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今日ボクが見た風景

環礁の海に眠る連合艦隊

Category: 戦争  

ミクロネシア連邦「トラック諸島」 環礁の海に眠る連合艦隊




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ダイバーの間で「ベティ」の愛称で知られる一式陸上攻撃機。装甲が薄く、機銃一発で火を吹くことから米軍に「ライター」と呼ばれていたという=ミクロネシア・トラック諸島




日米開戦から70年


 環礁に広がる深く濃く青い海。強い日差しが降り注ぐ海底には翼を広げた機体が眠っていた。

 ミクロネシア連邦・チューク諸島。本紙連載中の小説「ダン吉」の舞台になったこの地は「トラック諸島」と呼ばれ、日本と深い歴史を持つ。第一次大戦後から日本の委任統治領となり、現在も多くの日本語が現地語として残っている。

 環礁の地形から太平洋戦争時には連合艦隊の錨地(びょうち)として軍事的役割を担った。昭和19(1944)年2月17、18の2日間にわたる米軍の空襲で、日本軍は壊滅的被害を受ける。トラック環礁の内外に沈んだ船の数は100隻にも及んだ。

 時が流れ、今はダイバーあこがれの地。青い海はダイビングに最適だが、複雑な気持ちにもなった。それは英霊たちが眠っているからだろうか。今年で日米開戦から70年が経つ。(写真報道局 大西正純)





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ひっくり返ったままのゼロ戦。歳月を物語るようにエンジンや主翼にはサンゴやスポンジが付着している





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海軍航空機運搬船「富士川丸」の主砲





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透き通る海に浮かぶ無人島




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【日米開戦 70年目の検証】

Category: 歴史  

和平の光遮る三国同盟 昭和16年初頭、蘇峰演説


「日本が東亜新秩序建設途上に横たわる一大障害はアングロサクソンである」

 日本の運命を決めた昭和16(1941)年が明けたばかりの1月5日。言論界の長老、徳富蘇峰がラジオを通じ国民に演説した。

 「米国は日本が積極的に進んでいけば、無論衝突する。しかしぼんやりしていても、米国とは衝突する」と訴え、「私どもは日本の運命を信じて、一大躍進を遂げねばなりませぬ」と締めくくった。

 盧溝橋事件に端を発した支那事変(日中戦争)は、「1カ月くらいで片づける」という軍部の想定から大きく外れ、4年目に突入、泥沼の様相を呈していた。

 蒋介石率いる中国国民政府を援助する米との関係は悪化の一途。日本が資源獲得と援蒋ルートの断絶を狙い15年9月、北部フランス領インドシナ(仏印)に進駐すると、米国は時を置かず屑(くず)鉄、鉄鋼の輸出禁止を決定した。経済封鎖を強化させていく米国に対し、国民の反感は日を追うごとに高まっていた。



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昭和13(1938)年の中国戦線、麦畑のなか徐州に進軍する日本軍兵士



時を同じくして、前年9月以降英仏と開戦していた独伊との間で米国を仮想敵国とした三国同盟も成立し、駐日大使グルーは「今や東西の2つの戦争は区別できないものとなった」と反発した。だが高まる緊張とは裏腹に政府は開戦回避を「至上命令」として外交を展開した。米国の生産力は鋼材で11倍、石油で500倍以上。国力の圧倒的な差は明らかだった。外相の松岡洋右の狙いは三国同盟をソ連を加えた4国の提携に発展させることで米国を牽制(けんせい)し、交渉を優位に進めることにあった。

 一方、民間ルートでの対米交渉も開始。15年11月、神父のウォルシュとドラウトが来日した。駐米財務官だった井川忠雄を通じ、松岡や陸軍省軍務局長の武藤章と相次いで会談、日米交渉の端緒を開いた。

 「圧力と対話」で開戦回避をもくろむ日本。だが、その思惑をよそに世界情勢は移ろい始める。ルーマニアなどの勢力範囲をめぐり、ドイツとソ連は15(40)年11月の首脳会談を経て関係が悪化した。ドイツのヒトラーは「対英戦の終結前においても、ソ連を打倒する準備にあたらねばならない」として、同盟国の日本への通告なしに対ソ戦準備を指令した。対米強硬戦略は根本から瓦解しようとしていた。

 米国も国務長官ハルが「ナチと日本との協同は頑固な逃れぬ事実」と述べ、三国同盟を契機に対日姿勢を硬化させた。グルーは12月、「日本は公然とまた恥じることなく侵略国の一部となり、米国がよって立つあらゆるものを破壊せんとする組織の一部になった」と本国に報告した。

 そして2月。ヒトラーが「独ソ関係は何時悪化するか分からない、将来ソ連を敵とする場合もあるやも知れず」と駐独大使の来栖三郎に伝えた数日後、日米交渉の窓口役として駐米大使の野村吉三郎がワシントンに着任した。暗雲垂れ込める中、本格的に日米交渉が幕を開けようとしていた。



                  ◇

 ≪if≫

 ■独ソ開戦で三国同盟から離脱していたら

 昭和16年6月22日、300万のドイツ軍がソ連に侵攻を開始。4月に日ソ中立条約を結んだばかりで、日独伊三国同盟と合わせ対米圧力を強めていた日本に、大きな衝撃が走った。

 この時点で取り得た選択肢の一つが、三国同盟からの離脱である。対米政策を転換して日米交渉を加速させ、欧州戦線への不介入と日中戦争の早期収拾に舵(かじ)を切ることができた。ドイツがソ連との不可侵条約を破るという情勢の変化に伴うもので、国際的非難を浴びることもない。

 実際に、企画院総裁の鈴木貞一らの進言を受け、首相の近衛は陸相の東条らに「脱退すべし」の意見を伝えている。しかし、本格的議論に発展することはなく、代わりに軍部から台頭したのは対ソ参戦の「北進論」と、北方の脅威減退に乗じ南方の資源獲得を目指す「南進論」だった。結局は目前の対ソ戦を避けるため、「多少代償的な意味」(近衛)で、南進論が選択され、米国との決裂を決定づける南部フランス領インドシナ進駐に向かう。

 近衛は後に、内大臣・木戸にこう漏らした。「独ソ開戦の時に、三国同盟を解消してしまえばよかったな」-。

                   ◇

 ■主な参考文献 「大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯」(防衛庁防衛研修所戦史室著、朝雲新聞社)▽「陸海軍年表」(同戦史部著、同)▽「日米関係史 開戦に至る十年」(細谷千博ほか編、東京大学出版会)▽「日米開戦への道」(大杉一雄著、講談社学術文庫)など。



■皇紀2600年 鬱憤晴らし 式典熱狂

 昭和15(1940)年の元旦、ラジオが奈良の橿原(かしはら)神宮での初詣を生中継し、連合艦隊の「皇礼砲」で「皇紀2600年」が幕を開けた。

 「日本書紀」の記載からこの年が神武(じんむ)天皇の橿原神宮の即位から2600年に当たるとされた。政府は10年から準備に当たったが、この間、予定していた東京五輪や万国博覧会も中止になった上、12年に支那事変も勃発し、国民の不満鬱憤を晴らす催しにする必要があった。

 政府の思惑をよそに国民は熱狂した。人々は高千穂や伊勢神宮など天皇ゆかりの観光地に大挙押し寄せ、朝鮮や満州の日清、日露戦争の激戦地を訪れた。

 最高潮は皇居前広場での式典に始まった11月10日から14日までの5日間。「祝へ!元気に朗らかに」のポスターが張られ、全国各地でちょうちん行列や旗行列、みこしや山車(だし)が繰り出された。東京では花電車が走り、昼酒も許された。

 「窮民(きゅうみん)の暴動を起さんことを恐れしが為(ため)にて、来春に至らば政府の専横(せんおう)いよいよ甚だしくなるべし」。永井荷風は日記に記したが、喝破できたのはごく一部に過ぎず、国民は異様な盛り上がりを見せた。

 15日にはポスターが変わった。「祝ひは終つた さあ働かう!」。踊らせる政府が悪いのか、踊る国民が悪いのか。国民一体化のまま16年に突入した。



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皇紀2600年記念の祝賀行列で東京・銀座に繰り出された山車


                  ◇

 ≪昭和16年4月、日ソ中立条約調印≫

 ■「諒解案は悪意七分善意三分」

 昭和16年4月13日。1カ月余りに及んだ訪欧を終え、モスクワ近郊のヤロスラブリ駅で列車の出発を待っていた外相、松岡洋右(ようすけ)にサプライズが用意されていた。近づいてきたのはソ連最高指導者、スターリン。賓客を見送るのは前代未聞で、2人はロシア式の熊のような抱擁を交わした。

 --我々(われわれ)は両国民族を新しい友好の道に向かわせた

 シベリア鉄道の車中からソ連側に電報を打ち、松岡は電撃締結された日ソ中立条約の余韻に浸る。

 わずか1週間の交渉で締結した背景には東欧の勢力範囲をめぐり衝突が続いてきた独ソ関係の悪化がある。松岡がベルリンでヒトラーとの会談を4月4日に終え、7日にモスクワ入りするまでの間、ソ連はユーゴスラビアと不可侵条約を締結、ドイツは対抗しユーゴに進駐を開始する。日ソ中立条約締結はソ連が軍を西方に集中でき、後に「クレムリン(ソ連)が漁夫の利を得る巧妙の芸当」と評される。独ソの思惑をよそに条約締結で松岡は外交問題を一挙に片づける大構想の実現に近づいたと上機嫌だった。


 --日独伊三国同盟にソ連を加えた4国の連携で、米国を威嚇した上でルーズベルトに斡旋(あっせん)を依頼し、松岡・蒋介石会談を実現。満州国承認と支那撤兵で中国問題に決着をつけ、日米、日中不可侵条約を結ぶ。

 スターリン宛ての電報には「生涯における最も幸せな瞬間」ともあったが、松岡に独ソ開戦の現実が突きつけられるのは、2カ月後の話だ。

                   ◇

 国内でも事態は急変する。帰国前4月18日に開かれた政府統帥部連絡会議で、陸相、東条英機ら軍部を含む出席者が「大変なはしゃぎ方」(富田賢治内閣書記官長)で喜び、「まれに見る和やかな空気」(大橋忠一外務次官)に包まれた。それはこの日、駐米大使、野村吉三郎から届いた日米開戦を避ける「日米諒解(りょうかい)案」にあった。日米通商関係の復帰、満州国の承認、蒋政権への和平勧告-。諒解案には中国撤退と引き換えに待望の字句が並べられていた。「政府の意見をまとめるのに好都合だろう」と、カトリック神父らの民間試案が米国政府案であるかのように改変された事情は伝えられず松岡の帰国次第、「オーケー プリンシパル(原則賛成)」の返電を送ることで出席者の意見は一致した。

                   ◇

 しかし東京に帰着後、松岡は途端に不機嫌になった。日米諒解案は米国を標的にした三国同盟の実質無効化が含まれ、威嚇牽制(けんせい)で対米交渉を進める松岡構想と相反する。帰着当日の22日夜。酩酊(めいてい)して連絡会議に出席した松岡は機嫌を損ねないように立川飛行場(東京)に出迎えた首相、近衛文麿に「本提案は米国の悪意七分善意三分」と言い放ち、「2週間くらいは熟考しなければ所見を述べるわけにいかぬ」と席を立った。



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昭和16年4月13日、日ソ中立条約に調印する松岡洋右外相。右端がスターリン、

その左がモロトフ人民委員会議議長=写真はいずれも「昭和」(講談社)


外相不在の二重外交。怒り心頭の松岡はその言葉通り、面会を断絶する。「送った魚ですが、至急料理しないと腐敗するおそれがあります。召し上がった感想を一日千秋の思いで待っております」。米国に滞在している交渉陣の懇願も松岡には届かない。空費される日々が続く。政府と軍部、松岡の日米開戦回避という思いは同じだが、半月前の高揚感が急速にしぼんでいった。

                   ◇

 ≪if≫

 ■“幻の東京五輪”が開催されていたら

 「前畑わずかにリード、前畑がんばれ、日本前畑がんばれ、あっ前畑リード、勝った勝った勝った」。日本中が興奮した女子水泳200メートル平泳ぎ、前畑秀子が日本人女性初の金メダルを獲得した昭和11(1936)年のベルリン五輪。その4年後の開催地は皇紀2600年を迎える東京だった。

 招致活動が本格化したのは昭和5年で、イタリア首相、ムッソリーニの協力を得て11年7月の票決でヘルシンキに競り勝ち、アジア初の開催が決まった。

 独伊だけでなく英米の支持も獲得した東京大会。実現すれば、欧米のスターと日本選手の対決を国民が目の当たりにする初めての機会となり、英米に対する悪感情が緩和され、外国人観光客受け入れや外国語教育を通し、国際社会に理解が深まったに違いない。後に開戦の契機となる南部仏印進駐に強く反対する外相、幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)らの国際協調外交路線が存在感を高めたかもしれない。

 しかし、12年7月に支那事変が勃発し、「中国の公平な出場機会が失われる」と各国から東京開催への反対論が噴出する。鋼材、木材の流通も制限され事態は窮まり、近衛内閣は14年7月、開催中止を決定した。


日本中が熱狂する「平和の祭典」。その実現には、それから四半世紀の歳月を要する。

                   ◇

 ■時代の流れ

 昭和14(1939)年9月の第二次世界大戦勃発後、欧州を席巻したドイツだったが、対英戦線は停滞。米国も英国を支援する武器貸与法を成立(41年3月)させ攻勢を強めるなか、独は東方の対ソ戦準備を進める。一方、日中戦争の解決を図る日本と、参戦までに一定の猶予を求める米国は、日米交渉のたたき台となる「日米諒解案」を作成していた。

                   ◇


国民の本音 やり場ない不満、キブンの時代



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昭和16年6月、東京・四谷の配給所。「タマゴ少々入荷に付き配給」などの表示がある 

=いずれも「明治100年の歴史 大正昭和編」(講談社)



統制経済による物資不足と4年目に突入した日中戦争で、国民は疲弊し、やり場のない不満が募っていた。

 一方で、明治以後、一般国民にも「武士道とは死ぬことと見つけたり」の精神が深く根付き、特に軍部が国の主導権を握ってからは「死中に活を求める」という考え方が浸透していた。

 さらに日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)と相次いで勝利し、安易な「日本不敗神話」の認識が一般的で、開戦を急ぐ声が国民からも上がり、それを背景に軍部が推し進める構図になっていた。

 現代からは考えられないが、日本の国自体が幕末から他国との衝突で成長、国民が「戦争慣れ」していたこともある。

 このため、12月8日の真珠湾攻撃では国民は今後の不安よりも、緒戦大勝の報に「ついにやったか」と欣喜雀躍(きんきじゃくやく)し、国民の閉塞感を打ち破った。この雰囲気は子供にいたるまで同様で、後先を考えない現代に通じる「キブンの時代」だった。



「仮想敵国の実情」把握できず


太平洋に戦火のくすぶりもない大正時代の話である。海軍兵学校卒業生は練習艦隊での遠洋航海の際、米シアトルに寄港。歓迎式典の後、だれからともなく、散歩をするふりをしながら歩数でドックの大きさを測った。「いつかこの国と戦争をする」という若き思い込みがそうさせた。

 仮想敵国が正式に米国とロシアになったのは「帝国国防方針」と「帝国軍用兵綱領」が定められた明治40(1907)年。海軍にとって米国は実際の敵ではなく、目標とする敵にすぎなかったが、以来、海軍は米国海軍を研究し続けた。陸軍の仮想敵国はロシアだった。

 しかし、日本は米国海軍を研究していたが、米国という仮想敵国を把握していただろうか。

                ☆ ★ ☆

 昭和16年1月6日の年頭教書で、米大統領ルーズベルトはドイツと交戦中の英国に対する物資援助継続を発表。さらに独裁者の恐喝にひるむことはないとして、言論と表現の自由、すべての個人がそれぞれの方法で神を礼拝する自由、欠乏からの自由、そして恐怖からの自由の「4つの自由」の確保を誓った。これは欧州を席巻していたドイツを指していた。

 それ以前、ルーズベルトは「非戦」を公約に掲げ、前年11月に異例の3選を果たす。選挙戦大詰めの9月には「われわれは外国の戦争に参加しない。攻撃された場合を除き、米国領以外の土地で戦うため、軍隊を派遣することはない」と演説した。米大統領が最大の選挙公約を反故(ほご)にし、戦争を仕掛けることが可能だっただろうか。

 米国の民主主義を理解していれば容易に想像できるが、当時の日本では英国や中国支援の軍需産業増産を「戦争準備を始めた」ととらえた。これは日本の外交が時として過ちを犯す「相手国を日本と同質とみなす」ことにあったのではないだろうか。昭和初期の国民が選挙公約を理解することは難しいが、政府や軍の中枢は知る必要があったのではないだろうか。


               ☆ ★ ☆

 ルーズベルトは参戦したくて、日本に無理難題を押し付け、やむなく開戦に踏み切ったという意見がある。だが、日本が参戦の大義名分を与えなければ、選挙公約と世論がある米国からは戦争を仕掛けることができなかったのも事実である。その結果、多大な犠牲者を出すことになり、挑発に乗る必要はなかった。

 同時に米国も日本を把握していなかった。日本は中国戦線で疲弊しており、どんな厳しい要求でものむだろうという認識しかなかった。「日本は米国とことを構えるリスクを冒さずに、マレーやシンガポール、蘭印に手を出すことができる」とルーズベルトは語り、日本参戦に懐疑的だった。

                ☆ ★ ☆

 同じことが現代にもいえる。昨年9月の尖閣衝突事件で、当時の仙谷由人官房長官が船長以外の船員と漁船を中国に戻す際、「14人と船がお帰りになれば、違った状況が開けてくるのではないか」と述べ、軟化を予想した。しかし、逆に中国が強硬姿勢を強めたため、今度は「随分変わってきていると認識していたが、あまりお変わりになっていなかった」と話す始末だった。

 この対応は中国と領土問題を抱えるベトナムなどの東南アジア諸国を失望させ、日本の権威を失墜させた。さらに11月にはロシアのメドベージェフ大統領が北方領土の国後島を訪問した。

 中国政府、中国人を理解していなかったことで、日本が中国よりも格下であると世界にさらしてしまった。政府中枢が仮想敵国の実情を把握できていないのが、いまの日本の外交である。歴史の分岐点から何も学んでいないのではないだろうか。



国民の本音 隣組登場 閉塞感一段と


昭和15年9月。内務省は「部落会町内会等整備要領」を都道府県に通達した。市町村行政の下請け機関として約10世帯からなる「隣組」が組織された。隣組は江戸時代の「五人組」の流れをくみ、当初はお互いに助け合う親睦共済団体だったが、出征兵士の見送りや遺族の面倒に加え、「配給」の割り当ての役目を受け持ち、様相が一変する。

 同年発行の「婦人倶楽部12月号」の座談会で、東京・杉並の組長が道路清掃の出席率が悪かったことを取り上げ、「そこで配給の切符にはんこを押してあげることにしたんです」と話し、出席率が飛躍的に向上したとある。隣組が個人生活の領域まで拘束するようになり、17年には全国で133万以上が組織された。

 16年4月には、6大都市でコメの配給も始まった。経済統制の締め付けにより闇価格が暴騰、横流しや闇売買が横行した。

 「お金を払って買っているのに、まるでおほどこしでもするような顔をしているのですから、不愉快な話なのです」(『開戦からの日記』高橋愛子著)と、庶民は不満の持って行き場も失っていた。終着点が見えない中国戦線の長期化は生活物資の不足と物価高騰をもたらした。それに加え、隣組の監視が強化され、国民の閉塞感が一段と強まっていった。

 ABCD包囲網の打破こそ日本が生き残る道という報道が増えるようになり、2月には「日米戦(たたか)はゞ」(新潮社)が発行された。2月1日付の朝日新聞には「今日は最早(もはや)架空小説的の日米戦争論を繰り返すべき時ではない。国民はこれによって米国恐るべきか恐るゝに足らざるかを明らかにし、不動の信念をもってこの超非常時局に対応すべきである」という刺激的な広告が掲載された。同書は5万3千部のベストセラーとなり、国民全体を取り巻く雰囲気が閉塞社会の打開策として「対米戦争」に向かおうとしていた。



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昭和14年7月、パーマネントを警官にとがめられている女性。

子供にまで「パーマネントはやめましょう」と連呼され、生活は風俗や習慣まで統制されていった 

=「日本の記録 明治百年」(世界出版社)



陸海軍 現代に通じる官僚支配


二手に分かれ石合戦に駆け回り、木を削っては軍艦作りに熱中する。将来の希望を尋ねる小学校教諭への返答は「陸軍大将」だった。「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文(ともゆき)の幼少時のエピソードである。「末は大臣、大将か」と高級将校にあこがれた多くの少年を象徴している。

 昭和16年当時、人口7160万の3%以上に当たる総数240万人を誇った巨大組織「陸海軍」。陸軍の中心には江戸時代の貨幣、天保銭(てんぽうせん)に似た卒業徽章(きしょう)を胸につけた陸軍大学校卒業者である「天保銭組」がいた。

 全国からわれこそはという文武両道に秀でた逸材がこぞって受験した陸軍士官学校の卒業生の中から、さらに1割程度に絞られた精鋭。将来の将官の地位が約束されていた。

 軍令を担当する参謀本部第一部(作戦部)には、陸大出の中でも恩賜の軍刀を与えられた優等卒業生「軍刀組」だけを配属することを規定。徹底した学歴主義は東大学閥が支配する現代の財務官僚にも通じている。

 陸軍は陸士-陸大、海軍は海軍兵学校-海軍大学校と、作戦指揮教育に特化し、「純粋培養」されるエリート軍人。自らの組織を至上とする集団が形成されるのは当然の帰結だった。そこには政治家が介入できる余地はなかったといえる。


政治主導を掲げていた現在の民主党政権は官僚の激しい抵抗に次々とマニフェストの見直しを強いられ、看板に掲げた「事業仕分け」では省庁の巻き返しに屈し、官僚組織に対する政治家の無力さをさらし、政権全体に対する失望感を決定付けた。

                ☆ ★ ☆

 関東軍が引き起こした6(1931)年の柳条湖事件に始まる満州事変以降、軍部は政府の方針と乖離(かいり)した行動とともに、組織の強大化を進める。軍の作戦行動に政府が介入できない「統帥権の独立」に加え、11年には大臣の現役武官制を復活させ政治権力を確立した。

 12年の支那事変勃発以降は臨時軍事費を獲得し、開戦の16年には軍事予算(125億円)が国家予算(165億4千万円)の4分の3を超えるまでに膨れあがった。

 巨大な人員と予算。政府を圧倒する権力を盾に、陸軍は自らの親独枢軸路線に沿わない米内光政(よない・みつまさ)内閣に対する倒閣運動などを通じ、人事への影響力を行使するようになっていった。

                ☆ ★ ☆

 海軍も、開戦へのターニングポイントを迎えるたびに組織内に視線を向けた。太平洋が主戦場となる対米戦では陸軍以上に強い危機意識を持ちながらも、日独伊三国同盟交渉では資材の優先割り当て獲得の内約を受け、推進派に妥協する。

 開戦直前にも陸軍の主戦論に対し「戦争するか否かは政治家・政府が決めること」(及川古志郎(おいかわ・こしろう)海相)と原則論に終始し、予算配分への影響を恐れ、「避戦言明」を避けた。


「国益より省益」の立場のまま戦争に突入した陸海軍。開戦後の17年3月の大本営政府連絡会議で決定された「今後採るべき戦争指導の大綱」には「長期不敗の政戦略態勢を整えつつ、機を見て積極的の方策を講ず」と記された。長期持久戦の態勢確立を目指す陸軍と、短期積極攻勢を主張する海軍の妥協の産物であった。

 「これでは意味が通らぬではないか」-。ため息をついたのは官僚組織の象徴「天保銭組」の陸軍大将である東条英機首相。開戦後も続く省益優先の組織対立の証左だった。

                ☆ ★ ☆

 現代の官僚組織も何ら変わっていない。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加問題では推進派の経済産業省が輸出部門での損害額をより大きく見せる「仕掛け」を施し試算する一方で、慎重な立場をとる農林水産省は政府が農業支援策を一切講じない極端なケースを想定し、農業分野の損害を強調する。

 経産省試算に乗る政治家と、農水省試算に乗る政治家が省益を代表して対立し、そこには政治的リーダーの存在感はなく、省益優先で議論が進んでいる構図は70年前と変わらない。

 財政再建など、多くの問題を抱え、ただ時が流れているような現代の日本。強大強固な官僚組織を打ち崩せないままの政治の無力さは当時もいまも国民に無力感を与え続けている。







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尖閣諸島問題

Category: 尖閣問題  

領土は守れるのか 尖閣防衛は国境警備隊で
2011.5.2


ただちに尖閣諸島に警察部隊を常駐させよ


 昨年9月、尖閣沖で中国の海上民兵らしき漁船が海保巡視船に体当たり攻撃を仕掛けてからというもの、我が国では領土・領海の防衛に関して「海保を充実させるべきである」「自衛隊を増強すべきである」「領域警備法を制定すべきである」「憲法を改正して軍隊を保有すべきである」等の議論が百出している。これに対し、沖縄返還協定締結四十周年の6月17日には、尖閣諸島の領有権を主張する中国大陸、香港、マカオ、台湾等の保釣運動団体が抗議船を尖閣諸島海域に集結させるように計画している。(月刊正論)

 この計画を承知した日本政府は、本年2月1日「尖閣諸島の領有権に関する独自の主張を行うことを目的として、同諸島周辺の我が国領海内への不法な侵入等を試みる外国人が乗り込んだ外国船舶に対しては、同諸島に関する我が国の一貫した立場に基づき、海上保安庁が関係省庁と連携しながら、情勢に応じて警備体制を強化するなどにより、当該船舶の領海内への侵入阻止、領海内に侵入した当該船舶の領海外への排除など、必要な警備を厳正かつ適切に実施する」と答弁している。

 政府は今もってこの答弁に関して目に見える対応策をとっていないが、目前に迫る尖閣諸島の危機的状況を考慮すれば、今は領土・領海に関する論争に巻き込まれて時間を割くことなく、すぐに出来ることから着手すべきである。それは、尖閣諸島の国有地化、「低潮線保全・拠点施設整備法」に基づく特定離島への指定、応急的な港湾や常駐施設の設置、石垣市職員・入国管理局職員・海保職員とこれを警護する沖縄県警の“常駐”である。この中でも最も優先すべきことは、不法入国者を現行犯逮捕できる最小限の人員、特に警察部隊を“常駐″させることだ。


この際、警察部隊は警察比例の原則に則った迅速機敏な対応が可能なように、沖縄県警機動隊の他、機関拳銃や狙撃銃を装備した銃器対策部隊を派遣する必要があり、さらに所要の特殊部隊(SAT)を輸送ヘリとともに石垣島に待機させておくことになろう。この際、自衛隊はプレハブ施設や野外トイレ、その他の物資のヘリ空輸を支援する他は、直接表面に出てくることは無いだろう。

 間違っても、現段階では陸上自衛隊を尖閣諸島に直接配備するべきではない。さもないと、日本は国家としての面目が丸潰れになるだろう。戦後の日本が抱えてきた矛盾と欺瞞に満ちた防衛体制をさらけ出すことになるからだ。


陸上自衛隊を配備すべきでない2つの理由


 中国漁船が海保巡視船に衝突して以来、「早急に陸自を尖閣諸島に配備せよ」との声が上がっている。しかし、筆者は可能性と必要性の2つの理由からこの意見には賛同できない。まず、可能性から言えば、現行法制上から陸上自衛隊は尖閣諸島に派遣できないし、野戦部隊という組織の体質上、この組織が未来永劫「常駐」することはない。

 現状では領域警備任務も法制化されていないので、何らかの事態が発生する以前に陸上自衛隊が尖閣諸島に所在する根拠は「教育訓練」以外には無い。これでは、漁民に扮した海上民兵が上陸しても職務質問一つ出来ない。さらに、明らかな武装勢力が上陸しても治安出動か防衛出動命令が下令されるまで、現場指揮官の判断ではいかなる武力行使もできない。


各隊員が個人の正当防衛・緊急避難や武器等防護のために必要最小限の武器使用ができるだけであり、これは軍隊組織でも何でもない。このように、「自衛隊法」が改正され、「領域警備法」が制定されて新たな任務が与えられない限り、尖閣にいる自衛官は、対馬の陸自部隊のように「離島警備訓練」を実施しているに過ぎない。現実に不法入国者や武装した海上民兵と遭遇しても何もできないのだから、隊員は見て見ぬふりをするしかない。全ての報告は「異状なし」以外は許されないことになる。

 これが武力紛争法など「国際法」を基準とし、事態に応じて常に実力を行使できる列国の軍隊ではなく、あくまで「国内法」を基準として実力を行使する“自衛隊″の悲しい性なのだ。それならば、むしろ防弾装甲車両や機関拳銃、狙撃銃などで武装した警察部隊を配置するほうが、現行法でも初動対処が可能であり、当面は国家としての格好が付く。

 近い将来に領域警備法が制定され、平時から陸上自衛隊に領域警備任務を付与して尖閣諸島に配備したとしても、あくまでもPKOや災害派遣のように、やがては撤収することを前提とした応急的な行動に過ぎず、国民が期待している「常駐」にはならないだろう。

 陸自の師団・旅団等の戦闘部隊は外国の正規軍と戦う「国土防衛」を前提にして編成された「野戦部隊」であり、恒常的な「警戒・監視」を主任務とした組織とは異なる。また、沿岸監視隊はあるが、これも「監視」できるだけで、「警戒」の能力は無い。つまり、陸自を大幅に改編しない限り、所詮は目的外の「流用」に過ぎないのである。


次に、平時から「国境」に自衛隊という一見軍隊に見える組織を配置する必要もない。国境付近に軍隊が展開すると隣接国が侵攻を警戒して緊張状態を生み出しかねないので、各国は準軍事組織を配置して緩衝地帯としている。

 中国が尖閣付近に派遣しているのは、実態はどうあれ、その名称は「漁業監視船」「海洋調査船」である。また、正規軍どうしが対峙している朝鮮半島の38度線は、国境線ではなく「停戦ライン」である。このように、国境には軍隊を置かずに国境警備に適した別組織を置く。これが、世界の常識である。危機が迫るとはいえ、あくまでも今は「平時」であるから、日本も国境離島に配置するのは武装警察部隊でよい。





中国海軍機、尖閣に最接近 空自F15が緊急発進 

「ここまでは初めて」と防衛省

2011.3.3

防衛省統合幕僚監部は2日、中国海軍の情報収集機など2機が尖閣諸島の北50~60キロまで接近したため、領空侵犯の恐れがあるとして、航空自衛隊の戦闘機を緊急発進(スクランブル)させたと発表した。

 領空侵犯はしなかったが、防衛省は「中国軍機が尖閣諸島にここまで近づくのは初めて」としている。

 防衛省によると、中国海軍のY8情報収集機とY8哨戒機は2日昼すぎ、東シナ海上空を南下、日中中間線を越え、尖閣諸島に接近したところで西に向けて方向転換した。空自南西航空混成団は、対領空侵犯措置としてF15戦闘機をスクランブルさせた。





中国軍機尖閣接近 突かれる島嶼防衛の甘さ


2011.3.4


中国海軍の情報収集機と哨戒機が、尖閣諸島の北方50~60キロまで急接近した。

 他国の軍用機などの領空侵犯を防ごうと、日本の領空の外側に設定されている防空識別圏に侵入したため、航空自衛隊の那覇基地から戦闘機が緊急発進した。領空侵犯には至らなかったが、日中中間線を大きく越えて尖閣に近づいた例は初めてという。

 これに対し、枝野幸男官房長官が「抗議はできないが動向を注視する」と述べるとともに「領空外を飛行していたので、国際法や安全の問題はない」と語った。耳を疑う発言だ。これでは中国の挑発的行動を容認することになる。

 昨年の中国漁船衝突事件以降、中国側は6回にわたり漁業監視船を接続水域で活動させている。尖閣やガス田をめぐる東シナ海への中国機飛来も増えている。海と空の両面から尖閣の支配をうかがう動きを強めていると、深刻に受け止めなければなるまい。

 平成22年度の緊急発進は、昨年12月までに290回行われた。7割以上はロシア機への対処だが、中国機に対するものも48回に上る。前年度の38回をすでに大きく上回っている。

 識別圏は大部分が公海上だが、侵入を放置すればすぐに領空侵犯につながる。だからこそ、パイロットたちは命がけで守っていることを、国民も政治家も知っておかなくてはならない。

 島嶼(とうしょ)防衛は新防衛計画大綱で打ち出されたばかりで、極めて危うい状況にある。法制上の不備を正すとともに、中国に厳重抗議し、主権を守り抜く覚悟を内外に示さなければならない。

 ところが、外務省は2月末の次官級の日中戦略対話で衝突事件の再発防止を協議しながら、今回の中国軍機の行動を招いている。しかも中国に抗議していない。

 島嶼防衛の甘さを中国に突かれている。民主党政権下で日米同盟が揺らいだのも原因だ。

 漁業監視船が領海内に居座った場合、退去を要請するしかない。監視船の搭載ヘリが飛び立てば、領空侵犯になる。中国海軍と連携する監視船の活動に対抗するため、領域警備法など侵犯そのものを許さぬ法整備が急務だ。

 領空侵犯対処でも、武器使用は正当防衛などに限定され、その判断もパイロットに委ねられる。法改正で権限を明確にすべきだ。




またまた尖閣に中国漁業監視船 海保が無線で警告 衝突事件以降、8回目

2011.3.9

9日午前7時ごろ、沖縄・尖閣諸島の久場島北西約90キロで、中国の漁業監視船「漁政202」が航行しているのを、付近を哨戒していた海上保安庁の航空機が確認。同9時15分ごろ、魚釣島北西約44キロの日本の接続水域(領海の外側約22キロ)内に入った。第11管区海上保安本部(那覇市)の巡視船が領海内に侵入しないよう無線などで警告している。

 海保によると、昨年9月の漁船衝突事件後に尖閣諸島の接続水域を航行する中国の漁業監視船を発見したのは8回目。漁政202は今月5日にも同水域内に入っているのが確認されている。




中国の漁業監視船が尖閣の接続水域内に侵入 今月に入り3回目

2011.3.11

11日午前8時38分ごろ、沖縄・尖閣諸島久場島の北約44キロの日本の接続水域(領海の外側約22キロ)内に、付近の公海上を航行していた中国の漁業監視船「漁政202」が入ったのを第11管区海上保安本部(那覇市)の航空機が確認した。11管本部の巡視船が、領海内に侵入しないよう無線などで警告している。「漁政202」は今月5日と9日にも、尖閣諸島の接続水域内を航行しているのが確認されている。






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防衛省が対中有事を想定 展開態勢強化へ

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防衛省が対中有事を想定 指揮・機動展開態勢強化へ
2011.5.9

防衛省が、昨年12月に策定した新たな「防衛計画の大綱」に基づき、自衛隊の警戒監視・機動展開態勢などの強化策を検討するにあたり、沖縄県・尖閣諸島が中国に占領されるシナリオを作成していたことが8日、分かった。

 偽装漁民の不法上陸に始まり、宮古・石垣両島への武力侵攻までを想定、自衛隊の奪還作戦に踏み込む。対中有事シナリオの全容が明らかになったのは初めて。

 新大綱策定を受け、防衛省は「防衛力の実効性向上のための構造改革推進委員会」を設置。検討グループに陸海空3自衛隊の「統合による機能強化・部隊のあり方検討」を設け、機動展開態勢と指揮統制、警戒監視を課題に挙げた。

 これらの課題検討にあたり、今年に入りモデルケースとして尖閣占領シナリオを秘密裏に作成した。

 シナリオは大別すると3つの局面で構成される。

 《(1)偽装漁民が不法上陸》

 漁民を装った中国の海上民兵が尖閣諸島に上陸後、中国は「漁船が難破した」と主張。沖縄県警の警察官が尖閣に乗り込み、入管難民法違反の現行犯で逮捕。海上保安庁の巡視船も周辺海域に展開する。

《(2)海上警備行動で自衛隊出動》

 中国はこれに対抗して国家海洋局の海洋調査船「海監」を派遣。海監は大型・高速化が進み、海保の巡視船では排除できないと判断し、海上警備行動発令により海上自衛隊の艦艇や航空機が出動する。これに中国は「日本が不当な軍事行動を仕掛けてきた」と国際社会にアピールする。

 《(3)南西諸島に武力攻撃》

 中国が海軍艦艇を投入する。海自艦艇などは武力衝突に発展するのを恐れ海域を離脱。警察官も撤収する。間(かん)隙(げき)を突くように中国は米空母の介入も防ぐため宮古島や石垣島に武力侵攻する。この段階に至り防衛出動を発令、海・空自の艦艇や航空機を集結させ、米軍も展開する。陸自部隊は奪還作戦に入る。

 このシナリオに基づき、3自衛隊は態勢を見直す方針。東日本大震災への対応でも適用された「統合運用」の態勢強化に主眼を置く。「統合任務部隊」も編成されるが、陸自の西部方面総監や海自の自衛艦隊司令官が指揮官を務めるのは困難とされ、オールジャパンの部隊を指揮する司令部機能をどう担保するかが課題になる。

また、シナリオに対処するには、警戒監視機能の向上や、陸自部隊を展開させる海・空自の輸送力強化が不可欠だ。無人偵察機の導入も主要な論点となる。陸自が駐屯していない石垣島など先島諸島では弾薬・燃料も常備されておらず、事前集積拠点の確保策も詰める必要がある。

 防衛省は6月までに、早急に対処すべき課題と中長期で取り組むべき課題に整理し、平成24年度予算案概算要求に反映させる方針。





本末転倒 「宿題大綱」の実態露呈

2011.5.9


防衛省が、中国による尖閣諸島占領と離島侵攻を目の前の脅威と直視し、課題の検証に入ったことは一定の評価ができる。ただ、そのプロセスは本末転倒だ。シナリオ研究で課題を洗い出し、保有すべき防衛力と運用構想を「防衛計画の大綱」に反映させるべきだったのではないか。



 防衛省は課題検証を「防衛力の実効性向上のための『構造改革』」と称しているが、実際には大綱策定時に積み残したテーマを整理する作業にほかならない。

 列挙したテーマは25項目。大綱に中身が何も詰まっていないことを認めたに等しい。省内では「宿題大綱」と揶(や)揄(ゆ)される。

 25項目にはシナリオ研究に関係する「機動展開態勢」と「警戒監視」も含まれる。大綱の柱として打ち出した「動的防衛力」の根幹をなす項目だが、その実効性すら担保されていなかったわけだ。それもひとえに民主党政権が米軍普天間飛行場移設問題に右往左往し、大綱の検討に本腰を入れなかったためだ。


しかも政権はなお迷走を続ける。防衛省政務三役は当初、シナリオを尖閣占領にとどめ、宮古島などへの侵攻は想定すべきでないと脅威を過小に見積もった。東日本大震災への対応で約1カ月の中断を経て検討が再開されると、今度は南西諸島での作戦展開中に震災やテロ攻撃が同時発生する事態も想定に入れるよう命じてきた。

 その間にも中国に遠慮はない。震災発生後も海自の艦艇に航空機やヘリを異常接近させ、上海沖では演習も実施した。昨年の演習では艦艇10隻を沖縄本島と宮古島の間を通過させたこともあり、海自は艦艇を震災対応からシフトさせるかどうか踏み絵を迫られた。

 抑止力と対処力の向上は待ったなしだが、民主党政権には荷が重すぎるようだ。実効性が薄い現在の防衛大綱の廃止と再策定が早晩政治課題に浮上するとの指摘もある。(半沢尚久)


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「日本から補償金」3万人だます 韓国の団体幹部ら摘発

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「日本から補償金」3万人だます 韓国の団体幹部ら摘発
2011.5.9

【ソウル=黒田勝弘】ソウル市警察当局はこのほど、日本統治時代の戦時動員被害者に対し、日本政府などから補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で会費15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取っていた団体幹部など39人を、詐欺の疑いで摘発したと発表した。被害者は3万人に上る。

 摘発されたのは「太平洋戦争犠牲者遺族会」「民間請求権訴訟団」など対日要求や反日集会・デモを展開してきた団体。古くからの活動家で日本でも知られる梁順任・遺族会会長(67)にも容疑が向けられており、対日補償要求運動にブレーキがかかりそうだ。

 発表によると、梁会長らは遺族会や訴訟団など各種団体を組織して会員を募集。その際「動員犠牲者でなくても当時を生きた者なら誰でも補償を受け取れる」などと嘘を言った例もあり、会員を集めると手当を支払っていたという。警察発表では、梁会長らはソウルでの日韓親善サッカーの試合のスタンドに約500人の会員を動員し、日本政府に謝罪と補償を要求する横断幕を掲げる“偽装活動”をしてきたとしている。



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土下座

Category: 日本国民の心得  
真心のこもった土下座、思いもかけない力を発揮?
2011.5.9

京都市の京阪三条駅入り口に、地元の若者から、「土下座像」、あるいは「ごめんなさい像」などと呼ばれている像がある。待ち合わせ場所として人気が高く、「ドゲザ前で何時」で通じるそうだ。

 ▼確かに台座の上では、いかつい顔の武士がひれ伏している。とはいえモデルとなった江戸時代の勤皇思想家、高山彦九郎は、別に謝っているわけではない。三条大橋のたもとから、御所の荒廃を嘆きつつ、遥拝(ようはい)しているのだ。

 ▼もともと土下座は、貴人が通行する際に路上にひざまずいて平伏することを意味していた。謝罪の気持ちを表す姿に取って代わられたのは、いつのころからだろう。最近では、その気持ちさえも薄れ、単なるポーズにすぎないのではないか、と疑いたくなる土下座も珍しくない。

 ▼東京電力の清水正孝社長ら首脳陣や集団食中毒を引き起こした焼き肉チェーン店の社長の振る舞いを見て、その思いを強くする。原発事故の避難住民から「土下座しろ!」と迫られてからひれ伏すくらいなら、むしろまなじりを決して、事故の収拾と補償に万全を期する決意を語ってほしかった。


今日ボクが見た風景

二本松市内の避難所で、浪江町の町民らに原発事故を起こした事を土下座で謝る清水正孝社長

(手前右から4人目)ら東京電力関係者=5月4日、福島県二本松市のあだたら体育館(撮影・早坂洋祐)





今日ボクが見た風景

「フーズ・フォーラス」本社前の路上で、土下座して謝罪する勘坂康弘社長=5日午後、金沢市




 ▼焼き肉チェーン店の社長の場合は、そもそもテレビカメラの向こうの誰に向かって、謝罪しているのかわからない。杜撰(ずさん)な生肉の取り扱いの実態が次々に明らかになり、被害者の怒りは増すばかりだ。

 ▼そんな土下座を見直す動きもある。大人向けコミック『どげせん』(板垣恵介&RIN作)は、一見さえない高校教師が、土下座によって、トラブルを解決していくストーリーだ。どぎつい笑いは万人にはお勧めできないが、真心のこもった土下座が、思いもかけない力を発揮する、というアイデアは面白い。




日本の土下座外交は思いもかけない弊害をもたらしていますがねw


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両陛下の祈り 「なぜか」への至上の答え

Category: 日本国民の心得  

両陛下の祈り 「なぜか」への至上の答え 文芸評論家・竹本忠雄

2011.5.9


今日ボクが見た風景

がれきと化した町並みに黙礼される天皇、皇后両陛下=4月27日

宮城県南三陸町(AP、4月28日付本紙1面掲載)





天皇皇后両陛下が、畳(たた)なわる瓦礫(がれき)に向かって黙祷(もくとう)されるお姿に-。

 衝撃は、この写真の左側に載った「迷惑をかけない日本人」という記事とのコントラストで倍加した。ソウル支局長、黒田勝弘氏のリポートで、そこで投げられたある問いに対して両陛下のご姿勢以上に絶妙の答えはありえないと思われたからである。

 黒田氏は、いま外地でも評判の、なぜ被災地の日本人はかくまでも「冷静で秩序正しい」のかとの疑問を取りあげ、韓国人の間では「諦念」「遠慮」といった評語まで飛びかっていると伝えている。

 これまでにもメディアは諸外国でのこの「なぜか」を報じてきた。そのつど私は、このようなメンタリティについて下される種々の憶測を興味深く思ったが、同時に、本当の理由がどこにも指摘されていないことにもどかしさを禁じえなかった。その「なぜか」への至上の答えを写真は黙示していると思われたのである。

 このことは私に忘れられないある対話を思いださせる。昭和49年5月、アンドレ・マルロー(仏の作家、政治家)が出光佐三(さぞう)氏(出光興産の創業者)をその美術館に訪ねたときのことである。「日本人は精神の高貴さを持っています。なぜですか。仏教も、その理由の一つではないでしょうか」との単刀直入のマルローの問いに、間髪を容(い)れず出光翁はこう答えたのだ。


「そうじゃありませんね。二千六百年続いてきた皇室が原因ですよ」と。

 たしかに、国難のいま、私たちを斉(ひと)しく打つものは、皇室、何よりも両陛下の、あの同床同高とも申しあぐべきご姿勢に表れた何かである。祈りである。今回だけではない。これまでの日本中の被災地めぐりだけでもない。先の戦災地、さらには南冥(なんめい)の島々まで、慰霊の旅をも、お二人は重ねてこられた。しかも史上、「恤民」すなわち民を哀れむは、皇道の第一義として歴代天皇の最も実践してこられたところであった。

 であればこそ、国民も常にそれに感じ、「民を思い、倹を守る」お姿以上に頭を高くすることを慎んできたのだ。被災地で命を救われたおばあさんが「すみません」とお礼を言って美談となったそうだが、このような国なればこそ、自(おの)ずと培われてきた節度なのである。

 大震災は、しかし、大地の亀裂だけでなく、これほどの国柄にもかかわらず日本人の心に生じていた分裂をも露(あら)わにした。国安(やす)かれとの天皇の日夜の祈りを踏みにじるような、現政権担当者たちの無知、厚顔、専横の数々は、「3・11」を待たずして既に別のツナミをもって国を水没させつつあったのではないか。

 御在位二十年記念の折、皇居の宮殿でのことを私は忘れもしない。事もあろうに、両陛下お招きの祝宴で最後に鳩山首相の発声もあらばこそ、片隅で、蚊のなくような幸夫人の声で辛うじて「…ばんざい」と一言、拍手もまばらだった。


戦後66年、憲法の一行をも変ええず、民主主義を盾に政治家の皇室軽視の言動が昂(こう)ずる一方で来ただけに、大天災の中で却(かえ)って強められた君民の絆は、なお尊く、真に日本の未来を照らす光ではなかろうか。

 政治家は「一寸先は闇だ」というが、祈りを通じて天皇皇后は国の全体を見透しておられる。でなくして、皇后美智子さまが、『岬みな海照らさむと点(とも)るとき弓なして明かるこの国ならむ』とお詠みになることはなかったであろう。

 天皇皇后の祈りとは何か--これを考えるべき時が来た。

 昭和天皇が、崩御に先立って翌年の歌会始のために遺(のこ)されたお題は、『晴』だった。来年のお題は、『岸』だ。まだ東日本沿岸がそよとも揺れなかった今年1月、どこから、陛下のみ胸に、このヴィジョンが生まれたのであろうか。(寄稿)






岬みな海照らさむと点(とも)るとき弓なして明かるこの国ならむ



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石井氏が党地震対策副本部長を辞任 

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ゴルフ「もう少し自制してもよかった」石井氏が党地震対策副本部長を辞任 
2011.5.9

民主党の石井一副代表(選対委員長)は9日、今月初めに訪問先のフィリピンでゴルフをした責任を取り、党地震対策本部副本部長を辞任することを岡田克也幹事長に申し出て、了承された。同行した那谷屋正義参院総務委員長も西岡武夫参院議長に、生方幸夫衆院消費者問題特別委員長は党執行部に、それぞれ委員長辞任を申し出た。

 3人はいずれも日本フィリピン友好議員連盟のメンバーで、石井氏は会長。3~6日の日程で同国を訪れ、5日にマニラ首都圏郊外で在留邦人らとゴルフをしていた。

 石井氏は役員会後、国会内で記者団に「被災者に聞けば、ネガティブな反応は出るだろう。不適切とは認識していないが、もう少し自制しても良かった」と述べた。岡田氏は記者会見で「被災者の気持ちを考えるとあまり適切ではなかった」と批判した。



那谷屋氏が総務委員長辞任を申し出

2011.5.9 16:35

民主党の那谷屋正義参院総務委員長

 民主党の那谷屋(なたにや)正義参院総務委員長は9日、今月初めに訪問先のフィリピンでゴルフをしていたことの責任を取るとして、西岡武夫参院議長に委員長辞任を申し出た。



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民主党の石井一副代表(左)、那谷屋正義氏





生方氏も衆院特別委員長辞任を申し出

2011.5.9 18:00

生方幸夫氏

 民主党の生方幸夫衆院消費者問題特別委員長は9日、今月初めにフィリピンでゴルフをした責任を取るとして、委員長辞任を衆院事務局に申し出た。



今日ボクが見た風景

生方幸夫氏



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北京春秋 罵声は銃殺刑?

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北京春秋 罵声は銃殺刑?
2011.5.9

もう2週間以上前になるが、中国国民にちょっとした驚きを与えた震災報道があった。

 4月21日、福島第1原発の放射能漏れ事故を受け、福島県田村市の避難所を訪問した菅直人首相が、被災者から「もう帰るんですか!」「無視していかれる気持ちって分かりますか」と罵声を浴びせられた、あの一件である。

 「日本じゃあんなことが許されるんだ? 中国で同じことをやったら、これだよ」。ある北京市民が短銃で頭を撃つポーズを取った。銃殺は大げさにしても、中国国民が胡錦濤国家主席や温家宝首相に直接、怒りをぶつけようものなら、即座に当局に拘束されるに違いない。

 インターネットを通じて政府を批判しても、すぐに削除されるのがおち。発言や行動が目立つと“経済犯罪”などを口実に拘束されることは、芸術家、艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏のケースが改めて示した。中国国民の驚きは、首相への罵声に喝采がおくられる日本の“言論の自由”に対する羨望でもあろう。

 もっとも、温首相はあんなへまはしない。大災害が起こるたび、即座に被災地に駆けつけて涙を流し、逆に株を上げてきた。今月下旬、日中韓首脳会談出席のため訪日する温首相が被災地を電撃訪問し、歓迎されでもしたら、菅首相の面目は丸つぶれだ。(川越一)

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中国アップルストアで大乱闘の流血事件発生

Category: 中国  

中国アップルストアで大乱闘の流血事件発生! アップル店員がテンバイヤーに怒りの打撃


中華人民共和国・北京市の外国人エリアといえば三里屯だ。ここはバーやキャバレーが多数あり、多くの欧米人や日本人がお酒を楽しんでいる場である。そこにあるアップルストアが最新型のタブレットPC『iPad2』や『iPhone4 ホワイトモデル』の販売を行ったのだが、そこで大事件が発生した。

アップルストアの店舗前に、転売目的で『iPad2』や『iPhone4 ホワイトモデル』を購入しようと多くの中国人(いわゆるテンバイヤー)が集まったのだが、アップルストア側は転売目的の購入を拒否。そこでアップルストア店員とテンバイヤーが衝突。外国人アップルストア店員が鉄棒で次々とテンバイヤーに打撃をくらわし、流血するテンバイヤーをけちらしていったのだ。

フォアターッ! アイヤー! フォアターッ! アイヤーー! フォアターッ! アイヤーーー! フォアターッ! アイヤーーーー! 最終的にテンバイヤー4人がアップル店員にブチのめされ、救急車で運ばれる事態に発展したという。

中国4000年の歴史を持つカンフー(?)も大柄で屈強な外国人アップル店員にはかなわなかったようで、結局のところテンバイヤーの負けとなってしまったようだ。

『iPad2』や『iPhone4 ホワイトモデル』は人気商品なので、転売することにより確実にもうけることができるという。できるだけ早い時期に売ったほうが転売の金額も高くなるので、ここ数週間はアップルストアにテンバイヤーが群がってくるかもしれない。




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「穀物菜食」「禅食」

Category: ブログ  

「穀物菜食」は美容に効くだけでなく、潜在能力を引き出す効果もあるらしい


2011年5月9日


雑穀で体と精神を鍛える。

陰陽の法則に基づく食生活を半世紀にわたって実践されてきた、栄養士であり、料理研究家である大森一慧(おおもりかずえ)さん。

彼女の著書『
からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て』に、ぐぐっと引き寄せられたコラムを発見しました。

コラム「穀物菜食で潜在能力がアップ」というもの。

昭和26年に病院に住み込みで働くことが決まった大森さん。

その病院では、食べ物の陰陽バランスでからだを治す「食養」の考えを実践。来る日も来日も玄米ごはんと味噌汁に少々の野菜のおかずばかり。

なんでこんなに質素で少ないのかしら?」と不満だらけの穀物菜食との出会いだったそうです。

ところがしばらくすると不思議なことが起こり始めたそうです。
 
日々のハードワークで寝起きがよくなかったのに朝5時にすっきり目覚めるように。

夜中の往診の手伝いでほとんど寝ていなくても、寝起きもよく1日疲れずに働けるように。

大森さんも「食べ物には何か深い秘密がある」とにらんだようです。

「食養」に関する講演会などに足を運ぶようになり、食養医学の研究者である大森英櫻氏と結婚。家族ぐるみで穀物菜食を続けるようになります。

すると今度は、頭の回転気の持ちようまではっきりとした変化が......。

・本を読めば片っ端からスラスラと頭に入ってくる
・どんな困難なことにぶつかっても明るく前向きに立ち向かえるようになった
・自分の想いや願いが実現することも度々で、目に見えるものはもちろん、見えない世界の扉が開かれてきたことを実感


自分の中の潜在能力を引き出し、自身の人生を花開かせる鍵を穀物菜食によって得た体験が大森さんにとってとても大きなことだったようで、コラムの最後を「皆さんにもぜひ、穀物菜食で本当に自分を引き出す旅に出てほしい」と結んでいます。

手軽な「穀物菜食」ライフ導入アイテムとしてご参考まで。それは「禅食」というものです。

禅僧が厳しい修行の際に食べていた栄養保存食がルーツです。原材料は玄米/大麦/黒豆/うるち米/もち米/とうもろこし/大豆/白ゴマ/黒ゴマ/エゴマ/あわ/きび/にんじん/栗/落花生/山芋/キャベツ/ほうれん草/じゃがいも/昆布を焙煎した粉末状のものになります。


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盗難文化財で韓国に再調査を要請 日本外務省

Category: 韓国・朝鮮  

盗難文化財で韓国に再調査を要請 日本外務省

2011.5.9
長崎県壱岐市の安国寺と兵庫県加古川市の鶴林寺から日本の重要文化財が盗まれ、韓国で見つかったとされる事件について、日本外務省が先月末、韓国に再調査を要請したことが9日分かった。外交筋が明らかにした。

 安国寺の事件では、1994年に「高麗版大般若経」が盗まれ、酷似した経典3巻が95年に韓国で国宝に指定されたことが判明。鶴林寺の事件では、2002年に同寺から盗まれた掛け軸「絹本著色阿弥陀三尊像」が韓国の寺で見つかったとされる。

 日本政府は日韓図書協定の早期国会承認を図るため、韓国政府所有の日本に由来する関連図書への研究目的のアクセス改善などを韓国側に働き掛けた。盗難文化財の再調査要請もこうした流れの一環とみられる。(共同)


今日ボクが見た風景


■ 鶴林寺の「太子絵伝」盗難事件の犯人逮捕 (2003年3月18日) 

兵庫県高砂市鶴林寺から国の重要文化財「聖徳太子絵伝」6幅と「阿弥陀三尊像」1幅、市指定文化財「釈迦三尊十六善神像」を盗み、同寺に買い取らせようとした、韓国人の会社員二名が盗品等処分あっせん容疑で逮捕された。容疑者の潜伏先から他にも掛け軸十数幅を押収した。

「聖徳太子絵伝」6幅と「釈迦三尊十六善神像」は戻ったが、「阿弥陀三尊像」は見つかっていない。


■ 愛知・隣松寺から盗まれた掛け軸は韓国では国宝級(2003年9月14日)

愛知県豊田市の隣松寺から2年前に盗まれた「絹本著色観経曼荼羅」が、韓国では国宝クラスと評価されていることがわかった。

昨年7月、兵庫県加古川市の鶴林寺から、阿弥陀三尊像など掛け軸8幅(うち7幅は国の重文)を盗み、逮捕された韓国人グループの供述から隣松寺の窃盗容 疑も発覚した。
鶴林寺の掛け軸は7幅が戻ったが、最も貴重な阿弥陀三尊像は不明で、隣松寺の曼荼羅と掛け軸もすべて行方が分からず、国外に流出した可能性がある。

隣松寺の曼荼羅はもとは京都の寺にあったもので、中国・元時代末期の作と伝え県文に指定されている。しかし1995年、韓国文化財庁・宮中遺物展示館の 柳麻理・展示課長(美術史)が寺を訪れて調べたところ、高麗時代末期の1323年に朝鮮半島で描かれた「観経十六観変相図」であり、韓国内で所蔵されてい れば国宝級であることが判明したという。日本に渡った朝鮮半島の貴重な文化財を集めた「日本所在韓国仏書図録」(韓国文化財管理局発行)にも収録された。

グループが韓国での文化財の価値に極めて精通していた可能性が高く、捜査当局も注目している。


■ 鶴林寺で盗難の重文、韓国で発見(2004年11月1日)

兵庫県加古川市の鶴林寺で2002年7月に盗まれた、高麗無双筆とされる掛け軸「絹本著色阿弥陀三尊像」(重要文化財)が 韓国中部大邱市の寺で見つかった。

韓国の検察当局は、韓国人2人を、掛け軸を韓国に持ち込んだ特殊窃盗罪で起訴した。2人は日本で朝鮮半島系の文化財を狙った窃盗を繰り返しており、「絹 本著色阿弥陀三尊像」は2人が韓国で骨董仲介業者に約1000万円で売却し、その後数回の売買取引を経て、中国朝鮮族の事業家が仏教徒の事業パートナーに 贈与、この人物が寺にお布施として渡したという。

 当時、鶴林寺では8幅の仏画が盗難にあったが、犯人は、弟に7幅を日本で処分するよう命じ、残る「絹本著色阿弥陀三尊像」を韓国に持ち込んだという。一 連の事件では、日韓が合同捜査を行い、「三尊像」を除く7幅は兵庫県警がすでに押収している。

 検察当局は、今回起訴された2人が1998年6月には大阪府太子町の叡福寺から高麗時代の仏画、2001年9月には愛知県豊田市の隣松寺から県指定重要 文化財など、計47点の窃盗を繰り返したとしている。

 検察は証拠品として掛け軸を押収する方針だが、盗難品とは知らずに布施された場合は民法上、所有権が認められる。韓国メディアによると、寺側は日本への 返還に消極的で、日本への返還は難しい。


■ 鶴林寺で盗難の「絹本著色阿弥陀三尊像」返還に難問(2005年1月10日)

 兵庫県加古川市の鶴林寺で2002年7月に盗まれた、高麗無双筆と される掛け軸「絹本著色阿弥陀三尊像」(重要文化財)が韓国中部大邱市の寺で見つかり、韓国人窃盗犯二人が韓国検察によって逮捕されたが、お寺へはこの画 を買い取った人が寄付しており、民法上、盗難品とは知らずに布施された場合は所有権が認められ、日本への返還は難しい事は既に報じた。

 その後日談。

 逮捕された金容疑者(55)とファン容疑者(53)は検察に「現存する高麗仏画の大部分が日本に所蔵され韓国にはほとんど残っていないと いう事実を知り、日本に略奪された文化財を取り戻すために盗んだ犯行を決心した」などと主張しており、これが大きく報道されたため、仏画の返還問題にも微 妙な影を落としている。

 韓国のマスコミは、犯人の主張を受けて以下のように報じている。

「検察、日本略奪“高麗仏画”窃盗一味摘発」(SBS)
「愛国者?」 日本の寺院から文化財盗んだ窃盗団逮捕(朝鮮日報)
日本奪われた高麗仏画の「数奇な帰郷」 韓国で窃盗男起訴(東亜日報)
日本略奪の文化財、韓国人が盗んで国内搬入(中央日報) 

 中央日報は、「壬辰倭乱(文禄の役)、植民地時代に日本が略奪した「阿弥陀三尊像」など文化財的価値が高い高麗時代の仏画6点が、窃盗犯 によって国内に搬入されていたことが、検察の調査で分かった」と伝えている。

 事実、これまで所在が確認されてきた高麗仏画は百三十数点であるが、韓国内には十三点しかなく、欧米の十七点を除けば、残り百点以上が日本 にある。多くは日韓ともに高麗仏画への関心が低かった日本統治時代に日本人が廉価で買い取ったものだが、韓国では“壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)や日帝 強占時期(韓国併合時期)に日本に略奪されたもの”と信じられている。

 このため、インターネット上では、この窃盗が愛国かどうかの論争が起こり、「窃盗犯たちに一億ウォン(約一千万円)の罰金を科して、褒賞金として十億 ウォンを与えるべきだ」という主張まで出回った。

 しかし、検察側は、

(1)犯人が盗んだ四十七点のうち五点だけが高麗仏画だった。
(2)犯人が一億一千万ウォン(千百万円)で阿弥陀三尊像を骨董品商に売却した。
(3)日本でも盗んだ古書画の一部を処分して金をもうけた。

ことなどから、犯人の「愛国窃盗」論は弁明にすぎないと見ている。

 事実、犯人たちは、2002年の鶴林寺(八点窃盗)だけでなく、1998年に大阪の叡福寺(三十二点)、2001年に愛知の隣松寺(七 点)でも文化財を盗んでおり、多くは日本で処分されている。問題の仏画にしても、最初は鶴林寺側に売り込もうとして失敗し、その後に国内で安く販売した ものである。

 また、問題の高麗仏画は、1477年と1700年に修復された記録があり、韓国で報道されたように壬辰倭乱(1592)や韓国併合時期(1910)に略 奪されたものではなく、鶴林寺は聖徳太子が韓半島から渡来した恵便法師から教えを受けるために建てた寺であり、その後も半島の宝物がもたらされるなど韓国 とのゆかりが深い寺であることから、早期の冷静な解決が望まれる。


■ 掛け軸窃盗の男に懲役2年 韓国、「日本の略奪」否定 (2005年1月26日)

 兵庫県加古川市の鶴林寺から2002年に「絹本著色阿弥陀三尊像」(重文)を盗み、韓国に持ち込みんで売却した韓国人2被 告の判決公判で、ソウル地裁は主犯格の男に懲役2年、共犯の男に同1年の実刑判決を言い渡した。

 主犯格の男は「豊臣秀吉が文禄・慶長の役で日本に略奪された文化財を取り戻すため盗んだ」と主張したが、判決は「記録により、日本が略奪したものではな い」と断定し、「盗品を売った点などを勘案すると、愛国心を根拠にした犯行とは認められない」とし、愛国的行為との主張も退けた。

 掛け軸は第三者の手に渡って大邱市の寺院に寄付されたが、鶴林寺側では返還を求める訴訟を韓国で起こしている。


● 韓国で盗難文化財数百点を堂々と展示(2006年10月20日)

 韓国で全国のお寺や古宅、書院などで盗難にあった文化財を購入し、個人的に保管するか、私設博物館に展示して来た博物館長、人間国宝、書道家、画家などが警察に摘発され、516点の文化財が押収された。

 書道家であり、古美術品収集家でもある某氏は、昨年1月、文化財窃盗犯から統一新羅時代の石塔の基壇石6点を購入したのを始め、今までに違法に購入した白羊寺阿弥陀極楽会上図、海南大興寺四天王図、全羅南道羅州仏会寺所有の梵鐘、慶尚南道昌寧観龍寺霊山会上図などの仏画や朝鮮時代の木版など計240点のうち140点余りを京畿道のM博物館の館長に渡し、保管、一部を博物館に展示していた。

 また、人間国宝であるH博物館の館長は、1990年代初めから最近まで、全国各地の寺刹、古い住宅、書院などから盗まれた文化財計252点を専門の窃盗犯や美術商などを通じて購入した後、保管してきたとされる。


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こんな奴らに対してビザなしなんて狂ってるよ、害務省
下らねえ、韓国からの観光収入より、武装すり(強盗もしくは強盗予備、事後強盗)
や強盗、強盗殺人、強姦、空き巣、窃盗、ムクゲ無断植付け、蒔き付け
などの犯罪被害にあった人の心情を大切にしてください。
中には一生癒えぬ心の傷を負った人もいるでしょう。
国民の安全と財産を第一に有害な政策を撤回して下さい。



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