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撫順日本戦犯収容所の真実②

Category: 戦争  
一番最初に日本戦犯らに思想の教育を行ったのは呉浩然と張夢実で二人は管理所の職員だった。「撫順市誌」の記録によると1952年2月に周恩来総理は「これらの戦犯をしっかり教育し、罪を認めさせる」という指示の前に、呉浩然と張夢実はすでに管理所の中で戦犯学習組を開設していた。

 早稲田大学で卒業し、日本人の国民性を理解し、日本語堪能の元満州国国務総理大臣の息子張夢実さんは、レーニンが書いた日本語版の「帝国主義論」の本を「日本戦犯」達に勉強させる事をはじめて提案した。所・_然さんは「戦犯学習組」を開設し、80人余りの勉強することを望む日本人を、六つの学習クラスに分け、資料を渡して、討論させた。日本の大學に入れなかった大河原孝一にとって、収容所はまるで大学のような存在だった。彼は学習組のリーダーを勤めるだけではなく、25人のメンバーを集めて学習討論会を行った。


中国人が日本人を改造する第一歩は、いわゆる思想教育、つまりシナ共産党の思想を日本人の頭の中に注入、共産主義等の書物を見させて、日本は帝国主義国家や侵略国家であることを認識させることです。


戦犯管理所で日本人が水餃子を作る姿

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日本人捕虜の思想教育の為、戦犯管理所で製作した日本語演劇


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撫順日本戦犯収容所の真実①

Category: 戦争  

撫順日本戦犯収容所の景色

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この収容所は、元々旧日本軍が建設した監獄であった。

その収容所は当時シナで一番施設が良い収容所。

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中国では犯罪者に対し、ある言葉をよく使います。それは「改造」です。監獄や刑務所等は、「思想改造所」「労働改造所」と呼ばれています。シナで殆どの監獄、刑務所の壁の上に「好好改造,重新做人 」という標語があります。日本語訳ならば、しっかり改造し、生まれ変わることです。「改造」は「洗脳」と比べて、どこが違いますか?洗脳は、つまり貴方の頭の中に支那共産党の思想を注入することです。改造とは、貴方を生まれ変わらせることです。簡単に例えて、「洗脳」は水ボトルの中に油を入れることです。「改造」は水ボトルを破壊、分解し、新たなものを作りだすことです。ある日本人は支那の洗脳教育について、恐怖と言う言葉を語りました。しかし改造の恐さは、その怖さと比べてはるかに怖いです。一度シナの刑務所に入った経験がある人は、一度死の淵から戻ったような感覚を持ちます。

テーマは、中国人よる「改造日本戦犯」の事です。いわゆる「日本戦犯」は、つまり第二次世界大戦後、ソ連やシナ軍に捕虜となり撫順戰犯収容所で収容された旧日本軍人です。以下の私が引用した内容は、全てシナ人が書いた本の中に記載し、元管理所長や職員たちの証言です 彼らは、どのように「日本戦犯」を「改造」させることに成功したか語っています。

最初に説明しなければならないひとつのことは、中国の監獄や刑務所で犯人に体罰、精神的な虐待は日常茶飯事です。しかし、私が引用している撫順戰犯収容所のシナ人の話は、日本人捕虜に対して肉体的な虐待はしてないようです。それは、私は信じます。シナ共産党はそれぞれの犯人に対し、それぞれの方法を使っています。外国籍の犯人に対しては国際的な配慮がある一方、さらに大きな目的があります。つまりシナ共産党の目的は、収容された日本人捕虜を彼らの代理人や代弁者に変わらせることです。周恩来や毛沢東等、日本人捕虜に対して、何回もそのような言葉を言いました。戦後、中帰連などの団体は、日本各地で興した様々な活動から見ると、彼達はその目的を遂げたことを実感しております。

撫順戰犯管理所に関して、私が集めた資料はかなり多いので、日本人が一番関心することをここに記載します。中国人はどのように日本人捕虜に洗脳し、「罪」を認めさせたかということです。




おおむねの日本語訳

満洲事変から日本投降まで、抗日戦争は14年かかりました。1950年に日本戦犯を収容し始めてから1964年に最後の戦犯達が帰国するまでさらに14年かかりました。侯桂花さん(元管理所職員)の話によって、我々は日本人との戦いは思想戦場に移り変わりました。初めて撫順戰犯管理所に入った日本人の共通点は「罪」を認めない事。
これら日本人はシベリアからソ連政府によって、中国に送られてきました。
彼らは天皇陛下万歳を叫んだり、食べ物を無駄にしたり、管理所で大騒ぎしました。ある人は管理所の教育を聞きたくないため、箸で自分の耳を破りました。


やってない「罪」を認める人はまずいないでしょう。可哀相な日本人は洗脳教育に対して、最初の抵抗は自分を傷つけることしかできないのです。

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「日本が対抗措置」と露紙、漁業会社の5億円提供問題

Category: 政治  

「日本が対抗措置」と露紙、

漁業会社の5億円提供問題

2010.12.28 20:12


ロシアの排他的経済水域(EEZ)内でスケトウダラ漁をする北海道などの漁業会社4社がロシア政府関係者に計5億円を提供していたと日本で報じられたことについて、28日付のロシア紙「独立新聞」は、ロシアのシュワロフ第1副首相の北方領土訪問に対する日本側の「対抗措置」の可能性があるとの見方を報じた。

 同紙は、漁獲に伴うロシア側への賄賂はこれまでもあったのに「なぜ今になって議論を始めたのか」と指摘。

 日露関係の悪化を背景に、日本側が第1副首相の訪問に対する対抗措置としてこの問題を明らかにする姿勢を示し、外交上のシグナルを送り始めた可能性があるとするロシア科学アカデミー極東研究所のキスタノフ日本研究センター所長の分析を紹介した。(共同)


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《英米諸国人に告げる》

Category: 戦争  

東条英機の処刑前の手記がありますのでご紹介いたします。



《英米諸国人に告げる》

今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。
この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。

しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない
私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。

しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。

我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。

いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。

もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。

諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ







《日本同胞国民諸君》

今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。

ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。

この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。

ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。

不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国にあるということは動かすことのできないことである。

力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない
人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。

諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。
日本は神国である。永久不滅の国家である。
皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。

諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。






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「ハルノート」

Category: 戦争  

昭和16年12月8日、日本は米国との開戦に至った。
太平洋から東南アジア、インド洋にいたる広大な海洋を舞台とし日本は史上例を見ない大戦争を戦った。

そして4年にも及ぶ「大戦争」は最終的に昭和20年8月15日、日本の敗戦によってその幕を下ろした。
しかし何故日本は国土の広狭・資源の有無・を無視してまで「日米開戦」に踏み切ったのか、常識では考え難いがそれらに関係無く日本に開戦を選択させるべく仕向けたアメリカの『責任』がある。

アメリカが日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがっただろう」これは東京裁判でのパール判事の言葉である。

勝ち負けを度外視しても開戦を選択せざるを得ない理由こそがまさに『ハルノート』である。(正式名称、合衆国及び日本国間の基礎概略)開戦前夜の昭和16年11月26日アメリカ国務長官 コーデル・ハルが日本政府に対して通告してきた文書でこれを読んだ日本国はアメリカからの最後通告と解釈したのである。

当時日本はアメリカイギリス・支那・オランダによる対日経済封鎖により石油・ゴム・といった資源のほとんどを供給停止されていた為に南方進出を真剣に考えていた。

東南アジアの国々はほとんど欧米の植民地である。
その国々を独立させ対等貿易を行えば日本に活き残る道はある。
その為にはアジアから欧米の植民地支配を排除せねばならないが欧米と開戦できる国力は無い。
そんな状況下にありながらも日本は日米開戦を回避すべくぎりぎりの条件を提示して日米交渉の妥結を願った。

その条件「甲案」とは

  1・ 日支(日本と支那)に和平が成立した暁には支那に展開している日本軍を

     2年以内に撤兵させる。

  2・ シナ事変(日中戦争)が解決した暁には「仏印」

     (フランス領インドシナ)に駐留している兵を撤兵させる。

  3・ 通商無差別待遇(自由貿易)が全世界に適用されるなら太平洋全域と

     シナに対してもこれを認める。

  4・ 日独伊三国同盟への干渉は認めない

と言う内容であり更に「甲案」での交渉決裂に備えて日米戦争勃発を未然に防ぐ為の暫定協定案として「乙案」も用意してあった、乙案は下記の内容である。

  1・ 欄印(オランダ領インド=現インドネシア)での物資獲得が保障されアメリカ

     在米日本資産の凍結を解除し石油の対日供給を約束した暁には南部仏印から撤兵する

  2・ 更にシナ事変が解決した暁には仏印全土かた撤兵する。

要するに日本に対する経済封鎖が解除され石油などの資源が供給されれば南方に進出する必要性は無くなる。

それと引き換えに日本も全面撤退に応じるという内容である。
この事については駐日大使ロバート・クレーギーが帰国後政府に提出した報告書で「日本にとって最大の問題は南方進出では無く耐え難くなりゆく経済封鎖を取り除く事だった」とかかれており日本の南方進出が「領土的野心」等では無かった事を証明している。

東京裁判アメリカ人のブレークニー氏も「日本の真に重大な譲歩は甲案であり、甲案において日本の譲歩は極限に達した」と言っている。

日本側は対米交渉においてこれ以上は応じれない譲歩を示したと言う事である。
しかしそれに対しアメリカは11月7日に「甲案」、11月20日に「乙案」をも拒絶し11月26日に日本が到底受け入れる事の出来ない「ハルノート」が提出された。
ハルノートは以下の文書である。

  1・ 日本軍の支那、仏印からの無条件撤退

  2・ 支那における重慶政府(蒋介石政権)以外の政府、政権の否定

     (日本が支援する南京国民政府の否定)

  3・ 日独伊三国同盟の死文化(同盟を一方的に解消)

日本に対し大陸における権益を全て放棄し明治維新前の日本に戻れと言う事である。

江戸時代アメリカに武力で開国を強制的にせまられて以来欧米列強に揉まれながらも日本は血の滲む努力の末やっと対等になりつつあるところで「全てを放棄しろ」である。

こんな訳の解からぬ条件を突き付けながらも経済封鎖の解除には一言も触れて無い所などはさすがは「詐欺師国家」アメリカである。

日本は生存権を賭けて日米開戦の道を選択したと言うより開戦という選択を取らされたのである。

資源・物資・大陸での正当な権益・アメリカにある日本の資産・これらを放棄しろと言う事は「死ね」と言うのに等しい事である。

アメリカ流の屁理屈で言わせてもらえば日本の選択した『開戦』という道は自衛手段であり日本には一切の戦争責任は無いと言える。

これらの構図は現在も続いている。
常に対象国を挑発し、事の責任をなすりつけるやり方は最近中国との間で起きている。

中国の嫌がることを徹底的にやり、頭にきた中国アメリカ国債をバカバカ売却する。
大量にアメリカ国債が売られるとドルが暴落する。
ドルが地に落ちればアメリカはデフォルトする。
その責任の全てを中国になすりつけて、自分は被害者を装い、まんまと借金を踏み倒す。

いかにもアメリカの考えそうなことだ。


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「東京裁判は誤りであった」ダグラス・マッカーサー

Category: 歴史  

朝鮮戦争 により日本の立場を理解し翻意し米国の正義を貫いた第一級の資料マッカーサー 証言

 1950年(昭和25年)共産党員弾劾のマッカーシー旋風が吹き荒れ、ルーズベルトもルーズベルトの側近も弾劾された。

ダグラス・マッカーサー
アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)1950年10月15日の発言
 当時裁判の最高責任者
マッカーサー 元帥が、昭和二十五(1950)年10月15日ウエーキ島におけるトルーマンとの会談で「東京裁判は誤りであった」と発言。戦犯処刑は昭和23(1948)年12月24日。処刑後わずか2年後である。

ダグラス・マッカーサー
 (アメリカ 、日本占領連合軍最高司令官・元帥)(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会において、聖書に誓い、証言)
戦犯処刑は昭和23(1948)年12月24日。処刑後わずか3年後である。わずか3年で東京裁判での、東條英機の宣誓供述に呼応し、認めているのだ


米国 議会上院の軍事外交合同委員会で行われた質疑応答
 
質問者 ヒッケンルーパー上院議員
 五番目の質問です。赤化支那(中共:共産
中国 )に対し海と空とから封鎖してしまへといふ貴官(マッカーサー の事)の提案は、アメリカ、が太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。

 答弁 
マッカーサー 将軍
 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口(四千万)で、あとの半分(四千万)が工業生産に従事してゐました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けてゐる時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。
 これほど巨大な労働力を持ってゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い羊毛が無い石油の産出が無い
すずが無いゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。(注・その原料の無い日本が、真珠湾より先に宗主国のABCD包囲網で供給を断ち切られた。日本を亡国と化すために先に仕掛けたのは連合 国だ)
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、日本では一千万から一千二百万の失業者が発生(注・マッカサーは婉曲表現で失業者が発生と発言しているにすぎない。四人家族だとすると総数は四千万人から四千八百万人となる。工業生産従事者とその家族全員の四から五千万人が路頭に迷うことになる。国民の半分が路頭に迷うことになれば、失業などではない、まさしく亡国だ。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、失業などではなく、確実に日本は亡国なのだ。子孫と称する日本語も英語も分からぬれいの鳥瞰視点欠落した輩は、失業者対策のために起こした戦争と翻訳した。語るに落ちている。現代日本でも原料の供給を断ち切られたら、亡国は常識)し、亡国と化すであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れていました。したがって彼らが戦争を始めた目的は、大部分が護国のため(亡国防衛のため、安全確保のため)(by security)だったのです。

 ・・・
米海軍がフィリピン と沖縄を奪う頃には、海上封鎖も可能となった。そのために、日本陸軍を維持する供給は、次第に届かなくなった。封鎖したとたん、日本の敗北は決定的となった(包囲し封鎖米国 軍人は原爆投下に猛反対した)


 
・・・過去100年においてアメリカ が犯した最大の外交的過ちは、シナ大陸において共産主義者の勢力がのさばるに任せてしまったことである共産主義に対してのルーズベルトの無知を、非難している)

 

 この証言はニューヨーク・タイムズに全文掲載された。反日、侮日には下記を掲げればよい。

 

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
これらの供給が断ち切られたら、一千万人から一千二百万人の失業者が発生し、亡国と化すであらうことを、彼ら(日本政府・軍部)は恐れていました。


Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、大部分が護国のためだったのです。

 

大東亜戦争紐解く鍵、五種の文の一つだ。

 1928年から45年までの18年間の日本の戦争は「侵略戦争」だったとして「東京裁判」を開廷し、日本を断罪した正に張本人であるマッカーサー 元帥 が、その後、わずか2年後、そして3年後、自身の考えを180度転換、日本の戦争は「護国戦争」だったと言っているのです。つまり、資源が無い日本では籠城したら、資源が無いから負け。勝つために、自衛護国のためには、東亜の宗主国を倒し、東亜を独立させ、独立国東亜から資源を確保しながら戦う戦法しかない。侵略しなければ侵略される時代に、誰もが同じ戦法を取るだろうと、マッカーサー 元帥 が聖書に誓い、発言したのだ。

 朝鮮戦争東條英機宣誓供述書記載の、赤化防御を朝鮮戦争痛切に体験)でマッカーサー 元帥が、膠着状態打破のため「満州爆撃作戦」を立案することにより、島国日本にとって、朝鮮半島とその延長線上にある満州はまさに「国家の生命線」であり、ここが日本と敵対する国家・勢力によって支配されると言う事は、島国日本への資源供給を絶たれ、取りも直さず国家存亡の危機に直面する緊急事態であるという事を学んだのです。事実中国 (元)はこのルートで二度日本を攻めてきた。「満州爆撃作戦」は「侵略戦争」と決め付けた日本軍の作戦と同一であることに気づき、日本軍の護国のために誇りを持って玉砕する心根を、瞬時に理解出来たのです。「侵略戦争」だったらあのような壮絶な戦いは不可能だ。至誠一途な心根も、まさしく「自衛護国戦争」だったからだと。

 
東京裁判(1946.5~1948.11.)は誤りだったと。勝者が正義の時代に、戦犯処刑わずか2~3年後に前言を翻したことは非常に重要だ。マッカーサー 元帥と米国 は、世界征服をたくらむコミンテルンの悪の野望と、コミンテルンに操られたルーズベルトの陰謀に、日米国民が乗せられたことに気付き、アメリカの歴史に汚点を残すのを避け、大東亜戦争 開戦の詔勅 を認め、東條英機の宣誓供述に呼応し、まさしく豹変し、これも認め、真実を貫いたのだ。
 自虐教育の原点である東京裁判はマッカサーも認めたように誤りだったのだ。自虐教育・自虐報道はもうやめよう。

 1951年4月11日、更迭。1951年4月16日離日。4月19日引退。退任に際しての演説を行った。最後に、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die, they just fade away.)」の言葉を残す。

 1964年4月5日に老衰による肝臓・腎臓の機能不全でワシントンD.C.のウォルターリード陸軍病院で死去。84歳だった。偉人として国葬が執り行われ、日本代表として
吉田茂 が出席。

参考文献 『東京裁判 日本の弁明』小堀桂一郎、講談社学術文庫

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世界の盟主 A・アインシュタイン博士のお言葉     

Category: 日出処ノ天子  

近代日本の発達ほど 世界を驚かしたものはない


この驚異的な発展には 他の国と異なる何ものかがなくてはならない

 果せるかなこの国の 三千年の歴史がそれであった


  この長い歴史を通して 一糸の天皇をいただいているということが、

今日の日本をあらせしめたのである。

私はこのような尊い国が 世界に一ヶ所位なくてはならないと考えていた

なぜなら世界の未来は進むだけ進み


  その間幾度か戦いは繰り返されて 最後は戦いに疲れる時がくる

その時人類はまことの平和を求めて 世界的な盟主を挙げねばならない

 この世界の盟主なるものは 武力や金力ではなく


  凡ゆる国の歴史を抜き超えた 最も古くまた尊い家柄でなくてはならぬ

 世界の文化はアジアに始まって アジアに帰る

 それはアジアの高峰 日本に立ち戻らねばならない

 吾々は神に感謝する


 吾々に日本という尊い国を 作って置いてくれたことを・・・






今日ボクが見た風景

20世紀が生んだ、大科学者アインシュタイン博士の言葉です











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