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今日ボクが見た風景

自民党の党改革委員会(塩崎恭久委員長)

Category: 政治  
世襲候補を公認・推薦せず
・首相経験者は公認・推薦せず
・ツイッターやフェイスブックを全議員が活用(笑笑笑)

【怒】首相経験者の公認を阻む、若手差別議員たち。
http://twinklestars.air-nifty.com/sorausa/2011/05/post-e4bf.html

『自民党:派閥排除、首相経験者公認せず--党改革案
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110526ddm005010107000c.html

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110526ddm005010107000c.html
『自民党:派閥排除、首相経験者公認せず--党改革案

自民党の党改革委員会(塩崎恭久委員長)が検討している改革案の素案が25日、明らかになった。派閥を人事や候補者選定など主要な党運営に関与させないことを宣言している。首相経験者に対しては次期衆院選で公認・推薦しない事実上の「引退勧告」を行うことも検討する。26日の同委会合で議論するが、ベテラン議員の反発が予想される。

素案は派閥の党運営からの排除を求め、人材発掘・育成の役割は党本部が担うよう主張。ただ「政策研究や情報交換のグループ活動は自由」としている。また、総裁選立候補に必要な推薦人の要件を「党所属国会議員20人」から「党所属国会議員の5%」に緩和するよう求めている。現状では10人程度集めればよくなる。

一方、世襲候補については、各部会によって「引退議員の配偶者と3親等内の親族が同一選挙区で立候補する場合、次期衆院選から公認・推薦しない」と厳しい姿勢を打ち出したところと、候補者公募への参加を認めたところで意見が分かれた。【念佛明奈】
==============

◇党改革委提言の骨子◇
<自民党政治の総括>

▽党運営に派閥の関与を認めず

▽人材の発掘・育成機能を派閥から党本部へ移行

<選挙力強化>

▽世襲候補(配偶者と3親等内の親族)を公認・推薦せず

▽首相経験者は次期衆院選で公認・推薦せず

▽総裁選の立候補に必要な推薦人の要件緩和

<国会力強化>

▽質問者を「模擬ディベート」で選抜

<政策力強化>

▽「政策特別職」の新設

<戦略的広報>

▽ツイッターやフェイスブックを全議員が活用

毎日新聞 2011年5月26日 東京朝刊』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここまで。

なんて馬鹿な事を言い出した議員たちがいるんだそうな。

貴重な自民党の議席なので、こういう派閥解体だの、首相経験者の公認排除とか言い出すたびに、いらいらしながら、それでも反対運動すると貴重な1議席だから・・・と我慢し続けていたのだけど・・・・

本当にこんな、今までの経験と知恵を無視する、こいつらこそ、公認やめろ!と思うわ。

派閥があったからこそ、こういう思い上がった若い議員に経験と知恵をつけて、しかも落選していた間もお世話できるようなシステムがあった。それを潰してしまったから自民党は弱くなったんじゃないの?

今の民主党が強いのは、その派閥政治をそのまんま引き継いでやっている小沢一郎がいるから。

お馬鹿な若手議員たちがこういう思い上がった内部紛争を起こすから、自民党はもろくなってしまった。

若いだけじゃダメ。

山本一太なんてなんで、群馬があんなのを当選させているのか全く理解不能だわ。

世襲候補だって、だめな人は選挙でふるい落とされている。みんな選挙という関門をくぐってきているのだから、世襲だからなれるってわけじゃない。

神聖な選挙をなんだと思っているのか?

とうちゃんが散髪屋だったら、散髪屋になるな!!というのは職業選択の自由を妨げるとだれでもわかるのに、

父ちゃんが議員だったら議員になるな!

なんて差別じゃん。

こいつら差別議員だわ。許しては行けない。これこそ人権侵害議員だと思います。

>その件に関しては、自民党本部及び総裁室に事実確認の電話を入れました。党内の自民党改革委員会(塩崎恭久委員長)が出してきた案であって、決定ではない。有権者の意見が寄せられれば、それによって変更される可能性もあるとのことです。

ご参考まで:自民党本部 TEL:03-3581-0111 
塩崎恭久国会事務所 TEL:03-3508-7189
塩崎恭久松山事務所 TEL:089-941-4843

山本一太議員と平将明議員も自民党改革委員会(塩崎恭久委員長)のメンバーのようですね。

抗議先
ご参考まで:自民党本部 TEL:03-3581-0111 
塩崎恭久国会事務所 TEL:03-3508-7189
塩崎恭久松山事務所 TEL:089-941-4843
山本一太東京事務所 TEL:03-6550-0609
山本一太前橋事務所 TEL:027-254-6200
平 将明事務所 TEL: 03 – 5714 – 7071 FAX : 03 – 3739 – 2581

これは真剣に抗議しましょう。

ぜひ、この山本一太、塩崎恭久、言い出した議員たちこそ、公認取り消ししてもらいたいものです。

安倍さんにしても、麻生さんにしても、この間の「あなたとは違うんです。」の福田さんにしても、どの総理経験者も日本の国益の為にたたかってくれていた。

再び登板してくれることは私たちの夢です。

徹底的に抗議しましょう。議員の選挙区の人たちは事務所に直接いってもいいとおもいます。

麻生さんが選挙に負けたのも、この連中が常に内部で攪乱耕作するせいで、日本を滅ぼしたのは自民党内部のこの連中のせい。

内部紛争がみっともなくて自民党が負けたんだとまだわからないこの議員たちが自民党にいることこそがガンだとおもいます。

これについては意見窓口全てに対して、徹底的に抗議しましょう。この内部紛争の目をつぶしておかないと、RE政権交代したところで、また内部からゴタゴタが起こって政治が安定しない。

こいつらこそガンです。

政権交代したあとで内部でガタガタされたらややっこしい。叩くなら今です。もうこいつらだけはいらないと思います。

ご賛同の皆さん、抗議しましょう!!

コメント覧より 追加。

■カンチョクトを見ろ、と言いたいです。

マスコミは当初「世襲でない、市民運動から出た政治家」と手放しに絶賛してましたが、

歴代総理ぶっちぎりの無能じゃないか、と。

あれを見てまだ世襲じゃないのが素晴らしいと言うのでしょうか?馬鹿馬鹿しい話ですよ。

■山本一太議員

http://www.mynewsjapan.com/reports/1163
山本一太議員 新聞業界から3千万円献金、見返りに露骨な業界保護活動

新聞業界からお金もらって・・・・ 破壊活動やってるとしか思えない。

ちなみに山本一太も世襲議員です。まず自ら公認取り消ししてもらえばどうだろう?http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%80%E5%A4%AA#.E5.AE.B6.E6.97.8F

朝日新聞出身なんだそうだ。なるほど、反日議員だよね。
ーーーー

日経ソースでは

世耕弘成 議員
平沢勝栄 議員

も名前が上がっています

首相経験者は非公認」 自民中堅・若手が党改革案
世代間抗争の火種に
2011/5/26 21:10
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自民党改革委員会(塩崎恭久委員長)は26日、党改革の提言案をまとめた。党運営での派閥排除や、首相経験者を次期衆院選で公認しないことを検討する内容を明記している。中堅・若手の議員が中心で、党内の世代交代の流れを定着させる狙いだ。

塩崎委員長が26日の会合で提言案を示すと、出席者からは賛意や表現をさらに強めるべきだとの声が相次いだ。衝撃世耕弘成幹事長代理は「派閥政治に決別したことを見える形で示すことが大事だ」と強調。衝撃平沢勝栄氏も4人の首相経験者を念頭に「会長がいっぱいいて、会社を運営している」と懸念を示した。

派閥会長らはこれに強く反発。伊吹文明元幹事長は26日の派閥会合で「塩崎君は(所属する古賀)派を抜けて言えばいい」と批判。二階俊博元経済産業相も党改革委について「これこそ派閥活動だ」と当てこすった。

自民党では派閥の影響力が弱まっている。ただ、震災後に古賀誠元幹事長らが民主党との大連立構想を主張。不発とみるや、今度は執行部に内閣不信任決議案の早期提出を働きかけている。中堅・若手には長老・ベテラン勢が巻き返しに出ているとの危機感ものぞく。

板挟みの谷垣禎一総裁は26日の記者会見で「派閥に党の人事が左右されたことがあったのか」と語り、改革委とは距離を置いた。世代間の抗争が党内の大きな火種になる可能性がある。

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E0E4E2E0E68DE0E4E2E7E0E2E3E38297EAE2E2E2

やっぱ、世耕弘成 議員
平沢勝栄 議員 もでしたわ。いつもどおりの内ゲバおこす、自民党のガン。はこの人たち。

この人たちを公認取り消しするべき。

……………………

「政治改革」なる魔霊に憑依された
塩崎恭久、山本一太、平将明、世耕弘成、平沢勝栄らは
「政治改革党」でも結成したほうが良いだろう

『正統の憲法 バークの哲学』 中川八洋 (中公叢書) 285~287頁

世界的に著名な、次のバークの言葉を反芻して欲しい。

「私は変更をすべて排除するわけではありませんが、
変更を加えるのは、あくまでも保守するためにそうするのです」
(みすず書房刊『フランス革命の省察』313頁)

ベルリンの壁の崩壊の1989年11月から、とくにソ連邦が1991年末に崩壊してからの1990年代の「10年」というもの、日本の国会と国民とが、「政治改革」という反・保守主義の極端に暴走したことで、日本の政治経済の生命は切り裂かれ治療不可能なほどに傷ついてしまった。

「地方分権」が国家解体を狙ったアナーキズムの革命であり、「夫婦別姓」や「男女共同参画社会」がコミュニズムの家族解体の革命であり、「人権教育推進法」が人間の原子化(アトム化)をもたらす社会解体の革命であることは自明だが、内容の定かでないスローガン「政治改革」に集団妄想する日本にそのようなことを知覚する能力はすでになかった。「失われた十年」とは、自己破壊にすぎなかった「政治改革」の魔霊に日本全体が憑かれた「十年」であった。

そもそも1993年に国中にこだました「政治改革」なるスローガンから生まれたのは、まずは世界から称賛されていた(衆議院)の中選挙区制度の小選挙区制度への改悪であり、次は個人や経済界の政治献金を「悪」として国家が政党を助成する政党の準・「国有化」であった。前者は選挙制度の単なる「改悪」以外の何物でもなかったし、後者は政界と経済界の結びつきの切断その他をもたらして日本経済の凋落の主要な原因となった。自らの体を目茶苦茶に傷つけるがごとき1990年代の日本の国会がなした、愚かで狂気というべき立法の数々は、バークが次のように総括する、フランス革命時のフランス国会の二百年ぶりの再現といえるものであった。

「国民議会がなした(政治)の改善は皮相的なものに限られていたが、
国民議会がなした誤りの数々は根本的なものであった」
(みすず書房刊『フランス革命の省察』312頁)

上記の「国民議会」は「1990年代の日本の国会」と置き換えられるように、「失われた十年」の1990年代とはフランス革命やレーニンのロシア革命を模倣した小型の「革命ゴッコの十年」でもあった。フランス革命やロシア革命の結果、財政も経済も破綻したように、2000年代に入るや日本の経済が崩壊現象を示したのは当然であろう。

日本にはなぜ「保守主義」という思想や精神が皆無なのであろうか。おそらくは、社会は未来に向かって進歩するというスペンサーやマルクスの「進歩主義」のイデオロギーが、日本人全体の頭を汚染してしまったからだろう。政治社会はタコ糸の切れたタコのごとくに変化するが故に(このタコが墜落しないようタコ糸を丈夫なものにするよう)政治の変革を制御して、仮に「改善」するとしても祖先の叡智に学びつつ、臆病な慎重さで、”修繕”や”改良”のレベルでとどめる、つまり”保守する”ことが鉄則であろう。が、日本にはそのような保守主義の慎慮は全く欠けている。また、やむをえずして「改革」するときでも、”革新”に対し嫌悪感をもってする「改革」ー「革新を阻む改革」ーだけが健全なのである。

…………….

坂本龍一とお仲間のリベラル議員・塩崎恭久

12:無党派さん:2009/07/14(火)16:24:54 ID:VK8E8dtz
塩崎恭久元官房長官と坂本龍一
http://www.y-shiozaki.or.jp/profile/maruhi/img/img07.jpg
http://www.y-shiozaki.or.jp/profile/maruhi/img/img08.jpg
http://www.y-shiozaki.or.jp/livereport/img/img_storage/20051223111440_Jz4Z.JPG2

7名前:名無しさん@6周年:2006/03/24(金)09:35:39 ID:HJysxbNP0
坂本龍一とピースボートのズブズブな関係。
坂本の肩を持つ奴らは、ピースボートのシンパと見られてもしょうがないね。

>ピースボートは、核拡散防止条約(NPT)再検討会議の閉幕を控えた5月24日、「核不拡散体制強化のための日本のリーダーシップを求める要請
>――六ヶ所再処理工場運転の無期限延期の呼びかけ」と題された要請書をニューヨークにおいて発表した。

>日本からは、田中煕巳日本被団協事務局長や澤田昭二氏、岩松繁俊氏などを初めとする被爆者、本島等元長崎市長、宗教者、著名な政治学者などと並んで、
>音楽家の坂本龍一氏や作家の澤地久枝氏も署名している。

ピースボート公式HPより
http://www.peaceboat.org/info/news/2005/050525.html

935名前:名無しさん@6周年:2006/03/27(月)09:45:15 ID:2nxoi2ud0
坂本龍一の勘違いも甚だしいな・・・。

ミスチルの桜井とかと一緒になんかしてるが、
桜井もさっさと坂本と縁を切らないと被害受けるぞ。

…………….

坂本龍一、ツイッターでデマ「拡散」


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【中国】肥料が爆発

Category: 中国  

警察の押収危険物の保管所で肥料が爆発…猛暑原因と説明=河南


サーチナ 6月9日(木)15時34分配信

 河南省鄭州市公安局(警察)治安支隊の危険爆発物品の臨時保管所で9日午前3時29分ごろ、爆発が発生した。押収した肥料が爆発した。警察は「気温が高かったため、爆発が発生したとみられる」と発表した。中国新聞社が報じた。

 最近に押収して処分待ちだったリン安系複合肥料が爆発したという。警察の責任者は「リン安系肥料は高温の条件化で容易に炎上する。気温が高かったことが爆発・炎上の原因とみられる」と説明した。

 爆発で建物階段の1階付近が損傷を受けたが死傷者は出なかったという。警察は調査の結果、外部者が侵入した可能性を排除して、事故との見方を固めた。(編集担当:如月隼人)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110609-00000053-scn-cn 




最近はいいペースで爆発してんな

中国には地球上の全てのものを爆発させて欲しい

いっそ全て吹き飛ばしてくれたら終わるのにな






中国大爆発シリーズ一覧
http://primestage.blog118.fc2.com/blog-category-12.html



サル速は如月隼人さんを応援します
http://ameblo.jp/kisaragisearchina/









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君が代不起立教員

Category: 日本の病原  
君が代不起立教員


07060666君が代不起立女教師 校内で日の丸君が代反対トレーナー着用

東京都の教育委員会は2003年、国歌斉唱を義務づける通達を出している。
以来、都教委と、入学式・卒業式の国歌斉唱で起立しない「不起立教員」は、飽くなき戦いを繰り広げてきた。
文部科学省によると、この10年間で国旗・国歌に関する職務命令違反で懲戒処分を受けた全国の教職員693人のうち、実に431人が東京都という突出ぶりだ。


彼ら不起立教員の理論的支柱であり、「不起立界のジャンヌ・ダルク」との異名を持つ人物が、N教諭である。
彼らの活動をウォッチするフリーライター山田祐氏が解説する。
「彼女はふだんから学校で『OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO』(日の丸・君が代反対)と書かれたトレーナーを着用するなどして、度重なる君が代不起立で都教委から減給や停職といった処分を受けていました。
私が見学に行った2008年の卒業式では、今回も不起立ならついに免職処分か、といわれていました。

そして処分が決まる当日、N教諭は学校の窓から叫んだ。
「みんな聞いてー!(都教委は私を)クビにさせることはできなかった!」
 門の前の支援者らは涙を流し、「勝ったぞー!」と歓喜の雄叫びを上げたのだった。

結局、彼女はその後も免職されることなく、停職中も「停職出勤」と称し学校に通っては校門前で「君が代不起立」のプラカードを掲げる日々を送り、今年定年退職を迎えた。

退職にあたり、彼女は不起立教員の会報に「闘争」の歴史を綴っている。
そこでは、かつて免職を恐れ、国歌斉唱の途中まで起立することにしてしまったときの経験をこう振り返った。
〈「国歌斉唱」と司会が発声するや、心臓はバクバク。生徒たちのかなりが私を凝視しています。
やがて私の脳裏には、日本軍が侵略した中国で銃剣を持たされ、中国人の捕虜を「突け」と命令された初年兵の姿が出てきました。
私は、「お前は突くのか」と問われているよう。「ここまで起つ」と伝えていた歌詞まで来て着席し、「突かなくてよかった。

首にされたとしても、もう、金輪際こんなことはやめよう」と思いました〉

http://www.news-postseven.com/archives/20110609_22486.html




入院した方がいい

絶対に病気



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あまりにも左巻き過ぎて他のものが全部右に見えてやがる




「トレーナー処分」に根津さん怒りの追及
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彼女はふだんから学校で『OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO』と書かれたトレーナーを着用

「私はずっとこれを着て仕事に専念してきました。何が問題か説明してみなさい」。

根津公子さんの猛抗議に都教委職員は沈黙。

「君が代」解雇策動に怒り、100人以上が駆けつけた(2月14日 都庁)



何か世界の不幸を全て引き受けたような顔だな


生徒たちはこいつの授業で国歌斉唱してやれよ

いい大人が何で学生レベルの抗議内容と言い訳しか出来ないの?


正に、「ワタシ以外はネトウヨ!」だな



教師は一定年毎に適性診断受けるのを義務付けろ 特に精神


警察官と同じである程度の思想の
下調べは必要ではないかと思えてしまう




【 日本人は日本から出て行きなさい 】 地球市民 50歳代 女性
私はいわゆる在日朝鮮人ですが、最近の日本の右傾化には恐怖さえ感じます。
そんなに外国人が嫌いなら、日王(日本人は天皇と呼んでいるみたいですが)と
日の丸と君が代をもって日本から出て行き、
遠くの無人島で、日本人同士で戦争し、殺しあうべきなのです。
ここは、私たちの住む国です、私たちが嫌いなら、あなたが出て行くのが道理なのです。
私たちの住む国のことを、私たちが決定できるようにしてくれる民主党が政権をとり、
日本が、よりいっそう過去の反省を強め、北東アジアに貢献するためにも、あなたは
民主党に投票しなくてはいけないのです。
http://www.election.co.jp/news/2004/news0714.html



ああやっぱり、民主党とその支持者はこんな連中なんだよねぇ
焼肉献金とかあったし
"地球市民"とか言っているのはこういう連中なんだよな

密入国者とその子孫のザイニチ韓国朝鮮人が日本に居座って、
"日王""日本人は日本から出て行け""ワタシタチは地球市民"、

とか非常に傲慢で図々しい...いかにもだよなぁ



君が代に反対してるババアがジャンヌダルクって、バカじゃねえの
フランスってこんな国歌の国だぜ

1番
進め 祖国の子らよ
栄光の時が来た
我らに対し 暴君の
血塗られた軍旗は 掲げられた
血塗られた軍旗は 掲げられた
聞こえるか 戦場で
獰猛な兵士の怒号が
奴らは来る 汝らの元に
喉を掻ききるため 汝らの子の
コーラス
市民らよ 武器を取れ
軍隊を 組織せよ
進め! 進め!
敵の汚れた血で
田畑を満たすまで
市民らよ 武器を取れ
軍隊を 組織せよ
進め! 進め!
敵の汚れた血で
田畑を満たすまで









やっぱ左翼って完全に頭おかしいよ
ニュー速でネトウヨ連呼してる奴もこんな思考なのかね
誰に洗脳されたのか知らんけど哀れ


洗脳って恐ろしい


こんな奴が教師やってるから学校教育が駄目になる
ゆとり云々の問題じゃねえんだよ




反日左翼なのは許してやるが、
左翼が教師や役人であることは絶対許さない
税金で売国やるな!


こういう反日思想を繰り返しすり込んで洗脳するのが
日教組なんだろうけどな


http://vpress.la.coocan.jp/kimi.html
根津公子先生だとさ

kimi-nezu


生徒に校則を守らせるなら自分も業務命令を守れ

屁理屈を並べれば規則を守らなくて

いいということを身を持って示すババアの存在が迷惑だ



こんなアフォを懲戒免職にできなかった都教委が糞過ぎる























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支那人の民族性

Category: 中国  
日本人は今、世界一、自分の国の歴史を知らない人たちになっている。
自分の国の歴史を知らない人が、何で「国民」なのか。
日本人の歴史を知らない人が、何で「日本人」なのか。(櫻井よしこさんの言葉)




★選択的夫婦別姓制度の導入を容認することを意味することになる第3次男女共同参画基本計画を、政府は年内に閣議決定する予定です(産経12/2)。12月1日の国民大集会で山谷えり子さん曰く「2週間後に閣議決定される」(YouTube動画、6分20秒辺りから)。
<参考資料>
Shionの部屋さん>12/3付:緊急拡散!夫婦別姓法が強行提出へ!
ひめのブログさん>12/3付:[夫婦別姓] 抗議先と抗議例文


08townsend.jpg 




ラルフ・タウンゼントの著書「暗黒大陸 中国の真実」を紹介

 今から77年も前の1933年(昭和8年)に出版されたものですが、支那人の性質が今も昔も全く変わっていないことに気づかされます。
 今日は改めてこのタウンゼントの著書から引用していこうと思います。

 前回は尖閣問題をはじめとする対中問題を考える上で役立ちそうな箇所を引用しましたが、今回は支那人の民族性そのものを理解するために役立ちそうな箇所を引用します。
 
<予備知識1:時代背景>
 当時の支那大陸には、アメリカ人宣教師、民間事業家、それに領事館員や外交官等の政府役人が入国していました。もちろんヨーロッパや日本からも多数入国していました。宣教師は「可哀想」な支那人を救おうと、学校(ミッションスクール)や病院を作るなど慈善事業に尽くしましたが、その恩は全て仇で返されました。支那人は在留外国人に対し、略奪、暴行、陵辱、拷問、焼き討ち、虐殺を繰り返したのです。1927年の南京事件(1937年12月から翌年1月にかけての「南京事件」とは全く別の事件)では、日本人、イギリス人、アメリカ人、イタリア人、フランス人、デンマーク人に死者・不明者が出ています。ちなみに日本人約230名が虐殺された通州事件は1937年7月発生。

<予備知識2:筆者ラルフ・タウンゼント>
 アメリカの外交官。1931年に上海副領事となり、ここで満州事変に伴う第1次上海事変に遭遇。その後福建省福州副領事に。1933年に帰国、外交官を辞しました。その後、講演や著述を旺盛に行っていますが、それは支那事変勃発後ますます硬化するアメリカの対日姿勢に対する疑問の声であり、その異議申し立ての表明でした。こうした活動の果てに、1942年、ルーズベルト政権の時代に逮捕、収監されています。
.


※引用文中の( )は原文ママ、〈 〉は引用者くっくりによります。
※文中にたびたび登場する「宣教師」は、現代日本の媚中派の政治家、官僚、識者、財界人などに置き換えてみると宜しいかと。

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【改革・進歩は幻】

 〈中国に〉進歩を期待する者は、まだまだ「素人」である。慈善事業家が、さも明るい未来があるかのように寄付を呼びかけ、討論会を開いている。確かに中国の「進歩」関連記事は紙上を賑わしている。国民党の出す公衆衛生、法の施行、刑務所の改善、国民の教育、農業改良などの政府刊行物だけを読んだら、簡単に騙される。さて、そのうちどれだけのものが実践されているか。要するに、これは海外向けの宣伝なのである。現に、中国人は現実が分かっているから、白けたものである。お人好しで、物を深く考えない外国人を欺くプロパガンダなのだ。多くの「物書き」はすっかり騙されているのである。

〈中略〉情報が氾濫しているが、まず中国人とはどういう人なのか理解することが問題解決の糸口となる。新聞で農民虐殺、成り上がり者による政変、内乱等を読んだら是非考えて欲しい。持って生まれた性格は変わらないのである。

 古来の中国人らしさが、今共産主義あるいは民族主義に現れていると思ってはいけない。その他の「○○主義」も同じである。いわゆる○○主義というものは中国にはない。何でも中国へ入るとカメレオンのように色を変え「中国化」してしまい、元の名前さえわからなくなってしまう。結論を言えば、「中国人は一見、○○主義のため戦っているようだが、そんなことはない」ということがおわかりいただけたと思う。

(p.38-39)

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【義和団事件と南京事件】

 1900年の夏、事件が起きた。「義和団」という狂信的秘密結社が宣教師を殺害したことに触発され、中国政府の守旧派が義和団に加勢して外国人排斥を企てたのである。包囲された北京の公使館員の救出に、連合軍が大沽から北京へ進撃した。救出軍が到着する前にドイツ使節を含む多くの外国人が惨殺された。ところが救出軍を目にしたとたん、中国側は政府軍も義和団も守備を固めるどころか、算を乱して敗走した。事変後、平時における外国人殺害という国際儀礼違反に対して賠償を課された。その7年後、アメリカは賠償金2500万ドルをアメリカ国内に学ぶ中国人学生の教育に活かした。

〈中略〉この事件の数年前までは一応友好的で宣戦布告をすることがなかったので、外国要人を襲い、武力紛争を起こしたことは忘れられ、中国人は「平和愛好者」との評価を取り戻した。メッキは剥がれるものである。1927年、同じような事件が南京で発生した。国民党の正式指令の下、小規模ではあるが、あの「北京の包囲と虐殺」が南京で起こったのである。この事件で殺害された者の中には英国領事館員も1人含まれていた。南京は北京上海間にあるから運良く当時米英の砲艦が近くにいて、襲撃者を打ち払い、包囲されていた人を救出した。

 ここ50年、中国で外国人の虐殺が起こるたびに「今ここにこのような蛮行は終わりを告げた。今後、中国人は平和を愛する責任のある近代国民になるのである。よって、以後、中国人に悪意を抱くことは不親切であり且つ不当である」と宣言する立派なアメリカ人が何人も出る。が、こういう立派な連中は墓穴を掘っているようなものである。無知なアメリカ人は「このような残虐行為は無教養な者やごろつき連中が繰り返している仕業だろう」と思っているが、そうではない。1900年の義和団事件と同じく、れっきとした政府高官によって何度も繰り返されているのである。

〈中略〉政府に後押しされた群集が、防御が整っていない外国人居住地を襲い女子供までも殺害したとしても特段驚くことではない。確かに1927年の事件以来、大きなことは起きていないが、上海とて安全とは言えない。というのは、外国人は一箇所にまとまっているわけではなく、国際租界やフランス租界に散らばっていて、その周りには中国人が数十万もいるからである。ということは、一旦事が起こったら直ちに一塊になれる体制でないと(南京ではそれができたので助かったのだが)、砲火から守ることはできないということだ。

 それにしても、なぜ中国人は外国人を虐殺したがるのであろうか。それは、外国人が裕福であるからである。また中国の指導層も同じで、略奪権を与えるのである。もちろん、中国軍が自国民つまり中国人を襲うことは日常茶飯事であるばかりか、殺そうと何しようとまったく平気である。外国人を狙うことはそう頻繁にあるわけではないが、やっても捕まらないと判断した時、やるのである。中国人に寛大な人が増えているから、ますます増長しているのである。

(p.43-44)

 ………………………………………………………………………………

【中国軍の強制徴用】

 荷物運搬用の牛馬の代わりになる苦力*1を大量に捕獲することが中国軍の「手」である。したがって軍が動くという噂が流れると、苦力でごった返していた通りがガランとなる。捕まったらどうなるか。過酷な仕事をやらされる。食事はもらえるかどうかわからない。兵の装備がまたお粗末なもので、街中で見かける宣伝用の兵隊は別として、食料はほとんど支給されない。したがって、行く先々で食券代わりに銃剣を振り回して糧秣を略奪する。銃を持たない苦力は食べ物を手に入れるのに実に苦労するが、兵隊は「ご奉公してよかった」と思えるぐらい腹いっぱい食える。

 強制連行した苦力の扱いは残虐で目を覆うものがある。抵抗もなにもしなくても、ただ「殴って楽しむため」、棍棒や銃で殴るのである。知り合いの領事から聞いた話だが、捕まった使用人の救出に赴いたそうである。歩行もままならぬよぼよぼの老人が、通りがかりの兵士に徴用され荷物運びを命じられ、何度棍棒で殴られても、荷物を肩に背負うことができない。兵士は面白半分、心行くまで殴ってから老人に手を貸して荷物を背負わせた。それからまた数発殴られ、よろよろ歩き出したそうである。

 苦力は実に悲惨である。兵隊でさえ嫌がるところへ回される。もし「敵方」(一時的に抗争する、ならず者の集団)に捕まったら、強制されての従軍だということは無視され、とにかく戦果を上げるため射殺される。捕虜の圧倒的多数はこういう風に挑発された苦力である。戦闘記録にある「捕獲捕虜」とは「敵方で虐殺された者」と読み替えてよい。勝者の気分次第で敗者は「虐殺」されることがごく普通である。数百万単位の軍隊が抗争を断続的に繰り広げながら、捕虜収容所が全くないということは注目に値する。捕虜の給食施設が全くないのだ。食料は施設が欠乏しており捕虜などに回す余裕などなく、万が一潤沢にあったとしても無用な敵に何かを提供するなど考えられない。

 謀略、裏切りは当たり前で、いずこの軍の歩哨も捕虜の脱走を手助けするような信用の置けない者ばかりである。

(p.63-64)

*1 苦力=「クーリー」と読む。低賃金の日雇い人夫。

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【中国人の特異性と残虐性】

 長年、中国で活躍し去年(1932年)カリフォルニアで亡くなったアーサー・スミスの本によれば、長く住めば住むほどわかってくることがあるそうである。「他人を信用する中国人はいない。なぜなら、自分が相手の立場に立ったら自分を信用できないと思っているからである」。

〈中略〉中国人の残虐性に話を戻す。いくつか例を挙げよう。例えば家族や仲間の連れがなく一人で舟に乗っていて落ちたらまず誰も助けてはくれない。元来中国人は軽率だから舟から落ちることは稀なことではない。数メートル離れた所で人が溺れても、ただ見ているだけである。よくあることである。

 あるアメリカ人領事が目撃した話である。任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、中国人にはたいした事件ではないそうである。豚と中国人を満載したサンパン*1が岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も川に投げ出された。岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いたという。

 ある晩のこと、夕食会に招かれた。来賓の中には中国の「精鋭軍」のお偉方も列席されていた。日本に留学した者も2、3人いた。つい最近まで日本が知識階級の教育の場であったのである。私の中国語は覚束ないので英語で説明してくれる者がいた。その話によれば、最近のある戦闘で捕まえた敵方の将校の一団をどう殺そうかと議論になった。そして、ばらばらの釘を飲ませてやろうということになった。飲ませてから、効果観察のため整列させた。約2時間後に死亡したそうである。

 次は、今年(1933年)中国を去る前に避難してきた宣教師から聞いた話だが、残酷すぎて我々には聞くに堪えない話である。南部の内陸地で人里離れた山岳地方の村から宣教師が数人戻ってきた。60人ほどの村が盗賊に襲われた。例の如く村の長老連中が呼び出され、金目のものをすっかり寄越せと言われた。「出し渋った」と見るや、この盗賊のお頭は聞いたこともない奇策に出た。手下に「野郎ども、かまわねえからこいつらの足をたたっ切れ。女子供も遠慮すんじゃねえ」。命令はそのまま執行された。この盗賊は同じ手であちこちの村を襲った。危険が高まったので宣教師たちは避難して来たそうである。だから「足なし一家の話」のその後は聞けなかった。人里離れた山中で何人が生き延びたか。力尽き、隣村で襲われて「餌食」となったか。それとも義足を付けて飛び跳ねているのか、知りたかったのだが。

 女にも容赦はしない。私の友人がいた村でのこと。ある時、その村の軍隊に荷物運びが緊急に必要となった。兵隊は自分では荷物運びはしない。銃剣で脅して荷物運びができそうな者を探し回る。適当な男がいなかったので、女を捕まえ棍棒でたたいて軍に組み入れた。これが民に対する「友軍」の実態である。もちろん「敵軍」の手にかかったら、ごく稀に寛大な処置をされることもあるが、これだけでは済まされない。

(p.63-66)

*1 サンパン=小舟。

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【複雑怪奇な性格と伝統】

 中国人の性格を解明する鍵として、地理、気候、食生活等あらゆる要素が挙げられている。それらが単独で、また複雑に絡み合っているといわれるが、いずれも満足できる答えは出ていない。なぜ喧嘩好きなのか。この問題はダーウィンの「進化論」でもってしても説明できない。なぜなら、彼らがいつ生まれたか誰も知らないのだから、喧嘩好きがいつ始まったか誰も知るはずがない。いつなくなるかも誰にもわからない。ただすぐにはなくならないだろうということだけは確かである。なぜなら中国人は生存競争なら誰にも負けない才能があるからである。

 中国関係関連の古い記録を見ると、中国人の性格は昔とそれほど変わっていないことがわかる。また、4000年前の中国人が書いた記録を見ても、残念ながら同じである。必要に応じて順応はしてきたが、同時に他民族とは異なる、中国人特有の抜き難い特性は変わることはなかった。

 さて、国際化する世界は国際法というものに合わせて動いているのであるが、中国人が、もしこの国際法を尊重するようになったとしたら、世界中が平和になるが、違うのである。逆に、彼らの強烈な国民性ゆえに、中国関係はギクシャクしているのである。そればかりか、中国人同士でさえも良好な関係は築かれないのである。

〈中略〉長く中国に暮らせば、中国人の性格も飲み込め、困ることもなくなるかというと、全くそんなことはない。いくら智恵をひねっても答がわからないクロスワードパズルのようなものである。一日一日、正解に近づいていくような気になる。が、誰も成功した人はいない。これからも無理であろう。もしできたとしたら、その時は外国人ではなくなり、中国人になってしまったのである。

(p.85-87)

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【西洋社会と交わるところがない】

 今日の西洋社会は、時代精神と宗教は相反するものだが、中国ではそうではない。

 我々と中国人とでは交わるところがない。交わるどころか平行して進むところさえない。だから、我々の考えが彼らの役に立つかどうかは怪しい。「中国人でも我々の考えを理解できる。できなくても、努力することぐらいはできる」と考える向きもあるかもしれない。しかし逆のことばかり起きている。何の根拠もない単なる空想である。確かに、西洋文明を取り入れることはできる。ただし物だけである。

(p.148)

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【虐殺されても中国人をかばう宣教師】

 福州を流れる川の上流でのこと。高齢のイギリス人女宣教師が2人、追剥に捕まり「裁判され」、「帝国主義者」にされ、「残虐なる死刑」に処された。生涯を聖職者として現地住民のために捧げた2人に待っていたのは、体中を切り刻まれ、長時間悶え苦しみ殺されるという無残な最期であった。当然ながら、中国国民党「政府」は何もしなかった。政策の一環であるから、助けるわけがない。

 対照的に、こういう反外国人、反キリスト教運動がいくら起こっても民間人は別段驚かない。冷静に見ている。中国人はいつまで経っても中国人であって、いくら表で愛想を振りまこうとも、裏では何をするかわからない人間であることを重々承知しているからである。

 毎回同じことの繰り返しだ。クリスチャンに対する大々的な虐殺、略奪がしばらく鳴りを潜めると、宣教師たちは「とうとう中国人もキリスト教徒となってくれた」と喜びの声を上げる。一方、民間人は、「ちょっと待ってくれ。元の中国人にすぐ戻るよ」と。

 数十年経っても同じことの繰り返しである。民間人の方が正しく、宣教師がトンチンカンな反応をしている。例えば、反宣教暴動が勃発する数週間、もしくは数ヶ月前の宣教師の文書をめくると、「これで反布教運動は終わった。目覚めた政府に導かれ、民衆は福音に目覚めたのである。これほど素晴らしい国民はいない。素晴らしすぎて褒め称える言葉が見つからない」とまで書いてある。

〈中略〉同様の賛辞に騙され、数千人が2年後の1900年、血の海に沈んだ。「守護神」であったはずの政府が外国人撲滅運動を画策していたのである。いわゆる義和団事件である。

 この事件で宣教師はじめ外国人追放運動に可能な限りの軍事援助をしたのがあの西太后である。いつもながらそのやり口が汚い。義和団が不穏な動きを見せていたが、政府は宣教活動の「守護神」として理解を示していた。そして義和団が無防備の宣教師を虐殺し、「できる」と見ると「君子豹変」した。数百の宣教師が殺害された。宣教師だけではない。「信者」のレッテルを貼られて虐殺された中国人は4桁にもなる。

 同僚が惨殺されるのを何度も目の当たりにしながら、疑うことを止めない〈訳文ママ〉のが宣教師である。1926年になってさえも、国民党を中国人救済の最後の「盟友」と持ち上げている。おめでたい限りである。その1年後にはどうなったか。反クリスチャンの嵐が荒れ狂い、日本やフィリピンへと避難する羽目に陥ったのではないか。中国人の正体がわからないのか、知ろうとしないのか。攻撃体勢が整うまでは本心を表さない、手練手管に長けたのが中国人である。「同じ目的に向かい、手に手をとって進もうではありませんか」等と言われ、すっかりその気になるのが宣教師である。

 「馬鹿は死ななきゃ直らない」と言うが、何度騙され、何度殺されても直らないのが宣教師なのだ。

 調べると、17世紀前半にもめでたい資料がある。中国政府が布教活動に協力し援助したと、小躍りしている。さて小躍りして出かけた宣教師はどうなったか。政府の許可を受けた暴漢に殺される者あり、「協力、援助」を約したはずの政府により処刑される者あり、と痛ましい最期を遂げたのである。

 どうしても殺せない相手には敬服し信服するのが中国人である。宣教師はこの辺のところを見逃してきた。何度死んでもわからない。

 陰で国民党が虐殺の糸を引いていることが明らかであるのにもかかわらず、毅然とした態度を示さないからますます付け上がる。これでは犯罪が減るはずがない。

(p.171-173)

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【巨額の援助を不満とする中国人】

 「適格な教師の派遣を」と言われるが、これを自虐的という。結果が現れないとすぐ「努力が足らん」と言う。しかし、すでに、少なくとも1億1千万ドルも援助し、功成り名遂げた優秀な教師を数千人も派遣している。教師を殺害し、校舎を焼き討ちする国に、である。政府が音頭をとって反米運動をする国に、である。

 演技のうまい中国人にコロッと騙されているのである。「期待していたアメリカ人に裏切られ失意のどん底に落とされた」と迫真の演技の中国人。「あぁ、期待を裏切ってしまった」と反省するアメリカ人。行商だろうが苦力だろうが主演男優、女優になれる。中国暮らしも長くなると、慣れっこになって、奴らの下心がわかるから、ガマ口だけはしっかり締め、大笑いするところである。ところがアメリカでは舞台裏の解説がないから、大方は演技とも知らずコロッと騙されるのである。

 呆れてものも言えないが、現地ミッションスクールの教育成果が上がらないのもアメリカ人のせいにしているようである。しかし前述したように、アメリカの一流大学に留学しても、出来が悪いのは同じである。実は、彼らに本当に必要なものは「徳育」である。これこそ中国人に欠けたものだが、簡単にできるようなものではない。

(p.180-181)

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【犠牲者は圧倒的に住民】

 〈共産党と国民党の戦いで〉もちろん、300万もの人間が戦えば(300万とは大げさだが、理論的にはいくつもの集団が集まって戦闘に参加するのだからこういう数字になる)、多くの死者が出る。ところが兵隊の死者はごく少ない。ほとんどは戦場となった地域の住民である。しかもほとんどが餓死である。米粒一つ残らず「友軍」に奪われるからである。一つ例を挙げよう。1931年の5月、江西省と湖南省における対共産党戦に関する楊将軍の報告である。

 江西
  死者 18万6000人
  難民の死者 210万人
  焼失家屋 10万棟
 湖南
  死者 7万2000人
  焼失家屋 12万棟

 次は1932年11月の湖北省での共産党の略奪報告(湖北省知事)である。

  死者 35万人
  家を失った難民 350万人
  焼失家屋 9万8000棟

 これはほんの一部に過ぎない。この数字を疑う理由はない。数字にはないが、住民を守るべき軍が逆に食料を取り上げ、飢え死にさせ、あるいは焼き討ちにする。将軍たちはこういうことは報告しないのである。共産党の支配地区には「どちらもひどいが、防衛軍より共産党がまだまし」と言う者も多い。宣教師の家族たちも「その通りだ」と言っていた。私も福建で、共産党に追われた難民が徒歩で、また小船で逃げてくるのを目撃した。大混乱だったそうだ。福建や隣の広東では大虐殺はないようである。共産党のやり方はこうである。カネのありそうな者を拷問する、羽振りが良く資本主義者と思われる者は即刻殺す。だから金持ちは共産党が来る前にさっさと逃げる。貧乏人だけが残り、餓死者が出るのである。

(p.203-204)

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【中国に共和制などあろうはずがない】

 アイヴァン・ハーディング氏である。氏は現在、済南府にあるイギリス総領事であり、中国学の権威であると同時に、西はカシュガル、トルキスタン、東は黄海沿いの霧深い港町まで、中国全土を隈なく旅した経歴をお持ちで、生涯かけて集めた氏のお話はまことに面白い。氏は、大虐殺、飢饉、内戦、大屠殺、民衆の抑圧等、慣れっこだ。中国に幻想など抱いていないのである。

 そのハーディング氏が済南へ発つ前、我が家へお別れの挨拶がてら寄ってお茶を飲んだ。たまたまその時、上海から取り寄せた本が机にあった。タイトルは『中国共和国の20年 発展の20年』。「目を見張るほど進歩しました」と盛んに報告してくる伝道地区をいくつか巡回調査した、ある客員教授の手になる本である。壊滅状態の国、膝まで血の海に没している国に30年も尽くしたハーディング氏のご尽力に敬意を表しながら、この本を渡して「お読みになりますか?」と聞いた。すると氏は叫んでこう仰ったのである。「発展ですと!中国でか?そんな本など捨てちまえ!」

 本のタイトル「中国共和国」には皆笑ってしまった。もちろん、中国に共和制などあろうはずがない。政府と言われるものがあるにはあるが、選挙によって指導者を決めるわけではない。全くの独裁政権、崩壊寸前である。

(p.218)

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【南京虐殺に関する声明文】

 1926年、宣教師たちはこの政府が最後の盟友と持ち上げた。ところがどうであろう、数ヶ月後、その第一軍が南京を制圧した時の模様をこう述べている。

 南京虐殺に関する声明文

 南京虐殺の真相を広くアメリカ人に知ってもらわんがため、外国人の生命財産に危害を加えられた3月24日に南京に在住していた我々アメリカ人は、署名の上、ここに声明文を記す。

 この残虐行為は、上官の承認の下、制服着用の兵士によって行われた。南京在住の我々アメリカ人全員がこの目で見たのであるから断言できる。

 彼らは外国人の私邸、領事館、学校、病院、会社の事務所を略奪しただけではない。家にも学校にも火を放った。外国人と見ると老若男女構わず撃った。誤射ではない。殺意を持って撃った人殺しである。ある若いアメリカ人娘などは2発も銃弾を打ち込まれ重症を負った。アメリカ女と見ると強姦する。その他、外国人女に、言葉にできないほどの侮蔑行為を加えた。こうした事件の多くをこの目で目撃したのである。その他さまざまなことが、疑いの全く無い事実である。

 北伐軍の兵士や中国人の友達の証言によれば、南京入場に際して命令ではないにしろ、「略奪、外国人殺害許可証」の類のものを持って南京に入場したようである。外国人の家に押し入る。金庫を開けさせる。着ているものまで剥ぎ取る。女は犯す。全て計画通りだったことは部隊の行動からして明らかである。我々の中には「隠れても見つけ出して殺してやる」と言われた者もいる。中国兵だけではなく、匿ってくれた中国人までもがそう言ったのである。

 ところが、この虐殺がピタリと止んだ。米英の軍艦の艦砲射撃が始まったからである。とたんにあちこちでラッパの合図があり、組織的破壊行動が止んだ。これで兵士の暴虐、破壊活動は上が命令した組織的行動だったことが証明された。

 以上は嘘偽りの無い事実なのである。

 この南京虐殺を画策したのは誰か。外国人と中国人双方の意見であるが、首謀者はロシア共産党指導者の指導を受けた国民党政府内に潜む共産主義活動家*1である。これらは外国人だけでなく中国人にとっても敵である。根絶やしにしないと中国の統一どころではない。

 我々は中国の国家目標に心底共鳴してきたし、これまで危険にさらされてはきたが、今後とも気持ちは変わらない。故に、現在、国民党政府の政策に強い影響を与える陣営を抑えねば、中国のみならず世界の行く末は安心できないものがある。

署名者

 法学博士、メソジスト派伝道師、南京大学長 A・J ボウエン
 名誉神学博士、南部長老会伝道師 P・F プライス
     同    ドナルド・W・リチャードソン
 フレンド派伝道師 W・R・ウイリアム
     同    C・A・マッティ
 南部長老派伝道師 ジョン・H・ライズナー
     同    J・C・トムソン
     同    C・スタンレー・スミス
     同    ハリー・クレモンズ・ジュニア
     同    G・W・ロース
 東京大学出納局長 L・J・オウエン
 ディサイプル教会伝道師 エドゥイン・マーク
 名誉神学博士、アメリカン監督教会伝道師 L・B・リッジリー
 アメリカン監督教会伝道師 W・P・ロバーツ
     同    J・P・マギー*2
     同    C・L・ピケンズ
     同    N・D・ギフォード・ジュニア

 これ以外にも大勢の宣教師が、「確かに今までは武器の使用には常に反対してきたが、今回ばかりは艦砲射撃のおかげで命拾いした」と述べている。

(p.302-304)

*1 首謀者はロシア共産党指導者の指導を受けた国民党政府内に潜む共産主義活動家=この国民党の北伐軍による「南京虐殺」は、前年(1926年)のコミンテルン第七次会議での決定に基づいて指令されたもので、それは北京駐在ソ連大使館付武官にモスクワが秘密文書によって訓令したもの。秘密文書の内容は以下のとおり。
「あらゆる方法を用いて国民大衆による外人排斥をひき起こさなければならない。この目的達成のためには、各国と大衆を武力衝突させなければならない。これによって各国の干渉をひき起すことができたらば、更に方法を選ばず、それを貫徹すべきである。たとえ、略奪や多数の惨殺をもたらすものであっても構わない。大衆が欧州の軍隊と衝突した時には、その機会を決して逃してはいけない」

*2 J・P・マギー=この「南京虐殺」から10年後に起こったいわゆる「南京大虐殺」(1937年12月から翌年1月にかけての南京事件)について、東京裁判で、日本軍による殺人、強姦、略奪事件について、被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に膨大な証言を行った人物。
マギーの証言に対し、ブルックス弁護人が反対尋問で「それでは只今のお話になった不法行為もしくは殺人行為というものの現行犯を、あなたご自身いくらくらいご覧になりましたか」と問うたところ、マギーは「私は自分の証言の中ではっきりと申してあると思いますが、ただわずか一人の事件だけは自分で目撃いたしました」と回答した。

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【パール・バックの偽善】

 あのパール・バックは〈1927年の〉南京虐殺の時、南京から夫と日本へ避難し、日本で「平和ってほんとに良いものですね」と書いている。ところが去年〈1932年〉、「イェール・レヴュー」に、殺人、略奪の収まった南京に戻った時のことを、「驚いたことにみだらな落書きが一つもないではありませんか」と書いて中国人を持ち上げている。そしてこの記事に感動するアメリカ人が中国にいたのである。こいつらは、軍隊が、一斉に女と見れば犯し、外国人は見つけ次第殺し、せっせと略奪に励んでいる時、一人のんびりと壁にエロ画など描いている者がいても「変だ」と思わない連中である。パール・バックはこうも書いている。「西洋の兵に(私の家が)占領されたら、壁中みだらな落書きだらけになっていたでしょうね。中国人って素敵ですね。強くたくましく立派な人間なのですね」。

 中国人を絶賛するパール・バックが書いていないものがある。あの時、南京では何が起こっていたか。中国兵は笑いながらイギリス領事をその庭先で撃ち殺した。無抵抗のアメリカ人も一人、同様になぶり殺しにした。アリス・ティスデイル・ホーバート夫人邸に逃げ込んだ50人の外国人に、雨あられと弾丸を浴びせた。幸い、この50人は軍艦からの援護射撃の下、上陸してきた部隊に無事救出された。こういうことを、パール・バックは一切書いていないのである。

 我々が今現在付き合っている中国政府とはこういう政府なのである。私が縷々述べてきたことを踏まえて判断すべきではないか。中国政府が、責任のある政府として信頼できるのかどうか。近代国家としての責務を果たせる力があるのかどうか。調べる気になれば誰にでもわかることであり、新たな事実が次々に見えてくるであろう。

*1 パール・バック=アメリカの女性小説家。中国名は賽珍珠(サィ・チンシュ)。生後3ヶ月で宣教師の両親とともに中国に渡り、そこで育つ。処女作『東の風・西の風』に続き、代表作『大地』を発表して1932年にピュリッツァー賞を受賞。1938年にノーベル文学賞を受賞した。『大地』は中国を美化して描いており、これが国際社会に中国への幻想を持たせるきっかけとなったという評が根強くある。

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 以下はおまけの資料です。


1927年の南京事件について中共は教科書でどう教えているか

 中村粲『大東亜戦争への道』(展転社・1990年)より。

【南京事件についての『中国歴史』(中国の全日制十年制学校初中課本・人民教育出版編)の記述は次の如くだ。
 「帝国主義は中国での反動支配を守るため革命を破壊しようとした。3月24日北伐軍は南京を占領した。その日の夜、イギリス、アメリカ、日本などの帝国主義は狂ったように南京城を砲撃し、中国軍民2000人余りを死傷させた。」
 中国兵の蛮行は一行も記さず、列国は理由なく南京を砲撃したかの如く書き、また砲撃を「夜」とすることによって無差別砲撃の印象を与えようとしている。
 その上、完全無抵抗主義を貫いた我が国も砲撃に参加したと嘘を書いて日本に濡れ衣を着せ、中国側死傷者数を60倍にもふくらませて、お家芸の白髪三千丈式誇張をやってのけている。歴史偽造の好例というべきだ。】
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 ソース:自由主義史観研究会>「1927年の南京事件」について考える

 ちなみにこのサイトでは、日本がこのとき砲撃しなかった理由は、いわゆる「幣原軟弱外交」のせいではなく、南京の居留民からの要請があったからだという立場をとっておられるようです。


「中国が覇権主義になれば世界人民はこれを打倒すべきである」とまで言っていたのだが…

 原料・資源問題に関する国連特別総会におけるトウ小平団長の発言(1974年4月10日)より。

【中国は社会主義国であり,また発展途上国でもある。中国は第三世界に属している。中国はいま超大国ではなく,将来も超大国にはならない。
 超大国とはなんだろうか。超大国とは,いたるところで他国にたいし,侵略,干渉,支配,転覆,収奪をおこない,世界の覇権を求めようとする帝国主義国のことである。社会主義の大国にもし資本主義が復活すれば,その国はかならず超大国に変わる。
 過去数年の間,中国でおこなわれたプロレタリア文化大革命と,いま全中国でくりひろげられている批林批孔運動は,みな資本主義復活を防ぎ,中国の社会主義祖国がいつまでも変色しないことを保障し,中国が永遠に被抑圧人民と被抑圧民族の側に立つのを保障するためである。
 もし中国が変色し,超大国になり,世界で覇を唱え,いたるところで他国をあなどり,侵略し,搾取するようなことになれば,世界人民は,中国に社会帝国主義のレッテルをはるべきであり,それを暴露し,それに反対するべきであり,また中国人民とともにこれを打倒するべきである。
.


 
ソース:アジア経済研究所>アジア動向データベース

 まさに覇権主義の超大国となった中華人民共和国ですが、トウショウヘイさんの発言とは裏腹に、「打倒」どころか「暴露」「反対」すら許さないのが現実です。

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韓国版「グーグルアース」 構築プロジェクトが始動

Category: 韓国・朝鮮  

韓国版「グーグルアース」 構築プロジェクトが始動



韓国版「グーグルアース」を作るためのプロジェクトが稼動する。
グーグルアースはグーグルが作った位置情報サービスで、地球をそのままウェブ上に再現し、ひと目で位置情報を見られるのが特徴だ。

国土海洋部は国が構築した空間情報を創意的なビジネスに積極的に活用できるよう「空間情報オープンプラットフォーム」を構築し、これを専門的に運営する運営機関を設立すると明らかにした。

このために国土海洋部は9日午後に国土研究院で「空間情報オープンプラットフォーム運営センター」の説明会を開催する。

韓国は1995年から国レベルでGIS(地理情報システム)事業を推進して空間情報を構築しており、各官庁・自治体・公共機関が保有する情報は莫大だ。
国土海洋部はこのような空間情報を誰でも簡単に利用できるようウェブ基盤の「空間情報オープンプラットフォーム」を構築中だ。

2D基盤の既存資料を統合提供するだけでなく、グーグルアースより解像度が高い3D地図と航空写真、数値標高模型などをサービスする計画だ。
合わせて空間情報に対する専門知識がなくてもアイデアさえあれば空間情報を活用した多様なサービスを開発できるよう
アプリケーションとオープンAPI(製作ソース)を提供してベンチャー企業と個人事業の活動を後押しする戦略だ。

民間が主導する「空間情報オープンプラットフォーム運営センター」は非営利法人で、初期には政府と民間・公共機関が共同出資する形態で運営される。
その後は収益モデル創出を通じ完全民間運営法人に切り替え、グーグルアースをしのぐ空間情報ハブとして育成するという構想だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110609-00000017-cnippou-kr







これ作る気だろ

理想

uricator



現実
6c522cbe




日本海を書き換えたいだけだろ?



ガキの頃からこんなのばっか見てきたら洗脳されるわな



・朝鮮半島が妙にでかい

・竹島は独島、韓国領

・日本海は東海

・黄海は西海

・日本列島が妙に小さい、大陸から離れている

・対馬が韓国領

・北方領土は当然ロシア領 www

もう海底ケーブルぶった切っても良いんじゃね?








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韓国軍によるベトナム人虐殺

Category: 韓国・朝鮮  

韓国軍によるベトナム人虐殺

ニューズウィーク(1)2005.06.26 Sunday | category:ニューズウィーク
『ニューズウィーク』(日本版、2000年4月12日)には
韓国軍によるベトナム人虐殺のレポートが掲載された。
「ロン・モロー(バンコク支局長)」という署名入りのこのレポートは、
これまで紹介してきた日本人研究者の論著よりも、さらに凄惨な内容である。

 

今から33年前の1967年4月1日。グエン・バン・トイはびくびくしながら、ベトナム中部フーイェン省の水田で働いていた。
 当時、この地域では韓国軍が大規模な作戦を進めていた。韓国兵は農民を力ずくで追い立て、南ベトナム政権の支配下にあった沿岸部に無理やり移住させていた。
 だが、多くの村人は移住を嫌がった。トイのビンスアン村を含む5カ村からなるアンリン郡の農民も、先祖代々の土地を捨てるのは気が進まなかった。
 トイが農作業を続けていると、いきなり機関銃の銃声と手榴弾の爆発音が響いた。音がしたのはビンスアン村の方角。トイはあわてて身を隠し、あたりが暗くなるまで動かなかった。
 村に戻ったトイが目にしたのは、身の毛もよだつ光景だった。家は黒焦げになり、少なくとも15人の村人が血の海に倒れていた。多くの遺体は銃剣で腹を切り裂かれていた
と、トイ(71)は言う。
 そのなかには、トイの妻と3人の子供の遺体もあった。生後4日の末の子は母親に抱かれたまま、背中を撃ち抜かれていた。4歳の娘ディエムは銃弾を5発受けていたが、奇跡的に命をとりとめた。

 トイは遺体を近くの防空壕に運び、入り口を泥で覆った。ここが、そのまま墓になった。トイも他の村人も、「あまりに悲しすぎて」犠牲者を改葬する気にはなれなかったからだ。


 この虐殺の行われたフーイェン省はクァンガイ省と同じく、
ベトナム中部の省である。
ちなみに虐殺の行われたのは吉永長生氏が論文で明らかにした
虐殺(66年10月)よりも半年ほど後である。
 ここでも韓国軍は「三光作戦」さながらに、老人であれ、婦女子であれ、
幼児であれ、無抵抗のベトナム人を
手当たり次第に殺戮していたことがわかる。
これが日本人の非を声高にあげつらっている
韓国人の正体なのである。




ニューズウィーク(2) 首を切り落としてやる2005.06.28 Tuesday | category:ニューズウィーク
『ニューズウィーク』(日本版、2000年4月12日)に掲載された
韓国軍によるベトナム人虐殺のレポート。



 ・・・こうした残虐行為の結果、多くの人々がベトコンの陣営に加わった。67年、16歳のときに父親を

韓国軍に殺されたブイ・タイン・チャムもその1人だ。

 チャムは数人の韓国軍がアンリン郡の家に押し入る直前、裏口から脱出した。韓国兵は70歳の年老いた父親を捕らえ、防空壕に押し込むと、すぐに手榴弾を投げ入れた。

チャムは日が暮れてから村にこっそり戻り、崩れた避難壕を掘り返したが、「

肉片しか見つからなかった」という。

 それから数週間、物ごいをしながらさまよったチャムは、山岳部にこもっていた共産ゲリラに加わる決意を固めた。「父を殺した奴らに復讐したかった。

韓国兵が村でやったことを見た以上、そうせずにはいられなかった」



 グエン・ゴク・チャウは83歳になった今も、憎しみを忘れていない。


67年5月22日、フーイェン省ホアドン郡のミトゥアン村で農業をしていたチャウは、

たまたま親戚のいる近くの村に出かけていた。

 そこへ前夜、韓国軍が村を攻撃したという知らせが届いた。

大急ぎで帰ったチャウが目にしたのは、

村人が井戸からバラバラになった遺体を引き揚げている光景だった。

犠牲者のなかには、妊娠中の妻と4人の子供も含まれていた。・・・(中略)

虐殺を隠れて見ていた老人の話では、

韓国兵は女性や子供を井戸に落とし、助けを求める声を

無視して手榴弾を投げ込んだという。

チャウは、盛り土をしただけの簡単な墓に家族の遺体を葬った。

 「殺されたのは女や子供ばかりだ。共産主義者なんかであるわけがない」

と、チャウは言う。

「韓国人は人間じゃない。目の前に現れたら、首を切り落としてやる」

レポートに書かれたフーイェン省ホアドン郡のミトゥアン村の虐殺もこれまで見てきた虐殺の事例と同じように、婦女子や老人など非戦闘員を

腹いせのために虐殺した事例である。

特に「防空壕や井戸にベトナム人を押し込み手榴弾を投げ込む」

という手口は、これまで判明したクァンガイ省ディエンニェン村の虐殺(66年10月)の

手口と共通している。

まさに犬畜生の所業と言わざるを得ない。



ニューズウィーク(3) 「補償より謝罪を」2005.06.29 Wednesday | category:ニューズウィーク

 『ニューズウィーク』(日本版、2000年4月12日)に掲載された

韓国軍によるベトナム人虐殺のレポート。



・・・ベトナムで虐殺行為を犯したのは、韓国軍だけではない。アンリン郡から海岸沿いに北へ向かえば、68年に米軍部隊が500人以上の村人を虐殺したクアン

ガイ省ソンミ村がある。

 それでも戦争体験をもつフーイェン省の村人の間では、米兵の評判は必ずしも悪くない。地方公務員のファム・トゥ・サン(47)は66年のテト(旧正月)のとき、米兵と一緒に遊んだりチューインガムや

キャンディーをもらったことを今も覚えている。

 だが米軍はこの年、フーイェンから引き揚げ、代わって韓国軍がやって来た。それから「67年のテトを迎えるまで、

韓国軍は殺戮を続けていた」と、サンは語る。「韓国兵に会ったら、死に出会ったも同然だった

」と、今は地元の退役軍人会の会長を務めているチャムも言う。

 アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的だった。韓国兵は残忍なやり方で女性をレイプしてから、殺すケースが多かったからだ。

 こうした残虐行為が明るみに出てきたことに、

ベトナム政府は神経をとがらせている。

 虐殺があったこと自体は、政府首脳も承知している。だがベトナム当局は、虐殺事件の報告書が国内で発表されることは望んでいない。友好関係にある

韓国政府はもちろん、ベトナムに莫大な投資を行っている大宇や現代、三星といった

韓国財閥の不興を買うことを心配しているからだ。

 ・・・(中略)さらに政府当局には、観光客としてベトナムを再訪する韓国の元兵士が増えている状況に水を差したくないという思いもある。だが、

韓国軍の残虐行為を目の当たりにした地元の当局者は、観光や経済発展のために真実を隠すべきではないと考えている。

 地元が望んでいるのは、

韓国政府の公的な釈明だ。たとえば韓国側から謝罪や罪を認める発言があれば、両国の絆はむしろ強まると、地元の人々は考えている。

 「韓国軍は、この地域にかつてない災厄をもたらした。犠牲者は銃を持てない老人や女性、子供たちだ

」と、フーイェン省のある当局者は言う。「私たちが望んでいるのは、物質的な補償ではない。それよりも共感と友好の姿勢を示してほしい。犠牲者が過去を忘れられるように」

 韓国軍のために流された罪なきベトナム人の血の量を考えれば、なんとささやかな要求だろう。

 韓国軍はただ殺戮だけをしていたのではなかった。

このレポートにもあるように

ベトナム人婦女子を陵辱し、虐殺していたのである。

そしてベトナム政府が、

どこかの国の政府のように「謝罪と補償」を求めないことをいいことに、

過去の罪過をついては口をつぐみ、「虐殺などなかった」と言い逃れ、

札束の力でベトナム人の口を封じている。

これが従軍慰安婦問題などで道徳の化身のごとく日本を非難し続けている

韓国人の正体なのである。






ニューズウィーク (4) 暴かれた英雄の犯罪2005.07.24 Sunday | category:ニューズウィーク

 『ニューズウィーク』(日本版、00年4月12日号)は、

ジョージ・ウェアフリッツ(東京支局長)、李炳宗(ソウル)の署名入りレポート

「暴かれた英雄の犯罪 」を掲載している。

その内容は「これまで韓国でタブーとされていた韓国軍によるベトナム人虐殺が

民主化の影響を受けて明るみに出つつある」というものである。

この見解の妥当性はともかくとして、このレポートにも

韓国軍による野蛮行為を明らかにしている部分があるので、引用することにする。

 

・・・そんな韓国社会に変化がみえたのは昨年のこと。朝鮮戦争中にアメリカ兵が行った残虐行為が暴かれてからだ。以来、

韓国人も自国の過去に目を向けはじめた。

 複数の人権擁護団体は韓国政府に対し、ベトナム戦争関連文書の公開とベトナム人被害者への補償を要請した。また具秀ジョン(ク・スジョン)がベトナムで資料収集にあたり、村人の証言を集めた結果、徐々に真相がわかってきた。

8、000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々も、明らかにされた。

 

 今年2月、KBSテレビは具の話をもとに、罪なき民間人を殺した元軍人が過去を語るドキュメンタリー番組を放送した。「村で娘を連れた若い男を見つけた」。苦悩に打ちひしがれた様子で、ある退役軍人は語った。「上官は私に、男を殺せと命じた。それも、7歳ぐらいの娘の目の前で。私にはどうしてもできなかった。すると、上官は2人とも殺してしまった」

 文中に見える「ク・スジョンの調査」については後に詳述するが、

8、000人という虐殺の規模

が判明したのは大きな成果と言えよう。

まさに「大虐殺」と言ってもいい程の残虐行為である。

 こうした調査が行われて5年以上たっているが、状況に大きな変化はない。

「派越勇士」と呼ばれる「ベトナム戦争参戦者=侵略者」は未だ

韓国では「国家有功者」であり、顕彰の対象なのだ。

彼らは韓国では有力な極右団体であり、強力な圧力団体なのである。




ニューズウィーク (5) 暴かれた英雄の犯罪2005.07.25 Monday | category:ニューズウィーク

 『ニューズウィーク』(日本版、00年4月12日号)のレポート「暴かれた英雄の犯罪」から。

 

フーイェン省トラム村でも、66年3月14日に恐ろしい事件が起きた。韓国軍はベトコンの拠点とされるこの村に武器が隠されているという情報をつかみ、崔祐植(チェ・ウシク)率いる青龍部隊を派遣した。(中略)

・・・彼らは村に入り込んで、住民を空き地に集めた。だが、そのとき崔は落とし穴に落ち、同時に手榴弾が炸裂。4人の兵士が即死し、崔も爆弾の破片で負傷した。代わって指揮をとった

アン

・テフン軍曹は、その後の激しい銃撃戦のことをよく覚えている。

 部隊は計46人の民間人の命を奪った。「われわれは感情を抑えることができなかった。動くものはすべて撃った」と、

アンは本誌に語った。「あのときは民間人もベトコンも同じに見えた」

 だが、崔の記憶はいささか異なる。手榴弾の炸裂後、村では何事も起きなかった。だが救援のヘリコプターが到着し、村人が散り散りになると、急に隊員が発砲しはじめたという。とすると、発砲は報復措置だったのか。

 「その可能性もある」と、崔は言う。「恐怖心でいっぱいだったから、自衛のためだったのかもしれないが」

 大半の退役軍人にとって、こんな悪夢は悲惨なゲリラ戦の一部にすぎない。「ゲリラと民間人の区別はつかなかった」と、アンは言う。「私たちがあんなことをした事情も理解してほしい」

 駐ベトナム軍総司令官だった蔡命新(チェ・ミョンシン)は本誌に対し、彼の部隊が民間人に犠牲を出したことを認めている。だが、敵味方の区別が判然としないゲリラ戦ではやむをえないことだとも言う。戦場で正常な判断力が失われていた可能性も指摘する。

 ベトナム戦争最大の大虐殺といわれる68年のソンミ村の虐殺も「理解できる」と、蔡は語った。指揮をとった米軍のウィリアム・カリー中尉は「自分の仲間の死に対して、復讐しようとしたのだ」という。

 70年代前半に平和部隊に参加したアメリカ人、マイケル・ジョーンズらが行った調査には、韓国軍が20人以上の民間人を殺害したとみられる事件が45件記録されている。この調査書には「打ち首にし、腹を裂き、強姦して死にいたらせた」などと記されている。

 「(こんなことを)口にすると、世間から残忍な奴だと思われる」と元歩兵の金周煌(キム・ジュファン)は言う。「だからあまり語りたくない」

 金周煌はベトナムでの過去に対峙しようとしている、数少ない退役軍人の1人だ。彼と退役軍人仲間の金鍾チョル(

キム・ジョンチョル)は先月、戦死した韓国兵と韓国軍に殺されたベトナム人犠牲者の霊をたたえる「和解の塔」の場所探しのため、かつての戦地に舞い戻った。2人は虐殺の行われたクアン

ガイ省の村々を訪問し、「私たちは傭兵として人々を殺した」と悔恨の情を伝えた。


 「打ち首」「腹を裂く」「強姦」・・・

とても20世紀後半の正規軍の行為とは思えない。

未開人の野蛮行為である。

アメリカ民間人の調査でも

「20人以上の虐殺が45件」

確認されているのだから、少なくとも1、000人近くは虐殺していることになる。

もちろん、こうした恥ずかしい行為は

国粋的な韓国の歴史教科書に載せられるわけがない。

大多数の韓国人はこうした歴史の真実を知らぬまま、

あるいは知らぬふりをしたまま、

「誇らしい韓国の歴史」

あるいは「被害者としての韓国の歴史」のみを

語り続けているのである。

これが日本の歴史教科書を非難し続けている

韓国人の真の姿である。





以上、

『韓国疑問史糾明委員会』

http://gimonshi.jugem.jp/?cid=6

より転載

 
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「SAPIO」2001.9.26号
特集【韓国「反日症候群」の正体】より

<大論争>
「日本ばかり責めていられない」の声も

「被害者史観」韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の「加害責任」

ジャーナリスト 佐藤和
 
 戦争といえばまず「被害者」だった韓国が、いま揺れている。ベトナム戦争時に従軍した韓国人兵士の「民間人大量虐殺」が報道され、長年のタブーだった「歴史の恥部」の解釈を巡って激しい議論が起きているのだ。
 それは虐殺か戦争か。謝罪はするべきか不要か。どこかで聞いたような議論は、しかしベトナムが謝罪も補償も求めていないことで、むしろ国内の政治問題となる可能性もでてきた。ことの経緯と一般韓国人の認識をレポートする。

 
 *
 

「償いの必要はない」といった元司令官

 ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。

 最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は99年、韓国軍がべトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号/韓国の民主化の中で生まれたハンギョレ新聞社は88年創業、現在新聞発行部数は韓国第4位)。

 この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。

 例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。以下、その部分を略して引用すると——大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す——等々だ。

 日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。

 続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。しかし同時に、今やその行為に罪悪感を感じ、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。

 これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ぺージにわたり大々的に報じたのだ。

 タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜(ぼうとく)されたと激しく抗議したのだ。

 ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。

 ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。

 アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。

 冷戦時代、反共産主義が優先された韓国では、自国の恥部となり得る問題は隠されてきた。それどころか自国民が被害者となったケースでも、問題は隠されてきた。例えば朝鮮戦争下での米軍による韓国避難民大量虐殺の事実でさえ、韓国メディアで報道されたのは金泳三政権になってからの94年である。

 また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。

 しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。では韓国のごく一般の市民はこの問題をどう受けとめているのだろう。

 「世代によって、受けとめ方はかなり違うでしょうね。若い世代であれぱ、さほど反発もなくふつうに考えられるでしょうが」

 そういうのは、米国の大学に留学中の韓国人男性(28)だ。

 「自分たちの世代にとって、ベトナム戦争といえば、まず韓国が高度成長を遂げた時代という、明るいイメージとセットになっている。そもそもベトナム戦争について学校で習ったり、語り合ったりした記憶もない。よく『忘れられた戦争』などといういわれ方もされましたが、本当にそのとおりでしたから」

 実際に、韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。中学生向けの国定教科書に記されているのは「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ(『入門 韓国の歴史—国定韓国中学校国史教科書』明石書店より)。

 そして、教科書以外での「認識」としては、やはり「経済成長」の方が先にくるというのも一般的な認識のようだ。

 ベトナム戦争時、韓国からベトナムへは兵士のみではなく、多くの労働者や技術者、ビジネスマンなどが渡っていった。兵士らにアメリカから支給された手当や労働者らの賃金、韓国企業の得た利益などは約10億ドルにものぼり、それらは本国に送金されて韓国経済を潤した。かつて日本が朝鮮戦争の特需を契機に高度経済成長したように、韓国がこの「ベトナム特需」を契機に「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済発展を遂げたことは、広く知られるところだ。

 ソウル在住の会社員(35・男性)は、こう語る。

 「虐殺のことはメディアに取り上げられて知りました。でも詳しく読んだわけでもないし、どこまでが事実なのかわからない。ベトナムと韓国はいい関係にあり、日韓関係とは違うと思う。問題化しないかぎり、このままそっとしておきたい気特ちです。ベトナム戦争では被害にあった韓国人兵士も多く、自分の家族に戦争での負傷者がいれば、複雑な気持ちだと思いますよ」

「日本人の友人の微妙な表情がわかった」

 そして「虐殺」と「責任」となると、どうしても「日本」が出てきてしまうところも、この議論を複雑にしている。ソウル在住の大学生(24・男性)は「徴妙な気持ち」と語った。

 「自分としては(虐殺の報道は)ショックでした。ベトナムは観光ブームになったときに行きたいな、と思っていたけど、現地の若者と話すときにどういう態度を取ったらいいか迷いますね。同じ世代の日本人と会ったとき、彼らが徴妙な顔付きをしていたのが、わかったような気もする。教科書や靖国で激しい日本批判があるけれど、自分たちだって同じようなことをやったじゃないか、日本だけを責められるのか、という気持ちにもなる。もっとも、それを日本からいわれれば、やっぱりムカつくけれど」

 ソウル在住の会社員(24・女性)も「日本を非難するなら、韓国ももっとベトナムに謝罪するべき。きっぱりした態度をとらないと、逆に日本につけこまれる恐れがあるのではないでしょうか」と、日本を意識した発言をした。

 ちなみに、ベトナム政府はこれまで謝罪や補償は一切求めていない。98年、韓国大統領として初めてベトナム訪問をした金大中は「遺憾の意」を表明。韓国外交省も「謝罪ではない」とコメントしていた。しかし、この8月24日、ソウルで行なわれた首脳会談で、ベトナム大統領として初めて訪韓したルオン大統領に対し、金大中大統領は「我々が不幸な戦争に参加し、不本意ながらベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と、「謝罪」に一歩踏み込んだ発言をした。

 「うまいやり方ですね。意図はともかく、これで日本から『韓国は謝ってさえいないじゃないか』と突っ込まれるスキをなくしたわけだから」

 と、韓国政治に詳しい韓国人ジャーナリストはいう。

 「だが、これで韓国人全体が『自分たちも加害者だった』と認識したと考えない方がいい。むしろ、この謝罪は日本に向けた外交力ードとみた方がいいでしょう

 歴史認識が世界中で「外交ツール」となってしまった時代に、しかもベトナムだけでなく、そこに「日本」も絡んでくるだけに、この問題、韓国内では難しい議論となりそうだ。

 ____________________________全文起こしここまで


 この問題のタブーを最初に破った『ハンギョレ21』99年5月6日号の記事の日本語訳はこちらです。
 http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm

 そして同誌00年4月21日号に掲載された元軍人による加害証言の記事はこちら。
 http://www.altasia.org/hangyore/hangyore00305_1.htm

 『ニューズウィーク』日本版2000年4月12日号には被害者側の証言が掲載されました。以下はその記事の起こしです。
 http://www.asyura2.com/0411/war61/msg/748.html

 お時間があれば皆さんにもぜひ全文読んでいただきたいのですが、支那人の残酷さ と何だかすごく似ているなぁと感じるのは私だけでしょうか?

 ちなみに、「SAPIO」記事の最後の方で韓国人ジャーナリストが、金大中大統領のベトナムの大統領への「謝罪」は「日本に向けた外交カードとみた方がいい」と言っていますが、これはどうなんでしょう?

 日本では金大中大統領の「謝罪」なんてほとんど話題にならなかったですし(てか、それ以前に韓国軍のベトナム人虐殺自体を今も知らない日本人がほとんどでは?)、今日まで韓国側がこの“カード”を日本に対して使った形跡はないですよね。
 下手に使ったらヤブヘビになるって分かってるからでしょうか?(^_^;

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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中国ついに尖閣上陸!それでも抗議できない弱腰外務省

Category: 政治  
中国海軍の艦艇8隻が8日、沖縄本島と宮古島の間を通過した。昨年4月にも駆逐艦や潜水艦など10隻が同じ海域を通過し、沖ノ鳥島近くで訓練を実施しているが、気になるのは、来週17日の沖縄返還調印40周年や、中国側が領有権を主張する尖閣諸島との関係だ。松本剛明外相率いる外務省は「抗議しない方針」というが、弱腰外交を続けて大丈夫なのか。

 防衛省によると、8日午前0時ごろ、補給艦と潜水艦救難艦など3隻、正午ごろにはミサイル駆逐艦とフリゲート艦など5隻が通過したのを海上自衛隊の護衛艦が確認した。いずれも沖縄本島南端と宮古島の中間地点の公海上を抜けて南下している。潜水艦は確認されていないが、潜水艦救難艦が含まれていることから潜伏している可能性が高い。

 中国の呉勝利・海軍司令官は一昨年4月の海軍創設60周年の観閲式で「海軍の5大兵種(艦艇や潜水艦など)は毎年数回部隊を組織し、遠洋訓練を行う」と宣言した。

 防衛省・自衛隊では、中国海軍が今年4月に昨年と同様、上海沖で演習を実施したため、その後、艦艇を遠洋訓練に展開させる可能性があるとみて警戒を強めていた。

 外務省は「公海上で国際法上問題はない」として中国に抗議しない方針というが、この弱腰姿勢は不安がある。

 松本外相は東日本大震災後、ロシアが救援隊や救援物資を送ってくれたため、同国が北方領土の駐留部隊増強計画を進めたり、日本領空に戦闘機を接近させる挑発行為を行っても、「お見舞いの言葉や支援の申し出をいただいているので…」と抗議をしなかった。このためか、ロシアのイワノフ副首相は先月中旬、堂々と北方領土を訪問しているのだ。

 今回気になるのは、中国海軍が沖縄近海を通過した時期だ。

 来週17日は沖縄返還調印40周年。以前から、尖閣諸島の領有権を主張する華人系団体は同日、600隻から800隻という大船団を組んで、魚釣島に上陸する計画を立てていた。震災で「中止になった」といわれているが、中国海軍の動きと何か関係があるのか。

 「月刊中国」日本語版の主編、鳴霞氏は「当然、沖縄返還調印40周年を意識した動きです」といい、こう続ける。

 「中国海軍は東シナ海で軍事演習を繰り返している。来年10月には空母も就航させる。国内の不満をそらすためにも、チャンスがあれば、釣魚島(尖閣諸島の中国名)の領有を狙っている。華人団体は17日に香港で、釣魚島奪還の大会議を開き、世界各国でデモを予定している。震災のため、大船団の上陸はないでしょうが、数隻で尖閣上陸を狙う可能性はある。外務省が抗議しなければ、中国はどんどんエスカレートします」

 日本固有の領土が危機にさらされている。
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日本のアイデンティティーを持たない者との戦い

Category: 日本国民の心得  
憂国の士、三島由紀夫氏の在日論



「戦後の日本にとっては、真の民族問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、難民の問題であっても、日本国内の問題ではありえない。
これを内部の問題であるかの如く扱う一部の扱いには、明らかに政治的意図があって、
先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない」

*新潮文庫『裸体と衣装』初版306頁




「左翼がいう、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。
なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかえているが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、日本人が必ずしも歓迎しないにもかかわらず、日本に北朝鮮大学校をつくり、都知事の認可を得て、反日教育をほどこすような北セン人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである」

*「反革命宣言」から抜粋



「私は日本の戦後の偽善にあきあきしていた。
私は決して平和主義を偽善だと云わないが、日本の平和憲法が左右両方からの政治的口実に使われた結果、日本ほど、平和主義が偽善の代名詞になった国はないと信じている。
この国でもっとも危険のない、人に尊敬される生き方は、やや左翼的で、平和主義で、暴力否定論者であることであった」

*英国の『QUEEN』誌に寄稿した論文



戦後、66年。
日本は、とうとうここまで壊れてしまった。

私は、恥ずかしながら、そのことに気づかず、生きてきた。
そして気づいて一年しか経っていないのに、日本はどん底まで落とされてしまった。


出口はあるのか。
それとも、これが出口への道しるべとなるのか。




『日本という国のIdentityを犯そうとする者と、守ろうとする者の戦い』

三島由紀夫氏は、戦後の日本をこう語る。


日本という国のIdentityとは、連綿と続く日本文化の継承であり、
天皇陛下を頂点として成り立っている。



東北の方々の秩序と礼儀と思いやり。
これらは天皇陛下によって授かったもの。

世界から日本が評価されるのは、この根底があってのもの。


日本のアイデンティティーを持たない者=天皇陛下に敬意を払えない者=左翼


日本の復興は、左翼を廃絶しなければ、ありえない。

そう多くの国民が覚醒してくれることを切望します。


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中国人153人を拘束 誘拐事件などに関与か

Category: 事件  

中国人153人を拘束 誘拐事件などに関与か

2011.6.9 22:16

 カンボジア国家警察は9日、身代金目的の国際的な誘拐未遂や人身売買などに関わった疑いで、中国人153人を拘束した。警察筋が明らかにした。

 警察は中国当局の協力も得て2カ月にわたり捜査。この日、大規模な摘発に乗り出し、首都プノンペンで54人、南部シアヌークビル州で38人、南東部スバイリエン州で61人を拘束した。拘束者の中には人身売買の被害者も含まれている可能性があるという。

 同筋によると、拘束された中国人の一部は正規の旅券などを持たずにカンボジアに違法入国していた。(共同)








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野田と菅と前原を徹底追求すべし

Category: 政治  

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