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「援護法で医療費支給を」=在韓被爆者ら3人が提訴―大阪地裁

Category: 韓国・朝鮮  

「援護法で医療費支給を」=在韓被爆者ら3人が提訴―大阪地裁

6月1日


日本に居住していないことを理由に被爆者援護法に基づく医療費を支給しないのは違法として、韓国在住の被爆者ら3人が1日、国と大阪府を相手に不支給処分の取り消しなどを求め、大阪地裁に提訴した。原告側代理人の弁護士によると、在外被爆者が医療費支給を求めて提訴するのは初めて。

 在外被爆者をめぐっては、2008年の同法改正などで、日本にいなくても健康管理手当の支給や被爆者手帳の申請が認められるようになったが、医療費は対象外。厚生労働省によると、別の助成制度で約3000人が医療費補助を受けているという。

 訴状によると、原告の李根睦さん(85)らは広島市で被爆。帰国後に韓国で受けた肺炎などの治療費のうち、助成額を除く自己負担分の支払いを今年1月、大阪府に申請したが、却下された。 



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中国・内モンゴルを行く モンゴル族と漢族、噴き出した不信と不満消えず 

Category: 中国  

中国・内モンゴルを行く モンゴル族と漢族、噴き出した不信と不満消えず 

2011.6.2

中国内モンゴル自治区東部シリンホト市の近くでモンゴル族遊牧民が漢族の炭鉱労働者のダンプカーにひき殺された事件をきっかけに、モンゴル族と漢族の対立が激化している。当初、事件を事故と説明した地元当局は厳しい警戒態勢を敷き、外国人記者の取材も制限するなど事件の影響を最小限に抑えようと躍起になっているが、モンゴル族、漢族双方に噴き出した不信と不満は容易に消えそうもない。(シリンホト=中国・内モンゴル自治区 矢板明夫)

  厳重警戒の街

 1日午前9時過ぎ、シリンホト市郊外にある小さな空港の到着ゲートの外に、十数人の制服姿の警察官が立っていた。飛行機から降りた乗客の身分証やパスポートをチェックし、来訪の目的などを聞く。漢族の人は比較的早く解放されるが、モンゴル族だと同市で訪ねる人の名前や住所などを聞かれ、商用目的と説明した人には、所属会社に電話をして確認するケースもあった。警察当局は各地のモンゴル族活動家がシリンホトに集まることを警戒しているようだ。

 記者も近くで待機している同市外事弁公室の職員の所に案内され、市中心部に設けられているメディアセンターに連れて行かれた。記者登録の手続きを済ませたあと、同市幹部が「市内の治安がいかに安定しているか」などの説明を始めた。

 取材の要望にできるだけ協力すると話す幹部に対し、「西ウジムチン(民族対立が最も激しく実質的戒厳令が敷かれている場所)に行きたい」といったところ、「あそこは道路工事のために10月までは行けない」と“拒否”された。

 シリンホト市内は、武装警察が隊列を組んでくまなく巡回していた。


「先祖の地を強盗」

 「石炭を運ぶトラックの行列が毎日、目の前を何度も通る。そのたびに涙があふれそうになる」と語るのは、シリンホト郊外で羊肉店を経営する男性(55)だ。

 ここ数年、道路や炭坑が次々とつくられ、モンゴル族が放牧できるところが少なくなる一方だという。「彼らは私たちの祖先が残してくれたこの大地から石炭やレアアース(希土類)をどんどん掘り出して外に持っていった。強盗にあった気分だ」と男性は語気を強める。

 5月10日に起きた事件は、ダンプカーで草原を横切ろうとした漢族の運転手と牧草を守ろうとした遊牧民の口論がきっかけだった。両民族の対立を象徴する事件だったため、モンゴル族の不満が一気に爆発した。

 中国メディアによると、地元検察はすでに殺人罪で運転手を起訴し、民族の対立ではなく一刑事事件として処理を進めたい意向だが、モンゴル族の怒りは収まらない。あるモンゴル族の男性遊牧民(37)は「すべての漢族がモンゴルから出ていくことを私たちは求めている」と語った。

 ◇「サンドイッチ社会」

 シリンホト市で約3割の人口を占めるモンゴル族のデモを約7割と多数派の漢族は冷ややかな目で見ている。運転手が起訴された後も殺人事件ではなく、交通事故だったと主張する漢族は多い。

 「汗水を垂らしてこの町を豊かにしてきたのは私たち漢族の労働者だ。優遇ばかりされているモンゴル人は頑張ろうとせず権利ばかり要求している」と語るのは5年前に河北省から出稼ぎに来た漢族の男性(42)だ。


漢族の出稼ぎ労働者たちが最も不公平だと感じているのは、中国当局がモンゴル族を懐柔するため、ここ数年ますます手厚く実施してきた一連の優遇政策だ。牧草地を持つモンゴル族に対し毎年、政府予算から維持費用を出しており、自分では働かずに漢族の労働者を雇って放牧させているモンゴル族も最近、増えているそうだ。

 教育面でもモンゴル族は優遇されているという。

 「なぜ私より成績の悪いモンゴル族の子がいい学校に進学できたのか」。セメント会社に勤める漢族の女性は、中学入試で志望校に落ちた12歳の娘からこう嘆かれ、返答に詰まったと明かした。

 女性によると、シリンホトで最も豊かなのは、官僚や彼らと癒着している会社経営者らでほとんどが漢族だが、その次に豊かなのはモンゴル族の人たち。「貧しくとも頑張っているのは私たち漢族の労働者だ。この町はまるでサンドイッチのような構造。同じ漢族でも私たちは特権階級ではない。怒りを私たちにぶつけないでほしい」と目を真っ赤にして訴えた。





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なぜ世界は日本を支援するのか

Category: 世界  

なぜ世界は日本を支援するのか


2011.6.2

東日本大震災が起きたのは、米国から帰任して約1カ月後だった。海外が日本の未曽有の災害をどう受け止めたか。以来、このことを伝えることが、自分にできる仕事と思ってきた。

 150を超す国や地域が日本への支援を表明した。なぜ、世界はこんなに日本に親切なのか。英紙フィナンシャル・タイムズは、日本のこれまでの海外への援助や技術提供を挙げ、「日本は受けるに値する」と指摘した。


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東日本大震災の被災者への義援金を集め、ジャカルタの日本大使館を訪れた地元小学校の2年生児童ら
=13日(共同)


だが、それだけでは説明がつかない。個人レベルの自発的な寄付行為も数え切れないからだ。米国では11歳の女の子が近所を回って約54万円の寄付を集めた。台湾の人々は1人当たりで世界最多の義援金を提供した。

 米バージニア州アーリントン郡立タカホ小学校は「日本アニメの夜」と題したチャリティーイベントを(6月)3日、開催する。父母たちの発案で企画され、宮崎駿(はやお)監督の「崖の上のポニョ」を鑑賞し、合わせて募金もする。

 記者の長男と長女がお世話になった学校でもある。私たちも何かできないか。息子と娘が通う文京区立根津小学校と掛け合い、クラスに折り紙を折ってもらった。ささいなモノが数ドル、あるいは数十ドルという米国人の寄付に変わる。海の向こうの被災者支援活動に参加しよう。子供たちにそう呼びかけた。段ボール2箱の折り鶴や割りばし鉄砲が集まり、先日米国に郵送した。


この催しを通じて、分かったことがある。日本が、私たちが思う以上にさまざまな国の人々に身近な存在であることだ。米国にいたときは、中国などと比べ、日本への関心が低下していると感じていた。しかし彼らは、アニメや日本食などの「ソフトパワー」を通し、日本と日本人をちゃんと感じていてくれたのである。その親近感が、募金活動を楽しく盛り上げているようだ。チラシには「座布団を持ってきてね」などと書かれ、子供たちはイベントに先立ち「タカホはジャパンを助ける」という合言葉が掘られたバンドを作って学校で販売した。「1個1ドルで150売ったよ」。5年生の友人オーブリー君は、自慢げに息子に話していた。

 それでもなお解けぬ疑問がある。海外の人々が苦難に直面したとき、私たちひとりひとりは、同様にやさしい手を差し伸べることができるだろうか。(外信部・渡辺浩生 SANKEI EXPRESS







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チベット問題(消される記事)

Category: チベット  
抗議行動を行って殺されたチベット人

1987~2003年


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ロプサン・レグデン (21)
メド・タクチュ出身、セラ寺の僧侶。
1987年10月1日、43人のセラ寺の僧侶とともに、デモに参加。バルコルの警察署に連行される。警察署のまわりに集まったチベット人たちは、僧侶たちの釈放を求め、独立要求のスローガンを叫び始めた。警察署の中では、僧侶たちがダライラマ法王への祈祷を始め、独立要求のスローガンを叫ぶ。警察は僧侶たちに発砲。ロプサン・レグデンは右頭部を撃たれて即死。家族は遺体を引き取るために600元(約9000円)を払わせられた。   




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カルセル (20)
メド・ロブサン出身、ネチュン寺の僧侶。
1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちとデモに参加。バルコルで警官に撃たれて即死。




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ロプサン・ワンチュク (73)
アムド・ショチュン出身、サンドゥ・ダカール寺僧侶、仏教、歴史学者。
1959年の「ラサ蜂起」の後、アムド地方の重要な宗教指導者の一人と見なされ、逮捕。1960年1月21日、10年の刑を言い渡される。度重なる「タムジン(糾弾)」により体は衰弱しきった。10年の刑期を終えた後、さらに10年を「労働改造キャンプ」で過ごす。1981年12月3日密かに『チベット独立史』と題された本を書き、再び逮捕。3年半の懲役刑。この本は後に秘密裏に出版され、チベット人の間に広まった。獄中でも再び『チベットの独立を証する十六の要点』と題する冊子を作り、死刑を宣告される。だが、ダライ・ラマ法王をはじめとする多くの国際機関の介入により、18年の刑とされた。長期間手枷、足枷をはめられていたため、手足が麻痺し、また拷問のため視力も失う。1987年11月7日、ダプチ刑務所にて死亡。






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ゴンポ・ソナム (61)
シガツェ、ギャンツェ・ラプラン出身、チベット語及びチベット文化の研究者。
1959年の「ラサ蜂起」の際、中国軍と戦う。60年逮捕、2年の懲役。文化大革命中の66年再び逮捕され、16年を刑務所と労働改造キャンプで過ごす。83年9月30日、3度目の逮捕。ダプチ刑務所に入る。度重なる拷問のため、癲癇発作がひどくなる。85年、病状悪化のため釈放。87年12月23日死亡。








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ジャンパ・テンジン (49)
ジョカン寺僧侶。
1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちがデモを行う。警察署に連行されたセラの僧侶たちを救おうと、市民はその警察署に火を放った。ジャンパ・テンジンは僧侶を逃がすために 燃え盛る焔の中に走り込み、大やけどを負う。その時の写真とエピソードは、その後チベット内外に広く伝えられた。同日逮捕。しかし翌年の1月22日、故パンチェン・ラマの介入により釈放。2月21日の深夜、数人の警官が彼の家に来て、激しい言い争いがあったと言う。3月の初め、御堂の中で、首に縄を捲いた姿で死亡。死因の真相は未だ不明。







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ゴンポ・ペルジョル (30)
カム出身。
1988年3月5日、デモに参加。警官に頭部を撃たれ即死。なおこの日のデモには6千人のチベット人が参加。警官隊の発砲により5人が死亡、300人以上が負傷した。






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ロプサン・ソナム(29)
ラサ・ジョブンカン出身、シンハ印刷所社員。
1988年3月5日、デモに参加。警官に背後から撃たれ、胃の右側を貫通。ラサ人民病院に運ばれたが、デモに参加したという理由で手当てを拒否される。4月5日死亡。







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ガワン・クンガ(27)
ペンポ・ルンドゥプ出身、デプン寺の僧侶。
1988年12月10日、独立要求デモに参加。警官に撃たれ、即死。







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タシ・プンツォク(37)
ラサ出身。
1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。






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ロプサン・ゲレック(48)
カム・カンゼ出身、ラサにて商店経営。
1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれる。3月24日、死亡。






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チュゼ・テンパ・チョペル(66)
ノルブリンカの庭師。
政治的理由により1987年12月15日に逮捕される。1989年12月、拷問により死亡。




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ケルサン・ツェリン(29)
ペンポ・ルンドップ出身、セラ寺の僧侶。
1989年12月10日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれて、負傷。一カ月後、ラサの人民病院にて死亡。







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ラクパ・ツェリン(19)
ラサ・キレー出身、学生。
反政府組織「雪獅子青年組織」のメンバーであるとして、1989年11月4日逮捕される。グツァ刑務所に拘留され、2年の懲役を受ける。ダプチ刑務所にて服役中、拷問のため体を崩すが、三度も診察を拒否される。1990年12月13日、ダプチ刑務所で死亡。






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ツァムラ(32)
ラサ・ギャルカラン出身。
1989年3月5日、独立要求デモに参加。逮捕され、酷い拷問を受ける。1989年10月10日、鉄の棒で中国人武装警官を殴ったという罪で有罪判決を受ける。拷問で受けた損傷のため入院したが、医学生による実験手術を受ける。1991年8月25日死亡。







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ダワ・ドンドップ(32)
ギャンツェ出身。
1989年3月5日、デモに参加、逮捕される。懲役2年。釈放された後も長く拷問の後遺症に伏せる。1992年11月2日、自宅にて死亡。








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プンツォ・ヤンキ(20)
タクツェ出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。
1992年2月3日、デモに参加、逮捕。懲役5年。グツァ拘置所で6カ月間に及ぶ尋問を受けた後、ダプチ刑務所で服役。1994年2月11日、刑務所内で14人の尼僧らと共に、チベット愛国歌を歌う。さらに刑期が延ばされる。激しい拷問の末、下服部に激しい痛みを感じ、看守に病院での診察を懇願したが、無視される。痛みで全く眠れまま過ごし、9日後、意識不明に陥る。病院に収容されたものの、6日後に死亡。









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ロプサン・ユンテン(65)
ロカ・ゴンカル出身。
幼少の頃、デプン寺にて出家。1959年のラサ蜂起の際に逮捕。23年間を刑務所と労働改造キャンプで過ごす。1987年、ラサで6人の子供たちに文字を教え始める。いずれも、経済的事情等で学校に行けない子供たちであった。1993年には、60人の子供たちを抱える学校になり、ロプサン・ユンテンは「ツァスルおじさん」と呼ばれるようになった。1993年5月17日から23日までラサを訪れた、ヨーロッパからの視察団に連絡を取ろうとして、逮捕される。1994年10月30日、拷問による傷害のため死亡。








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シェーラブ・ガワン(18)
メド・ゴンカール出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。
1992年2月3日、尼僧4人とセラ僧院の僧侶1人と共に、独立要求デモに参加、逮捕。懲役3年。ティサム刑務所に送られる。1994年8月10日の夜、尼僧たちと一緒にチベット愛国歌を歌う。激しい拷問を受けた挙句、手錠をされたまま独房に3日間入れられた。以後、記憶がちぐはぐになり、言動がおかしくなる。1995年2月2日、刑期を終え、釈放。入院したものの、同年4月17日死亡。拷問が原因で死亡した最年少の政治囚。







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タシ・ツェリン(59)
シガツェ・ヤンモガブリン出身、ドンツェ寺の僧侶。
1989年11月28日、独立要求のポスターを貼ったために、逮捕される。懲役7年。ダプチ刑務所で服役。1994年9月、病気のため、釈放。1995年5月17日、死亡。







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ダワ・ツェリン(28)
ラサ出身。
1989年3月5日、ラサでのデモに参加。8日、逮捕。サンイップ刑務所に、1990年5月まで拘留される。拷問による後遺症のため、背中が曲がり、まっすぐ立つことができなくなる。病院に入院。5年後の1995年8月19日、退院することなく死亡。








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ツェニ(23)
ラサ出身、「西蔵日報」新聞社勤務。
1990年2月にインドに亡命するも、父の葬式のためラサに帰国する。1994年、税金値上げ反対のデモに参加。デモは数時間後に独立要求デモとなる。逮捕され、グツァ刑務所に拘留。妊娠していたにもかかわらず、拷問される。一時的に釈放されたが、常に監視され、脅され続ける。精神的に耐えられず、自殺。1才にも満たない子どもが残された。







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プルブ・ツェリン(36)
ラサ・ダナクショ出身、セラ僧院近郊の経文印刷所工員。
1989年3月、独立要求デモに参加。公安派出所で、武装警官隊に鉄パイプでめった打ちされる。頭蓋骨損傷を受け、意識不明になる。手術を受け、4カ月間入院。その後自宅に戻ったが、半身不随になり、度々全身痙攣を起す。回復することなく、1996年2月7日、死亡。







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サンゲ・テンペル(19)
ウマ出身、ダムシュン・カンマル寺の僧侶。
1995年4月、政治的理由で逮捕。グツァ刑務所に4カ月拘留された後、ダプチ刑務所にて服役。1996年5月、刑務所で死亡







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ケルサン・トゥトップ(49)
トゥルン・サンダ出身、デブン寺の僧侶。
デブン寺で結成された「フリーダム運動」のメンバー。「世界人権宣言」のチベット語翻訳、「チベット民主憲章」と題される秘密文書の作成、印刷を行う。1989年5月、メンバー4人が捕まった後、ケルサンは、警察から逃れるためにインドへ亡命を試みる。だが、国境の町ダムで、ケルサンと仲間が乗っていたトラックが事故で横転。怪我をした仲間を病院に運ぶ。病院で2人とも逮捕される。懲役18年。ダプチ刑務所で服役中の1996年7月4日、尋問室に連れて行かれる。2時間後、帰された時には、うめくばかりで、一言も口がきけない状態だった。その夜、病院に収容されたが、翌朝4時に死亡。鳥葬に立ち合った者たちは、睾丸が一つ無残に潰されていたことを確認した。








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イシェ・サムテン(22)
タクツェ・デチェン出身、ガンデン僧院僧侶。
1996年5月6日、ダライラマ法王の写真の撤去を命じた工作隊に、僧侶たちは強く抵抗し、90人の僧侶が逮捕される。イシェ・サムテンは懲役2年を受ける。トゥルン・ティサム刑務所に入れられる。2年の刑期を終了し、1998年5月6日、釈放。だが、度重なる拷問と刑務所での劣悪な待遇により、重体となり入院。釈放後6日目、1998年5月12日に死亡。







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ロプサン・チョペル (22)
カンマル寺の僧侶。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。1週間後に自殺したと伝えられる。







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デキ・ヤンゾム
尼僧。ニェモ出身。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。









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ガワン・チュキ(26)
ペンポ・ルンドップ出身、シャルブンバ尼寺の尼僧。
1994年6月、4人の尼僧とともに独立要求デモに参加。懲役5年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられ、遺体を引き取ることはできなかった。







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ロプサン・ワンモ
尼僧。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。







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タシ・ラモ
尼僧。
1992年、独立要求デモに参加、逮捕される。懲役6年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問のため、危篤に陥る。1998年6月7日、病院にて死亡。刑期が終わろうとしていた矢先のことであった。







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ガワン・テンキョン (28)
ガンデン寺の僧侶。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。5月5日、拷問により死亡。







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ケドップ(26)
ガンデン寺の僧侶。
1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したという文書に無理やり署名させられた。遺体は引き渡してもらえなかった。







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タシ・ツェリン(39)
ロカ出身、ラサ在住。大工。
ラサで第6回少数民族競技会が開催されていた1999年8月26日、ポタラ宮殿の中国国旗を降ろし、チベット旗をあげようとして逮捕。胴体にダイナマイトを巻いていた。逮捕されそうになったときに着火しようとしたが、雨が降っていたために失敗。逮捕されたとき、彼は「フリーチベット!」と叫んでいた。秘密警察に、その場で激しい暴行を受け、腕を脱臼し、重傷。セラ僧院近くの警察病院に収容される。1カ月入院していたが、1999年10月、病院で死亡。妻らも容疑をかけられて逮捕。家宅捜査を受け、チベット旗が見つかった。
彼は地元の学校の建設のために寄付をし、中国当局から最も栄誉ある青年10人に選ばれたことがある。








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ロブサン・ツォンデュ(88)
1911年生まれ。ナクチュ出身。
7歳の時、シャロン僧院の僧となる。その後、デプン大僧院ゴマン学堂に入り、仏教哲学を学ぶ。1960年にインドに亡命しようとするが失敗。逮捕され15日間留置。以後彼はチベットのために活動し、4度逮捕され、独立運動に参加した罪で22年間刑務所で過ごす。1999年、88才で死去。
1965年、彼は、ダライ・ラマとパンチェン・ラマ批判を強要されたが、ダライ・ラマと2人の指導僧の写真を自宅の屋根の上に掲げ、一晩中祈りを捧げた。この行為により、彼は「リトル・パンチェン」と呼ばれるようになったが、逮捕されて5年の刑を宣告された。ティーチュー刑務所で囚人たちは虫を殺すよう命令されたが、彼は拒否した。またダライ・ラマや彼の指導僧を批判せよと命令されたが、これも拒否。10年刑期が延長され、15年間服役。
1980年、刑期を終え、デプン寺に戻った。1987年9月初め、若いチベット人たちが、ラサで大規模な独立運動を行ったが、彼はそれを全面的に支援。1988年、9カ月間留置され、1989年に6年の刑を宣告されてダプチ刑務所で服役。
尋問を受けた際、彼は、チベットはダライ・ラマ法王を中心とした主権国家である、と断言。
1990年12月15日、若い政治囚ラクパ・ツェリンが刑務所内で死亡。ロブサン・ツォンデュは囚人たちの待遇を改善するよう要求。このため、彼は独房に監禁され、むごい拷問を受けた。
1996年、彼は、刑期を終え、僧院に戻った。そのときすでに85才。健康状態が悪化しており、1999年1月、デプン寺で死亡。88才だった。僧院委員会は彼のために盛大な葬儀を行った。多くの地元のチベット人たちが訪れ、彼の魂に祈りを捧げた。







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プンツォ (60)
ラサ出身、元タールン寺の僧侶。
チベット亡命政府に、チベットでの人権侵害を記した手紙を送ったことで、1995年に逮捕。2年の懲役を受けるが、拷問で障害者となり釈放される。回復することなく、1999年9月2日、死亡。





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ソナム・ワンドゥ(44)
ラサ出身。大工。
1988年3月5日のラサで起きた大規模なデモに参加し逮捕される。度重なる拷問により、下半身不随となり、1993年に釈放され、自宅軟禁。逮捕後、二人の幼い息子はインドへと亡命。ソナムの尿便の処理(管で排泄)は、叔母が面倒をみていた。全財産を没収されたため、彼は車椅子に乗ったまま、古くなった机やテーブルの色を塗り替える仕事をして、なんとか生計を立てていた。だが、病状は悪化する一方で、常に激しい頭痛に悩まされ、次第に話すことも、聞くことも難しくなっていった。1999年3月、死亡。







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ソナム・リンチェン(27)
メドクンガ出身。
1987年のデプン寺僧侶たちによる初めてのデモに感化され、メドクンガの村に独立要求のポスターを貼り、ビラをまく。1990年、メドクンガでの政治集会にて、村近郊で行われている採掘事業の取りやめを要求。1992年6月12日、政治集会で4人の仲間とともに「チベット独立」「ダライラマ法王万歳」などのスローガンを叫び、逮捕される。懲役15年。ラサのダプチ刑務所で服役中の2000年1月、拷問により死亡。






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ショルパ・ダワ(60)
1940年生まれ。ラサの仕立屋。
独立運動のチラシを配った罪で1981年9月27日に初めて逮捕。懲役2年の判決が下され、半年はガツァ、残りの1年半はサンギャ刑務所に収監。1985年に再度逮捕。このときは、チベットの悲惨な生活環境や中国による侵略を非難するチラシを配布。懲役4年の判決を受け、サンギャ刑務所に入所。1995年にも逮捕。1996年に懲役9年の判決を受け、ダプチ刑務所に収監。2000年11月死亡。刑務所で受けた酷い虐待が原因。詳細






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ナミャル・タシ(52)
1980年代、彼とその家族は、建設関係の仕事に従事。2001年9月20日、ラサの自宅で死亡。
1959年の蜂起のときに初めて逮捕。ノルブリンカ、ガチェン等で強制労働。そのとき、暴行、拷問を受ける。
1991年、サミエ僧院でチベット旗が掲げられた事件の後、彼はダプチ刑務所に7年収監。逮捕の直後、妻のジャンパ・チョエゾム(52)は心臓麻痺で死亡。長男は12才のときに、チャクポリ労働改造キャンプの建設現場で働いている父に食べ物をもっていこうとして殺された。娘のガワン・サンドルは、23年間も収監された女性最長の政治囚である。







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ペンパ(40)
僧侶。TCHRD(チベット人権民主センター)は、2001年にペンパの死を報告している。刑務所で激しい暴行を受けたが、健康上の理由で仮釈放。その1カ月後に死亡。チベット旗を掲げた罪で3年の刑を宣告されていた(TCHRD2001年2月22日)。








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ユーロ・ツルク・ダワ・ツェリン(72)
1930年、ラサ市タクツェ県生まれ。彼はチョネイ・ユーロ・リンポチェの生まれ変わりとされ、子供のときにガデン・シャルツェ僧院へ。1950年にゲシェー(仏教博士)を授与。その後、ギュト密教大学で密教を学ぶ。
1959年、ツルク・ダワ・ツェリンは、ラサ蜂起に参加して逮捕、終身刑を宣告される。1979年、“自由化政策”の影響で釈放。彼は20年をダプチ刑務所で過ごす。
彼は、他の政治囚とともに、建設現場で働いた。釈放後、彼は、1982年までラサ大学で仏教哲学を教える。その年、彼は、政治協議委員会とラサ仏教徒協会のメンバーに任命された。
1987年12月26日、彼は、2人の訪問者にビデオ撮影を許可したことで、セラ僧院の僧侶で友人のトプテン・ツェリンとともに逮捕された。訪問者(亡命チベット人とイタリア人旅行者ステファノ・ダラリ博士)は、ツルク・ダワ・ツェリンの、チベットの人権蹂躙と貧困の蔓延についての証言をビデオで撮影していた。
1988年3月、ラサのラジオ局は、「1987年7月26日の午後、2人の僧侶、ユーロ・ダワ・ツェリンとトプテン・ツェリンは、外国の反動分子に反動的な見解を広めました。彼らはまた、中国共産党と人民政府の政策を批判しました」と放送した。彼らは“反革命主義的プロパガンダ”を流布した罪で中国刑法第102条2項に基づいて起訴された。逮捕後の1987年12月26日、彼らは最初、ストゥ留置所に1年間留置された。そのうち7カ月は、独房に監禁、毎晩尋問を受けた。
1989年1月19日、ラサ市中級人民法院は、ユーロ・ダワ・ツェリンに懲役10年、トプテン・ツェリンに懲役6年の判決を下し、2人ともダプチ刑務所に収監された。
彼は釈放後も、たえず監視されていた。また、長期間刑務所でひどい扱いを受けていたために、精神的にも肉体的にも病んでいた。2002年1月16日午後2時55分、ラサの自宅で死亡。詳細










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ロブサン・ダリャル(38)
1967年、ゴロク・チベット族自治州マチェン県、チューワ出身。
22才まで自宅で家畜の世話をする。22才のとき、彼はラギャ僧院に入ることが認められる。1987~1989年まで僧院にいたが、ラサで行われた大規模な抗議集会が起きている話を聞いた。彼と友人3人は、チベット独立運動への参加を呼びかけるポスターをたくさん作り、ゴロクでポスターを貼った。
1992年11月15日、シンサン・リンポチェは、地元の僧院の座主となる。そのため、14日の夜に、ロブサンと友人は、たくさんのチベット旗や、チベット独立のポスターを作成した。彼らはそれを壁に貼り、市民に配った。非常に多くの人が即位式に集まった。
15日の夜、警察が僧院にやってきて、僧たちを尋問。強要と買収で僧侶の一人が、ポスター貼り運動の首謀者はロブサンであることを打ち明けた。
11月25日、ロブサンは逮捕された。僧院内の彼の部屋が捜索を受け、チベット独立のポスターと、ポスターを刷るための木製の型が見つかった。ゴロクの中等法院は、2年6カ月の懲役を言い渡した。ロブサンの愛国的行動の知らせは、チベット青年会議に届いた。1995年8月の第9回総会で、ロブサン・ダリャルと彼の友人であるロブサン・パルデン、イェシェ・ギャルテンは、その勇気に対して賞が贈られた。
ロブサンは1995年5月25日に刑期を終えた。だが、僧院への復帰は許されなかった。彼は、国や同胞のために政治活動を行い続けた。
1997年4月に、彼はシンサ・リンポチェの亡命に協力。2001年に、ロブサンは、彼の年老いた母に会うためにゴロクに帰った。だが、シガツェに着く前に逮捕された。16年の刑を宣告されてシリンの刑務所に収監。電力施設での強制労働。
ロブサンは、刑務所で何度も暴行を受け、脳に損傷を受けた。2002年11月19日、脳の損傷が原因で死亡。







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ニマ・ダクパ
東チベットのカンゼ・チベット族自治州タウ県出身。ニャツォ僧院の僧侶。
1989年にニャツォ僧院に入り、1年間仏教哲学を学ぶ。1990年、インドに亡命し、南インドのガンデン寺に入る。そこで3年間仏教哲学を学ぶ。1994年にチベットに戻り、さらに学ぶために以前の僧院に入った。
1998年、彼はニマは僧院で学んでいたが、政治運動のポスターを作成してそれを壁に貼るようになった。彼は自分の名前までポスターに書いていた。同名の別人が逮捕されたが、すぐ釈放。
2000年、彼は逮捕を逃れるためにラサに向かった。しばらくラサ郊外に潜伏していたが、ラサで逮捕された。2000年10月にタウ県に連れ戻され、7年の刑が宣告された。
受刑中、彼は非道い暴行や虐待を受け、両手両足を失った。体調がひどい状態が続いたため、釈放されたが、2003年10月1日、自宅で死亡した。




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「両院総会を開かないのなら僕にも覚悟がある。明日になったら覚悟ある行動をしたい」


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(2011/06/02)民主党・原口氏 不信任案に反対票を投じる ←New!


原口 一博 
 信頼関係を結べていない東電と首相。情報も過小に伝えられてきました。
現在も続く被曝・放射能汚染の危機は時間とともに深刻化しています。

命を守る。子どもたちを守る。日本を守る。強力な指導体制が必要です。
一刻を争います。レベル7の事故の責任・被曝の責任を踏まえた首相の決断の時です。
5時間前
http://twitter.com/#!/kharaguchi/status/76106050071314432


このクズっぷりを目の当たりにする国民は不幸でしかないよな
原口だけは信用してはいけない



今日ボクが見た風景









こんなのってないよ




松木「おかしいよ!!俺はマジメにやってんだよ!!」
原口「今の時代、信念より出世ですよ(笑」



強制連行される松木議員




何処に連れて行かれるんだ?


友愛か!友愛なのか!?

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人類史上最大の



「おまえが言うな」


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菅首相


「民主党中心の政権を自民党に戻すことがないようにしっかり対応する」






菅総理は解散なんて出来ない

全閣僚を罷免し、党内の大反対を押し切って

「捨て身の決断」が出来るくらいなら、

国難とも言うべき状況下で「支持率20%」になんかなっていない

消費税も、TPPも、普天間も、尖閣問題も、全て逃げて来たのだ









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