパンランを巻きこんで, 僧侶たちの死体は12日を過ぎてやっと火葬できた.

“火葬をしても、僧たちを安息させられなかった. 僧たちを祭る寺が消えたからですよ. 僧たちの骨を壷に納めていたのですが、やっと昨年、この寺に安置してあげましたよ.”プフ僧侶がやや低めな声で話を続けた. 韓国軍人たちの銃器乱射事件で廃虚になった寺は、その後また再び爆撃を受けて跡形もなく消えた. そして、昨年、仏教徒の在米ベトナム同胞の援助でまた寺が建てられた. プフ僧侶は30年ぶりに住持僧としてこの寺に帰ってくることができた. 寺の前に当時死んだ僧侶たちの遺骨が納められた三重塔がある. 私たち一行はその前に頭を下げて、僧侶たちの冥福を祈った.

どちらかというと、私達がリンソン寺で聞かなければならなかった話は、今から会う、数多くの証言の中でも最も安らかな話になるかもしれない. 大雄宝殿の席から見下ろすと, 空と海と野原がひと目で見渡せた. どこに目を向けても、限りなく平和なだけの, 限りなく懐かしいだけの風景, しかしその中には、まだどれくらい多くの話が隠されているのだろうか?. ‘私と私たち’一行は、韓国軍の軍事作戦が最も熾烈に展開された中部地方にまた再び旅立ち, 筆者はリンソン寺を振り返りながら、振り払えない重い歩みでホーチミンに帰ってきた.


"女性たちを強姦した後、殺害"


韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる. 前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を捜索, 破壊するという作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた. 筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、負担がなくはなかったが, その一部をここに紹介する.

1965年 12月22日, 韓国軍作戦兵力 2個大隊がビンディンソン、クィニョン市に500余発もの大砲を撃ち込んだ後、“きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する”というスローガンの下、 捜索掃討作戦を繰広げた. 彼らはこの村で12歳以下の22人の子供, 22人の女性, 3名の妊産婦, 70歳以上 6名の老人を含む, 50余名を超える良民を虐殺した.


"… などは、子供を出産して二日目に銃で射たれて亡くなりました. 彼女の子供は軍靴で踏み潰され、まだ血が流れていたお母さんの胸の上に投げ捨ててありました. 妊娠8ケ月に達していた友人は銃弾が貫通して亡くなり, 子宮が外に出ていました. 韓国兵は一歳になる子供を背負っていた娘を射ち殺して, 子供の頭を切り取って地面に放り投げ, あとはいろいろな形に切り出してくぼみに捨てました.

彼らはまた、二歳の子供の首を折って殺し, ある子供のからだを持ち上げて、樹に投げつけて殺した後、焚き火に乗せました. そして、12歳の私は脚を射たれて倒れ、くぼみに捨てられたのです…"


パンランで別れて二日ぶりにクィニョン市を調査中の‘私と私たち’一行から電話がきた. “見つけました! 当時調べた、現人民委員会 主席の話です.” 1966年 3月19日と20日の二日間にわたった‘ベトナム中部各地の戦争犯罪調査会議’で韓国軍の罪悪性を毎々に明らかにした話だ. “手にしている、この資料がますます 恐ろしくなりますね. ひょっとすると、わたしたちはこの資料をもっと補充しなければならないかもしれません. ビンディンソンを中心にこの資料に紹介された4地域だけでなく、韓国軍の虐殺現場が他にももっとあるというのです.” 当時の報告によれば、66年 1月23日から 2月26日までの約一ケ月間、猛虎隊 3個小隊, 2個保安大隊, 3個民間自衛隊により、この地域だけで、計1200名の住民が虐殺されて, そのなかにはひとり残らず抹殺された家族が8世帯にもなった. また、1535軒の家屋と850万tに達する食料が焼き払われ, 649頭に達する水牛が銃弾によって死んだり焼き殺された.

このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して, 韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した. 生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は, 無差別機関銃乱射, 大量殺戮, 妊産婦, 女性に対する強姦殺害, 家屋への放火などだ. 生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる.

-住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する.

-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす.

-子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む.

-女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す.

-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる.

韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた. 老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった. 恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ.


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果して、あなたたちに真の反省はあるのか


私たちにもベトナム戦は忘れたい戦争だ. 韓国は1964年、医療支援団とテックォンド教官等、270余名をサイゴンの南のプンタウに派遣することによってベトナム戦に軍事的な介入を始めた. 以後、65年から73年まで、約30万名の戦闘部隊を‘ベトナム政府の要請’という美名の下、ベトナム戦線に投入した. この過程で韓国軍も4960余名が戦死して、10余万名が負傷した. しかし、韓国軍はまた、敵軍のベトナム人を4万1450名も殺す全勝(?)をおさめもした. 我が軍の死者数の10倍に達する敵軍を戦死させたのである. それも、公式的な統計上でだけ!

そして戦争は終わった. しかし、終戦24年を迎える、この瞬間にも地球上のあちらこちらからは新しい銃声が響いている. 韓国ではコソボでの人権を叫ぶ声も高い. 20世紀の傷が癒える前に、21世紀のまた違う傷ひとつを産んでいるのだ. 加害者も被害者も傷ついた‘今日’を治癒する過程なしでは、私たちに未来はないだろう. たとえ、それが良心にメスを入れる痛みを通じてだけ可能になるとしても.

歴史は私たちに疑問符ひとつを投げかけている.

果して、あなたたちに真の反省はあるのか.



ホーチミン・パンラン=ク・スジョン 通信員


vninfobank@hcm.fpt.vn
ハンギョレ21 1999年 05月 06日 第256号 .

Copyright 1995-1998 ハンギョレ新聞社
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ベトナム戦争時代にサイゴンで多くの韓国人が、売春風俗店を営業していた。
韓国本国のキイーセンと同じように、戦争で貧困に喘ぐベトナム女性を慰安婦として集めたのだと思う。
戦時下のサイゴンで韓国政府の後押しがなければ営業は不可能であったと思う。その様な解明が行われないことに不自然さを感じる。
実際、戦後には韓国軍人との間にできた多くの孤児が問題となった。
韓国は、何故その様な問題を無視するのだろうか?

韓国の得意技”仕方がなかった”では説明できない




韓国の国定教科書には「共産主義の侵略を受けていたベトナムを支援するために韓国軍を派兵した(1965年)」 と、一行記述されているだけ(5年前のTBSの報道特集より)

98年、韓国大統領として始めてベトナム訪問をした金大中は「遺憾の意」を表明。

韓国外交官は「謝罪ではない」とコメントした。

8月24日、ソウルで行われた首脳会談で、ベトナム大統領として初めて訪韓したルオン大統領に対し、 金大中大統領は「我々が不幸な戦争に参加し、不本意ながらベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」(この謝罪は、日本に弱みを見せないため、つまり日本に向けられた外交カード )



↓↓↓↓ 退役軍人などの圧力 ↓↓↓↓
「お前たちはベトコンと同じ共産主義者だ、戦場で会っていれば殺すぞ」

「国のために戦い、三万人以上、枯れ葉剤による後遺症に苦しむ退役者がいる。 孫の世代に『良民を殺した』と疑われるのは耐えられない。二度と新聞にベトナム人虐殺の記事を載せるな」

韓国軍の総司令官は「償いは必要ないあれは戦争だった」と公式に発言
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





>>韓国人は平然と我々のご先祖様に対して「虐殺魔」「強姦魔」だと言ってるわけだが・・・





いずれにせよ、 韓国様の仰せの通り、戦後補償を行い、

歴代首相が公式に謝罪してく「土下座外交」を行ってきたわけだ







韓国とは交戦状態になかったので賠償の問題は生じませんが、植民地の財産関係を清算する「請求権」問題を1965年の日韓請求権・経済協力協定で処理、1800億円を無償供与しました。韓国政府はこのうちの一部を、徴兵・徴用されて死亡した人の遺族らに支給しました。







・日本は韓国にいくら戦後賠償を払ったか
ことあるごとに韓国人は日本は戦争を反省していない。謝罪していない。賠償をしない。とバカの一つ覚えのように叫びます。戦後、何度も韓国人は従軍慰安婦や強制連行の賠償を求めて日本国内で訴訟を起こしています(全ての裁判を調べていませんが、ほぼ韓国人の敗訴です)しかもそれを支援しようとする日本の団体やグループまでもが多数存在しているという異常事態でありますが、ここで改めて「日本は本当に韓国へ戦後賠償していないのか」という問題について考えてみることにします。

(以下は個人的な計算、考察であります。しかし賠償額は公式のものです)

 まず1965年の日韓基本条約において無償で3億ドル、有償で2億ドル、民間借款で3億ドルを支払っている。合計して8億ドルである。この金額は当時のものであるので、貨幣価値を今の時代に換算してみる。また、8億ドルのうち3億の無償分のみに絞って考えてみる。

・(円換算)3億ドル×360円(当時1ドル=360円)=1080億ドル
・(物価換算)1080億円×10(当時の大卒初任給が約2万円)=1兆800億円

これを、韓国が主張する通りに、強制連行労働者70万人、従軍慰安婦20万人の合計90万人の賠償対象者で割るとします(強制連行、従軍慰安婦など実際はほとんどなかったという議論は当然ありますが、ここでは韓国の主張を100%飲んだ数字で算出します。)

・(強制徴用者被害者一人換算)1兆800億円÷90万人=120万円/人

 これで比較できる金額が出ました。さて次はこれが高いかどうかです。よく、ドイツは戦後十分な補償をしている。ドイツを見習えとか言う人や新聞社がありますのドイツを参考にしましょう。ドイツの強制労働者への賠償は、現在価値換算で一30万~80万で、一番高いユダヤ人の奴隷労働者でも80万円である。これで客観的に見ても日本の韓国に対する戦後賠償が非常に高い水準であったことがわかる。

 尚、無償、有償あわせて合計8億ドルという額は当時の韓国の国家予算の2.3倍であり、いかに高かったかが分かる。ちなみにこの賠償額は、朝鮮半島全地域が対象であり、韓国政府が「北朝鮮を統一したら北の人に支払うから北の分もくれ」と言って持って行った額である。

 さらに、日本は戦前韓国に残した資産を放棄している。これはインドが英国から独立したとき、イギリス人がインドに持っていた個人資産が個人に返却されたという前例があるように、十分に戦後賠償として通用する行為である。驚くべきはその額であり、総司令部民間財産管理局の調査では、軍事用資産を除き計53億ドルであった。(大蔵省財政史室編『昭和財政史。終戦から講和まで』東洋経済新報社)
 
 つまり、日本は韓国に対して戦前資産53億ドル、戦後賠償8億ドルもの巨額の賠償を行っている。そして日韓基本条約には、以下の言葉が記されている。「戦後処理は完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」(協定第二条1)
 しかし条約締結の後、韓国は日本からの清算金を個人の賠償対象者に支払うことなく、国家発展のために活用した。「漢江の奇跡」と言われた韓国の経済成長が韓国人の努力とともに、この南北朝鮮を対象として支払われた清算金を原動力としてなされたことは疑うべくもない。
 そして韓国政府は驚くべきことにこの条約のことを国民に知らせていない。個人に支払わず国家発展に流用したことを隠す為であろうか。それとも反日感情をいつまでも煽る為であろうか。もしくはその両方か。
 その為韓国人は未だに日本が賠償責任を果たしていないと思いこみ、憤慨し、日本で終わった賠償問題について訴訟を起こしているのであり、日本と韓国の間の大きな溝の一つはそこにある。このことを韓国国民はもちろん、日本人も良く知る必要があると思う。



http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/11256231.html

(単位は億円) 賠償 準賠償 各種請求権
韓 国   1080.000  
ビルマ(ミャンマー) 720.000 612.000  
スイス     12.0000
平和条約16条     45.0000
タ イ   96.000 54.0000
デンマーク     7.2300
オランダ     36.0000
フィリピン 1980.000    
スペイン     19.8000
フランス     16.7280
スウェーデン     5.0500
インドネシア 803.088 636.876  
ラオス   10.000  
カンボジア   15.000  
南ベトナム 140.400    
イタリア     8.3305
英 国     5.0000
カナダ     0.0630
インド     0.0900
ギリシャ     0.5823
オーストリア     0.0601
マレーシア   29.400  
シンガポール   29.400  
ミクロネシア   18.000  
北ベトナム   85.000  
ベトナム   50.000  
アルゼンチン     0.8316
モンゴル   50.000  
補償総額 6565億9295万円    
在外資産の喪失 3794億9900万円    
中間賠償 1億6516万円    
合 計 1兆362億5711万円
(国立国会図書館外交防衛課作成の資料)
(借款は除外)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~SHUJI/special/hoshou/sengohoshou3.htm
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=540874
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4759/130324-1.html
http://oasis.halfmoon.jp/traveldia2/china01/oda.html



この他に、預金のほか鉄道、工場、建築物、はては国民個人の預金、住宅までを含み、当時の計算で約1兆1千億円を現地に置いてきました。

当時のCabin attendant 初任給が7000円の時代です。
(高度成長期だったとはいえ、まだまだ貧乏だった頃の国民の税金)






国家賠償から個人補償(もちろん慰安婦問題まで含む)まで

日韓基本条約で最終的かつ完全に解決 しています。






日本、歴代首相による謝罪


1982(昭和57)年
8月24日 鈴木善幸首相〔教科書問題での記者会見〕
「過去の戦争を通じ、重大な損害を与えた責任を深く痛感している」
「『侵略』という批判もあることは認識する必要がある」


1983(昭和58)年
1月 中曽根康弘首相
「両国関係は、遺憾ながら過去の歴史において不幸な歴史があったのは事実であり、これを厳粛に受け止めなければならない」


1984(昭和59)年
9月7日 昭和天皇〔全斗カン大統領来日、宮中晩餐会〕
「今世紀の一時期において、不幸な過去が存在したことは、まことに遺憾」
中曽根康弘首相〔歓迎昼食会〕
「貴国および貴国民に多大な困難をもたらした」
「深い遺憾の念を覚える」


1990(平成2)年
3月 中山太郎外相
サハリン残留韓国・朝鮮人問題に関するによる謝罪答弁
5月25日 海部俊樹首相〔第1回首脳会談〕
「過去の一時期、朝鮮半島の方々が、我が国の行為により耐えがたい苦しみと悲しみを体験されたことについて、謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたい」
5月 今上天皇
「わが国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」


1992(平成2)年
1月17日 宮沢喜一首相〔訪韓、従軍慰安婦問題で〕
「筆舌に尽くしがたい辛酸を舐められた方々に衷心よりお詫びし反省したい」
「胸がつまる重い」


1993(平成5)年
8月11日 細川護煕首相〔首相就任後、初の内閣記者との会見〕
「先の戦争は侵略戦争」
11月7日 細川護煕首相〔訪韓(慶州のみ、滞在22時間)〕
「わが国の植民地支配によって、朝鮮半島の方々が、母国語教育の機会を奪われたり、姓名を日本式に改名させられたり、従軍慰安婦、徴用などで、耐えがたい苦しみと悲しみを体験された事に加害者として、心より反省し、陳謝したい。」


★1994(平成6)年
7月24日 村山富市首相〔訪韓〕
「心からのお詫びと厳しい反省の気持ちを申し上げたい」


1995(平成7)年
8月15日 村山富市首相〔戦後50年にあたっての首相談話〕
「遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。この歴史事実を謙虚に受け止め、痛切な反省の意を表明し、心からお詫びの気持ちを表明する」


1996(平成8)年
6月 橋本龍太郎首相
「創始改名などが、いかに多くの韓国の方の心を傷付けたかは想像に余る」
「(従軍慰安婦問題について)これほどの女性の名誉と尊厳を傷付けた問題はない。心からお詫びと反省の言葉を申し上げたい。」


1998(平成10)年
4月3日 橋本龍太郎首相〔アジア欧州会議での日韓首脳会談(ロンドン)〕
歴史問題は語らず、「日韓パートナーシップ」を提言
10月8日 今上天皇〔金大中大統領、訪日〕
「わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみを与えた時代…深い悲しみ」
小渕恵三首相〔「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」共同宣言〕
「韓国国民に対し、痛切な反省と心からのお詫び」。
韓国国民に向けた「お詫び」を公式文書に明記。金大統領はこれを評価


2001(平成12)年
11月18日小泉純一郎首相は就任後初めて韓国を訪れ、植民地時代に独立運動家らが投獄された刑務所跡地にある西大門独立公園を訪れ、「心からの反省とおわび」を記者団に語った。
金大中大統領は首相の「おわび」を高く評価し、その実践を要望した。

「日本の植民地支配により韓国の国民に対して多大な損害と苦痛を与えたことに対し、心から反省とおわびをする。一人の政治家、人間として韓国人の苦痛と犠牲を忘れてはならないと思った。これまで外国からの侵略や祖国の分断など大変な辛酸をなめ、想像を絶する苦痛に耐え、韓国が今、発展していることに心から敬意を表す。

日韓関係は過去の歴史を踏まえながら反省しつつ、このような苦難の歴史を二度と繰り返さないよう協調せねばならない。日韓二国の友好関係の進展がアジアの発展と世界平和に寄与する。

自由と平和を脅かすテロが全人類の脅威となっているが、同盟関係にある韓国と日本、そして米国が協力することがアジアの発展と世界の平和に寄与する。幸い、来年には日韓共同開催のサッカーワールドカップ(W杯)が開催される。W杯を成功させ、これを契機に日韓両国の交流、協力が深まることに期待する。」

http://tenpura_c.at.infoseek.co.jp/sub2.htm

土下座外交続けてなにか好転したことありますか ?

内政干渉されまくって譲歩しまくっただけでは?





植民地時代とは全く関係ない日本人に謝罪させ、それを見て悦に入る





↓生まれてもいないときの話を謝罪する韓国人に嫁いだ日本人妻たち


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日帝当時苦痛を受けたらしいお年寄りたちに


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島根県の「竹島の日」にあわせたらしいです






↓生まれてもいないときの話の謝罪を強制させる先生↓


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土下座させられる生徒200人(ソウル記念公園にて) ↑

「君が代」を斉唱しない自由は許されるが土下座を拒否する自由は許さず






正直な話、日本人はいつまで謝り続ければいいのだろうか?





盧大統領「日本は過去の歴史に謝罪と賠償せよ」
http://japanese.joins.com/html/2005/0301/20050301161856200.html 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は1日「韓日両国関係の発展には、日本政府と国民の誠実な努力が必要だ」とし「過去の真実を究明し、心から謝罪し反省して、賠償した後に和解すべきだ」と話した。 盧大統領は第86回3・1記念日の記念の辞で上のように言及し「それが世界的に行われている過去の歴史問題を清算する普遍的な方式だ」と付言した。 また「拉致問題に関し、日本国民の怒りを十分に理解すると述べたことがあるが、日本も同様に易地思之(相手の立場で考える)せよ」と指摘し、「強制徴用から日本軍慰安婦問題に至るまで、日帝36年間、数千、数万倍の苦痛を受けたわが国民の憤りを理解せよ」と強調した。
1965年に妥結した対日請求権交渉について、盧大統領は「国交正常化そのものは仕方なかったと思うが、被害者としては、国家が国民個人への請求権を一方的に処分したことに納得し難い」と述べた。 また「少し遅れたが、政府はこれからこの問題を解決すべく積極的に努力する」とし「国民の意見を取りまとめ、国会と協議して、正しい解決策を模索する」と話した。
さらに「日本は真の自己反省を土台にして韓日間の感情的なしこりを取り除き、率先して傷を癒せ」とし「さもなくば過去の障害からの脱却はなく、国際社会の指導的な国家にはなれぬ」と指摘した。 2005.03.01 16:18






「対日カード」って韓国歴代政府にとって便利なカードですね




そもそも・・・


『謝罪するいわれは何もない』
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/shazai/index.html
朝鮮は日本の植民地になったお陰で生活水準がみるみる向上した
http://www.tsukurukai.com/07_fumi/text_fumi/fumi41_text02.html 元韓国・仁荷大学教授 朴贊雄

「朝鮮半島への補償」に対する重大なる疑問
http://www.ncn-t.net/kunistok/kumata-kitamondai.htm
英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず
http://www.geocities.com/lookeast20022002/heigou3.html 世界の目から見ても当時の日韓併合は合法のもと行われたとのこと。








関連記事

政策も政府と党と一体となる これは恐い!…((((;゚Д゚))))

Category: 政治  
民主党政調会長代行に、仙谷由人前官房副長官の起用が固まったのは、前原政調会長との「二人三脚」で政策調整に当たることに加え、仙谷氏の人脈を生かして自民、公明両党との政策協議をはかどらせたいとの思惑もあるようだ。

民主党は8月、マニフェストの主要政策見直しで自公両党と合意を結び、年末にかけて、高校無償化、農家の戸別所得補償などについて見直しを検討することになっている。子ども手当に代わる新制度についても、所得制限の具体的中身などについて調整が必要だ。

仙谷氏は前原グループに所属し、政治的にも前原氏を支える立場にある。官房長官時代には各省を仕切る実力も発揮したことでも知られ、前原氏にとって政策面で強力な補佐が期待できる。仙谷氏は、自民党の大島理森副総裁、公明党の井上幹事長らとのパイプを持ち、3党協議に影響力を発揮しそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110904-00000184-yom-pol~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
首相=野田佳彦

<党執行部>
幹事長=輿石東
⇒日本民主教育政治連盟(日教組の政治団体)、日教組の親玉

幹事長代行=樽床伸二
⇒人権擁護法案は「党の方針に従う」 「がんばろう、日本!国民協議会」(新左翼:民主統一同盟)


政調会長=麻原誠司
⇒外国人参政権容認 日朝友好議連、北朝鮮エネルギー支援賛成、在日外国人から献金受取

政調会長代理=仙石義人
⇒外国人参政権推進 人権侵害救済法案推進(PT常任顧問) 国立追悼施設推進、自虐隷属史観、『自衛隊は暴力装置』と発言

国対委員長=平野博文
⇒外国人参政権肯定的 鳩山政権下の官房長官(普天間問題では中心的役割)


<閣僚>
総務・沖縄・北方=川端達夫  
⇒人権侵害救済機関検討PT座長 原子力政策・立地政策PT座長 朝鮮学校無償化推進


法務=平岡秀夫
⇒外国人参政権付与推進派


外務=玄葉光一郎
⇒TPP推進 「子ども手当やめません」宣言


財務=安住淳
⇒外国人参政権付与推進派  人権救済法案推進派  国籍法改悪賛成 パチンコ利権


文部科学=中川正春
⇒外国人参政権付与推進派 パチンコ議連 自虐隷属史観 アジア共通通貨推進


厚生労働=小宮山洋子
⇒外国人参政権推進、人権擁護法案推進 人権侵害救済法PT副座長、二重国籍推進 恒久平和議連(自虐隷属史観)、国旗・国歌法に反対


農林水産=鹿野道彦
⇒外国人参政権推進 憲法改正反対 パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー


経済産業=鉢呂吉雄
⇒外国人参政権推進 日教組


国土交通=前田武志
⇒憲法9条護憲派、国立追悼施設推進


環境・原発=細野豪志
⇒人権擁護法案推進 モナ男 


防衛=一川保夫
⇒外国人参政権推進派


官房=藤村修
⇒外国人参政権付与推進派


復興・防災=平野達男
⇒青山繁晴氏恫喝


国家公安・拉致問題・消費者=山岡賢次
⇒外国人参政権付与推進派 9条護憲の強硬派 マルチ商法推進 自虐史観


金融・郵政改革=自見庄三郎

 
行政刷新・公務員改革=蓮舫  
⇒外国人参政権付与推進派 顔芸

 
国家戦略・経済財政=古川元久
⇒同和利権、癒着 外国人参政権付与推進派





執行部人事を盤石にし、政策も政府と党と一体となるようにする
(今までの民主はできなかった)からこれは恐い!…((((;゚Д゚))))




関連記事

《人民日报》1953年钓鱼岛报道 共産党機関紙人民日報からこの記事

Category: 中国  
《人民日报》1953年钓鱼岛报道

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送交者: 赤松子 2010年09月21日23:01:47 于 [世界军事论坛] 发送悄悄话

《人民日报》1953年钓鱼岛报道 z

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送交者: 调侃军政 2010年09月21日21:51:55 于 [世界时事论坛] 发送悄悄话


一份令人吃惊的文件:《人民日报》1953年1月8日钓鱼岛报道
注: 在撰写关于钓鱼岛(台湾称钓鱼台列屿、日本称为尖阁诸岛)争议的文章的时候,竟然查到一份令我无法相信的中国官方报道,让我看了那么多的资料都失去了意 义。更让我奇怪的是,这样重要的资料,我们国家那么多研究钓鱼岛的学者和专家,都没有引用过。我还是在看日文资料的时候,看到日本右翼如此说法,我以为是 造谣,查《人民日报》库,就调出了下面的报道。悲哀啊!我现在宁愿没有做过这个研究。




琉球群岛人民反对美国占领的斗争

《人民日报》 (1953.01.08)



  琉球群岛散布在我国台湾东北和日本九洲岛西南之间的海面上,包括尖阁诸岛、 先岛诸岛、大东诸岛、冲绳诸岛、大岛诸岛、土噶喇诸岛、大隅诸岛等七组岛屿,每组都有许多大小岛屿,总计共有五十个以上有名称的岛屿和四百多个无名小岛, 全部陆地面积为四千六百七十平方公里。群岛中最大的岛是冲绳诸岛中的冲绳岛(即大琉球岛),面积一千二百十一平方公里;其次是大岛诸岛中的奄美大岛,面积 七百三十平方公里。琉球群岛绵互达一千公里,它的内侧是我国东海,外侧就是太平洋公海。

   美国在一九四五年六月占领了琉球群岛后,就着手在该岛建筑军事基地。随着美国在亚洲大陆上侵略计划的破产,琉球基地的建筑工程也就更趋积极起来。远在美 国发动侵略朝鲜战争前,美国在琉球群岛的军事工程就已占用了琉球三分之一的土地,用作建造基地的费用超过了两亿美元。其后,琉球基地的建造计划一再扩大, 而且以更大的速度进行着。一九五一年六月二十二日"美国新闻与世界报道"杂志曾透露出美国侵略者的野心:"美国在冲绳岛的目标是用空军独霸亚洲,要使它成 为太平洋的最大基地。由冲绳岛起飞,B二十九型轰炸机能达到亚洲大部分内陆地区,轰炸半径可能包括中国全部和西伯利亚大部地区——包括西伯利亚大铁路。B 三十六型轰炸机则可达到更远的距离。"去年九月八日,冲绳岛的美国官员竟公然宣布:"用来将冲绳岛改变成‘太平洋的直布罗陀''的全部经费将近四亿八千万 美元。建筑工作正在按计划进行,防台风的公路、飞机场、兵营、司令部以及其他军事设备,将遍布全岛。"另一方面,据不久前日本的报纸消息称:美国在冲绳岛 那霸港入口处的浮岛神社下,已修建了具有八万吨容量的三个地下油库,冲绳岛周围各岛都散布着基地,共修建有二十几个大型飞机场,并且在奄美大岛、宫古岛、 冲之永良部岛等岛屿上都装置了雷达。许多岛上都建成了兼作飞机跑道用的军用公路。而美国通讯社也早经不止一次地承认:"美国B二十九型轰炸机,每天都从冲 绳岛起飞去袭击北朝鲜"。

  与建筑及使用琉球军事基地 同时,美国侵略者积极阴谋永久霸占琉球群岛。美国占领琉球后不久,就独揽了琉球的一切政权。去年以来,美国侵略者竟不顾"开罗宣言"、"波茨坦公告"等各 项国际协议中都没有规定托管琉球群岛的决定,也不顾苏联政府和中华人民共和国政府的一再声明,更不顾一百万琉球人民的坚决反对,竟勾结日本吉田政府,擅自 在它片面制订的对日"和约"中规定:"日本对于美国向联合国提出将北纬二十九度以南的琉球群岛......置于联合国托管制度之下,而以美国为唯一管理当 局的任何提议,将予同意。在提出此种建议,并对此种建议采取肯定措施以前,美国将有权对此等岛屿之领土及其居民,包括其领水,行使一切及任何行政、立法与 司法权力。"美国以这样卑鄙的手段擅自为其无限期霸占琉球群岛的侵略行为披上"合法"的外衣后,并于去年四月一日在岛上建立了以比嘉秀平为首的琉球傀儡政 府。

  七年多以来,美国侵略者用极其野蛮横暴的手段, 把琉球群岛变成了美国的军事基地;一百万琉球人民在美国的奴役与剥削下,已陷在水深火热中,过着极为悲惨的生活。凡是被美军圈定为构筑军事目标的土地,全 部居民便被赶出自己的乡土,现在仅冲绳岛就有三分之二的土地被征作军用。琉球人民不仅土地被强占,而且有劳动力的年青人大部被强迫去参加建筑美国军事基地 的奴隶劳动。美国侵略者用枪刺残酷地逼迫琉球人民自己去毁灭赖以为生的和平家园与渔村,以致全岛农田荒芜、食粮缺乏、渔业不振,战前颇具规模的糖业也迄未 恢复。同时,美军用恐怖的警察统治压制琉球人民的反抗。从一九四七年起,美军就借口保守军事机密,禁止居民旅行全岛。美国宪兵及其走狗琉球警察(都是过去 充当过日本军阀的爪牙现在被美军起用的当地流氓)布满全岛。村落和村落之间布有铁丝网,两村的村民来往必须先向警察报告并获得允许,否则就要以"偷越界 线"治罪,公路旁也布有铁丝网,有的甚至通有电流。因而,琉球人民对外贸易被禁止,交通被阻挠,耕种和捕鱼被限制,一切的自由权利全被美军剥夺。而且,战 争中炮火损毁了全岛房屋的百分之九十,迄今绝大部分琉球人民无处栖身。去年琉球北部一带遭受饥荒时,灾民竟被迫吃蜥蜴、蛇等以延续生命。在美军中做工的琉 球工人,工资只及美国工人的九十分之一,受雇在美军酒吧间、饭馆及机关中的琉球妇女,每月工资最多只有四块美元。荒淫无耻的美军,也给琉球带来了大批的" 吉普女郎",驻在琉球群岛的美军野蛮地凌辱琉球妇女。美军随便枪杀琉球人民的暴行也屡见不鲜。

   琉球群岛曾经是美国和日本激战地区,当地居民死亡惨重,战争创伤深深烙印在琉球人民心中。琉球人民痛恶战争,热烈要求和平。战后美国侵略者变琉球为基地 和奴役剥削的军事殖民地政策,逼得琉球人民不得不挺身起来用各种方式展开反对美国占领者的斗争。最初,为饥饿所迫的琉球人民,开始夺取美军物资,后来逐渐 发展为公开袭击美军并大量夺取军用物资。据日本报纸消息:前年一月冲绳岛嘉手纳机场航空队的太巴斯(译音)兵营就被夺去了九十七件军火物资。去年一月二十 一日,嘉手纳机场航空队第十八号火药库又丢失了火药七吨半。岛上美军的军火仓库,经常"无故"爆炸。例如一九四八年八月,在冲绳岛附近的一个小岛上,美军 的军火库就爆炸了一天一夜,把美军储藏在该岛的军火全部炸毁。去年从台湾传出的美国新闻电讯中,曾透露琉球人民游击队和美国占领军展开了激烈斗争,琉球人 民且曾潜入冲绳岛的卡台那(译音)机场中将机场破坏。

   被迫为美军工作的琉球工人不断地进行罢工、怠工以反抗美军的奴役。去年六月,冲绳岛建筑美国军事工程的琉球工人,不顾美军的禁令,举行了要求提高工资的 斗争,得到了全岛工人的支持。七月,岛上松村包工组的工人举行反对解雇的罢工,全岛各地都举行了支持罢工的示威。琉球人民反对美国占领的斗争已和反对战 争、保卫和平的运动结合起来,并正在更有力地向前发展着。去年的五一节,冲绳岛的工人、职员和市民,在琉球人民党的号召下,不顾美军的镇压,举行了保障生 活权利大会和示威大游行。最近,冲绳岛人民又广泛地展开了反对琉球傀儡政府为日本吉田政府征兵的运动。

  琉球人民反对美国变琉球为军事基地、反对美国奴役统治争取自由解放与和平的斗争不是孤立的,它是和日本人民争取独立、民主与和平的斗争分不开,也是和亚洲及太平洋区域人民以及全世界各国人民保卫和平的斗争分不开的,因而,虽然美国占领者对琉球人民实行野蛮镇压,但最后胜利必定是属于琉球人民的。





  "最后胜利必定是属于琉球人民",不是倭人 /无内容 - vuse 09/22/10 (106)
  琉球群岛这里只是地理名称, /无内容 - vuse 09/22/10 (84)
  你是中国人民的傻儿子。 - 独木船 09/22/10 (87)
    哈哈,日本人大概也会说井上是日本人民滴傻儿子~~ /无内容 - 天蓝蓝 09/22/10 (61)
  楼下七嘴八舌的没用 - pikov 09/22/10 (77)
  1953年有什么稀罕?为何不去翻查1053年的? /无内容 - 小鱼锅贴 09/22/10 (69)
    别先轻信。57 年前的文章,那里来的。先弄清出处。否则 - 历经风浪的老水手 09/22/10 (68)
  来源出处 ? /无内容 - 历经风浪的老水手 09/22/10 (61)
    对不起。因为您的花样实在太多。不敢对您轻信。 /无内容 - 历经风浪的老水手 09/22/10 (63)
  记住:新闻与新闻综述有一个最大的特点:时限性。去 - 老朽 09/22/10 (97)
  这是过期地图,忘记了? /无内容 - dds 09/21/10 (63)
  三好老弟你的病情加重了。 - madmax 09/21/10 (66)
  人民日报的文章,不是历史文献,不是学术专著 - zhanjie 09/21/10 (81)
  真有本事把这都翻出来了,所以根结还是在琉球的回归。 - 武一 09/21/10 (98)
    保钓运动起于六十年代台湾学生,当时美国准备把冲绳还给日本。 /无内容 - 水蛮子 09/22/10 (71)
    在钓鱼岛不打则已, 打则必以取琉球为目标. /无内容 - 多情剑客无情剑 09/21/10 (62)
    TG当年土得掉渣,对海洋两眼一抹黑。用的海图来源乱七八糟 - 小fat 09/21/10 (88)
      没事,日本71年之前就没把中国钓鱼岛当成日本的。何况历史资料 - en38 09/21/10 (136)




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人民日報の自爆を魚拓れ!
http://taiyou.bandoutadanobu.com/?eid=1219739「外国人犯罪の増加から分かること」

みなさん、こんにちは。
尖閣諸島では怒り心頭の中国ですが、ここに来て中国人自身がガックリくる記事が発表されました。びっくり

私もよく観察している「世界軍事論壇」ですが、9月24日にこんな記事が出たんです。

削除されるかもしれませんので、皆さんできれば魚拓をお願いします。
http://bbs.wforum.com/wmf/bbsviewer.php?trd_id=83547以下、訳文
 
ひとつの驚くべき文献:《人民日報》1953年1月8日釣魚島報道

注:釣魚島(台湾では釣魚台列屿、日本では尖閣諸島と呼称)論争に関する文章を書くとき、なんとひとつの信じがたい中国当局の報道に到達してしまい、私に多くの資料に目を通した意義を失わせてしまった。さらにおかしなことに、このような重要な資料が、私たちの国家にこれほど多くの釣魚島の学者や専門家がいるのに誰もこれを引用していなかったことだ。
私はやはり日本の資料を見たときに、それが日本の右翼のごとき説明の方法であり、私はそれはまったくの作り話であると思ったのだが、《人民日報》の保存記事を探してみると、下記のような報道が出てきた。
悲しい! 私は現在むしろこんな研究はなかったことにしたい。

琉球群島人民がアメリカの占領に反対し戦う
《人民日報》1953年1月8日
琉球群島はわが国台湾の東北から日本の九州西南の間の海上に散在し、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、奄美群島、トカラ列島、大隅諸島など七組の島々からなり、それぞれにはたくさんの大小の島々があり、合計で50以上の名称のついた島と400強の無名の小島があって、全部の陸地合計面積は4670平方キロメートルある。群島の中でも最大なのは沖縄諸島中の沖縄島(つまり大琉球島)、面積1211平方キロメートル;次に  (以下省略)

翻訳は以上。

自国共産党機関紙である人民日報からこの記事を見つけてしまった中国人、驚きのあまりに、自爆。唖然

尖閣諸島が琉球諸島に含まれるとすれば、アメリカは尖閣を含めた琉球諸島を日本に返還していることから、尖閣諸島は明確に日本の領土としてカタがついています。

これは、中国人でも理屈で分かるのです。だから驚いているんです。
しかし彼らは、ただ単に、欲しいだけなのです。

毛が生えた駄々っ子オヤジのヨダレをたらしたわがままには、醜い姿を映し出す鏡を突きつけるのが一番。


政府はもう当てになりませんので、衝突動画の公開要求と、本件の人民日報記事魚拓を武器に、
国益を守りましょう


http://mamorenihon.wordpress.com/2010/10/02/%E4%BA%BA%E6%B0%91%E6%97%A5%E5%A0%B1%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%95%EF%BC%93%E5%B9%B4%EF%BC%91%E6%9C%88%EF%BC%98%E6%97%A5%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%80%8C%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E3%81%AF/

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輿石幹事長内定で左翼亡国政権誕生か?

Category: 政治  
(転載)
8/30 [HRPニュースファイル] 輿石幹事長内定で左翼亡国政権誕生か?
2011年8月30日
http://www.hr-party.jp/new/2011/10120.html30日、菅内閣が総辞職し、国会は総理大臣に民主党新代表の野田佳彦氏を指名しました。

午後には野田氏が、輿石東(こしいし・ あずま)・参院議員会長に幹事長就任を打診、輿石氏は難色を示していましたが、最終的に輿石氏に内定したと報道されています。

ここで輿石東氏がいかなる人物であるかについてお伝え致します。輿石氏の支持基盤は、日本教職員組合(日教組)、及びその傘下の山梨県教職員組合(山教組)です。

輿石氏は、2009年1月の日教組「新春の集い」で、輿石氏は「教育の政治的中立などと言われても、そんなものはありえない。政治から教育を変えていく。私も日政連(日本民主教育政治連盟)議員として、日教組とともに戦っていくことをお誓いし、永遠に日教組の組合員であるという自負を持っております」と挨拶をしています。

輿石氏の政治信条としては、子供たちの教育を良くすることではなく、自分や民主党の支持基盤である日教組の教師の生活を守ることしかありません。

野田首相は、イジメ問題や学級崩壊、授業の質の低下等、戦後の教育の荒廃が社会問題となっている中、教師だけを「神聖不可侵」の領域として守ろうとする日教組の重鎮、輿石氏を野田氏は起用するという暴挙に至りました。

蓮舫氏も官房長官候補に浮上しているということですが、この一点だけを見ても、野田氏の見識の無さ、信念の無さが顕れています。

野田氏は、日米同盟の重要性や集団的自衛権など、その政策や信条に保守的な傾向性が散見され、同氏に保守的な政策の実現を期待し、民主党の再生を期待する有権者も多かったはずです。

しかし、幹事長は、当の党務全般を握る要職であり、いくら小沢陣営の取り込みのためと言っても、いま日本を亡国に追いやっている「左翼勢力の牙城」である日教組の中核たる輿石氏を幹事長に起用したということは、民主党の運営に党内左翼の直接的な影響力の行使を許し、預けたということにほかなりません。

野田首相は、まさに自らの政権維持と安定と引き換えに「国民の未来を悪魔に魂を売った」と言えます。

野田政権もまた、鳩山政権、菅政権とほぼ同じ顔ぶれの閣僚構成となり、左翼亡国への道を歩むことが濃厚となっています。(文責・矢内筆勝)


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