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今日ボクが見た風景

韓国の反日・マトモナ韓国人と異常な日本人

Category: 韓国・朝鮮  
韓国の「世界から日本海を抹殺する運動」のCM



韓国の映画館で流れる反日CM



【韓国】反日運動に異論を唱えるソウル大教授



大谷さん 慰安婦と被害者ぶってる売春婦たちの証言は二転三転してますよ
あれが「嘘」でなかったら ボケによる「妄言」です
そんな常識的判断も出来ないのなら公共の電波使ってモノ言うの止めて貰えませんか
甚だ迷惑です
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アキノ大統領「頼れる友は米国と日本」

Category: 中国  
【南沙諸島紛争】フィリピン「アメリカさん日本さん助けて・・・中国怖いお・・・」

$今日ボクが見た風景



フィリピンが中国との領土紛争が激化、アキノ大統領「頼れる友は米国と日本」

中国とフィリピンとの南沙諸島(スプラトリー諸島)をめぐる領土紛争がエスカレートしており、双方ともに 対抗措置をちらつかせ、一発触発状態に陥っている。ボイス・オブ・アメリカ(VOA)中国語サイトが伝えた。

フィリピン政府は5日、国連に抗議文書を提出した。中国は2009年、南沙諸島を含む南シナ海全域の領有権を主張する文書を国連に提出したが、これは国際法上の根拠が無いものだと主張している。南沙諸島や周辺の南シナ海はフィリピン固有の領土だという態度をあくまでも崩さない姿勢だ。

アキノ大統領は9日、「わが国の安全と主権が脅かされた時、米国と日本以上に頼りになる友はいない」と、領土紛争問題上の中国の脅威から日米両国が守ってほしいとアピールした。フィリピン国軍と米軍が15日に実施した第27回合同軍事演習は、過去最大規模の野戦合同演習となった。また、フィリピン政府は南沙諸島周辺海域の陸・海軍力増強に向け、約1億8400万ドルを追加投入した。

中国側も負けずに反撃に出た。外交部は7日、南沙諸島は中国固有の領土であると強硬な態度で主張、フィリピン側の主張を真っ向から否定した。14日には中国も国連に文書を提出、フィリピンが1970年代以降、中国の領土である南沙諸島に侵入を続け領有権を主張していることを非難し「フィリピンの主張は一切受け入れられない」と強い態度を示した。




中国のしたこと↓





N.H.K. (日本反日協会)に出演の中国の主張↓



「中国は他の国の領土を占領した事はありません」キリッ - 温家宝 ← うそつき



日本は中韓以外のアジア諸国には凄く冷たく接するよね ...
親日の国は真実を知っているからね


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中国では「大屠殺」と言う、なぜか?

Category: ブログ  
中国人漢民族 食人習慣カニパリズム


 「虐殺派」の人々は中国の文化や習慣について全く知らない、と言っても間違い無い。
 例えば日本では「大虐殺」と言うが中国では「大屠殺」と言う、なぜか? これこそ、日本と中国との文化の違いを端的に物語っている。
 
 処刑一つにしてもその国の文化があるのだ。


 例えば世界広しと言えども「切腹」{すかさず「介錯」(断頭)するのは日本人だけである

日本では成るべく痛みが無い処刑方法を取り、身体的に苦痛を避ける手段を取りたがる。


 それでは中国人ではどうか?
 ここで「通州事件」昭和12(1937)年7月29日の事件について述べてみよう。

(通州事件の詳細はこちら)


 親日的な方針をとっていた黄東政府が南京のラジオ放送(ウソをつく事で有名だった)の謀略により、

突如として日本人を襲い260名もの日本人民間人を虐殺した通州事件を例にしてみる。


 通州にいた通州の日本人居留民に中国保安隊と暴民が襲いかかり、略奪、暴行のあげく、

婦人・子供を含む日本人2百余名が虐殺された事件である。


 事件は真夜中に起きた。
 中国の保安隊はまず日本の特務機関を襲い、応戦した細木中佐と甲斐少佐を銃殺し、

喊声をあげて日本人街になだれ込んだ。
 日本人住宅を襲い、略奪・暴行をほしいままにして、婦女子を含む260人の日本人を

城壁のところに連行し、そこで皆殺しにした。


 見るも無惨な殺し方であった。
 街の中央にある日本人旅館近水楼を襲った中国兵は、銃声を放って闖入(ちんにゅう)し、

数十人の日本人客や女中を惨殺した。


 ある者は耳や鼻を削がれ、乳房を削がれ、ある者は鉄線で数珠つなぎにされて池に投げ込まれた。


 中国人の言う「屠城」による「屠殺」そのままであった

(「日本人が虐殺された現代史<新人物往来社刊>参照)。



日本における屠畜、屠殺(とさつ)の歴史 [編集 ]

1867年(慶応3年)5月、外国人に牛肉を供給していた中川屋嘉兵衛が、江戸荏原郡 白金村に屠牛場を設立したが、これが日本における近代的屠場の最初であろうという。明治 以降、屠場を設立する者の数は増え、日露戦争の時には全国で約1500を算えた。しかしその設備の不完全、また衛生上、保安上改善を要する点が多く、1906年(明治39年)に屠場法 が制定された。

日本国内における牛馬の屠殺は、その歴史的な経緯から不浄な行いというイメージも付きまとい、そこには食用家畜を単なる消費という、他の肉食文化では日常の延長に存在した行為として位置づけられず、専ら被差別階級の人々が行ってきたことという解釈がなされることが多い。(ウィキペディアより)


 

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ついでに支那人の 「食人習慣」について述べよう。
 「有名な『三国志』の中で、曹操に敗れ、味方にはぐれた玄徳をかくまった若い主人が、新妻を殺して『狼の肉です、召し上がって下さい』と言って歓待し、玄徳は知らずにこれを食べたが、翌朝別れを告げ発つとき妻がいないことに気づき台所へ行くと妻の死体が横たわっていた。『ああ、これほどまでに我を大切にしてくれたか、ありがたい。』という話がある。このくだりは、三国志の中で最高の美談として中国人が愛読し、語り継いでいる。
 しかも、昔の中国の城は都市そのものだったから、強敵が攻めてきたときは、軍隊も市民もすべて籠城する。そして、戦争が長引き食糧が無くなると軍隊が市民を食べ始める。
 あの、孔子でさえ、人肉の醢(シシビシオ、ただの塩ずけでなく、干して麹を混ぜ上 等の酒に漬けて密封して100日で出来上がり)が好物だったことはあまりにも有名。
 とても、日本人の想像の及ぶ所ではない。(「体験的慰安婦の生態」全貌社 鈴木博雄著より)下段2枚の写真はあるHPでは「おつまみとして食べた」なんて解説している。
 この支那人(中国人)による食人習慣は文化大革命時の内容を書いた本にも当時の中国(支那)人の「食人」をどうやったか度々良く出てくる。
 いかにも、日本兵がやったように錯覚しそうな表現を用いているが以下は全て中国人によるものである。
 ついでにこういったニセモノ写真を用いようとする「虐殺派」の中心人物達の本、「南京大虐殺の現場へ」という「洞富雄、藤原彰、本多勝一」著がありそれら写真について述べている。
 本著221ページ掲載の呉氏が拾ったという写真7枚について述べると、「呉さんが断定した7点の写真は即「南京事件の証拠」とすることには大きな危険があると言わざるを得ない」と言ったのち、「南京事件の写真であるかどうか「不明」ということが南京事件の写真でないということにはならない、だから南京事件の写真だと言ってもさしつかえないとする論法もなくはないらしい」との事。
 つまり、「虐殺派」でさえも写真を証拠として用いることは余りにもずさんだが使ってもいいじゃない。
 と言いたいらしい。(笑)
 以前、インターネット上で否定論を展開していたNと言う人物が「洞富雄等の本を読む義務があなたにはある」と言ったので読んでみたが、よく「虐殺派」はこれらで「南京事件はあった」と言い切れるもんだ。(笑)
 いや、感心するね。
 たしかに、「南京大虐 殺」について全く知識のない者にとっては信じやすいと思うが、われわれ「研究者」にとって「バカにするな」と言いたくなるような資料ばかりである。
 先日「南京の真実」講談社が出版されたが、その本の中にも「20万の非戦闘員」(63ページ)と南京の人口を書いているし、虐殺数は「およそ5~6万とみています」(317ページ)と書いている。
 どこかのHPでは「南京では34万人が虐殺されている」とか主張しながら、一方では、「南京の真実」がその証明だ!なんて主張を行っている。
 はっきり言って矛盾している。
 「虐殺派」はとにかく矛盾していようが何だろうがとにかく「虐殺」はあったと証明出来そうなものは何でも宣伝し、検証は一切行わない。
 「無かった証拠」は無視し、黙殺する。
 「ビデオ (平成7年に発見された当時の南京城のドキュメント)」が良い証拠。
 以前、田中正明氏が一橋大学に招待されたとき藤原彰は討論会から逃げた。
 笠原十九司藤岡信勝教授との討論日にあえて討論を行う事を避けた。
 なぜか?実は以前田中先生と奴らの大ボスである洞富雄が直接討論した時に洞(「ほら」と読 む)がこてんぱんにやられたのを見ていたのでこれら「虐殺派」は絶対に「否定派」とは直接討論はやらない。
 しかも、全然論理的に証明はしない(そりや、そうだ。無かったモノをあったと言っている訳だから)。




戦前、憲兵学校で中国語を学び、天津特務機関に着任していた人の回想録に、

着任後の語学能力向上と、中国の文化生活風俗に慣れるための河北・山東省の

旅行をしたときのことが書いてある。

ある町で、中国の軍閥に捕まった強盗匪賊の処刑場面に出くわした。
捕まった匪賊が縄で縛られ、首を切り落とされ、

東部から鮮血が噴出したまでは何の感情もなく見ていたが、

次の瞬間に目にしたものは衝撃だった。

処刑を見ていた婦女子たちが、首が切り落とされると同時に、
手にした竹棒の先端につけたマントウを鮮血のほとぼしる首に近づけ、

マントウを血に浸し、嬉しそうに頬張るのであった。

衝撃を受け、傍らにいた中国人に訳を聞くと、河北地方では
人間の血をすすると、健康と美が維持されると考えられているとのこと。


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「日本人としての誇り」三島由紀夫

Category: 自衛隊  


自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛­隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大­なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされ­なかった」「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめ­て軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復­するであろう」「諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的に­は日本からは来ないのだ。…アメリカは真の日本の自主的軍隊が日­本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自­主性を回復せねば…自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであ­らう」

三島由紀夫は劣化し腐敗した「日本人の未来の姿」を的確に予見していました。現在の多くの日本人の心の中には「日本」・「日本人としての誇り」が失われ、あらゆる醜い欲望­が崇高な精神よりも優位に置かれ、重視されているのです。「自分が良ければ、国がどうなってもいい。」となってしまいました。これではシナ人と変わりありません。

尖閣諸島・延坪島・北方領土・竹島などで起きていることは「侵略者による挑戦」以外の何物でもありません。そして沖縄・日本本土にも反日民族による浸食が開始されている。­三島氏が「盾の会」を結成した様に、日本人全員が「日本」を守るべく立ち上がる時が来たのかもしれない。
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通州を知れば南京の嘘が見える

Category: 中国  
シナ人兵が暴虐の限りを尽くした通州事件から70年から経った

女性や子供までもが標的となった虐殺の現場とは…

シナ人特有の非道な殺害手法は南京の捏造宣伝を解き明かす

支那駐屯歩兵第二連隊の桜井文雄小隊長は、信じられない光景を目の当たりにした

「『日本人は居ないか』と連呼しながら各戸毎に調査してゆくと

鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆


腹部を銃剣で刺された妊婦等の屍体がそこここの埃箱の中や壕の中などから続々出てきた

ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた


婦人という婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されて居り、全く見るに忍びなかった


これは兵士が垣間見た惨状のごく一部である

盧溝橋事件から約3週間後にあたる昭和12年7月29日

シナ人による凄惨極まりない日本人虐殺が起きた

歴史教科書から抹殺された通州事件である

日本人約380人が暮らしていた狭いエリアの中で、実に260人が犠牲となった…

武装したシナ人の群れは、駐屯する我が軍の関係施設を攻撃しただけでは収まらず


居留民の家をすべて襲撃。略奪・陵辱・惨殺など残虐の限りを尽くした

人のなせる業ではない

それらの残忍な行為は、中共が捏造する虐殺ストーリーと重なる

つまり、戦後に脚色した“南京の惨劇”なるものが

シナ人の処刑スタイルそのままであることを皮肉にも浮かび上がらせる…



【本当の“屠城”は通州城にあった】

通州は現在、北京市内の一区であるが、事件当時は別の行政区であった

位置は、北京中心部から約20キロの地点だ

通州は古くからある街だが、事件が起きたのはごく限られたエリア内だった

城壁に囲まれた通州城の中で悪鬼のごとき残虐行為が長時間に渡って繰り広げられたのだ

中共は南京捏造ストーリーで「屠城」なる言葉を用いでたらめな宣伝を続けている

城門を閉じ、その内部で殺戮が行なわれたとする物語だ


だが、実際の「屠城」とは正に通州城の中で起きていた

更に、記録から修羅場を俯瞰してみよう…

事件発生翌日の7月30日午後、現場に入った天津歩兵隊の萱島隊長は、こう語っている。



「旭軒(注:飲食店)では四十から十七~八歳までの女七~八名が皆強姦され


裸体で陰部を露出したまま射殺されて居り、その中四、五名は陰部を銃剣で突刺されていた。

商館や役所に残された日本人男児の屍体は殆どすべてが首に縄をつけて引き回した後があり


血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった」

とりわけ凄惨を極めたのが、通州城北門近くにあった旅館・近水楼だったという

第二連隊歩兵隊の桂鎮雄隊長代理は、数少ない目撃者だった

近水楼入口で女将のらしき人の屍体を見た

足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった

本人は相当に抵抗したらしく、きものは寝たうえで剥がされたらしく

上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する


陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱していた

帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、掠奪の跡をまざまざと示していた

女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの屍体があり、全部もがいて死んだようだった」


また桂鎮雄隊長代理は、猟奇的な殺害の跡も目撃している

「一年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の女の屍体があった

その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されていた

子供は手の指を揃えて切断されていた

南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の屍体が路上に放置してあったが


胸腹の骨が露出し、内蔵が散乱していた」

内蔵引き出しや陰部突刺などはシナ人特有の残虐な処刑スタイルだろう

その中でも特異な「胸腹部断ち割り」という

残虐な殺害方法を前述の桜井小隊長が目撃している

「陰部に箒(ほうき)を押し込んである者

口中に土砂をつめてある者

腹を縦に断ち割ってある者等、見るに耐えなかった。

東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせてそれに八番鉄線を貫き通し

一家六名数珠つなぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった

池の水は血で赤く染まっていたのを目撃した」


数珠繋ぎにして引き回した上での殺害は、各所で行なわれていた

旅館・近水楼でも女中ら殺戮のあと十数人の男女従業員と宿泊客が麻縄で繋がれ

銃殺場に連行された

その日本人大量処刑の模様は、発生直後には確認できなかったが

当日偶々宿泊していた同盟通信社の安藤利男特派員が命からがら城外へ脱出

後日になって蛮行が明らかになった

しかし、なぜ安全だった筈の日本人居留地で

シナ人武装勢力の蛮行を許してしまったのか


誰も虐殺の嵐を食い止める者は居なかったのか…

そこに通州事件の計画性を見て取ることが出来る




【不安定だった北支の勢力地図】

日本人居留民を襲ったのは国民党軍ではなく、

冀東防共自治政府の保安隊と武装した黒服の学生団だった


当時の華北の状況は複雑だが、それが事件を引き起こす重要な背景でもあった

満州事変は昭和8年5月の塘古(タンクー)停戦協定をもって紛争状態に一応の終止符を打つ


これによって満支の境界が明確になる一方、広大な非戦区(緩衝地帯)が設けられた


国民党にしても北支の軍閥を抑え切れず、極めて不安定な状況だったのだ

その中で昭和10年11月、非戦区内地域の実力者で

日本寄りの殷汝耕(いん・じょこう)が通州で自治宣言を発表


年末には冀東防共自治政府が誕生する

通州のすぐ西側には冀察政権

冀察とは河北省と察哈爾(チャハル)省を指す

ちなみにチャハルはモンゴル人の有力部族である


この冀察政権(政務委員会)は

南京政府の行政院直属機関であったが蒋介石の影響力は弱く

かつて馮玉祥の部下だった宋哲元(そう・てつげん)が支配していた

そうした政情不安な北支で盧溝橋事件が起き、地域は一気に騒然となった…

通州事件直前の7月25日、26日には我が軍への攻撃が相次ぐなど一部で戦闘が勃発



廊坊・広安門事件である



そして28日には天津で大規模な衝突も発生

通州の日本守備隊も北平(現・北京)南部の南苑に主力を送っていた
通州城一帯に残っていたのは、藤尾小隊40人、山田自動車中隊50人などで

憲兵を加えても110人程度だった

「武力の空白」が生まれていたのだ…

【10倍規模の兵力が未明に襲撃】

7月29日未明、冀東防共自治政府の保安隊が通州城内の日本軍民に突如攻撃を仕掛けてきた

奇襲である

しかも保安隊は本来、友軍に等しい存在だった

隙をついた“寝返り”である

保安隊はまず長官公署を襲い、親日派とされる殷汝耕を拉致

続いて残留する守備隊に集中砲火を浴びせた

その時、守備隊には重火器がなく、軽機関銃・小銃・手投げ弾などがあるのみだった。

襲撃してきた保安隊は千数百人の兵員規模を有し、また重装備でもあった

冀東保安隊は設立以来、機関銃や野砲まで備え

保安隊という名称からは想像できない程の戦闘能力を備えていたのだ

日本守備隊は敢然と応戦したが、10倍規模の武装勢力を前になす術なく

居留民を守ることは到底不可能であった

また城内には通州特務機関のメンバーもいたが、一個中隊規模の保安隊兵に襲撃され

2人の少年給仕を含む機関員全員が壮絶な最期を遂げた


居留民を守る勢力が壊滅する中、シナ人兵は城内で蛮行の限りを尽くしたのである

修羅場から脱出できた者はごく僅かで、正に「屠城」と呼ぶに相応しい光景であった

日本守備隊の主力が奇襲攻撃を知って通州城に帰還したのは


発生から丸一日が経過した30日で、時すでに遅く、城内には目を覆う惨状が広がっていた…

戦後の歴史からは抹殺された通州事件だが、当時は陰惨な事件の概要が国内に伝わるや



日本国民は憤慨し「シナ討つべし」の世論が澎湃と巻き起こったという。

無抵抗の婦女子までを残忍に殺害したこの事件が、その後の日支紛争に与えた影響は大きい

一方で、なぜ友軍であったはずの冀東保安隊が、日本居留民を襲撃するに至ったのか?


【事件は計画的な叛乱だった】

通州事件は、冀東保安隊の兵舎が日本軍機によって誤爆されたのを受けて叛乱を起こした、

との説がかつては有力だったという


シナ人の蛮行をも日本の責任にする自虐史観

事件2日前の7月27日に誤爆が発生している



通州の宝通寺エリアには第二十九軍の部隊が常駐していた

我が軍は宝通寺部隊一掃のため攻撃を加えたが、

その際、支援に来た関東軍の爆撃機が誤って冀東保安隊幹部訓練所に爆弾を投下

数名の犠牲者を出す不幸な事態が起きた

しかし、誤爆を知った通州特務機関の細木機関長は、冀東政府の殷汝耕を訪ねて陳謝



さらに誤爆現場に急行して弔意を示し

28日には保安隊幹部に対し状況を説明・釈明し、慰撫に務めている

この誤爆が大規模な組織的行動に繋がったとする説は元々根拠が薄かったが


戦後になってシナ側の資料で準備周到な蜂起であることが判明した

冀東保安隊第一総隊の張慶餘(ちょう・けいじょ)は『冀東保安隊通県始末記』などで


事件が第一総隊と第二総隊(総長・張硯田) による計画的行動だったことを明かしているという

保安隊のトップは明代からの秘密結社・哥老会(かろうかい)を通じて冀察の宋哲元と極秘会談を行い

叛乱の機会を窺っていたのだ

また同時に、国民党の謀略宣伝機関「南京放送」が繰り返し

日本軍壊滅の偽情報を流していたことも一般兵員の動揺を誘ったと見られている

我が軍が冀東保安隊内部の不穏な動きを察知できていなかったことは、明らかなミスだ

しかし、華北の状況が不安定である事実は周知だった

それは他方で、偶発的に盧溝橋事件で紛争に巻き込まれたことを逆説的に裏付けているだろう



【通州を知れば南京の嘘が見える】


我が国の有志の中でも、南京を語る際に
反論の手段として通州事件を取り上げるケースが見受けられる

シナ人兵の鬼畜ぶりを物語る通州事件をもって、南京捏造宣伝を迎撃するものだ

しかし、南京と通州はまったく次元が異なっている

南京攻略戦は正規軍による一大首都決戦であり、戦争史に残る激烈な城塞陥落であった

一方で通州事件は、隙をついた叛乱兵による残虐な事件である

「通州事件があったから南京事件が起きた」とする意見は

敵側捏造宣伝の土俵に乗るものだろう


通州事件の“重要性”は、そこに垣間見られた猟奇的な良民殺害の手法だ

南京プロパガンダで振りまく“日本鬼子”の所業なるものは


すべて通州において表面化していたものだった

例えば「鼻に針金を通して引き回す」などの蛮行は、旧来の我が軍にはないもので


シナ人の伝統的な陵辱スタイルであることは明確だ

中共は南京捏造で様々な「残虐性」を考案しているが、それらはシナ人の伝統に源している。

南京の捏造残虐ストーリーとは、通州事件で実際に起きた惨劇の裏返しだ


そのモデルケースとして、すべては通州で“再現”されていた…

通州事件の惨劇を知ることは、南京プロパガンダの嘘を透視するうえで極めて重要である。



【シナ人特有の猟奇的な殺害方法】



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被災地に跋扈する不気味なアジア人

Category: 日本の病原  

トウホク食い荒らす?被災地に跋扈する不気味なアジア人


東日本大震災の被災地に今月初め、中国漁船衝突事件をめぐる映像流出事件で起訴猶予処分となった一色正春元海上保安官が同志とともに緊急物資支援に出かけていたことが分かった。津波がすべてを破壊し尽くした被災地で、支援団一行は、得体の知れないアジア人に遭遇したという。

 一色氏は昨年11月、沖縄・尖閣沖での中国漁船衝突事件の真実を国民に知らせるため、衝突映像をインターネットに流出させた人物。

 直後に名乗り出て、国家公務員法(守秘義務)の任意聴取を受ける。同年12月に海上保安庁を依願退職し、今年1月に起訴猶予処分が決定。2月には告白手記「何かのために」(朝日新聞)を出版し、最近は講演活動も行っている。

 物資支援団には、一色氏のほか、元警視庁捜査官でノンフィクション作家の坂東忠信氏や元仙台市長の梅原克彦氏、チャンネル桜の水島聡社長など約10人が参加。避難所に食料品や日用品を届けるため、トラック2台とワゴン車、乗用車の4台に分乗して、4月2日朝に被災地に向かった。

 翌3日午前、津波で壊滅状態となった岩手県陸前高田市に到着。がれきの山の前で車を止めて、外に出たところ、支援団の1人が得体の知れない中年女性に会ったという。坂東氏は語る。

 「メンバーの1人が声をかけると、中年女性はたどたどしい日本語で『ココからココまで、ワタシの家だったのに、みんな壊れたよ!』と訴えたというのです。アジア人なのは間違いない。表情に悲壮感はなく、乗っていた車は多摩ナンバー。みんなで『怪しすぎる』と話しました」

 一行が連想したのは、戦後の混乱期、一部のアジア人が持ち主がよく分からない土地を不法占拠したこと。大惨事の影で、土地収奪などを狙っている者がいるとすれば大問題。陸前高田市の避難所に支援物資を届けた後、この話をボランティアの地元男性にすると、「多摩ナンバーのアジア人などあり得ない」と驚いていた。

 その後、支援団は岩手県大船渡市と石巻市にある避難所を回ったが、途中、銀座を闊歩するような高級な服を着て、被災地にたたずむ老夫婦と会った。メンバーが「どちらからお越しですか?」と声をかけると、無視して立ち去ろうとする。重ねて聞き返すと、「カナガワ!」とだけ答えた。発音は明らかに日本人ではなかったという。

 坂東氏は「ともに不自然なのは間違いない。国籍に関係なく、犯罪は許されない。被災者らが自警団が結成しているというが、新たな苦難を背負わせるのは忍びない。政府主導で対応してほしい」と話している。




戦後間も無く駅前の一等地を略奪した民族の子孫か・・・

厳しく取り締まりバカな主張をする者は錘をつけて海に沈めろ




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朝鮮進駐軍

Category: 在日・パチンコ  



真実はここにあるよ


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李完用侯の心事と日韓和合

Category: 韓国・朝鮮  

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李完用


「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、

とても独立国家としての体面を保つことは出来ない。亡国は必至である。

亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。



欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はちがう。

日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らない
が、これは朝鮮人を同類視しているからである。

そして、日本人は朝鮮人を導き世界人類の文明に参加させてくれる

唯一の適任者である。



それ以外にわが朝鮮民族が豚の境涯から脱して、

人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。

我輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を基に考察したのだ。

                 

李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」








欧米諸国が見た日本に併合していただくまえの韓国人(朝鮮人)
朝鮮の事々物々はことごとく低級である。貧弱である。劣等である。

イギリス旅行家 イザベラ・ルーシー・ビショップ夫人
                    「三十年前の朝鮮」




朝鮮人は一般に頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは彼らが
いまだ浸っている未開性のせいである。

                ダブリュイ主教「朝鮮事情」




朝鮮人は、自己の知的水準を引き上げ、精神世界を拡大しようとする努力が
あわれにもないのに、社会的地位を高めようとする激しい欲望だけはある。

                 ホーマー・ハルバート「朝鮮亡滅」




 こんな残酷な拷問がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在
そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じ
るべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問
を廃止するだろうということだ。

     スウェーデン人 アーソン・グレブスト  「悲劇の朝鮮」




韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは
 中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。
 
           「アメリカの鏡・日本」 ヘレン・ミアーズ






 1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」した
からだった。パールハーバー(真珠湾攻撃)以前は、日韓関係について
語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かい
ころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。トリート教授に
よれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた
そして宣言ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである」。
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」
手続きを踏んでいなかった。

           「アメリカの鏡・日本」 ヘレンミアーズ 著






 日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシア
と戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れて
しまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、
それに促されて行動したのだ。日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」
を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていた
のはすべて、韓国政府と締結した条約にもとずくものである。

           「アメリカの鏡・日本」 ヘレン・ミアーズ 著





泥水とくそだらけだった併合前の世界一不潔な町ソウル

 「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(糞)が場所
 も嫌わず狼藉と咲き乱れて居て、足の踏み場もなく、潔癖者は一見其不潔
 と臭気に驚くのだ。
 現にこの国の中央都会の地たる京城(現在のソウル)の如き、一名を真の
 帝都と綽名されて居る程で、至る所人糞あるいは牛馬糞を見ざる無で、粉々
 たる臭気は鼻を襲い眼を顰める者とてない。
 そこで京城市内を流れて居る川の如き各戸より、排泄する糞尿を混じ、この
 水は一種の黄色を帯び、ドロドロになって居るなど、実に眼もあてられぬ光景
 で洗濯などに使って居る。なんと鼻持ちならぬ話ではないか。
 毎年夏になると伝染病が流行し、その伝染病に罹る患者の多くは韓人で、非常
 なる大流行を極め何千人を驚かすは珍しくない」

                    細井肇 「漢城の風雪と名士」




「日本に併合される前の朝鮮は地獄であったといってよい。」


玄永燮「朝鮮人の進むべき道」より
無政府主義者 ソウル大学卒
   現ソウル大学 大日本帝国が創設した旧京城帝国大学



「朝鮮人は正気を失うほど激しく怒る。自分の命などどうなっても構わない
ような状態になって、牙を剥き出した動物へと変身する。口から泡を吹いて、
まるで獣のような顔になるのだ。残念な事にこの怒りの衝動、自分を見失っ
てしまう癖は、男だけの専売特許ではない。朝鮮の女性も恐ろしいばかりの
ヒステリーを撒き散らす。朝鮮人は幼い頃から自分の気分を制御する事は躾
けられないようだ。子ども達も大人たちを見習って、気に入らなければそれ
こそ狂ったように駄々をこねるが、結局自分の意志を貫いて達成するか、
さもなければ長い時間をかけて沈静させる事で落ち着くのである」

      H・B・ハルバード 著書「朝鮮滅亡」



 日本による善政統治の以前はは暗黒の差別社会、奴隷社会であった韓国《朝鮮人》

 「又個人的随意契約により若しくは父母に売られて奴隷となるもありて、
世襲奴隷と一時的奴隷とはその間厳重なる差違を存し、
世襲奴隷の子女は常に奴隷となり、
主人の承諾を得るにあらざれば絶対的にその自由を回贖するを得ざるも、
一時的奴隷の子女は多くの場合において解放せられ、
その奴隷自身も犯罪により奴隷と為りたるものを除くの外は、
主人の意に反すとも一定の金額を納めて自由の身となることを得るなり。

世襲奴隷は常に全く主人の専有物と見なされ、
主人は之を売買し、貸与し、贈与しその他すべて随意に之を処分することを得。」

                      シャルル・ダレ


 シナの属国の中では沖縄よりも低い地位だった朝鮮!

 そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であった。
 天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色
 の丸首の衣である。
 また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じ
 られていたこと、「渓陰漫筆」に書かれている。そして、李朝時代の臣民は琉球以下の
 扱いを受けたと嘆いている。

        「韓国は日本人が作った」 黄文雄 徳間書店



李朝末期のソウルの様子

   「二十五万の同市民は地上に瓦または藁を並べた一階屋の下に潜り込んで
    生活している。いや、不潔な道路に蠢動していると形容したほうがよい
    だろうか。その道路は広くとも二頭の馬が並ぶことができない。狭いと
    ころで一人の荷を担いだ者が往来を塞いだほどである。路傍には悪臭が
    芬々とする溝があり、路面は垢まみれの半裸体の子供と獰悪な犬によっ
    て占領せられている」

   「市街の中心を西から東へ流れる下水道は、市内の汚水を夜に昼に絶えず
    城外に排泄している。そのために下水道の泥は真っ黒で幾世の昔からの
    濁水によって染められ、悪臭を空中に放散して旅人を悩ましている」

        「三十年前の朝鮮」   イギリス人旅行家ビショップ夫人




次いで死刑の執行を見た。囚人は足を縛られ、腕は両脇にしばられ少しも身動き
できぬようになっていた。囚人の脚の内側に棒を挟んで、執行人たちは自分の体
重のすべてを棒の片端にかけた。囚人が続けざまに吐き出す声は聞いていて実
に凄絶なものだった。脚の骨が砕けつぶれる音が聞こえると同時に、その痛さを
表現する声さえもはやないかのように、囚人の凄絶な悲鳴も止まった。

気絶した囚人はややあって意識を取り戻した。力なく首を左右にゆすりながらうめき
声を出し、その場に身を横たえている。執行人らは囚人の腕の骨と肋骨を次々と
折ってから、最後に絹紐を使って首を締めて殺し、その死体をどこえやら引き摺って
いった。  (略)
           
こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間そのものへの挑戦
である。とりわけ私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が
朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃するだろうと云う事だ。   

         グレブスト「悲劇の朝鮮」 スウェーデンのジャーナリスト






朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪して
いる.その上、人民はあまりにも愚昧(愚か)である。これでは国家独立の資格はなく、
進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。
伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。

       アメリカ人の朝鮮外交顧問  ドーハム・スティーブンソン





わが国の歴史は極端にいうと、同族殺し合いの歴史でした。三韓時代がそうであ
 り、三国時代もそうであり、朝鮮王朝時代における党争も法治の枠を超えたもの
 でした。いつも不安な政情だったのです。誰もが自分を陥れる投書を一通投げこ
 めば、破滅です。どこでだれが自分を陥れるために剣を磨いているか分からない。
 枕を高くして眠ることもできないのです。/日本社会でも上下の階級はあったが
 彼らは下人を使う前に下人の生活は徹底保障してやりました。しかし、わが国で
 は、とくに朝鮮王朝時代には、両斑が常民を保障するどころか、収奪していました。
 壬申倭乱(豊臣秀吉公の朝鮮征伐)のとき、倭の側についた叛徒が大変な数にのぼった
 といいますね。王が避難するや叛徒が王城に火をつけ、はなはだしくは王をつかまえ
 て倭将(加藤清正公)に差し出し、地方官を鞭打って敵陣に引っ張っていった例もありました。
 解放後の事情にしても、恒心がもてないようになっているじやないですか。強要し
 なければ、互いに共同など思いもよらないのが、今日の現実でしょう。

               「月刊朝鮮」1982年8月号



中国革命の父孫文の歴史認識

「ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題
代弁者だった。他のアジア諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、その提案
に耳を傾けた。白人人種にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが
知能に違いはない。アジアには強い日本があるから、白人人種はアジアのいかなる人種
も見下すことはできない。日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけではなく、
アジア全民族の地位を高めた」

           中国革命の父 孫文  「三民主義」より



事実はこうである。例えば李氏朝鮮時代に我が国を訪れた外国人が
書いた文章を見てみよう。その時からすでに韓国人たちは自分勝手で、
不正が横行し、共同体意識はこれっぽっちもなかったと記録されている。
正しい教科書を作るなら、「かって外国人はこう言った。確かにわが
民族はこれこれの悪い点があるから、今後改善しなければならない」と
しなくてはならない。
もともと韓国人が平和的な良い心の持ち主だという描写も誤りである。
教科書には、わが国は、よその国を侵略する意思を持ったことがなく
困った時はお互い様と、助け合いながら生きてきた「白衣の民族」、
「純白の清潔さ」を持ったという感じで書いてある。
ほんとうだろうか。
私は、まず、ある民族が良い民族か悪い民族だとかいう分け方が
馬鹿げていると思う。どの国の民族だろうが、人間腹が減れば乱暴
になるし、逆に衣食住が足りれば寛容になるものだ。
韓国がよその国を侵略しないで、おとなしくしていたのは、別に
平和的民族だったからではない。そうせざるを得ない歴史的背景が
あったからだ。/また教科書で、あるものを「韓国の伝統」だと
讃える前に、本当に自分たちのものなのかどうかを疑ってみるべきである。
その端的な例がテコンドーと亀甲船だ。テコンドーは新羅時代にまで
遡る伝統武芸として知られている。しかし、一部ではその時代に
テコンドーの元になったといわれる「テクキョン」なる武芸とテコンドー
とは辻褄が合わないと指摘されている。それよりも沖縄で発展した沖縄
空手がテコンドーに直接的に影響を与えたのではないかとみている人も
いる。/
つまり、テコンドーも亀甲船も、すべて韓国のオリジナルな伝統に基づい
ているわけではないが、教科書はそれを教えない。
まったく韓国の教科書はウソつきである。     
                 韓国《南朝鮮》の作家 李鍾學





汚辱と恥の自国史を燃やしていまい歴史を捏造、創造する韓国人 《朝鮮人》

 我が五千年の歴史はひと言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。
いつの時代に辺境を超え他を支配したことがあり、どこに海外の文物を
広く求めて民族社会の改革を試みたことがあり、統一天下の威勢でもって
民族国家の威勢を誇示したことがあり、特有の産業と文化で独自の自主性
を発揮したことがあっただろうか。いつも強大国に押され、盲目的に外来
文化に同化したり、原始的な産業のわくからただの一寸も出られなかった。
「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。
我々はただ座してわらを編んでいただけではなかったか。
自らを弱者とみなし、他を強大国視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、
この悪い遺産を拒否し抜本せずには自主や発展は期待することは出来ないで
あろう。
以上のように我が民族史を考察してみると情けないというほかない。全体的
に顧みるとただ唖然とするだけで真っ暗になるばかりである。
このあらゆる悪の倉庫のような我が歴史はむしろ燃やして然るべきである。

     「朴正熙選集」-我々は今何をいかになすべきか-  
      近代韓国の祖  朴正熙 韓国大統領 《元大日本帝国陸軍少尉》





◇新井白石の朝鮮観 (江戸中期の儒学者・政治家 1657~1725)

日本に送られてくる通信使は、日本向けには将軍の襲位祝賀をうたいながら、朝鮮の文献を読んでみると、
敵情探索を目的としている。これは恩義を忘れたものである。大体、朝鮮は信義のない国であって、
明が清に攻められた時も一人の援兵も送ろうとしなかったではないか。
「夫朝鮮狡黠多詐、利之所在、不顧信義、蓋○狢之俗、天性固然」(朝鮮人は狡猾でいつわりが多く、
利のあるときには信義をかえりみない。狢(むじな=タヌキの異称)の類の風俗は、
天性からしてそうなのである 「国書復号経事」)。




私は韓国で生まれて二十六歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲が
強制的に連行したといった話はいっさい耳にしたことがありません。

 また、私が『生活者の日本統治時代』で、インタビューした植民地世代の韓国人の誰一人として、
そのような光景を見たことも聞いたこともないといっていますにもかかわらず、
最近になってそうした話が出るなんて、まったくおかしなことだというしかありません。

 日本の左翼活動家が反日民族主義の活動家に入れ知恵して以来、
「そういうことがあったらしい」「そういうことがあったに違いない」「そういうことが事実あった」
というようにエスカレートしていったことは明らかです。

 こうして「従軍慰安婦」問題は、女子挺身他(女性の徴用者たち)と意図的に混同させられ、
大量の女たちが「従軍慰安婦」させられた、強制連行でそうさせられた、という物語がつくられ、
それがあたかも真実であるかのように韓国国内で信じられるまでになってしまったのです。
      
        呉善花「反日韓国に未来はない」




日本に併合される前の朝鮮半島はまさに生きる屍、停滞した墓場であった!

  日露戦争直後の1906年、「武士道」の著者であり人道主義者の新渡戸稲造が
  朝鮮半島を旅行している。
  彼は朝鮮人を「政治的野心に欠けた、かの脆弱な女性的国民」と評して次の
  ように述べている。

 「山野は実に墳墓に充ち、予の今過ぎる所の路傍にも土饅頭を列ねて、また、
  やがて埋葬されるべき棺を列ぬ。/(朝鮮衰亡の原因は)その国の気候に非ず。
  また、その土壌に非ず。かく死と密接なる国民は自ら既に半ば死せるものなり」

        「枯死国朝鮮」 キリスト教徒 新渡戸稲造 (国際連盟事務次長) 




北朝鮮と何も変わらなかった併合前の地獄の李氏朝鮮

 「朝鮮の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がな
くなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば
釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、
両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。両班の中で最も正直な者たちも、
多かれ少なかれ、自発的な借用のの形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺か
れる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、
いまだかって、ないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの
場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人も
いない。」

             マリ・ニコル・アントン主教



李氏朝鮮時代は虐げられた奴隷社会だった地獄の朝鮮(韓国)

 その中の「人間家畜の奴婢制度」という章の一節。
奴婢は品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。
かれらはただ主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても
犯しても売り飛ばしても、果ては首を打ち落としても何ら問題はなかった。

それこそ赤子の手を捻るように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具
にしたものであった。奥方たちの嫉妬を買った碑女は打ち据えられたり、
ひどい場合は打ち殺されることもあった。

外観だけは人間であるが主人の事実上の家畜と変わらなかった碑女たちは、
売却・私刑はもちろんのこと、打ち殺されても殺人にならなかったといい、
韓末、水溝や川にはしばしば流れ落ちないまま、ものに引っかかっている
年頃の娘たちの遺棄死体があったといわれる。局部に石や棒切れをさしこ
まれているのは、いうまでもなく主人の玩具になった末に奥方に殺された
不幸な運命の主人公であった。

  奴婢『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』(林鍾国、平凡社1987)




「朝鮮人は有力者になる、あるいは名声を博すということだけで、
 まるで逆上してしまい、ますます尊大な態度をとるようになる。
 朝鮮人特有のこの感心できない性向が、実は企業、あるいは教育、
 宗教の分野で、朝鮮人を登用するさいに起こる、ごたごたの原因の
 一つなのである」
         
     ホーマー・B・ハルバート アメリカの宣教師、歴史家、ジャーナリスト



「まず、わが国民のように趣味を持たずに暮らしてきた民族はない。一般庶民
 の家では庭の手入れをすることがほとんどなく、花を植えることもしない。
 国ごとに国花があって国の象徴があるのに、われわれにはそれもない。
 ムクゲをかかげるのも近年のことだが、それさえも政治との関わりからで趣味
 によるものではない。だれもムクゲに意味をもたせる者はいない。韓国人は
 生の楽しみを知らない。生を味わい、人生をかみしめる余裕をもたない。
 常に追い立てられている者たち、常にしかめっつらしている者たちだ」

                 咸錫憲 「苦難の韓国民衆史」



赤貧、堕落、腐敗づけの怠け者民族

 韓国(朝鮮人)の政治的命脈は気息奄奄であつた。「何時滅亡するか」といふ状態
だつた。鶏林各道の山河は開拓すれば将来、大富源となることは疑ひ
ないところだつた。だが、政治は腐敗し、堕落は横行し、巨費を投じ
て官を買ふ徒は財を奪ふなど「人々を苦しめた」。十三の長官などは、三
年その職に居れば子孫は三代の後まで寝転んで我が世の春を謳歌でき
た。かういふのが実情だから、富めば役人に奪はれるため、人々は働
いて富を得ようとする者はいない。人民は怠け者となる。唯、その日
暮らしの衣食さえ足りればいい。とした。土地があつても耕さない。
鉱山があつても採掘もしない。漁民も働かない。山林は乱伐にまかせ
た。国をあげてその日暮らしである。かうして国運は日に日に衰える
一方だつた。 

        「北清戦観戦記」 坪谷善四郎



怠惰、自堕落、虚飾こそは韓国(朝鮮人)唯一の「伝統、文化」である!

「人の目に労働と映るなら、出来る限りそれから遠ざかろうとする。自分
の手で衣服を着てはいけないし、煙草の火も自分で点けてはならない。そば
に手伝ってくれる場合は別として、馬の鞍に自分でのぼるべきでない」
    
              アーソン・グレブスト「悲劇の朝鮮」




 「彼らはいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回って
こないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為をつくし、
それでもなお望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう」

        イギリス人旅行家 イザベル・ルーシー・ビショップ夫人



他人依存、怠惰な遺伝子

  将来性がなく、中国人以上に散々な民族である。一千年前に眠ったその場所に留まり続け
ている。いっそう良くないのは、その眠りから覚めようとしない事だ。
 朝鮮人(韓国人)は独立が嫌なのだ。できれば色んな人に依存して責任回避をしたいのだ。彼らの
望むことは、何の心配もなく平和に暮らす事だけであり、「独立」と言う言葉は、彼らに取っては
恐怖を意味し、不信や無法と同じである。 仕事、悲しみ、喜びは分け合うが、収入は独り占め
にし様とする。自分の判断で動かざる得なくなると、慌てふためき、結局、一番愚かな行動を
取ってしまう。 
 日本人は楽しく働いて、その結果について自負心を持つ。所が朝鮮人は、生存の余地が
なくなると言う状態に陥らない限り働かない。
      「悲劇の朝鮮」    スウェーデンの記者・アーソン・グレブスト 



 弱いものは徹底的に苛め抜く!これが韓国の歴史である!
       (今も続く朝鮮人の事大主義の原点)

<動物がひどく苦しがっていることが判ときでさえ、一般の朝鮮人はまったく、関心
を示さない。道路に病気になった猫や犬や、けがをした鳥などがいると、子供も大人
も老人も手に手に棒や石を持って、この哀れな動物をいじめ殺してしまう>

      アメリカ人 メソディスト派宣教師 ホーマー・B・ハルバート




奴隷根性が染み付いた属国四千年の汚辱と恥の歴史

 考えてみると、われわれは苦労するためにこの世に生まれてきたようなものだ。
四千年を越す歴史で今日まで太平の世を知らない。はるか古代はいざ知らず、
三国時代以後は文字どおり一日も安らかな日がなかった。試みに三国時代以後の
戦争の回数をみると百を越える。内乱を除いて資料に残る他民族の侵入だけでも
五、六十回に達し、その中で全国的におよんだものが三十回にもなる。そして
そのすべての戦争が、高句麗が戦ったいくつかを除いて、みなわが領土内で
行なわれたし、最初から最後まで防戦であった。敗けた戦いである。
昔から城下の誓いは恥だといわれる。戦いをし講和条約を結ぶなら
よその地に行って結ぶべきで、わが城の中で結ぶなら敗けたのは明らかだ。
外国軍の占領下で条約を結ぶというのは、弱点を握られていることではないか。
恥ずかしいことだがわが国の歴史をみると、城下の誓いでないものは一つもない。
 
               『苦難の韓国民衆史』(咸錫憲著)




延々と日本国に難癖つけてはたかり、ゆすりを続ける劣等民族  

読者は朝鮮人の無気力、怠惰、居候根性、貧しさをつぶさに観察されたことになるが
このために朝鮮(韓国人)の独立は極めて困難で、将来を望むことが難しい。(中略)朝鮮を
亡ぼすもっとも大きな、普遍的な原因は国民挙げて「独立独行の精神」に欠けている
ことである。健康な体格を持ちながら親族知己に少し富裕な人かあればその家に居候
して、終日何一つの仕事もせず、暮らしている。居候も朝鮮人の居候根性は徹底して
いる。京城(現在のソウル)の高官、裕福な人の家には大の男が数十人となく寄食し
ている。二度三度の飯を食わしてもらえば、煙草一服も人のものを吹かしている。
見苦しい話である。

  「三十年前の朝鮮」 イギリスの女性旅行家 イザベラ・ルーシー・ビショップ




  「独立」さえ日本人の血の犠牲によってプレゼントされた世界に珍しいへたれ民族

「私は平素学生に対して、韓国人としての自覚を促している。日本の韓国併合に抗議
する前に韓国人自身が考えなければならないことがある。日本の韓国併合に対して
アメリカもイギリスも誰も抗議しなかった。世界は当然のような顔をして受止めてい
た。それはなぜか。日清戦争のとき、清国軍がソウルを占領しても韓国人は戦わなか
った。だから日本が戦って清国を追い払った。ロシアが入ってきた時もわれわれは戦
かわなかった。日本軍が血を流して戦い、朝鮮からロシアを追い出した。だから日本
はこれ以上トラブルは嫌だと朝鮮を併合してしまった。これに対して世界の列強は、
日本がそうするのも無理はないとして一言も文句を言わなかった。このことを忘れて
はならない。韓国は自ら亡んだのだ。日本の悪口を言い、責任を日本に押し付ける前
に、われわれは戦わなかったから亡びたことを知らねばならない」

       名越ニ荒之助編著「日韓2000年の真実」国際企画社
          (日本図書館協会選定図書)



小中華を誇る劣等民族、朝鮮人《韓国人》
 
韓国人の最大の悲劇は儒教にある。すなわち儒教というイデオロギーが、
韓国文化社会を形成した張本人なのだ。
 奴隷政治、道徳の腐敗、個人主義と利己主義、権勢と虚礼虚飾・・・・
という韓国社会の腐敗を生んだ最大の要因が中国の儒教思想である。儒教
というエイズを患った韓国人は、すでに長い間に無感覚となり、その弊害
に気づいてないようだ。
 一般に韓国人は、中国人のことを軽蔑して「テノム(垢野郎)」という有名な
悪口を頻繁に口走る。そして中国人のことを「非衛生的でうじゃうじゃと喧しく、
秩序を守らず、ひどく利己的なところがある。そして面子を重んじて口汚く、
団結心がない。また極端に嘘をつくし、虚礼虚飾で自身のプライドを守ろう
とし、自分の過ちを認めたり、反省したりすることはほとんどしない。保守的
で自己顕示欲が強く、怠け者で目先のことしか見えない近視眼野郎たちだ。
権力と権威に弱く、金銭と名誉の前では奴隷と化して膝まづき、うまくいけば
自分の徳であり、うまくいかなければ他人のせいにする」等々と徹頭徹尾こてん
ぱんに叩きのめす。
 ところが興味深いのは、このような中国人の特徴、性格はほとんどそっくり
そのまま、韓国人にもあてはまるということだ。私が見たところ韓国人は、こ
れよりひどいことはあっても、ましだという根拠はどこにもない。そればかりか、
さらに中国人よりも悲劇的なことは、韓国人が感情的で幼稚な点である。

      「韓国民に告ぐ!」 金文学・金明学共著 祥伝社



日本の善政統治前の李氏朝鮮の地獄絵図

 「裁判は金の力で正義の秤が上下する。文明国ならたちまち民衆の反乱を呼び起こす
  に相違ないような不正かつ野蛮な事件を見聞きしないで済む日はないに等しい。
  民衆がよくもこれを我慢しているものだ。」
  「反逆者の処刑後は取り壊しがあり、全財産は没収され、息子や男系親族は皆殺しに
  され、女はみんな奴隷にされた。死刑囚は笞刑を受け、罪を告白してから殺される。
  中には最後まで自分の無実を主張しながら死刑になる者もある。」
 「朝鮮では証人は囚人同様留置される。証人席は時々、最も知っていると思われると
  拷問場に変わる。イギリス人殺しで呼ばれた証人は地面であぐらをかいた格好で太
  い杭につながれた。彼は足首と膝頭を結えられ、それから両側のふくらはぎめがけ
  て棒が二度にわたり振り下ろされた。丁度テコの原理である。すると下肢の骨は
  折れはしないが、ゆっくりと曲がる。証人は失神したが事件については知らぬと
  言い続けた」

                   「朝鮮滅亡」ハルバート(アメリカ人)



秀吉公の二度の「朝鮮成敗」は抑圧された朝鮮土民たちに大歓迎で迎えられた! 

侵略者をすべて撃退したという自画自賛史観が史実に反するというのは、「壬申
倭乱」「丙子胡乱」「モンゴル軍の侵入」などを見れば明らかだ。モンゴル軍が
侵入してくると、西北や東北地方の官吏は競って土地を献上して順民を誓う。
韓人は逆に、侵入軍の先頭にたって自国の軍隊を叩く、もしくは城を明渡して逃げ
惑う。ときには抵抗する儒者や僧侶も出てくるが。その頻度は極めて低く、秀吉軍
の京城(現在のソウル)入城のように奴婢はむしろ侵入者を解放軍として敵を迎え
た。
 それだけではなく、多くの「韓奸」や「売国奴」といわれる人々が必ず現れて敵
についていく。民衆は敵軍に従軍する。朝鮮征伐のときに、さっきまで自分の国王
(仁祖)だった人へ、都落ちの国王として石を投げたり、王子を捕らえてまで敵軍
に献上することもある。あるいは、宮城攻めに民衆が協力して城攻めや攻囲をする
場合もある。/
 景福宮などの焼失は大部分の韓国の観光案内によれば「日本軍の兵によるもの」
と書かれているが、それは嘘だ。李恒福の「白沙集」によれば、秀吉軍の入城前に
はすでに灰燼となっていた。それは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を
襲い略奪したからだ。ことに奴婢は秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を
保管していた掌隷院に火を放った。これが歴史の史実だ。
                           
              台湾国の評論家 黄文雄氏




日本からの「友愛」を「竹島、対馬侵略」「反日教育」で返す畜生以下の民族

去年の「韓国音楽友の会」で慶尚道の浦項というところに行きました。
そこには浦項製鉄という東洋一の製鉄所があります。実を言うとそれは
日本の新日鉄が、プラント輸出してできた製鉄所なんです。でも、ぼくら
がそこで見せられた浦項製鉄の成り立ちについての映画は、ぜんぶ自分たち
の力でやったことになっていて、日本の「に」の字も出てきません。「東洋一
の製鉄所である。どうだ、まいったか!」という、そればっかりですよ。/
 それどころか、その浦項製鉄はプロのサッカーチームを持っているんですが
このチームマスコットが、なんと「鉄腕アトム」なんです。「アトムというのは
は原子の意味だから、別に著作権とは関係ないんだ」と。そりゃそうだけど、
あの漫画のキャラクターは手塚治虫先生のものなのに。
 きっと手塚先生は、ご存知なかったんでしょうね。また知ってても、ご自分か
ら訴えたりなさらなかったでしょう。でも鉄腕アトムがボールを蹴っている
浦項製鉄・プロサッカーチームのキャラクターを見ると、複雑な気持ちになる。
それで日本にきた韓国人が、アトムを見て、「日本人はけしからん!無断でわれ
われのアトムを使っている」なんて言っている。

           高信太郎 「おもろい韓国人」光文社



なぜ韓国(朝鮮)には何一つ「文化」がないのか

 「朝鮮にはその独自文化なし。もしあるとすれば、仏教文化と儒教文化などの
  外来文化のみ」
                  高橋亭  「朝鮮人の特性」





 朝鮮の学者たち自身も、自国の文献に何ら信用を置いておらず、また決して研究対象
 にする事なく、中国の歴史書だけを読むことにしている。
 ときどき朝鮮語で書かれた簡略な歴史本に出くわすこともあるが、それは婦女子の気晴
 らし用の真偽取り混ぜた奇譚集に過ぎない。学者たちといえば、それを開いて見ること
 さえ恥辱だと思っている。

                   「朝鮮事情」 ダレ神父





自分達のやって来た虐待、拷問を「日帝」のせいにする卑劣極まりない民族

フランスのダレが1874年にまとめた「朝鮮事情」の第五章「法廷」
では、刑務所内の残虐ぶりをこれでもかこれでもかと書いています。そ
の中で拷問のやり方を次のように分類してます。

1、棍棒・・・柏の棍棒でふくらはぎを思い切り殴る。回数によって軽重
       がある。
2、骨の脱臼と屈折・・・二本の太い棒を使って腕の骨を脱臼させたり折る。
3、吊り拷問・・・手を後ろで縛り、腕を空中に吊りムチで打つ。
4、鋸拷問あるいは足の鋸引き・・・骨に達するまで鋸で引く。
5、まさかり拷問・・・木製の斧またはまさかりで肉片を切開する。
 これらの報告を読んでいると、思い出すのは韓国の天安市にある、
「民族独立記念館」のことです。この記念館で最もショッキングなのは
日本の警官が朝鮮人を拷問している場面です。/修学旅行にやってきた
韓国の小中学生たちは、その前で日本人への憎しみをかきたてます。
 私は眺めながら、もっと深刻なことを考えていました。こういう拷問
のやり方の中に、ここに紹介した外国人の報告の描写とダブるところが
あると気づいたのです。だから拷問を行っているのは朝鮮人であるとこ
ろに、悲劇の深刻性があったのです。
             
         「日韓2000年の真実」名越ニ荒之助
          日本図書館協会選定図書



日本に併合していただく前の李氏朝鮮は今の北朝鮮とまったく同じであった!

李朝末期の韓国は、政治が乱れに乱れていた。宮廷は国民の大多数が
生活苦に喘いでいるのをよそに、政争に明け暮れていた。役人や、両班
はみな私欲にかられて、自らの栄達と蓄財のみを求めて、弱い民衆を摂取
することだけしか考えなかった。そのために社会道徳が乱れて、精神も文化
も経済も疲弊した。売官売職は普通のことだった。どこでも賄賂がまかり
とおった。黄金の力と暴力が支配していた。
 政治は不正行為の別名しかなかった。民衆への収奪が極限に達していた。
いつもハルサリ(その日暮らし)を強いられていた庶民は、こき使われるだけ
こき使われ、乱暴されるだけ乱暴されて、まったく希望をいだくことができない
日々を送っていた。社会が停滞しきっていた。火賊や山賊と呼ばれる盗賊が、
横行していた。火賊は村を襲うときは放火して、その混乱の中で略奪したために
そう呼ばれた。日本人は徳川幕府末期の日本について大いに誇ることができよう
が、情けないことだが、韓国人(朝鮮人)としては李朝末期については何一つ誇ることが
できない。 
                   「醜い韓国人」光文社 著者 朴泰赫



シナ人が観た朝鮮人《韓国人》

『李朝社会とは、貴族と民衆の隔たりが大きく、貴族は全ての権力を独占する。国中で自由
  な人格と意志が持てるのは貴族だけである。しかしながら、彼らは社会悪の根源でもある。
  彼らは士官のみを志し、民衆を”禽獣畜生”の如く扱い、財産を略奪する。しかも、その三分
  の一も国庫に納めない。
  徒党を組み、私腹を肥やして殺し合う。
  しかし、彼らは政治と言うものを理解せず、民衆から略奪する事が政治だと思っている。
  強い者になびき易く、親露、親日、親清とコロコロ変わる』

             清国人、戊戌威信の英雄・粱啓超




なぜ「朝鮮人(韓国人)」は日本人に執拗に「謝罪」「反省」と拳を上げ続けるのか?
 それは日本がシナを成敗しイギリス、フランス、オランダを一網打尽にしロシア
 に勝利し、アメリカと三年半も大戦争をやってアジアを開放した嫉妬、羨望、恐怖心である。
 

韓国人は怯えながら生きてるうちに、感情が安定を失うようになった。おそらく
  韓国人ほど、怒ることを好む民族はいまい。怒ることが不安や焦燥感を解決する
  代償行為となるとともに、自尊心を守る手段にもなる。その自尊心も、外観にこ
  だわるために、薄い表皮のようなものでしかないので、ちょっとでも引っかかる
  ことがあれば、怒りの引き金がひかれることになる。

             ダブリュイ主教 「朝鮮教会史序論」



日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を
 中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と
 繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定し
 た独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国知識層で
 ある官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。

         1894年7月29日 韓国駐在 アメリカ シル代表



          アメリカの鏡・日本  ヘレン・ミアーズ

  日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、
 日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を
 対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王
 は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

          アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ

  
 






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731石井部隊

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中国が南京大虐殺において語る日本兵の残虐さ

聞けば聞くほど、見れば見るほど確信できることがある


あれは正しく 中国史に於ける典型的な虐殺方法だ


日本人は所謂、四足のものでさえ解体するのを忌み嫌う民族であり

死者や死体にさえも尊厳を認めそれを尊ぶ


つまり、必要が無ければ死体の原型が無くなるほどいたぶることはしない

死者の臓物をかき出したり、人間の弱点とも云える箇所への変質的な攻撃は

武士道を持つ者には到底出来る仕業では無いのだ


それを知らない当時の、否、現代の中国人は自分を基準とし

自分らがすることは日本人もする・・・とお考えのようだ


例えばそれは文化や民族性の問題であるように思う


鯉の活き造りやシラウオの踊り食い

私達日本人には文化であるが故に然程残酷には思えない

鯨に関してもその通り


それが民族性


では、通州事件で日本の民間人がどんな殺され方をしたか・・・

南京に向かう路に切り取られた男性器を口に突っ込まれた日本兵の首が並んでいた


これが中国の民族性


正確には国民党の戦法、これは周知の事実

もちろん自国民に対してもである



当時の中国語の新聞に

『豚より安い日本女性。豚は1匹3000円だが日本人はタダ同然』

といという記事が掲載され話題になった。

【済南事件 昭和3年(1928)】

中国兵による【日本人略奪陵辱暴行殺人事件】
以下は、中国側も立ち会った、済南医院での【日本人被害者の検死結果】


済南事件の日本女性犠牲者が

石井(細菌戦)部隊による中国人犠牲者にでっちあげられた写真



今日ボクが見た風景


写真は惨殺された日本女性を司法解剖したもの

西條キン  (二十四歳) 西條八太郎養女とされる



今日ボクが見た風景


犠牲者の検死写真2

この女性は足袋を履いている 済南病院で1928年5月に撮影(山東省動乱記念写真帖)




731石井部隊記念館で展示されている蝋人形

今日ボクが見た風景




今日ボクが見た風景

中国系アメリカ人女史アイリス・チャンの著書

レイプ・オブ・ナンキン 」の写真







【撮影者】 不明
【撮影場所】 済南病院
【撮影時期】 1928年(昭和3年)5月
【正確な出典】 『山東省動乱記念写真帖』昭和3年青島新報(株)


《付録》「…死体は済南病院に運び、我軍隊、警察側と支那側との立会いの上検死を遂げたが済南病院の検視の結果は左の如くである。

 
西條八太郎 (二十八歳) 原籍 大阪府大阪市此花区
一、全部に亙り皮下出血、上唇全部挫創、両手を縛り地上に引摺し形跡あり
二、右上瞼左頬、前頭部に擦過傷あり、左眼は死後鬱血のため多少眼球突出す
三、右腕関節の脱臼及複雑骨折あり、死因は腰部より腹部に向ふ銃創のため


西條キン  (二十四歳) 西條八太郎養女 
一、全顔面及腰部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離、口喉、前頚部に長き二模指幅一糎

(※センチ)の刺創あり、右乳房にも上同様刺創あり
二、左下胸部に長き三模指幅二模指の刺創あり、肋骨々折を伴ふ、腹部の出血甚し
三、○○に約二糎平方の木片深さ二十七糎(約九寸)突刺しあり
主なる死因は左胸部の刺創による、顔面軟部の剥離は、

周囲の皮膚に出血なき事よりして死後に行はれたる如し、

○○の木片挿入も同部に出血なきは、死後行はれたるが如し、

両手は腕節に於て同人の腰紐によって縛せられ同部の脱臼関骨折なし、

左前×に肘関節に近く、挫創あり、右足外側には刺創あり、

後者の二創も絶命後に行はれたるものの如し (後略)


(小川雄三『済南事件を中心として』昭和3年)



東条弥太郎
両手を縛られて地上を引きずられた形跡。頭骨破砕。小脳露出。眼球突出

鍋田銀次郎
左脇腹から右脇に貫通銃創

井上国太郎
顔面破砕。両眼を摘出して石をつめる

宮本直八
胸部貫通銃創、肩に刺創数カ所。頭部に鈍刀による切創。陰茎切除

多比良貞一
頭部にトビ口様のものを打ち込まれたらしい突創。腹部を切り裂かれて小腸露出

中里重太郎
顔面壊滅。頭骨粉砕。身体に無数の刺創。右肺貫通銃創

高熊うめ
助骨折損、右眼球突出。全身火傷。左脚の膝から下が脱落。

右脚の白足袋で婦人と判明した

藤井小次郎
頭および顔の皮をはがれ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除

斎藤辰雄
顔面に刺創。地上を引きずられたらしく全身に擦創







日本軍が中国人を虐殺した

悪魔のような人体実験の証拠写真として

中国が主張するこの写真・・・


だが真実は

中国人によって虐殺された日本女性だ


このようにして

戦後、捏造を重ねた結果を史実と認識する事は

私には出来ない...そして


歴史を歪曲する人間を私は軽蔑する




今日ボクが見た風景

中国の歴史教科書(日本語に翻訳したもの)




日本女性が陵辱されて殺された写真が、

石井部隊の細菌戦の人体実験にされた中国人として紹介されています


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首相に「無視していくのか」 首相「ごめんなさい」

Category: ブログ  

避難夫婦、首相に「無視していくのか」 首相「ごめんなさい」


2011.4.21

菅直人首相は21日午後1時前、福島県田村市の避難所である総合体育館を出た。「もう帰るんですか」「無視していくんですか」。首相に向かって同県葛尾村から避難している夫婦が呼び止めた。

 首相は「ごめんなさい。そういうつもりはありませんでした」と謝った。

 呼び止めた夫婦は「生後4カ月の孫を抱えている。この子たちは、これからなんです。先の見えない不安を抱えながらながらやっているんです」と泣きながら訴えた。首相は「子供たちのためにも全力を尽くしてやっている」と答えた。



今日ボクが見た風景


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震災時に止まらない中国の陰謀 

Category: 中国  
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震災時に止まらない中国の陰謀 復興に現政権がもはや“国難”


2011.4.21
「日本の復興を支援」とG20の声明は美しい。が、隣国のホンネはどうなのか? 中国を代表するビジネス紙は、「日本の大震災と不況入りは、中国にとって千載一遇のチャンス」「経営難に陥る日本企業の買収が日本の地位を奪う近道」などと報じている。

 この手の“乗っ取り”系が中国的経済活動の主流だが、国家はさらに“利己的な生き物”だ。被災地&放射能漏れの対応でアップアップする日本政府の姿が世界にさらされる中、援助との両輪で本性をさらけ出している。

 韓国が領有権を主張する竹島(独島)の北西約1キロの洋上に計画された「総合海洋科学基地」なるものの基礎工事が、今月中に着手される見通しだ。また、ロシア極東サハリン州は、北方領土を含む同州の開発プロジェクト-国後島での温泉保養地整備や水産加工分野など-に関する投資説明会を北京市内で行っている。参加者は政府関係者他、東北三省(黒竜江・吉林・遼寧)の企業関係者。ロシア政府による北方領土の実効支配に向けた謀略と、そこに加担する中国の陰謀は止まない。「日本が混乱している機に乗じて、尖閣諸島(釣魚島)を奪取すべし」といった主張も紙面を踊る。

日本の混迷がこのまま長引けば、さらに狙われ弱体化してしまう。なのに、テレビは原子炉建屋内部の説明には相変わらず熱心だが、あとは風評被害がらみと、「日本は一つ」「頑張ろう!日本」など、きれいごとばかり。なんだか違和感…。そもそも、菅直人首相は一体いつになったら明確な国家ビジョン&タイムスケジュールを出すのだろう? それがあってこそ、人々は希望を持って日々を頑張っていかれる。キュウリやイチゴを食べて、パフォーマンスしている場合じゃない。

 「禍を転じて福と為(な)す」の精神で、東北地方の復興&再建と同時に「強い日本」を目指すリ・スタート地点に、国民の一人として立って努力をしていきたくても、現政権がもはや“国難”だ。(ノンフィクション作家)






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犯罪史上、類がない卑劣な犯行...高山正樹

Category: 事件  



女児連続暴行男に無期懲役を求刑 犯罪史上、類がない卑劣な犯行…

3-10歳の女児11人に乱暴しけがをさせたなどとして、
強姦致傷罪などに問われた仙台市青葉区八幡、
無職高山正樹被告(26)の論告求刑公判が4日、
仙台地裁(前田巌裁判長)であり、検察側は
「わが国の性犯罪史上、類がない卑劣な犯行。最高刑をもって臨むしかない」
として、無期懲役を求刑した。
仙台地検によると、性犯罪で無期懲役を求刑するのは極めて異例。

検察側は、起訴された11件の他にも、
高山被告が3年間で約100人の女児に乱暴し、
45人への犯行をビデオに撮影していたことなどを指摘。
「犯行はおぞましいの一言に尽き、鬼畜にも劣る」
と糾弾した。


高山正樹(在日)仙台市青葉区八幡3丁目
父親が中国人

ソース:新潮45 2002年5月号





被害者は語るも恐ろしい外傷を負った
3歳程の未熟な身体にこの鬼畜がしでかした事は
殺人行為と何等変わりはしないのだ

被害者は子宮破裂により摘出を余儀なくされた
また裂傷が激しく人口肛門の処置をし
傷の大きさ故に一生涯歩行困難の障害を持った



こんな事件が起きるたびに思う
日本の法律は強姦そのものの罪が軽すぎる
弱者は法廷の場でさらに精神的強姦を受ける事になる

人間の性嗜好は矯正できない、と聞いた
ならば、男として本来守るべき婦女子を傷つけた者の
更生など諦めて去勢すべきだ
強姦魔の遺伝子などこの世に残すべきでは無い

どうせ
知性と理性に欠けた欠陥遺伝子でしかないのだから





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