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今日ボクが見た風景

東日本大地震VS中国雲南地震 中国の国民が比較

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山形弁の外人さんが日本を応援

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みんな知ってるよねw
ダニエルさんです

彼は「日本の災害や被害に対してヒステリックにならないで」と
ユーチューブで英語圏の方々に実情をお知らせしてくれているのです

なんとも心強い

一方でこの国の総理は軽薄な発言で被害地の住民を
不幸のどん底に突き落としたりしてますが・・・


放射能の恐怖の為に非難し(子供を捨ててでもw)母国へ帰る人んも居れば

日本の名誉の為にと永住を決めた外国人もいる(すごい勇気です)



いつか恩返しが出来るよう
日本はまた立ち上がらねば・・・

そう思えます・・・ありがとう


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「てにをは」の分からない大臣・蓮舫

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「てにをは」とは、助詞の古い呼び名です。
 昔、漢文を読む際、漢字の周囲に点を打ち、その位置で読み方を示す方法があり、
 左下から順に四隅をテニヲハとあてたことに由来します。
 元来は、助詞だけでなく、助動詞、接尾語など、補助的な働きをするものの総称でした。
 明治の辞書・言海は語法指南(文法解説)のページに品詞名として掲げ、
 本文で「行きて見る」「馬に乗る」「花を見る」「風は吹く」と例を挙げています。

 要するに、「は」「を」「が」「も」「に」など、語句と他の語句との関係を示したり、
 文章に一定の意味を加えたりする文字が、「てにをは」と呼ばれます。

 「てにをは」の使い方を誤ると、文章のつじつまが合わなくなったり、
 ニュアンスが異なってくるので要注意です。

●例
「彼が帰ってきたら、教えてください」
「彼も帰ってきたら、教えてください」

 上の文では、彼一人が発言者の用のある対象です。
 が、下の文では、彼だけでなく他の人にも用があるというニュアンスが生まれます。
 この程度の「てにをは」の使い分けなら、誰でも無意識のうちに正確にこなしているでしょう。



つまりね、石原氏は言葉尻や表面的な捕らえ方しかせず
物事の本質が分かっていないアサハカサを笑っているのですよ
販売機に関しては逃げ道を用意できるでしょう
「自粛」でいいです(個人的には販売機要りませんけど)

この期に排除出来る日本の権力の癌を取り除こう・・・そう云う事です

こっち系から「献金」や「支持」されてる政治家どもが
脇汗べっちょり、そう云うことですw





「てにをはの分からない大臣」石原都知事 節電めぐり蓮舫氏批判

東京都の石原慎太郎知事は15日の定例会見で、蓮舫節電啓発担当相が「経済活動に影響がでる」などと自動販売機の節電に疑問を呈していることについて、「ばか言っちゃいけない。工場止めるより自動販売機止めたほうがよっぽど国民の役にたつ」と批判した上で、「そんな『てにをは』の分からない大臣だったら悲しい話だな。国民は」と切り捨てた。

 石原知事は、パチンコや自動販売機に使う電力こそが「日本の経済を疲弊させている。その分有効な生産手段にまわしたらよい」と持論を展開。その上で「彼女(蓮舫節電啓発担当相)は非常に私に腹を立てているみたいですが結構。腹立つのは良いんだが、トンチンカンというんだああいうのは」と一笑に付した。

 清涼飲料水の自動販売機の節電対策をめぐっては、東京都議会の民主党が14日、自動販売機で日中の電力使用の停止を求める条例案を提案する方針を表明。党本部と地方議会との間でも意見が食い違うまとまりのなさも露呈している。 






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蓮舫氏「あってはならず、申し訳ない」 痴漢の秘書は依願退職

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2010.6.15


蓮舫氏「あってはならず、申し訳ない」 痴漢の秘書は依願退職

  蓮舫行政刷新担当相は15日午前の記者会見で、
  30代の男性公設秘書が女性に痴漢行為をした疑いで警視庁の任意の事情聴取を受けたことについて
  「女性として、娘を育てる母として、今回の件は本当にあってはならない、申し訳ないことだと思っている」と陳謝した。

  蓮舫氏によると、秘書から2日の事情聴取後に報告があり、弁護士に依頼して事実関係を確認。
  4日に話し合いの結果、秘書は依願退職した。

  蓮舫氏は被害を受けた女性に対して、被害届が出ておらず接触できていないとしたうえで、
  「真摯(しんし)に大変申し訳ないと思っている」と語った。

事務所費ちょろまかしても何の責任もとらない大臣がいるなかでこれならマシか?w


だけどね・・・

結党以来10年間で表立ったものだけで、不祥事90件以上、逮捕者50人以上の極悪民主党。
覚せい剤だけでも5人の逮捕者!!!



①喜納昌吉 現 民主党参議院議員(比例区/沖縄)1972年ヘロイン不法所持により琉球警察に逮捕される。

(検事控訴復帰第1号。沖縄返還後、初の麻薬取締法違反逮捕者であり、不名誉な沖縄刑務所の第1号受刑者、)。
1973年沖縄刑務所出所

②丹羽広徳 民主党.阿久津幸彦衆院議員の秘書 2001年 覚醒剤使用所持で逮捕

③藤井誠 民主党.藤井俊男参院議員・長男/公設秘書)2002年 大麻所持で逮捕

④小林憲司 民主党衆議院議員(愛知2区)2005年 前回衆議院選挙落選の翌日、覚醒剤使用所持で逮捕

「国会中、選挙期間中も覚せい剤を吸っていた」前代未聞の現役国会議員の覚醒剤での逮捕者

⑤佐々木明宏(民主党.藤田幸久参院議員の公設秘書)2007年 覚醒剤・大麻所持で逮捕



どーすんのよコレw


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政府開発援助(ODA)の2割削減への反対

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ODAは国際社会での重要な責務
 飢えや貧困に苦しみ、十分な食料や飲み水が得られなかったり、教育や医療を満足に受けられなかったりする人々は、世界人口約60億人のうち8割以上を占めています。また、環境、人口、HIV/AIDS問題、情報技術格差(デジタル・ディバイド)など地球規模の問題も山積しています。ODAを通じて途上国の発展を手助けし地球全体の問題解決に努める日本に対して、世界各国から寄せられる期待は少なくありません。このような期待に積極的に応えていくことは、国際社会における日本の信頼を培い、存在感を高めることになります。  またODAは、開発途上国の安定と発展への貢献を通じて、国際社会の平和と安定に重要な役割を果たすものです。このことは、国際平和に依拠し、資源・食料を海外に依存する日本にとって、国民の生活を守り自国にとって好ましい国際的環境を構築するなど、国民の利益の増進に貢献しているのです。日本が国際協力を行うことは、国際社会の一員としての責務なのです。・・・ですと

途上国(中国、韓国以外)のインフラ整備を進めることは
市場開拓がしやすくなるなど
日本企業にとっても利益が大きいらしいから
先の日本経済を考えるとむやみに削るわけにもいかないでしょう

それに・・・
明日の日本のための保険かもしれませんよw
現在日本は破綻したも同然ですしねw




超党派議員がODA削減反対で一致 政府に申し入れへ

2011.4.14 10:39
 民主、自民両党など超党派の有志議員が14日午前、国会内で会合を開き、東日本大震災の復興に向けた平成23年度1次補正予算案の財源として検討されている政府開発援助(ODA)の2割削減への反対で一致した。同日中にも菅直人首相あてに再考を申し入れる。

 会合は自民党の中村博彦参院議員が全国会議員に呼びかけ、同党と民主、公明、みんな、たちあがれ日本、新党改革の各党から約20人の議員が参加。中村氏は会合後、「復興支援はやぶさかではないが、ODAが人道上、大切なのは復興と同じだ。一銭たりとも削減できない」と述べた。


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従軍慰安婦問題で大儲けした元日本軍人

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1991.5.22朝日新聞(大阪版)

「女たちの太平洋戦争」で韓国から寄せられた投稿にある、”挺身隊員として連行された” 女性への言及。一方、多数の朝鮮人を強制連行した側からの証言がある。1942年(昭和17年)、朝鮮人の徴用を目的に発足した「山口県労務報国会下関支部」の動員部長になり、それから3年間、朝鮮人約6000人を強制連行した吉田さん(77)=千葉県=である。
 「手を下した側から従軍慰安婦について証言できるのはもう私1人しかいないかもしれない。政府は『民間の業者がやったこと』と言うがそんなことはない。とはいえ、その実態は歴史から消えている。慰安婦だった人は過去を知られたくないのは当然で、日本人の側が、犯した罪を証言し、記録しておく義務がある。沖縄決戦についての慰安婦の実態もみえてこない。朝鮮から沖縄へ慰安婦として強制連行された人たちは数千人いたと推定できる」と吉田さんは言い、現在、当時のことを記録に残そうと書き続けている。
 吉田さんは自著「私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行」(三一書房)などで自己の戦争犯罪を問い続ける。86年8月、大阪で開かれた「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」に招かれ、従軍慰安婦について大要次のように証言した。 (以下は、「アジアの声 侵略戦争への告発」=戦争犠牲者を心に刻む会編 東方出版=から)
 私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の1つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです。従軍慰安婦という制度は、日本軍がアジア各地、太平洋諸島へ侵略したとき、その駐留陸・海軍軍人たちの性的な相手をさせるための女性であったのです。占領直後の前線に、売春組織を陸・海軍の指揮のもと、直接の援助のもとに設置したというのは世界史上でないそうです。もちろん、あってはなりません。これが太平洋戦争における日本陸・海軍の最も大きな罪だと私は信じております。この婦女子の韓国・朝鮮人の従軍慰安婦の徴用のやり方は、私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣をもっていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます。そして直ちに主要都市の警察署の留置場に入れておいて、3日から5日の間に、予定の100人あるいは200人の人数をそろえて、朝鮮の鉄道で釜山まで運び、釜山から関釜連絡線で下関へ運んだのです。下関では74部隊といって陸軍の部隊がありましたが、そこの営庭で前線から受け取りにきている軍属に渡します。そしてご用船で中国、あるいは南方へ送るという業務を3年間やっておりました。
 10万とも20万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、解放されてから郷里に1人もお帰りになってないのです。連合軍は中国、その他の占領地でこの女性たちを解放し、朝鮮半島、あるいは日本へ送還したのですが、その女性たちはすべて郷里に帰らず、各地で名前を変えて生活され、今日に至っております。
 今日、朝鮮半島、あるいは日本列島の中で過ごしていらっしゃる方、10万人のうち、もう半数は犠牲になってお亡くなりかと想像されますが、まだ数万の元従軍慰安婦の方が生きていらっしゃいます。従軍慰安婦と原爆被災者の2つが、私にとっての大きな問題です。共に私が強制連行して、その罪を犯したのです。従って私は戦犯の証人として、ここに立って皆様にそのことを伝え、心に留めていただきたいとお願いする次第でございます。







吉田清治の転落人生
(「良心の呵責に苦しむ元日本軍人」から「強制連行物を得意ネタとする目立ちたがり屋の詐欺師」に)

・朝日新聞 [91.5.22] 「済州島で従軍慰安婦を木剣ふるい無理やり動員」(写真入り)。
・朝日新聞 [91.10.10] 吉田清治氏は、慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供を引き
 はがして連行、政府は資料を隠していると語った。(井上裕雅編集委員、写真入り)。
・朝日新聞夕刊「窓」欄 [92.1.23] 連行した女性は950人、「私が強制連行した朝鮮人
 のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」と吉田清治氏。「
・「マスコミに吉田清治さんの名前が出れば迷惑がかかるのではないか。心配で尋ねると、
 腹がすわっているのだろう、<いえいえ、もうかまいません>と(北畠清泰論説委員の紹介記事)
・吉田さんと部下、十人か十五人が朝鮮半島に出張する。総督府の五十人あるいは 人の警官と
 いっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り蹴り、
 トラックに詰め込む。一つの村から三人、十人と連行して予定の百人二百人になれば下関に運ぶ。
・朝日新聞 [92.5.25] 吉田清治氏、7月、韓国に「謝罪の旅」に出るとの記事。
 男女6000人を朝鮮半島で強制連行した体験を「国会でもどこでも行って話す」つもりだが、
 いまだに実現しないと報じる。
(↓↓ますますエスカレートしていって、どうにもとまらない吉田君) 
・ニューヨーク・タイムズ [92.8.8]東京支局長のインタビュー記事(写真入り)。
・毎日新聞 [92.8.13] 吉田清治氏は8月12日ソウル市内の慰霊祭で元慰安婦らに謝罪、
 また補償のため日本による韓国新幹線計画の費用負担を主張。
・週刊新潮 [92.11.24] 吉田清治氏は、93年春に訪米して米マスコミ、在米朝鮮人(約100万人)に働きかけ、
 国連事務総長に慰安婦問題をアピールする予定と語る。

 ↓↓↓↓↓↓ 真相がばれる


・「昭和史の謎を追う」下巻 文藝春秋 1999年 秦郁彦
1)慰安婦狩の命令は西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田のラインで来たとしているが、
 関係者はこのような命令系統はありえないと否定する。
 依頼だとしても、済州島をふくむ朝鮮半島は朝鮮総督府と朝鮮軍の管轄管理下にあり、
 内地から出張しての狩りこみはありえず、もし必要があれば総督府が自身の手で集めるはずと述べている。
2)第一作である『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社 1977年出版)には、
 四四年四月労報が初めて慰安婦狩りを手がけたと記述し、
 第二作(1983年出版)の済州島行き(四三年五月)と矛盾する。
3)第一作に四四年二月結婚とあるが、第二作には済州島行き計画は、
 死んだ「家内の日記」に書いてあったと記述している。

・済州島の『済州新聞』(1989年8月14日付)
 解放44周年を迎え日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名を徴用していたとの記録が
 刊行され大きな証言を与えている。しかし裏付け証言がなく波紋を投げている。
 この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15~16人を強制挑発したり、
 法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏付け証言する人は
 ほとんどいない。
島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して
 強く疑問を投げかけている

 城山里の住民のチョン・オク・タン(85歳の女性)は「
250余の家しかないこの村で、
 十五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった
」と語った。
 郷土史家の金奉玉(キム・ポン・オク)氏は「1983年に日本語版が出てから、
 何年かの間追跡調査した結果、事実でない事を発見した

・平成8年(1996年)吉田君へのインタビュー(5月29日週刊新潮)
 「
本に真実を書いても何の利益もない。 事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、
  新聞だってやるじゃないか!




本名、吉田雄兎、別名は東司、栄司
1913年10月15日生まれ。本籍は福岡県芦屋町西浜
1937年、満州国地籍整理局に就職
1996年3月結婚
1942年9月、労報下関支部に就職
1947年4月、下関市議に共産党から出馬して落選
1970年頃、門司の日ソ協会の役員をしていた
1977年3月、『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を出版。その中では、朝鮮人慰安婦調達に関わる体験談がハイライトになっている。(ただし、慰安婦は狩り立てではなく、朝鮮人地区の女ボスが話をつけて労報へ中継ぎする方式になっている)
1982年9月2日、朝日新聞(大阪版)に大阪での市民集会の講演内容が掲載され、慰安婦狩りの告白が初登場。
1983年7月、『私の戦争犯罪(三一書房)』を出版。慰安婦狩りの生き証人としてマスコミ等でもてはやされる。

※参考:秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書1999.6


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死んでも靖国には逝けぬな・・・地獄の業火に焼かれ続けろ・・・永遠に
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中国人権問題

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チベット問題

In fact, it estimated that a far larger number of 65,000,000 people had been victimized in China, is still existing under the dictatorial political system, and still persecuting minorities and committing human right violations ceaselessly. Especially in Tibet, more than 1,200,000 people, corresponding to roughly 20% of the total population, were massacred since being unfairly annexed to Communist China in 1955. Even now, the people in Tibet are still abused, and their cultures are being destroyed.


事実、ざっと計算して中国ではおよそ6千5百万人の人々が、中国という独裁政治の元で犠牲になっている。少数民族においてはその人権を無視され、絶え間なく弾圧を受け続けているのが現状なのだ。特にチベットでは120万人以上のチベット人が虐殺され、その数は全人口の20%にものぼる。中国共産党による、1955年以来のチベット侵略というアンフェアな併合以来、彼らは弾圧され、殺され、その文化は壊され続けているのである。


■(Part1) The so called Nanking Massacre was happened in 1937 China has claimed. In fact, so many cruel tortures, punishments and executions were conducted in everywhere in China by Chinese government in 1900’s. Moreover, In Chinese history, Chinese soldiers destroyed civilian’s homes and a town in order to wipe out any possible supplies or shelter that could be utilized by the over-extended enemy troops. This strategy is called "The Clean Field Strategy" by China.


1937年に中国で南京大虐殺が起きたとされている。1900年代でも中国各地で残酷な拷問や、刑罰、処刑が行われていた。また中国史にも残る清野作戦は、迫り来る敵に補給物資を与えないようにするため、人民の家や街ごと焼き払うような作戦も採られていた。


(Part2) American Rulph Townsend stayed in China in 1930. He said, “One of these was tying a victim immovable and unclothed over a freshly sprouting bed of thorny cactus which is said to grow very rapidly in south China, and with great force, so that sharp spines with which in breaks through the sod pierce upward as it grows and gradually penetrate the helpless man’s body in the course of a day or two”.


アメリカ人、ラルフタウンゼントは1930年に中国にいた人物だ。彼はこう言っている。『中国で行われている処刑法の一つに、人間を裸にし動けないように縛り上げ、非常に鋭利なとげを持つサボテンの近くにつるし上げる。中国南部に生育しているそのサボテンは生長がものすごく早く、1日か2日でその男の体に食い込んでいくのである。』

 

(Part3)Not only that, there were many styles of cruel tortures in China. Violation of human rights is Chinese forte. Chinese soldiers killed 30,000 their own people in cold blood in Changsha in 1938 under the Clean Field Strategy even though Japanese didn’t reach the city. During the Shino-Japanese war, Chinese military killed Chinese people as if they were a worm. Chinese government was a genius to conceive cruel tortures and killing way, and at propaganda.


それだけではない。中国には様ざまな残酷な拷問法がある。人権蹂躙とも言えるこれらは中国ではお家芸だ。清野作戦においても1938年にはChangshaという市で、3万人の中国人が中国人の手によって殺された。日本軍が近づいてもいない市で起こったことだ。支那戦争中、中国人兵士はまるで虫を殺すかのように、中国人民を殺してきた。中国政府のこの残酷な処刑の発想や殺し方、そして宣伝のやり方は天才的である。


(Part4)They said that the Japanese must have done with these cruel tortures and massacres. When people think about the awarding of the 2010 Nobel Peace Prize to the Chinese writer and human rights activist Liu Xiaobo, Chinese government has not changed their opinion compared with the Nanking Massacre happened. They showed Liu’s wife was gone out for shopping in front of camera. However, the scene was staged.


中国人はこれらの残忍な処刑や虐殺は日本軍がやったものだと宣伝している。2010年の平和ノーベル賞を受賞したLiu Xiaoboの人権問題を考えるとき、中国政府のこの考え方は南京大虐殺が起きたとされる頃から何も変わっていないと言える。彼らはLiuの妻をわざと外出させ、カメラの前で買い物をさせて見せた。しかしこれはやらせであった。


(Part5) Chinese government has been killing 1,200,000 Tibetans since 1950. However, they have loudly announced we have been ruling over Tibet peacefully. Who can believe what China said?


1950年から中国政府は120万人ものチベット人を虐殺してきている。しかし中国は、チベットは平和的に統治されている大声で宣伝している。誰が彼らの言うことなど信用できようか?



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南京③

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南京写真などのやらせ、偽造

■(Part1)People should be careful to watch Chinese propaganda which has been shown Japanese atrocity. I’d like to show a film which is called The Battle of China. This wartime propaganda film is directed by Frank Capra, American famous director of 1930's, and comes out in l944. In the film, there are ten-second scenes of the description of Nanking Massacre. However, these can hardly be the true description, because of the following reasons.
(Part2)
1 An officer is taking a woman by force. His epaulet is different from that of the Japanese officer. The medal he wears on the breast is not of the Japanese Army in terms of design.
2 A man wears a revolver belt. But, the then Japanese soldiers don't wear it, since they didn't use a revolver. Also, he doesn't wear a saber but a parade sword. But, in war, a parade sword has never been used.
(Part3)
3 Chinese inhabitants in the film are in shirts with half sleeves in the cold wintertime. A piece of paper which says 'Three People's Principles' is on the chest of a woman who is being buried alive, but Japanese do not have such a way of thinking. On the other hand, this custom was still observed in the 1930s in China. The whole things are forged pictures!


私たちは日本の蛮行を宣伝する中国人の宣撫工作にもっと注意を払う必要がある。1930年代の米国を代表する映画監督の一人であるF・キャプラによって監督され、1944年に劇場公開された『ザ・バトル・オブ・チャイナ』という戦時宣伝映画があるが、その中に十秒ほどの南京大虐殺シーンが登場するが、これは次のような理由で到底、実写とは考えられない。


1 婦人を力ずくで連行しょうとしている軍人の肩章は日本軍の将校のそれとは全く異なるし、胸に勲章らしきものをつけているが、そんなデザインの勲章は日本にはない。


2 その人物は腰に弾帯を巻いているが、当時の日本軍が使用していた拳銃は回転式ではないので、弾帯は必要ないし、帯刀している刀は軍刀ではなく、刃のついていない指揮刀である。戦場に指揮刀を持って行くことはありえない。


3 厳寒の南京に半袖の市民の姿が見える。生き埋めにされようとしている婦人の胸の上に「三民主義」と書かれた紙片が載せられているが、こんな発想は日本人にはない。その反面1930年代の中国にはこれらの風習はたくさんあった。まさに全体が"やらせ映像"である!




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■(Part1)One of the photos shows nine people's heads stand in a line side by side on ground. This photo is used as purported evidence of Nanking Massacre victims, but there was no such custom of gibbeted heads among the Japanese after the 1870s. Among the Chinese, however, this custom was still observed in the 1930s, and several photos of gibbeted heads appeared in cities of China in those days.
(Part2)There was also a case of gibbeted heads in the French Concession in Shanghai on February 12, 1938. Most historians allege that these were the heads of bandits or political criminals killed in the Chinese civil war. Iris Chang's The Rape of Nanking has the same photo with a background behind the heads on page 113. Looking at the larger photo, those who had experienced Nanking testified that the background is not of Nanking.


9人の生首が一列に並んでいる一枚の写真がある。この写真も南京大虐殺の証拠写真として提出されたものだが、こうした「さらし首」の風習は、日本では1870年前には見られたが、それ以降はなく、その反面中国では1930年代になってもまだ各地でみられた。
1938年2月12日にも、上海のフランス租界でさらし首事件が起きている。これは、中国の内戦の犠牲者、あるいは中国人によって殺された政治犯か馬賊の首であろう。アイリスチャンのレイプオブナンキンという本の113ページにも使われているが、この写真は南京での写真ではないと言える。


■A photo has displayed at the Nanking Massacre Museum. The caption said, "The Japanese rounded up thousands of women. Most of them were gang raped or forced into military prostitution. But this photo appeared in the Asahi Graph, a weekly photo journal, published in Japan on Nov 10, 1937, about one month before Nanking battle. The explanation says, "A group of women and children from the Rising Sun Village returning from the fields, guarded by our soldiers."


一枚の写真が南京大虐殺記念館にある。この写真の説明書きはこうだ。『日本軍が数千人もの女性を捕らえ、彼らの多くは慰安婦にされた。』とある。しかしこの写真は南京大虐殺があったとされる1ヶ月も前の、1937年11月10日週間アサヒグラフ(日本発行)に載せられた写真なのである。この写真の説明には、『日本軍に守られ畑仕事から帰宅する女性達』と書かれている。


■Photographs purported to be evidence of a massacre in Nanking are on display at the Nanjing Massacre Memorial Hall, at other exhibitions, and in printed publications. However, recent scientific research has revealed that there are no photographs attesting to a massacre in Nanking. At least 143 pictures are distorted, are fabricated, or are used for the Nanking Massacre pictures which were from different areas and different times by Chinese government.


南京大虐殺記念館には虐殺の証拠として数々の写真と、その他展示物が置かれている。しかし近年の科学的な研究解析で、これらの写真は南京虐殺のものではないことが判明した。少なくとも143枚の写真は中国政府によって編集加工され、全然違う場所や時間で撮影された写真が、南京虐殺の写真として使われているのだ。


南京大虐殺 ナチスドイツとの違い

■(Part1)The 'Nanking Massacre' in which the Prosecution claims the 'massacre of 300,000', has never been so proved. However, any other unjustifiable killings by Japanese troops are regarded as punishable war crimes during the battles against the Chinese Army, and these should be processed under the international humanitarian law. On the other hand, in case of Germany, they were not fighting the war against the Jewish people.
(Part2) The large-scale slaughters targeting all the Jewish people, including the killings of Jewish people who had German citizenship, committed by the Nazi Germany were systematically planned killings based on the specific ethnic ideology which had no direct connection with the war. Those killings were, indeed, the 'crimes against humanity', and those crimes are fundamentally different from the 'war crimes' which the Japanese troops were said to have committed.
(Part3) Not only so, Japanese must say that there existed the crucial fact that the then Japanese government sternly refused the persecution policy against the Jewish people which the Nazi Germany was implementing, even though Japan had amicable relations with Germany by means of concluding the Anti-Comintern Pact during that time when the battle of Nanking occurred.
(Part4)In December 1938, almost one year after the battle of Nanking, the Japanese Government decided the policy that 'based on the spirit of racial equality which we have insisted on for many years, we will treat the Jewish people with fairness, in the same manner as we treat other foreigners and we will not take special measures to reject them.


「三十万人殺害説」を中心にすえた〈南京大虐殺〉は立証されていないが、仮に日本軍による何らかの不法殺害が存在したとしても、それは中国軍との戦闘に伴うもの、すなわち、戦時国際法に違反する通例の戦争犯罪にとどまる。しかし、ドイツはユダヤ人と戦争していたわけではない。ドイツが行ったドイツ国籍を有する者をも含むすべてのユダヤ人を対象とした大量殺戮は、戦争とは直接関係のない特定の人種イデオロギーに基づいて組織的・計画的に実行された殺人であって、日本軍が犯したとされる「戦争犯罪」とは根底から異なる。これこそがまさに「人道に対する罪」なのである。
そればかりではない。南京戦当時の日本はドイツと防共協定を結んで友好関係にあったが、ドイツのユダヤ人迫害政策については、断固として拒否していたという重大な事実があることを知らねばならない。
南京戦からほぼ一年たった1938年12月、日本政府は「多年主張シ来レル人種平等ノ精神」に基づいて「猶太人ニ対シテハ他国人ト同様公正ニ取扱ヒ之ヲ特別二排斥スルカ如キ処置二出ツルコトナシ」との方針を決定している。


南京大虐殺 清野作戦

■(Part1)In Chinese history, Chinese soldiers destroyed the homes and fields of their own civilians in order to wipe out any possible supplies or shelter that could be utilized by the over-extended enemy troops. This strategy is called "The Clean Field Strategy" by China. In fact, Chinese soldiers killed 30,000 their own people in cold blood in Changsha in 1938 under this strategy in spite of the fact that the Japanese didn’t attack the city.


中国の歴史では中国軍が人民の家や辺り一帯を焼き払う清野作戦というものがある。これは迫り来る敵に補給物品の一切を与えないために行われてきた作戦である。事実、中国人兵士達は、日本軍が近づいてもいないChangshaという街を、清野作戦の元1938年に無残にも焼き払っている。


(Part2)The Chinese government has announced that all of these victims were massacred by the Japanese even though they killed many Chinese people. The Chinese government used a clever trick which was called Chinese propaganda during the war. They are an expert on lies, Ralph Townsend said.


中国人兵士が殺してるのにもかかわらず、中国政府はこれらの犠牲者を日本軍の蛮行として宣伝しているのである。中国政府は戦争中、実に巧妙にこれらのトリックを使った。いわゆるプロパガンダ作戦である。ラルフタウンゼントは彼らは嘘つきのエクスパートであると本に書いている。



今日ボクが見た風景

■(Part1)Traditionally in Japan, Samurai warriors lived inside walls of castle, and farmers and merchants outside the walls. Civilian cities were not walled. A war was a fight only among warriors, and they never killed civilians. While, in China, farmers and merchants lived inside a walled city and in wars the inhabitants including the farmers and merchants inside the walls were often all slaughtered with warriors.


日本の習慣では、サムライは城壁の中に住んでおり、農民や商人は兵の外に住んでいた。一般人は城壁の中にはいなかったのだ。戦争は城内の武士だけで行われ、また彼らは一般人を殺すことはなかった。しかし中国では農民も商人も城壁に中に住み、戦争になれば彼らも兵士同様、虐殺されることが多かった。


(Part2)In Chinese chronicles, we often read such massacres. The Chinese language has the word which writes slaughtering castle and means slaughtering all people within the city. It was a Chinese culture. The Japanese never had such a culture. Nanking was a walled capital city, and the idea of massacring all inhabitants was Chinese, not Japanese.


中国の歴史書にはこのような虐殺話が多々見受けられる。また中国語の中にも「三光政策、三光作戦、清野作戦または燼滅作戦」と言う文字があり、文字通りその街に住む人々を全員殺してしまうものだ。これはまさしく中国の文化である。日本にはこのような習慣はない。南京市も城壁に囲まれた市である。南京大虐殺のような発想はまさに中国人から発生したものであり、日本人ではない。

228事件と南京大虐殺

■(Part1)The 228 Massacre was an anti-government uprising in Taiwan that began on February 27, 1947 and was violently suppressed by the ROC Kuomintang (KMT) government. Before the 228 massacre was broke out, the mood of the crowd, which had already been harboring many feelings of frustration from KMT rule, reached breaking point. The ROC garrison troops who came from mainland China were highly undisciplined, looting, stealing, and contributing to the overall breakdown of infrastructure and public services.


228事件は1947年2月27日に台湾で起きた、中国国民党の非道な人民弾圧虐殺事件である。国民党政府の暴力的行為により、人民が強制排除されたこの事件が起きる前、人民には国民党政府に大きな不満を抱いていた。中国から来たこの中華民国の軍人らはモラルが低く強奪や窃盗などを働き、それらの不満が国民一般に火がついたと言ってもいいだろう。


(Part2)Estimates of the number of deaths vary from ten thousand to thirty thousand or more. According to the New York Times on March 29, 1947, an American said, “Troops from China arrived at Taiwan on March 7 and indulged in three days of indiscriminate killing and looting. For a time everyone seen on the streets was shot at, homes were broken into and occupants killed. In the poorer sections the streets were said to have been littered with dead.


この事件の死者は1万人とも、3万人とも言われている。ニューヨークタイムズ紙1947年3月29日に掲載された記事にアメリカ人のコメントがある。彼曰く、「3月7日に中国本土から派遣された軍が台湾に着いた。彼らは欲望の赴くまま、たった3日間のうちに無差別殺人をし、強奪をし、通りでは大勢の人が射殺され、各家庭にも押し入り住民は殺されていた。貧しい地区の通りでは、死体で埋め尽くされていたほどだ。


(Part3)There were instances of beheadings and mutilation of bodies, and women were raped.” This is the Chinese inherent characteristics. The Nanking Massacre might have been have caused by KMT soldiers. In fact, R.J Rummel claims that Chinese peasants often had no less to fear from their own soldiers than they did from the Japanese. Moreover, KMT soldiers in the Nanking castle in their mad rush to discard their military uniforms and put on civilian clothes.


それらの体は首や手などを切られ、女性はレイプされていた。」これが中国人の性格である。南京大虐殺はこういった性格を持つ彼らの仕業である可能性もある。事実、ルンメイ氏はこう述べている。「中国の農民は日本軍より自分たちの軍人の方を恐れていた。」と。またアメリカ大使館のジェームズヱスビー氏はこう書き残している。

(Part4)In a number of incidents, killed civilians to obtain their clothing in Nanking city in 1937 before the Japanese troops entered to the Nanking castle. James Espy, the vice American Council at Nanking, reported to the American Embassy. Go back to the 228 massacre story, Chen Yi, the ROC authorities, had jailed or killed all the leading Taiwanese organizers he could identify and catch.


「南京城内にいた中国国民党軍は1937年、日本軍が入城する前には大パニックに陥っていた。彼らはまるで泡食ったように、彼らの制服を脱ぎ捨て人民から衣服を奪うために、人殺しまでもが行われたのだ。」話を228事件に戻そう。Chen Yiは台湾で強奪やレイプを働いた軍の指揮官だった。彼は台湾関係機関により発見され、投獄されるか、死刑に処せられるかという立場だった。


(Part5)His troops executed between 3,000 and 4,000 people. Chen Yi was later quoted by TIME magazine in April 7, 1947 as saying: "It took the Japs 51 years to dominate this island. I expect to take about five years to re-educate the people so they will be happier with Chinese administration." This fact shows they were mind controlled by the Chinese government? The Nanking Massacre was a fake story. In fact, Chinese school kids have learned anti-Japanese education.


彼の部隊は3000人から4000人もの人間を殺した。彼は1947年4月7日発行のタイムマガジンにこう話していたことが掲載されている。「51年もの間、ジャップにこの国は犯され続けてきた。私は5年でこの台湾人を再教育する必要があると思った。中国行政によって彼らが幸せな生活を取り戻すためなのだ。」この事実は中国政府による洗脳の結果でもあるとは思わないか?南京大虐殺は洗脳のために作られた嘘の話でもあるのだ。事実、中国の子供達は反日教育を今日も受け続けている。

中国帰国者連合会と中国が提出する証拠

■(Part1)Chinese government created many Japanese testimonies after the WW2 finished intentionally. After WW2, many Japanese soldiers who were dispatched China returned to Japan temporarily. However, they were caught by Chinese government as criminals. Many Japanese were in Chinese jails after finished the WW2, and they were tortured by them. The Japanese were forced to write what they did in China. In short, they had to write false diary stories which were directed by the Chinese.


中国政府は第2次世界大戦後、わざと日本人に嘘の供述をさせている。戦争後多くの日本人が中国から一時戻ってきた。しかし彼らは戦争犯罪人として再び中国に戻ることになったのだ。彼らは中国の牢屋に入れられ、虐待を受け続けた。そして中国で何をしたのかを強制的に書かされたという。その内容はまさに中国自身が望む内容でなければならなかったそうだ。


(Part2)Definitely, the Chinese government needed Japanese evidence about committing many massacres in China. After the Japanese wrote in the diary which shows Japanese raped many Chinese women and killed many civilians, they could be free and go back to Japan. From the perspective of psychology, if people are forced to write false stories for long time, the false stories could be true memories.


間違いなく、中国政府は中国で日本人こそが虐殺に関与したという証拠を欲しがっていた。日本人が多くの中国人女性をレイプし虐殺してきたと日記に書けば、彼ら日本人は晴れて祖国に帰国できたという。心理学上言われていることは、こういった嘘の話でも長年書き続けていれば、それは真実の記憶となってしまうケースがあるという。


(Part3)The Chukiren is a group which composed Japanese soldiers that came back from China has told these stories. A confession obtained by asking leading questions or torture is not recognized by the courts. These days, the Chinese government has still used these false stories for diplomatic cards between Japan and China. However, the Japanese were smart because they wrote another troop name which never has stayed in China.


中帰連(中国帰国者連合会)という団体は中国に配属になった元軍人達の団体だ。この団体がこの真実を明かしてくれた。拷問によって書かされたこのような記述は一切証拠として役に立たないことは常識である。近年、中国政府はこのような記述を日本と中国との外交カードの一つとして使っている。しかしながら、日本人は要領がいいのか、戦争中の自分の所属先を、中国にはなかった部隊名などを書いていることが笑い話の一つだ。

南京市内にいた報道関係者

■(Part1)There were more than 100 Japanese news correspondents besides the troops, who entered Nanking city during the six weeks when the Chinese claim that the 'massacre' occurred. YAMAMOTO Osamu, the then correspondent of the Osaka Asahi Shimbun (Shanghai Branch Office) says, "I never witnessed nor heard of such a thing.”
(Part2)Also, MAEDA Yuji who was a correspondent of the Domei News agency said, I was totally shocked with the news about these crimes occurred within the Nanking city. All other Domei's correspondents who used to diligently cover inside the city in those days have never encountered any incidents of brutality that occurred after restoring the public order. If any unlawful things like that had happened, some of us or any correspondent must have caught that.


日本人が6週間ほど滞在した中国南京市で、中国側が、日本人による大量虐殺があったと主張しているが、この時期100人もの報道関係者も常に日本軍とともにいた。山本治氏(当時「大阪朝日新開」上海支局員)は、南京での虐殺について「全然見たことも開いたこともありません。」と答えている。また、同盟通信の特派員であった前田雄二氏は、当時、南京市で大規模な虐殺があったとの外電を聞き、「大変驚いた。」と答えた。「何故なら、同盟通信の記者たちは、市内をマメにまわっている写真や映画の誰一人、治安回復後の暴虐について知らなかった。もしこうした無法行為があったすれば、誰かが必ず知るはずである。各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはない。」と証言している。




■(Part1)When the Japanese troops entered Nanking on December 13, 1937, more than 100 press reporters and photographers entered together with them. The press corps was not only from Japan, but also from European and American press organizations, including Reuters and AP. However, none of the press corps reported the occurrence of a massacre of 300,000 people. Paramount News (American newsreels) made films reporting the Japanese occupation in Nanking, but did not report the occurrence of a massacre.
(Part2)The British newspaper North China Daily News, which was published in China in English on December 24, 1937, eleven days after the Japanese occupation of Nanking, carried a photo taken in Nanking by their photographer. The photo was entitled "Japanese distribute gifts in Nanking." In the photo are Japanese soldiers distributing gifts, and Chinese adults and children receiving the gifts and rejoicing. Is this the scene of a massacre?


1937年12月13日日本軍によって南京が陥落した日、日本軍兵士たちとともに100人以上の新聞記者やカメラマンが共に南京市内にいた。日本人記者だけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいたが、その中の誰一人として「30万人の大虐殺」を報じているものはいない。またアメリカのパラマウント・ニュースも、南京占領の記録映画をつくったが、その中に虐殺に関する事は一切含まれていない。その上、当時の中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていたが、南京陥落の11日後である1937年12月24日の紙面には、日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されているのだ。これが大虐殺のワンシーンとでもいうのだろうか?


レイプオブナンキン

■(Part1)Recently, a Chinese American named Iris Chang wrote a book entitled, The Rape of Nanking. It tells about the brutal massacre by the Japanese in Nanking. It became a bestseller in the USA and other countries, and spread the lie of the Nanking Massacre. Later, Chang’s book was much criticized by many other authors.
(Part2)It has been pointed out that what she wrote and the photos in her book were not related to the so-called Nanking Massacre. She shot herself by pistol and died in 2004. The London Economist magazine commented that she had committed suicide perhaps because her book was much criticized and she was deeply depressed about it.



今日ボクが見た風景



近年、中国系アメリカ人アイリスチャンが執筆したレイプオブナンキンがアメリカや他の国でベストセラーとなった。この本には中国南京市で日本軍による数々の虐殺について触れており、全くの嘘である南京大虐殺が世間に知れ渡ることになった。しかしその後、執筆者アイリスチャンな数多くの見識者から非難を浴びた。彼女が本の中で使った数々の南京大虐殺の写真は、全く無関係な写真ばかりだったのだ。彼女は2004年にピストル自殺をしたが、ロンドンエコノミストマガジンはこの自殺について、彼女自身が書いた本に多数間違いがあったことを非難されて、落ち込んでしまったせいだろうと言っている。



今日ボクが見た風景
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南京②

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南京大虐殺 荒唐無稽な中国の言い分

■(Part1)Some of the photos and videos, which obviously show restoration of order in the Safety Zone immediately after the seizure of Nanking, and also the documentary films which show the Chinese citizens rushing to get ID cards. These photos and films are made by the trustworthy sources, and coincided with the witness of over 100 Japanese correspondents dispatched to Nanking then.
(Part2)On the contrary, some of the pictures, which were claimed to have been taken at the time of the massacre, have never indicated the date, the places, and the names of photographers. Also, some of them are showing the entirely different things, and others are forged ones. Even the Chinese cannot have proved the Nanking Massacre.


いくつかの写真やビデオには、南京攻略後のまさしく見事な復興シーンが映し出されている。そのシーンには中国人達が日本軍の発行する「良民証」を得ようと、並んで待っているものもある。これらの写真やフィルムなどの発行元は非常に確かなもので、かつ南京市内には実に100人もの報道陣がそれらのシーンを見ているのである。その反面、中国側の提出する写真には、写された場所が不明確であったり、写した人物やその日付さえも特定できていないものばかりである。中には全く違う場所で写されたものを南京大虐殺の写真として取り上げていることさえある。中国人でさえも、南京大虐殺の証拠を挙げることができないでいるのだ。


■20 westerners in all remained in Nanking during the Japanese occupation, and most of them belonged to the Safety Zone Committee. Diplomats and journalists had already left Nanking. Therefore, a large amount of reports and article they wrote were based on the same source of information. However these reports were untrustworthy for many reasons. Chinese governmnet has double counted on these numbers of victims and spread out Japanese false rumors to the world.


南京陥落から日本軍による占領に至る期間に南京にいた欧米人たちは、安全区委員会のメンバーを中心とする二十数名に過ぎなかった。外交官やジャーナリストらはほとんど南京から離れていた。このため、彼らが残した大量の報告書や記事は、ほぼ同一の情報源に基づいているのである。しかもこれらの情報は信頼できるものなどではない。 中国政府はこれらの犠牲者の数字をダブルカウントし、日本軍の蛮行として世界中にばらまいているのである。


■(Part1) The so called Nanking Massacre was happened in 1937 China has claimed. In fact, so many cruel tortures, punishments and executions were conducted in everywhere in China by Chinese government in 1900’s. Moreover, In Chinese history, Chinese soldiers destroyed civilian’s homes and a town in order to wipe out any possible supplies or shelter that could be utilized by the over-extended enemy troops. This strategy is called "The Clean Field Strategy" by China.
(Part2) American Rulph Townsend stayed in China in 1930. He said, “One of these was tying a victim immovable and unclothed over a freshly sprouting bed of thorny cactus which is said to grow very rapidly in south China, and with great force, so that sharp spines with which in breaks through the sod pierce upward as it grows and gradually penetrate the helpless man’s body in the course of a day or two”.
(Part3)Not only that, there were many styles of cruel tortures in China. Violation of human rights is Chinese forte. Chinese soldiers killed 30,000 their own people in cold blood in Changsha in 1938 under the Clean Field Strategy even though Japanese didn’t reach the city. During the Shino-Japanese war, Chinese military killed Chinese people as if they were a worm. Chinese government was a genius to conceive cruel tortures and killing ways, and at propaganda.
(Part4)They said that the Japanese must have done with these cruel tortures and massacres. When people think about the awarding of the 2010 Nobel Peace Prize to the Chinese writer and human rights activist Liu Xiaobo, Chinese government has not changed their opinion compared with the Nanking Massacre happened. They showed Liu’s wife was gone out for shopping in front of camera. However, the scene was staged.
(Part5) Chinese government has been killing 1,200,000 Tibetans since 1950. However, they have loudly announced we have been ruling over Tibet peacefully. Who can believe what China said?


1937年に中国で南京大虐殺が起きたとされている。1900年代でも中国各地で残酷な拷問や、刑罰、処刑が行われていた。また中国史にも残る清野作戦は、迫り来る敵に補給物資を与えないようにするため、人民の家や街ごと焼き払うような作戦も採られていた。アメリカ人、ラルフタウンゼントは1930年に中国にいた人物だ。彼はこう言っている。『中国で行われている処刑法の一つに、人間を裸にし動けないように縛り上げ、非常に鋭利なとげを持つサボテンの近くにつるし上げる。中国南部に生育しているそのサボテンは生長がものすごく早く、1日か2日でその男の体に食い込んでいくのである。』 それだけではない。中国には様ざまな残酷な拷問法がある。人権蹂躙とも言えるこれらは中国ではお家芸だ。清野作戦においても1938年にはChangshaという市で、3万人の中国人が中国人の手によって殺された。日本軍が近づいてもいない市で起こったことだ。支那戦争中、中国人兵士はまるで虫を殺すかのように、中国人民を殺してきた。中国政府のこの残酷な処刑の発想や殺し方、そして宣伝のやり方は天才的である。中国人はこれらの残忍な処刑や虐殺は日本軍がやったものだと宣伝している。2010年の平和ノーベル賞を受賞したLiu Xiaoboの人権問題を考えるとき、中国政府のこの考え方は南京大虐殺が起きたとされる頃から何も変わっていないと言える。彼らはLiuの妻をわざと外出させ、カメラの前で買い物をさせて見せた。しかしこれはやらせであった。1950年から中国政府は120万人ものチベット人を虐殺してきている。しかし中国は、チベットは平和的に統治されている大声で宣伝している。誰が彼らの言うことなど信用できようか?


■(Part1) In fact, it estimated that a far larger number of 65,000,000 people had been victimized in China, is still existing under the dictatorial political system, and still persecuting minorities and committing human right violations ceaselessly. Especially in Tibet, more than 1,200,000 people, corresponding to roughly 20% of the total population, were massacred since being unfairly annexed to Communist China in 1955.
(Part2)Even now, the people in Tibet are still abused, and their cultures are being destroyed. The very Communist China declared that the problem of Tibet is a problem relating to domestic affairs and refused the interference of the foreign nations. On the other hand, the CCP is loudly denouncing the Nanking Massacre which had been insisted on its happening more than seventy years ago, but this is not even clearly defined.


事実、中国国内ではおよそ6千5百万人の人々が、中国独裁政治の元で犠牲になっており、絶え間なく少数民族への人権蹂躙は続いていると言われている。特にチベットではその人口の20%と言う120万人にものぼるチベット人が、1955年からの一方的な侵略以来、犠牲になっている。
今でさえチベット人は虐待され、その文化を破壊され続けているのだ。しかし中国はそれを国内問題だと言い張り、一切の海外からの要望を無視し続けている。その反面、およそ70年前に起きたとされる、南京大虐殺事件を声高らかに糾弾し続けているのだ。しかもこの大虐殺は未だ何の証拠を揃ってはいない。


■Why don't the Chinese establish the Mao Massacre Museum? Mao killed at least 300,000 Chinese. The leadership of Mao Tse-Tung oversaw the often brutal implementation of a Communist vision of society. Millions died in the Great Leap Forward programmed of state control over agriculture and rapid industrialization and the Cultural Revolution.


何故中国人は毛沢東虐殺記念館を作らないんだい? 毛沢東は30万人という中国人を殺した人物である。中国共産党の指導者であった毛沢東は、しばしば共産党の冷酷な政治的実行を行ってきた。彼が実施した工業力発展と農業の管理を目指した文化大革命と大躍進政策によって、何10万という中国人が死んだのだ。


■After the U.S dropped two atomic bombs, they visited Japan for taking scientific research. Therefore, the result of the atomic bombs and the number of victims were purely accurate. However, about the Nanking Massacre, which Chinese government has been claiming since 1937, there were no witnesses; not only that some foreigners were paid by KMT, and they wrote faked news topics and books. The Nanking Massacre was a fake story.


アメリカが2つの原爆を日本に落とした後、彼らは日本にやってきて科学的な調査を行った。それ故にこの原爆投下の被害状況と、犠牲者の数は完全に正確である。しかし中国政府が非難している1937年の南京大虐殺については、目撃者がいないばかりか、中国政府はそこにいた西洋の外国人らに賄賂をもちかけ、虐殺に関するニュースや本を書かせているのである。南京大虐殺はまさに嘘話である。
(Rach:南京大虐殺が嘘ならアメリカによる原爆投下も嘘だ、に対する反論です。)


■(Part1)Chinese people are always barking lies like dogs. Tell the truth; what Chinese people said about the Nanking Massacre and the Senkaku problem does not have any conclusive evidence. In addtion, they believe that telling lies 100 times lead to becoming true story from the lies. The Chinese have appealed the Nanking Massacre was caused by Japanese even people don’t have any witnesses about that. Now, Chinese people are telling Okinawa is Chinese territory.
(Part2) We have to be careful because the Chinese conspiracy which means China will get Okinawa from Japan might work. They are telling lies enthusiastically even their story was ridiculous theory, so some people will be mind controlled by their lies. Now they are waiting another stupid historian agree with them. Unfortunately, there is a stupid person who wants to agree with them. Country China is a bribe society. Therefore, all over the world will be occupied by China someday.


中国人はまるで犬のように嘘を吠えまくるのが尋常である。事実、中国人の発言している南京大虐殺や尖閣領土問題など、その内容に明確な論拠はない。それに加え、彼らは嘘も百回言えばその嘘は真実になると信じている。南京大虐殺も目撃者がいないにもかかわらず、日本軍による蛮行であるとアピールしている現状だ。そして今、中国人は沖縄をも中国の領土であると言っている。私たちはこの事実に注意深く接しなければいけない。なぜなら、この沖縄を中国領土とする中国人の陰謀は、成功するやも知れないのだ。たとえそれがとんでもない意見であったとしても、彼らは必死になって嘘をつく。よってその必死な嘘に洗脳されてしまう人もいるのだ。彼らはお馬鹿な歴史家が彼らの意見に同意してくれるのをひたすら待っている状態だ。残念ながら、馬鹿な奴というのはどこにでもいるものだ。中国は賄賂大国でもある。いつか、中国に世界は飲み込まれる日が来るかも知れない。

南京大虐殺 南京安全避難区の外国人

The Japanese killed many Chinese people? I don’t think so. John Rabe sent a letter of appreciation to the commander of Japanese army on Dec. 14 1937. This is the letter.
「Dear Sirs. We express our appreciation to your artillery’s praiseworthy act of having not attacked the safety zone and for becoming able to communicate with you (commander Matsui) about the future plan for supporting Chinese citizens in the same area. 」 (Stenography No.210).


日本軍が大勢の中国人を殺したと言われているが私はそうは思わない。ジョンラーベは次のような手紙を、1937年12月14日に日本軍司令官に渡しているのだ。
「親愛なる閣下、我々の安全避難区を攻撃しないでくれたことに深く感謝する。これから南京市での中国人達へのサポートをどのように展開していくか、松井司令官と共に考えていきたい。」


■(Part1)Before the battle of Nanking, the commander General Iwane Matsui ordered the Japanese army to be very careful not to kill any civilians. During the battle, every civilian took refuge in the Nanking Safety Zone. Japanese army did not attack it, and there were no civilian victims, except for several who were accidentally killed or injured by stray shells. John Rabe, later handed a letter of thanks for this to the commander of the Japanese army.


南京戦が始まる前、日本軍司令官である松井岩根は南京市民を殺さないように徹底していた。あの戦闘中、全南京市民は避難区に集結し、日本軍はそこを攻撃しなかったので、間違って死傷者を出す以外の被害者はいなかった。ジョンラーベは後に松井にこのような手紙を送っている。


(Part2)December 14, 1937 Dear commander of the Japanese army in Nanking, We appreciate that the artillerymen of your army did not attack the Safety Zone. We hope to contact you to make a plan to protect the general Chinese citizens who are staying in the Safety Zone….We will be pleased to cooperate with you in any way to protect the general citizens in this city.
--Chairman of the Nanking International Committee, John H. D. Rabe--"


1937年12月14日 親愛なる日本軍司令官へ 避難区を攻撃しないでくれたことを深く感謝する。今後のこの避難区にいる中国人達をどのように守っていこうか、是非貴殿とお会いしお話をしたいと思っている。私たちはこの人々を守るために、あなたと協力できる事を本当に嬉しく思う。南京安全避難区ジョンラーベ


(Part3)If the Japanese military wanted to massacre every Nanking citizen, it would have been very easily done if they only bombarded the Nanking Safety Zone. The Japanese military did not attack it, but rather protected all the people of the Zone. In the mind of General Matsui, the purpose of the war was not to take the land, but to save Chinese civilians from the Chinese civil war, killing among the Chinese themselves.


もし日本軍が南京市民を大量虐殺したくてたまらないのなら、この南京避難区に爆撃をすればすむことであった。しかし日本軍はこれを攻撃せず、市民を守ったのである。日本軍司令官松井はこう考えていた。戦争の目的はその土地を占領することではなく、中国人兵士自らによる殺戮行為から、中国人民達を守ることであったと。


(Part4)Japan wanted to establish in China a strong Chinese government not of communists, not of Western powers, but of the Chinese people who were willing to build in cooperation with Japan the great Asia not invaded by communists or exploited by Westerners.


日本は中国に西洋列強や共産勢力に、食い物にされ支配されない独自の強い中国政府を、中国人民と共にこのアジアに作りたいと思っていたのである。


■(Part1)There was the International Committee for Nanking Safety Zone. This committee consisted of 22 Westerners. This committee wrote reports regarding the security situation of Nanking city 61 times from Dec.13, 1937 to Feb.9, 1938 and sent the same reports to Japanese Embassy, Embassy of the United States, British Embassy and Germany Embassy. According to these 61 reports, they reported murder: 41, mayhem: 44, rape: 361, taking: 390, plunder and others: 170 for 2 months.
(Part2)However, all of these reports were “hearsay”. In other words, nobody of this committee witnessed them actually. The International Military Tribunal for the Far East (Tokyo Trial: 1946-1948) summoned 4 members of this committee included Magee, Ashmore Fitch, Bates and Wilson. They testified they did not witness any murder and heard from someone. This trial proved nobody witnessed murders actually and they wrote reports on the basis of”Hearsay”.


南京市には安全避難区がもうけられており、そこには22名の外国人がいた。この避難区は1937年12月13日から1938年2月9日までの間に南京市内でおきた犯罪について61回の報告書を提出している。そのリポートは日本大使館、アメリカ、イギリス及びドイツ大使館にも送られており、そのリポートの内容はこの2ヶ月で、殺人41件、騒乱44件、レイプ361件、違法収用390件、強盗その他170件となっている。しかしこれらの報告はすべて噂話を書いたものであった。いわばこれらのすべてに対して誰も目撃者がいないのだ。1946年から1948年に開かれた東京裁判では、マギー、アッシュモアフィッチ、ベイツそしてウィルソンの4人が召還されているが、彼ら全員がこれらの事件はすべて自分たちが目撃したものではないことを証言した。この裁判において、これらの犯罪が実際に誰も目撃もなくすべて風聞であることが証明されている。


■(Part1)John Rabe was a member of international Safety Zone Committee in Nanking. Many Chinese people said he was a witness of the Nanking Massacre with confidence. However, he had never witnessed even one case of murder. In spite of that, he sent many reports to Hitler and wrote the stories to his diary. In fact, his diary and reports to Germany were written different number of victims. Why?
(Part2)For Fear of counter objections, he reported to the Japanese authorities in Nanking city the number of casualties to be 49 based on some extent of reliable information. But on the other hand, to journalists, German diplomats and A. Hitler who were all absent in Nanking, he reported figures with an enormous difference, as if no less than tens of thousands civilians had been killed by Japanese troops. Why did Rabe make a false report of the massacre to Hitler?
(Part3)According to German historian Gerhard Krebs, the reason was based on power politics in his German homeland. “Defeated and depressed in World War I, Germany knew that china was a significant trade partner. Particularly Chiang Kai-shek, who was fighting against the CCP, needed a large number of weapons, while Germany was able to import raw materials that were indispensable for the postwar reconstruction.” The Sino-Japanese War forced Germany to reconsider its foreign policy toward China.
(Part4)The Japanese government repeatedly demanded that Germany stop the export of weapons to Japan's enemy Chiang Kai-shek. As the result, Hitler decided to take advantage of containment against the Soviet Union by promoting strong relationship with Japan. Germany refrained from exporting weapons to the Chiang Kai-shek. (In fact, it was in l940 when Germany reached an agreement with Japan.)There were someone strongly resisted the change of policy taken by Hitler.
(Part5)They were Von Falkenhausen, the head of the military advisory group in China, and Rabe, who represented an interest of Siemens in the Chinese munitions industry as a pro-Chinese group. Rabe exaggerated the Japanese Army’s atrocities and requested Hitler to reconsider the alliance with Japan. Rabe's anti-Japanese reports had been thought suspicious since then.
(Part6)Moreover, P. Scharfienberg, the secretary general of the German Embassy to China, who returned to Nanking city on January 9, tried to investigate the fact about 'Japanese Army's atrocities Rabe reported' by himself, and wrote to the German Embassy at Hankow on February 10: “He [Rabe] is still actively trying to counter the bloody excesses of Japanese looters, which have unfortunately increased of late.
(Part7)To my mind, this should not concern us Germans, particularly since one can clearly see that the Chinese, once left to depend solely on the Japanese, immediately fraternize. And as for all these excesses, one hears only one side of it, after all.”
That report is called untrustworthy story after people defined the fact.


ジョンラーベと言えば、南京市に安全避難区を作ったメンバーだ。多くの中国人が彼こそが南京大虐殺の目撃者であると自信を持って反論してくる。しかしながら彼はたった一度さえも大虐殺というシーンを見てはいない。にもかかわらず、ジョンの祖国であるドイツのヒットラーに数多くのレポートを送り、日記にもそう残している。しかし事実、彼の日記の数字そしてドイツに送ったその数字には大きな隔たりがあるのである。何故だろうか?
反論されるのを恐れてか、ジョンは日本宛の手紙にはその被害者を49名と書き、その反面、ドイツのジャーナリストとヒトラーに宛てた手紙には数万人もが日本人に殺されたと書いてありその違いはあまりにも大きすぎる。何故このような間違った手紙をヒットラーに送ったのだろうか?
ドイツ人歴史家Gerhard Krebsによると、その理由は彼の本国であるドイツの、政治的権力が裏にあったと説明している。第1次世界大戦による財政困難と疲労にあえいでいたドイツにとって、中国は最高の貿易パートナーであったのだ。蒋介石は中国共産党との戦闘で、大量の兵器をドイツから購入している。そんな状態から一変したこの支那事変は、ドイツ本国の政策転換を迫られていたのである。日本政府は繰り返しドイツに対して、中国に武器を輸出しないよう求めていた。蒋介石軍が日本の戦争相手だったからだ。悩んだ末にヒトラー政権は、中国における巨大な軍需産業の利益よりも、安全保障上ソ連を牽制する必要から日本との関係強化を選び、中国の蒋介石政権への武器輸出を控えた。(事実、1940年にはドイツと日本は同盟を結んだ。)それにひとり強力に反対する人物がジョンラーベだった。
駐華軍事顧問団団長ファルケンハウゼンや、親中派の軍需産業ジーメンスの利益代表であるラーベらは激しく本国の動きに反発した。したがってラーベは大げさに日本軍の蛮行を宣伝し、ヒットラーに本国ドイツと日本との関係を考え直して欲しいあまりに、そのような反日的なレポートを書いていたと、ドイツ人歴史家Gerhard Krebsは言う。
また、在中国ドイツ大使館の秘書官で、ジョンラーベのレポート内容を南京市まで確認して戻ったP. Scharfienbergは、1938年1月9日にこう述べている。「2月10日漢江ドイツ大使館より。ラーベは確かに日本軍の血なまぐさい窃盗事件などに割り込み帆走しているようだ。俺に言わせてみれば、そんなことは我が国ドイツに関係のないことだ。だが第一、暴行事件といっても、すべて中国人から一方的に話を開いているだけではないか。」


■(Part1)It was clearly proved by their testimonies at the IMTFE that no committee members had witnessed 'illegal murders by Japanese soldiers at all. O. Wilson, who made many testimonies as to atrocities, did admit that all of his testimonies were hearsay. Magee, who lived with Bates and worked for the Safety Zone Committee, testified that he had just eye-witnessed only one case.
(Part2)As a matter of fact, neither Rabe nor other westerners of the Safety Zone Committee members, who might have been able to walk around freely in the city with Nazi Swastika armband on, had ever witnessed illegal murders by Japanese soldiers during six weeks.


東京裁判における彼等の証言によると、安全区委員会のメンバーは、日本兵による非合法殺人など全く目撃していないことがわかる。東京裁判でウィルソン医師は、多くの残虐事件を証言したが、後にこれらの証言はすべて伝聞であったことを認めている。またベイツと一緒に住み、同じ安全区委員会の仕事をしたマギーも「実際に目撃したのは(前述した)一件に過ぎない」と証言した。
つまり、ラーベを初めとするナチスの腕章をつければ自由に動き回れたはずの、安全区委員会メンバーである外国人達でさえ、約6週間の間に日本軍兵士が実際に非合法殺人を行った現場を目撃していないのである。


■(Part1)According to Rabe's diary, at that time those Chinese in the Safety Zone, were limited to persons who could communicate with Rabe in the Safety Zone. Only those who could speak in either English or German were the Chinese staff that helped work in the Safety Zone Committee and Chinese officers, Colonel Lung and Chow. Rabe was recording about Chinese officers in his diary as follows:
(Part2)"Shortly before eight o'clock Colonels Lung and Chow arrive (Ling has marched off by now) and ask if they can take shelter in my house. I agree. Before Han and I left for home, these two gentlemen deposited 30,000 dollars in the committee's safe." (The Good Man of Nanking, p.64.)Is this a illegal act or not?
ジョンラーベの日記によると、あの南京市に設立された安全避難区に中国人がいたそうだ。ジョンにしてみれば英語もしくはドイツ語がしゃべれる中国人であり、事もあろうに南京避難区内で策略を図る中国軍人であった。彼らの名前はラン大佐とチョウ大佐というそうだ。ジョンの日記にはこう書かれている。
8時を過ぎた頃、ランとチョウ大佐はやってきて、私たちの家のシェルターを使わせてくれといた。私が同意した。私とハンが家を出る前、この二人は3万ドル(日本円にして約300万)を避難区に預けていった。(The Good Man of Nanking, 64ページ)さてこれは違法行為なのでは?

南京大虐殺 海外の反応

■In the U.K., the Nanking battle became public criticism, too. Referring it, Sir Charles Addis mentioned at Chatham House on November 10, 1938, as follows: Between two countries at war there was always a danger that one or other of the combatants would seek to turn public opinion in his favors by resort to a propaganda in which incidents, inseparable alas - from all hostilities, were magnified and distorted for the express purpose of inflaming prejudice and passion and obscuring the real issues of the conflict.


またイギリスでも南京事件は問題になったが、1938年年11月10日、チャタムハウスでチャールス・アディス卿は同事件について次のように述べている。「戦争を交えている二国間においては、その戦闘員のいずれかが宣伝に訴えることによって、世論を自己に有利に仕向けようとする危険がかならず存在している。その宣伝において種々の事件─悲しいかなこれはすべての戦争から分離することはできない─は偏見と感情を激昂させ、戦いの真の係争点を曖昧にしてしまう特別の目的のために拡大され、曲解されるのである。」

南京大虐殺 人口

■(Part1)Chinese government has claimed Japanese soldiers killed 300,000 Chinese civilians while the Japanese were staying in Nanking city in China. After the Japanese occupation, did the population of Nanking decrease by more than 300,000? Let’s look at many historical records. On Dec 8,1937, Tang Sheng-zhi, who was Chinese commander, warned that all the noncombatants should assemble in the Safety Zone, and the citizens rushed into the Safety Zone for the safety.
(Part2)As the result, there were no people within the castle except in the Safety Zone. John Rabe, the Safety Zone Committee (TSZC) member, wrote in his diary in Dec 10, when the Nanking battle began, the Nanking population was 200,000. TSZC described in the Document No.9 dated in Dec 17, "On the 13th when the Japanese entered the city, we had nearly all the civilian population in the Safety Zone, so the number 200,000 is no doubt.
(Part3) For TSZC, it was absolutely necessary to know the accurate number of people in order to distribute food to those refugees. After the Japanese victory and occupation took place, TSZC in its document dated on December 17, and in subsequent documents, consistently recognized this number. Afterwards how did the population of Nanking change? TSZC documents read that in January 1938 the population was 250,000.
(Part4)Lewis S. C. Smythe, professor of Nanking University investigated the population with the help of many Chinese staffs on February 1938. He wrote a report which shows the population of Nanking was 250,000 or 270,000 as of the end of March 1938. The Nanking City Administrative Office of the Nanking Restoration Government, which was established on March 28, 1938, registered 277,000 inhabitants. Japanese soldiers killed 300,000 Chinese people in Nanking city?


中国政府は日本軍が南京市で30万人殺されたと騒いでいる。日本軍の占領後南京の人口は30万人も減少したのであろうか?歴史資料を見てみよう。1937年の12月8日、中国側の司令官Tang Sheng-zhiは南京市の非戦闘員全員を安全避難区へ誘導している。その結果、南京城内には安全避難区以外には人っ子一人いない状態だった。安全避難区委員会のジョンラーベは、南京戦に突入する前である12月10日の日記に、南京の人口は20万人であると書いている。安全避難区委員会は12月17日のドキュメントナンバー9に、こう記している。日本軍が南京市に入城するときには、ほぼ全員の民間人らは安全区に避難していた、と書いているからこの人口数は正しいと判断できる。
安全避難区から見れば、避難区に集まった人々に与える食料配分をまかなうため、正確な人数を知る必要があった。そして日本軍が勝利し南京を占領した12月17日の時点でも、この安全避難区委員会はこの人数を再度確認している。ではその後どう人口は変わっていったのか?安全避難区委員会の出した1938年1月の資料には、人口25万と記載されている。
南京大学の教授でもあったスマイスは数人の中国人と共に、1938年2月人口を調べている。それには25万から27万となっている。1938年3月28日に設立された、南京暫定政府機関の調べでは、南京市の人口は27万7千人と増えている。日本軍が30万人殺したっていうのは本当なのか?


今日ボクが見た風景


南京大虐殺 死体の数

■(Part1) The so-called 'Nanking Massacre' is the case wherein 300,000 people of Nanking city and the captives have been alleged to have been murdered during the six weeks occupation period under the Japanese Army, from December 13 immediately after the fall of Nanking through the beginning of February of 1938. Where 300,000 of dead bodies were? Let's look at the statistics.
(Part2)The Chinese postwar investigation, which has claims Japanese killed 300,000 people in Nanking Massacre, has presented the following two groups of evidences to prove the victims of more than 300,000:
1 Burial records of 150,000 corpses by the Advance Benevolence Society and the Red Swastika Society.
2 Chinese testimonies of the eleven cases to verify the murder of 190,000 people.
In here, let’s look at the number 1 which shows 150,000 corpses.
(Part3)All the activities that the Advance Benevolence Society was involved were provision of clothes, relief of widows, and nurture. Burial was not included. According to Nanking compiled by ICHIKI Yoshimichi (published by Japan Business and Industry Institution, Nanking Office, 1941), the Advance Benevolence Society suspended its activities from December 1937 to August 1938. There existed no proof showing that the Advance Benevolence Society was written in 1946, nine years after the incident.
(Part4)Why has the Chinese presented the Advance Benevolence Society for evidence? No matter what, they wanted the massacre was occurred by the Japanese, so they presented the wrong evidence? What did the Red Swastika Society report? To the Tokyo Trial, a record was submitted that the company buried 42,000 corpses, but the accuracy of its record could be doubtful. A Japanese man whose name was Maruyama testified, "The number of burials per day was at most 200.”
(Part5) Rabe also wrote in his diary dated on Feb 15, "Until now, 200 bodies were buried a day. (The Good Man of Nanking P197) The company was capable of burying an average of 180 a day. About 5,000 were buried in end of February. In March, burials per day increased in number because the Japanese gave extra charge each corpse to workers and 5 trucks, so the number of burials per day increased by from 600 to 800.
(Part6)The same number could be found in the report dated on March 4, addressed to the Foreign Office in Germany by Georg Rosen. At this time, however, a serious issue happened. Having padding the number of buried corpses in order to gain more wages, the Red Swastika Society reported on their activities. As of the end of February, 5,000 were reported, and on March 15, the figure mounted to 31,791.
(Part7)It was calculated that they had buried 26,000 in fifteen days. In other words, 1,700 a day had to be disposed. Japanese soldiers knew the Chinese were lying. However, the Japanese paid money to them because they didn’t want to have any troubles. What was the actual figure of burials? The total number would be from 10,400 to 12,400.
(Part8)This figure could almost coincide with that appeared in The Nanking City government general condition (edited by the Nanking Secret Service) which read that 9,364 were buried in the period of from January 1938 to April. Based on the facts stated so far, the actual burials made by the Red Swastika Society were around 10,000, so that the identify of corpses could be assumed to be the war dead of the Chinese Army.
(Part9)The Battle of Nanking, p.351. Battle of Nanking Editorial Committee estimates that Chinese soldiers were killed in action with 12,366 from December 4 to 12 evening, based on the Nanking Garrison Battle Report. Chinese government presented the Burial records of 150,000 corpses by the Advance Benevolence Society and the Red Swastika Society to the Tokyo Trial. So, can you believe the reports? Where were 300,000 of Chinese civilians’ dead bodies? The Nanking Massacre really occurred?


秋が終わった1937年12月13日から1938年2月までの6週間、日本軍は南京を占領した。この時に30万にも及ぶ中国人を殺害したと非難している、いわゆる南京大虐殺と呼ばれるものだ。ではその30万もの死体はどこにあるのか? 資料をよく見てみよう。
 犠牲者30万人以上とする、戦後の中国側調査は、次の2つの証拠群がある。


1 慈善団体である崇善堂と紅卍字会が計15万体の死体埋葬
2 19万人殺人を証言する中国側11件の証言


ここでは15万人が埋葬されたとする1番に話を集中したい。
そもそも崇善堂の活動内容は「施料(衣料給与)・救恤(寡婦の救済)・哺嬰(保育)」であり「埋葬」は含まれていなかった。しかも市来義道編『南京』(1941年、南京日本商工会議所発行)によれば、崇善堂は南京陥落の1937年12月から翌年8月まで活動を停止していた。崇善堂が当時、埋葬作業に従事したとする証拠は存在しないのだ。そもそも崇善堂の埋葬表は、事件から9年経った後の1946年に作成されたものであって、1938年当時作成されたものではなかった。中国政府はなぜ崇善堂の活動報告を証拠として出したのだろうか? 嘘をついてでも何とかしたい気持ちから提出したとしか思えない。では、紅卍字会の記録はどうか。
東京裁判には、紅卍字会が「約42,000体」を埋葬したという記録がある。しかしこの資料は非常に疑わしい。日本人の一人、丸山氏は一日の処理数は多くても200体だと述べている。ラーベも2月15日の日記に「今まで毎日200体が埋葬された」と記録している。(「The Good Man of Nanking」197ページ) 一日の埋葬数は200体が限度であった。2月の終わりの資料には5000体が埋葬された。3月に入り、5台のトラックを与え、1体につき賃上げすると、一日600から800体になった。
この数字は、南京ドイツ大使館のローゼン書記官が3月4日付で本国外務省に宛てた「紅卍字会が1日当たり500体から600体を埋葬している」という報告とも一致する。ところが、ここで大きな問題が起こった。紅卍字会は、賃金を多くもらいたいばかりに埋葬数を水増し報告してきたのである。2月末の報告書が5,000体で、3月15日には31,791体になった。15日間で26,000の遺体を埋葬したことになる。
15日間で26000体の埋葬、1日当たり1,700くらいは処理しないといけないことになる。日本軍は中国人達が嘘をついていることを知っていたが、トラブルを招くことを考えその賃金を支払った。では、実際の埋葬数はどのくらいか。おおそ10,400体から12,400体なのである。この数字は、1938年1月から4月までに《9,364体》埋葬したという『南京市政概況』(南京特務機関調製)の数字とほぼ一致する。以上のことから、紅卍字会の埋葬数は10,000体前後であり、その素性はほとんどが中国軍の戦死者だと推測できる。
中国から出ている『南京戦』という本の351ページには、日本と戦闘があった少し前の、12月4日から12日までの間の、中国人兵士死傷者は約12,366人と記載され、その数字と埋葬数はほぼ当てはまるのである。東京裁判で中国政府は、崇善堂と紅卍字会による計15万体の死体埋葬を提出した。これを信じることができるか? 30万もの中国人の死体はどこにあるのか?南京大虐殺は本当に起きたのだろうか?


■Here is the burial record presented to the IMTFE (International Military Tribunal for the Far East) by the Red Swastika Society. The statistics show where the corpses were found and buried. Only about 2,800 corpses are found inside Nanking castle (walled city of Nanking), and the rest are recovered outside, which were almost 40,000. There are few corpses of women and children. Where were 300,000 of dead bodies?


ここに、中国の紅卍字会という慈善団体が埋葬した、死体の数についての資料がある。これは中国政府から公式に東京裁判に提出されたものだ。これによると、数だけでなくどこで死体が見つかり、どこに埋められたかが解る。2800体が南京城内でみつかり、(城というのは南京市は周りを高い城壁で取り囲んでいるからである。)城外で約4万の死体が見つかっており、これらには女性と子供の死体は皆無だったと記されている。


■(Part1)One picture shows Japanese troops created the nameless war dead of Chinese soldiers’ resting place in China during the war. In contrast, according to Chinese reports, Chinese authorities did not any attention to dead or wounded soldiers. Before the Japanese Army entered Nanking, there had been many corpses in the city. German correspondent Lily Abegg wrote an account entitled Escape from Nanking.「Our Last Days in China's Capital, as to the aspect on Nov 29, 1937:
(Part2)”Wherever we went, we could see that order was given way to chaos. A train carrying 2,000 wounded soldiers arrived at Nanking Station, but no one paid it any heed. There were no medical soldiers. The wounded soldiers were left there for two days, and during the time, dragged out of the train with corpses. The corpses emitted a horrible stench, polluting the air.” They have appealed these stories must have been committed by the Japanese.


 中国で写された一枚の写真には、日本軍が戦闘で死んだ中国兵無名兵士の墓を作り、弔っているものがある。その反面、いくつかの書類によると、中国政府は自分たちの兵士の遺体や傷病者などには一切の目もくれていないことが解る。日本軍が南京市に入城する前には、もうすでに市内には多くの死体であふれかえっていた。そう語るのはドイツ人記者であるリリーアベックだ。彼女が南京を脱出する前のことを書いた本「南京からの脱出」、1937年11月29日での出来事だ。
「もはやどこに行っても、規律の解体と無秩序が支配していた。南京駅に二千人の負傷者を乗せた汽車が到着したが、誰も見向きもしなかった。看護兵も付き添っていなかった。負傷兵たちは二日間も放置された後、その二日間に死んだ者と一緒に降ろされ、駅のホームに並べられた。死骸が空気を汚染し悪臭を放った」南京大虐殺とは中国軍でのこのような悲劇も全部日本軍のせいにしているのである。




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南京①

Category: ブログ  

Chinese government claims the Japanese army committed numerous atrocities such as rape, looting, arson and the execution of prisoners of war and civilians during the occupation of Nanking.


中国政府は、日本による南京占領期間、日本軍が強奪、放火、強姦そして捕虜、民間人の処刑などによりおびただしい犯罪をしたと非難している。


The so-called 'Nanking Massacre' is the case wherein 300,000 people of Nanking city and the captives have been alleged to have been murdered during the six weeks' occupation period under the Japanese Army, from December 13 immediately after the fall of Nanking city through the beginning of February of 1938.


秋が終わった1937年12月13日から1938年2月までの6週間、日本軍は南京を占領した。この時に30万にも及ぶ中国人を殺害したと非難している、いわゆる南京大虐殺と呼ばれるものだ。


China has no right to accuse Japan of crimes such as the Nanking Massacre because the massacre was made up story using fabricated evidence. Obviously what China says is pure fiction! Demonstration of this story by the Chinese government is libel and slander. It is natural that Japanese raising an objection.


中国は自分たちが作り上げたほら話でもって、日本を糾弾することはできない。まさしく中国が言っていることは嘘でたらめなのである。中国政府による南京大虐殺という嘘話を宣伝すること、日本を誹謗中傷し名誉毀損する犯罪行為である。日本がこれに反論することはまさしく当然なのである。

南京大虐殺 東京裁判

■According to the testimonies in The International Military Tribunal for the Far East (IMTFE), Chinese government could not prove the murder of 340,000. Therefore, the Chinese government was absorbed in collecting proofs even during the IMTFE. In other words, the Chinese government had already fixed the number of casualties into more than 300,000 before they began to collect the evidence.


東京裁判の資料によると、中国政府は340000人という犠牲者の証拠を提示することができなかった。それ故に中国政府は開廷中であったにもかかわらず、必死になって証拠集めに翻弄した。つまり彼らは証拠を集める以前から、犠牲者の数を30万人と決めていたのである。


■(Part1)According to Summary report on the Investigation of Japanese war crimes committed in Nanking, prepared by the Procurator of the District Court in Nanking, to prepare for the IMTFE, the KMT set up the Nanking Investigation Committee for Antagonists Crime on November 7, 1945, and appealed to the Chinese public to report Japanese Army's crimes.

(Part2)It was reported, however, that few responded to the crimes committed by Japanese Army and some refused to testify or to deny the massacre occurred when they were asked for details. Then, the KMT reluctantly submitted the tentative report to the IMTFE on January 20, 1946. Except for one testimony made by a man named Lu Su, no other evidence of massacre by the Japanese Army was available, besides burial records.


東京裁判における南京大虐殺関連のレポートを読んでみると、おもしろいことが解ってくる。1945年11月、中国側は東京裁判に向けて日本人の蛮行証拠を集めるなどの準備をやり始めた。
しかし、当初それらの証拠は集まらないばかりか、虐殺行為を否定するものまでいたそうだ。その後何とかして集めたのはLu Suという中国人のみの証言であったのだ。

南京大虐殺 レイプ

■(Part1)Minnie Vautrin, a professor at the college, wrote 100 girls were raped by Japanese soldiers in her diary on Dec 16, 1937. Also, John Rabe, the leader of the Nanking Safety Zone, wrote in 17th that 1,000 women and girls are said to have been raped last night. James McCallum, a medical doctor in Nanking, wrote about rape crimes in his diary in 19th. However, these cases of rape were what these Westerners heard about from Chinese people.
(Part2)About two weeks later, as mentioned in the New York Times on January 4, 1938, Vautrin and other Ginling College professors got to know that the Chinese officers harbored by them had repeatedly raped in the Nanking Safety Zone and then blamed Japanese soldiers for their attacks. The New York Times reported, “(the) American professors…were seriously embarrassed to discover (it).” So would Rabe and McCallum have been.
(Part3)In February, as the Osaka Asahi Shinbun reported, the Japanese military arrested eleven hiding Chinese soldiers who had committed numerous atrocities in Nanking, speaking Japanese and wearing counterfeit of Japanese translator's armband to pose as Japanese. After they were caught, conspicuous cases of rape, looting and other atrocities did not take place. The Chinese have accused Japan about the rape crimes during the war. However, these crimes were definitely caused by the Chinese.


教授ミニー・ヴォートリン女史は1937年12月16日の日記に100名の少女が日本兵によってレイプされたと書き、またジョン・ラーベも1000人もの女性が強姦されたと17日の日記にしるし、ジェームズ・マッカラム医師もレイプ事件について19日にそう記されている。しかし実際には、これらの強姦事件がラーベ、ヴォートリンやマッカラムによって目撃されたわけではなく、中国人から聞いた話なのだ。これらの日記が記されてから約2週間後の1938年1月4日のニューヨーク・タイムズの紙面に、こんな記事が掲載されている。アメリカ人教授たちのもとでかくまわれていた中国兵幹部らが、南京で強姦を繰り返していた犯人であり、強姦を犯しては、「犯人は日本兵だ!」と言いふらしていた。それを知ったアメリカ人教授らは「心底から当惑した」そうだ。2月の大阪朝日新聞はこういった記事が載せられている。「日本軍は南京市内で数多くの犯罪を起した11名の中国人兵士達を逮捕した。彼ら中国人は日本語に巧みで・・・日本人を装い・・・偽造した通訳の腕章を着用していた。」彼らが逮捕された後は、強姦事件や略奪等はほとんど見られなくなった。中国人が主張する日本人兵士によるレイプ事件は、自分たち中国人が犯したものである。


■(Part1)Tadao Takemoto and Yasuo Ohara point out about the alleged atrocities in Nanking: "The representatives of the refugee camps of nineteen places established in the Safety Zone were all the Chinese, except Miss Minnie Vautrin. Though those Chinese took charge of the maintenance of public order in these camps, there were some Chinese officers who camouflaged themselves as if they were citizens. And many cases of rape occurred in the refugee camps.
(Part2)After February 1938 when the camps were dissolved, rape was rare. Therefore, we are not able to trust the crimes of Japanese soldiers just as the Chinese representatives of the refugee camps claimed. The Chinese soldiers hiding in the Safety Zone camouflaged themselves to create the impression that looting and rapes had been committed by Japanese soldiers, to practice one of a series of Chinese strategies for the purpose of throwing Japanese soldiers into confusion."
竹本忠雄、大原康男両教授はこう話している。「安全区に設けられた19カ所の難民収容所の責任者は、ミニ・ヴォートリン女史が務めたほかは、すべて中国人であった。治安維持は中国人たちが担当したが、その責任者を何と市民に偽装した中国軍将校が担当しているケースもあった。多くのレイプ事件は、安全区委員会が設置した難民収容所内で起こっており、難民収容所が解散した1938年2月以降は、このような事件は起こっていない。日本軍兵士の犯罪をでっちあげ、日本軍を混乱させる中国人の戦略だったと言っても過言ではないだろう。」

■The number of the 'cases of rape' Chinese claim is from 20,000 to 80,000 cases. Suppose Japanese took this number, there should have been from 500 to 2,000 cases of rapes occurred daily. This number is absolutely not trustworthy.
中国政府は南京市でのレイプ事件を2万から8万人と言って文句を言っている。もしこの数を日本軍がやったとしたら、1日あたり500から2000件のレイプ事件が発生した計算になる。この数は決して信じられるものではない。

■(Part1)Here is a data of The Rape of Berlin, which was happened in the summer of 1945, Soviet soldiers caught many German women for raping, and massacred so many German civilians. The pregnancy rate of The Rape of Berlin was 23%. And then Chinese government has been accusing 20,000 to 80,000 of Chinese women were raped by Japanese soldiers.
(Part2)As far as I could work it out, at least 4,600 to 18,400 Chinese women should have become pregnant after a set period of time. Furthermore, the big baby boom should have taken place in Nanking 10 months after the fall of Nanking. Have you heard 4.600 of Japanese and Chinese mixed parentage babies were born in China?
ここにレイプオブベルリンのデーターがある。1945年の夏にソビエト軍が多数のドイツ人女性を強姦し、市民を殺しまくった話である。この時の女性の妊娠率は23%だった。中国は日本軍が南京を攻略した際、2万から8万の女性がレイプされたと非難している。
ざっと計算すると、少なくとも4,600人から18,400人の女性が妊娠しているはずである。その上、少なくともベビーブームがその10ヶ月後にあるはずなのだ。4,600人もの中国人と日本人との混血児の話を聞いたことがあるかな?

■In addition, we have received a counterargument about the 23% of pregnancy rate from Chinese people. They said Japanese soldiers must have killed Chinese ladies after the Japanese raped women, so there were no babies. However, the statistics which were presented by Chinese government show where the corpses were found and buried. Only about 2,800 corpses are found inside Nanking castle, and the rest are recovered outside, which were almost 40,000. There are few corpses of women and children.
付け加えて、私は時々このコメントの後にこんな反論を受ける。日本軍は強姦した後に彼女たちを殺したから子供はいないと。しかしながら中国が提出した死体の数と埋葬記録がここにある。この資料によると、2800人が南京城内で見つかり、城外では4万人だった。そこには女性と子供の死体はほとんど皆無だった、と書かれている。
(Rach: 付け加えて(In addition)の部分は都合により外してもらってもかまいません。その時にはWeと大文字に直してください。)


■Do you know the number of women victims’ Chinese government has claimed? The total number of rape survivors is at least 20,000 to 80,000, Chinese government said. You gave us a new story which means Japanese soldiers used condoms for raping these women. Please give me your source about the fact. The great historians always distinguish between opinion and fact in their announcements. Which source was written about the condom story Japanese soldiers brought at least 80,000 condoms?


中国政府はどれだけの女性がレイプされたと公言しているのか知っているのか?少なくとも2万から8万だと言っている。もし君がくれた新しい事実、日本軍はコンドームを使ってレイプしたから妊娠していない、と言い張るなら、その事実を証明する資料を提出してみよ。優秀な歴史家は、いつも公共の場で語るときには事実と推測を区別している。日本人が8万ものコンドームを持っていたことが書かれている資料はどれなんだ?
(Rach:レイプオブベルリンの妊娠率に対し、南京では日本軍がコンドームを使っていたから妊娠しなかったという中国人への反論です。)


■A photo has displayed at the Nanking Massacre Museum. The caption said, "The Japanese rounded up thousands of women. Most of them were gang raped or forced into military prostitution. But this photo appeared in the Asahi Graph, a weekly photo journal, published in Japan on Nov 10, 1937, about one month before Nanking battle. The explanation says, "A group of women and children from the Rising Sun Village returning from the fields, guarded by our soldiers."


一枚の写真が南京大虐殺記念館にある。この写真の説明書きはこうだ。『日本軍が数千人もの女性を捕らえ、彼らの多くは慰安婦にされた。』とある。しかしこの写真は南京大虐殺があったとされる1ヶ月も前の、1937年11月10日週間アサヒグラフ(日本発行)に載せられた写真なのである。この写真の説明には、『日本軍に守られ畑仕事から帰宅する女性達』と書かれている。





南京大虐殺 略奪

■(Part1)The Chinese are always claiming Japanese soldiers mass-plundered the city while the Japanese were staying the Nanking city. In fact, how bad was the damage? American Embassy reported the residence of was one of the targets of looting, they sent a telegram to Washington on January 8. The record was written by the Safety Zone Committee endorsed this report, and it detailed the damage due to looting committed by Japanese soldiers from December 12 through 18.
(Part2)They said a massive looting was supposed to have occurred by the Japanese as follows: Five automobiles, six bicycles, several motorbikes, two cows, one pig, several ponies, three sacks of rice, 500 futon mats, two gloves, a bottle of milk, a handful of sugar, one pan, one trash box, six fountain pens, a half can of kerosene, and a few candles. From this list, would anyone be able to say that a large scale looting had taken place?
中国人は日本軍が先の戦争中に、南京市で大略奪を行ったと糾弾している。さて、どれくらいひどかったのか?アメリカ大使館が略奪だけに絞ったレポートを、1938年1月8日に提出している。その報告書は南京安全避難区による、12月12日から18日までに起きた窃盗事件の報告も裏書きされたものだった。それによると、車5台、6台の自転車といくらかのバイク、牛2頭、豚1匹、何頭かのポニー、米3袋、500枚の布団、手袋2つ、牛乳一瓶、携帯砂糖、鍋一つ、ゴミ箱一つ、万年筆6本、半分だけ入った灯油缶、そして数本のろうそくと書かれていた。さてこれを大略奪と言えるのか?


■(Part1)Looting committed by the Chinese who came into the Safety Zone was misunderstood as the acts of Japanese. Guo Qi, commander of one of Chinese battalions wrote about the reality of looting by the Chinese refugees: Refugees hid themselves during the day and moved around during the night. The night was the good opportunities for refugees to take actions, since J-soldiers became inactive and only the Japanese guards were posted to watch over the area where they slept.
(Part2)The refugees went outside their area and ransacked large firms, shops, and houses of whatever they wanted. In those days, food was in store in food companies, daily provisions in consumer goods companies, and silk products in silk textile wholesales. One day's work, therefore, enabled them to get everything, and anything they want became available and at their disposal.
(Part3)Rabe also wrote in his diary on January 2 about how busy the 'stolen goods market' was in the Safety Zone. All the Chinese refugees in the Safety Zone were 'poor and needy.' It was doubtful why they could obtain these goods in Nanking where any commercial circulation was suspended. As Guo Qi testified, those commercial goods were stolen goods. Chinese government might have pinned their crimes on Japanese soldiers.


安全区に避難した中国人たちによる掠奪を、日本軍兵士の犯罪と誤認した可能性もある。陥落後、中国軍大隊長の郭岐は、難民による掠奪の実態を次のように記している。「一般に生計が苦しく度胸がある難民たちは、昼は隠れて夜活動していた。夜の間は、日本兵は難民区の内外を問わず活動する勇気がなく、兵隊の居住する地区を守る衛兵がいるだけだった。人々は難民区外の大企業、大店舗、大きな邸宅を好きなだけ物色した。当時、食品会社には食べ物が、妙機会社には日用品が、絹織物問屋には絹織物があった。だから一晩働くと翌日には手に入らない物はなく、色々なものがすべて揃った。こうして生まれた安全区の"盗品市"が実に盛況を誇っていたことを、ラーベも1月2日の日記に記している。安全区の中国人たちは"貧民"ばかりであった。その貧民たちがどうやって流通の途絶えた南京で商品を仕入れることができたのか。郭岐の証言するように商品は"盗品"だったのである。 それ故にこれらの行動を全部日本軍のせいにしたことも考えられるのだ。


南京大虐殺 中国プロパガンダ作戦

■One of the foundations of the massacre myth is based on the book which is called "What War Means", edited by Harold Timperley. But he was an advisor to the Chinese Nationalist government’s Ministry of Information. The section was propaganda section which was established by KMT (Kuomintang, Chiang Kai-shek) in China during the War. Timperley was paid by the propaganda section for writing the book.


南京大虐殺に関する一つの作り話として「戦争とは何か」という本が挙げられる。これはハロルドティンパーリが虐殺の事実を書いたものであるが、じつは彼は中国政府情報局のアドバイザーであった。このプロパガンダ局は、当の戦争中に蒋介石率いる中国国民党によって設立されたもので、ティンパーリはそこからお金をもらってこの本を書いたのである。


■Timperley was paid by the Ministry of Information in China for writing the book "What War Means". The book was written about the Japanese atrocity. Zeng Xubai, then chief of the international propaganda division, said in his autobiography (vol. I, p. 201) that the central propaganda bureau funded the publication of Timperly’s What War Means and Lewis S. C. Smythe’s War Damages in the Nanking Area. Both of these books must have Chinese propaganda books.


ティンパーリは中国情報局(プロパガンダ局)からお金をもらって「戦争とは何か」という本を書き、日本軍の蛮行を知らしめた。曹虚白というプロパガンダ局のチーフの自叙伝第一版、201ページにしっかりそう書かれている。この本、「戦争とは何か」だけではなく、同じく南京安全避難区のメンバーであるルイス・スマイスもお金をもらって「War Damages」というプロパガンダ本を出しているのである。この2冊の本は中国の出したプロパガンダ本である。

南京大虐殺 歴史事実

■(Part1)Chinese Communist Party Chairman Mao Zedong never referred to a massacre in Nanking. He made exactly one mention of the Battle of Nanking during a lecture delivered at Yan’an six months after the conflict, reproduced in On Protracted War. Chairman Mao criticized the Japanese for failing to annihilate Chinese troops after having surrounded them.
(Part2)If there had been slaughter in Nanking of a magnitude so great (300,000 civilian victims) as to prompt the description “holocaust of the century,” there is not the slightest chance that he would have been silent on the matter.


中国共産党率いる毛沢東は南京大虐殺について、一切何も語ってはいない。彼はこの事件が起きたとされる6ヶ月後、Protracted Warという書物の中でこう語っている。日本軍は中国軍を追い詰めてからのツメがあまいと。もし30万人という中国人が殺された南京大虐殺がほんとうに起きたのなら、これは黙っていたはずがないだろう。


■(Part1)In Nov. 1937, during the Battle of Nanking, the Nationalist Party established The International Propaganda Section (IPS). According to the top-secret document entitled “Outline of International Propaganda Operations,” the IPS held 300 press conferences in Hankou between Dec 1, 1937 and Oct 24, 1938.
(Part2) About 35 foreign journalists and diplomats attended there. However, Chinese didn’t explain the fact which was so-called the Nanking Massacre even once during any of these 300 conferences was a statement or announcement.


1937年11月、南京戦の最中、中国国民党はプロパガンダ局を立ち上げた。「プロパガンダ作戦の概要」という秘密文書によると、プロパガンダ局は1937年12月1日から、1938年10月24日までの間、300回を超える報道記者会見を漢江で行っている。約35人の外国人記者や諸外国の外交官も出席した記者会見であったにもかかわらず、中国側は一切南京大虐殺について報道してはいない。


■Japanese Army had to capture Nanking in December 1937. The prosecutions presented for this 'Nanking Massacre' have been various, and especially, the number of victims is controversial. According to the Documents of the Nanking Safety Zone, the committee members in China reported to the world about the number of victims in Nanking battle was 49 people in 1938. Mr. Smythe reported 15,760 victims in 1938. Iris Chang said 300,000 in 1997 in her book The Rape of Nanking.


日本軍は、1937年12月、南京を攻略する必要があった。南京大虐殺に関する日本への起訴状は非常に多様に富んでいる。特にその数字に関しては意見が分かれるところが多い。1938年(翌年)南京避難区の出した書類には49人と記載され、同じく1938年のスマイスの種類には15,790人の被害者と出ている。アイリスチャンは彼女の本、レイプオブナンキンには、なんと30万人だ。


■(Part1)Around December 10, which date was Japanese surrounded the Nanking city, the city was completely fallen into a state of anarchy by Chinese soldiers. The Chinese soldiers in holy terror came to be out of control and began looting. James Espy, the vice American Council at Nanking, reported to the American Embassy at Hankow concerning the aspect of the city right before the fall of Nanking as follows :
(Part2)Monition should be made here, however, that the Chinese themselves are not altogether exonerated of depredations, at least to some extent, before the entry of the Japanese. During the last few days some violations of people and property were undoubtedly committed by them. Chinese soldiers in their mad rush to discard their military uniforms and put on civilian clothes, in a number of incidents, killed civilians to obtain their clothing.


12月10日、この日は日本軍が南京市を取り囲んだ日だ。南京市内は中国兵士の錯乱状態で混沌とした状態に陥った。中国兵士達はまさにその恐怖から、衝動的に略奪をし始めたのだ。中国漢江にあるアメリカ副領事を勤めるジェームズヱスビー氏は、秋の南京で起きたその様相を次のように語っている。
軍規などあろうものか、中国人達は日本軍が入城する前に、彼らの兵士からの略奪を免れることはできなかった。日本軍が入城する前の2,3日のうちに、彼らは暴力を受け土地を荒らされた。中国軍兵士はまるで泡食ったように、彼らの制服を脱ぎ捨て人民から衣服を奪うために、人殺しまでもが行われたのだ。


■Before the entry of the Japanese, Chinese soldiers in their mad rush to discard their military uniforms and put on civilian clothes. In a number of incidents, Chinese soldiers killed their people to obtain their clothing. During the last few days, some violations of people and property were undoubtedly committed by them. James Espy, the vice American Council at Nanking, reported to the American Embassy
ジェームズヱスビー氏、上記の短いバージョンです。


■(Part1)EX-CHINESE OFFICERS AMONG U.S. REFUGEES Colonel and His Aides Admit Blaming the Japanese for Crimes in Nanking New York Times January 4, 1938 Wireless to the New York Times. SHANGHAI, Jan. 3.
American professors remaining at Ginling College in Nanking as foreign members of the Refugee Welfare Committee were seriously embarrassed to discover that they had been harboring a deserted Chinese Army colonel and six of his subordinate officers.
(Part2)The professors had, in fact, made the colonel second in authority at the refugee camp. The officers, who had doffed their uniforms during the Chinese retreat from Nanking, were discovered living in one of the college buildings: They confessed their identity after Japanese Army searchers found they had hidden six rifles, five revolvers, a dismounted machine gun and ammunition in the building.
(Part3)The ex-Chinese officers in the presence of Americans and other foreigners confessed looting in Nanking and also that one night they dragged girls into the darkness and the next day blamed Japanese soldiers for the attacks. The ex-officers were arrested and will be punished under martial law and probably executed.


アメリカ管轄の難民区に元中国軍大佐 彼は南京で自らの行為を日本軍の悪行と宣伝する。NYT 1月4日 1938年ニューヨークタイムズ 上海発電文(1月3日)によると、中国に残っているアメリカ人教授らが、南京市Ginling大学にある『外国人による難民保護区』で、逃走中の中国人大佐とその6人の部下を見つけるという事件が起きた。実際この大佐はかなりの権力者でもあり、これら幹部軍人らは南京戦から逃走中に、制服を脱ぎ捨てているなど、そのような状態で大学の建物内で発見された。彼らは日本軍が探していた人物と一致し、しかも6丁のライフルとリボルバー式の拳銃、及び分解された(もしくは台座から取り外された)マシンガンと弾薬をも建物内に隠し持っていた。彼らは南京市内で、強奪をしかつ少女達を暗闇に連れ込むなどし、それを翌日に日本軍がやったと吹きまくったことを白状した。彼らは逮捕され、後に法に基づき罰を受け、多分処刑されるだろう。


南京大虐殺 荒唐無稽な中国の言い分

■(Part1)Some of the photos and videos, which obviously show restoration of order in the Safety Zone immediately after the seizure of Nanking, and also the documentary films which show the Chinese citizens rushing to get ID cards. These photos and films are made by the trustworthy sources, and coincided with the witness of over 100 Japanese correspondents dispatched to Nanking then.
(Part2)On the contrary, some of the pictures, which were claimed to have been taken at the time of the massacre, have never indicated the date, the places, and the names of photographers. Also, some of them are showing the entirely different things, and others are forged ones. Even the Chinese cannot have proved the Nanking Massacre.


いくつかの写真やビデオには、南京攻略後のまさしく見事な復興シーンが映し出されている。そのシーンには中国人達が日本軍の発行する「良民証」を得ようと、並んで待っているものもある。これらの写真やフィルムなどの発行元は非常に確かなもので、かつ南京市内には実に100人もの報道陣がそれらのシーンを見ているのである。その反面、中国側の提出する写真には、写された場所が不明確であったり、写した人物やその日付さえも特定できていないものばかりである。中には全く違う場所で写されたものを南京大虐殺の写真として取り上げていることさえある。中国人でさえも、南京大虐殺の証拠を挙げることができないでいるのだ。


■20 westerners in all remained in Nanking during the Japanese occupation, and most of them belonged to the Safety Zone Committee. Diplomats and journalists had already left Nanking. Therefore, a large amount of reports and article they wrote were based on the same source of information. However these reports were untrustworthy for many reasons. Chinese governmnet has double counted on these numbers of victims and spread out Japanese false rumors to the world.


南京陥落から日本軍による占領に至る期間に南京にいた欧米人たちは、安全区委員会のメンバーを中心とする二十数名に過ぎなかった。外交官やジャーナリストらはほとんど南京から離れていた。このため、彼らが残した大量の報告書や記事は、ほぼ同一の情報源に基づいているのである。しかもこれらの情報は信頼できるものなどではない。 中国政府はこれらの犠牲者の数字をダブルカウントし、日本軍の蛮行として世界中にばらまいているのである。


■(Part1) The so called Nanking Massacre was happened in 1937 China has claimed. In fact, so many cruel tortures, punishments and executions were conducted in everywhere in China by Chinese government in 1900’s. Moreover, In Chinese history, Chinese soldiers destroyed civilian’s homes and a town in order to wipe out any possible supplies or shelter that could be utilized by the over-extended enemy troops. This strategy is called "The Clean Field Strategy" by China.
(Part2) American Rulph Townsend stayed in China in 1930. He said, “One of these was tying a victim immovable and unclothed over a freshly sprouting bed of thorny cactus which is said to grow very rapidly in south China, and with great force, so that sharp spines with which in breaks through the sod pierce upward as it grows and gradually penetrate the helpless man’s body in the course of a day or two”.
(Part3)Not only that, there were many styles of cruel tortures in China. Violation of human rights is Chinese forte. Chinese soldiers killed 30,000 their own people in cold blood in Changsha in 1938 under the Clean Field Strategy even though Japanese didn’t reach the city. During the Shino-Japanese war, Chinese military killed Chinese people as if they were a worm. Chinese government was a genius to conceive cruel tortures and killing ways, and at propaganda.
(Part4)They said that the Japanese must have done with these cruel tortures and massacres. When people think about the awarding of the 2010 Nobel Peace Prize to the Chinese writer and human rights activist Liu Xiaobo, Chinese government has not changed their opinion compared with the Nanking Massacre happened. They showed Liu’s wife was gone out for shopping in front of camera. However, the scene was staged.
(Part5) Chinese government has been killing 1,200,000 Tibetans since 1950. However, they have loudly announced we have been ruling over Tibet peacefully. Who can believe what China said?


1937年に中国で南京大虐殺が起きたとされている。1900年代でも中国各地で残酷な拷問や、刑罰、処刑が行われていた。また中国史にも残る清野作戦は、迫り来る敵に補給物資を与えないようにするため、人民の家や街ごと焼き払うような作戦も採られていた。アメリカ人、ラルフタウンゼントは1930年に中国にいた人物だ。彼はこう言っている。『中国で行われている処刑法の一つに、人間を裸にし動けないように縛り上げ、非常に鋭利なとげを持つサボテンの近くにつるし上げる。中国南部に生育しているそのサボテンは生長がものすごく早く、1日か2日でその男の体に食い込んでいくのである。』 それだけではない。中国には様ざまな残酷な拷問法がある。人権蹂躙とも言えるこれらは中国ではお家芸だ。清野作戦においても1938年にはChangshaという市で、3万人の中国人が中国人の手によって殺された。日本軍が近づいてもいない市で起こったことだ。支那戦争中、中国人兵士はまるで虫を殺すかのように、中国人民を殺してきた。中国政府のこの残酷な処刑の発想や殺し方、そして宣伝のやり方は天才的である。中国人はこれらの残忍な処刑や虐殺は日本軍がやったものだと宣伝している。2010年の平和ノーベル賞を受賞したLiu Xiaoboの人権問題を考えるとき、中国政府のこの考え方は南京大虐殺が起きたとされる頃から何も変わっていないと言える。彼らはLiuの妻をわざと外出させ、カメラの前で買い物をさせて見せた。しかしこれはやらせであった。1950年から中国政府は120万人ものチベット人を虐殺してきている。しかし中国は、チベットは平和的に統治されている大声で宣伝している。誰が彼らの言うことなど信用できようか?


■(Part1) In fact, it estimated that a far larger number of 65,000,000 people had been victimized in China, is still existing under the dictatorial political system, and still persecuting minorities and committing human right violations ceaselessly. Especially in Tibet, more than 1,200,000 people, corresponding to roughly 20% of the total population, were massacred since being unfairly annexed to Communist China in 1955.
(Part2)Even now, the people in Tibet are still abused, and their cultures are being destroyed. The very Communist China declared that the problem of Tibet is a problem relating to domestic affairs and refused the interference of the foreign nations. On the other hand, the CCP is loudly denouncing the Nanking Massacre which had been insisted on its happening more than seventy years ago, but this is not even clearly defined.


事実、中国国内ではおよそ6千5百万人の人々が、中国独裁政治の元で犠牲になっており、絶え間なく少数民族への人権蹂躙は続いていると言われている。特にチベットではその人口の20%と言う120万人にものぼるチベット人が、1955年からの一方的な侵略以来、犠牲になっている。
今でさえチベット人は虐待され、その文化を破壊され続けているのだ。しかし中国はそれを国内問題だと言い張り、一切の海外からの要望を無視し続けている。その反面、およそ70年前に起きたとされる、南京大虐殺事件を声高らかに糾弾し続けているのだ。しかもこの大虐殺は未だ何の証拠を揃ってはいない。


■Why don't the Chinese establish the Mao Massacre Museum? Mao killed at least 300,000 Chinese. The leadership of Mao Tse-Tung oversaw the often brutal implementation of a Communist vision of society. Millions died in the Great Leap Forward programmed of state control over agriculture and rapid industrialization and the Cultural Revolution.


何故中国人は毛沢東虐殺記念館を作らないんだい? 毛沢東は30万人という中国人を殺した人物である。中国共産党の指導者であった毛沢東は、しばしば共産党の冷酷な政治的実行を行ってきた。彼が実施した工業力発展と農業の管理を目指した文化大革命と大躍進政策によって、何10万という中国人が死んだのだ。


■After the U.S dropped two atomic bombs, they visited Japan for taking scientific research. Therefore, the result of the atomic bombs and the number of victims were purely accurate. However, about the Nanking Massacre, which Chinese government has been claiming since 1937, there were no witnesses; not only that some foreigners were paid by KMT, and they wrote faked news topics and books. The Nanking Massacre was a fake story.


アメリカが2つの原爆を日本に落とした後、彼らは日本にやってきて科学的な調査を行った。それ故にこの原爆投下の被害状況と、犠牲者の数は完全に正確である。しかし中国政府が非難している1937年の南京大虐殺については、目撃者がいないばかりか、中国政府はそこにいた西洋の外国人らに賄賂をもちかけ、虐殺に関するニュースや本を書かせているのである。南京大虐殺はまさに嘘話である。
(Rach:南京大虐殺が嘘ならアメリカによる原爆投下も嘘だ、に対する反論です。)


■(Part1)Chinese people are always barking lies like dogs. Tell the truth; what Chinese people said about the Nanking Massacre and the Senkaku problem does not have any conclusive evidence. In addtion, they believe that telling lies 100 times lead to becoming true story from the lies. The Chinese have appealed the Nanking Massacre was caused by Japanese even people don’t have any witnesses about that. Now, Chinese people are telling Okinawa is Chinese territory.
(Part2) We have to be careful because the Chinese conspiracy which means China will get Okinawa from Japan might work. They are telling lies enthusiastically even their story was ridiculous theory, so some people will be mind controlled by their lies. Now they are waiting another stupid historian agree with them. Unfortunately, there is a stupid person who wants to agree with them. Country China is a bribe society. Therefore, all over the world will be occupied by China someday.


中国人はまるで犬のように嘘を吠えまくるのが尋常である。事実、中国人の発言している南京大虐殺や尖閣領土問題など、その内容に明確な論拠はない。それに加え、彼らは嘘も百回言えばその嘘は真実になると信じている。南京大虐殺も目撃者がいないにもかかわらず、日本軍による蛮行であるとアピールしている現状だ。そして今、中国人は沖縄をも中国の領土であると言っている。私たちはこの事実に注意深く接しなければいけない。なぜなら、この沖縄を中国領土とする中国人の陰謀は、成功するやも知れないのだ。たとえそれがとんでもない意見であったとしても、彼らは必死になって嘘をつく。よってその必死な嘘に洗脳されてしまう人もいるのだ。彼らはお馬鹿な歴史家が彼らの意見に同意してくれるのをひたすら待っている状態だ。残念ながら、馬鹿な奴というのはどこにでもいるものだ。中国は賄賂大国でもある。いつか、中国に世界は飲み込まれる日が来るかも知れない。

今日ボクが見た風景
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尖閣諸島問題は国際問題

Category: ブログ  

Japan incorporated the islands under the administration of Okinawa. The Senkaku Islands dispute concerns a group of uninhabited islands which have been claimed by both the People's Republic of China and the Republic of China (Taiwan) since 1971.


尖閣諸島問題(せんかくしょとうもんだい)とは、正式に日本がそれらの島々を領有したが、中国(中華人民共和国)と台湾(中華民国)が、尖閣諸島に対して主権があると主張している問題である。なお日本側は領有権問題は存在しないとの立場であるが、中国および台湾側は領土問題であると主張しており、国際問題となっている。なお台湾側および中国側が尖閣諸島に対する領有権主張を公式に行ったのは1971年以降である。

ビデオを全面公開せよ。

■(Part1)Japan should open the video which was recorded all of collision scene and investigation. After the collision, the Japanese coast guard (JCG) ship succeeded to stop the Chinese ship finally for investigation. When the JCG members tried to board the Chinese ship, a member was kicked and fall down to the sea by a Chinese man. After that, many Chinese men planted a harpoon in him, so the JCG member was killed by them.


日本は衝突から船内調査まですべて含んだビデオを全面公開するべきである。衝突の後、日本海上保安庁の船は調査のため、中国船を最終的に停めさせた。職員が中国船に乗り込もうとしたとき、職員の一人が中国人から海に蹴り落とされ、さらに銛で突かれて死んだらしい。


(Part2)The rumor spreads quickly in Japan. I want to make sure it. I think people in the world want to see the video! Open the video! If the video doesn’t have such a scene, Japan doesn’t have any reason to stop opening the video. Why the Chinese government has demanded not open the video to the Japanese government?
Full disclosure the video!


この噂は日本国内で瞬く間に広がった。私はそれを確かめたいと思っている。もちろん世界中の人もそれが真実がどうか知りたがるだろう。ビデオを公開せよ。もしビデオにそんなシーンがないのなら、日本は公開を躊躇する理由など無いはずだ。なぜ中国政府はそのビデオの公開をしないよう、日本政府に強硬に頼んできたのだ?
ビデオを全面公開せよ!

論文 尖閣諸島問題

■(Part1) The Senkaku islands were not inhabited up to 1895. After a decade of deliberations, the Japanese government had decided to annex the Senkaku Islands and placed them under administrative rule by the Okinawan government on January 14, 1895. At the time, no countries had voiced their objections to the Japanese government's decision to annex the Senkaku Islands under the Okinawa rule.


尖閣諸島は1895年まで無人の諸島だった。その後1895年までの10年間、日本は注意深く尖閣列島の領有作業を行い、正式に1895年1月14日、沖縄県への編入が決まった。その頃はこの日本の行動にどの国も異を唱えなかったのである。


(Part2) The geography textbooks, which had to be approved by the government, published in 1970 in Taiwan clearly showed the Senkaku Islands as a part of the Japanese territories. Then, these islands were placed under the control of the U.S. occupation forces following the Japan's surrender at the end of the WW II. In short, these islands have never been controlled by China up to present.


実際台湾の地理教科書にもこれらの島が日本の領土であると明記され、戦後の日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中にも、この尖閣諸島は明記されている。


(Part3) In addition as another indication of this fact, the former President of the Republic of China, Lee Teng-hui, was also quoted in the Taipei Times newspaper, dated Sept. 6, 2009, that he had always considered the islands as a part of Okinawa. Then why and when China had started claiming about the islands as their own? 


また台湾総督府元総統である李登輝氏は、台北タイムズ(2009年9月6日)において、この尖閣諸島は日本沖縄の領土であることを述べている。では何故中国は尖閣諸島について領有権を言い出したのだろうか?


(Part4) It was after the UN investigation of the natural resources of the region, and their subsequent report of the findings of their investigation of the existence of abundant underground oil reservoir around Senkaku Islands in 1969. Suddenly, China was very interested in the Senkaku Islands and began insisting that the Islands belonged to China all along.


中国が尖閣諸島が自国の領土であると言い出したのは、国連の海底資源調査が1969年に行われ、海底に油田がある可能性が高いというレポートを知った後のことである。突然、中国は興味を持ち尖閣諸島は中国の領土であると強行に言い出したのである。


(Part5) How can the Chinese government justify their actions to pursue the territorial rights over the Senkaku Islands completely disregarding all the historical facts of the region? If another country acted the same way like China has toward your country, how would you feel? In fact, China wants to control the East Turkistan too. Redundant China's hunger for its political and territorial control extends even to East Turkistan, where its people's struggles for independence from China continue to this day.


このような中国の言い分や行動は正しいと言えるのか?もし他国がこのような手段であなたの国に接したら、あなたは実際どう思うだろうか?事実、中国は東トルキスタン、ウイグル自治区を紛れもない中国の領土だと言い張り、独立を認めず人権弾圧を行っているのだ。


(Part6) There stands a building within the East Turkistan territory constructed by the Chinese earlier, which China claims to have built it during the ancient Chinese Kingdom period. Therefore, the East Turkistan belonged to China. The idea of propping up some buildings within the East Turkistan borders and professing that China had controlled the region from the ancient times to be the truth, thereby claiming that East Turkistan belonged to the Chinese is preposterous.


中国はそんな彼らの土地に建物を建て、「この建物は古来中国王朝からあった建物だ。この土地は昔から中国の支配下であった証拠である。だから、東トルキスタンは中国の領土だ」と宣言したそうだ。


(Part7) However, a radiocarbon dating investigation has revealed that the same structure was constructed just 5 years ago, according to the President of the Japan Uyghur Association, Ilham Mahmut. Likewise, China's accusation of placing Japan at fault on the incidence of capturing of a Captain of a Chinese boat which occurred off shores of the Senkaku Islands on Sep. 7, 2010 has no merit.


しかしながら、炭素時代測定器の計算ではたかだか5年ほど前に作られたものだと判明した。この話は日本ウイグル協会会長であるIlham Mahmut氏が語ったものである。中国政府の、2010年9月7日に起きた尖閣諸島周辺海域での事故と、中国人船長の逮捕劇に関する中国の日本に対する非難やり方は、何のメリットも持たないのは明白である。中国政府がアピールしている尖閣諸島の領有権は、協議するにも当たらないことなのである。


(Part8) The question of whether the islands are part of China is not worth for a serious deliberation. The Islands' past history clearly indicates otherwise. What China is demanding is nonsensical and goes against all conventions of the internationally acceptable practices. Therefore, the Japanese government should proceed with their demand of the damage claim, which was incurred by Japan, as a result of the Chinese fishing boat's ramming into the Japan Maritime Security Agency's vessel.


この島々の過去の歴史がどうあるかなど、まったく関係のないことである。中国が要求していることは、国際社会上通用することではない。それ故に日本政府はこの事件による海上保安庁の船舶の被害等、即刻中国に弁償を求めるべきである。


尖閣諸島 台湾の教科書

■China attacked Tibet in 1950, and they took their land. Now China is claiming Japan about the Senkaku Islands are Chinese territory. The geography textbook published in 1970 in Taiwan say, where every textbook had to be officially approved by the government, clearly showed the islands as Japanese territories. Now Chinese are finding the books and burning in great haste. Why?


中国は1950年にチベット侵攻をし、チベットの土地を奪った。今、中国は尖閣諸島が中国の領土であると日本を非難している。1970年発行の台湾の地理に教科書には、尖閣諸島が日本の領土であると知りされている。今現在、中国はその教科書をせっせと燃やしているのだ。何故こんな事をする必要があるのか?

尖閣問題 中国船長は故意にぶつかってきた。

Everybody knows the Chinese ship revved an engine, black smoke rose, the Chinese ship sped up, and the Chinese captain made a frontal assault to Japanese coast guard ship. Even the Japanese coast guard had moved on the left as the Chinese ship faces, the Chinese ship didn't turn right. The Chinese ship chased the Japanese coast guard ship. Why the Chinese ship did not turn right?


中国船がエンジンの出力をあげ、黒煙を吐き、スピードを上げ、日本海上保安庁の船に真正面から突っ込んできたと見て取れる。海上保安庁の船は中国漁船から見て左に向かっていた。しかし中国漁船はその後を追うようにして舵を右には切っていない。なぜ中国漁船は舵を右に切らなかったのか?

尖閣諸島 国際裁判所

■(Part1)The Chinese government had rejected the Japan's earlier suggestion to bring the Senkaku Islands dispute to be judged by the World Court. Do you know why? Because, China knew that they would lose their claim once this matter were to be decided by the International Judiciary Forum.
(Part2)The Chinese public then would accuse their government of telling them lies that the Senkaku Islands belonged to China for all these years, which might lead the current Chinese political leaders to lose their control over the country, and they are not willing to suffer such a political risk.
(Part3)This is the reason why the Chinese government has been trying to claim the Islands as their own by building and setting up an offshore oil-production facility within the Japanese territorial waters as well as settling Chinese people on the islands. All these efforts by the Chinese government seem to indicate that they are determined to establish their rights to the Senkaku Islands by osmosis.


日本はかなり前に、この尖閣諸島領土問題を国際裁判所へ提出しようと中国に持ちかけたが、中国側がこれを拒んでいる。その理由を知っているか?中国は裁判となれば、この問題に負けることが解っているからだ。
尖閣諸島はれっきとした日本の領土であったにもかかわらず、中国古来から中国のものだったなどと、政府が大嘘をついていたことを中国人民が知ると、政府の基盤が揺らぐことになりかねないのだ。
だから中国は、日本の領海であるにもかかわらず、不当な石油搾取の建設にのりだし、中国人を働かせ、既成事実を作ることに専念しているのだ。慣習法という手段で徐々にそこが中国の領海であることを浸透させようとしているのだ。

尖閣諸島 ワシントンポストで取り上げられた中国の地図

■(Part1)The Washington Times By Bill Gertz September 15, 2010
Inside the Ring has obtained a classified Chinese map that is likely to further muddy Beijing's territorial claims. The 1969 map, produced by the People's Republic of China map authority and labeled "confidential," lists the islands as "Senkaku," the Japanese name, and contains a dividing line south of the islands indicating that they fall within Japanese territory.
(Part2)The map contradicts the statement on Tuesday by Chinese Foreign Ministry spokeswoman Jiang Yu, who told reporters: "The Diaoyu Islands have always been Chinese territory since ancient times, and this is the fact that nobody can ever change. China owns indisputable sovereignty over the Diaoyu Islands. The Chinese government's will and determination to safeguard national sovereignty and territorial integrity is firm and unshakable." I want to say this is an incredible but true story.


2010年9月15日付けのワシントンタイムズ ビルゲイズ著 この汚い領土問題とも言える重要機密に属する地図を、中国で手に入れた人物がいる。1969年発行のその地図は中国政府が発行したもので、すでに機密という文字が入っている。そこにはこれらの諸島は、日本名でSENKAKUと書かれ、その南側に国境が引かれ、しっかりと日本の領海であることが明記されている。
そんな地図と裏腹に、中国政府外務省のスポークスマンJiang Yuはこう言い放った。「魚釣島は、古来一貫して中国の領土であり、誰にもその事実を踏みにじられるものではない。」中国はこの強固で揺るぎない決断を崩してはいない。嘘のような本当の話である。


尖閣 中国が沖縄を領有したい理由

■(Part1)China wants to get Okinawa Pre. in Japan. Do you know why? There are so many wars in Chinese history, so they are very afraid of attacking from other countries. They strongly want to set friendly regions such as, East Turkistan (Uyghur), Tibet, Mongol and Taiwan are located in west, south, north, and east around China. China thinks that the east side of China is not enough for defense.
中国は沖縄を欲しがっている。何故だろうか?中国は戦争だらけの歴史を持つ国であり、よって今でも他国からの侵略を非常に恐れている。それ故に強行的に友好的な他民族の土地である東トルキスタンを東に、チベットを南に、モンゴルを北に、そして台湾東に持ちたがり、守ろうとしているのである。しかし東側は防御が不完全だと思っている。


(Part2) Taiwan is a small island and a dependency North Korea’s political is unstable. These days, it is very rare case that another country attacks to another country suddenly. Can you assume that the U.S will attack Canada? Italy will attack France? Russia will attack China? All countries think if they attacked another country, their country would be isolated from the world because we already know what justice is.


台湾は小さな一島であり、属国北朝鮮は政局が不安定である。近年、突然戦争が起きることは非常に希である。アメリカがカナダと戦争するとか、イタリアがフランスを襲うとか、ロシアが中国侵攻を始めるとか、そんな事が突然起きると想像できるかな?世界の国々はもしそんなことをしたら、世界から自国が孤立してしまうことになることは百も承知なのだ。要は、何が正義なのかよく解っているのである。


(Part3)We can’t invade another country just because we desire to. However, China doesn’t think so. They have already invaded Tibet, so China thinks other countries might attack China. This is old way of thinking.


だから私たちは欲望のままに他国を侵略するなんて事はあり得ない。しかし、中国は違う。彼らはチベットに侵攻した。だから他国も中国を侵略してくると思っている。いわば、相当古い考え方をした国なのである。

尖閣問題と南京大虐殺 中国が根拠もないのに騒ぐ理由

■(Part1)Chinese people are always barking lies like dogs. Tell the truth; what Chinese people said about the Nanking Massacre and the Senkaku problem does not have any conclusive evidence. In addtion, they believe that telling lies 100 times lead to becoming true story from the lies. The Chinese have appealed the Nanking Massacre was caused by Japanese even people don’t have any witnesses about that. Now, Chinese people are telling Okinawa is Chinese territory.


中国人はまるで犬のように嘘を吠えまくるのが尋常である。事実、中国人の発言している南京大虐殺や尖閣領土問題など、その内容に明確な論拠はない。それに加え、彼らは嘘も百回言えばその嘘は真実になると信じている。南京大虐殺も目撃者がいないにもかかわらず、日本軍による蛮行であるとアピールしている現状だ。そして今、中国人は沖縄をも中国の領土であると言っている。


(Part2) We have to careful because the Chinese conspiracy which means China will get Okinawa from Japan might work. They are telling lies enthusiastically even their story was ridiculous theory, so some people will be mind controlled by their lies. Now they are waiting another stupid historian agree with them. Unfortunately, there is a stupid person who wants to agree with them. Country China is a bribe society. Therefore, all over the world will be occupied by China someday.


私たちはこの事実に注意深く接しなければいけない。なぜなら、この沖縄を中国領土とする中国人の陰謀は、成功するやも知れないのだ。たとえそれがとんでもない意見であったとしても、彼らは必死になって嘘をつく。よってその必死な嘘に洗脳されてしまう人もいるのだ。彼らはお馬鹿な歴史家が彼らの意見に同意してくれるのをひたすら待っている状態だ。残念ながら、馬鹿な奴というのはどこにでもいるものだ。中国は賄賂大国でもある。いつか、中国に世界は飲み込まれる日が来るかも知れない。

尖閣問題 正当な海上保安庁の行動

■Not only Japan, many countries have been driving these Chinese ships which were fishing in other countries sea territory away since established the countries. In short, this Japanese action was not infringed on laws and regulations. People in the world will know what the Chinese ship crews did with these videos. This fact leads to demean Chinese confidence.


日本だけではない。多くの国が建国以来この中国船のような領海侵犯しての漁を取り締まってきている。要はこの日本のとった行動は、いかなる法にも触れるものではない。ビデオが公開されて事によって、世界中の人々が中国漁船のとった行動がどんなものだったのかを知る事になるだろう。そして中国の信用は地に失墜するであろう。

尖閣問題 その他

South East of Japan, 300km north of Ishigaki Island, Okinawa Prefecture, there are uninhabited islands in the East China Sea named 'Senkaku Islands.'


日本の南西、沖縄県石垣島から北へ300キロ沖合の東シナ海に浮かぶ無人島群が尖閣諸島です。(opnkikusuiさんからの情報提供です。)


In January 11, 1895, based on the international law, Japanese government declared the dispute of the islands.


明治28年1月11日、日本政府は国際法に基づき領有を宣言した。(opnkikusuiさんからの情報提供です。)


From this moment, Senkaku Islands officially became the proper territory of Japan.


この瞬間から尖閣諸島は正式に日本の領土となった。(opnkikusuiさんからの情報提供です。)


The issue on the territorial dispute of Senkaku Islands started in July 1952, when Taiwanese government permitted investigation dispute in northern oceanic area of Taiwan below 27 degree north latitude including Senkaku Islands to an American petroleum company.


尖閣諸島を巡る領有権問題は昭和27年6月台湾政府がアメリカの石油会社に尖閣諸島を含む北緯27度以南の台湾北方海域の探査権を許可したことに始まった。(opnkikusuiさんからの情報提供です。)


In July, 1978, the fleet of Chinese armed fishing boats (Maritime Militia) suddenly appeared at Senkaku Islands and invaded Japanese waters.


1978年7月、支那(チャイナ)の武装漁船団(海洋民兵)が突如尖閣諸島に現れ日本の領海を侵犯した。(opnkikusuiさんからの情報提供です。)


In 1969, the report from the United Nations revealed that there is abundant oil around Senkaku Islands, which worth 1 trillion dollars.


1969年に国連の報告書により尖閣諸島周辺に大量の石油が埋蔵していることが分かった。石油埋蔵量1000兆円相当。(opnkikusuiさんからの情報提供です。)


Why suddenly China claimed the territorial dispute of Senkaku Islands in 1970's after knowing that there are oil and gas in the vicinity of the islands?


何故、支那(チャイナ)は尖閣諸島周辺に石油やガス資源があることを知った後の1970年代になって突如尖閣諸島の領有権を主張し始めたのか?(opnkikusuiさんからの情報提供です。)





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&quot;勝者の裁き&quot;

Category: ブログ  

Chinese government claims the Japanese army committed numerous atrocities such as rape, looting, arson and the execution of prisoners of war and civilians during the occupation of Nanking.


極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん The International Military Tribunal for the Far East)は東京裁判(とうきょうさいばん)とも呼ばれ、第二次世界大戦で日本が降伏した後、連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の裁判である。罪状は東條英機首相を始め、日本の指導者28名を「文明」の名によって世界征服の責任を裁くというもので、通常の戦争犯罪に加えて「平和に対する罪」でも起訴されたが、裁く側はすべて戦勝国が派遣した人物だったことから、"勝者の裁き"とも呼ばれている。


The International Military Tribunal for the Far East (IMTFE), also known as the Tokyo Trials, the Tokyo War Crimes Tribunal or simply as the Tribunal.
(Rach is transralting this sentence now, sorry)

論文形式~東京裁判の背景に何があったのか?


■(Part1)Japan was one of the countries that fought against the western countries and China during the Sino-Japanese war and the Pacific Ocean War. After the wars finished, Japan has been called a defeated nation or a war crime country. The process leading to the war and ending it was very difficult to explain simply because the war process has included many countries in a veritable and political conspiracy.


日本は、支那事変及び太平洋戦争時、西洋諸国と中国を相手に戦った、世界で唯一の国である。戦争終了後、日本は敗戦国として戦争犯罪国として取り扱われた。戦争犯罪国なのかどうか、それは単純に決められるものではないし、かつ説明もできないはずだ。なぜなら、そこに多くの国の内幕にある、見えない陰謀が隠されているからだ。


(Part2)Therefore, it’s very difficult to judge the rights and wrongs of the war. However, after finished the WW2, Victor Nations set up a new rule which was called Crime against Humanity. Therefore, the Tokyo Trial was called Victor’s Justice by some historians for these reasons.


それ故に戦争における何が悪くて何が正義だったのかと決断することは困難だ。しかしながら第2次世界大戦が終わったとき、戦勝国は「人道に対する罪」という新しい法律を作り上げた。それ故に東京裁判は、戦勝国による敗戦国への一方的な裁きの裁判だと言われている。ここにその理由を挙げよう。


(Part3)The first reason was the establishing of a new Law Crime against Humanity, which was definitely the legislation of specified duration. In short, authorities establish the Law against hugging women suddenly, and the new law give us penalty to people have done with hugging women before. These days, legislation of specified duration is under a taboo in legal circles.


最初の理由は新しい法律である「人道に関する罪」を時限立法で成立させたことである。要するにこれはどういう事なのかというと、権力者が突然女性とのハグを禁止する法律を作ったとする。その法律は今までに女性にハグしてきた人物の過去の行為も断罪するのである。近年、これは時限立法と呼ばれ法律の専門家の間ではタブーとされている行為である。


(Part4)The second reason was Victor Nations were afraid of having been accused of their war crimes. Therefore, they had to evacuate to come up with their massacre story in Japan in the trial. Definitely they needed a position of justice even though they dropped off two atomic bombs in Hiroshima and Nagasaki. Within the first two to four months of the atomic bombings, 90,000-166,000 people died in Hiroshima, and 60,000-80,000 people died in Nagasaki.


次の理由はこうだ。、戦勝国は戦争中、自分たち自ら行った行為を糾弾されることを非常に恐れていた。それ故に彼らは日本で行った残虐な行為が、東京裁判に出てくることを回避しなくてはならなかった。たとえ、日本広島と長崎に二つの原爆を落とそうとも、彼らは正義の使者である事にこだわった事は間違いない。原爆投下から最初の2ヶ月から4ヶ月で、9万人から16万6千人の日本人が広島で死に、6万から8万の日本人が長崎で死んだ。


(Part5)Moreover, the bombing of Tokyo by U.S killed 88,000 people, and 41,000 were injured. Dropping atomic bombs on two cities and bombing missiles to Tokyo were against the law or not? Finally, Victor Nations which means judges in the Tokyo Trial needed some Japanese atrocity to cover up their performance as above. They needed some evidence which was shown that the Japanese committed cruel crimes. Their strategy was ended successfully by China.


また、アメリカ軍による東京大空襲でも死者は8万8千人で負傷者は4万1千人だ。原爆投下と東京大空襲は人道に対する罪ではないのか?
戦勝国は自分たちのしでかしたことをカバーするような、日本の残虐行為が欲しかった。この戦略は中国によって大成功することになる。


(Part6)This is the third reason the Tokyo Trial was called Victor’s Justice. According to the testimonies in the Tokyo Trial, Chinese government could not prove the murder of 340,000 which numbers of people were killed by Japanese in Nanking city even though they had accused Japan about the Nanking Massacre which means Japanese killed more than 340,000 Chinese in the capital city in China, before the trial opened.


これがいわゆる3つめの戦勝国の正義と呼ばれる理由だ。東京裁判資料によると、中国政府は東京裁判開廷前、その準備のため南京大虐殺の34万人の犠牲者の証拠集めに翻弄したが、結局集めることはできなかった。


(Part7)Therefore, Chinese government was absorbed in collecting proofs even during the trial. In other words, the Chinese government had already fixed the number of casualties into more than 340,000 before they began to collect the evidence. However, many Japanese were executed by the judge even though the Nanking Massacre was a fake story. Victor’s Nation has done the cruel acts during the war, but many Japanese have been executed by them. What was the Victor's justice?


よって中国政府は、東京裁判開廷中も必死になって証拠集めに帆走した。要は、中国政府は証拠を集める前から、犠牲者の数を34万と決めていたのだ。それでも日本人は、その嘘の南京大虐殺についての裁判で有罪と言い渡された。戦勝国も戦争中残虐な行為をしたにもかかわらず、多くの日本人は裁かれていった。何が戦勝国にとって正義だったのか?


(Part8) In conclusion, some historians and lawyers think the Tokyo Trial was something wrong. Japan doesn’t want to accuse the judgments this late. However, many Japanese are having mistakable criticisms from non-educated people sometimes. It is natural that Japanese raising an objection. The Tokyo Trial was called Victor’s Justice by some historians for these reasons.


結論、歴史家や法律家は、東京裁判は何かがおかしい裁判であったと考えている。日本は今更それをどうこう言うつもりはない。しかし多くの日本人はおよそ勉強不足な人々から、間違った批判を受け続けている。それに対し、反論をすることは日本にとって当然のことである。東京裁判はこのような理由で「戦勝国の正義」と呼ばれる理由である。





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